十三

 練習に出ると別種の新しいエネルギーが甦る。グランド周回の前に、素振りを百八十回する練習を加えた。腕立てと腹筋・背筋、七十メートル遠投。黙々とやる。
 やがて、一人、二人、三人と、私のまねをする選手が現れるようになった。私は自分で体得しているかぎりのことをしゃべった。
「腹筋、背筋、腕立て百回ずつ。疲れたら途中でやめる。素振り、六コース三十本ずつ、計百八十本。掬い上げるように振り出して、途中でレベルにバットを投げ出す感じ。ボールの中心よりほんの少し下を叩くイメージです。外角三コース、高・中・低、真ん中三コース、高・中・低、内角三コース、腕を畳んで、高・中・低、これがいちばん難しいです。疲れたら途中でやめる。次に遠投、外野のどこでもいいですから金網から三十メートル離れて、フェンスに向かって低いボールを強く投げるように五十本。しっかりフェンスに当たるようになったら、五十メートル、七十メートルと増やしていきます。これは疲れても途中でやめない。七月の公式戦直前まで、いま言った練習をつづけてください」
「ドェース!」
 レギュラーと準レギュラーのメンバーの名前をあらためてしっかり覚えた。
 エースピッチャー時田、リリーフ守屋、白川、三田、キャッチャー神山、控え室井、ファースト一枝、控え木下、セカンド三上、控え吉岡、サード藤沢、控え柴田、ショート瀬川、控え七戸と四方の二人。レフト私、控え島尾と生田の二人、センター阿部、控え山内、ライト今西、控え金。計二十二人。
 打順は、一番三上、二番今西、三番阿部、四番私、五番藤沢、六番神山、七番一枝、八番瀬川。私以外はすべて三年生だった。私の鍛練を積極的に模倣しながら採り入れていったせいで、三上、今西(肩はいい)、瀬川の非力な三人を除けば、レギュラーのほとんどが、バッティング練習でかなりの飛距離を出せるようになっていた。ただ、阿部と同様シュアなバッティングを心がけて、強振しないのが気にかかった。私は阿部に言った。
「もっとブンブン強く振ったらどうですか」
「一回負けたらトーナメントはオシマイだすけ、慎重に打ってしまるのよ」
 私は相馬と阿部に、
「慎重な捕球のせいで、守備は水準を超えていると思います。慎重すぎるとからだに力が入ります。次の動作にスムーズに移れません。片手でも両手でもいいですから、エラーを恐れず大胆に捕球して大胆に送球する。それで守備のチームとして評判は高まるでしょう。でも打力ではなく守備力を特色にすると、チームが小粒になります。小粒のイメージが定着すると、侮られます。せめて練習のときだけでも、バットを全力で振ってみたらどうでしょう。当たりそこねも、ジャストミートのインパクトの感触も、いままでと極端にちがってきますから、注意深い、思い切りのいいバッティングが身につきます。コソッと振ってたんでは、感触が同じになってしまうので手のひらの感覚が鍛えられません。負けることにビクビクしてたら、ナメられます。強振されるとピッチャーは怖いものです」
 この提案は、相馬と阿部からチーム全員に早速伝えられた。阿部が念を押した。
「ヘッドアップしねようにして、強く振れ」
 彼は自分の欠点もわかっているのだった。
         †
 春から初夏にかけて、放課後の野球部の練習と、夜更けまでの予習の繰り返しの中で、大して疲労することもなく、順調な日々が過ぎていった。
 朝六時半から堤川の土手のランニングに出て、戻る。往復三十分まで縮まった。体力を取り戻すのに全力を注いだ。ジャージの上下が汗でグッショリになる。丸めて奥さんに預け、タオルを絞ってもらって、三畳部屋で全裸になってからだを拭く。内風呂は勧められてもけっして入らない。湯と垢のむせるにおいが嫌いだ。
 七時。すでに赤井の姿はない。青高の図書館で予習をするためだ。サングラスは部屋に引っこんでラジオを聴いている。葛西家の居室は、横長の台所の裏に貼りつくように三部屋並んでいる。居間から見て左端は葛西夫婦の、真ん中はサングラスの、狭い廊下を挟んで右端はミヨちゃんの部屋だ。覗いたことはないので部屋の広さはわからないが、家全体のふくらみから考えて四畳半か六畳だろう。台所の左奥にガス焚きの風呂場がある。めずらしくシャワーもついている。先日奥さんが、学校から帰ったら使ってください、と申し出てくれたので、毎日下校してすぐシャワーを使わせてもらうことになった。
 居間から私の部屋へ向かって伸びる短い廊下の左手が赤井の部屋、右手が玄関、突き当りが私の部屋だ。居間は八畳、板の間の台所は十二帖もある。
 主人は赤井に前後して出勤し、奥さんもあとを追うようにパートに出る。ミヨちゃんだけが食卓にいて私のおさんどんをする。私の笑顔が彼女に向いているのに気がつくと、恥ずかしそうにうつむく。
「ほんとに似てるなあ、岩下志麻に」
「似てません、あんなきれいな人に。……秀子さんのほうが、きれい」
「きれいに優劣はないよ。種類がちがうだけだ」
「そういう言い方は卑怯です」
「じゃ、ミヨちゃんは美人で、ヒデさんはかわいい」
 キャラブキと冷奴の朝めしをゆっくりすまし、ミヨちゃんがそっと突き出す唇にキスをし、八時四十分のホームルームに間に合うように家を出る。すぐそばの小学校にかようミヨちゃんはそのすぐあと戸締りをして出る。
