十三

 おトキさんがトモヨさんと直人の食事の支度をする。このごろ母子は、夕食以外は、みんなが引き揚げたあとにとることが多い。直人のペースで落ち着いて食べられるからだろう。百江がおさんどんをする。隣の十六畳からメイ子の屈託のない笑い声が聞こえる。幸せな気分になる。
「江藤さんや太田さんも、きょう出発?」
 女将が尋く。
「ええ、江藤さんが太田を連れていくようです。同じ寮ですから」
「二人とも九州男児で、気持ちのいい人間ですな。類は友を呼ぶとはよく言ったもんです」
 主人がうなずく。
「ぼくは生まれただけで、太田も高校時代をすごしただけですよ。根っからの九州男児は江藤さんです」
「いや、血が同じですよ。大らかで、こだわりがない」
 菅野が、
「神無月さん、江藤さんに右肘痛があることを知ってますか」
「耳に挟んだことはあります。あの強肩からは想像できない」
 主人が、
「キャッチャーをやらんのは、ライバルが多い云々じゃなく、そのせいなんですわ。日鉄二瀬のハードな練習で傷めたようや。去年までの外野もきつかったでしょう。千原を引っこめてまでの一塁コンバートは、水原さんのかねてからの腹案やったと思います」
「また濃人か」
「はい。ドラゴンズに引っ張ってもらった恩義があるというだけで、どんなことにも恨みごとを言わんオトコです。オトコの神無月さんを気に入るはずですわ。背番号のことなんかまったく気にしとらんですね。大げさな記事やったんやろう」
 トモヨさんが、
「郷くん、左肘の手術痕、見せてくれる?」
 見慣れている傷を見せろと言うのは、江藤の肘痛の話から、いかに肘の痛みが野球選手にとって大ごとか、しかも手術を要するほどの大ごとかを一家の者たちに示したかったからにちがいない。ジャージをめくり、肘を差し上げて見せると、トモヨさんは白い傷跡をなぞりながら、
「中学一年のときに手術したんですよね」
「そう。開けただけで閉じた。軟骨でなく、神経をやられていたからね。人生最大の絶望の名残」
 菅野が、
「そこからよく……。右肘もこうなる可能性はありますね」
「それが体質ならね。でも、肘をぶつけたことが原因だったから、そういう不運なケガがないかぎりだいじょうぶ。あとは酷使かな。ピッチャーをやらなければ心配ない」
 主人が、
「肘をぶつけたゆうんは?」
「小五のときに、後ろの席のやつにしつこくくすぐられて、やめろと振り向いたとたん机の角にしたたかにぶつけました。東映戦で、八回に浜野から逆転スリーランを打った三沢という小柄な左バッターがいたでしょう。パンフレットを見たら、三沢今朝治とあって思い出しましたよ。そのくすぐった男は今朝文という名前だったんです。黒人とのアイノコでね。その場で寺田にこっぴどく殴る蹴るされました。脚の悪い気の毒なやつで。……菱川さんを見るたびに胸が痛くなります」
「……広島の衣笠もそうですな」
 トモヨさんが、
「ケガをせずに、一年でも長く野球ができることを祈ってます」
「ありがとう。水原監督が引退するまではやるつもりです」
 菅野といっしょにカズちゃんと素子が帰ってきた。直人もいる。
「おとうちゃんを見送ると言ってきかないもので。保母さんに断って連れ帰りました。午後から出ることにしましたよ」
「ほんとにすみません」
 トモヨさんが平謝りする。カズちゃんは直人を膝に抱き、
「言い出したら聞かない子だからね、直人は。ちゃんとお見送りするのよ」
 私は直人を膝に抱き取り、
「さびしがってばかりいたらだめじゃないか。とうちゃんは一年じゅうどこかへ出かけてるんだぞ」
 ニッコリ見上げる頭を撫でる。
「で、どんな本を買ってきたの」
「島崎藤村の新潮文庫、ぜんぶ買ってきたわ」
「うちは川端康成。ひと月読書や」
「川端は退屈だぞ。藤村のどれか一冊借りてくよ」
「適当に持ってって。藤村も破戒以外は退屈よ」
「じゃ、破戒を持ってく。四年ぶりに読み返す」
 素子が、
「退屈に慣れとかんと、退屈でない小説のありがたみがなくなるわ」
「なるほど、そういう考え方もあるね」
「神無月さん、はい切符。十五号車です。社長、これお釣り」
「ごくろうさん。雨強かったか」
「ふつうです。あしたは上がりますね」
 女将が、
「あしたからずっと晴れやと。気温も上がっていくらしいで。桜を見にいくころはポカポカやわ」
 主人が、
「桜は三月末がいいんだ。神無月さん、末で空いてるのは?」
「二十八日です」
 立ち上がって壁のカレンダーを見て、
「金曜日やな。滝澤さんも吉永さんも帰ってきとるころやないか? ムッちゃんゆうのも誘っていこう。その日は、臨時休業にするわ」
 大座敷で歓声が上がった。
「ペナントレース祈願もするで、熱田神宮にもいく。和子と菅ちゃん二人の運転で、バン二台使っていくぞ。レンタカー予約しといてや」
「節子さんたち、金曜日にお休み取れるかしら」
 女将が、
「仕事は四月の一日からゆう話やよ」
「ならだいじょうぶやな」
 菅野は紙袋から小箱を取り出して開け、
「温度計つき腕時計、タイメックス・エクスペディションです。私も買いました」
