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《リトル・ペギー・マーチ(1963?) 『涙にぬれた恋』》

 

 リトル・ペギー・マーチとは、1962年、中一の春に出会った。英語の曲では『恋を教えて』しか気に入らなかったので、わけても、日本語の曲に耳を傾けた。とんでもない名曲の『涙にぬれた恋』にめぐり会ったのは、1963年ではなかったか。LPから発見した。

さようならのそのひとことが

どんな悲しい言葉なのか

あなたにはわからないはずよ

と歌いだす秀逸なバラードだ。64年には、島流し先の野辺地のラジオで、もうひとつの名曲『想い出の東京』を発見したことを鮮やかに憶えているので、きっと63年のはずだ。63年が重要なのは、その年まで私が野球一筋の人間で、恋愛などしたことがなかったからだ。愛を知らない心にもこの歌は響いた。

 彼女はいつのまにか、リトルの冠をはずされ、日本語のみならずドイツ語やスペイン語といったご当地言語で歌う国際的な歌手になった。62年から64年までの短い最盛期。まだ16歳だった。その後、彼女はどのように年をとっていったのだろうか。あの大造りな顔は、老いて観賞に供せるものではなくなっただろうし、あの張りつめた高音も遠い日の夢と化しただろう。

 彼女のこの曲はコンピューターからは拾えないと思うので、原曲であるリトル・アンソニーの『ティアーズ・オン・マイ・ピロー』を、あるいは新しいところでは、カイリー・ミノーグのそれをなんとか見つけて聴いてほしい。

それにしても、なぜリトル・ペギー・マーチの代表曲が『アイ・ウィル・フォロー・ヒム』なのだろうか。おそらくは、オリジナルのペトラ・クラークをはじめ、何かの折々に数百回は聴いている曲だが、どうしても心に響いてこない。単純すぎて、つまらないのである。

激しい、あるいは繊細な情念を乗せるには、ショパンのごとき複雑なメロディが必要なのは言うまでもない。現今、この曲げようのない真実が否定される傾向にある。