四十

 夕食のあとでばっちゃと浜にくだった。マンネリ。まったく気が進まないけれども、野辺地に帰省した以上、しばらくばっちゃの自慢の種を演じなければならない。坂本家、分家の佐藤家、引き返して、田島鉄工、横山家と回る。私はただぼんやりばっちゃの肩口に立って、人びとの賞賛の言葉を聴いている。どの家の者たちもばっちゃと私を玄関から居間へ上げる気配はない。居間の敷居のあたりで社交辞令を投げてよこすだけだ。ばっちゃには、なぜ仲のよかった人たちがそんなふうになってしまったのかわかっていない。彼女の孫は、近隣の人たちには思いがけない分野で頭角を現してしまった有名人なのだ。贔屓筋でもないかぎり、煙たいだけの有名人のために進んで飲み食いさせる気持ちなどない。勝手に有名になってくれ、俺たちの生活には関わるなということだ。けっして嫉妬ではない。敬遠なのだ。帰り道で私はばっちゃに言った。
「ばっちゃ、自慢する相手がいなくなってさびしいだろうけど、これは、中学校の勉強で一番をとったというのとはちがうんだ。ぼくはもう近所の自慢の種じゃなくて、日本の新聞種なんだよ。よほど好意的な親族か、恋人か、親友にしか愛されない人間になってしまったんだ。いくらばっちゃが謙虚に振舞ってもむだだよ。彼らは手の届かないものには手を伸ばしたくないんだ。そうだな、種畜場なら、いつでもいい時間をすごせるよ。ヒデさんもお母さんも、ぼくのファンだから。奥山先生のところもいいな。ほかの家は、遊びにいっても自慢しないで黙ってれば、むこうから自然と褒めはじめるよ。でも、そんな家にはいかないほうがいい」
「自慢してわげでねたって」
「自慢すればいいんだよ。ばっちゃに自慢されて、ぼくはもっとがんばろうっていう気になるんだから」
 合船場に戻り、じっちゃの軍隊話を彼が眠くなるまで聞いた。
 善司の書棚からアンネの日記という本を引き出して、机とステレオだけのガランとした部屋の蒲団にもぐり、眠気が襲ってくるまで読んだ。一人のユダヤ人少女の十三歳から十五歳にかけての日記。余儀ない閉所生活で、死の恐怖と戦いながら、読書をし、日記を書き、食べ、排泄し、恋愛もする。
 人はどんな極限状況でも習慣を崩さない。そのことが印象に残ったくらいで、死に対する恐怖のない私は、何の感懐も催さなかった。ガスを吸って死ぬのは苦しかったろう。死そのものよりも、死ぬ過程の苦しさに同情した。山田三樹夫は苦しんで死ななかっただろうか。
         † 
 翌六日。
「昼まで散歩してくる」
「十二時には帰るんで。ワも帰ってくるすけ。キビと、ふかしイモかへら」
「じっちゃ、ラジオの電池は?」
「まンだある」
 九時に曇り空の下へ出た。町なかを探検する気持ちで歩いた。城内。平五郎ちゃんの床屋の跡地は菓子店になっている。銭湯ムラカミ、その隣の野辺地東映。スチール写真に近づいていく。高倉健の『網走番外地・北海篇』只今上映中。黒マンボズボンのおばさん二人、エプロンの婆さん一人が肩を並べてスチール写真に見入っている。めったに見かけない図だ。
 城内幼稚園。十字の尖塔。生垣から内部は窺えない。野坂歯科から右折し、家並の背後に中央公民館、町立図書館を見ながら左折。県道に出る。野辺地川に架かる城内橋を渡って野辺地駅に向かって歩く。稲穂が途切れると疎らな住宅街になる。左折し、枇杷野川を渡って野辺地駅へ。川岸にオシドリがいる。瑠璃色のカワセミが飛ぶ。清流だ。
 あねさんかぶりにモンペ姿の女がスクーターで通り過ぎる。駅前にバスが二台停まっている。突っ張り棒で支えられた小さな駅舎の瓦屋根を見上げ、引き返す。
 簡易郵便局、カズちゃんの鳴海旅館、松山旅館。山田三樹夫が死んだ野辺地病院を見渡す信号から左折して野辺地川を渡る。地面に貼りついた古い町並。空に架かる電線。清酒陸奥鶴の看板、月星靴の看板、佐藤自転車店、熊谷米穀店、川村整骨院、宮澤歯科、熊谷靴店、イツミちゃんのカクト家具店、一度問題集を買いにきた浜中書店。たばこの看板。ガラスケースに《しんせい》がずらりと並んでいる。道ゆく女児たちの服装が妙だ。だぶだぶの男物のような半袖シャツ、下端を切り揃えていないだぶだぶの水玉のミニスカート、ズックの白短靴かサンダル。髪は全員オカッパだ。本町食堂。向かいに青和銀行。
 右折して町役場のほうへ。役場の裏手の常光寺の林を眺めながら右折。民家の庭に薄紫や白やピンクのアジサイの花がきれいに咲いている。海中寺の正面の野辺地小学校を眺めやる。ちびっ子たちが背中を丸めて三段の跳箱を跳んでいる。
