kawatabungaku.com
川田文学.com 

《影の車(1970)》


 監督 野村芳太郎  主演 加藤剛 岩下志麻



 清張ものは、決めの締まりが悪くて、常々馬鹿にしていたし、いまも馬鹿にしている。小説も佳作は『遭難』一作で、あとはすべて読むに耐えない。内容はともかく文体が華麗なのは『或る「小倉日記」伝』のみ。
 彼の映画はすべて観た。70年代にはよくオールナイトで黒澤五本立てとか、清張五本立ての映画がいろいろな映画館で上映されていた。昼間の二本立ては150円、オールナイトの五本立ては350円だった。コーヒー120円、ハイライトが80円の時代である。重複に甘んじながら観ていった。黒澤に並作一本、清張に佳作一本発見した。『生きる』と『影の車』だった。
 影の車が鑑賞に耐える作品となったのは、加藤剛の熱演のせいである。テーマは六歳の子供に殺意があるかという月並みなものだが、結末部で、
「あるんだ!」
 と、加藤剛が叫ぶ迫真性がこの映画のすべてである。
 六歳の子供一人抱えて保険の外交をしながらかつがつ生活している女が、かつてのクラスメートに出会う。必然的に男女の関係になる。子供は不満だ。私事だが、七歳のころ母が同じ状況に立ち至ったとき、私は平気だったし、浮き浮きしていた。ほとんどの家庭ドラマと同様、こういうところも型どおりで、平凡なプロットだと思わせる。清張の男女関係の探究不足と人間的深みの欠如が作品を平凡にする最大原因だろう。そんな根拠のない不満から殺意にまで持っていくのはゴリ押しに過ぎる。社会派は人間を追究しない。つまり彼らは芸術家ではなく、学者だ。したがって、学術的な方向へとかならず進んでいく。
ともあれ内容に何ら感嘆符はつかないのだが、とにかく加藤剛の品のいい熱演がすてきだ。人間の揺れを演じようとする。岩下志麻も子役もだめだ。パターンを演じようとする。ただ、加藤剛が幼いころに母の愛人を殺していたがゆえの罪悪感のせいで、子供に恐怖心を抱き、首を絞めるまでに至るというのも、なんだかなあ。鍵をかけてガスを出しっ放しにした部屋に閉じ込められたり、鉈を振り下ろされたりしたら、だれだってぶん殴りたくなる。でも、首を絞めたくはならない。
ああ、B級映画の紹介はたいへんだ。しかし、このレベルの映画を100本、200本観ていけば大傑作にぶち当たる可能性なきとしない。いかんせん、B級映画が少ない。100本観るあいだに、C級以下の映画を5000本観ることになる。A級映画は砂浜のダイヤモンドだ。