十三

「ぼくはしばらくぼんやりしてしまい、子供らしくない諦念の中で野球や、気の進まない勉強をしていました。幸い勉強成績は下降していきました。そこへ、その敬愛する友が全身ヤケドを負って入院するという事態が出来(しゅったい)しました。ぼくは懸命に野球をし、適当に勉強をする日々を継続しながら、その友の見舞いだけは万難を排してつづけました。友情の価値を高く掲げ、夢中でかよいつづけました。何カ月にもわたって遅い帰宅がつづきました。そして、その病院で知り合ったある看護婦と男女の関係をつけるという、中学生にあるまじき失態もおまけのようにくっつけました。このことについては、スカウトを追い返されたという件がもとで、ヤケな気もちもあったからかもしれません」
 岡島が、
「その経緯も、野辺地中学校の担任から聞いた話として、東奥日報社の浜中氏より仄聞しております」
「そうですか……。そんなわけで、母はぼくという存在に絶望しました。不良はエリートになれない。しかしそれは表面上の絶望でした。わずかな希望をつないだ絶望です。ほんとうに絶望したら、何もかもあきらめて放任するでしょう。彼女が父への復讐を忘れるはずがない。一筋の望みは、ぼくの学習能力でした。一挙に友を奪い、野球を奪い、女を奪う、その上で勉強させる。そうすればぼくはかならずエリートとして蘇るだろう。そういう、ギャンブルのような決断をしたわけです」
 岡島が、
「青森遠島ですね」
「はい。方法はその一つしかありません。彼女の野心をゆるがせにしたというだけの理由で、彼女はぼくが築き上げてきた人生を帳消しにしたんです」
 仁が、
「そこまでして勉学に価値を置くというのは―」
「学歴にしか人生の価値はないとする、ある種の狂気です。母にとって知的エリートというのは、畏怖すべき権威集団のことです。信仰の対象でもあります。彼らは庶民を組み敷く魔王だと信じているんです。母のふだんの言動から明らかのように、彼女の信仰の核は庶民に君臨する東京大学でした。父は戦時中の韓国移民で、ソウル工業専門学校、いまのソウル大学、韓国ナンバーワンの学歴の持ち主です。それを凌ぐ大学というところがミソです。母は東大からすべての権力が派生すると信じている。もちろんぼくは信じていません。最高の権力は、愛です。たとえ青二才と言われようと、愛こそすべてを組み敷くものだと、いや、包摂するものだと信じています」
 母が東大に価値を置いていないという話は決してしない。話が複雑になる。
「……島流しされてのちは、ヤケの変形でしょうか、心が不思議なほど落ち着いて、野球をもう一度やる気などまったくない、もう野球について何一つ望みをかけようとも思わない、友も女も、もともと存在しなかったと考えればいい―そこまで気持ちがいってしまい、反動的によく本を読み、よく勉強をするようになりました。そして、青森高校という受験校に進学しました。こういう生き方も捨てたものじゃない、ひょっとしたら別の世界が開けるかもしれない、ほんとにそんなふうに思いが傾きかけました。試練よドンとこい、などとえらそうに構えていても、人は予想どおりの試練を選べないんですよ。予想しなかった試練の運命に呼ばれたとき、どう応じるか選択できるだけです。少年時代からの願いは―最初はうまくいきました。小学校、中学校と。しかし、そんなわけで、途中で干上がってしまった。恵まれた才能を捨ててほかのことに挑戦するほうが、人生を一から始めるような克己心が働いて、何かヒロイックな気持ちがしたし、かえって自分の価値が上がるんじゃないかと期待して突き進んだんです。つまりぼくは、いっこうに人から注目されない静かな人生を歩むことを選びました。だれにも腹を立てず、もう何もしないから、ただもうこのまま打っちゃっておいてもらおうというような、つまり、あんたたちがどう考えるかなどもうどうでもいいといった、度量の大きい〈できた〉態度をとることにしたんです。でも、そんな気持ちは、ヤケを糊塗する寒々しい、嘘っぱちの感情操作です。その証拠に、心の中で野球への未練を捨て切れませんでした。この、いざ何かをやればできるけれども、何もしないという態度が、そろそろ板についてくると、そういう人目を惹く立ち回りを不快に思う人たちはもちろん、それを気の毒に思っていた人たちも、ぼくのことを、ただのバカ正直な好人物だったのだと思ったり、出来心で少しばかり道を逸れてしまった人間で、実際は何もできない心意気だけの人間だったのだと考えるようになりました。ぼくはそれをはっきり感じ、ニセの度量を誇示して生きるのがなんだか馬鹿らしく空しい気持ちになったんです。その馬鹿らしさと空しさが、試練の運命に答えるバネを与えてくれました。それこそあんたたちがどう考えるかなどどうでもいい、もう一度しっかり野球をやり直そう、という躍るような気持ちです。たしかに、いろいろなことが起こり、ぼくは野球という命の糧をわざと軽んじて、忘れ去ろうとしました。しかし、どれほど軽んじて忘れ去ろうとしても、野球で大成しようという夢を完全に放り出すことができなかった。友と女は、いつの日か、たとえ偶然でもきっと巡り会える、しかし、野球はみずから進んで挑まないかぎり巡り会えない、ぼくから野球を取ったら素寒貧じゃないか、ぼくは去るべくして野球から去ったのではない、遅くはない、また野球を始めよう、挫折した希望を倍にして取り返すためにもう一度野球をやろう、しかし、どうやって? そんなとき、青森高校の野球部の練習風景が目に飛びこんできたんです。それからは、みなさんご存知のとおりです」