 本町へ引き返す。何本も連なる電柱看板。本町通り。新谷金物店、野辺地郵便局、ナルミ呉服店、やなぎや時計店、桑野食品店、中央薬局。野辺地町には薬局が多い。火の用心の横断幕に気づく。五十嵐商店、その真向かいの青森銀行、英夫兄さんが子供をスキーを買ってくれたスキー用具店、カネボウ毛糸の看板、清川虹子の縦貫タクシー、向かいの佐藤ボッケ菓子店、ようこちゃんのうさぎや。ごった煮の商店街に心が落ち着く。アスファルトの道を大小の車が走る。バスも自転車も走る。山田医者のほうへ曲がらずに新町通りへ左折する。歩き馴染んだ道。いつも雪といっしょに思い出す。戸館内科・外科、長いガラス戸のカメラ屋、じっちゃのかよう郵便局、顔剃りの痛い床屋さん、向かいに中也詩集を買った北英堂書店、電気屋。銀映に向かう。何カ月か遅れで黒澤の赤ひげをやっていた。引き返す。
 郵便局を左折して新道へ入る。立花先生の家の前から野辺地中学校へ回る。安全週間らしく、校庭で制服の警官やオートバイと入り混じって交差点横断の練習をしていた。新道に戻る。得体の知れない豪壮な屋敷。ヤジ煙草店。横山よしのりの家。畳屋。杉山商店。散在する畑を挟んで校倉塀の平屋が建て混んでいる。新道に入ると男の通行人はほとんど見かけない。いや、人がいない。たまに出会うのは、あねさんかぶりにモンペ姿の女たちばかりだ。合船場に帰りつく。
 うまいトウモロコシとジャガイモを食った。トウモロコシを歯でしごいて食ったのは幼稚園以来だ。ホッケの焼き魚とササゲ炒めで昼めし。美味。じっちゃばっちゃと歓談。
「田名部の善太郎が、おめを遊びによごせって手紙っこよごした」
「善太郎って、カズのトッチャ? 行方不明になった?」
「おう、四年前に東京で再婚して青森さ帰ってきて、田名部に住んでら。おめの噂聞いて、娘(めらし)が会いたがってるんだと。こねなら、娘が今夜、こごさ泊まりにくるとせ」
「メラシって、だれ?」
「ヨメの連れ子よ。中学三年だツケ」
「なんだか強引だね」
「近い親類(しまぎ)はここしかねすけな。勉強も教えてほしいってよ」
「お断り。いっしょに晩めしだけ食う。善太郎さんもいまさらどうしたんだろう。カズには連絡してるのかな」
「してねおんたな。合わせる顔がねがべ。なんけか手紙っこけだだけで、野辺地にも顔出さね」
 じっちゃも気詰まりな顔をしている。
「善太郎さんはいくつ?」
「大正七年生まれだすけ、今年カゾエで五十一だ。ヨメは十も下だ」
「若いんだなあ。写真ある?」
 ばっちゃが寝部屋の箪笥をゴソゴソやって、一枚の写真を持ってきた。兵隊服の若い写真で、丸眼鏡をかけた細い顔が東海林太郎に似ていた。じっちゃは覗きこみもしないで煙草を吹かしていた。ばっちゃが、
「ちゃっけ建設会社で、ユンボ動かしてるてじゃ。連れ子でも子供ができて、落ち着いたおんたな」
「善太郎はでぎの悪いガキで、勉強も運動もアッパラパーでせ。だども、やさしい性格でな、そごを女ゴにつけこまれたんだ。何の能もなかったすけ、そごで人生終わったべに」
「ガキにそったら話しねんだよ」
「だあ、しゃべるってが。でぎのいいワラシだツケ」
「生徒副会長やってるらしじゃ。しんねり強ぇおなごだと」
「勉強の質問がしつこくなりそうだな」
         †
 山田医院の玄関のガラス戸が朱色の夕映に燃えていた。
「ごめんください」
「はーい」
 一子が玄関に出た。
「神無月さん、いらっしゃい」
「線香をあげにきました」
 母親が奥の部屋から浮かない顔で現れ、廊下の外れの陰々とした六畳間へ案内した。仏壇の白木の位牌の背後に、小さな山田のカラー写真が飾ってあった。眼鏡をかけて眺めた。パジャマを着た坊主頭の山田がベッドに腰かけて笑っている。首を差し伸べてじっくり見ると、死ぬ直前の病床で撮ったものらしく、卒業式の日に最後に見たときよりも茶色い顔が不気味に腫れ上がっていた。相変わらずやさしい目をして、頭の鉢が大きかった。この笑顔も、すぐれた脳味噌も、もう火に焼かれて消えてしまった。目が熱くなった。背中から母親が言った。
「うまく長生きできたら、やっぱり父さんの跡継いで医者になろうかな、なんてへってらったんですよ」
 むかし酒井頭領の家にいったとき、リサちゃんの妹がやった作法を思い出しながら、香炉に線香を立て、リンを叩き、写真の前に掌を合わせた。写真の表情には、彼と四郎と三人で歩いた日に、雪に照らされて輝いた矜持は見えず、気弱な、他人の愛を強要する甘えのようなものが窺えた。でも私は、彼に対する尊敬の心を失うことはなかった。もっと生きていてほしかったし、生きていればもっと深い友情を結べただろうと思った。そのことを母親に言おうとした。しかし、振り向いて、和まない母親の顔にぶつかったとたん、不思議な反発が湧いてきて、言葉が唇の先で変わった。
