風と喧噪

 1970年代を時代背景に、詩という形態で真の芸術を志し苦悩する会津と、そんな会津を大切に思う親友・横山の二人を主人公にした作品です。読んでいけば分かりますが、形式的に言えば、一人称が純一と横山で交互に替わっていく構成になっており、物語が違った角度で同時進行していくところが圧巻です。しかし、この本の凄いところは、そんな無機的なところというよりむしろ、その登場人物の有機性にあります。(当たり前だけど・・・)複雑な論理展開でもって主人公の脳味噌の闇に突っ込んでいくというようなところがあるので、読む人によっては、非常に難解に捉えられるかも知れませんが、是非読破してください。
 表紙デザインの五味さんという方は、この本を本当によく読みこんでいるのか、表紙全体が細胞核のようなデザインをされていて感激しました。この作品にピッタリのイメージだったからです。
 この作品は作成者自身とても大切にしている作品であり、川田文学に序列を作るなら一番の作品だと(勝手にですが)思っています。


 まえがきである「淡彩の序」大好きです。この間、「まえがきからしてわからない」と言ってた人がいましたが、本当に残念なことです。是非作者への信頼をもって読んでほしいものです。比較的大手出版社から発売され、ベストセラーとか芥川賞をとった、というのであれば、その権威に伴った信頼は獲られるのでしょうが…。受賞作品やベストセラー作品は、あたかも自分以外の世間の全体で評価しているという、漠然とした恐怖感を抱きがちですが、そのような評価も社会的影響力をもった個人の意見で成り立っているということを私は忘れないようにしています。その社会的な影響力こそが問題であるとうことなら話は別になってしまいますが、そのようなところに重きを置いていない初々しい精神の持ち主が川田文学の真の読者であると作成者は信じています。


 帯文

 俺と会津は、うまく言えないが、向こう傷みないなもので繋がっている。それを小馬鹿にする世間で生きなくちゃならない辛さを感じなら、それでもいっしょに生きていける喜びと、いろいろな希望に満たされている。会津の思い出が飛び去った幻を追っているのか、多少はあるはずの名誉心がなにか苦しい比較を思って悩んでいるのかわからないが、そうやって放心している悲しい顔色が、俺にはたまらなく慰めになる。俺は、会津に振り返られなくたっていい。このまま会津をずっと見ていられればいい。俺が会津にとって何ものかになれるのはいつのことだろう、と考えているだけでいいんだ。いつだってそう思ってきた。(本文 第八章より)

近代文芸社 定価本体1800+税

風と喧噪



「風と喧噪」が読売新聞(九州版)03年2月11日と14日に広告掲載されました。




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