 鈴下監督が目を充血させていた。年配の二人は頬を赤くして畳を見つめていた。
「母に内密で青森高校で野球に打ちこみ、狭い世間の注目を受けるようになって、ついに未来への希望が復活しました。その矢先、ごらんのとおり名古屋へ連れ戻されたんです。ただ今回は、ぼくは予測していました。野球をしているとばれたら、そうなると予測していたんです。その事態に備えてぼくは、懸命に勉強もしていました。つまり、母の期待したとおり、エリートとしても蘇っていたんです。連れ戻したら、母の道は一本道です。エリートの頭だけを連れ戻して、野球は断つ。野球を奪って、トップエリートにする。母の眼中には東大合格しかありません。青森で野球をやっていたころから、ぼくはそこに突破口を見つけていました。東大に入れば野球ができる……たしかに、ぼくは母から東大を受けろと命令されたことはありません。中学時代彼女がぼくから野球を奪い、人的な環境を奪って突き放したのは、単なる嫌悪感からだったかもしれません。しかし、母がぼくを連れ戻しながら、小ずるく黙っている以上、東大に受かってやるという言い出しっ屁はぼくにならざるを得ませんでした。彼女の希望が見え透いていたからです。東大を受けると明言すれば、彼女とのややこしいむだな対立を回避できます。そして、心の内に野球への一縷の望みをつなげます。名古屋に戻されたぼくは、彼女の望みどおり、何が起ころうと東大に受かってやろうと決意しました」
 私はコーヒーをすすり切った。三人は無言だった。
「……悠長に身の上話をしたつもりはありません。東大に受かる以外にぼくには野球をする道はなかったということを知っておいてもらいたくて、こんな長い話をしました。あのまま青森でチヤホヤされていたら、たぶん受験勉強などできませんでした。ぼくは二十歳まで大学も野球も浪人する破目になっていたでしょう。母の提案を渡りに船と受け入れて奮闘努力する以外に道はなかったんです。……そして現在の話になりますが、ご存知のように、未成年者は親の同意がないかぎり、プロ球団も勧誘を断念せざるを得ません。東大に受かりさえすれば、母の望みは半ば叶ったことになりますが、あとの半ばは……」
 鈴下監督が、
「プロ野球へ進むのは難関だと言いたいんですね。お母さんは神無月さんに、東大を卒業してトップエリートになれと言うでしょうからね。学業成績が悪かったり、落第したりしたら、確実に野球生活に致命的な茶々が入ると思われますが、私どもが防波堤になります。電話なら電話口で、上京なされたら、交渉のテーブルで、お母さんに残りの希望を叶えさせないよう、私どもは精いっぱい尽力します。そのあいだに神無月さんが、野球で日本の権威になってくれれば、お母さんなりの譲歩もあるかと―」
 監督は眼鏡を外して、ハンカチで目頭を拭った。岡島副部長が言った。
「神無月さん、あなたは天才ですね、あらゆる意味で……。感激しました。それほど愛した野球を一度はあきらめかけたとは。つらかったでしょう。あきらめなくてよかった。そして、東大に受かってくれてよかった。あなたは野球をやめずにすみ、私どもはあなたにこうして会えました。心から感銘いたしました。これからは、私どもは神無月さんの野球をまったくちがった目で見ることになるでしょう。肉親の誤った情熱のせいで、神無月さんとしては不本意にも東京大学に寄り道をすることになりましたが、この寄り道を後悔させません。あなたがプロに進めるよう、私どもは全力でバックアップいたします」
 心強い言葉だった。これまでは、どんなに忘れようと努力しても、人生のいくつかの節目で母が翻意したことを忘れられなかった。過去など存在しなかったことにしよう、とあの寒い部屋で心に決めたことがあった。そう決心することに何の喜びもなかったけれども、しかしそんなふうに心の在処(ありか)を定めると、苛立った気持ちが安らいだのだった。もう私は母の翻意を恐れなくていい。私には、将来を不安に思わなくていいと励ます味方ができたからだ。仁部長が言った。
「東大出のプロ野球選手はこの十年間に二名ほどおりますが、客寄せの要素が強いものです。神無月さんにとって東大は、たしかに大した寄り道です。東大が弱いということばかりでなく、戦後からこのかた、大学野球が目立たなくなったからです。テレビで放映されることはほとんどありません。いまは猫も杓子も甲子園の時代です。甲子園組だけでプロ野球界を固めようとしているかのごとくです。野球ファンは、実力よりも、テレビ人気に流されますからね。金を落としてくれるのはファンです。メディアは彼らの気に入るようにしなくちゃいけない。しかし、神無月さんはちがうんです。あなたはまちがいなく、世間の目を大学野球へ向けさせてくれるでしょう。野球の実力とはどういうものか、思い知らせてくれるでしょう。神無月さんに関して、東大側はじゅうぶん広報活動をさせていただきます」
 鈴下監督がハンカチをポケットにしまい、
「神無月さんのご事情と人柄は痛いほどわかりました。これほど胸が高鳴ったことは、かつてありません。いっしょに野球ができて光栄の至りです」
 もう一度深々と上半身を折った。仁部長が、
「ユニフォーム等は三十一日にお渡しします。学費ばかりでなく、野球に関しても、神無月さんにかかる費用はすべて免除ということになっております。神無月さん以外の部員は、しばらく大学支給の練習用ユニフォームでやってもらい、レギュラー候補が決定してユニフォームを作った場合は、のちのち費用を徴収することになっております。この格差は仕方のないことです。なお、報道陣は本郷の東大グランドに三十一日午前十時に集まる予定です。どうか素のままで応対なさってください」
