五百野(イオノ)
「五百野」は、第37回群像新人賞候補になった作品です。主人公を筆者と同名で書いたこともあって自伝的美談としたとうのが落選の原因だったようです。小説は事実に基づいたとしても全くのノンフィクションとは限りませんよね。どうして自伝と判断されてしまったのでしょうか・・・。実際は、作者の思い出に基づいた作品ではあるが、フィクションの要素の方が強いということでした。私はこの話を聞いた時、太宰治の「嘘」という作品を思い出していました。ある作家ファンであり、淡い恋心を抱いていた女性の主人公が、その多くの作品から、作家の貧しい生活に同情し、布団をもって作家の家を訪ねるという話。貧しいはずの作家が恥ずかしい思いをしないように自分の身なりもひどく小汚くし、つんつるてんの着物を着て、歯も欠けているように見せかけて黒く塗って、布団をはだかで抱えていくと、大きな家の玄関から上品そうな奥さんが応対し、立派な着物をきた作家が「ああ、なんだね」って出できて愕然としたという、あれです(笑)。フィクションかノンフィクションか。よい作品だからこそ問題にされるのかもしれません。
さてさて、元に戻って・・・。この「五百野」という作品は、幼少の拓矢が青森と横浜を舞台に、祖父母のいるもとに預けられいたころの昭和30年代のころの小説です。母に連れられ、横浜に移り住んでからは、石原裕次郎を芸者と蒸発した父であると思い込み、映画館に通ったりします。女とひっそり生活していた下宿を探し出し、訪ねるところでヤマ場を迎えます。女に買ってもらった本を川に棄てる場面はまさに圧巻。川田文学としては一番読みやすい作品だと思います。
帯文
《血》の記憶 ただは母についていきたかった
無性に父に遭いたかった―
人間の<業>を真摯に追求する川田文学第3弾
―本文より―
不思議にも、父をおとしめる感情は湧いてこなかった。それどころか、いつのまにか、彼がつまらない男かもしれないと一瞬疑った心は消え失せ、そうして、彼の静かな立ち居をひっそり暗がりに息づく美しい昆虫に重ねて思い返した。すると、急に、もう二度と父には会えないだろうという淋しさが、体中に沁みわたった。
著者拓矢5歳・母すみ31歳。
昭和29年 青森県三沢市国際ホテルにて
三沢国際ホテルには,その当時米国進駐軍が常時出入りしていた。その中の1人がこの美しき母子に目をとめ、撮影したもの。
(近代文藝社 1500円+税)