九十六
小春めいた天気が数日つづいたある夕方、とつぜん横山よしのりが訪ねてきた。吉永先生は私の部屋で懸命に味噌汁の味噌を漉(こ)していた。
「おお、よしのり!」
「約束どおり出てきたよ」
訛りがすっかり取れている。
「約束?」
「おまえを追っかけていくと言っただろう」
「そんなこと言ったっけ」
「言った。バーテンの腕上げたら、そのあとおまえについて歩くと言った」
「ふうん。で、腕は上がったの」
「バッチリだ。しかし、ここらあたりにはバーテンの仕事がないんで、そこの枇杷島って青果市場で荷役をすることにした」
「よくぼくの居場所がわかったね」
「合船場のバッチャから飛島建設の住所を聞いて、はるばる訪ねていった」
「社員の人たちはここを教えてくれなかったろう」
「ああ、大事な時期だから、来年の春に教えるってな。まあ、俺も腰を据えようと思ってたからそれでもいいやって帰ろうとしたら、おめのカッチャが門まで追ってきてここの住所を教えてくれた」
母の意図はわかった。なるべく勉強時間を奪いたいのだ。
「居候するのも迷惑だろうから、アパートを決めた」
吉永先生が興味深そうな顔で話を聞いていた。よしのりは依怙地に彼女のほうへ視線をやろうとしなかった。むろん挨拶もしない。
「おまえのカッチャには初めて会ったが、キツそうな人だな。受験が近い時期だから、じゃましないようにしてくれって言われたよ」
しっかり筋は通しているが、行動が矛盾している。
「めったに遊びにこないから安心しろ。……野球で有名になっちまったな。意外な展開だ」
「そうか」
「詩は書いてるか」
「書いてない」
「おまえの使命はそれだぞ。忘れるな」
「ぼくの使命をおまえが決めるのか……」
「おまえをいちばん知る者だからな」
「へえ……。めし食った?」
「食ってないが、人の恋路のじゃまはしない。天神山公園のそばの、木下アパートってとこにいる。二号室だ。たまには顔を出してくれ」
先生が振り向いて、
「西森さんと同じアパートよ。二号室はお隣ね」
「ああ、あの親切な人ですか。丁寧に声をかけてくれましたよ。蒲団と文机を買いたいって言ったら、店の場所も教えてくれました」
「いい人なんです。仲良くしてあげてください」
「はいはい。じゃ、神無月、俺帰るから」
「送ってくよ。先生、めしは帰ってから食う」
自転車の荷台に乗せて、よしのりを送っていった。ゆっくりペダルを漕ぐ。
「しかし、びっくりしたよ」
「たった三年しか経ってないぜ。きのう別れたみたいなもんだ。そのあいだにおまえは有名人になっちまった。神無月という男は俺の友だちだ、と言ってもだれも信用しない。……で、おまえ、ほんとに東大で野球をするのか」
「風の吹き回しでそうなった」
「それならそれでいいさ。あのころはおまえに何の風も吹いてなかったからな。まあ、喜ぶべきことだろう。ところで、来年小笠原が返還されることになったな。奄美は五十三年に返還されてるが」
「何だそれは」
「小笠原諸島の戦後処理を学校で習わなかったのか」
「たぶん習ってるんだろうけど、真剣に授業を受けてないから記憶にない」
「硫黄島のある群島だよ。戦後ずっとアメリカに占領されてた。それが来年返還されて東京都に組みこまれる」
「それが?」
「それが、じゃないだろ。軍事基地はそのままでいいから、返したほうが何かとアメリカの利益になるよって、栄作がうまい具合にジョンソンを言いくるめたんだ」
「なんで言いくるめられたのかな」
「ソ連と中国が対立しはじめたんで、極東基地の意義が薄れたんだな」
「じゃ、言いくるめられたんじゃなく、渡りに船じゃないか。おまえは学生運動にでも手を染めたのか。政治運動は宗教だぞ。気をつけろ。ぼくには興味のない話題だ。これからはその手の話をするな」
「いつまでも政治音痴なんだな。ところで、なんだ、あの山出し。えらそうに腰に手を当てて味噌汁かき回してたぜ。センセイって言ってたが、学校の先生か?」
「うん、ほら、そこに見える高校の保健の先生」
「これがおまえのかよってる高校か。あの様子だと、センセイ、おまえに惚れてるな。やっちゃったのか」
「うん。よしのりも十和田で、だいぶ経験積んだんだろう?」
「まあな。仕事が仕事だからな」
「枇杷島の仕事は、どう?」
「今朝一回やったばかりでまだつかめないが、バーテンとちがって、朝早くてさ。夜明けの四時に起きて、朝の七時に日銭を受け取って、それで一日終了。時給千円。名鉄百貨店のレストランの冷蔵庫に食材を運びこむ仕事だ。おまえが東京に出たら、ちゃんとバーテンをする。どうも朝は苦手だ」
私は木下アパートの玄関から手を振って引き返した。よしのりも引き留めなかった。
炬燵にちょこんと坐った先生が笑顔で待っていた。
「待った?」