「練習用ユニフォームと、グローブとバットは自前のものを使います。三十一日に、部室のロッカーに運びこみます。スパイクは遠慮なく使わせていただきます」
「わかりました」
 鈴下監督がもう一度強く握手した。玄関まで送り、私は三人の辞儀に答えてしっかり頭を下げた。ふたたび自室から式台に出てきた二人の婆さんも、保護者面で愛想よく頭を下げた。
 東大の監督連中がきたということを、カズちゃんと山口に電話した。彼らは破目を外した喜びようで祝福した。二人に伝えておけば、まず全員に伝わる。ほぼ二年ぶりに硬式ボールで野球ができると考えると、からだじゅうの細胞という細胞に新鮮な血が流れこんだ。性欲の血が急速に循りはじめた。適当な間隔で触れているのに、女体のイメージや交接の感触になつかしさが湧いた。そのことをカズちゃんに告げると、
「あたりまえよ、からだが活動の準備をしてるのよ。からだが野球に馴染んできたら、もっともっと性欲が湧くわよ。いつでも私は受け入れ態勢万全だから、野球にきっちり打ちこんで」
「うん。背番号は8に決まった。無番のユニフォームを当分練習着にするけど、支給されるユニフォームが三着もあるから、二、三回練習したら無番は洗ってお蔵入りにして」
「オーライ。青高のロゴと背番号つきのものといっしょに記念にとっときます」
「三十一日は、ユニフォーム一式のほかに、バット一本とグローブとスパイクも持っていく。東大のスパイクが足に合わなかったときの備えにね」
「わかりました。ダッフルとバットケースに入れて、土間に出しときます。あした磨くでしょ?」
「うん。午前中にいく」
 善夫に電話して事情を話し、三十日の土曜日は夕方までに帰らなければならないことを告げた。
「ワは休み取ったすけ、そのまま泊まっていくじゃ」
「酒も飲まないよ。三十一日は東大野球部との大事な初顔合わせの日だから」
「わがった。ワも酒は弱えすけ、飲めねじゃ」
 夕方、雨の中、自転車に傘差して青梅街道まで出る。阿佐ヶ谷初の散歩。背の低いマンションとオフィスビルの建ち並ぶだだっ広い通りだ。民家はほとんどない。雨に黄色く煙る銀杏並木。すばらしい。荻窪のほうへ自転車を漕ぐ。坂道にかかり漕ぎにくくなる。跨線橋に到る。越えてすぐ、長いアーケード商店街の途中に荻窪駅。引き返す。
 下宿に自転車を置き、傘だけ差して食い物屋を探しに出る。住宅ばかりで、まったく商店がない。引き返す。スナック『ひろ』から北へ向かってみる。住宅以外何もない。引き返す。結局、『ひろ』の右手にある小汚いラーメン屋でラーメンと餃子を食って帰る。おそろしくまずかった。
 阿佐ヶ谷の初寝。庭に面した窓に沿って蒲団を敷いた。


         十四

 二十七日水曜日。雨。高円寺に出かけ、午前中かけてグローブとスパイクを磨いた。山口に電話する。
「どうやって教科書を手に入れるの?」
「ちょっと面倒なんだ。俺も戸山高校の友人に聞いた。四月一日のガイダンスで『履修の手引き』なるものを配布される。その指示に従って科目登録する。登録日は四月二十二日から二十四日だ」
「オミットできないかな」
「東大生として野球をやる以上は無理だな。どちらもいっしょについてってやるよ」
「サンキュー」
 夜、純粋に性欲の赴くままカズちゃんと交わる。
         †
 二十八日木曜日。曇。八時。
「和田堀公園まで走ってくる」
「この道を真っすぐいって、青梅街道に出たら、新高円寺駅の信号になるから、それを渡って先へずっといくと、五日市街道にぶつかるわ。右折して三つ目の信号を左折。あとは道なりにいくの。迷いそうだったら人に尋きなさい」
 新高円寺通りを直進して青梅街道に出る。信号を渡り、そのまま直進して五日市街道に出る。右折して三つ目の信号を左折。緑の少ない民家のあいだを心もとないながら走りつづける。景色が寂れてきた。灰色の空に黒い綿雲が広い間隔で浮かんでいる。桜並木に縁どられた川を渡る。大松橋。向こうからジョギングの青年がくる。
「あの、すみません、和田堀公園はどの方向ですか」
 青年は足踏みしながら振り返り、すぐ背後の林を指差す。
「この川は?」
「善福寺川」
 いってしまった。一帯に柵レールが張り巡らされているのを見ると、このあたりがすでに公園の一部なのだろう。民家に挟まれた緑地にベンチが置いてあるだけの、公園の体裁が整っていない空間だ。そういう区画がいくつかあるようだ。ここまで十六分。往復するにはいい距離だった。何度もきたくなる場所じゃないなと思いながら引き返す。帰り着いて、カズちゃんに、
「桜観てきちゃったよ」
「ま、ずるい」
「善福寺川という川沿いにズラッと咲いてた。腰を下ろして弁当の雰囲気の場所はなかった。名古屋とはちょっとちがうね」
 夜、多少穏やかになった性欲で素子と交わる。この二夜、射精を急ぐだけの交わり方に愛がないと感じる。そんなことを平気でできる自分に驚く。今後、こんな交わり方はしたくない。
         †
 二十九日金曜日。曇。きのうにつづいて和田堀公園までランニング。草の空地で三種の神器。復路、善福寺川沿いに桜を狩りながら、大宮橋まで歩く。右折して、緑の中をさらに濃い緑に向かって進む。緑に囲まれた野球場らしきものに突き当たる。東大球場より大きな野球場だった。屋根つきのダッグアウトがあり、内野に野ざらしの三段客席があり、センターには緑の板のスコアボードもある。だれも野球をしていなかった。
         †
