六十九

 第四章、忘れがたき人人。これはなんだ! 続々と出てくる! まちがいない、石川啄木という男は大天才だ!

  潮かをる北の浜辺の
  砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ
  今年も咲けるや


  あはれかの
  眼鏡の縁をさびしげに光らせてゐし
  女教師よ

  函館の青柳町こそかなしけれ
  友の恋歌
  矢ぐるまの花

  雨に濡れし夜汽車の窓に
  映りたる
  山間(やまあい)の町のともしびの色

  かなしきは小樽の町よ
  歌ふことなき人人の
  声の荒さよ

  空知川雪に埋れて
  鳥も見えず
  岸辺の林に人ひとりゐき

  さいはての駅に下り立ち
  雪あかり
  さびしき町にあゆみ入りにき

  死にたくはないか言へば
  これ見よと
  咽喉(のんど)の痍を(きず)見せし女かな


 戦慄が止まない。徹夜を覚悟する。二十首に一つの割合が二つに一つになる。手の甲にまでふるえがきている。

  いつなりけむ
  夢にふと聴きてうれしかりし
  その声もあはれ長く聴かざり

  頬(ほ)の寒き  
  流離(りうり)の旅の人として
  路(みち)問ふほどのこと言ひしのみ

  さりげなく言ひし言葉は
  さりげなく君も聴きつらむ
  それだけのこと

  世の中の明るさのみを吸ふごとき
  黒き瞳の
  今も目にあり

  かの時に言ひそびれたる
  大切の言葉は今も
  胸に残れど

  人がいふ
  鬢のほつれのめでたさを
  物書くときの君に見たりし

  馬鈴薯の花咲く頃と
  なれりけり
  君もこの花を好きたまふらむ

  山の子の
  山を思ふがごとくにも
  かなしき時は君を思へり

  君に似し姿を街に見る時の
  こころ躍りを
  あはれと思へ


 涙が止まらなくなった。しばし中断する。涙が乾くのを待って、読みはじめる。しかし、

  死ぬまでに一度会はむと
  言ひやらば
  君もかすかにうなづくらむか


 の歌を最後に、ぱたりと傑作が止んだ。涙も止まった。焦る。ない。もうないのだ。しかし、不満は残らなかった。これだけあればじゅうぶんだ。悲しき玩具にもおそらく傑作は見出されないだろう。そう思い決めて、いのちの記録に丁寧に全二十六首の清書をする。
 就寝、深夜の二時半。
         †
 六時半起床。目がニチャついている。駐車場の水道で顔を洗い、頭に水をかける。
「夕方六時までの試験だから、帰るのは九時近いよ」
 味噌汁をかけためしを一膳食って、七時半に西栄町から名古屋駅行きのバスに乗る。念のために悲しき玩具を持って出る。試験のときは昼飯を食わないので、弁当は持たず。名古屋駅から中央本線で千種へ。
 東大オープン模試は、千種区今池の河合塾千種校で行なわれる。申込票を受け取る際に渡されたパンフレットによると、八時半集合、九時試験開始、すべて東大の試験方式で行なう。ただ、二日間で行なう試験を一日でやってしまう都合で、実際には各科目二十分から三十分ずつ制限時間を約(つづ)めてある。問題数も一問ずつ少なくしてあるとなっていた。
 配点は入試どおりで、英語、国語、社会、それぞれ百二十点、今回の模試にかぎり理科は一科目選択で六十点(地学を選択した)、数学百点、計五百二十点。五十五パーセント取れればゆるゆる合格と踏んでいるので、目標は六割の三百十点。
 午前九時から英語九十分、数学六十分。十二時から一時間の休憩。午後一時から、国語九十分、社会二科目百分、理科一科目五十分。試験終了、五時二十分。教室に二十分も待機させられ五時四十分退場。以上が一日の試験時間割だ。
 山崎さんに借りてきた腕時計を受験票の脇に置く。時計を置くのは初めてだ。やっぱり気持ちが悪いので、ポケットにしまう。筆記用具はHBのシャープペンシルとポケットに忍ばせた消しゴム。
「始め!」
 問題用紙を開き、名前を書きこむ。消しゴムをポケットから取り出して机に置く。百二十字の要約、文法、下線部訳、総合問題の順に並んでいる。順番どおりに解く。解き終えて、満点近い感触。
 二十分の休憩を挟んで数学。三問。正四面体、指数関数のグラフ、軌跡の方程式。正四面体は難問だった。二番と三番をやれるところまでやる。四割ぐらいか。四十分休憩。路上にたむろしている学生たちを縫って、客の少ない喫茶店に入り、コーヒー。悲しき玩具の品定めにかかる。ない。ない。まったくない。いや、へたくそだ。抒情歌になっていない。これか!

