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《サウンド・オブ・ミュージック(1965) 
監督ロバート・ワイズ 主演ジュリー・アンドリュース》
 


ひたすら音楽に圧倒される。

オープニング、ジュリー・アンドリュースの神がかりな声(『The Sound of Music』)が大草原に高らかに響きわたる。それを皮切りに、歌、歌、歌のオンパレード。

ミュージカルなのだから当然といえば当然だが、ありきたりなミュージカル特有の、派手な踊りの中へまぎれこませるしゃれた挿入歌とは、一味も二味もちがっている。メロディラインの美しさとパンチの効き具合が尋常でない。すべての楽曲が耳にするどく刺しこむ。

高校一年の夏、名古屋駅前の映画館の70ミリスクリーンでこの映画を観たとき、大きな画面はもちろんのこと、音楽の洪水に驚いた。怒涛のように押し寄せる音の中でストーリィを忘れた、と言ったら、ヒロインモデルのマリア・フォン・トラップには申し訳ないけれども、そのとおりなのだから仕方がない。

たしかに、ストーリィそのものは平坦ではなく、見応えがある。いや、ありすぎていつでもそらんじることさえできる。

場所はオーストリア、ザルツブルク。トラップ家に家庭教師として派遣された修道女マリアは、七人の子供たちの面倒を見ていくうちに、厳しい父親像を自己流に演じているトラップ大佐に恋心を抱く。彼の婚約者から底意のある横槍を入れられ、いったん修道院に逃げ帰るものの、異性に対する愛は宗教的な愛に劣らないことを院長に諭され、ふたたび子供たちの中へ帰っていく。
幸いにも、大佐の告白から相思相愛であったことがわかり、子供たちにも励まされ、めでたく結婚の運びとなる。その後もオーストリア併合を画策するナチスの暗躍に苦しめられながら、愛国心に満ちたトラップに率いられて一家はスイスへの脱出行を成功させる。時代背景が整い、展開に山も谷もあり、単純で、素朴で、違和感のない完成品となっている。

 マリアの半生を貫くのは音楽である。『自信を持って』修道院を出るとき、彼女はギターを抱えている。

扱いにくい子供たちと打ち解けるために、嵐の夜に『私のお気に入り』で彼らを慰めてやり、厳しいトラップの規律から解放するために、遊びに連れ出した山上で『ドレミの歌』を教える。

傷ついて修道院に戻れば、院長のアルトで『すべての山に登れ』と叱咤され、ふたたび決意してトラップ家に帰っていくと、トラップ大佐が永遠の国花『エーデルワイス』を歌う視線に、永遠の愛を保証されるという寸法だ。スイスへの脱出を図る手段に、音楽コンクール参加を利用するというのも徹底している。

既存のミュージカルのようにストーリィ説明を音楽でするのではなく、原作者マリア・フォン・トラップの人生が音楽の中で醸成していったという象徴化に音楽を利用したわけだ。それこそ、ロバート・ワイズ(『地球の静止する日』・『砲艦サンパブロ』)が、4オクターブの歌姫ジュリー・アンドリュースを抜擢して、この映画を油断のない音楽で飾らなければならなかった理由だろうし、歴史に残るミュージカル映画の至宝ともなった理由だろう。

ちなみに、アンドリュースは98年に声帯腫瘍の手術に失敗したせいで、往年の美声を失ってしまった。残酷な話だ。

かつて、早春、大学に合格した学生たちがわが家にやってくると、私は部屋を暗くし、この映画を流して、彼らを愛と音楽が混然となった感動の坩堝の中へ投げこんでやったものだった。

彼らはきまって、
「こんなすごい映画、観たことがない」
と潤んだ目で言った。私の映画人生が報われるときだった。昔話である。