 三月三十日土曜日。曇。ほのかに暖かい。雨の気配。十時、善夫と高円寺駅に待ち合わせ。中央線で池袋に出、西武池袋線に乗り換えて入間という駅で降りた。十一時十五分過ぎに着いた。
 なつかしいはずなのに、駅周辺のたたずまいが変わったせいか、初めて見る町に見えた。むかしはなかったアスファルトの広い坂道を登っていく。閑散とした新興住宅地だ。畑と畑のあいだにポツンポツンと家が建っている。何曲がりもした。
「こんなところだったかな」
「建売り買って、高台のほうさ移ったんだ。五LDK」
 私を迎えたサイドさんの喜びようはひととおりではなかった。私が玄関を上がるやいなや、下にも置かぬもてなしで、キッチンテーブルにつかせて早速ビールを出し、冷蔵庫の中や床板の下から秘蔵のつまみを取り出した。無愛想だった椙子叔母も、きょうばかりははしゃいで絶えず笑い、趣味の裁縫を放ったらかしにして台所に立ちっぱなしだった。
「よく立ち直って、ここまでになったなあ。叔父さんはうれしいよ。おまえはかならず大きなことをしてくれる男だと信じていた」
 立ち直った? 大きなこと? 最初から疑わしい物言いだ。この人は、あの哲学的な長い手紙を書きよこした人と同一人物だろうか。
「叔父さんに英語を教えてもらってなかったら、東大なんか受からなかったですよ」
「そういう言い方をするのが、おまえの悪いところだ。俺の教えた英語が何ほどのものだというんだ。英語だけで東大に合格できるわけのものでもないだろう。ぜんぶおまえの実力のなせるワザだ。もっと胸を張れ」
 椙子叔母が、
「二十日に姉が連絡してこねすけ、こっちから電話したんでェ。新聞で東大受げるこどはわがってたはんでな。姉は東大受けるこども、受がったこどもなんも知らせてこねがった。オラだったら鉦太鼓を鳴らして歩くじゃ」
 母は東大などに関心はない。私の受けがよくなることになどまったく関心がないのだ。どう説明してもむだなことは放っておく。私は笑顔で応える。
「自慢するより先に、腰を抜かしてるんだよ。バカが東大に受かるなんてあり得ないって思ってたはずだから。ぼくを知ってる人ならだれだってそう思うよ。おふくろは体面を重んじる人だからね。腰を抜かした姿は見せたくない。周りと同じ考えだったなんて知られたくないからね。腰が治ったら自慢しはじめると思う」
 善夫が、
「……根性わり解釈だぞ、キョウ」
「ぼくには根性なんてものはない。ぼくの評価は、馬鹿な不良少年だ。東大を受けること自体が事件だよ。それが受かったとなったら、輪をかけた事件だ。おふくろは客観的な人間だ。他人の目でものを見る。自分の目では見ない。小中学校のころのぼくに対する世間一般の評価をぼくが裏切ったので、いまもびっくりしてるはずだ」
「野球は? 野球はどんだ。世間は認めてきたんでねが」
「プロ野球選手なんて、何万人に一人の人間しかなれない―その他人の目で小学校のときぼくを見切ったきり、一生訂正しないだろうなあ。だから野球にもそろそろびっくりしはじめてるはずだよ。みんなそうじゃないかな。ぼくが小学校のころ小さな集団でホームラン王になったからといって、まさかここまで騒がれるとは思ってなかったはずだし、少しばかし勉強ができるようになったときも、まさか東大にいくとは思ってなかったはずだからね。ましてやプロ野球選手になるなんて、いまなおまったく信じていないと思う。おふくろの哲学は、初志貫徹だ。それはそれで潔い。ただ、この先、じゃまをしてほしくないだけだ」
 小学四年生の寛紀はにこにこと私にビールをつぎながらまとわりつき、中一になったばかりの善郎は、ブスッとした顔でテーブルを見ていた。私がビールに口をつけないのを見て、酒の弱い善夫が上機嫌にコップを傾けた。椙子叔母が、
「そのとおりだ。相変わらずアダマいいな、キョウは。……もともと、プロ野球だ、東大だと信じてたら、鉦太鼓は鳴らさねべ。そう思ってながったから鳴らすんだ。おめのかっちゃはそう思ってながったのに、なんも鳴らさね。さんざ、おめのこど悪く言ってきたすけな。手のひら返して鉦鳴らして、恥かきたくねんだべ。てめの都合ばりかわいだげのキチガイだ」
 サイドさんの笑顔が凍りつき、善夫は黙ってしまった。椙子叔母は腕をふるったおかずをテーブルに並べる。私は叔母の盛っためしを食いながら、彼女のむかし話を聞く。善夫が細かいところの思い出し役を務める。気心の合わない人間と時間を費やしていると、心にもない愛想を使わなければならない。
「叔父さんの手紙、うれしかったです。叔父さんだけがわかっていてくれると思った」
 あの手紙は二度と読み返していないし、今回の引越しでどこへいったかもわからない。
「まあ、むかしのことは思い出しても身のためにならない。要するに、おまえが平和的な人間でないから、ことが難しくなっただけだ。忘れろ」
 叔母が渋い顔をする。善郎が顔色を変えずに言った。
「キョウちゃんが青森にいかされたのは、不良だったからでしょう?」
 今度はサイドさんが渋い顔をした。
「キョウは不良だったことはないぞ。ふつうの人間より真剣だっただけだ。で、何学部に入ったんだ?」
「文科Ⅲ類」
「なんだ、それは」
「三年生になると、進学先を振り分けられて、文学部か、教育学部にいくようになってる学部。よくは知らない」
「将来、文学者か先生になりたいのか」
 サイドさんには、東大に受かった私の頭の中身はきっと大したものだろうと一目置いているふしがあり、この子が何を考えているのか自分には思い至らないけれども、まずは生活のメドを立ててやらなければなるまいという慎重な物言いだった。