  真夜中にふと目がさめて、
  わけもなく泣きたくなりて、
  蒲団をかぶれる。


 いや、これではない。センチすぎる。涙は蒲団などかぶらず静かに流すものだ。句読点を打ったりして、無様だ。これか、束の間の永遠。

  何思ひけむ―
  玩具をすてておとなしく、
  わが側(そば)に来て子の坐りたる。


 いや、ちがう。ない、あの張りつめた抒情がない。二十六首。あれだけでいい。天才の偉業であることはまちがいない。石川一(はじめ)。彼の名前を決して忘れないようにしよう。
 国語。一、次の文章を読み思うところをのべよ、二、評論、三、古文、四、漢文、五、総合問題。しっかり解答する。八割五分から九割。二十分休憩。日本史・世界史。赤本で見た本番の問題よりは簡単。足して四割はある。二十分休憩。地学。得意の鉱物が出たおかげで、七割前後。
 一仕事終えた。無意味な待機時間に入る。総合点はどれくらい取れただろう。低く見積もって、三百四十点。六割五分ちょい。全国一位には届かないとしても、文Ⅲ志望者の五番以内には入るだろう。
 千種駅から北村席に電話を入れる。トモヨさん本人が出て、まだです、と笑う。カズちゃんに代わり、
「あと、二、三日って感じ。産まれてからゆっくり会えばいいわよ。試験、どうだった?」
「上出来のほうかな」
「日赤に回るんでしょう」
「うん」
「よろしくね」
「うん」
 千種駅前からタクシーに乗った。
         †
 病室を訪れると、すでにビニールのテントは取り払われて、床頭に節子がついていた。ベッドの裾のスツールに付添い婦が腰を下ろしている。
「ふうん、しばらくは栄養チューブか。痛い?」
「もう、だいぶええ」
 少しやつれた顔で笑う。
「よかったね、悪いとこぜんぶ取っちゃって」
「ありがと。筋腫って、おそがいわ」
 ようやく節子が口を開いた。
「お母さん、早く働きたいって言うのよ。ひと月は休まないとだめだって言ってるのに」
「こら! ちゃんとリハビリして、体力をつけてからじゃないと、かえって職場の人たちに迷惑かけるよ。あれだって体力要るんだから」
 パッと頬に潮が差し、
「のんびりするわ」
 と言った。付添い婦が胡乱な眼つきで私を見た。
「模擬試験の帰りで遅くなったから、もう帰るね。こられる日には、かならず顔を出すから。節ちゃん、勉強がんばってね」
「はい。キョウちゃんもね。さよなら」
 文江さんが手を振って、
「さいなら。和子さんによろしく」
 夜道を岩塚まで歩いて帰っていった。杉浦の床屋が店内の明かりのせいで中まですっかり見え、白衣を着た杉浦が耳掻き棒を手に客の耳を覗きこんでいた。母親がそばについている。もう一人の客の頭を父親が刈っていた。山崎さんの腕時計をポケットから取り出して見ると、八時少し前だった。私は店に入っていった。父親と母親が、いらっしゃい、と言った。
「おお、神無月、どうしたこんなに遅く。八時半閉店だぞ」
「河合塾模試の帰りだ。六時までの長丁場だった。耳クソだけ取ってくれ」
「おお、こっち終わったとこだで、そこの椅子に座れ。こいつ、例の北の怪物。勉強も一番や」
「あらあ、お噂はかねがね。プロを蹴って、大学へいくそうで」
 母親が愛想を使った。父親が、
「大学でケガせんようにしてくださいよ」
 そう言って、客の仕上げにかかった。
「ピッチャーでないから、だいじょうぶです」
 椅子が倒され、杉浦が私の顔を横向けて覗きこんだ。
「おお、溜まっとる! いま、びっくりさせたるで」
 まぎれもない神業だった。コリコリとやったとたん、小指の半分の長さもある耳くそをピンセットで引きずり出した。両方の耳をやった。
「記念にもらっていい?」
「ときどきそういう客がおる」
 杉浦は得意そうに言って、小さなビニール袋に耳クソを入れた。私はそれをカバンにしまった。椅子を降り、ベンチに座った。
「東大オープンか」
「うん」
「どやった」
「西高ではまた一番だろうけど、全国はどうかな」
「とうさん、かあさん、こいつ野球をしに東大へいくんだがや。天は何物も与えるってことを証明する男やで。よう見といたほうがええ」
 父親の客が顔をねじってこちらを見て言った。
「ええ男やな。阪急の長池より男前やが」
 その選手のことは知らなかった。この三、四年、プロ野球を知らない。父親が愛想を使う。
「野球ができて、勉強ができて、イロ男で、人生おもしろうてたまらんでしょ」
「おだてられるは苦手なので、帰ります。じゃ、杉浦、二学期にな」
「その前に髪を刈りにこい」
「わかった、でももう少し伸びてからね。じゃね」