「すごい美男子ね。キョウちゃん、顔負けよ」
「よろめいちゃいそう?」
「輝きがちがうわ」
キンメの煮つけと、きんぴら牛蒡と、ワカメの味噌汁だった。うまかった。
「魚の食べ方、へたァ」
私の残したキンメを箸で丁寧にほぐしながら口に運ぶ。
こちらから持ちかけて吉永先生を抱いた。先生の肉体は穏やかな快味で満足するのを習慣とするようになった。別種の清潔な生き物を見ている気がした。私も心から満足した。すると、女ばかりでなく、有機的な生命だけを愛しながら死んでいきたいという願いが湧いた。道端の草や、揺れる葉のために、さまよっている犬や猫のために、信号を渡る人びとのために、即刻命を投げ出すことができると感じた。
†
夕方、名鉄百貨店で愛田健二の琵琶湖の少女を買ってきて、吉永先生に借りたポータブルプレーヤーで聴いた。愛田健二と声を合わせて唄ってみる。
「おーい、めしおごるぞ。ノッてるな。相変わらずの美声だ。廊下まで聞こえてたぞ」
ドアを叩いたよしのりと花屋へいった。扉を開けると、テレビの前に客がひしめき、笑い声が沸き返っている。
「あ、神無月さんいらっしゃい!」
女将が客の中から首を伸ばす。
「ナポリタン大盛り二つ」
藤猛(たけし)という声がテレビから聞こえた。ボクシング解説者が試合前の昂ぶった声を上げていた。
「あ、これか……本田の言ってた藤猛は」
「フジタケシ?」
よしのりは政治以外には疎いようだった。厨房から主人が愛くるしいパンダ顔を伸ばして、
「藤の初防衛戦だよ!」
店内は満員で、藤に千円、クァルトーアに五百円、という声が飛び交っている。胴元は花屋の女将が勤めているようだった。そういえば、最近本田は近寄ってこない。一心に机にうつむいて勉強している。本田にかぎらず、そもそも教室で私に話しかけるやつなどマレで、金原や田島たちも例外ではない。あの水野でさえ、近寄ってくるどころか、視線も合わせずせっせと勉強している。
「何者だ、フジタケシって。このちょび髭か」
「うん。めっぽう強いボクサーで、たいてい二ラウンドか三ラウンドでノシてしまうらしい。ぼくも初めて見る」
晩めしのつもりできたので、婆さんが店の隅に用意した予備のテーブルにつく。客たちは興奮して、
「藤のハンマーパンチ食らったら、ひとたまりもないやろ。グローブの上からでも吹っ飛ぶで」
本田と同じことを言っている。四月のサンドロ・ロポポロとの戦いぶりがビデオで流れた。藤猛のパンチがこめかみに当たった瞬間、ロポポロはロープへふっ飛んでいって気を失った。ゾッとした。
「バケモノだな」
よしのりが目を剥いた。女将とお婆さんが一皿ずつ持ってくる。
「お待ちどうさま。大盛り。あなたたちは賭けちゃだめよ。あら、初めて見かける顔ね。紹介して」
「青森の友人の横山よしのり。バーテンです。青森から出てきたんですよ。いい働き場所がないんで、いま枇杷島の青果市場でバイトしてます。ぼくが東京に出たら、東京でバーテンをするそうです」
いい男やネエ、歌舞伎役者みたいやが、とお婆さんが言った。よしのりは、
「よく言われます。神無月ほどではありませんが、顔には自信があります」
女将はお婆さんと目を見合わせておかしそうに笑った。ゴングが鳴り、藤が一発ものすごい空振りをすると、客たちが夢中になって応援しはじめた。
「お、きょうは一ラウンドから振った。いけいけ、一発当たれ!」
「うまいなあ、よけるの、さすがテクニシャンやで」
やがて藤はパンチをいっさい出さなくなった。
「ふだん一ラウンドはいかねえんだよ」
「二ラウンド期待だな。走ってって、一発、ゴン! それでお終いだ」
ところが二ラウンドも不発、三ラウンドに入っても藤のパンチは宙を切るばかりで、かすりもしない。藤が空振りをするとクァルトーアは左ジャブ、左ストレートを返す。よしのりは苛立ち、
「なんだ、荒っぽいボクサーだな。ほんとにチャンピオンか」
「でもあのパンチ、ブンブン音が聞こえてきそうだよ。たしかに当たったら吹っ飛ぶと思うな」
四ラウンド、クァルトーアは藤猛のパンチの風圧に押されてロープに追いつめられるたびに、巧みに抱きつき体重を預ける。いやな空気が流れはじめた。と思った瞬間、右フック一閃。クァルトーアがマットにもんどりうった。
「やったァ!」
やんやの喝采になる。スパゲティを食い終わったころ、吉永先生がやってきて、三人でココアを飲んだ。先生は騒いでいる客たちを楽しそうに眺め回した。
「こんな賑やかなの、きっと花屋始まって以来ね」
「よくここにいるってわかったね」
「二人が出ていくとき、廊下から花屋って聞こえたの」
「藤猛って知ってる?」
「知ってます、職員室の噂で聞きました。見たのは初めて。勝ってるの?」
「もう勝った。ノックアウト」
「腹へってんだろ。先生も何か食いな。俺のおごりだ」