 岩木山のいただきが霞(かすみ)にけむっている。踏み固められた土手道がくねってつづき、青田に朝日がまぶしく照りつける。土手からの景色はいつ見ても美しい。この道を歩くたびにまるで何か人生の新しい美の発見の戸口にでも立ったような、引き締まった気持ちになる。
 街中から郊外の青森高校へ通うには、堤川沿いを歩くのが近道なのに、学生の姿がほとんどない。この土手道は人が手入れして作ったものではないので、葛(くず)や、野葡萄や、手ごわいトゲのある野いばらのツルが這い回り、根の硬いオオバコもはびこっていて、うっかりすると躓いてしまう。土手を逸れて町なかの松原通りから回っていけば、足もとの心配はなくなるけれども、学校までの距離が遠くなる。
 八甲田山から流れてくる堤川は、極端な蛇行はせずに、いくつかの町の縁(へり)をかすめて青森湾へ向かう。上流の岸辺には農家ふうの民家が点在するだけだが、流れが落ち合う筒井町のあたりから河口が開く堤町にかけて急に拓けて、都会の姿になる。堤橋から西へ青森駅につながる繁華街が延び、東に合浦公園を囲む閑静な市街が拡がっている。
         †
 瞬間移動をしたわけでもないのに、もう私は革袋を担いで帰り道の川沿いにいて、土手の上を歩いている。目に映る夕方の草の緑は、水蒸気でも立っているように、ほとんど灰色の空気にぼかされた水墨画のように見える。七月まで禁欲を保つことをカズちゃんに誓っている。禁欲に充足感がある。不思議な感覚だ。
 シャワーをサッと浴び、一時間ほど遅い晩めしを奥さんとミヨちゃんのおさんどんで食う。まだ一家が食卓にいる。奥さんが、
「野球部がこんなに早く終わるなんて思いませんでしたよ。六時半までに帰ってこれるなら、まだおかずも冷めないうちですよ」
「練習時間が一時間半から二時間だったんですけど、最近二時間半に延びました。それでもふつうの高校レベルからすれば少ないほうです。運動部というよりは、まるで中学校のクラブ活動ですね」
 言葉と裏腹に、チームメイトの投打の力がかなり高まってきたと感じている。非力だった三上や今西や瀬川たちまで、コンスタントにではないけれども、グンと打球の飛距離が伸び、肩の強さも増した。このごろでは二年生の控え組もレギュラーの鍛錬に参加するようになった。素振り百八十本だけはかなりの難行のようだが、みんなコツコツとめげずにやっている。
 茶をすすっていた主人が夕刊から目を上げ、
「クラブ活動でも、まじめにやってれば、奇跡が起きることもあるんでねがな。こねだもしゃべったけんど、四けも甲子園さ出たんだすけ」
「甲子園さいったとごろで、四けとも二回戦敗退だ。律儀なもんだでば。神無月くんがへったこどで、青高の野球部はクラブ活動でなぐなったど思うど。嵐を呼ぶ男だっきゃ。甲子園たらいがねでも嵐が巻ぎ起ごるべ。ワにはわがる」
 サングラスは私の食事のあいだは座を立たない。赤井は食後すぐに部屋に引っこむ。私が帰ってきたときにはとっくに居間から姿を消していた。
 夕食を終えると、復習と予習の机に向かいながら、テープレコーダーでラジオの音楽番組を録音する。ある夜、ベンチャーズの十番街の殺人を録音していると、遠くから汽車の気配が近づいてきて、たちまち音楽の中のドラムとレールの響きがぴったり重なった。失敗したとあきらめながら録音をつづけ、すぐにテープを聴き直すと、ドラムのリズムとレールの音がマッチしていて、意外な迫力があった。おもしろいテープができたと喜び、何度も聴き返した。
 私がテープレコーダーを鳴らさないときは、赤井がポータブルプレイヤーでクラシック音楽をかけている。勉強のバックグラウンドにしているのだろう。早寝早起きのタイプのようで、十時ぐらいには音楽がやみ、十時半にはカサリとも音がしなくなる。朝の五時には起きていて、一時間ほど早朝の勉強をし、めしを食って、私がランニングに出る直前の六時半に家を出ていく。七時に教室に着き、自習しながら一時間目の授業を待つ真剣な顔が彷彿とする。例の〈散歩〉に出かけるときも、この習慣は変わらない。
 もともと私はクラシックにうとかったが、聞こえてくるたびに少しずつ興味が湧いてきて、しばしば耳を立てて聴いた。私は、クラシック音楽というものが形式にこだわった飾りの多い音楽で、どちらかと言えば形式の整ったある種の宗教音楽に似ていて、心のままに自由に謳いあげるポップスやカンツォーネにかなわないとすぐに判断した。まれに、肌が粟立つほど胸に沁みる旋律が流れてくるときがあって、あとで赤井に確かめると、たいていショパンかモーツァルトと答え、ときおりラフマニノフという名前も出た。とりわけモーツァルトのレクイエムが壁越しに聞こえてきたときには、全身がふるえた。
「えり好みしないで、ポップスも聴いてみたら」
 と言うと、翌日、シルビー・バルタンの『私を愛して』を何度もかけていた。野辺地での私の愛聴歌だった。A面の『アイドルを探せ』に見向きもしないのは、なかなかの耳だと私は微笑んだ。
 雨で練習が休みになって私が早く帰ったときなど、よく赤井は時分どきに私の部屋の戸をノックした。食卓へ誘って他愛のない話をするためだ。
「鮭フライにササゲ炒めだど。ワの好物だ」
「青森の人は鮭が好きですね。赤井さんは青森のどこですか」
「青森でねェ。室蘭だ。……勘当されたみてなもんだ」
 食卓のだれもそれ以上の事情は聞かなかった。
「ササゲの炒めもの、ぼく大好きです。ごちそうだ!」
 鮭フライの脇に、こんもりとササゲ炒めが添えてあった。奥さんが、
