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《サンセット大通り(1950)》

監督 ビリー・ワイルダー  出演 ウィリアム・ホールデン

 

 落穂拾いの一篇。世間で名作とか傑作と銘打たれている作品を、なぜ私がめったに採り上げないか。その少しばかりの不満点を述べさせてもらう第二回。

男の死体がプールに浮いているという結末そのものに共感できないので、結末から入る作品の草分けだと言われても、大した感銘はない。胸を衝かれるのは、人間は程度の差はあっても過去の栄光らしきものに囚われて生き、囚われて死ぬ存在だというさびしい哲学。しかしそのさびしさは自己の内部で昇華させるべきもので、愛する人に押しつけて殺しちゃいけないな。

 『アパ鍵』のビリー・ワイルダーのスモールな世界観(栄光なき人びとの濃やかな愛情生活)からは想像のできない哲学だが、そのスモールな世界を外れると狂気へ押しやられるしかないと描いて見せたのは、華やかなハリウッドの狂気ぶりを目の当たりにしてきた彼の精いっぱいの皮肉だったのかもしれない。

 不気味な洋館に迷いこみ、そこにヒステリックな狂気の女がいるというあたかもの設定は失敗だろう。グロリア・スワンソンはあの手の大仰な演技をするしかなくなる。男と女を逆にしたほうがよい。さびしい哲学に打ちひしがれて郊外に隠れ住んでいる魅力的な男がいて、彼の勲章ではなく人間的な内実に惹かれて訪れた女の目覚ましい愛によって、過ぎた栄光にすがる無意味さを悟るという展開のほうが、私には見どころがある。愛する人間を殺す必要などまったくなくなるし、シナリオももっと充実したものになるだろう。