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《中山千夏(1961) 『虹の国から』》
私に勉強というものを、そしてそれを理解する喜びを教えたのは、名古屋千年小学校の守随洋一くんだった。一介の野球少年が、常に校内トップの彼に「勉強をいっしょにしよう」と誘われたときの喜びはどんなだったろう! 曜日を定めず、週一回、彼の都合のいい日に、私は彼の家にかよいつづけた。そして、居間の大テーブルで算数を教えてもらった。
あるとき、三十分の休憩時間に二人で観たドラマが、中山千夏と益田喜頓の『虹の国から』だった。守随くんがスイッチを入れると、虹の国からという題字が写った。
「中山千夏いうおもしろい子供と、益田キートンいうおもしろいオッサンが、クズ屋の親子をやるんよ」
すばらしい主題歌が流れ出した。私はその場でメロディと歌詞を暗記した。ドラマそのものは、クズ屋の父娘の日常をおもしろおかしく描いただけのもので、それほど印象深いストーリーではなかったけれども、二人のユーモアたっぷりな掛け合いがわざとらしくなくて、飽きなかった。
「中山千夏はみなしごなんや。キートンが育てとる。千夏は母親を探しとるんよ」
保土ヶ谷の父を訪ねたことが、どこにでもありがちなことに思われてきた。世間にはよくある話なのかもしれないと思うと、自分の大切な思い出がフライパンの野菜炒めみたいにゴタ混ぜにされたような気がした。
私の思慕はテレビドラマにでもなりそうな月並みなものだったのかもしれないけれど、あの背中の深い悲しみは、私の記憶の中でけっしてありきたりではない。いまでも眼の奥に、階段を上っていく父の背中がはっきり見える。
「さ、勉強!」
「うん」
それから三十分ばかり仕事算の問題の解き方を教わり、ふたたび守随くんの母親と父親に丁寧な挨拶をされて、お辞儀をして玄関を出た。
帰り道、歌詞をうろ覚えのまま歌ってみた。
雨が上がった 並木の道を
歩けばそこに 虹の橋
あの橋渡れば 母さんが
きょうも元気か よかったね
手を振りながら 呼んでいる
母さんというのは、赤ん坊のときにクズ屋に拾われた女の子が捜し求めている母親のことだと守随くんが言った。その事情を知りながら歌うと、しみじみと胸にきた。
テレビはそのとき一回観たきりで、守随くんが中休みにテレビを点けることは二度となかった。だから、うろ覚えの歌詞を確かめることはできなかった。