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《天使になれない (1971) 和田アキ子》
名古屋西高時代に知り合った友人に、共に早稲田に進学した水野という男がいた。彼は今池のパチンコ屋の息子で、かなり親しく付き合った。大学一年のひと夏、強く依頼されて彼の店でホール回りのアルバイトをした。鍵を持って通路をウロウロするあれである。
有線が絶えず当時のヒット曲を流していたので少しも退屈しなかった。思わず立ち止まって聴き入った曲が、和田アキ子の『天使になれない』だった。全身が痺れた。曲に打たれて立ち止まったのは、遡ること五年前の布施明の『おもいで』以来だった。一日に何度もかかるので、そのたびに立ち止まり、鼓膜に焼きつけた。ドスが効いているばかりでなく、意外なことに泣き節であることがわかった。私が〈泣き節〉と言うのは、ファルセットになりかけながらも危うく地声に踏みとどまる短い悲鳴のようなもので、美空ひばりや由紀さおりのような弱い〈裏声〉ではない。洋の東西を問わずこの声を出せる歌手はマレで、いわゆる御大にはほとんどいない。聴いた瞬間、別世界へ連れていってくれる声である。
楽器総動員のオーケストレーション、暗く悲しげでいながら迫力満点の歌唱。贔屓目かもしれないが、2チャンネル同時録音一発録りの気がする。昭和の末以降生まれの人びとは、この種の声と、迫力と、制作者の音楽に対する真摯な取り組みを経験していないのではないだろうか。
1950年代後半から1970年代前半は、洋楽、邦楽、宝石箱のような時代だった。私の音楽部屋のレコードやCDは九割方その十数年の期間のものである。それをもとにカセットも百本以上こしらえた。いまもなおそれらの宝物を繰り返し聴きながら、からだを痺れさせている。
アルバイトをしたその秋、上石神井の水野の下宿を訪れた夜、駄菓子屋のような小さなレコード店で、この曲と尾崎紀世彦の『さよならをもう一度』を手に入れた。水野の下宿に音響設備はなかった。残念ながら、水野を含めて私の友人にクラシックのような〈単品食い〉はいても、〈雑食〉の音楽通は一人もいないので、彼らといっしょにステレオの前で歌謡曲に耳を傾けたことはない。宝箱はいつも独りで開ける。
次回は早稲田時代の洋楽を探る。