「どうしても野球のことを忘れるんですね。ぼくは野球選手以外にはなりたくないんですよ。野球をやるために東大にいったんです」
 とつぜん善郎が尖った目で、
「ばっちゃのことはどうするの。あのまま野辺地に放っておくの?」
 と言った。
「え? どういうこと?」
「一生面倒見るって言ったそうじゃないか。ここに遊びにきたとき、ばっちゃがうれしそうに話してたよ。そういう人なんだよ、キョウちゃんて。口だけの冷たい人間なんだ」
「一生面倒見るよ。二年以内に東大やめてプロ野球にいく。おふくろが二十歳までプロ入りをじゃまする権利を持ってるから、二年間はプロにいけないんだ。……それともいますぐばっちゃのそばについていろという意味かな。少なくともそれは無理だ。野球をやらなくちゃいけないからね。将来の経済的な面倒を見る以外はできない」
「そうやってわけのわからないことを言ってれば、人が認めると思ってるんだ。もともとどうしようもない不良だったんだよね。東大には運よく受かったかもしれないけど、プロ野球選手になんかなれるはずがないじゃん」
 中学生の物言いとは思えなかった。
「その正反対なんだ。ぼくは去年の秋に、いろいろなプロ野球チームの指名が決まっていた。つまり、その時点でプロ野球選手になれてたということなんだよ。今年の春からプロ野球の選手になれてたということだ。でも、おふくろは許さない。プロ野球選手なんて人間のクズだと思ってるから、指名なんかされた日には、しゃしゃり出てきて妨害することがじゅうぶん予想できた。指名されて拒否すると、何年も誘ってもらえないんだよ。それだとプロ入りがグンと遅れる。だから指名される前にドラフトそのものを拒否した。おふくろはぼくに東大へいくことを願ってたので(これだけは、愛する者以外には終生嘘をつきとおさなければならない)、その野心を満たしてあげれば、話を先へ進められると思った。でも、東大に受かることは並大抵のことじゃないし、たとえ受かったって、野球をすることにはウンと言わないかもしれない。でも二十歳になったらぼくは法律的に自分の進路を主張できるし、周りの関係者も味方してくれる。それにね、善郎、東大は運よく受かったんじゃないんだ。ぼくは頭はよくないけど、よく勉強したから、模擬試験で日本一になったんだよ。東大も二番で受かったと先日知らされた。野球をやりたくて、馬鹿な頭に鞭打って努力した結果だ。ようやく野球をやれるところまできたんだ。だから、いまばっちゃのそばについててやることはできないし、この先も当分ついててやれないと思う。でも、一生面倒を見るよ。プロの契約金は、おふくろに半分、じっちゃばっちゃに半分あげる。経済的なことにすぎないけど、一生面倒見ることになるんじゃないかな」
「金だけかよ」
 善郎は唇をゆがめて言った。サイドさんがテーブルを指の腹で強くトンと叩き、
「何が言いたいんだ、善郎。私もいま聞いて驚いたが、郷はプロ野球にいくために東大に入ったんだな。新聞にもそんなことが書いてあったが、信じられなかった。となると、ここまでくるのは並大抵の努力じゃなかったはずだ。ふつうわが子がプロ野球選手になるということになったら、それこそ親は鉦太鼓を鳴らして大賛成するはずだ。ところが郷の母ちゃんはだめだと言うんだよ。東大へいけと言う。その第一歩をようやく踏み出した郷が、いまばっちゃをどうすればいいんだ。まだ十八歳だぞ。いや、三十だって、五十だって、どうしてつきっきりでばっちゃの面倒を見なくちゃいけないんだ」
「男がいったん口にしたんだ。ぼくなら東大もプロ野球もやめて、ばっちゃの面倒を見る。みんなで浮かれちゃって、みっともないよ」
 くさくさしたような口調で言った。私は、
「それは、東大にもプロ野球にももともと縁遠い人が言うことだ。ま、それはいい。善郎は、ばっちゃとどれほど親密に暮らしたことがあるの? どういう心の経過からばっちゃの面倒をみたいという気になったの? ぼくはばっちゃと一年半暮らした。幼いころから足し算すると、五年に近いと思う。その結果、ぼくはばっちゃとじっちゃを心から敬愛するようになった。だからといって、身体障害者に付き添うようにそばでべったり面倒見ようという気にならない。それは、彼らも望んでいない。いまぼくが言ってることはわけがわからないことかい? 善郎はぼくに何かを伝えようとして、おそらくは根源的な不正を暴きながら、ぼくを祖父母に合わせる顔のない人間だと決めつけようとしてるんじゃないかな」


         十五 

 サイドさんが、
「善郎、おまえはばっちゃにどれほどの恩義がある? くだらない道徳心にまかせてものをしゃべるな。もっと素直に郷の成功を喜んでやりなさい」
 善夫が、
「まま、サイドさん」
 と手を上げ、標準語でしゃべりだした。
「な、善郎、ばっちゃやじっちゃの世話に関することは、俺たち実の子供たちの義務だ。孫の郷の義務でもなければ、持ち分でもない。たぶん郷は、あのときばっちゃに親切にしてもらって、思わず感謝の気持ちをそういう言葉にしてしまったんだろう。子供の気持ちとして素直なものだと思う。俺はありがたいと思ってる。だいたい、生活をとつぜん中断させられて、遠くへ送られたんだぞ。人間関係だけじゃない。天才と言われた野球も奪われたんだ。ふつうは荒れ狂うだろ。人にお世辞なんて言える精神状態じゃない、よくぞばっちゃにそんなことを言ってくれたと思う。郷は不良でなかったということだ。ぜんぶアネの眼鏡ちがいだ。椙子の言うとおり、姉はキ印かもしれん。俺たちだけでも郷をまともに見てやらなければ、またどっかに追っ払われてしまうぞ。しかし、アネもいい気なもんだ。自分で締め殺した息子が自力で息を吹き返したのを、自分の手柄だと思ってるんだからな」
