二十五 

 ボーリング場というものにはじめて入る。ムッとする異臭が鼻を打つ。
「におうね」
「ええ、何のにおいかしら」
「足のにおい、それから消臭スプレー」
「ワックスのにおいもするわ」
「大らかなスポーツのにおいじゃない。閉じこめられた秘密の遊びのにおいだ」
 乾いた衝突音が聞こえる。受付カウンターにいき、ボーリング場の名が大きくプリントされたシャツを着ている係員に靴を借りる。貸し出し料を取られる。足の脂が滲みこんだ古靴。気持ち悪いが、履かないわけにはいかない。二十七・五センチと二十三センチ。その場で履き替えて、自分の靴を渡す。遊戯場内に入る。節子がますますかわいらしい外股になる。
 レーンが十本以上。左右のレーンで大きなボールが滑るようにピンに向かっていく。衝突。破壊。簡単なスポーツだ。穴が三つ開いているボールが低い棚に並べてある。13と書いてあるのが一番しっくりきたので、それを持って指定のレーンに降りる。節子は10。スコアのつけ方を係員に教えてもらう。節子の理解にまかせて、私は聞いていない。
 試合開始。私のボールは横の溝にばかり落ちる。ガーターと言うらしい。gutter のことだろう。私の剛速球はほとんど溝に向かっていく。左手で投げることにした。肘の具合を確かめる意味もある。まったく痛まない。しかしコントロールが悪い。
「節ちゃんとこんなことができると思わなかった」
「いろいろあったわ。三年……」
 生まれて初めての得点は六十一、節子は八十六点だった。のろいボールがコチンとピンに当たってパタパタと倒れる。
「球技は野球以外ダメなんだ。バスケットボールもバレーボールもからきし」
「私はぜんぶだめ。小中高とスポーツなんてしたことがなかった。おかあさんはバレーボールをしてたみたい」
「でも、ふくらはぎも腰も締まってる」
「一日動き回る仕事だからよ」
「女の愛らしさの原点だ。ぼくは節ちゃんのおかげで、生まれて初めて女の輝くような美しさを知ったんだ。ワゴンを押して大部屋に入ってきたとき、それから、ロビーで屈みこんでテレビを観ていたとき」
「何度も言ってくれるのね。あのときの私の気持ちも言わなくちゃ。……振り向いたら天使がいたの。暗がりの中で輝いていた。その瞬間から私はキョウちゃんの虜よ」
「カズちゃんをきっかけに、節ちゃんを知り、ほかの女たちを知り、愛されることを知って、自分のいるべき場所を知った。つまり、自分の本質が原始的なものだということを知った。虫も、けものも、成長して愛し合い、じゃまものを排除しながら、自分のいるべき場所を心得て幸福に暮らす。自分も彼らと同じ原始的な生物だと知って、これまでのすべての疑問が解けた。頭が単細胞で当然だったんだよ。ぼくは社会の何たるかも知らなければ、仕組みも構造も理解できない。大勢の人間の習慣的な考え方すらわからない。ただ彼らに混じって、なるべくビクビクしないように心がけながらそこにいるだけなんだ。相手も原始的なときだけは、自分の成長と、愛情と、所属すべき場所を理解できる。このことがわかるまで何年もかかった。とにかく節ちゃんに遇わなければ、自分の本質がわからなかった」
「私のいるべき場所は?」
「ぼくだと思う」
「そのとおりです」
「もう一ゲームして帰ろう」
 節子はストライクが二つで九十七点、私はストライクが三つで七十八点だった。
 巴屋に寄って、私はカツ丼ともりそば、節子は鍋焼きうどんを食べた。胃袋がふくらんだのことを節子は手でみぞおちを撫ぜて示した。私も自分の腹に触れた。筋肉でカチカチと硬かった。
 とっぷり暮れた帰り道、腕を組んで歩いた。
「キョウちゃん、唄ってくれる?」
「うん。何がいい?」
「金髪のジェニー。大好きな曲なの。中学校のときに習って、いっぺんに好きになったんだけど、鼻歌でしか唄えないの」
「アメリカ民謡、フォスター。一八五三年か五四年、フォスターが幼馴染みのジェニーと結婚したあとに作られた曲だ。そのときには二人のあいだに子供もいたんだよ。二番は悲痛な詞になる。フォスターと結婚したあと、なぜかジェニーは結婚生活に幻滅して、喜びを失う。たぶんフォスターが作曲ばかりに没頭していたからだと思う。でも、愛していればそれが喜びのはずなのにね」
「フォスターが浮気したんじゃないかしら。男の心と才能を愛せない女は、からだが砦だから、そういうことを不潔に感じて幻滅するの」
「とにかくフォスターはわけがわからないので、さびしくうなだれるしかない。三番では、ジェニーはもう死んだものとして唄う。微笑みは消え去り、歌声も空へ消えていって、面影がただようばかり。あれは夢だったと唄うんだ。喜びにあふれた一番だけを唄うね。二番三番は、じつは歌詞をはっきり覚えてない」
 私は深く息を吸い込み、唄いだす。

  I dream of Jeanie with the light brown hair,
  Borne, like a vopor, on the summer air;
  I see her tripping where the bright streams play,
  Happy as the daisies that dance on her way.