         七十

 食堂で遅いめしを食った。昆布と高菜の茶漬けに、ホッケの開きだった。めしを二杯食った。身のついた皮をシロにやった。母が、
「どうだったの」
「相当いいね」
「ばっちゃが煎餅と水飴送ってきた。部屋に置いてある」
「サンキュー。夏だから、水飴は食いやすいだろね。ゴマ煎餅のカラが入っちゃうのが玉に瑕だけど」
「飴に直接つけないで、ちゃんとスプーンで掬ってつけなさい」
 硬い水飴を知らない他県の人間には意味不明の会話だろう。寝不足のせいでだるくなってきたので、シロの頭を撫でて食堂を出た。からだに力が入らない。夜のランニングは中止した。
 ばっちゃに水飴の礼状のハガキを書く。

 いつもばっちゃの笑顔を思い出しています。花や草を指差し合って歩いた道の景色を忘れません。ぼくは独立独歩、揺らがない気持ちで一本道を歩いています。安心してください。機会があればかならず何度でも会いに帰ります。働きすぎず、健康でいてください。

 恋文のような礼状になった。
         †
 八月十五日火曜日。晴。駐車場の水道で洗面、歯磨き。耳鳴り極小。ふつうの軟便。シロとランニングのあと、河原の練習へ。一時間で切り上げ、ハガキを投函しがてら、中村図書館直行。所長のプレゼントの教育社『英単語トレーニングペーパー』一冊目に取りかかる。シンプルな行動に基づいた生活に清涼感を覚える。
 終戦記念日。正午、一分間の黙祷を促す館内放送があった。思うこともなく瞑目をする。なぜか予感がして、図書館の赤電話で北村席に電話すると、おトキさんが出て息を弾ませた。すぐに女将に代わって、
「おめでとう、神無月さん! 男の子やよ。きのうの夜運ばれて、真夜中の一時過ぎに生まれたんよ」
 すぐに主人に替わった。
「神無月さん、やったね! 五体健全、顔よし、容(かたち)よし。ありがとう、いい子を授けてくれた」
 また女将に替わり、
「おめでと、神無月さん。キョウちゃんが八日になればいいなって言ってたって、和子が笑とったわ。一週間遅れたね。初産やから難産やったけど、立派に産みましたよ。早く見にいってあげてください。和子がついてます」
 棟と室番号を教えてくれた。何か特別なことが起きたという感激以外は、自分の感情をつかまえられなかった。日赤病院へ自転車を飛ばした。五分もかからなかった。
 産科棟五号室。トモヨさんがカズちゃんに見守られて横たわっていた。茶色く疲れきった顔が、私を見て微笑んだ。
「郷くん、無事に産まれました」
「がんばったね、よかったね」
「はい。会陰を切って、助産婦さんにお腹に乗って押し出してもらって、そのうえ吸引までしてやっと生まれました。臍の緒が首に巻きついたせいで、羊水が赤ちゃんのウンコで濁ってしまって、危なく死産になるところでした」
「生まれる前から苦労人だね」
 笑いながら言うと、
「笑いごとじゃなかったんですよ。いま、助産婦さんに赤ちゃんを連れてきてもらいます」
 トモヨさんはコードのついたブザーを押した。カズちゃんが立ち上がり、ドアに出迎えた。全身エプロンのような白衣を着た女が、布にくるんだ赤ん坊を抱いてやってきた。トモヨさんが受け取り、私に見せる。丸い顔の、目を閉じた物体がむにゃむにゃやっている。
「見て、郷くん、光源氏の直人よ」
「話に聞くほど、赤くてシワシワじゃないんだね」
 カズちゃんが、
「直人は特別よ、ね、××さん」
「はい、ちょっといないぐらい、色白のかわいらしい赤ちゃんです」
 ××と呼ばれた助産婦がトモヨに赤ん坊を渡す。カズちゃんは、
「社交辞令じゃないのよ。新生児室を見てきたんだから。みんな赤くてくしゃくしゃ」
「お嬢さん、そんなこと言ったら失礼ですよ」
「だって、ほんとうなんだもの」