「神無月さんは、経済的にできてるんですね。ほかには何が好き?」
「白菜の浅漬け、いわしの丸干し、ほたての煮付け……」
「オラは、カレーライス、すき焼き、石狩鍋」
 赤井が言った。奥さんは苦笑して、
「カレーライスなら、毎日作ってあげてもいいわよ」
 毎日はいやよ、とミヨちゃんがからだをくねらせた。
 食卓では、夕方の決まった時間にひょっこりひょうたん島をかける。テレビをかけっ放しだった飯場とはまったくちがっていた。ドン・ガバチョとか、トラヒゲとか、適当な名前をつけられた人物がどたばた動き回る他愛もない人形劇を、一家の者が箸を緩めながら見入っている。サングラスは熱い味噌汁の椀だけに気をつけながら、三皿ほどの惣菜を箸先で探り、ゆっくりと口に運ぶ。早めしの主人が食後の茶をすすり、テーブル越しにじっと味噌汁をすする私を注視している。食事のスピードが極端に遅いからだ。サングラスと同じくらいのんびりだ。私は小さいころから、ものを素早く飲み食いすることが不得手だった。とくに熱いめしや汁物は用心しないと舌が焼けた。
「上品な食べ方すること」
 奥さんが言い、主人とミヨちゃんがうなずいた。
「祖母もよく、遊ばねで食(け)、と言います。ハハハ、癖なんです。食事にかぎらず、勉強でも、歩くのでも、何でものんびりなんです。すみません、気にしないでください」
 主人が、
「義兄(にい)さんとスピードがまったく同じだすけ、見でるのが楽しくてね」
 すると、サングラスが抑揚のない調子で言った。
「目の見えね人間と同じ速さでメシ食うやつがいるのが。驚いたな。目見えでで、そんだんだら、食うこどに関心ねんだべ。ワが目見えでだら、ワタワタ食うど。運動選手がワタワタかねば、ワみでに栄養失調になるど」
 主人が気の毒そうにうつむいた。
「ワがこたら目になったのは、じつは戦争で爆弾喰らったからでねんだ。内地に戻って栄養失調が出たのよ。角膜が融げてまった。他人にまんまかへでもらいながら、ありがだぐこうして露命をつないでられるのも、目見えなぐなったおかげだ。ホイドのありがだみをゆっくり噛みしめでるのよ。ホイドになったらまいね。てめばりありがだがって、ふとさありがだみをけれなぐなる。神無月くん、あんたはありがでふとだ。この家(え)が明るぐなった。そったらふとが、盲目(めぐら)みでにママさすりなが食ったらまいね。しゃきしゃき、け。神無月くん、あんたはいっつもモノを考えてるおんたな。それでママ食うのが遅いこった。どんどんしゃンべれ。しゃべってふとをありがたがらせろ。へたな考え休むに似たりだど。へば、訊く。ワみてな、毎日腹の虫を鳴らしながら一飯の振舞いを待つような人間は、生きるべきか、死ぬべきか」
 唐突に露悪的な質問をする。口もとが緊張している。とっさのことで私は何も答えられなかった。すでに箸を置いた奥さんもミヨちゃんも、さすがに口を出さなかった。サングラスと私で黙々と食う形になった。
「答えられねべな。生ぎるべきだて答えだら、無礼になるしべし、死ぬべぎだて答えたら慰めになるべし。それがわがってでも、死ぬべきだと言えねべ。……曳かれ者の小唄と思って聞いてけろじゃ。ワは戦地を引揚げるまでは、捕虜にならねように現地を逃げ回って歩った。人家だとわがれば軒並み押しかげて、どの台所にも首を突っこんで、かみさんや婆さんと無駄口ただぎ、樹ィ伐ったり、屋根の修繕したり、何かけるまで帰ろうとしねがった。メシ食ってげとへられれば、うろ覚えの現地語で戦争の話コしたり、日本語で軍歌唄ってやったりした。気前よく食い物を持ってげとへられれば、軍服のポゲット破れるほンど、パンやら胡桃やら果物やらを詰めこんだ。森だろが、野っ原だろが、ほんのわんつかな気配から人家の近いこど悟って、どたら片隅でも寝場所になるかどうか詳しぐ調べだり、土間さへったとたんに、その家のふところの程度や、あるじの珍しがりやおっかながり具合の見当をつげたり、まあ、そのための眼力なら名人の域になってしまった。毎日百姓たちにへづらって、ぎょろぎょろ油断なく目ェ配って、やつらの顔つきや、何かめぼしいもののありそんだ土間の奥や、皿鉢(さはち)の上の食い物の種類まですっかり頭さ叩っこんだ。一けもやったことはなかったけんど、いつか盗みに入ってやるべと頭の隅で考えてたんだ。もうすっかり、すれっからしの海千山千よ。同じ家さ三度はいがねすけ、飢えだり凍えだりして苦しい思いをしてるうぢに、何の恥もねホイドになってしまった。そのころがらマナグが見えねぐなってきてらった。めぐら餓鬼よ。ほんだすけ、めぐりめぐって、この家さ厄介になるこどになったとぎも、なんも遠慮がねがったのよ」
 私は、サングラスの体験よりも言葉の切実さに胸を突かれた。狡猾になり、餓鬼になるのなどめずらしいことではない。体験を言葉で表現する的確さにまいった。少し変わった人間だとは感じていたけれども、それは盲目ということがその変人性のうまい口実になっていただけのことで、彼がしごく純粋な表現者であることがわかった。不具のせいで世間のすり鉢の底を這い回ってきた彼は、うだつは上がらなかったかもしれないが、それだけに虚栄というものに煩わされることのない表現力を身につけた。彼の全体の顔つきは、陰日向のない満足と希望の入り混じった不思議な具合に光っていて、それは微笑以上のもので、ほとんど光輝だった。