  Many were the wild notes her merry voice would pour,
  Many were the blithe birds that warbled them over;
  Oh! I dream of Jeanie with the light brown hair,
  Floating, like a vapor, on the soft summer air.

「すてき! 不思議な楽器が鳴ってるみたい。なんて美しい声なの。歌詞の意味をちゃんと教えて」
 掌で目を押さえながら尋いた。
「ぼくは金髪のジェニーの夢を見た。夏の大気にかすみのようにただよっていた。キラキラ光る小川のように、軽やかに踊る彼女の姿が見えた。思うがままに踊るヒナギクのように幸せそうな。彼女の歌声からあふれ出る野生の調べ、その調べに重ねて陽気な小鳥たちが声をふるわせて美しく唄う。ああ、ぼくは金髪のジェニーの夢を見た。夏のそよ風にまるでかすみのようにただよっていたんだ」
 節子は立ち止まり、両手で顔を覆った。
「ああ、キョウちゃんに遇えてよかった、まためぐり会えてよかった! キョウちゃんは私のジェニーよ。愛してるわ。だれよりも愛してるわ。いつまでも離れないでね、どこへもいかないでね」
 私は節子の肩を抱いた。
「離れないよ、生きてるかぎり」
 二人でしばらく椅子に座ったままそうしていた。それから立ち上がり、アパートへ歩いていった。
 玄関の下足棚の上の花瓶に、黄色いフリージアが活けてある。
「電話を入れたね」
「ええ、和子さんに言われてすぐに。番号書き写しておいてね」
「ぼくのもこの電話帳に書いとくよ」
 ふた間を見通すテーブルにつく。二つの部屋には吉永先生の部屋よりもどことなく華やかさがあった。コーヒーをいれるために台所に立った節子の背中を眺めながら、
「ほんとに夢みたいだね。あの日からきょうまで」
「ええ、夢でないように毎日祈ってるの」
 立っていって後ろから抱きかかえ、振り向いた唇を吸う。
「節ちゃん、もう、自分を責めないでね。十五歳の少年を引き受けることは、どんな女にも無理だったんだ……」
「できるわ。和子さんはできた。慎重に、頭を使って」
「おふくろをよく知ってたからね」
「それ以上に強い愛があったからよ、いまの私のような……自分を殺しても、キョウちゃんを護ろうとする愛があったから。安心して。私は生まれ変わったの。キョウちゃんに遇った日の感動をいつでも思い出せる女に。だから、自分は責めてない。もう何も心配しないでね。毎日マスコミに追いかけられてたいへんでしょう。……いちばん感動したのはキョウちゃんが自力で野球を取り戻したこと。……護られて当然。キョウちゃんほど尊敬と愛情を注ぐのにふさわしい男はいないわ」
 いつになく滑らかな調子でしゃべった。じっちゃが母を叱責したときも、同じように驚いたことがあったけれども、深く思う人間は深く語ることができるのだ。私たちは微笑み合った。
         †
 翌朝目覚めると、節子は台所に立って朝食の用意をしていた。私は裸のままキッチンへいった。節子は噴き出し、
「こら、下着くらいつけて。ムラッときちゃうでしょ」
 テーブルの上に、朝刊と並べて、華岡青洲の妻が読み差して伏せてあった。私は新聞を手に、服を着るために部屋に戻った。スポーツ欄を見た。広島に移籍したばかりの山内一広が三百五十号を放ったという記事が載っていた。大毎ミサイル打線―小学生のころの記憶は鮮やかだ。田宮、榎本、山内、葛城。ある年の打率が、榎本、田宮、山内でベストスリーを占めたこともはっきり憶えている。山内は五年前、大毎から阪神へ小山正明と〈世紀のトレード〉で移った。打棒ふるって、阪神を優勝にまで導いた。背番号8の彼は、私と同じ近視で鳥目なので、ナイター成績がふるわない。しかし、一度も眼鏡をかけたことがない。彼もカンで野球をしている。見習うべきだが、私は弱い乱視も入っているようなのでナイターは無理だろう。
 大鯵のヒラキ、イカゲソのバター炒め、チャーシュー、豆腐と油揚げの味噌汁、タクアン。ごちそうだ。
「トロアジとイカとチャーシューは知多の名物なの。知多の日赤の同僚だった人から送ってもらいました。おいしいでしょう?」
「うますぎる。いつも用意してほしいな」
「鋭意努力します。お昼は、明太スパゲティにするわね」
「それも名物?」
「そう」
「じゃ、お昼を食べたら、セックスして、映画でも観にいこう」
「きょう、練習は?」
「休みをとった。お昼までは、コーヒーを飲みながら、寝転んで読書だ」