 トモヨさんはベッドに起き上がり、直人という名の新生児に頬を寄せた。やつれた顔が幸福そうにほころんでいる。ピンク色の男の子は、縫い合わせたように目を閉じて、薄く口を開け、やっぱりむにゃむにゃやっていた。よく見ると、猿のようではなく、じつに張りのあるかわいらしい顔をしていた。布の首のところに、昭和42・8・15生・北村直人(きたむらなおと)とルビを振った名前が書いてあった。赤ん坊を見てやさしく微笑むトモヨさんの茶色い顔にこれまでの切なかった人生が刻まれていた。その人生を貴い宝石のように感じた。
「長生きしてね」
「はい」
「二人とも」
 カズちゃんがアハハと笑い、
「直人は長生きするに決まってるじゃないの」
 私も笑った。二人いっしょに長生きしてね、と言うと、彼らから私が逃げようとしていると思われる気がして言わなかった。トモヨさんは心配そうな顔で、
「私がこんなに幸せなのに、文江さんは……」
「禍福はあざなえる縄のごとし。文江さんもすぐに幸せになるわよ。さっき、顔を出してきたの。たった四日間でバリバリに快復しちゃって。もう色気が出てきてるのよ。あの人は心配ないわ。トモヨさんが不幸になるとしたら、直人絡みかな。子育て、がんばってね」
「はい、元気で、誠実な子に育てます」
 不意に文江さんよりも哀れな姿で節子のことが思い起こされた。
「これで、八月八日だったら、キョウちゃんの希望どおりだったのにね」
「え?」
 トモヨさんが首をかしげる。
「先月、キョウちゃんが言ってたのよ。私が三月三日で、キョウちゃんが五月五日で、トモヨさんが十一月十一日。生まれてくる赤ちゃんも八月八日にならないかなあって」
「まあ、残念! でも、生まれるのも死ぬのも本人まかせですから、どうしようもないですね。私は母親になれただけで大満足」
 みんな笑い、助産婦まで笑った。節子の誕生日はいつだろう。アワ・ラブ・イズ・フォエバー。二月に二十一歳になりました、と書いてあった便箋―。
「じゃ、××さん、もう顔見世は終わりました。ありがとうございました」
 白エプロンの女はトモヨさんから直人を抱き取って、ドアを出ていった。
「文江さんを見舞ってくる」
「だめよ、キョウちゃん、自分のいまの状況を考えなくちゃ。文江さんに甘え癖がついちゃったら、この先不都合な目に遭うのはキョウちゃんなのよ。トモヨさんもキョウちゃんに会えたのは、きょうが特別な日だから。私たちの目標は、これからはたった一つ。もうお母さんからも世間からもちょっかいを出されないために、キョウちゃんがスムーズに受験勉強できるようにすること。それがうまくいきさえすれば一段落つくわ。そのあとにも一越え二越えしなくちゃいけない山はあるでしょうけど、いまよりはずっと楽な上り坂だと思う。キョウちゃんの天命に比べたら、病気がどうの、子供がどうのなんて、羽毛の軽さよ」
 トモヨさんは大きくうなずき、
「お嬢さんのおっしゃるとおりです。私たちは、郷くんの命のおこぼれをもらって生きてるんです。だから、郷くんが生きているあいだだけの命。郷くんが生きていくじゃまをしたら、私たちの命にも関わります」
「やあ! とてつもない話になったなあ。東大に落ちたらどうなるんだろうね。天命みたいなものもいっしょに吹き飛んじゃうのかな」
 カズちゃんは私の尻をポンと叩き、
「どうにもならないわよ。肩についたシズクをちょっと払い落としただけのこと。とにかくいまは、キョウちゃんも私たちも自分を戒めて、余計な波風を立てないようがんばらなくちゃ」
「わかった。じゃ、帰って勉強するかな。写真をたくさん撮っといてね」
「はいはい。菅野さんを呼んで、いいショットを撮ってもらうわ。生まれたばかりのときの写真は、おとうさんが何枚か撮ったのよ」
「ときどき連絡入れる。山口がくる日も知りたいから」
