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《タミー・ウィネット(1968) スタンド・バイ・ユア・マン》

 早稲田一年、阿佐ヶ谷時代。カントリーにぞっこんになったきっかけの曲。これまた弩級のミスティヴォイスに魅かれて、ラジオで耳にするとすぐにレコード屋に出かけて買ってきた。まだ月賦が十カ月残っていたナショナルのステレオSC1400で聴いた。

 のちに、この曲がバックグラウンドに流れた映画『ファイブ・イージー・ピーシズ』も観た。ジャック・ニコルソンを初めて知った。つまらない映画だった。

 作曲はタミー本人である。彼女はこの名曲を自作の中で最も好まなかった。『ディボース』等これまでの大衆に媚びたものとはまったくちがった作曲だったからだ。高音が歌いづらいというこれまた衆人に媚びた自戒の言葉を吐いて発表を渋った。終局、彼女は発表した。歌い、録音し、発表して、彼女はその結果に驚愕しただろう。ほぼ世界中の音楽チャートで一位となり、グラミー賞まで受賞したからだ。

 情緒に滲み透る自作を大衆は好まないだろうと危惧して、発表を渋る天才は多い。大衆の低劣な耳の権力のなせるわざではあるが、天才はいつも天才の評価ではなく大衆の評価を気にしているという悲しい性癖のゆえでもある。傑作は抽斗にしまわれる。発表の勇気を持ってほしい。発表しさえすれば、傑作であることをその後の累積する時代が証明する。証明するのは天才である。大衆はいくら累積しても大衆のままである。

 タミー・ウィネットは痩せっぽっちの、髪を異様に高く盛り上げた水商売風の女である。美人と言えば言えるかもしれない。とにかく喉だ。卓越したメロディに乗せて歌い上げる爆発音がすばらしい。この曲を昼といわず夜といわず繰り返し聴いたことが原因で、私は阿佐ヶ谷のアパートを追い出された。荻窪のアパートも追い出され、上板橋の一戸建六畳に移って、ようやく安堵して彼女の声に没入できた。