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《マダム・スザーツカ(1988) 監督ジョン・シュレジンジャー 主演シャーリー・マクレーン》

 

 若いころに手の神経をやられて(精神的なものか?)プロのピアニストの道を断念した女が、老いて厳格なピアノ教師として再生し、一人の天才少年を育て上げていく過程を、切なく、かつ、ロンドン市街の文明的変貌とからめながら懇切丁寧に描く。

女手一つで育てられた14歳のマネク(ナヴィーン・チャウドリー)は、才能ある生徒しか採らないと喧伝する老教師マダム・スザーツカ(シャーリー・マクレーン)ののもとに入門する。彼はスザーツカの目にかなった稀有の天才だった。

彼女はこの将来有望な少年に、ピアノの基本的な技術はもちろんのこと、それに倍してプロになるための教養や礼儀作法を教えようとする。商業主義に毒されずに芸術の本道を完遂することこそ、一流のピアニストとして成功する条件だと固く信じているからだ。

息子を早くプロに仕立てて生計を安定させようとする母親、彼をプロに誘おうとするエージェントなど、次つぎにマネクの芸術的達成を妨げる障害が生じる。彼らとの角逐にスザーツカの神経は苛立つ。純粋な芸術的探究心と商業主義との軋轢である。

マネクは仕事に杜撰な母親の失職を機に、エージェントの誘いをうけいれる。そして、どこか芸術の本質をにおわせる師スザーツカとの別れに葛藤しながらも、ついにプロの道へ踏み出すことになった。彼の成功はたしかにスザーツカにとって喜ぶべきことだが、彼女の喪失感の深さは理屈で御せないのである。

ストーリーはこれだけのものだが、劇中の音楽(ピアノ)の美しさがたまらない。シューベルトの『二手のための幻想曲ヘ短調D940』、シューマン『ピアノ協奏曲イ短調作品54』、とりわけ淡い恋心を寄せる歌手志望の女(ツイッギー)に手の届かぬものを感じながら、マネクが彼女のアパートの部屋から階段を降りていくときに流れるグルックの『精霊の踊り』(歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』)は、えもいわれぬ悲しみを醸し出す。

東大を退学して、予備校講師の職に就いたころ、中途半端に学問を捨てた自分に教師としての素養が備わっているだろうかとかなり悩んだ。そんな日々に、この映画に出会った。過去に栄冠を戴いた経験もなく、のんべんだらりと暮らしてきた自分の現在の姿を、栄光に満ちた過去の挫折に苦しみ、現在の惨めさに忸怩としながらも、信念を持って後進を厳しく育てていく主人公に厚かましくも重ねた。

栄光の過去を担っている人間でさえ悩んでいる。私ごときが悩むのはあたりまえだ。しっかり勉強し直そう。がむしゃらな無手勝流でいこう。たとえ無骨なものでも、その成果をすべて学生たちに注ぎこみ、私にできなかった学問の本道を追究するトップエリートを育てようと決意した。