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《そして船は行く(1983)》
監督 フェデリコ・フェリーニ 出演 サラ・シェーン・ヴァーリー
まず資料的なことから。1985年日本公開のイタリア、フランス合作映画。二時間七分。撮影はすべて、イタリアの巨大屋内撮影所〈チネチッタ〉内で行なわれた。ところで、ある国の合作というのは、出演者の国籍と関係なく、制作費を出している会社同士の合作のことである。
さて、狂言回しのレポーターはジャーナリストの初老の男性オルランド。物語という虚構世界と私たちの属する現実世界の橋渡し役である。オペラタッチの難解で幻想的な群像劇なので、彼の寸評や反応にかなり助けられる。公開当時、映画雑誌ピアの評価が星一つだったことを憶えている。特撮や野外ロケを使わない、かつて見たこともない映画作りだったからだと思う。
ときは第一次大戦開戦直前。亡くなった偉大なソプラノ歌手エドゥメア・テトゥア(架空)を偲ぶ人びとがナポリ港から豪華な弔い船に乗って出航する。名だたるオペラ歌手や演奏家、さらにはオーストリア大公や首相、たった一人乗船を許されたジャーナリストなどの面々を乗せて出港した客船の名はグロリアN号という。南欧の栄光を乗せ戦火を逃れて航海する(NAVE)という意味があると考えてよいと思う。その船が物語の舞台になる。出航から壮大な音楽で始まる。ヴェルディの『運命の力序曲』。海に散灰するための目的地は、エドゥメアの遺言で彼女の故郷であるエーゲ海の小島エリモ島(架空)の沖。
故人を信奉し、あるいは縁のある芸術家、貴族、ジャーナリストのほかに、救済されたセルビア難民等、さまざまな身分の人間がさまざまな事情を抱えて乗船している。人生の哀しくも好ましい交錯が葬送のセレモニーとなる。ほとんど知らない顔の役者連も特徴のある面相の男女ばかりで、吟味して集めた木や花を散りばめたという感じだ。
船は常に緩やかに揺れている。ビニールシートの海、書割の空、夕陽、月光、コットンの煙、客船全般のセットの安っぽさが夢のような効果をあげる。絵画を思わせるワンシーンごとの構図の取り方は、フェリーニの画才が面目躍如たるものがある。まさに往年のハリウッド映画を思わせる贅沢なセット撮影だ。映画が作り物の芸術であり、ノスタルジックで贅沢な見世物であることを思い知らされる。
厨房でのグラスハーブの演奏会(シューベルト『楽興の時』)。夜の甲板のドビュッシーの『月の光』。幻想的なダンスが始まる。甲板で踊る難民の老人と女(白い薄物のドレスを着た若い謎の登場人物)にはこれといった感銘を覚えなかったが、理屈では説明できないカタルシスがある。ボイラー室での掛け合いオペレッタは圧巻。ヴェルディ『女心の歌』、プッチーニ『冷たい手を』。音楽への憧憬だけが人種の垣根を越えて流れる。
ところで、病気のサイ、そして客室に飛びこんできたカモメが印象的だ。サイは理解不能だが、カモメは歌姫エドゥメアの才能と精神の象徴ではないかと思われる。彼女の天賦を嫉妬するイルデブランダに蛇蝎視されながら、だれの手も届かない広間の高所を好き放題に飛び回り、窓の外へ去っていく。
フェリーにはこの十九作目まで、虚構に託して自己の内部を示唆する私小説的な映画を撮ってきた。いわば虚構の中に私的な現実を忍ばせてきた。ところがこの映画は私たち観客だけが現実で、あとはすっかり作りものであって自己主張がない。それを示すために、撮影スタッフやセットまでを曝す楽屋オチまでやっている。自己の目を通して見るこの世のすべては作りものであり、そこにこそ真実があり、自己の内面を主張する必要などまったくない、と彼は言いたいのにちがいない。他人の才能、階級、身分、国同志の政治もすべて自分の外で作られたものではあるが、紛れもない真実だと。しかし、それこそ最大の自己主張だと私は思う。
たぶん1977年に亡くなったマリア・カラスを偲んで作られた映画だと勝手に思っているので、そういう視点でこの映画を観た。毛色はちがうが、構図としてモーパッサンの脂肪の塊が髣髴とするのは私だけだろうか。政治的な寓意がなければ、反権威主義を貫いた特A級の映画であると断言できる。