「ぼくが山田くんから聞いた話では、彼は医者になりたがっていませんでした。……ぼくは山田くんを、なんだか気の毒に思っていました」
 母親は主張の激しそうなきつい眼差しで私を見ると、
「はあ、どういうことですぺ」
 と、静かに言った。
「お母さんに対する批判じゃありません。……山田くんはひどく変わった人間で、人からどう見られるかなんて、ぜんぜん気にならないようでした。敏感で、察しがよくて、でもそれは自分のためじゃない。どうしても人に気を使ってしまうから、たった一つのことも自分のために言わないんです。なんていうか、生まれつき引いてしまう気持ちがあるというか、それはぼくにとっては強い驚きです。訓練したってできっこありません。だから山田くんの性格はぼくの理想でした。……一度も見舞いにいかなかったのも、彼が病院のベッドでもぼくに気を使う姿を見たくなかったからです。手紙も書きませんでした。手紙を受け取れば、からだに鞭打って返事を書こうとするでしょう。そんなことは彼にとって残り少ない時間のむだです」
 私が話しているあいだ、母親は手の甲をさすりながら、不機嫌そうにあらぬほうを見ていた。スカウトに接したときの私の母の態度だった。
「あんたより、親の私のほうが三樹夫のことはわがってるつもりです。気を配るというよりは、気持ちコのこまい、ふつうのワラシだったんです。卒業試験も、あんなふうにみんなに言われて、立つ瀬がなかったべ」
 やはり恨みに思っていたのだ。
「ほんとに申しわけありませんでした」
「あんたが謝ることはねえのせ。……三樹夫は親孝行でニシ。父さんを尊敬してらった。父さんみてに医者になれたらいいなあってへってらった。……あんたには、いいふりこいて大きく見せてたんだべ。男同士だもの。……あんたが何やさしことしゃべっても、いまさら遅いべおん。三樹夫はとっくに三途の川を渡ってしまって、もうだれの声も届がね」
 彼女は、最初の物静かで知的な印象とちがって、何かの後悔や屈辱を胸の奥に養う性質の人のようだった。私の母によく似ていた。母とライバルだったとばっちゃが言った意味もわかるような気がした。
 たぶん彼女は、いつも山田を自分のそばから離さず、無意識に自分を甘やかすモノローグを果てしなく彼にぶつけてきたのだろう。母子だけの生活の中で、彼女は自分の夢のすべてを息子である山田に託し、彼の出世を夢み、彼がすでに大きくなって、立派な地位に収まっている姿を思い描いただろう。やさしい山田は母の願いに応えようとして、教室ではまじめに聴き、休み時間には遊び、夜は熟睡し、食卓ではよく食べようとしたのだ。いくら自分がそれだけの小心な人間だと示そうとしても、ほかの連中にはわかってもらえなかった。集団の中での〈デキ〉があまりにもちがいすぎていたからだ。山田はけっしていい医者にも、有能な役人にもなれなかっただろう。あんなふうな情熱的な魂の持ち主は、芸術家にでもなるしかなかったのだ。
 そう思うと、いよいよ、その正体を理解されないまま死んでいった山田の身の上が哀れに思われてならなかった。私は畳に視線を落とした。そうして、一時的な反発からつまらない理屈を言ったことを後悔しながら、立ち上がって深く一礼した。
「お気を悪くさせてすみませんでした。折がありましたら、また寄らせていただきます」
 母親はうつむいたまま、形ばかりに頭を下げた。妹が切り揃えた西瓜を盆に載せて入ってきた。私は手ぶりで断ると、玄関に下りた。戸を引いて出るとき、彼女は外までついてきて、
「ありがとうございました。ぜんぶ聞いてました。兄さんは泣きたいほど喜んだろうと思います。ほんとうにありがとうございました」
 と静かな声で言った。私は精いっぱい笑い、同じように静かな声で言った。
「何年後になるかわかりませんが、今度野辺地に帰ってくるときは、たぶん雪の季節だと思います。またそのとき、線香をあげにきます」
「はい、お待ちしてます。野球、がんばってください。いつも応援しています」
「ありがとう。さよなら」
「さようなら」


         四十一

 めしどきに遅れて、田名部から中学生がやってきた。じっちゃは自分で調理したトビウオの焼き魚と、豆腐と油揚げの味噌汁で夕食を終えて、一服しながら朝日ジャーナルを読んでいた。私は部屋の机にいた。中学生は明るく快活な声で、
「こんばんは。遅くなってすみません。田名部を五時半のバスで出たんですけど、一時間十五分もかかって」
 きれいな標準語だ。部屋から出ていくと、夏用のセーラー服を着た、山本法子に似たニキビ面だった。髪は中学生らしいオカッパ。
「わあ! 神無月郷! 三冠王!」