「じゃ、ホットケーキ」
あの主人がホットケーキまで焼くのかと思った。五分もしないうちに、バターを載せた三段重ねのホットケーキを婆さんが持ってきた。吉永先生は蜂蜜をかけ嬉々として食べる。
「神無月。帰ろう。つまんねえもの見ちゃったな。チョン、チョン、ゴン、バタン。あれで世界一位の挑戦者とはな」
花屋を出て、三人で環状線沿いのパチンコ店へいった。椅子を並べて玉を弾いた。先生はキャッ、キャッ、と声を上げて喜んだ。あっという間に三人とも皿が空になった。大笑いしながら表へ出た。
「じゃ、私、教務報告書を書かなくちゃいけないから、先に帰ります。二人でごゆっくり。お酒飲んじゃだめですよ。ホットケーキ、ごちそうさま」
先生は街道を渡って戻っていった。よしのりが夜の散策をしたそうだったので、青果市場の周りをしばらく歩いた。
「神無月、恵美子が手紙ほしいってさ。暇なときに書いてやってくれないか」
夜空を見上げながらよしのりが言った。出っ歯の猿面を思い出した。
「ごめんこうむる。手を出す気にならない女に、ハナから無責任なことをしたくない。恵美ちゃんは高一だろ。どこの高校だ?」
知っていて訊いた。よしのりはとぼけて、
「さあな。チビタンクの妹は青高にいった。神無月以来の快挙だ。知ってんだろ?」
「ああ、こっちに手紙をくれた。青森にも二度ほど訪ねてきたよ。野球の応援にもきたし。山田三樹夫の妹といっしょにね」
「……ごめんこうむる、か。恵美子は内気だからな。ところで神無月、おまえが書き溜めた詩を見せてくれよ。読みたいんだ」
「書いてないって言っただろ。もう、ノートは手もとにない。ぜんぶ恋人に預けてる」
「恋人って、あの先生じゃないのか」
「青森まで追いかけてきて、中三の十月から高二の八月まで二年間ずっとそばにいてくれた恋人だ」
「ほんとかよ! 野辺地じゃ見かけなかったが」
「野中の裏にひっそりと一軒家を借りてた。青森では青高のそばにやっぱり一軒家を借りて暮らしてた」
「驚いたな! 会えるか、その女に」
「いつでも会える。このすぐそばに暮らしてる。ぼくから離れたことはない。もともと西松建設でお袋の下働きをしていた人だ。女子大を出たのに、あえて飯場に勤めて実践的な料理の勉強をしたんだ。小学五年生のぼくを男として恋したと本人は言ってる。その当時結婚していたけど、その気持ちを大事にするために離婚して、十五のとき、ぼくの最初の女になってくれた。以来ずっと心変わりせずに慕ってくれている。いま三十三歳だ」
「たまげたな! じゃ、あの先生は浮気か」
「ぼくは、浮気はしない。青森時代に関係した女を含めてほかに何人かいる。だれとも関係を断ってない。カズちゃんは、ぜんぶの女を把握してるし、理解もしてる。この話はいずれする」
「話をされる前に訊いていいか」
「何だ」
「おまえが野辺地に送られる原因になった女はどうなった」
「偶然再会して、ヨリが戻った」
「―ツヤ話じゃ退屈しそうもないな。人数なら、たぶん俺も似たようなもんだろうけど、全員と関係をつづけることはとてもじゃないけどできん」
九十七
よしのりはアパートの玄関で手を振って帰っていった。部屋に戻ると、吉永先生がドアを叩いた。
「あれだけでお腹いっぱい?」
「散歩したら腹がコナレてきた。何か食べるものある?」
「いっしょに食べましょ。豚汁。私、夕食まだだから」
「ごちそうになるよ」
「来週の二十五日の土曜日は、実力試験のあと、学校の忘年会で遅くなります。憶えておいてね。いきちがいになったら、キョウちゃん心配するから」
「豚汁のあと、する?」
「きょうは危険日なの。いいのよ、やさしくしないで」
めし一膳と、豚汁をどんぶり一杯食った。
「味つけ、いつも上手だね。カズちゃんに負けないくらいだ」
「うれしいわ、和子さんと比べてもらって。……キョウちゃんの恋人って、和子さんみたいにきれいな人ばかりなんですか?」
「キザな言い方だけど、心がね。先生もそうだ。心を感じてからきれいに見えるようになった。顔の造作は美人とは言えないけど、卑しくない。ふっくらと輝いてる。からだは人形のようにかわいくてグラマーだ。ぼくの女の中では、いちばん胸が大きい。性欲を湧かせる顔とからだだ」
「キョウちゃん……」
股間に手を入れる。ベッドへ抱き上げ、開く。先生の腹の上に射精する。白いかたまりがみぞおちまで飛んだ。
†
服をつけると、吉永先生は少し不安そうな顔で言った。
「私、これから西森さんのところへいってきます」
「どうかしたの?」
私も服を着た。
「今月、ちょっと、おねえさんへの仕送りがピンチになっちゃって、西森さんに相談してお金借りようと思うの」
明るく言う。
「ぼくとの付き合いで、しわ寄せがきちゃったんだね。使わないようで、けっこう使ってるからね。だいじょうぶだよ、たっぷり余ってるお金があるから、あげるよ」