「はい! お昼のデザートはイチゴ。これも名物よ」
 私は野末陳平のヘンな本、節子は有吉佐和子の華岡青洲の妻のつづきを読んだ。ふとページを繰る手を止めて節子が言った。
「キョウちゃん、きのう、自分は原始的生物で単細胞って言ったわね。そうやって、絶えず自分の無能を自覚することが、キョウちゃんにとって自然な快楽かもしれないって、このごろ思うようになったの。キョウちゃんはふつうの人間とはぜんぜん別の人間。人種がちがうんです。ほんとうよ。私はいつも驚いてるの。進化をしないというか、つまらない進化を自分で止めたというか、想像でしかわからないんですけど、いま生きてるお爺さんお婆さんたちや、お父さんお母さんたちの時代は、みんなたった一つの理想を持ってたって思う。キョウちゃんの言う愛という理想。それでしっかり団結してたような気がするの。でも、いまどきの若い人たちは神経質で、頭もいいし、たくさんものを知ってるから、何て言うのか、同時にいくつも理想を持てて……浮気なんです。キョウちゃんのように一本気になれない。……キョウちゃんは、ずっと、一本気を馬鹿にされてきたのね」
「馬鹿にされたり、無能を宣告されたりね。でもそんなことを、ぼくは深刻に受け止めてないよ。馬鹿にされるにはそれなりの理由があるし、無能を宣告されるにはやはりそれなりの理由がある。節ちゃんは否定したいだろうけど、まんざら世間の目が狂ってるとは思えない。ただ、馬鹿じゃなきゃ、人を愛することも、人から愛されることもできないって言いたかったんだ」
「……愛してます」
 と節子は、ひとこと答えて微笑んだ。
 昼のスパゲティは文句なしにうまかった。タバスコというものを初めて知った。
 セックスのあと、節子が湯を絞ったタオルでからだを拭いてくれた。そのあいだずっと私は正座している節子の尻に手を当ていた。
 三鷹オスカーで、二本立てを観た。おかしな二人、あの胸にもういちど。どちらも特にいい映画とは思わなかった。節子の手を握りながら観ているだけで満足だった。


         二十六

 門限前に阿佐ヶ谷に戻る。竜馬がゆくと同時並行で野坂昭如の火垂るの墓。竜馬はシオリ。火垂るは読了。嗜好には引っかかったが、感覚には引っかからなかった。エリ・ヴィーゼルの『夜』のような作品にはぶつからない。いのちの記録を開く。

 脳細胞をさわやかな古色に染めて、人間らしい心の下地を作ること。思想のアイデアを捨て、夢想への階段を辛抱強く登っていくこと。思想よりも、夢想によっていっそう魂はきらめく。思想にはアイデアの達成という欲望があるけれども、夢想にはそれがない。達成欲のない夢想は、魂の形をとって人間としての格を保全する。人間的なあこがれへ向けられる果てしない夢想ほど、胸の底から直接に、また誠実に出てくるものはない。図りめぐらし、推理し、組み立てた思想よりも、夢想にこそ、燦然と輝く人間の真の美しさが見出される。夢想こそ、最もよくその人間に似ている。

 人間の頭から、どんな欲望や虚栄にも汚されない神聖な作品だけが生まれるのなら問題はない。しかし、そんなわけはない。そのことを私はずっとむかしから知っていた。それを初めて知ったとき、私は悲しかった。芸術家はこの世から姿を消したのだろうか? しかし、私は信じていた。どの時代にも、魂のために死んでみせる芸術家はかならずいるにちがいないと。もちろん現代にも。
 どんなに華麗でも、魂のないものを創って、芸術家を気取るのは甲斐のないことだ。どんな芸術も、もしそれが稲田や川面を渡る風のように輝かないなら、嵐のように激烈な力を持たないなら、快適さや一時しのぎの愉悦をもたらすだけのものなら、無価値だ。
 それでも私は懲りずに書店にいって新刊書を求め、机でページを繰りつづける。ただの文字の羅列を芸術と見なして読む。流行に染まった人びとのひり出した滋養の薄い排泄物を嘗めつづける。
 治まりかけていた倦怠が背骨から沁み出してきた。こんな作品が芸術家の果実だというなら、自分には芸術家になる才能はない。この繰り返される無力感は、もう三年の余りも私を苛んできた。山口も、私を愛する女たちも、こんな扱いにくい、高慢な諦観に冒された男と関わり合いになったことを心の底で後悔しているにちがいない。彼らはいつも、私のせいで自分の忍耐力を試されている。彼らは私を抱えこんでしまった。それでも彼らがどうにか耐え忍んでいるのは、かつて彼らの琴線に触れた私の詩情が、彼らを引き止めているからだ。いつかその詩情が世界へはなばなしく雄飛することを彼らは疑っていない。なんという心やさしき殉教者たちだろう!