 私は彼女の明るさに釣りこまれ、ふざけて言った。
「名を名乗れ!」
「佐藤ひなた!」
 じっちゃも笑った。ばっちゃが炉端を目で示し、
「こごさ坐(ねま)って。バスに揺られて疲れだべ。迷わねでこれたな?」
「はい、父に地図を描いてもらいましたから」
「とっちゃかっちゃは、どやしてら?」
「元気にやってます。おとうさんはテレビばかり見てます」
 ひなたが囲炉裏に向かって腰を下ろすと、ばっちゃが、
「めしは?」
「はい、お腹すいてます」
「郷も食ねで待ってたんだ。下準備できてるすけ、うって食へでけら」
 まずホタテの貝焼きが出てきた。じっちゃにも硬いヒモを取ったものが一つ出される。葉つき小蕪の漬物、煮た長いも。ニエッコ。
「ニエッコ、大好きです」
 豆腐と大根の煮合えだ。じっちゃにも出る。この一年で夫婦仲の剣呑さもだいぶ和らいだようだ。タコの炊きこみめし、菊のおひたし、豆腐とワカメの味噌汁。ひなたも私も大満足した。ばっちゃが、
「腹つぇぐなったな?」
「はい、満腹です」
 ばっちゃはうれしそうにうなずいた。私はひなたの広い額を見ながら、
「額が広いね」
「そうですか、女はみっともないですね。鼻ブチョゲだし、おとうさんに似てない」
「そんなことないよ。頭がよさそうだ」
 ばっちゃが、
「善太郎(あんちゃ)は額(なずき)が狭めすけ、かっちゃの家系だべ」 
「ひなたって、ひらがな? それとも、日が向かう?」
「ひらがなです。神無月さんは、野球は雲の上の人だとわかってますから、素人が質問なんかするのは失礼だし、思いつく質問もありませんけど、勉強は雲の下の秀才なので質問できます。でも、お会いして、そういうつまらない話で時間をとらせたらもったいない人だってわかりました。とっても美しくて、神秘的で、こうしているだけで夢心地です。勉強のことなんかどうでもよくなります。しばらくお話して、雰囲気を満喫して、きょうは早寝して、あしたの朝、いっしょに朝日を見ていただければ、もうじゅうぶん満足です」
「朝日?」
「はい、海の朝日」
 興味がない。
「ときどきおとうさんと、田名部の海の朝日を見るんです。心が洗われたようになります」
 一人で見にいけばいいだろう。人を思わなければ、自然の美しさの書割なぞ何の意味も持たない。じっちゃが、
「常夜燈も見てくればいんだ。むがしの灯台だ。江戸の末に野辺地の廻船問屋の野村治三郎が、関西商人の橘屋吉五郎と協力して建てたもんだ。武士の力は借りねがった」
「そうなんですか。町民のシンボルなんですね。おとうさんは何も教えてくれません」
「あれは野辺地のことだらアダマにねすけ。極楽トンボよ」
「……私には、義一さんというおにいさんがいるんですよね」
 ばっちゃが、
「十八だ。東京で働いでら。いずれ会えるべおん」
 ひなたは私をじっと見つめ、
「……名古屋で不良をしてて、野辺地に送られたって、君子おばさんが言ってました。そんなふうには見えません」
「君子もくだらねこと言いふらして。だあ、不良だったてが、仏さまだ」
 私はばっちゃに、
「君子叔母さんは、あれからすぐ帰ったんじゃないの」
「田名部さ寄って、それからもういっけ、サイドさんとごさいった。英語で相手してもらえるたった一人の親戚だすけな。飛行機の切符買うのも面倒見てもらえるべせ。さ、寝るべ」
「日の出って何時?」
「四時半。四時に起こしてやら」
 八時半を回ったばかりだった。じっちゃが寝部屋に退がり、ひなたはばっちゃの部屋に床をとってもらった。私も勉強部屋の蒲団に入って無理やり目をつぶった。何も思わず、知らず知らずのうちに寝入った。
         †
 ぴったり四時に起こされた。七時間も寝ると、からだの隅々の細胞にエネルギーが充填された感じがする。寝惚けまなこだが、活力に満ちている。ワイシャツを着、ズボンを穿く。ひなたはすでにセーラー服姿で炉端に坐っていた。ばっちゃはしっかりもんぺを穿いてあねさんかぶりになり、いっしょに出かける態勢だ。じっちゃはまだ寝ている。ひなたの挨拶に応え、台所にいって顔を洗い、歯を磨く。奥土間の便所で小便。
 下駄を履く。ひなたが腕時計を見る。
「四時二十分です」
「あんべ」
 ばっちゃが声をかける。
「うん」
「まず日の出を見てから、ぐるっと回るべ」
 暗い浜坂を下りていく。濃い蒼い空に、黒いちぎれ雲が浮かんでいる。かすかな光の反映がある。こんな壮大なものの中で生きていたくなくなる。女二人、空は見ない。海沿いの路に出た。浜辺へ下りていく。ひなたが、
「あ、ナデシコ!」
「ハマナスだァ」
 ばっちゃが笑いながら訂正する。たしかにナデシコに似ている。