「オジサンは、生きているべきです。一飯の振る舞いなど安いものです。周りの人に光を与えます。自分を偽ってラクをする人の言葉は聞き苦しい。自分を偽らない人の言葉は的確で、胸がすがすがしくなります」
 偽りのない気持ちだった。
「光の見えね人間が、ほかのひとさ光を与えるってが。こりゃ、人生の大(お)っきた皮肉だニシ」
 盲人は声を上げて笑った。ミヨちゃんがまぶたを拭った。


         十四

「長髪は許されたのな」
「わんじゃわんじゃ学生講堂さ集めて、校長が壇上でひとことのたまってから、もうふた月だべや」
「きみたちを信じる、てが」
「信じるもなんも、このまま坊主でいろってんだべせ。長髪問題たら、だあ言いだしたのよ」
「三年の出世組だべせ。大学受げさいぐときに恥ずかしすけ、なんたかた長髪にさせてけろってよ」
「都立西高の女が『受験日記』出したの知ってっが」
「私はこうして東大に受かりました―聞き飽きたじゃ」
「現役にこだわらねば、だれだって受かるべや」
「そらねェべ。東大は別格だ」 
 学校には、素材そのままの人間、観察やデフォルメのタネになりそうな人間たちが大勢いる。クラスメイトたちを手こねの粘土のようなものだと思うとき、私は不思議な悦びに襲われた。たとえば顔の形や目つき、鼻の格好にいたるまで彼らの顔を見つめたり、話すのを聞いたりして、興味が尽きなかった。
 授業の合間、いつも彼らはふざけて肩をぶつけ合ったり、笑い合ったりしていた。たぶんできのいい仲間内で型どおりに仕こまれた陽気さだった。彼らは利口そうな大きな目をして、訛りの強い言葉を使っていた。私はあまり意味のわからない彼らの言葉をただぼんやりと聞いているだけだった。それは何か意味を持っているようだったけれども、どんな意味かはさっぱりわからなかった。しかし私は、彼らの〈知的〉なはしゃぎぶりと、自分の〈感情的〉で静かな生活とのあいだに、解決できない対立を覚えた。その対比自体が幼いとは感じられたけれども、それ以外に表現しようがなかった。
 彼らの言葉の端々から察するところ、虚栄の動機からこの高校を選んだ学生が多いことがわかった。自分も含めてそれが大半だった。そのことは別段気にならなかった。彼らの中でも成績が上位の者は、すばらしい頭の冴えを示したし、彼らを教える教師たちにも匹敵する能力の高さを持っていた。しかし、中位以下の仲間たちは、世間評価よりもかなり劣っていて、学ぶべきものは残らず学び尽くそうとでもいうような、クソ勉強家ぶりを露骨に打ち出しているくせに、思索そのものには熱心ではなく、競争の結果ばかりを気にしていた。そして、結果いかんに関わらず、自信たっぷりの姿勢を崩さなかった。
 彼らのほぼ全員が、自分の心の世界をきちんと整理することよりも、三年後にどこの大学に進むかだけを一大事にしていた。冷笑的な態度も、挑戦的なまでの高慢ぶりも、ただそのためだけのうわべの皮だった。数少ない大学の名前しか知らない私は、彼らの一大事にまったく興味が湧かなかったので、何かその種のことを語りかけられれば、目標とする一つの大学の名を答えることにしていた。
「トウダイ」
 それでたいていの仲間は、二度と私に質問しなかった。
 授業自体も、ふた月もして慣れてくると、学生たちの行動と同じように型どおりのものに見えてきた。どこか空疎で、どの教師も似たり寄ったりのことをやっているという印象だった。教室に入ってくるなり、
「シェー!」
 と叫んで両手を振り上げ、脚を4の字に交差させる生物教師や、
「ぼくのようなバカな人間をいじめるなよ」
 という決まり文句で笑いを誘ってから授業を始め、ペコペコお辞儀しながら机のあいだを歩き回る古文教師などは絶大な人気を誇っていた。彼らが講義の途中でわき道に逸れ、大しておもしろくもない冗談を飛ばすと、かならず学生たちは待ってましたとばかり神経症的な哄笑で応えた。それまで落ち着いて感じがよく見えていた教師たちも、よく見ると〈客〉の反応を気にして眼をきょろきょろさせているのがわかった。私は新奇な環境を得た喜びが、一転して幻滅に変わっていくのを感じた。
 とはいえ、ときには、反骨精神にあふれた学生を目にして、深い感銘を覚えることもあった。特別クラスの英文法の時間に佐久間という生徒が当てられ、教師の前でわざわざ虎の巻を開いて読み上げた。最初は看過された。授業の半ばで、もう一度当てられた。教師が意図的に当てたことはすぐにわかった。佐久間は同じように虎の巻を読み上げた。どちらの問題も、あえてそんなことをしなくても簡単に答えられるものだった。
「おい、なめるなよ!」
 教師に怒鳴られた佐久間は、眼鏡を外して教師の顔を睨み返した。北海道大学を出たての、頭髪をチックで固めたその若い教師は、教壇から走り降りて虎の巻をひったくり、
「喧嘩売ってるのか、きさま!」
 と叫ぶと、それを丸めて佐久間の頬を何発もひっぱたいた。佐久間が眼鏡を外した意味がわかった。この故意に自分を窮地に追いこむような息苦しい行為を、私は愚かだと思わなかった。露悪的な雰囲気さえしなかった。緊迫した状況の中で佐久間は泰然として、唇一つ動かさなかった。私はその本能ともいえる反骨に舌を巻いた。よくやってくれたと思った。私もその教師が嫌いだった。
「おまえたちはデキの悪い学生だから、この程度の問題も難しかろう」
 とか、