 いつのころからか私は書物を好み、量をこなし、それに立ち向かい格闘することに肉体的な歓びを求めてきた。私は自分にあれこれ難題を課すことが、とりわけ肉体をいじめることが好きだった。読書に取りかかると、修行とみなして、巻のしまいまでを到達目標に据えたり、一日に読む章数を決めたりするものだから、その課題を克服するまでは心休まることがなかった。一行一行をさまよいながら、四角いページに織りこまれた夢想の金糸銀糸を横断していくと、こちらの世界の人生よりはるかにすばらしい人生模様に足を踏み入れたような気になるのだった。
 それでいて私は、性急で貪欲な読書家ではなかった。私はどんなときも、読み直し用の古典的作品をいくつかと、初めて挑戦する落穂拾い的な作家を何人か選んで机上に並べていた。価値判断の先入観を持たずに虚心に読むためだった。そして、晦渋な文章にいきづまったり、胸騒ぎがする文句にぶつかったりしたときには、本から顔を上げ、深く考えて思索をまとめてから、ノートに書き出し、吟味を加えた。吟味の回数は、古典的作品に対するほうが圧倒的に多かった。そうやってほとんどの書物を片づけてきたのだった。
         †
 四月九日火曜日。早出をして八時半から東大球場で練習。十一時までみっちりやり、部室で着替えて駒場に向かう。寄ってくるレポーターは、授業なのでと言って振り払う。丸ノ内線で赤坂見附、銀座線に乗り換えて渋谷、渋谷から駒場東大前へ。弥生キャンパスから歩きも入れてピッタシ一時間五分。
 生協食堂で岩石のように硬いカツカレーを噛んでいるとき、近くにいた二人の同じクラスの生徒の会話から、語学クラスの大半が高校でフランス語をすでに学んだ者であると知った。たしか入学後の語学登録希望欄が願書の片隅にあって、私はそこの〈未修〉にマルをつけていた。だからきのうのクラスは、私のようなまったくの初心者が受講するクラスだったはずだ。ところが虚偽の申告者がほとんどを占めていたのだった。数少ない初心者たちは、主張すべき基礎学習の権利を主張せず、恥ずかしそうにしていた。そして、ヒゲ男も既修学生も、彼らを恥じ入らせたままにしていた。授業後、彼の取り巻き連中は、彼と同じようにふさぎの虫にとりつかれたような顔をしながら、わけのわからないことを言ってうなずき合い、ぞろぞろと彼の背中に随って歩いていった。フランス語の授業は一度きりで放棄することにした。
 急に耳鳴りと腹痛がきた。隣の九号館の便所に飛びこみ、激しい下痢をする。しつこく尻を拭いた。
 三限の一時から科学思想史。ラテン語ではこう言います、といちいち断りながら、黒板に得体の知れないラテン語ばかり書きつける講師の授業だった。世間に知られた科学史の学者らしく(この大学は右も左も有名人ばかりだ)、これまた学生たちは満足げにノートをとっていた。スペリングもわからない崩し文字のラテン語を、どうすれば書き取れるのだろう。彼は授業の最後に、
「私は文系を教えておりますが、じつは理系出身です」
 と言った。私は、それがどうしたと思い、この授業も一度で切ることにした。
 四限二時五十五分から英語。女の教授に視聴覚教室へ連れていかれ、何やら政治的な英語の映画を観せられた。二、三割しか聴き取れなかった。つまり何を言っているのかさっぱりわからなかった。この授業は試験だけ出ることにした。四限四時五十分からの教育学はオミット。
 高円寺でユニフォームを受け取り、風呂に入り、晩めしを食って帰る。
         †
 四月十日水曜日。晴。腹の調子よし。ランニングの調子よし。ダッフルを肩に阿佐ヶ谷から吉祥寺へ出、井之頭線で駒場へ。九号館で排便。二限十時二十五分から八号館の一階教室で庭園学。名にし負う文学者の娘婿という噂のその講師は、教室に入ってくるなり窓辺に寄ってノートを開き、学生に横顔を向けたまま、一時間余りもそのノートを読みつづけた。これにはめったなことには動じない私もさすがに呆れた。そして、退室もせずにじっと眺めていた。やがて眠りこけた。目覚めると、講師はノートを読み終わり、何も言わずに出ていくところだった。少なくとも私は、高校とちがって大学の講義は、最初から最後まで手順を踏んだ説明がなされ、その説明は一語たりとも削ることもつけ加えることもできないくらい厳密なものだと思っていた。しかし、これほどおざなりな講義では、だれの話すことも書くこともノートにとる価値などなく、記憶するのも胸糞悪かった。
 生協でまずいコーヒーを飲み、三限一時から九号館一階教室で万葉集論考。
「だれかこの歌に関してご意見があったり、あるいは新解釈を思いついたりしたかたはございませんか」