「ハマナスとナデシコは、ヒルガオによぐ似た花だども、ハマナスとナデシコのほうが桃色が濃くて、葉もちゃっこくて柔らけ」
 うれしくなる。
「ばっちゃは植物博士なんだ」
「ほんとですね!」
 水平線の蒼空にオレンジ色が滲んできた。たちまち輝きはじめる。
「すてき! 四時四十分! すばらしいですね、神無月さん」
「そうだね、壮大だ」
 オレンジの中から黄色く輝く太陽の頭が出、光の暈(かさ)をまとってグングン昇ってくる。立ち尽くす二人の女の顔がオレンジに染まった。ばっちゃは目を細め、ひなたは口を開けている。中心の白い光の球が水平線に載った。黒灰色の海面に波の皺が浮き上がる。空が青ばんできて、オレンジ色を白に変えて溶かした。海が青くなった。明るい雲が板のように折り重なっていずこへともなく引っ張られていく。ばっちゃが、
「いいもの見た。生まれて初めてゆっくり見たじゃ」
「私も。もう少し太陽が昇ってからしか見たことがありませんでした。すばらしい思い出になりました」
 三人踵を返して、海沿いに漁協のほうへ歩く。四戸末子の家の前を通り、坂本の家の前を過ぎる。三時に起きて四時には出航する漁師たちの姿はない。彼らの船は午後の三時ごろに帰ってくる。
 看板や幟の立っている広大な小砂利の敷地に到着。敷地の奥にはコンクリートが敷かれ、その先は堤防だ、左手も堤防に囲まれていて、内側は松原になっている。堤防の外は砂利浜だ。魚介直売の露店市場で女たちが働いている。ほとんどホタテだ。ばっちゃの知り合いが多いようで、しきりに挨拶し合う。
「わいはァ! このふとキョウちゃんだべ、三冠王の」
 初対面なのにキョウちゃんと呼ぶ。私もばっちゃに合わせて頭を下げる。彼女のお茶目な目的がわかった。
「いい男だネサ」
「ワに似てねのよ。じっちゃ似だ」
 ひなたが、
「津々浦々ですね」
「こういうのは、ご近所有名人と言うんだよ。―そうじゃないと困る」
 ひなたがもの問いたげにしたので、すたすた先へ歩いていく。ばっちゃは女たちのあいだに留まっている。野辺地町漁協のかわいらしい建物を過ぎ、堤防と堤防の合わさった角地へいく。ひなたが追いつき、
「これだわ、常夜燈。……高さ三メートル八十センチか。大きいですね」
 掲示板の説明によると、野辺地は江戸以前から漁港として賑わっていて、江戸期に入ると江戸や大阪に寺社建築用のヒノキ材を運んで繁栄したようだ。江戸中期には尾去沢鉱山の胴を御用銅として搬出してさらに繁栄した。江戸後期に常夜燈が建てられた。しかし明治の中ごろ東北本線が開通して、港の機能は衰えた。
 見上げた正面に〈常夜燈〉、側面に〈文政十丁亥歳〉、裏面に〈金比羅大権現〉と刻んである。以上で歴史的遺物との付き合いは終わり。私の野辺地の歴史は常夜燈ではなく合船場から始まる。
「さあ、ばっちゃについて歩こう」
「はい」
「ばっちゃ、いくよ!」
「おう」
 ばっちゃは得意げに女たちに挨拶して私たちと歩きだした。まだ人通りはほとんどない。真っすぐ線路のほうへ向かう。初めて通る道だ。板壁の朽ちかけた住宅が、こんなに家があったのかと驚くくらい建てこんでいる。鬱蒼とした林に囲まれた豪邸もある。カーブになっている曲がり角で、遠くにある五階建てのビルを指差した。
「青森家庭裁判所の出張所だ」
「裁判所! 野辺地にそんなものがあるの」
「大っきた町だ。何だってあらい。むがしはこのあたりが野辺地村の外れで、地蔵が置がれでたんだ」
 野辺地中学校の裏手の踏切を渡る。あたりまえだが、けいこちゃんが轢かれた踏切と同じ形をしている。悲しみが神経にくる。右折して八幡さまの前に出る。赤鳥居の右手に東奥日報支局。見るからに小さい二階建ての事務所だが、頑丈そうな石造りだ。左手に野辺地警察署の広い敷地。さっきの裁判所を一回り小さくした四階建てのビルが敷地の奥に見える。
「むがし、この警察署のとごさ県立野辺地中学校が建ってたんだ。いまの野高。いまの野中の場所には、弘前大学の野辺地分校が建ってた」
 母の話とまったくちがう。母は野中の場所は高等小学校だったと言った。記憶が曖昧なのではなく、当てずっぽうを言う性癖なのだろう。そのまま八幡さまの前を突っ切って農道に入る。ばっちゃが、
「あと一週間もしたら、野辺地祇園祭だ。祭りの初日に、四百貫の大注連(しめ)縄を八幡宮に奉納すんだ」
「二階建ての山車だね。音調と響きがいいね。一階には着飾ってツンとした子供たちが前列で小太鼓、大人は後列で三味線や笛の祇園囃、二階は歌舞伎調の人形山車。一般の子供たちはあれに参加しない。いつもなぜだろうって不思議に思ってた。新道の練習は角鹿製麺所の二階でやってた。練習から下りてきた子供たちの顔を目の前で顔を見たことがあったけど、どの一人も一度も会ったことのない連中だった」
