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《競輪上人行状記(1963) 監督西村昭五郎 主演小沢昭一》

 伴春道(しゅんどう)は奥多摩の中学校の熱血教師である。日々同僚と教育論に明け暮れて飽きない。

 実家は上野で寺を営んでいる。人の葬式もやれば、犬の葬式もやる。ご利益仏教・葬式仏教は彼の高邁な志に反する。宗教というものは人間を啓発し、救済するためにあるのであって、金儲けをするためにあるものではない。彼が家業に反発し、仏教系でない大学を出て教師になった理由だ。

 それでもときどき実家に帰るのは、兄が死んだあともヤモメを通しながら寺の存続に尽力している義姉に、長く想いを寄せているからだ。義姉には男の子が一人いる。

 夏休みの里帰りをしていたある日、春道を頼って勤め先の中学校のある青梅から教え子のサチ子が家出してくる。彼女は何も語りたがらない。その様子を見て、複雑な事情がありそうだとはわかるのだが、親に知らせず何日も寺に置いておくわけにいかず、切符を買い与えて青梅に帰すことにする。

 休みが明けてすぐ、体育の授業中にサチ子が倒れ、彼女が妊娠していたことを知る。家出のわけが知れた。春道はほうぼう駆けずり回って調べてみるが、相手がわからない。彼はサチ子の母親を問い詰めて、ついに実の父親が張本人であることを聞き出す。春道は愕然とする。

「このあたりじゃ、近親相姦はめずらしくないできごとだよ」
と親しい同僚に教えられ、持ち前の正義感からサチ子を上野へ連れ帰る。そして常に目が届くよう近所の一戸建ちに住まわせる。

 息子の一連の行動を逐一見ていた住職の玄海は、勝手に中学校へ退職願を送りつけ、
「おまえは教師に向かないから坊主になれ。寺を再建して兄嫁のミノと所帯を持て」
と諭す。

 春道は形ばかりに怒ってみせるが、ミノに惹かれる気持ちは押さえようもなく、また教育に絶望を感じはじめたことも手伝って、坊主になることを決意する。

 ここまではこの映画の枕にすぎない。これから先の展開が、真珠のような恋愛物になるとは、だれが想像できるだろう。さらに細かく兄嫁との顛末を語りたくなるが、ここで口をつぐんでおく。

 寺を再建する資金集めに歩き回っているとき、ふとした好奇心から競輪というギャンブルにのめりこみ、ついには競輪場から競輪場へ転々とする予想屋にまで身を落とす。

 そんな彼のかたわらには、いつもサチ子が寄り添っている。移動の旅の車中で春道はサチ子といっしょに弁当を食う。見交わし合いながら、彼は尋ねる。

「先生のいくところへなら、どこへでも行くな?」

サチ子は愛に満ちた眼差しで見返し、

「うん」

とうなずく。

 私の目は宝石を眺めるそれになり、いちどきに瞼が熱くなる。

 法衣を着た予想屋、競輪上人を小沢昭一が演じる。これほどの適役はなく、彼の最高傑作となった。

 少し頭の足りないサチ子役は伊藤アイ子。天性の女優である。しかし彼女はこれ以外の映画では『若い港』にしか出ていない。

 玄海役の加藤嘉はめずらしく滑稽味を出していて、科白の含みに趣があり、春道を自棄の生活に落とす伏線的な役回りの意外性にも文句のつけようもないが、ミノ役南田洋子の鬼気迫る妖艶な演技には、だれもが度肝を抜かれるだろう。

 競輪場の一角で法衣の小沢が客たちに向かって予想の口上を滔々とまくしたてる場面は、この映画の圧巻である。なぜ彼は予想屋になったのか。たぶん彼が男だからだ。大望し、挫折し、愛し、幻滅し、なお再生を願う男だからだ。

 男の心の動きをこれほど緻密に破綻なく描いた映画を私はほかに知らない。