ピクリと先生の肩がふるえた。
「そんな……ぜったいキョウちゃんには迷惑かけられない」
「迷惑じゃない。このあいだ言ったとおりだよ。いくら?」
「やっぱり、借りにいきます」
「まいったなあ、金はくれようとしない人から借りちゃだめだ。好きな人にあげたり、好いてくれる人からもらったりしなくちゃ。それでこそ金が生きるんだよ。小額の金なんてそうやって楽しく使うものだ」
「それほど小額じゃないの」
微笑しながら私を見つめる。私は、
「十万くらい? 七、八万?」
「まさか、私の給料が二万七千円よ。一万二千円」
「ええ! それっぽっちなの。その五十倍は持ってる」
「ほんと!」
「ああ。いつもカバンに五十万以上の金が入ってる。女神が定期的にくれるからね。使わないからどんどん貯まってくんだ。心配しなくていい」
すぐに部屋に戻って、十万円の金を持ってきた。
「はい、あげる。これでしばらく送金できるね」
「……ありがとう。なんだか怖い」
「何が怖いんだ。受け取らないなら別れる。気分が悪い」
「いやだ! ごめんなさい、もらいます。ほんとにありがとう」
「じゃ、ぼく机に戻るよ」
「でも西森さんと約束してたから、いくだけいって断ってくる」
「金ができた理由をその先輩に言わないこと。人は尋常なことしか認めないからね。のんびりいってきて。心配しなくていいから」
吉永先生はうなずいた。挙げた顔に鼻水が垂れていた。腰を上げようとしない。
「ついてってあげようか、アパートの玄関まで」
「それはいいんだけど、断る理由が……」
「花の木のカズちゃんから借りたって言えばいい」
「それ、だれ、って訊かれちゃう。西森さんとしては、私を差し置いてって気になるでしょう?」
「面倒だな。よし、借りちゃいなよ。そして、月賦で三回ぐらいで返せば信憑性があるだろう」
「そうします! じゃ、いってきます」
†
十一月二十五日土曜日。晴。十一・五度。最終の期末テストを終えて帰る。社会科のできの悪さに落胆する。
花屋の町並を歩いていると、どこからか気の早すぎるクリスマスソングが流れてきた。私には縁遠い年中行事だけれど、明るい気分になる。
吉永先生に誘われためしも食わずに、深夜までぶっ通しで日本史の勉強をする。元禄時代。淀屋辰五郎に興味が湧く。権力に反抗した歴史上ただ一人の商人。俠(おとこ)だ。この男の生涯をだれか有能なストーリーテラーが表現してやらなければならない。学問として研究するのではなく、文化的背景や、人間関係や、元禄文化への融合性や、反骨の人となりや、緻密な人間関係を詳しく調べ、作品として創りあげ、〈オトコ〉を造形してやらなければならない。
十二時ごろ吉永先生がドアを叩いて、にっこり笑い、
「このあいだはありがとう。うまくいきました。三カ月月賦で四千円ずつ返すことにしました」
とひとこと言って、廊下を戻っていった。ラジオを点けると、ブルー・コメッツのブルー・シャトーが流れ出してきた。きらいな曲なのですぐ切る。
†
二十六日日曜日。河原の練習を周回十本で切り上げ、きょうも不得意な世界史の勉強にかかる。大沼所長からもらった林健太郎『世界の歩み』はどうにか読み終えたので、あとは単元ごとのヤマをかけるしかない。きょうは山川の世界史でイスラム文化史に着手。まず、王朝名を時代区分する。
地中海沿岸ウマイヤ朝、七世紀から八世紀。
アッバース朝、八世紀から十三世紀。
イラン・イラク地域ブワイフ朝、十世紀から十一世紀。
セルジューク朝、十一世から十二世紀。
地図が重なり、時代が重なって、わけがわからなくなる。わけがわからないまま、各朝に文化事項や人名、政治制度をくっつけて暗記していく。
ウマイヤ朝やアッバース朝におけるアターと呼ばれる軍人や官僚の俸給制度は、カリフに対するマムルークなどの軍人政権の下剋上により廃止され、ブワイフ朝はイクター制を始めた。日本史で言う本領安堵に近いものだろうか。この制度はセルジューク朝のニザーム・アルムルクによって改良され、イスラム国家運営の柱となる。書かれている手段が活字だとわかるだけで、何が書かれているのかはいっこうにわからない。
ほかに、イスラム教、アラビア語、融合文明、民族差別の否定。
西ゴート王国のトレドはヨーロッパのイスラム文明の取り入れ口。
そのほか、人物名、建築物名、芸術、宗教、言語、法制度……。万華鏡だ。これはいいかげんにやめたほうがいい。何を勉強しているのか、さっぱりわからない。西高の世界史トップは、大沢という色の黒いチビだが、教科書が汗と手垢で真っ黒くふくれ上がっている。こんな羅列知識のどこに興味を抱いたのだろう。水野も社会科は世界史で受けると言っていたが、だいじょうぶか?