「子供会の金持ちのガキばりよ。同じ小学校中学校の生徒だたて、貧乏人とは遊ばねのよ」
「野辺地にも金持ちがいるんだね」
「七分三分で貧乏人のほうが多ぇばって、野辺地は商人の町だすけな。金持ちはほとんど本町と新町だ」
 中野渡の家。
「トランペットの天才、中野渡、どうしてるかな」
「さあな、山田高校出てから、どうなるんだが」
 野辺地川。名もない橋を渡る。おとといこの流れに沿って歩いて、もう少し上流で泳いだ。見渡すかぎりの稲穂。遠くに烏帽子岳が見える。
「スキー大会の道だ。あれが烏帽子岳、七百メートルぐらい」
 ひなたに教える。
「わあ、きれい! 登ったんですか?」
「登ったことはないけど、ハイキングコースはあるらしい。ブナと青森ヒバで有名だ」


         四十二

 空が晴れわたってきた。快晴。やっと六時ぐらいか。ばっちゃは次の辻で左折して本町のほうへ引き返した。人影のないさびしい道。老人ホームの巨大な長屋棟。近代的な棟の周囲にポツポツと植えられた桜の立木が胸に沁みる。野辺地川の支流と出会い、いっしょに歩く。大きな町だ。カズちゃんもこの道を歩いただろうか。野辺地駅からくだってきた交差点に出る。鳴沢橋。おとといと同じ道を歩いている。ひなたが、
「この橋を渡って、合船場にいったんですね。去年の秋。……つらかったでしょうね」
「失ったものが大きすぎて、ぼんやりしてた。幼いころの知り合いに会わないか期待してキョロキョロしながら歩いてたのはわれながら不気味だった。そうなるともう心の余裕じゃないね。一種のパニック。三、四歳のころに馴染んだ人の顔を憶えてるはずないもの。善夫が何人か知り合いにいき会って挨拶してた。ああ、ノンビリした人生だなあ、いいなあって思った。会社を休んでぼくを送ってくるのはたいへんだったとは思うけどね。……じっちゃばっちゃの顔はしっかり憶えてた。じっちゃはぼくを忘れてたみたい。ばっちゃは憶えててくれた」
「……たまげたじゃ。ビョッときたすけ」
 ばっちゃが首を傾げて言う。
「新しい人生が始まったんだ。趣味的にむかしを思い出すのはやめようっと。きっとひなたちゃんのお父さんも同じ気持ちだと思うよ」
「はい……」
「この橋を渡ったとごから、野辺地宿(しゅく)だんだ」
 ばっちゃが指差す。廃屋がふつうの民家に挟まりこんでいる。大きな廃屋の看板のペンキが剥がれ、薄く〈鈴木理容所〉と読める。
「野辺地宿は盛岡藩のいちばん北の港町だったんだ。津軽藩から南部藩を守る大事な宿だったの」
 三棟にわたる平尾精肉店。だらだら坂をのぼっていく。
「本町が野辺地宿の中心。浜中書店の先の野辺地郵便局あたりに、いろいろ触れを出す高札場があったの。むかしはこの街道に大っきた商家が並んでたばって、まったぐそのころの影もねな」
 ひなたが、
「南部藩と津軽藩はどうしてぶつかり合ったんですか」
「古いことだすけワもよぐわがんねけど、明治の元年に戊辰戦争てのがあって、南部藩は幕府の味方して、津軽藩は新しい政府の味方をしたんだず。それで両方が野辺地で戦ったの」
「野辺地戦争ですね」
「ンだ。こまけこどはわがんね」
 うさぎやにきた。金沢海岸のほうへ向かう。
「ここまで神社はありましたけど、お寺はありませんでしたね」
「なんでかわがんねけど、お宮は本町通りの両側に六つ、お寺五つはぜんぶ東側にあるんだす」
 ひなたはクスクス笑い、
「お祖母さんは複雑なことを申し分けなさそうに簡単に言うんですね。神無月さんと気が合う理由がわかりました。神無月さんのお母さんはどういう人なんですか?」
「皮肉と嫌味か、沈黙。そして実行力。敗北者が大嫌い。ただあっちへいけ、こっちへこい、やめろ、やれ。その意志を通すためには、どんな謀略もいとわない。彼女は〈東大出〉の大ファンだ。彼女はぼくを第二、第三の東大出にしたかった。ぼくは、才能一本で勝ち負けのハッキリする野球が大好きだった。メンコでもビー玉でも、子供は才能で勝利することが大好きなんだ。勉強に勝利することは絶対的な才能の勝利じゃない。相対的な努力の勝利だ。学問となると絶対的な才能が関与してるにちがいないけど、学校の勉強はちがう。母はそんなことはお構いなし。学問の才能なんかどうでもいいから、ぼくを相対的に世間で勝利する東大出にしようとすることで自分の夢を生きてた。彼女は他人との対比が生甲斐だったからね」
 ばっちゃが、
「郷にも悪い点はあるんで。ぜんぜん勉強しねなら、あぎらめもついたべおん。へたに勉強して、へたにいい成績とるすけ、スミも夢を見たのせ」