 私の目に涙が浮かんだ。善夫は何から何まで、見て、記憶して、理解していたのだ。善夫は私の肩をポンポンと叩きながらうなずいた。感情をこめた難詰をしていたようだった善郎のひょうたん面から、感情のかけらが崩れ落ち、あとにはのっぺりした土気色の皮膚が現れた。フン、と鼻で笑って、二階へ上がってしまった。椙子がその背中を見送って、
「郷、堪忍してけんだよ。このごろ反抗期でね、オラにもああいう態度をとるんだよ」
 善郎は母を思い出させる。母を支援した人びとを思い出させる。自分が他人に対してとってしまった態度がどういう影響を与えるか、その深刻さを測るのに怠惰であってはならない。心の傷は人知れずひっそり治癒するものではなく、いつも痛みを訴え、触られるとすぐに血を流し、いつも生々しく口を開けている。彼らはそのことに生涯気づかない。
「反抗とは関係ないと思う。ぼくは善郎に何かを命じたり、諭したりしたわけではないからね。たぶん、幼いころから、ぼくに対して人間的な嫌悪感があったんでしょう。気に食わない人間は、そこにいるだけで腹立ちのもとだ。おふくろのぼくに対する気持ちみたいにね」
 寛紀が気兼ねしたふうに、両手で私の手を握った。サイドさんのウィスキーのピッチが上がった。赤い大きな顔になって、三つ四つも老けて見えた。
 身を屈めて笑うばっちゃの格好を思い出して、胸が詰まった。草の名を得意そうに言い当てる顔や、引越しトラックに手を振った顔―とつぜん悲しみがやってきた。
 徳利のまま、ゆっくり一本空けた。胃が熱くなった。ふう、とため息をつくと、私は勢いよく立ち上がった。
「叔父さん、帰ります。悪意や嫉妬が少しでもにおう場所にはいられないほど、ぼくは弱い人間になってしまいました。ようやくいき着いたこの弱さは改善できません。彼が同席するときは、ぼくにはもう二度と声をかけないでください」
 寛紀が悲しそうに、もう一度私の手を握った。
「ヒロノリ、怠け者になっちゃだめだよ。怠けると、人間は意地悪になるだけだからね。大きくなってぼくに会いたくなったら、善夫に住所を尋いておいで。勉強でも何でも教えて上げるから。それから叔父さん、心のこもった手紙、ほんとうにありがとうございました。胸に沁みました。あんな手紙を書ける人は親族に一人です。あなたは天才です。それだけで人に光を与える。叔母さん、あなたはおふくろよりずっといい人です。少なくとも子供をかわいがってる。中学校のときの手作りのワイシャツ、ありがとうございました。胸にペンを差したときのうれしさは一生忘れません。善夫、ぼくのことをそんな温かい目で見てくれてるとは知らなかった。感激だ。小さいころから善夫と善司はいい〈兄貴〉だった。―ときどき野辺地に帰って、じっちゃばっちゃの顔を見るようにします。これから野球で忙しくなります。応援してください。じゃ、みなさん、さようなら」
 サイドさんが、
「郷、おまえはしっかりとした自尊心の持ち主になったな。安心した。野球のことはよくわからないが、いつも新聞を読むようにするからね。がんばるんだよ」
 椙子叔母が、
「許してやってけんだ。おめに頭の上がらねのを強がってるだけだすけ。いつでも訪ねてきてけんだ」
 全員に玄関まで送られて、路に出た。善夫が走ってきて、
「飯田橋さ移ったら、ハガキ書くすけ、たまには病院さ会いにきてくれ」
 と言って手を振った。ハガキはこないだろうと思った。
 迷いながら、どうにか入間駅にたどり着いた。
         †
 三月三十一日日曜日。夜通し降っていた雨が上がった。ここ数日でいちばん暖かい。ランニングはせず、畳の上で三種の神器のみ。庭に出て洗面、歯磨き。
 九時。紺のセーターに灰色の厚手のブレザーの上下を着、革靴を履いた。カズちゃんの家に寄って、バット一本を入れたケースと、ダッフルバッグに入れたユニフォーム一式とグローブとスパイクを受け取った。便所にいき、激しい下痢。シャワーを浴びて下着を着替える。排便とシャワーの都合がつかないので、阿佐ヶ谷での生活はいずれいき詰まるだろう。
「バスタオルとふつうのタオルも入れてあるわ」
 カズちゃんと素子に玄関で見送られる。
「帰りに寄ってね。様子を知りたいから」
 二人とも赤いセーターを着ている。カズちゃんより少し小さい素子の胸のふくらみに惹かれる。私の視線に気づいて素子がうれしそうに笑うので、妙な気分になる。
「きょうの夜は、焼肉でも食おうよ」
「そうね。家の中もすっかり整ったし、ほんとうの引っ越し祝いをしましょ」
「お姉さん、節子さんと法子さんのこと知らせんと」
「そうだった。節子さんはもう何日か前に武蔵境に引越しが終わって、あしたから出勤ですって。私たちと同じね。二十五日づけで異動したらしいわ。法子さんは八日に上京するから、家を探すのを手伝ってほしいって連絡があった」
「ぼくも手伝えたら手伝うよ」
「そんなのいいわよ。野球に没頭して」
「無理せんのよ」
「十二日が入学式らしいけど、ぼくはいかないよ。金曜日だし、二人も仕事だものね。たぶん、山口もいかないと思う」
 高円寺駅と逆方向へ商店街を歩いていく。自分の自転車は阿佐ヶ谷に置いてあるし、高円寺には女物の自転車しかない。荷物が多いのでもとより自転車は使えない。
