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川田文学.com 


《危険な友情(1992)》



監督 クレール・ドヴェール  出演 フィリップ・ノワレ




 女性が創った女々しくない映画の最高峰。ニューシネマ・パラダイスのノワレに、殺し屋役がなんともしっくりはまる。長丸顔の殺し屋は、あたかもな角面よりも迫力がある。『レオン』のジャン・レノを思い出してほしい。神秘的な暴力性を想起させるジョン・カサベテスなども浮かんでくる。

 芸術家体質の完璧主義者、かつ冷厳な超弩級の殺し屋マックスは、還暦を越えたいま、パリで優雅な引退生活を送っている。そこへマックス殺害の使命を帯びたジェレミーという若い殺し屋が親しげに近づいてくる。マックスは彼の意図を見抜きながらも、憎めない男だと思って好きにさせておく。若者と老人が心の奥底で共感しあって友情を結ぶという、私の好きなテーマだ。親しみ合う契機と状況はちがうが、『冬の猿』のジャン・ギャバンの境地とよく似ている。

 そんなマックスに大仕事が舞いこむ。引退の記念にと彼が引き受けることにしたのは、この仕事をジェレミーにさせてやりたいと思ったからだ。殺し屋としてあまりにも危なっかしい彼に、殺しの極意を教えたかったのだ。当然その真情は若いジェレミーの心にも伝わり、ぎこちないながらも深い友情が芽生える。そして、計画、訓練、実行の佳境ということになるのだが、そこへむかしからマックスを憎からず思っている老刑事などが絡んだりして……。

 殺し屋ものこのジャンルは娯楽の高峰を歩んでいると確信する。ヒッチコックとは知的なレベルを異にしている。アクションものを上質なサスペンスに仕立てたいならば、殺し屋を描けばよい。極論とは思わない。