 その初老の教授は腰を低くして慇懃に問いかけるのだけれど、いざ学生が挙手して自分の主張を述べると、彼はその意見を厚いゴム板で撥ね返すように黙殺し、自分が信奉する学術的解釈の中へ逃げこんだ。私は冷やかな彼の目と、白い柔らかそうな手に視線がいった。それはなぜか私を苛立たせた。その男の慇懃無礼な口調の端々に、新米の学生たちに対する根深い軽蔑と、偉大とされてきた先達に自説の論拠を求める他力本願的な甘えが感じられた。耐え難かった。この授業は二時に途中退室した。五限の美学はオミット。
 三時過ぎに東大球場に着いた。三日後のリーグ戦に備えて、監督たちや午後出の部員たちが張り切っていた。彼らといっしょに走り、投げ、打った。私の場所はここにしかないとあらためて感じた。きょうも記者やカメラマンが右往左往し、スタンドは黒山の人だかりだった。
 高円寺に寄って帰る。カズちゃんが、
「顔色が悪いわよ」
「連日のきつい練習でからだが驚いてるんだね」
 素子が、
「明治戦が終わったら、ゆっくりしよ」
「八日から法子さん出てきてるのよ。中央線沿線で仕事探し。三鷹にホテルとって、新聞広告なんか見ながら足を棒にして歩いてるみたい」
「いまどきピンクばっかりやから、腰が引けるやろうなあ」
「最初から水商売やるつもりはないって言ってたんじゃなかった?」
「そうよね、たしか……」
「商店の店員とかやるんじゃないかな。あしたもここに顔を出して帰るよ。法子がきたらよろしく言っといて」
         †
 四月十一日木曜日。雨。ランニング中止。大家の便所で窮屈な姿勢で排便。下痢。肛門がチーンと痛んだ。そっと紙を使う。
 駒場に出る。一限八時半からの第二グランド小屋のスポーツ身体運動学も、二限の一号館一○六教室でのフランス語もサボって、大粒の雨に傘を差し、未練がましく〈幻滅〉を確認するために、聞き耳を立てながら学内をさまよった。
 私は自分の胸底にくすぶっている芸術へのあこがれをおぼろに意識しつつ、さて学生たちの話に耳を傾けると、くだらない四方山話のほかには何も聞こえてこないのだった。彼らは芸能界の話をよくしていた。山本リンダがどうの、青大将がどうの、水前寺清子がどうのと言っていた。ひとたびそんな話題に耳を冒されると、私の頭の深いところに渦巻いている貴いものが活力を失って、ごく不活発な、貧しい脳神経ばかりで置き換えられていくような気がした。友情や尊敬の心組みを持たない彼らは、当然、偉大なものに対するあこがれを持っていなかったし、嘲笑すべきものに対する強い反発も持っていなかった。
 ―こういうやつらが現代社会の頂点に立っていく! 
 すると、またあの、自分は現代に受け容れられないだろうというアンニュイがやってくるのだった。日本の教育制度が作り上げた偉大にして壮麗な設立物、最も活動的な歯車の一つ―東京大学。そのインチキくさい実体は、私が幼いころから予想していたとおりのものだった。
 私は、これでオシマイという気持ちで、家の貧しさから余儀なく寮住まいをしている連中はどうなのだろう、と考えた。寮にはさまざまな年齢の、学部も異にする学生たちがいるのだから、中には奇特な志を持った連中や、一風変わった趣味的な人物もいるのではないか。
 私は傘を畳み、かすかな望みを抱いて駒場寮の廊下を歩いてみた。目につく人物がいたら話しかけてみようと思っていた。コンクリート造りの三棟の寮は、ちょうど北国の馬小屋か大きな納屋に似ていて、戸口がなければ家畜の収容所と錯覚しかねないような代物だった。建物の中には、長い一直線の廊下の左右に一定の大きさの箱部屋が並んでいた。通りがかりの戸を半開きに引き、覗きこんでみると、だだっ広い板敷きの空間に三人ほどの学生たちが仕切りカーテンで棲み分けていた。彼らはみな窓際にベッドを置き、窓は小暗い空地に面していた。
 それは部屋というより、むしろ物置で、薄暗く、陰気で、棺桶のようだった。学生たちはテレビを観たり(足の指でチャンネルを回しているやつもいた)、漫画を読んだり(これがほとんどだった)、即席の卓で麻雀を打ったりしていた。まれに、その合間に教科書とノートを持って授業に出ていく者もいた。机に向かっている者は一人もいなかったし、机らしきものも一向に見当たらなかった。開け閉(た)ての利かない戸も多く、そこから細い光線が洩れ出ていた。わびしい光だった。
 廊下の突っ先に、埃をかぶった二台の呼び出し電話があった。ほとんど使わないのだろう、黒い受話器の埃に指の痕がついていた。廊下を出外れた空地には、伸び放題に草が生え、通りがかりの学生が投げこんでいった空き缶やビニール袋が散乱していた。どこから紛れこんできたのか、その塵芥の中を薄汚い鶏が雨に打たれ、首を上下させながら歩き回っていた。
「あいつ、凶暴なやつでさ。こっちが食われないうちに、シメて食っちまおうか」