 青梅街道の善夫の床屋の前を左折して、新高円寺駅に出る。丸ノ内線池袋行に乗る。日曜日の電車はすいている。それでも、足もとにダッフルを置きバットケースを立てている姿をジロジロ見られる。新宿、東京、御茶ノ水。十八個目の本郷三丁目で降りる。三十五分。
 本郷通り。たまたま通り道にあったスポーツ用品店で、二本のタイガーバットを買う。八十七センチ、九百二十グラム。持ってきたバットといっしょにケースに入れる。
 農学部正門を入り、四角い大きなグランドと二号館のあいだを通り、二つ、三つの石造りの校舎を抜けると、スタンド裏の水色の玄関建物が見えた。青森市営球場より簡略な造りだが、あらためて見ると大きな建物だ。建物の入口のあたりに、腕章をした二十人ほどの男女がたむろしている。私に気づいてどやどやと駆け寄ってきた。浜中もいた。手を挙げて挨拶する。ドラゴンズの村迫総監督の姿はない。予想どおりだ。彼は実戦の場にしか顔を見せない。何発もフラッシュが光る。人混みを分けて鈴下監督が近づいてくる。
「どうぞこちらへ、神無月さん」
 仁部長や岡島副部長もいる。学生服姿の若者たちにガードされるように、入口へ導かれる。彼らが野球部員なのにちがいない。背の高さは私よりかなり低く、青高の野球部員より筋肉のつきも薄い。不安になる。
「部室に荷物を置きたいんですが」
 学生服たちに導かれて、先日確かめた乱雑な空間を右手へ抜けると一塁側ダッグアウトがあり、その裏口を出たところに古いアパートふうの平屋がある。そこがぶち抜きで更衣室になっていた。整然とロッカーが立ち並び、用具類もきちんと片づいている。反対側の出口の外には大きな水場もあった。
「ロッカーはこちらです」
 部員の一人が、神無月というプラスチックの名標が貼られたロッカーを示す。あとを追ってきたカメラマンたちがストロボを焚く。ロッカーの中にすでに背番号8のユニフォームが三着吊るしてあった。白地に、くっきりとダークブルーの8の背番号。表に返すと、同じ色のTOKYOのロゴが胸に縫いつけてある。胸番号はない。上端が碧、下部が白いストッキングが五足ほど積まれ、その上に碧いベルトが二本、白地に青いLBの飾り字をつけた帽子が三つ置いてあり、これまた青革のスパイクが二足並べてあった。私は思わず笑みを漏らした。ロゴの色は青高と同じだが、生地が灰青色でないので軽薄な感じがしたからだ。
「薄青の生地に濃紺がよかったな……ストッキングの模様も」
 だれにも聞こえないように呟いた。鈴下監督が、
「気に入ってくれましたか」
「はい」
 私はダッフルから練習用の無番のユニフォーム一式と、グローブと、黒革のスパイクを取り出して、吊るされたユニフォームの下に置き、
「三日の初回にはこれで練習します。その次からは新しいユニフォームを着ます」
 バットケースから三本のバットを取り出して隅に寄せて立てた。フラッシュが焚かれつづける。振り返ると、学生服たちが感嘆したような眼差しで私を見つめていた。三十人に余る部員を代表して、眼の涼しい男が進み出て握手を求めた。百七十センチそこそこ。からだが細い。フラッシュ。男は主将の克己と名乗り、
「今年から四年になります。ポジションはキャッチャー。東大野球部へ入部してくださって、ありがとうございます」
 私は強く握り返し、
「全力を尽くします。力を合わせてがんばりましょう。できれば、二年以内に優勝したいですね」
「はい!」
 部室内に一斉に喚声が上がった。フラッシュの嵐。浜中が寄ってきて、
「いまの言葉、見出しにします。今年はちょくちょく顔を出しますよ」
「浜中さん、あなたにぼくの覚悟を言っておきます。ぼくにとって、ホームランだけが野球だということです。ホームランは美の極致ですから。しかし、美の極致だけでは勝てないと考える人たちの視線の中で、これからは野球をやりつづけることになります。ぼくのホームランを喜び、勝利の糧と考えるチームメイトといっしょにね。とにかくぼくがホームランを打ちつづけて、一つひとつ勝利を積み重ねて、仲間たちばかりでなく野球ファンに承認されていけば、いずれぼくの心にも余裕が出て、ホームランを狙うばかりでない野球ができるようになるはずです。まずは六大学で三冠王を獲ります」
 ウオーという喚声。監督や部長たちが大きくうなずいている。
「ホームランによる勝利の美しさを承認されたら、さらなるチームの勝利のために、ホームランを狙わないことも増えるだろう、ということですね」
「はい、たぶん。いままでのように、全打席ホームランを狙うということでは、監督やチームメイトととの信頼関係はさておき、東大野球部を支えるスタッフやOBたちと軋轢なくやっていけるとは思えないんです。きみの野球は野球じゃないと言われれば、ぼくのファイトは打ちひしがれます。それでも、やはりこの春は、ホームランを打ちつづけて、リーグ記録を破り、東大野球部に〈強さ〉という基盤を築くつもりです」
 部員たちが拍手喝采した。デンスケが押し寄せた。NHKや日本テレビというロゴが見える。ビデオカメラが回っている。一人の女性記者が、
「水も滴る美男子ぶりですね。大勢の女性ファンに騒がれると思いますが」
「ぼくには女性が近寄りたくない雰囲気があります。近寄ってこないかぎり、プレーに支障はありません。もちろん、近寄ってきても、その女性には野球というライバルを凌ぐ力はありません。あなたも仕事でなければ近づきたくないでしょう」
 ドッと笑いが上がった。別の記者が、
「近視らしいですね」
「○・六、七程度です。両翼までの距離を測る分には不便がないので、小学校以来バッティングはふつうにやってきました。守備も勘で動きますからだいじょうぶです」