 帰り道、公衆ボックスに入り、電話帳で調べて日赤病院に電話した。節子を呼び出してもらった。
「キョウちゃん、おめでとう! 赤ちゃん見てきた?」
「うん、いまその帰り」
「めずらしいくらいかわいらしい子よ。キョウちゃんそっくり。臍の緒が……」
「首に巻きついてて、危なかったらしいね。羊水もウンコまみれで」
「そう、でも、すぐ泣き声を上げてくれて、すごい生命力。感動したわ」
「ありがとう。忙しいところ、ごめん。節ちゃんの誕生日が知りたくて電話したんだ」
「まあ、そんなことで。二月十一日。今年から建国記念日という祝日になったらしいわ」
「神宮の参道を二人でよく歩いたね。あのとき、節ちゃんは二十一歳だった。……両側が林の暗い道をよく思い出すんだ。牛巻病院へ帰っていった後ろ姿とか。……あんないい思い出をくれた節ちゃんを、ぼくはないがしろにしていた。ごめんね」
「……やさしい人。私も、いつも神宮の砂利道を思い出すの。そして、とても澄んだ気持ちになる。自分があのときの気持ちのままだってわかってうれしい。愛してるわ。私、とても幸せよ。あ、婦長さんが見てる。じゃ、切るわね」
「うん、文江さんをよろしく」
「はい、心配しないで。バリバリ元気だから」
         †
 カズちゃんと七月の末にセックスをして以来、まったく性欲が湧かなかった。学校帰りに花の木の素子や、中村公園の節子を訪ねれば、手軽に発散できることはわかっていたけれども、とにかく女体に対していっさい興味がなく、夢精すらしなかった。たまに山崎さんがこっそりその類の雑誌を持ってきて、
「顔が青いぞ。いくら野球の練習で汗を流したって、これは別物だ。十日にいっぺんくらいは抜いたほうがからだにいいんだ。連れてってやろうか?」
 真剣な顔で誘ったが、私はただ笑い返すだけで、彼の置いていったきわどいグラビア雑誌にも目を通さなかった。
 中学時代に息子の早熟を目のあたりにしていた母は、常々その種のことを気にかけてはいるふうだったけれども、受験生らしく禁欲を通すことで目標に邁進しているようだと踏んで安堵していた。息子が無頓着にグラビア雑誌を部屋に散らかしているのも、逆に彼女の安心材料になった。秋に膝もとから手離して受験のために仮住まいさせることは、青森での経験に自信を得ているせいかか、かえって抵抗を感じないようだった。
 ―女が近づく危険はあるとしても、十八歳の男の性処理程度の付き合いですませるだろう。中三のころとは状況がちがう。期待を一身に浴びている〈東大〉受験をほっぽってまで時間をむだにするようなことはしないだろう。
 河原の練習は知れてしまったけれども、ソフトボール大会程度のレクレーションと考えている節があり、まさかプロ野球に直結しているとは考え及ばない様子だった。ただ問題は、受験の成功は一年でも延びてくれたほうが彼女の年来の思惑に沿っていることは確かなので、そのことで彼女の精神に混乱が生じているようだと感じられた。こうなったら一年でも早く名誉の親となって、クラブ活動程度のレクレーションを許しながら、とにかく卒業を待ち、その先の針路に干渉を入れる―まさか中退はするまいから。そういう混乱なのではないかと思った。
 しかし、そういう推測のどれもこれもが自分の思いこみにすぎないような気がしてきて、特に母が機嫌のいいときなどは、今回の連れ戻しはただ単に〈子供恋し〉の衝動から息子の都合などどこ吹く風でやってしまったことではないかと考えてしまうこともあった。さらにしかし、スカウトを撃退して以来の一つひとつの事実を考え直すと、やはりそれは信じられないことなのだった。どう考えても、この先の難関は東大中退の一事だろうと結論づけた。それが私の人生に不利な事態と喜べば彼女は黙殺するだろうが、プロ野球への取っ掛かりとわかれば猛烈な妨害をするだろう。