「大衆は、複雑きわまる社会というこの大きな機構の中の、ただ一つのちっぽけな歯車にすぎない。しかも彼ら自身には、その機構の自動性を変える何の力もない」
 などと、おつに澄まして知ったようなことを口にするこの偽者に、ほとんどの学生が反感を持っていた。
 そんな佐久間を古山がいじめているのをたまたま目撃した。帰りの掃除当番に当たった何人かの中に、私と古山と佐久間がいた。私は練習があるので、机をまとめて押して壁に寄せ、形ばかりに床を掃いてドアを出ようとしていた。佐久間はまじめに教室の床を掃いていた。
「ンガ、××に逆らってどうするつもりだったんず?」
 古山は佐久間の尻を箒の柄でこづいた。
「やめろじゃ」
 古山はますますおもしろがって佐久間の尻をこづいた。
「スタンドプレーしやがって。あんなテイノウ野郎に哲学ぶつけてどうすんだ」
 佐久間はとつぜん自分の箒を振り上げて、思い切り古山を打った。執拗に何度も打ちつづける。顔を見ると、冷静だった。古山は走って廊下へ逃げた。当番はみんな笑ったけれど、佐久間は無表情のまま、また静かに掃除に戻った。
 あとで、古山と佐久間が中学校以来の親友だと聞いた。古山は佐久間をいじめていたのではなく、彼なりに称賛したのだった。そういう交流の仕方もあると知って、私はここしばらく感じていなかった激しい憂鬱に襲われた。
 ―素直に褒めればいいじゃないか。
 それから幾度か、佐久間が虎の巻を読み上げては看過されるということを目にしたけれども、私の心はもう躍らなかった。結局彼は味方のある男だ。孤高の反骨家ではない。古山を打った異様な行為にしても、親友にスタンドプレイと言い当てられたことにあわてて、抵抗の価値もないとわかっている男に抵抗しただけだった。
 青高生という誉れ高い集団での生活は私に微々たる影響しか与えなかったけれども、いまやそのわずかな影響すら楽しめなくなった。仲間たちの話していることに、悪質なこととか、陰険なことは何もなかった。ただ不愉快だった。実際ほとんどの言い回しが機知に富んでいて、ユーモアたっぷりにちがいないのだが、精神的な喜びの素となる肝心な何かが欠けていた。欠けているばかりか、そういうもののあることさえ予感できなかった。
 周囲の学生たちや教師たちが、自分に生理的に快感を与えないことを痛感すればするほど、かえって私は、授業でも、下宿の部屋でも、懸命に勉強するようになった。こうした人間どもの中で下位の成績に甘んじるようになることには、生理的に反撥を感じた。しかし、どれほど彼らの人間的な貧弱さを侮っていようとも、その学力だけは買っていたので、彼らの中で好成績を維持するためには、日夜つらい鍛錬を繰り返すしかなかった。私には目標があったから。
 数学、古文、漢文、地理、そして英語や現代国語さえも、いままでの二倍も、三倍も勉強をした。英語と古文は特に力をこめた。数学は公式を使った手品だと感じたので、ひたすら公式を暗記し、不得意な地理は教科書の一字一句を暗記した。現代国語は、相馬の教える論理が私のそれを上回る嵩張りがないと見切り、授業中にひたすら新しい言語的、文学的、思想的な〈知識〉にだけ神経を集中した。とにかく私は歯を食いしばりながら勉強しつづけた。いったん決心したことは何でも押し通すという病的な頑固さが私にはあった。
 どうしてそんなに勉強する必要があったろう。問いかけてみるまでもなかった。生理的にいけ好かない連中の中で好成績を維持することが私の至上命令だったからだ。理解の過程で、頭の中に次々に満足できないことが生じると、かならずいけすかない勉強家たちの中でその結果が出され、中学生になって以来経験したことのない劣等の苦しみを味わうことになる。いまの私には許されないことだった。
 一学期の中間試験の成績にその無理が如実に現れた。科目別と総合順位が五十番まで廊下に貼り出されていた。私の成績は現代国語が二番、英語が三番、地理が一番、そのほかは五十番にも入らず、総合成績は十七番だった。実際、地理以外の科目に狙いを定めて一番を獲ろうと努力したのだったが、その地理が一番になって、数学Tも古文も平凡な成績に甘んじたのだった。どの分野にも常軌を逸してできのいい生徒がいる。その事実は、私を努力という健全な営みから引き離そうとし、共同生活に溶けこめない精神をますます荒廃させようとした。つまるところ、情緒不足だとか、がり勉などと侮れない異能者たちに対する脅威に心の根を揺すぶられていたのだった。
 ―彼らには到底かなわない。乗りかかった船から降りて撤退しようか。しかし、彼らから撤退しても、勉強から撤退するわけにはいかなかった。直井整四郎に尻尾を巻き、康男やカズちゃんを愛して勉学の習慣から遠ざかったころとちがって、いまの私には、東大に受かってプロ野球選手になるという目標があったからだ。
 人は平等ではない。異才を与えられた人間と、そうでない人間に分けられる。私は、学問に関しては後者に属していることを思い知った。けっして勉強がきらいだとか、まるきりわからないとかということではない。予習中に、ときどき胸のすくような解法を思いついて心からうれしくなることもあるのだ。しかし、考えの筋道はたしかに合っていても、考え抜いてわかったという実感がない。自分の頭の冴えを感じたことがない。ただ棒暗記した知識を利用して前へ進む。どれほどいろいろな知識をかき集めて理解に至っても、自分で考え抜いた結果ではないので、根本的な充足感がない。そんなわけで私は、勉強をしながら、広々とした見晴らしのきく高所へ自力で登って視界が展けたという感じを抱くことは一度もなかった。