 ほかの記者たちのペンが動く。監督がそっと、
「コンタクトレンズ専門のいい会社、あるいは眼鏡作りの腕のいい職人を知っているので、紹介しましょうか」
「けっこうです。でも、試合が夕暮れにかかると多少苦労しますから、そうですね、もし可能なら、弱めのゴムで後頭部に装着できるような、少し小型の眼鏡が作れないかどうか訊いてみてください」
「わかりました。三日の練習のときに、いま使っている眼鏡をお持ちください。知り合いの職人に、その度数で縁なしのスポーツ眼鏡を作らせます」
「いま持ってますよ。どうぞ」
 ブレザーの内ポケットから出して監督に手渡した。
「ファンレターにはどう対処なされますか」
「返事は書きません」
 浜中が、
「二年以内ということは、今年も優勝を狙うということですか」
「毎年狙います。みんなであきらめずに狙うことが重要です。青森高校のように」
 また別の記者が、
「特待生だそうですが、将来、学問の道に進まれる予定は」
「まったくありません。野球一筋です」
「昨日、『巨人の星』が放送開始されましたが、さしずめ神無月さんは、東大の花形満というところですね」
「さあ、テレビは観ないので、その人がだれのことかわかりません。ただ、東大は巨人ほどの親方日の丸じゃないでしょ。ぼくには当てはまりません」
 愉快でたまらないといった笑いが起こる。学生たちも肩を揺すって笑っている。
「この数年は法政が爆発的に強いんですよ。四年生の田淵、山本、富田。彼らは法政三羽ガラスと呼ばれてます。田淵は今年で二十本塁打を超える勢いです。リーグ記録は、彼が三年の春に破るまで、長嶋の八本でした。法政の投手陣も三年生が強力で、左の山中、右の江本と豪腕を揃えています」
 どんどんほかの記者もしゃべりだす。
「打撃のライバルは問題にしてません。田淵という人の四年間の記録は今年じゅうに破ります。問題はピッチャーです。ほかにすごいピッチャーがいますか」
「すごいと言えるほどの投手は……。すごいのは、ほとんどが高校か社会人かプロ野球で活躍してますよ。いま球界ナンバーワンは阪神の江夏でしょう。あんな投手は六大学にはいません。まあ、一応目立ったところでは、明治の池島、浜野ぐらいですかね」
「東奥義塾の柳沢は六大学にいないんですか」
「日本石油にいます。義塾の清藤、小笠原、佐々木もそれぞれ社会人野球に進みましたが、どこだったか失念しました」
「三本木農業の戸板は?」
「日本軽金属です。いずれドラフトで騒がれるでしょう」
「二、三年前、明治に進学した、青森高校出身の阿部という選手はどうなりました」
 いちばん訊きたかったことを訊いた。
「さあ、一度も一軍に登録されたことはありませんね」
 私は遥かな思いに浸され、目の奥が熱くなった。
「……今年、がんばって三冠王を獲ります。それがチームの躍進に一歩でも近づく足がかりになりますから」
 私はそんなふうに、一人ひとりの質問に傲慢に答えていった。頃合を見て、鈴下監督が私の背中を抱えてグランドへ連れ出した。何本かの鉄筋コンクリートのアーチに支えられたバックネットは、ファールチップの這い出る隙間もない。板敷きのスタンドも内野の途中まで簡素に整っていて、三百人以上収容できそうだ。しかし小さいグランドだ。どう見ても両翼八十二、三メートル、右中間・左中間は九十一、二メートル、センター百十メートルほど。ちょっとした物見のための野球場という感じだ。ただ、外野の林を覆うように二十メートルほどのネットが張られている。あのネットを越えれば左右なら百二、三十メートル、中堅なら百四、五十メートルは飛んでいることになる。腕が鳴った。
「練習用の球場にしてはかなり立派ですね」
 その期待を胸に言った。
「ええ、七帝戦も行なう球場なので」
 何のことかわからなかった。克己がやってきて、
「レギュラーが自己紹介をします」
 十数人が私の目の前に整列し、一人ひとり名乗っていく。私は握手するだけで聞いていない。名前などいずれ覚える。ガタイのいい学生も何人かいるが、痩せすぎていて野球体型に見えない。みんな自信のなさそうな表情だ。自信さえ持てば、からだつきも変わってくる。マネージャーの男女二名も名前を言った。
「あしたから女子二名もくることになっています」
「ちょっと、グランドを歩いてきます」
 鈴下監督と選手全員が、記者を交えて、私と並んで歩きはじめる。少し固めの踏み心地だ。芝生が少し濡れているくらいで、昨夜の雨がほとんど吸収されている。水はけのいいグランドだとわかる。とにかく、球場全体を取り囲む防御ネットがべらぼうに高い。監督に訊いた。
「新人戦はいつですか」
「春期リーグ戦の終わった直後の六月一日から三日です。一回戦で敗退すれば、それで終了。次戦に負ければ三位決定戦へ、勝ち抜けば、決勝戦へ。つまり、初戦敗退すれば一試合のみ、勝てば三試合することになります」
「リーグ戦は?」
「四月十三日の土曜日から始まって五月二十七日の月曜日まで、毎週土・日・月の三連戦で組まれます。連勝か連敗をすれば、土・日で終わり。今回、土曜日は第一試合で、午後一時開始です。日曜日は第二試合なので十時半に開始される第一試合が終わってからになります。一時半か二時でないでしょうか。一日二試合の組み合わせをするのでそうなるんですが、第二試合の時間は決まっていないため、第一試合の開始時間を踏まえて待機することになります。十三日の初戦は明治大学です」



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