         七十一 

 二十日の日曜日に模擬試験の成績表の受け渡しがあり、わざわざ今池まで取りにいった。今回からは、得点のほかに偏差値という意味不明のものが記されていた。私は得点だけを見た。六割七分取れていた。国語百十八点、全国一位、英語百六点、全国二位、数学三九点、全国一八八二位、日本史十三点、全国四九三九一位、世界史二十一点、全国三一一六位、地学五十二点、全国三三位、合計三四九点、文系総合全国一位。
 その夜、食堂はドンチャン騒ぎになった。佐伯さんと飛島さん以外の全員に、とりわけ三木さんに頭をゴシゴシやられた。
「ね、所長、言ったとおりだったでしょう。キョウちゃんは夢みたいなことを成し遂げるって」
「驚いたな。佐藤さん、もう高みの見物しかないよ。学校で三百番だろうと五百番だろうと、関係ないということだよ。二度つづけば学校も黙るんじゃないの」
 翌日から、いっそう勢いのついた読書と勉強の日々に入った。せっせと図書館にかよい、机で教科書や参考書を開き、本を読んだ。
 おもに日本の現代作品を読んだ。衝撃を受けた作品は皆無で、井上靖の『わが母の記』と、遠藤周作の『沈黙』が印象に残った程度だった。ときどき、文江さんのことが胸をよぎった。
 数学Ⅰ、数学ⅡBの教科書の章末問題をすべて終えた。解答の確認は市販の虎の巻を使った。日本史は日本史精講を、世界史は世界の歩みをコツコツ読んだ。毎日いちばん時間をかけている数学と社会科の成果がいちばん薄いのを皮肉に思った。才能がないというのは、そういうことなのかもしれない。木田ッサーのバッティングのように。
         †
 八月二十二日火曜日の午前、庄内川から図書館のロビーに着いてすぐカズちゃんに電話した。文江さんの手術とトモヨさんの出産以来、彼女は八面六臂の活躍だった。
「文江さんは、再レントゲン検査でどこにも影はなかったようよ。トモヨさんは二十日に直人といっしょに退院してきて、もうおトキさんと台所に立ってるわ。動いたほうがお乳の出がよくなるんですって。直人、かわいいわよ。そうそう、よさそうなアパート、菅野さんが見つけてきたわ。名古屋西郵便局と榎小学校のあいだを入った、花屋って喫茶店のある通りがあったでしょう」
「うん。青果市場の環状線につながってる通りだね。美濃路というらしいよ。ぼくの通学路だ」
「環状線に出る少し前の細い道を入ったところにある大きなアパート。少し古いけど、畳は替えてくれるって言うし、カーテンをつけ替えれば、けっこう落ち着いて勉強できそうな部屋よ。いってみる?」
「いまからいく。その通りの環状線口で待ってて」
「菅野さんといっしょに花の木の家で待ってるわ。自転車を置いて、ひさしぶりに遠出しましょうよ」
「わかった」
 三十分で花の木に到着。菅野は玄関の框に坐って麦茶を飲みながらカズちゃんとしゃべっていた。
「よ、神無月さん、気に入るかどうかわからないけど」
「気に入ると思う。勘でわかる」
 白地に碧い水玉を散らしたワンピースを着たカズちゃんと、夏用の学生服を着た私を乗せて、菅野は五分ほど走った。バッティングセンターの駐車場に車を停めて、枇杷島の信号を歩いて渡った。
 彼の見つけてきたアパートは、環状線から曲がりこんだいつもの通学路の一筋目を少し入ったところにあった。生垣をめぐらしていない家が何軒も建てこんでいる。狭い道のそこだけ贅沢に引っこんだ空間に、二階建ての古ぼけた建物がひっそりたたずんでいた。《八坂荘》という看板がかかっている。玄関前のコンクリートの空間に住民の自転車が何台か停めてあった。
 カズちゃんが言っていた部屋は、二階の上がりはなにある十畳間で、ドアを引いて入ると、半帖の板の間にくっついて小さな流しがあり、半分がシンク、半分がレンジ台になっていた。板の間から踏みこんだ畳がベコベコとへこんだ。