 とてつもない猛者がいるのは、勉強にかぎったことではなかった。運動にしても、信じられないほどのツワモノがいた。山口勲―彼は、体力テストで鉄棒懸垂を四十回やってのけた。しかも、ゆっくり苦しげにやるのではなく、たてつづけに素早く四十回やって着地した。もっとやれるがこのへんでやめておく、といった顔つきだった。私はゆっくり十回で限界に達した。百メートルを十一秒台の前半で走る男もいたし、走り幅跳びを六メートル以上跳ぶやつもいたし、千五百メートルを四分台の前半で走る痩せっぽっちの男もいた。
 やがて私の関心は、まるで反動のように努力のための努力に傾き、優秀なバケモノたちへの賞賛から遠く離れていった。内心にかすかに撤退の気持ちがある分、無力感にひたされながら惰性で机に向かった。一部の猛者を除いた大半の生徒たちは、よく戦々恐々と言い交わしていた。
「青高さくるのは、だいたい中学校の一番だべ。それでも東大さいぐのは十人もいね。日比谷高校は、百二十人だず。都立西は九十人、灘高は……」
 私はどの高校の名前も知らなかった。
「早稲田も慶応も、東大の滑り止めだべや。東北大つたって変わりはね。なんたかた東大さいがねば、青高にきた意味がねじゃ」
「ウガは、全校の十番に入ってるのが」
「八十番だ」
「だばまず、東大は無理だべおん。東北大はいけるべ」
 彼らの幸福の追求は、努力の成果を大勢の人たちの賞賛に結びつけることを最大の戦果としていた。私の求めているのは賞賛ではなく、結果だった。
 ―いったい彼らは、四六時中こんなことばかり話し合って生きてきたのだろうか? 
 彼らの大部分は勉強家の決まりきった型をしていた。勉強家らしい似かよった心の動き方のせいで、一族のように見えた。私は興味深く彼らの顔を見つめた。何か懊悩する真実とでもいったものを感じさせる人間は一人もいなかった。彼らには勉学を好む性向があり、その性向に従ったたゆまない努力があったけれども、その努力には、ほんとうに知恵のある者だけが深く関わっていく〈没我〉のにおいがしなかった。彼らはもっと浅い固執の中に生きていた。彼らは、ある仲間のところからほかの仲間のところへ移っていき、だれのところにも一分ばかり立ち止まり、自分と比べてひそかに瀬踏みをしたり、たぶん胸の内で讃えたり、軽蔑したり、満足したりしていた。彼らの薄っぺらさ加減に私はジリジリしたが、結局のところ、どうでもいいという気持ちが強かったので、腹立たしいと感じるところまではいかなかった。
 いずれにせよ、勉強のコンクールだけに血道をあげている彼らをぼんやり眺めるとき、いつも寺田康男のすがめるような目を思い出した。思い出の中の彼の目には、それこそ遥かな想いとでもいった茫洋とした表情が浮かんでいた。康男の光彩は私の中で色褪せてはいなかった。いまもなお生新で、興味深い人間のままでいて、男というものを見定めるための試金石になっていた。康男に比べれば、ここにたむろしている勉強家なぞ、学生時代はいっぱし幅を利かせていながら、その後の実人生で群衆にまぎれて跡形もなく消えていってしまう路肩の塵埃のような存在に思われた。
 猛者であれ凡夫であれ、私は彼らのだれ一人にも特別な親しさや関心を寄せることがなかった。私のそういう冷淡さは、おそらく一つの確信に基づいていた。それは、彼らには青臭い情緒に殉じるような詩心がないということだった。彼らはひどく現実的な精神の持ち主たちばかりで、医者や法律家や学者といったふうに、体系や論理の美を褒めたたえる人間を将来の自分の姿に重ねていた。それに比べて私は、たった一つの〈原始的〉な将来の展望しか持たず、ただ懸命に野球をし、懸命に勉強をしているだけの男だった。原始的な展望のほかに、深い、ひそかな願いらしきものはあった。カズちゃんを渾身の力で愛すること―。


         十五

 夜はかならず、勉強の手すきに、詩人たちの大きな世界へ入りこんだ。短いスタンザで軽やかに奏でられるすばらしい音楽。その夢のようなメロディは、心の奥深くへ浸透してきて、生きていることの意味を求める私を満足させた。ときには、自分なりに散文まがいの詩を書いた。詩に目覚めてからすでに半年をすごし、私はようやく、韻律にこだわる中身の薄い詩に価値を見出さなくなっていた。だれにも理解できないように単語を連ねることほどたやすいことはなく、逆に、重要な思想をだれにでも理解できるように表現することほど難しいことはないと気づいた。思想を蓄えている人間は具体的な表現を好む、と直観した。深く思索すべきだけれど、表現する段となれば、ほかのだれもが使う言葉を使うべきなのだ。平凡な考えしか思い浮かばない人間は、高尚ぶった、気取った不自然な言い回しでその考えを包みこもうとする。
 ―ふつうの言葉で、非凡なことを言うこと。
 しかし、平易で具体的な表現に価値を認めるとはいっても、無理に主観を抑えて、坦々と、目に映ったままを忠実に再現しようとする文章も、私は芸術だと思わなかった。

  詩を閉じこめた いとけない夜は去れ
  ただ わたしは
  あてもなく父を訪ねていった日のことが気がかりだ
  横浜の 二階につづく暗いきざはし
  父の瞳!