 康男が私を責めた点だった。
「……どうして、〈へたに〉勉強しちゃったんですか」
「大好きじゃなかったけど、嫌いでもなかったからだね。母に強制されてやったというのでもないところが、ぼくの気持ち悪いところだ。そういう気持ち悪い性質は、手痛いショックを受けないと治らない。……ひょんなマグレでいい成績がつづいたりすると、ぼくはここにいるべきだと思ったりする。成績のいい連中といっしょにいるほうが身に合ってるし、落ち着くとね。調子に乗って人に勉強を教えてやったりもする。勉強の道で異能者たちに出会ったことは、いままででいちばん幸運なできごとだった。苦しんだ。でももし彼らにKOされていなかったら、いつまでも勉強に囚われていただろうね。秀才の仮面をきっといまでもかぶってる。……ただ野球選手とちがい、勉強家は失敗しても安全だという意味で卑怯だ。こっそり努力した成果がプラスでもマイナスでも、だれもとやかく言わない。だから、鈍才のレッテルを貼られてもどこかで安心してる。勉強は何らかの社会的地位に到る途中過程だから、目標に合わせて自分だけで戦えばすむからだよ。勉強に関してはぼくがそうだ。野球選手はハナから白黒つけようとして他人と闘う。地位はハナからただのスポーツ選手だし、身分的に上昇しようとする努力も要らないから、個人との戦いに没頭する。個人同士の才能の戦いなので、プラスでもマイナスでもいいなんて途中過程はない。プラスでなくちゃいけない。そう考えるのはぼくの気質そのものだ。……欠点はある。マイナスになるような痛みを否定する。肘や肩をやられても、痛くないと否定する。才能があるのに痛いはずがないと否定する。勉強家は痛みを受けとめる。努力が足りなかったんだってね。野球選手は才能が足りなかったんだじゃすまない。だから否定する。努力はじゅうぶん足りてるので考えたこともない」
 ひなたが、
「野球選手は個人的な戦いに勝てば、身分や地位と関係なく社会に〈受け入れ〉られますけど、勉強家は身分や地位は上昇しても結局社会に〈取りこま〉れます。野球選手の勝利というのは単なる個人的な才能の勝利じゃなく、ほんとうの社会的勝利じゃないでしょうか」
 私は驚き、
「ふうん、社会的勝利と結びつけて考えたことがなかった。……野球選手が社会的に受け入れられるのは当然かもしれないね。人前に立って勝敗を争い、勝利した者は絶賛と尊敬を経験し、敗北した者は非難と軽蔑を経験する。隠れ場がない。そういう潔い人間たちだから、受け入れられるのもあたりまえだ。でもそれは、社会に受け入れられたというだけで、社会的に勝利したということじゃない。人前で、見世物みたいに、才能一本槍で戦うスポーツ選手という立場を脱することはできないんだ。見物人に勝利したわけじゃない。でも、それがぼくの気質に合ってる。見世物として喝采されるのが楽しいんだ。喝采されるのはたいへんな個人的努力がいる。時間がかかる。いつも自分の完成を追いかけてるから。〈おまえはだれだ〉と問いかけながらね。個人的に完成に近づいて、喝采されることがぼくの願いだ。そう生きるのがぼくの生き方だ。この世の人びとは、社会で相対的に勝利することがすべてだと思ってる。彼らは、ぼくの考えでは、個人的に勝利できない敗者だけど、社会的には相対を勝ち抜いた勝者だ」
 ばっちゃが、
「見世物でも、本人が幸せなら、人間として勝ったことになるべせ。郷が幸せならワも幸せだ」
「会いにきてよかった。すばらしいお話が聴けました。うまくまとめておとうさんおかあさんに話すのは難しいですけど、雰囲気は伝えられます」
 あらためてこの少女と自分はどういう関係なのだろうと思った。アスファルト道から、ちらほら海水浴客が姿を見せている金沢海岸を見下ろした。
「こごいらは遠浅で、波も静かだんだ。あっちゃにぼんやり見えるのはマサガリ半島だ」
「私の住んでるあたりですね」
「んだ。あんべ、朝めしだ」
         † 
 卵焼と津軽漬と味噌汁のめしが終わり、ひなたが、
「信じられないほど楽しかった。父母が心配したらいけないから、帰ります」
 と言うので、
「停車場(てしゃば)まで送っていが」
 ばっちゃが応えた。じっちゃは囲炉裏にあぐらをかいたまま、雑誌と煙草を手に愛想よくひなたに頭を下げた。だれによろしくとも言わなかった。ばっちゃとひなたと三人で野辺地駅まで歩いた。鳴沢橋まで本町を通る同じ道。
「不思議なほど、だれにも遇いませんね。漁協でお婆さんの知り合いに遇っただけ」
「訪ねていがねば、だれとも遇わねもんだ」
 私は気になることをひなたに訊いた。
「義一のお母さんは、いまどこにいるの?」