「このアパートでいちばん広い部屋よ。ほかはぜんぶ六畳なんですって。共同便所と隣り合わせて造った関係で、広い部屋になったらしいわ」
「どういう関係?」
「ほかの部屋と引き離して、小さな子供連れの家族を置くつもりだったようよ。トイレが近いほうがいいからでしょうね。結局、子連れの家族はいま入居してないんですって。床板はだいじょうぶみたい。畳はぜんぶ替えてもらいましょう。このくらいのほうが受験生の部屋らしいんじゃない?」
「うん、やる気になる」
「ほんとに、こんなので、よかったですか」
 菅野がすまなさそうに言う。
「いいどころじゃない。ストイックでいい感じだ」
「よかった。五千円なら掘り出し物ですもんね」
「カーテンを替えて、流しにコーヒーメーカーを置いて、蒲団を北村から運んで、冬に備えて炬燵と石油ストーブを買えばいいかしら。部屋の蛍光灯も一式つけ替えなくちゃ。来年の三月までの部屋代、まとめて払っておくわ。しっかり勉強してね」
「もちろん、勉強一筋でいくよ」
「山口さんから連絡があったのよ。二十八日から三日間、遊びにくるって。だから、二十七日の日曜日に引越しすればいいわ」
「楽しみですね。今年は何を唄ってくれるんですか、神無月さん」
「行き当りばったりでいきます」
「水原弘の、君こそわが命、お願いします」
「菅野さんて、水原弘ばっかり」
「ぼくもその歌好きです。ちゃんと唄えるようにしときます」
 前の住人が忘れていった黄ばんだレースのカーテンが窓にぶら下がっていた。カーテンを引くと、隣家の瓦屋根が見えた。窓敷居の下の畳はそそけ立っていた。畳が替わればこの部屋は生まれ変わるだろう。
「さあ、知多までドライブよ」
「知多?」
「文江さんがなつかしがってたから、名物をいろいろ買ってきてあげることにしたの。家の様子も見てきたいし。節子さんに訊いたら、きょうは十二時からの夜勤だって。いっしょにいくことにしたわ」
 菅野が、
「神無月さんから電話がなかったら、三人でいくつもりでした。節子さんは十時半に名古屋駅前にきてるはずです。知多まで三十キロほどですから、一時間もあれば着きますよ」
「ふうん、どんなところなんだろう。見てみたいな」
 ちょうど節子の手紙が野辺地に届いたころ、寒い蒲団の中で知多の町を想像したことがあった。海とその水平線のほかは、まったく何のイメージも湧かなかった。
 節子はいつもの少し膝を屈める格好で、駅前の乗用車専用の舗道に立っていた。紺のミニスカートを穿き、開放感のある白の開襟シャツを着ていた。私が助手席から手を振ると、びっくりして、たちまち笑顔になった。
「きょうはすみません」
 そう言ってカズちゃんの隣に乗りこんだ。二人あらためて顔を並べると、美しいと思っていた節子がかなり田舎くさい造作をしていることがわかった。彼女自身もそれを気にしているようだった。
「和子さんと並ぶと、私、見劣りしちゃいます」
「だいじょうぶよ、不思議な色気があるから」
「美女二人です。神無月さんは面食いですからね」
 カズちゃんが、
「菅野さん、面食いって、たいてい女のほうなのよ。キョウちゃんはあとで気づくの」
「その結果、偶然美女だったと」
 節子が、
「和子さんは飛び抜けてナンバーワンです」
 菅野が首を振りながら、
「神無月さん、こういう会話、どう思いますか。レベル低くないですか」
 私は笑いながら、
「菅野さんの奥さんは、美人ですか」
「子供はかわいいです」
「しょってる。結局、ハタケがいいって言いたいの?」
「いや、種がいいと―」
「それは認めてあげる、宍戸錠さん」
