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《切腹(1962)》
監督 小林正樹
主演 仲代達矢 三國連太郎
サスペンスは上出来、結末は平凡の、並作。かつては政治性の陳腐さに気づかず、大傑作だと思っていた。平凡になったのは、政治の勝利を肯定的に打ち出し、個人の懲悪が完遂されなかったからだ。ということは、勧善も不完全なものとなったわけだ。
芸術作品の使命は、社会秩序肯定や風潮是認の教科書となることではない。個人的な感情のカタルシスを起こす終着点へ、猛烈な表現力と倫理で折り合いをつけてやることだ。
悪を勧め、善を懲らすのは日本の映画のながく改善されない致命的な欠陥である。すばらしい復讐を果たした人間のもとに、パトカーが捕縛にやってきたり、何を思ったか復讐者がうなだれて自首したり、あるいは復讐者にえらそうに自首を勧めたり、復讐者が図ったように悪人から大逆襲を受けて最終的な敗北を喫するといったごときである。
ひとこと―仲代達矢を殺す結末は失敗である。『恐怖の報酬』の失敗から学べ。
次回は、この意味で最高のカタルシスを起こす映画、極大射程を取り上げてみたい。
上記のような映画評を記してから15年以上の歳が経った。『切腹』の映画評を動画に残す機会に恵まれ、改めてこの映画を分析することで、この映画の評価が多少変わったことをひとこと断わっておきたい。
《切腹 1962》
監督 小林正樹 出演 仲代達矢 三國連太郎 石浜朗 岩下志麻 丹波哲郎
この映画を撮ったときの小林正樹は46歳。仕事人として脂の乗り切ったころである。彼は三十数年の監督生活で二十本の映画を撮った。そのうち私が観たのは、あなた買います、人間の條件(6部作)、切腹、怪談、上意討ち、東京裁判、のたった6本である。中で最も感銘を受けたのが切腹だった。
ときは寛永というから、幕府権力を確立させた徳川家光の武断政治の時代である。参勤交代制が整えられ、キリシタンは排除され、朱印船貿易は禁止され、島原の乱ののちについに鎖国体制が完成した。
家康から家綱の時代の浮かれ高度経済成長に翳りが見えはじめたのは、金の産出量が減り、貨幣の改悪を始めた家光の時代からである。要するに国が貧乏になってきたということだ。この映画の背景となっている諸大名の留守居屋敷が江戸にあったのも、大名貧窮化政策の一環である参勤交代制のゆえである。
屋敷前にやってきて、貧乏下級武士が門前で腹を切らせてくれと願い出て、同情されて目こぼし金をいただくというタカリが横行したのもこの時代だった。財政難の諸大名たちもこれには困惑しただろう。解決策は二つある。
@涙金を与えて追い払う。これを黙認して慣行化すれば、同じような事態が続出してキリがなくなる。
A腹を切らせる。これは記録保持、死骸を片づける等、事後処理がやっかいだ。
彦根藩の井伊家はAを実行し、死骸は浪人の自宅長屋に届けた。ただこの顛末が悲惨だった。まず、切腹を願い出た青年浪人にはあすをも知れない病気の妻と子がいるという逼迫した事情があった。涙金が欲しかったのである。むろん腰のものは竹光だった。
井伊家の家老はその竹光で腹を切らせた。悶絶させたうえで首を刎ねたのである。
青年には義父がいた。女房の父親である。娘婿がいかに武士にあるまじき挙に出たととしても、よんどころない事情のもとで行なった愚挙と考えられたし、何よりも愛する娘の最愛の婿が残虐に殺され、瀕死の子供はほどなく息を引き取り、病気の娘も傷心の中で後を追うように死んだ。その一挙にやってきた喪失を許せず、義父は徹底的に怒り徹底的な復讐を決意した。中原中也の春日狂想〈愛するものが死んだときには、自殺しなきゃあなりません。愛するものが死んだときには、それよりほかに方法がない〉である。彼は単身井伊家に乗りこむ。本題はここからだが、その迫力に満ちた本編は各自の鑑賞におまかせする。
私がよく理解できたのは、対面重視を基本とする武士社会の一員であったかつての傑物武士が、本意なく武士の対面を汚してしまった身内に対しては詮方なしとして許し、武士社会の基本を表立てて邪悪な処断をした他者に対して、心から怒り、復讐に立ち上がるという〈人間らしい〉行動矛盾である。愛する者を奪われることこそ、人間最大の悲しみであり、怒りの根源だということを得心させられる。絶望であれ復讐であれ、喪失に対する補償作用は、おそらくどんな矛盾も包摂して許容できる人間の真実だからにちがいない。逆に言えば、人はあらゆる矛盾を越えて、愛する者をいたぶった他人を殺戮できるということだ。殺戮の報いは自ら一人こうむって個の命は完結する。この映画の傑作性に大の冠を載せた所以である。