  それよ、ちからなく打ち下ろす鶴嘴に似ていた
  母の御恩は いっときに掃き消され
  父の貌(かお)の翳りが 永々の静かな花になった
  あの女は何者だったか
  父の肩口からわたしを見下ろしていた太った女
  男と女の契りのために
  生い立ち死ぬると見えた女
  あの女の
  けっしてうなだれようとしない姿勢を思い出す
  さても 怠惰は怠惰を生み
  無関心に裏打たれた父への回顧が
  この夜も 父に似た子をさいなむ


 毎度のこと、書いているうちに、いつのまにか心の旋律はかき消えて、どのスタンザにも、自分の心をふるわせるようなものを見出せなくなる。底が浅く、卑しい詩のような気がしてくる。意気ごみに反して詩のでき栄えがよくないのだ。天性の芸術家は、日常のどんなささやかなことを取り扱っても、大きな思想に仕上げる。そういう芸術家が描くと、卑しいものも卑しいところがなくなる。それは、芸術家の美しい魂が作品の隅々に滲み出てくるからだ。ささやかなものが高貴なものに変わるのは、それが彼の美しい魂に備わった洞察で濾過されるからだ。
 がっかりすることはない。どんな詩人も、みんなそれぞれの人生を追い求める方法を考えあぐね、探り当て、そうして輝かしい、だれも取り替えられない偉大な哲学的建造物を築きあげたのだ。
 野球! 詩のことを考えている頭の中でとつぜんその言葉が閃き、野球が駆け足で戻ってくる。憂鬱が希望に変わる。ああ、野球が与えてくれるほどの充実感を、何かに代替することができるだろうか。私は、勉強ばかりでなく、詩も門外漢なのだ。野球こそ、すべてだ!
 教科書も文学書も何もかも捨てて、すぐに野球の日々にとびこんでいけない自分がいらだたしく、私は殺伐とした気持ちになった。高い建物から身を投げたい気分だった。その自棄に身をまかせてしまいたいという衝動がからだを貫いた。すると、飯場の食堂のコンクリート床のにおいが甦ってきた。バットや、グローブや、ボールとすごす甘美な時間のすべてが、映画のスクリーンのように頭の中で閃光を放って再現された。
 私はこっそり玄関の戸を開けて表に出て、鉄線を張った木柵のそばにきた。夜の中へ線路が消えていく方角を眺めた。その闇のはるか先に名古屋があって、六年間野球をした空が広がっている。その空の下に、康男も、クマさんも、小山田さんも、吉冨さんも、そして加藤雅江も、ワカも、だれもかれもみんないる。それは一日や二日でいける場所ではない。三十年も、五十年もかかってやっとたどりつける、とてつもなく遠い場所だ。
 私は線路に沿って名古屋のほうへ歩き出した。すぐに足が止まった。私にはカズちゃんがいる。私をホームシックに陥らせないように、野球も、人間も、思い出も、名古屋のすべてを抱えてやってきたカズちゃんがいる。三十分も歩けばすぐそこにいる。何の不足があるだろう。
 私は堤橋まで歩いて、公衆ボックスからカズちゃんに電話を入れた。勉強や詩や名古屋のことや、野球に対する愛情のことを語った。
「野球以外のものに潰されそうなんだ」
 カズちゃんはしばらく沈黙してから、
「天が約束してくれたものを、いまさらキャンセルするわけにいかないのよ。ほかの才能はアクセサリー。キョウちゃんはかぎりなく優柔不断な人だから、何でも引き受けてしまって、いまここにいるの。自分は優柔不断な人間だと自覚して、野球以外の要素で縛りつけられながら、抜き差しならなくしておいたほうがいいわ。その枷を外す苦労があって初めて、約束された道を何の束縛もなく歩けるようになる。押美さんが帰ったときから、キョウちゃんの茨の道が始まったの。しばらくその道を歩きなさい。勉強も詩も野球の道にはびこる茨よ。結局、一つひとつ薙ぎ払うことになるでしょう。茨の道を抜けて約束の道に出たら、今度こそ、優柔不断でいたらいけないわ。足にくっついてきた茨は、そのときなら拾い上げていっしょに連れてってあげればいい。それはキョウちゃんの野球以外の才能だし、キョウちゃんを美しく飾るアクセサリーのはずだから。世界規模の人間にはさまざまな要求があるの。タイトルや勲章のためにあちこちの道を歩かなくちゃいけない。これからもいろいろな茨がからみついてくると思うけど、私はノーコメント。キョウちゃんの心臓として打ちつづけるだけで精いっぱい。キョウちゃんが生き延びるだけ生き延びるし、死んだら死ぬわ。……キョウちゃんは優柔不断だけど、その責任を自分でしっかりとってる。だから茨に拘束されるのは避けられない宿命なのよ」
「カズちゃん……ありがとう。愛してる」
「キョウちゃんの百万倍。……名古屋はキョウちゃんの子宮ね。キョウちゃんを育ててくれたほんとうのお母さん。タイトルや勲章より大切なものかもしれない。いつかかならず帰りましょうね」
 部屋に戻り、あらためていのちの記録を開いた。実体のない、虚しい文字が書き連ねてあった。自分に約束された道は野球だけだと実感できた。
         †
 グランドの土の上に雨がポツポツ黒く落ちたかと思うと本降りになった。練習が中止になった。みんな遠投や素振りの練習を切り上げるのが心残りのようで、ほとんどの連中がロッカールームでの腹筋背筋練習に居残った。