一時間ほどでつくづく飽きた。夜の九時を過ぎている。よしのりの顔が見たくなり、自転車を飛ばして木下アパートへいった。
―あいつなら、こんな勉強、カメラ眼に納めてバッチリだろうな。能力というのは必要としないやつには恵まれるし、必要とするやつには恵まれないもんだ。
二号室の窓に明かりがあってホッとする。ドアを叩く。
「おお、神無月、どうした。上がれ」
文机の上に漫画の単行本が広げてある。机の脇にも何冊か積んであった。
「息抜きの散歩ついでに、頭のいい人間の顔を見にきた」
「からかうな」
「何だ、その漫画は」
「永島慎二。フーテン。名作だぞ」
漫画少年だったころの血が騒いだ。
「ぜんぶ貸してくれ」
「ああ、くれてやるよ。持ってけ。じつは頼みがある」
「何だ」
漫画本を三冊だけ持って廊下に出る。
「暮れの二十五日から大晦日まで、市場のアルバイトを代わってほしい。朝五時から七時までだから、勉強には大して支障は出ないと思うんだ」
まったく支障はない。そこからランニングに出ればいい。
「いいよ。どうした?」
「オヤジがそろそろ逝きそうだ。あしたあさってじゃないみたいだが、もし看取れるものなら看取ってくる。元旦の午前に帰る」
彼は長女に置き捨てられた子なので、オヤジというのは育ての祖父ということになる。一度も顔を見たことはない。
「……そうか。二十四日の日曜は最終の駿台模試だ。校内受験だから六時半に帰れる。二十五日からなら問題ない」
「荷積みの運転手には来月中に会わせる。せっかくきたんだ、飲みにいこう。いい店を見つけた」
「ただの散歩で寄ったんだ。そんな気分じゃない」
隣部屋の女がヌッとドアから顔を出し、
「廊下で立ち話しないでください」
と神経質な声を上げた。これが吉永先生の友人か。予想していたとおり骨っぽく痩せて、股間に潤った生殖器のあることを想像させない女だった。文芸クラブがこんな乾いてちゃいけない。
「すみません、すぐ帰ります」
私は頭を下げた。よしのりはジャンバーをはおり、廊下へ歩み出た。漫画本を荷台に縛りつける。
「とにかく、飲みにいくぞ」
「ぼくは飲まない。おまえも朝早いんだろ」
「遅くまで飲んでたほうが体調がいい。この何年かで、そういうからだになってしまった。じゃ、おまえは俺を送り届けたら帰れ。……いつか詩集をまとめたら貸してくれ。なんと言えばいいか、俺みたいな唐変木にはうまく言えないけど……おまえの詩は魂を洗う。いずれ世に出なくちゃいけないものだ。世に出すのが、むかしから俺の第一目標だ。せいぜい書き貯めてくれ」
よしのりは漫画本の上に尻を載せた。
「ててて……」
二人乗りで中央郵便局の前を通って榎小学校の塀沿いに菊ノ尾通りへ出る。右手の角を三百メートルほどいったところにスナックの看板が青く灯っていた。詩音という字づらが目にやさしい。
「シオン、か」
「ああ。ママさんてのが、亭主が死んで五年、貸間ありってやつだ。早々と一発やっちゃったよ。大味だったな」
ちょうど通りの反対側に、研(とぎ)の父親が入院していた済生会病院がそびえていた。もうあの痩せこけた父親は死んだのだろうか。たぶん死んだろう。自分とは関わりのないことだけれども、肅条とした気分になった。
†
漫画を机に載せ、まだ明かりの点いている吉永先生の部屋を訪ねた。
「心配しちゃった!」
「よしのりと散歩してた。忘年会から何時に戻ったの」
「八時半くらい」
「八時過ぎに木下アパートにいったから、いきちがいだったね。西森さんの顔、チラッと見たよ。よしのりと廊下で立ち話してるのを叱られた。かなりバリア張ってる人だね。からだ全体が金網みたいだった」
「よかった、キョウちゃんの気に入らなくて」
「さすがに、あれは」
「ふふ。実力試験、どうでした」
「相変わらず。社会科がちょっとね。忘年会は楽しかった?」
「最後だと思って愉しみました。信也さんが、神無月に挑戦! て叫んで、五百マイルを唄ったわ。へただった。別の意味で泣けちゃいました」
声を合わせて笑った。吉永先生は、なつかしそうな顔で、
「冬休みに入ったら、松の内のあいだまで高知に帰ってきます。おねえさんにひさしぶりに会って積もる話をしたい。二年も帰ってないから」
「ぼくは勉強に拍車をかける」