「さあ、わかりません。おとうさんも知らないようです。東京のどこかにいるんでしょうけど」
 離婚したのは合船場の長男と長女だけ、合船場に預けられたのは、長男の息子と長女の息子だけ。その四人がたがいに疎遠で、何を思いやることもない。そこへやってきたこの少女はほんとうに何者なのか。何を解決しようとしてやってきたのか。
「これからも、ぼくや合船場と長く付き合うの?」
「はい」
「なぜ」
「深い意味はありません。そうしたいから。チャンスは少ないでしょうけど、チャンスがあればかならず神無月さんに会いにきます」
 ばっちゃは駅の売店で、南部煎餅を買って持たせた。ひなたは深く礼をし、改札の向こうで手を振り、跨線橋をのぼって消えていった。
         †   
 帰郷して三日も経たないうちに、もう私の気持ちは、野辺地の滞在を見切ろうとするほうへ傾きはじめた。ばっちゃはただ毎日うれしい一方で、私から出歩くなと言われたにも拘らず、浜と言わず、町と言わず、ほうぼうへ何度も私を愛玩人形のように見せて歩く。ほとんどが見ず知らずの家で、あるときはガマの家にまで連れていった。じっちゃは昼夜の別なく私を炉端に誘い出して、飽かず思い出話をする。彼のむかし語りにはそろそろ重複が著しくなってきて、新鮮味と迫力が消えかかっている。
 一人で出た散歩の道で、名も知れない中学時代の顔見知りに出会っても、準優勝やホームラン記録の話をされるばかりで、これといった話題もなければ気の利いた言葉のやりとりもない。私は、溌溂とした交流を持てないことを自分の責めにして、かえって過剰に心を痛める結果になった。私が求めていたのは、こんな人がかりの多い一日一日ではなかった。ここは時間の水底に沈められた町だとあらためて感じた。だからこそ、失意のときにはサナトリウムの役割を果たしたにちがいないけれども、野球にせよ、勉強にせよ、生きるための何かの手応えを知ったいまの私には、用なしの土地に映る。
 町の人たちはそれぞれの生活のための律儀な日常に甘んじて、一瞬もそこから身をほどけないでいる。彼らの顔は、風や雪にひび割れた木の皮のように色あせ、海と空のにおいをただよわせている。胃が痛まないかぎり、リューマチや痛風で床に就かないかぎり、彼らはそこそこ幸福でいられるし、煎餅や茶や煙草で夢想していられる。
 しかし、私はそういうことに失望したり飽きたりしたのではなかった。田舎はそこで暮らす人間にとっては大事な交流の場であり、日々の糧のための労働の場であり、それにまつわる喜びや苦しみの場であるのに、私にとっては反対に、どこかで拾ってきた苦しみや喜びを吟味しながら安らぐ場であり、遠くで飲んできた毒を吐き出す場だった。私にとって田舎が好ましいのは、そこが休息以外に何もすることがなく、何をする必要もないからだった。この土地に流されようとしていたころには、たしかにいろいろな人びとが私を休息させまいとして動き回り、ついに私を見離したけれども、それなのに毎日が充実していた。私にとって見離されることはじつは称賛そのもので、自分が下した判断に対する祝福だったからだ。
 ときどき私は、北国にやってきてからの生活の平穏さを気味悪く思った。だれも私を見離さない。だれにも見離されず、これといった摩擦もなく日々が過ぎていく―ただ穏やかな感情や行事の中に甘たるく過ぎていく手応えのない日々。そこには充実感がまったくなかった。かつて角逐の中で燃え上がった反骨は影を潜め、焼け残った灰から、いちばん精力を必要としない〈後悔〉という情熱が頭をもたげてくる。
 皮肉なことに、自分を排斥した人たちとすごした日々の苦しかった思い出に心おきなく浸るとき、私は幸福を覚えた。あまりにあわただしく過ぎていったできごとの一つひとつが、堪えがたい魅力と新鮮さにあふれて思い返された。母でさえなつかしかった。それは健康な人間が健康でいるのが恥ずかしくて、無理にでも病気にかかろうとする心理に似ていた。
 青森へ帰る日の午前、相変わらずじっちゃは煙草を吸いながら新聞を読んでいた。彼のいる囲炉裏から離れた卓袱台では、おべっかを言いにやってきた客と漬物を齧りながらばっちゃが茶を飲んでいた。
「どたらに出世すんだが」
「ばばちゃが生ぎてるうぢに、孝行してやんだい」
「東大さもいげるアダマだって、新聞に書いてらった」
 ばっちゃはいつもの、からだを折る笑い方をした。じっちゃがトンと煙管を叩く。こういう安逸がすべて破壊されるような何かが起こらないものか。たぶん起こらないだろう。母が動き出すまでは。


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