 めしでも食いに寮の玄関から出てくる複数の笑い声に交じって、おかしくもない冗談が聞こえてきた。私は彼らに人間の集団としての究極の怠惰を感じ、早々と引き揚げた。この場所から、緻密な思想や豊かな感情は生まれないだろう。あとは、この大学を可及的すみやかに去る時期を待つだけだ。落第しつづけて放校される手もあるが、三年つづけて落第しなければ処分されないと、たしか所長か飛島さんに聞いた覚えがある。こんなところに三年間も留め置かれたらたまったものではない。二年間しかいるつもりはない。
 待てよ、それ以前に、その間の成績不良を母に報告されて、野球部を辞めさせるよう彼女に強訴されたら元も子もなくなる。いやいや、だいじょうぶだ。東大には、学校側から直接保護者に成績を送付するシステムはないと、いつだったか山口から耳にしたことがある―成績報告も放校もないなら、このまま落第しつづけながら二十歳まで野球をやっていればいいということになる。とにかくもう大学の教室には出てこないことにしよう。試験も受けない。
 これ以上の見落としはないだろう。あのブカブカ靴のような惜しむべき人間の見落としだ。私はこの一週間、試験場で見かけて以来出会うことのできないブカブカ靴を求めてキャンパスを歩いた。彼はきっと〈人間〉だろう。しかし、目を凝らして歩いても会えなかった。合格していれば二年間のうちには会えるかもしれないが、思い返すと、乞い願うほど会いたいわけでもない。山口には電話をすれば会えるし、鈴木睦子には東大球場にいけば会える。それだけで二年間の東大野球に充実して打ちこむことができる。東大の外にはカズちゃんたちがいる。
 

         二十七

 生協食堂に入って、麦茶のような味のするコーヒーを飲んだ。テーブルのあちこちで学生たちが笑ったり、しゃべり合ったりしていた。私は彼らの平安な烏合と自分の孤独とのあいだにさびしい対立を感じた。青森高校の試験場で感じた思いと同じものだった。ただ底冷えするほどの蔑みの気持ちはなく、無関心に近い肅条とした気分だった。青森の数学塾の教師を思い出した。彼は飲んで語って遊んだ時代をなつかしみ、まるで詩人が幼年時代の思い出に捧げるようなあこがれを持って、消え去った自由を渇仰していた。このレベルの自由を―。
 しかし、結局そんなことは私には何の関わりもなかった。いまでは、いや、おそらくは永遠に、私にとって、人間と人間とのあいだに成り立つ関係のうちで、ただ一つ重要なものは、延命を意識しない肉体と魂に基づく愛情だけだった。私は東大生たちの和気を遠くさびしく感じることで、わずかな時間のうちに〈関心の危機〉を脱した。
 山口に電話して、小ざっぱりとした気持ちを伝えた。
「なんだ、俺もだよ。初日の講義で決めた。あとは訣別の記念だ。一度だけ、思い出のために、授業と試験とクラスコンパとクラス旅行を経験しておくことにした。何ごとも経験だ。いつ深い感懐に結びつくかわからないからな」
「……ああ、そうだね」
 記念のために三限の西洋近代史に出る。この教授は、
「東大出身でない学者は信用できない」
 と幼児的な発言をした。彼は前衛的作風を得意とする学者作家だった。彼は〈実験的文学者〉とやらの立場で、自分の想定する〈ロマンチックな無想家〉を教養なき者として皮肉らしく風刺するかと思えば―彼は谷崎まで非難した―次の瞬間には自分が咎めたはずの情緒の世界を礼賛するという具合だった。そして、自分の言葉の矛盾には気づいていないふうだった。そこで私は、自分と同じような幻滅を味わっている正常な神経の持ち主がいるのではないかと考え、教室の学生の表情に視線を凝らしてみた。見たところ一人もいなかった。みんな満足していた。
 結局、どの学者の講義にも、衣装としての学問が見えるだけだった。そして、どれもこれも学問の名を騙(かた)る、無知よりも軽蔑すべきたわごとだった。彼らは文学部の教授のくせに、文学者ではなかった。私は、だれでも真面目に文学をやりだすと、おのずと自我の問題に行き当たるものだと思っていた。いまさらのように自分の心を取り出してみて、それをできるだけ深く掘り下げ、細かく解剖し、自己というものの本質を突き止めないではいられなくなる、そう思っていた。しかし、彼らの講義にはそれがまったくなかった。だから、考えていることをことごとく言い表すわけにはいかないという、私をいつも脅かしている悩みはけっして彼らの頭に巣食うことはないと確信できたし、自分の考えていることや信じていることはひょっとしたら無意味なのではないか、という疑惑に責められたことも一度もないだろうと確信できた。
 授業に出た学生たちもなぜか充足した顔で教室を出ていった。何を学んだ結果の充足だろう。そんな学生たちに雑じって構内を歩いていると、私は自分を分相応の劣等な場所に収容された劣等な人間だと思い、この場所で自尊心や廉恥心を持つ無力感を覚えはじめた。危険な兆候だった。私はその無力感と戦った。