 私は傘を差して下校路についた。いつも帰り道にしている松原通りを通らずに土手道をたどった。濡れたオオバコやツリフネソウが土手の斜面をほんのり彩っている。堤橋から新町通りへ折れ、青森駅に向かった。アーケードのスピーカーから、ぺトラ・クラークのダウンタウンが流れてきた。思わず立ち止まった。ついこのあいだテープレコーダーに吹きこんだばかりなのに、聴き入ってしまう。クマさんに出会って以来、メロディとリズムに対する感覚がするどくなり、無意識の耳にほとんど名曲ばかりが選別されて流れこんでくるようになった。
 駅のそばの書店に入る。内外のベストセラーに目もくれず、奥の文学書コーナーへ進んでいく。落ち着いた色合いの背表紙に気持ちが安らぐ。手当たりしだいに最初の一、二ページに眼を走らせる。自分には読みづらそうだと思った本を何冊か小脇に抱える。物故したばかりの作家だということでコーナーの前にうずたかく積んであった谷崎潤一郎を、何冊か取り出して加えた。入口のあたりに同じように積んであった開高健のベトナム戦記などのベストセラー本には手を出さなかった。合計の値段を確かめ、レジに差し出す。三千八百円。母からの一万二千円の送金のうち、八千円の下宿代を引いて、残りをすべて使い切った。それでも、まだカズちゃんの封筒に十万円以上残っている。足が急いだ。早く小さな部屋に戻り、本を読みたかった。
 カバンと紙袋を提げて下宿に戻ると、玄関に錠がかかっていた。汲み取り口にはびこるローズマリーの茂みの中から、ぽつんとキンギョソウの黄色い冠が突き出している。傘を差したまま、しゃがみこんで見つめる。
 霧雨に変わった。傘を閉じて、空を見上げながら、家族の者が帰ってくるのを電信柱の陰で待った。霧が頬を濡らすのが心地よい。ランドセルを鳴らしてミヨちゃんが走ってきた。小学生らしい短いスカートだ。
「すみませーん! 遅くなりました」
 大きな黒い目をしている。長い髪が自然なカールを作って肩を覆い、胸はほんの少しふくらんでいる。あの葛西夫婦から、どうしてこんなかわらしい子供が生まれたのか。
「中にオジサンがいるんですけど、開けないようにって言ってあるんです」
「当然だよ。玄関まで出てくるうちに、転ぶかもしれないものね」
「それより、オジサン、調子よくだれでも家に上げてしまうから」
「なるほど。とんでもない人だったら、危ないよね」
「はい」
 ミヨちゃんは大人びた仕草でスカートのポケットから鍵を出し、引戸の錠をせっせと回しはじめた。ふだんの肉感的な様子とちがって、無邪気でぴちぴちしている。形のいいふくらはぎを見つめた。やがてこの脚とからだは成長していき、いかにも女らしいふくらみを帯びる。だれかが、それに思わず触れ、そうして彼女はめずらしい生きものではなくなっていく。
「開きました」
 ミヨちゃんが振り向いて笑いかける。
「きょうは雨なのに、クラブ活動だったの?」
「そうです。試合が近いから、泥んこの中で居残り練習だったんです」
 私が背中に寄ると、サッと離れるように玄関土間に入った。するどい直観で私に危険なものを感じたのだ。もう一度彼女のふくらはぎを見た。美しいと思った。
「何のクラブ?」
「神無月さんのまねをして、ソフトボール部。補欠です。補欠は跡片づけしなくちゃいけないから」
 そそくさと居間へ姿を消す。サングラスに、ただいま、と言っている。
 部屋に入り、机に向かった。きのうの晩、いのちの記録に書きつけた詩が、窓から射してくる夕暮れの光に浮き上がっている。書いたものを読み返すことはめったにないけれども、文字で埋まったページを見つめるのは好きだ。だから、いつもこのノートの書きこんだばかりのページを机に拡げておき、文字を書きつける情熱を失わないようにしている。買ってきた本を机の足もとに積み上げる。一冊だけ雑誌が混じっている。現代詩手帖。ぼんやり眺めていると、自分が生存競争から落ちこぼれた哀れな動物で、毎日何かをあきらめるために静かなねぐらに帰ってくるような感覚に襲われる。その感覚が奇妙な充実感を与える。
 ふと、ズボンの裾にヤエムグラの実がくっついているのに気づいて、むしり取った。万年蒲団に横たわる。折々、湿り具合を確かめて奥さんが干してくれるので、ふかふかと気持ちがいい。
「おやつです」
 ドアを叩いてミヨちゃんが声をかけたので、返事をして出ていった。サングラスが待ち構えている。
「濡れながったが?」
「はい。大した雨でもありませんでしたから」
「南方のスコールは、まるで台風よ。それに比べれば、日本は雨が降らねみてなもんだ」
 ミヨちゃんは、たっぷりバターを塗ったトーストと、インスタントコーヒーを出してくれた。コーデュロイのズボンに履き替えている。
「待たせてしまってすみません」
「それほど待たなかったよ。赤井さんは?」
「きょうは塾へ直行です」
 私はトーストを齧った。サングラスは茶を飲んでいた。彼の前にはトーストの替わりに大福が出ていた。彼はそれを探って手に取り、口を粉だらけにしながら舌鼓を打った。
「あの、南方というのは、ボルネオとかマレーシアとか……」
「ンだ。あのころなら、この大福一つで殺し合いになったべおん」
 ミヨちゃんもトーストを齧りながら、大人らしい笑顔で微笑んだ。


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