 そう言えば、渡哲也よりも宍戸錠に似ていた。人のよさそうな宍戸錠だった。
「十九号線から二百四十七号線を通って、一時間のドライブになります」
 笹島から大須、金山、熱田神宮と抜ける。
「千年のほうへ回りましょうか」
「お願いします」
 千年の交差点に出る。
「ここから二キロも歩けば、東海橋だ」
「大将さんのアパートのそばね」 
 節子が、
「いちどいきました……」
「もうあのアパートはないんだ」
「人生で初めての冒険だったのに、私、尻尾巻いちゃって……」
 カズちゃんが節子の肩をポンと叩いた。もうやめなさいという意味だ。
「いつか会わせてくださいよ。伝説の大将さんに」
「松葉会の組員よ。会うのはたいへん。北村が大門のほうへ移ったら、ミカジメを受け取りにくるかもしれないわね」
 節子が、
「……ヤッちゃん、やっぱりヤクザになったのね」
「立派なものよ。脚もかなり治ったみたい」
「会いたいわ。でも、私を嫌ってたから……」
「いまの事情を話せば、機嫌を直すわよ。いずれ、ゆっくりね」
「はい」
 堀川を渡って、道徳へ出、名鉄常滑線に沿って走る。天白川を渡った。このあたりまでクマさんとドライブしたことがあった。名和から東海市、さらに知多市に入る。節子が、
「知多市は広いんです。私のふるさとは、岡田という町です。海沿いからちょっと入りますけど、海はちゃんと見えます」
 長浦という駅から少し内陸へ登る。白壁、黒壁、なまこ壁の屋敷がつづく。
「みんな木綿問屋です。知多木綿」
 遊郭のような構えの二階家もある。降りて、散策することにする。菅野が、
「私、先にいって、一キロほど先の坂下で待ってます」
 アスファルトの照り返しの中を、女二人と海に向かう急坂を下っていった。岡田神明社、慈雲寺、種徳寺。神社もちらほら混じる。
「あの背高の細長い建物は?」
「お祭りの山車をしまう鞘倉です」
 空色の木造二階建ての家が目を引く。赤いポストが立っている。
「岡田郵便局。明治の建物です」
 両側に石垣が迫る道のほとりの商店で、節子は母の好物だと言って、おかき、えび煎餅、いか煎餅を買った。小ぶりな川の先に緑がかった小さな入り江が海に向かって口を開けている。その彼方の海があまりにも遠くて広いので、波の音は耳に届いてこなかった。海原のこちらに知多半島の影がぼんやりと見え、それが陸続きに湾を囲んで青垣をなしていた。
 坂がだらだらのくだりになった。曲がりくねった白い道に強い光が落ちている。道の半ば、丘の裾の林に、海を見下ろす形で狭い墓地が開けていた。墓地を囲むように民家が固まっている。そのあたりは風の当たらない陽だまりになっていた。
 丘の上の家々から子供や女たちの顔が覗き、この在所で見かけない者どもが坂をくだっていくのを見下ろしていた。そういう顔に出会うごとに、私は一歩一歩深く、知多の空気の中へ入っていくように感じた。野辺地をあらためて歩き直したときの気持ちに似ていた。
 坂道の底にマッチ箱のように小さい建物が見え、目がすぐにそれを捉えた。その向こうは波のないコバルトの海だった。
「知多日赤病院です。名古屋に戻るまで勤めてました。あの病院の院長先生に中村日赤を紹介してもらったんです」
 私たちは金色に照り返す坂道を下っていった。坂は意外に長かった。空と海を分ける水平線がゆるやかなカーブを描いている。海からの反射がまぶしい。病院の輪郭が大きく鮮やかに見えてくるにつれ、別の市街地が迫ってきた。背後に丘をいただいていた。菅野が車のドアの前に立って、アイスキャンデーを嘗めている。
「通りがかりのキャンデー売りから買ったんですわ。なつかしい味です」



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