「二十四日の駿台模試が終わったら、勉強一本槍になりますね」
「うん」
炬燵でコーヒーを飲んでいるうちに、ひどく眠くなってきたので、
「部屋に帰って寝る」
と言って立ち上がると先生も立ち上がり、腕に手を回して部屋まで送ってきた。そのまま私が蒲団に倒れこむと、先生は私を下着だけにして蒲団をかぶせ、そっと出ていった。
九十八
翌日、目覚めると、数日風呂にいっていないことに気づいた。日曜日。河原の練習が習慣になってから、目覚めるといつも日曜日だ。朝風呂をやっている銭湯はない。台所の水道でタオルを濡らして絞り、全身を拭いた。それからランニングに出た。
八坂の信号から、単調な風景の環状線を庄内川べりまで片道三キロの道を走る。帰りは適当に裏通りを走り、堀越公園に寄って三種の神器。思いついて、きょうから片手腕立てを始めた。右手二回がやっと。左手はやってみようとして臆病風が吹いた。一回もやらなかった。枇杷島へ戻って上更の交差点に出た。
―この数日バットを振っていない。
気がかりになった。バットを持ってもう一度庄内河原へ出かけていく。どんなときもランニングと、三種の神器と、都合がつくかぎりの素振りの練習。それだけは欠かさない。唯一の目標を忘れないためだ。それが〈彼ら〉との幸福な人生に直結している。河原で素振りを百八十本やった。
風呂へいく。花の木へ自転車を飛ばせばすむことだが、受験まではなるべく女のからだに近づきたくない。吉永先生はその気配を察している。八坂荘に越して以来、一度も飛島寮を訪ねていない。母も八坂荘に一度顔を出したきりだ。
†
十二月三日日曜日。晴。午前九時の気温、七・三度。今年最後の紅白戦ということなので、選手として出ずに主審をやらせてもらった。私のハキハキしたコールに選手たちが喜んだ。土手はすっかり枯れ草になっていて、一人の見物もいなかった。
一時に戻り、五時まで英語難問集、日本史精講、赤摂也数ⅡB。
†
授業はきちんと行なわれているが、出席者は三分の一に減った。出欠もとらない。私に役立つ授業は英文法、古文文法のみ。この二科目のある日は、帰宅後、江川泰一郎の英文法解説と古文研究法を二時間ずつ読む。数Ⅲ、化学、物理、政経の授業には出ない。役に立たないけれども学習のリズムのためと思って出る授業は、英文解釈、現国、古典、日本史、世界史の四教科。数Ⅰ、数ⅡB、生物、地学は授業自体がないので独学になる。
自炊はまったくやっていない。花屋は金を取らないのが心苦しいので寄らず、放課後正門前の定食屋で毎日品目を変えて食う。二週間に一度は宮宇でうなぎを食う。洗濯物は日曜日の夜にカズちゃんか素子が取りにくる。彼女たちは私の真剣な様子に当てられ、そそくさと帰る。この調子で師走も半ばまできた。七十八キロあった体重が七十三キロにまで減った。
ある夜訪ねてきたカズちゃんが、私の痩せ具合に呆れて、花の木の家へ連れ帰ろうとした。
「もう少し籠もってがんばる」
「吉永さんは訪ねてこないの?」
「くるけど、ほとんど帰ってもらってる。年末の二十四日から一月六日まで高知に里帰りするらしいし、みんな忙しい。いまが胸突き八丁だと思って一生懸命勉強してるんだ。ランニングと筋トレと河原の練習はかならずやってる。ジャージでね」
「倒れちゃったらどうするの。極端なことしないの。何ごとも適度にしなさい。お母さんはきた?」
「最初のころ一回だけ。煙草を吸って帰った」
「じゃ、だいじょうぶね。年明けまで花の木にきなさい。体力をつけなくちゃ」
「いけない。友だちに頼まれて、年末にアルバイトをすることになってる。それ以外の時間はぶっ通しの勉強になるから、受験まではだれにも会えない。みんなにも言っといて」
「アルバイト……。わかった。机から動きたくないのね。外で食べようとすればファンたちから放っといてもらえないし、吉永さんに作ってもらっていっしょに食べてたら、ムラムラすることもあるでしょうしね。了解。毎日、夕方だけお重を届けてあげる。机で食べなさい。でも、そこまでがんばってるときに、アルバイトなんかして、だいじょうぶ?」
「朝二時間だけ。相当きつい仕事だと思うけど、彼の顔をつぶさないように、しっかりやりたい」
「お友だちって、だれ?」
