誘惑


 「誘惑」は高校3年の少年が教師と恋愛に陥る、いわば禁断の愛を描いた作品ですが、作者の高校2年生当時の写真を見せてもらい、自分の「横地美樹」のイメージとピッタリだったので川田氏の承諾を得てネットに乗せることにしました。緊張感のあるいい顔だと思います。ちなみに主人公「横地美樹」とは、著者の高校時代の友人で、失恋が原因で自殺したのだそうです。
 この作品は緻密な性描写が印象的ですが、隠微な雰囲気はあるものの、描写が細かい分、かえって猥褻なイメージはなく人間の動物的本能から精神性が逆照射されていると感じています。作成者独自の解釈ですが川田文学は描写が超リアリズムなせいで、かえって精神的な本質を際立たせるといった作品が結構あるように思われます。
 その顕著なものが「夜を渉る」でしょう。「死が生を逆照射する!」と帯文にもなっていますが、主人公から見た他人の死、そして主人公自身の死をとことんまで見つめることで、生きることと死ぬことを一体化してしまう論理展開。まさに死ぬことを描くことで生(漠然としすぎた言葉ですが)というものを表現していると感じました。
 「牛巻坂」とは少し毛色がちがいますが、意外とこの「誘惑」は女性うけする作品のようで、「牛巻坂」より「誘惑」のほうが好き!という女友達が多いのが事実です。

 ちなみにモラヴィアの「誘惑」とは無関係です(笑)。あれも中年女性から誘惑される内容ですが、一般的に「誘惑」というと特に日本の文化では男性がするものというイメージが強いと思います。しかし実は女性の方が多いかもしれないなと、この2作品を読んで思いました。そして意外や意外、誘惑された男性の方がじっくりと自分の中で愛情を育み、深みにはまるのかもしれません。ゾラの「居酒屋」なんて作品は完璧に男性からの誘惑でしたが、夫と同居している(誘惑した男)との肉欲、ドロドロしたものを感じましたね。やはりこれは人間の「肉」というものを漠然と表現したからなのかもしれません。それでは「肉」をモロに表現してるエロビデオなんかに芸術性を認めるのか?という話になるかもしれませんが、あれは肉欲に終止していて相手に対する情緒性にかけますよね。日活の古いエロビデオで「赤い髪の女」なんて例外はありますけど。


帯文
―早熟(わかさ)は罪なのか―
人々の思惑の叢林を燬きつくすかのごとくひたすら破綻へと疾駆しつづける愛戀の焔
熱に満ちた内面を鮮やかに掘り下げる川田文学第二弾

―本文より―

 こんな私にも、肉欲が愛情に変わる瞬間というものが、確かにあった。それは、私の腰の動きにつれて、吉永先生が自分を押さえきれない声で啜り泣き、ついに小さな悲鳴をあげて私にしがみついてくるときだった。彼女の背中と胸からいちどきに汗が吹き出し、膣が私のものを吸い上げるように蠕動した。快楽の余韻が退いていき、長い無言の時間が訪れる。

(近代文藝社 1500円+税)

名古屋N高校2年生時集合写真より川田拓矢氏 



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