 彼らにかぎらず、世の中の権威的な人間のありようはこの程度のものにちがいない。そんな人間どもは、だれにも強い影響や感化をおよぼすことはできない。彼らとはこの先どこまでいっても、ただうわべだけの接触をつづけることになるだろう。私は彼らの立身を羨みもしないし、彼らと競い合うことで自分を光らせようとも思わない。彼らの一員であることが理由で世間の人びとから畏敬されることが、どれほど私の真価を損なうことか。
 ―どうやっても生き延びなければならない。
 私は気力を奮って休み時間の廊下に出、山口とまでは言わないが、会話術に長けた頭の回転が速い珍種がいるのではないかと神経を尖らせてみたが、これもむだな探索だった。彼らの話すことは、すべて信じられないほど幼く、軽薄で、バカバカしいものだった。宿便に利く特効薬があるとか、進学振り分けのときAが何個以上ないと××学科に進学できないとか、先輩の××は四浪もして学習院にしかいけなかったとか、だれだれの祖父はもと国鉄総裁だなどという、腰が抜けるほどくだらない話が耳に飛びこんでくるばかりだった。要するに彼らはみな、世間の流行にまつわることとか、知人の悪口とか、自分を貴種に見立てた自慢話といったものをもったいぶってしゃべっているにすぎなかった。講師連と寸部も変わるところがなかった。芸術や哲学の話はだれの口からも洩れなかった。映画や音楽やスポーツの話すらしなかった。心の動き方が千篇一律で、青年らしい上気した好奇心は悲しいほどなかった。彼らの話すことと、山口を相手に話してきたこととを比較してみようという考えが、もしそのとき頭に浮かんだとしたら、いっそう無益で、バカバカしい気持ちになっただろう。やはりこの大学は、捨てるに値する大学だった。しかし、捨て去る計画を立てるのはとてつもない時間のむだに思われた。何かを契機にしてサッサと捨ててしまうのがいちばんいいと判断した。その契機は、野球に関わること以外にないと確信していた。
 シラカシの大木の下を通って校門を出ようとすると、六人の男が近づいてきた。
「神無月選手」
「はい」
 同じ8Dクラスの梅原、宗、吹田、猪口、高橋、海野と名乗った。初日のフランス語の教室で見かけた顔だった。
「六大学野球に旋風を起こしてください」
「テレビのニュースでどでかいホームランを観ました。リーグ戦が始まったら神宮に応援にいきます。あの……」
 今夜クラスコンパに出てくれないか、と言う。
「いまから? 雨だよ」
 宗が丁寧な言葉遣いで、
「夕方にはあがるという予報でした。もっと早くお誘いすればよかったんですが、畏れ多くて声をかけられなかったんですよ。井之頭公園で、花見がてら、どうでしょう」
 宴の中心人物に据えないこと、その条件を守るなら出る、と答えた。猪口が、
「それは難しいなあ……」
 東京大学という日本の権威の象徴に対する好奇心は、とっくに根こそぎへし折られてしまっている。もう何を期待するでもない。野球の合間の暇つぶしに、学生たちの行事に一とおり参加してみようか。意外な発見があるかもしれない。美男子はゼロというのが不気味だ。クラスの半数近くを占めていた女子学生が一人も参加しないのも、不気味な感じがした。猪口は五人の男に私の注文を伝えていた。何人か寄ってきて、握手を求めた。私はただ握手し、うなずいた。
 総勢七人が井之頭線に乗り、終点の吉祥寺に向かう。梅原が話しかける。
「俺、中央の経済やめてきたんですよ。幻想文学に興味ないですか」
「何それ」
 笑うだけで答えは返ってこない。宗が、
「超常現象を描く文学です」
「ファンタジーとはちがうの?」
「ファンタジーというのは、驚きとか好奇心、夢とか空想的なテーマで、メルヘン文学に近いものですが、幻想文学は、恐怖心や怪奇などの感情に基づいたものです」
「じゃ、やっぱり興味ない。怪異、神話を語らず。それがぼくの文学観だ。SFもだめだね。で、お勧めの作品はあるの? ぜひと言うなら暇なときに読んでみるよ」
 梅原が、
「江戸川乱歩の人間椅子、夢野久作の瓶詰めの地獄」
 暗記した。しかし読まないだろう。宗が、
「ぼく、啄木の母校、盛岡一高出身です。駿台模試で連続国語一番の神無月くんは、一高では有名人でした。東大の国語はどうでした」
「忘れた」
 吹田が、
「俺、小田原からかよってるんですよ。今夜は早く切り上げなくちゃいけない。ちなみに、あそこでふんぞり返ってるやつ、最高裁判事の孫ですよ」
 やはりそういう話に落ち着くのか。
「国鉄総裁の孫もいたっけね。すごいもんだなあ、東大というところは。ぼくは土方の飯場で育った男です。ところで、なんで女がこないの」
 宗が、
「男は危険ですからね」
 ―危険? おまえたちが?
