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《瞼の母(1931)》

監督 稲垣浩  出演 片岡千恵蔵


 並の映画ではない。かび臭い新国劇をイメージしたら肩すかしを食う。無声映画だが、のちにトーキーの印象で甦る。片岡千恵蔵も山田五十鈴もうつくしく、まばゆい。

 渡世人忠太郎の帰還を喜ばない母親。それは彼の妹の良家への嫁入りが目前にあるという事情からで、本心ではない。心を鬼にして放逐を決意した母親の演技なのだが、迫真の拒絶に息子は引き下がる。突っぱねた息子が出ていったあと、母親は娘の口説きにほだされて改心し、二人で忠太郎を追いかける。ついに見出し、母と息子が抱き合う。

長谷川伸の原作では、忠太郎は物陰に潜んで二人をやりすごし、ひそかに姿を消すことになっている。それはいけない。母娘の必死の追跡に実りがなくなる。人情劇に大殺陣が混じった意味がなくなる。そして、傑作でなくなる。

傑作とはハッピーエンドのことだ。不幸で幕を閉じるドラマが傑作であるはずがない。芸術作品は実人生ではなく理想を描かねばならない。何本もリメイクが撮られたが、この稲垣監督の瞼の母だけが傑作である。