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《石原裕次郎(1959) 最果てから来た男》

 

 10歳。横浜。浅間下。父を訪ねていった保土ヶ谷への土の道。その道の途中に保土ヶ谷日活があった。この映画館で裕次郎の映画はすべて観た。15円。7歳から10歳までのあいだに、正真正銘一本残さず、すべて観た。一本の映画は、一日腰を据えて、三回から四回観た。主題歌をそっくり憶えた。ストーリーは黙殺し、裕次郎だけを観た。石原裕次郎を観ることが私の全人生だった。

 主題歌の最高傑作は『鉄火場の風(1959)』のそれだった。青木小学校への登下校の道、三番まで繰り返し歌った。名古屋の飯場に入ってからも、風呂に浸かって歌った。いまも歌える。

 中学生になった最初の朝礼のとき、列の中で小声でこの歌を歌っていたら、前にいた高津くんが振り向いて、

「ええ歌やな。教えて」

 と言った。私はその場で一番だけを教えたが、

「難しいわ」

 結局彼は憶えられなかった。放課後、市電に乗って彼の家までいって教えることになった。家に着くまでにようやく一番だけ憶えたので、私は次の停留所で市電を降りて引き返した。彼は残念そうな顔をしていた。

 裕次郎と、主題歌と、映画館の暗闇。私の幼年時代の記憶はそれで色濃く塗りつぶされている。それから野球グランドの光の中へ出た。光の中でも、いつも裕次郎の曲を歌っていた。