 ゴザを丸めて持っていた猪口が座席を立ってやってきて、
「神無月くんはメチャ美男子だけど、女にもてるでしょう」
「もてない。〈危険〉なにおいがするからね。もてるのはきみたちだ。黙っていても、女がウハウハ寄ってくるぞ」
 吉祥寺で降りると、宗の言ったとおり雨が上がっていた。
 夜七時。井之頭公園の桜は満開だった。群青の空に、吉永先生の好きなピンク色が鮮やかに浮き出している。猪口がゴザを敷いた。夜桜の下にあぐらをかくというのは生まれて初めての経験だったので少しときめいた。ここにくる道の途中で自販で買ったワンカッブ酒が配られ、ゴザに敷き並べたツマミ類の費用とともに二百円を徴収された。
「わたくし吹田、僭越ながら、初のクラス会の幹事を務めさせていただきます。乾杯のあと、自己紹介をお願いします。カンパイ!」
「カンパイ!」
 グイと飲むやつはいない。私も飲まない。七人程度の自己紹介があっという間にすんだ。出身校と名前しか言わないからだ。国立高校梅原敬二郎、小田原高校吹田孝、盛岡一高宗貢、日比谷高校高橋力、麻布高校海野進一。
「三浪です!」
 とひとことつけ加えた宇都宮高校猪口義人。
「名古屋西高校、神無月郷」
 と言うと、オー! とわざとらしい喚声が上がった。私は吹田に訊いた。
「クラスの男女比はどのくらい?」
「男二十一、女十七」
「それで男だけ七人しか参加しないクラス会というのは……」
「たまたま集まっただけですよ」
「美人は?」
「野球部マネージャーの上野詩織ですかね」
「眼鏡かけてるよね」
「外すと驚きますよ。あとは総ブス」
「もう一人の新人マネージャーは、鈴木睦子というんだけど、これも美人だ。驚くぞ。ぼくは青森高校に二年までいたんだけど、そこでも彼女はマネージャーだった」
「俺、日比谷でバレー部のセッターやってたんだ」
 高橋が言う。問い返しもせずにわが身の話を始めるのは、他人に関心がない証拠だ。女にも関心がないようだ。セッターが猪口に、
「入試何点ぐらい取れた?」
「五割ぐらい」
「え、そんなんで受かるの」
 何がソンナンデだ。そんなに取れてるはずがないだろう。受かればウソも自由だ。
「一次試験も六割くらいだった」
 次々と得点を言いはじめる。梅原が、
「神無月くんはどうだった?」
「さあ、知らない。よく受かったよ」
 宗が、
「読売のスポーツコラムに載ってましたよ。文系全学の次席だって。神無月くん、そんなおとぼけはイヤ味ですよ。だれも謙虚とは受け取らない。どんなに自己韜晦したって、野球という金棒を持ってるんだから安心なんだろうけど」
「記事が事実だとしても、何の関心もない。ぼくの野球人生と関係がないから」
 彼らは私の話の内容を聴いていない。私がしゃべったというだけで、めいめいようやく口が軽くなり、家族の話、予備校の経験談、自宅浪人の苦しさ、姉が理Ⅲにいる、N某という女性ピアニストは親戚だ、などとにぎやかになる。だれがだれに興味があるというのでもなく、彼らの主な目的は自己宣伝らしかったが、だれも他人の宣伝など聞いていないのだった。青高健児の醇雅さをしみじみ思い出した。
 自己アピールを終えると、何がうれしいのか、みんな揃って自販機へ酒とビールを買いにいった。私は戻ってきた彼らに三千円を醵出(きょしゅつ)した。
 やがて、無茶飲みのせいで木陰で吐きはじめるやつもいれば、桜の幹にかじりついて、セミやります! と叫び、ミーン、ミーン、とつまらない芸を披露するやつもいた。そして、何分か経つとかならずだれかが立ち上がり、
「×野×助、いきます!」
 と叫んで、イッキ飲みというものをするのだった。どこで習い覚えたのか、
「きょうもお酒が飲めるのは、××さんのおかげです。そーれ、イッキ、イッキ!」
 と大声を上げ、カップ酒やビールを、仲間の音頭に合わせて飲み干すのだった。イッキが終わっても歓談の時間が訪れることはなく、だれも山口や山田三樹夫のような、深く広範な意味を持った言葉を口にしなかった。早く帰る予定だった小田原高校までが、腰をすえて、小学校以来の自分の成績の歴史や、父母の偉大さや、優秀な高校教師の思い出や、予備校やZ会でのライバルといった狭い世界のことを延々と語るのだった。私は彼らが酔いでわけがわからなくなっているのに乗じて、途中で抜けて帰った。十時を回っていた。あしたからいっさいの授業に出ないと決めた。体育だけはもう一回、私に声をかけてくれた最初で最後の東大関係者である福島教授のために出席することにした。
       



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