「横山よしのりというやつだ。野辺地の中学時代の友人なんだけど、ぼくを慕って名古屋に出てきた。アパートを借りて枇杷島の市場で働いてる。そいつの親父さんがそろそろ危いらしくて、年末に野辺地に帰ることになった。そのあいだ彼の代わりに働く」
「……松の内は?」
「勉強」
「おせちを持ってくるわ」
「ぜひ食べたいな。バイトは大晦日までだから、正月は空いてる。楽しみにしてる」
「私もいま自動車教習所にかようので忙しいから、そのときぐらいしか逢えない。受験までセックスは、元旦の一回だけにしましょう」
「うん」
洗濯物を持って帰った。
翌日の夜、重箱をつっついていると、よしのりが、頭の禿げあがった人のよさそうな男を八坂荘に連れてきた。ドアの前で立ち話をした。
「こいつをピンチヒッターで頼むことにしたから、よろしく」
「神無月です」
「私、真島仲買の石丸と申します。神無月さんが横山さんのお知り合いと聞いて、びっくりしました。天下の名選手に野菜担ぎをさせて、申しわけありません。私どももほかに人手のあてがありませんで、お頼みしようということになりました。二十五日から大晦日まで一週間、よろしくお願いします。水曜は市場の定休日なんですが、年末の一週間は休みなしです。朝五時から七時までの二時間、時給千円。即日払いです。市場から、私が運転する軽トラックに乗って名鉄百貨店までいき、野菜を下ろします。そこからこまかい仕事がありますが、私のあとをくっついてきてくれるだけでけっこうです。……東大受験、だいじょうぶですか」
「平気、平気、こいつ、むかしから学校の一番だから」
十九日から二十三日まで五日間、赤摂也の数学Ⅰと数学ⅡB、生物と地学の問題集、英語難問集と古文研究法を任意に二科目ずつ、朝から晩までぶっ通しでやった。読書と詩作は中断した。二十三日の夜は、旅支度を終えた吉永先生の部屋で自戒を破って交わり、彼女に幸福な眠りを与えてから自分の部屋に戻って泥のように眠った。
翌日の日曜日は最終の駿台模試の日だった。河原の練習はお休み。七時に起きて、洗顔をすませてから、カズちゃんが気を利かせて届けにきた重を食った。模擬試験の日だと知らせていたので、小さめの弁当も用意していた。
「最後の試験がんばってね。じゃ、またあした」
「ありがとう」
正弦定理と余弦定理の公式をしっかり暗記し直す。シャープペンシルを胸に、消しゴムをポケットに入れる。出かけるまぎわ吉永先生がやってきた。
「午後四時の寝台で帰ります。七日の夕方に戻ってきます。二週間も会えなくなるのは死にたいほどさびしいけど、これから一生会えることを考えたら何でもありません」
「お姉さんによろしく」
「ちゃんと伝えます。今後の計画も含めて」
廊下でキスをして別れた。
最終模試は校内実施なので、一般の予定より三十分早めて八時半に開始された。東大オープンと銘打ってあるが、国公立型模試と見なして、文系理系の生徒たちのほとんど全員が集まった。試験会場の体育館には、大型の石油ストーブがいくつか焚かれていたが、あまり暖は効いていなかった。女子生徒たちはたいてい膝掛けをしていた。真剣な顔の金原がいた。
試験のできは、英・国はふだんどおり、数学は意外なことに四角錐の問題を完答し、理科二科目が好調で、論文問題形式に変わった社会は不調だった。総合点は六割前後。全国の上位に名を連ねる手応えだったが、百位には入らないだろうと思われた。
帰りにお城のマンションへ自転車を飛ばし、ひさしぶりにトモヨさんを訪ねた。
「きょうはこっちにいたね!」
「あら、うれしいこと。お嬢さんから、郷くんはしばらくこられないと聞いたばかりでしたから。痩せましたねェ」
「根を詰めてるからね。受験まで、ここにこられるのはきょうが最後だと思う。まず直人だ」
すぐに直人の小さなベッドへ飛んでいく。かわいらしい小さな人形がもぞもぞ動いている。
「郷くんのおかげで、いい子に育てられそうです」
「ぼくのおかげ? どうして?」
「郷くんの子供だから、みなさんここまで大切にしてくれるんですよ」
天井からガラガラを垂らした部屋は、びっくりするくらい清潔に整っていた。
「これか、山口が送ってきたガラガラ。かわいらしいな」
「回すと、まだキョトンと見てます。乳母車は使うたびに大事に納戸にしまいますし、小箪笥を買って、ベビー服もきちんと整理しました。山口さんには、ベビー服を着せるようになってからの写真も、乳母車に乗せた写真も、ガラガラを見上げている写真も、かならず送ってあげなくちゃいけないわ。なんて心やさしい方なんでしょう。私だけじゃなく、旦那さんも女将さんも泣いてました。がんばって元気な子を産んでよかった」
枕もとに握り用のガラガラが置いてある。私に両手を差し出し、かわいらしく笑いかける。下歯がポチンと二本頭を出しかかっている。髪の毛が薄い。
「直人」
「アー」
「これは美しい子だなあ!」
「はい、五カ月目に入りました。腹這いにするとパタパタ手足を動かすんです。いろんなものを口に入れようとするので、しっかり見てないと、危ない、危ない」
「離乳食は?」
「来月ぐらいから十倍粥を。まだまだ母乳です。北村にいるおかげで、社会性豊かな子に育ってます」
「社会性?」
「知ってる人ににっこり愛嬌を振りまいたり、知らない人をじっと見つめたり、母親が手を差し出すと身を乗り出して抱かれようとしたりするような、そういう、人との交流面の情緒的な成長のことを社会性と言うらしいんです。本で読みました」
照れくさそうに笑う。
「夜泣きもほとんどしません。昼間は二時間から五時間、お昼寝をします。抱き上げると喜びますよ」
恐るおそる両脇に手を入れて抱き上げる。きょとんとして、すぐにニコニコする。ベッドに下ろすと、きちんとあぐらのお坐りをしている。
「かわいいな。夢中になりそうだ」
「私も忘れないで……」
上目で微笑む。微笑み返す。
「したい?」
「はい、もうすぐ寝就きますから。朝方まで起きません」
「一時間ほどで帰るね。勉強がある」
アルバイトのことは言わなかった。
「もちろん。郷くんの合格は、私だけじゃなく、みんなの願いですから。直人にも早く自慢したいし」
「子供にはわかりゃしないよ」
「ふふ、それでも自慢するんです」
トモヨさんは直人を仰向けにし、胸をやさしくさする。五分もしないうちに、みごとに眠りに就いた。
大きめのものに変えた書棚に、子供向けの本がたくさん並んでいる。すでに小学生用の机が部屋の隅に置かれていた。
「気が早いね」
「準備は早いに越したことはないですから。郷くんみたいに万能になるのは望めないとしても、心映えだけでも郷くんをうならせるような子に育てないと」
部屋のたたずまいも、トモヨさんの顔も、母子二人で生きていこうとする覚悟に満ちあふれている。
「まずは裸でご挨拶ですね。お腹に白い線が走ってるのは妊娠線。しばらくしたら取れるみたいですけど、こんなみっともないからだでも、してくれますか」
「もちろん!」
トモヨさんは隣部屋にいそいそと蒲団を敷いた。私はズボンとパンツを脱ぎ、トモヨさんを四つん這いにさせてスカートをめくった。
「あ、いま脱ぎますから」
「このままがいい」
下着を引き下ろし、尻を割る。
「すごく濡れてる……」
「郷くんの声を聴いてるだけで、たいへんです」
割れ目に亀頭を当てただけで、ビクンと痙攣する。挿入すると数秒も経たないうちに下腹がすぼまった。
「ああ、電気……」
一度目の気をやった。それからはアクメの発声を何度も聞きながら、抽送をつづけているうちに、強烈な蠕動がきた。
「ああ、大きくなってきました、うれしい、あ、あ、気持ちいい! イキます、ああ、出してください、出して!」
腹を抱えこんで射精の快美感を伝える。二人でふるえ合う。
「ああ、郷くん、愛してます!」
腹が絞られる。ふるえの余韻を感じ合う。スカートを首までまくり上げ、波打つ背中にキスをする。トモヨさんは膣で応える。大きな胸をシャツの上から両手で握り締める。たっぷりと母乳をみなぎらせている。
「ああ、そんなに握ったら、お乳が出てきちゃいます」
「もう、中は痛まないの」
挿入したままの背中に訊く。背中が答える。
「出産のとき、会陰(えいん)というところを切って縫うんです。そこがしばらく引きつったように痛かったですけど、もうだいじょうぶ。ゆるくなってません?」
「いつものように名器だったよ。温かくて、よく締まって」
「うれしい」
尻を撫ぜる。掌が汗でつるつる滑る。
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