「ふうん、きれいな時計だ」
 手首に付けてみる。
「軽い。こりゃいいや」
 主人が菅野に、
「オープン戦のテレビ放送はあるやろか」
「ロッテ戦はないですが、巨人戦はあります。テレビにかじりついちゃいますね」
「仕事にならんな」
 女将が、
「お昼過ぎに仕事したことあれせんがね」
「ほうやった。うまくできとるな」
         †
 シソ茶漬けで軽くめしをすまし、シャワーを浴びる。濃い茶色のブレザーを着、ジャージと下着、グローブ、帽子、それからおトキさんの弁当、一合瓶の枇杷酒をダッフルに詰めた。カズちゃんに渡された新潮文庫を一冊入れる。いのちの記録と筆箱も詰める。
「読み直しよりこっちのほうがいいわ。島崎藤村の『嵐』と『ある女の生涯』の二作品をまとめたものよ。先月文庫版が出たばかりですって。旅のお供になるわよ」
「ありがとう」
 素子が、
「川端は何から読めばええ?」
「やっぱり、雪国じゃないかな」
 菅野が、
「きょうは今年いちばんの冷えこみだそうです。東京に雪が降ってるのをニュースで流してました。すぐ消える雪でしょうけどね。雨が降ってるので駅まで車で送ります」
 断ろうとすると、主人が、
「和子に聞きました。そう堅いことおっしゃらんでください。神無月さんを見送ったり出迎えたりするのはワシらの大切な楽しみなんですよ。気にせんと勝手にやらせといてください」
 女将が、
「ほうよ、何の苦労もないんやから。トモヨ、直人といっしょに駅までいっといで」
「はい」
 直人の手を引いて玄関土間に降りた。式台に一族郎党が居並んだ。入団式の日と同じように、女将が肩越しに切り火を打った。
「いってきます。九日の夜に戻ります」
「いってらっしゃいませ!」
「ホームラン!」
「ご無事で!」
 駅の西口ロータリーにつけた菅野を車に残し、主人と、直人を抱いたトモヨさんに改札まで送られる。トモヨさんは直人を抱え上げて私に頬ずりさせ、
「いってらっしゃい。寝冷えに気をつけて」
 涙ぐんでいる。
「たった六日だよ」
「はい。おかあさんと区役所にいってきました。手続をすませました。ありがとうございました」
「遅すぎた。ごめんね」
「いいえ。願ってもないことです」
「おちょうちゃん、バイバイ」
「おお、いってくるよ。お昼ごはん食べたら、ちゃんと保育所いくんだよ。みんなと仲よくな」
 頭を撫でる。トモヨさんと直人の唇にキスをする。主人が、
「ホテルのベッドは掛け布が薄いから、くれぐれも風邪をひかんように」
「はい、気をつけます」
 階段を上り、途中から振り返って主人と母子に手を振る。いきすがる人びとと比べて三人とも際立って美しい。誇らしい気分でホームに昇り、新大阪からやってきたひかり東京行に乗りこむ。
 一等車は六十六名定員の車内に二十名ほど。指定の座席について、ビルの群れが過ぎ去るのを見つめる。雨が窓にかかる。たちまち家並が低くなる。名古屋を出ると、豊橋、浜松、静岡、新横浜、品川に停車することをアナウンスが告げる。畑とビニールハウスと遠山の景色に切り替わる。日本の土地が広大であるとわかる。目で感じるかぎり、けっして狭い国ではない。雨空を透かしておぼろの太陽が輝いている。
 足もとのダッフルから赤い表紙の文庫本を取り出して開く。ある女の生涯。
 六十歳のおげんという商家の女が、長年具合の悪かったからだの養生のために、四十になる知恵遅れの娘お新と、九歳になる預かりの甥と、付き添いの婆やを連れて、蜂谷という医者の家にやってくる。三人がどこからやってきたのか、蜂谷という医者の住む在処がどこなのか、どちらも〈ある町〉としか書いてないのでわからない。
 蜂谷は少年のころに、おげんの死んだ亭主に書生として引き取られ、面倒見られたという因縁の者だ。医院のある場所は、桑畑のそばに木曽川が流れているような田舎だ。おげんは蜂谷の家を起点にして東京に出ようと考えている。長いこと会っていない弟たちの顔を見たいという心づもりがあったからだ。
 ここまで読み取るのにかなりの時間がかかった。そこからも、くどくどとわかりにくい文章がつづく。浮気性の亭主に対するおげんの愚痴ばかり。やがて、彼女のからだの具合が悪いのは、死んだ亭主から移された性病のせいだとわかる。〈いずれ命の根まで噛まれる〉と書いてあり、病変が外部に出ていないところを見ると、おそらく慢性淋病か梅毒だろう。少しからだ具合が回復したので、連れてきた三人を蜂谷の家に残して上京することにする。
 静岡を過ぎたあたりで文庫を伏せ、雨の平野を眺めながらおトキさんの弁当を食う。二段の竹重。上の重は豚肉に、茹で卵のスライス、長ネギ、ナス、ピーマン、タマネギ、ニンジン、マイタケを合わせた味噌炒め、下の重にびっしり白米。美味。あっという間に平らげる。車内販売でコーヒー。五十円。黒い雨雲の下に富士が見えた。頂上の積雪はぼんやりとしていた。
 ふたたび、ある女の生涯。とにかくシックリ理解できない文章だ。おげんの精神錯乱的な行動のせいで、せっかく再会した弟たちと噛み合わないということだけが伝わってくる。キチガイ扱いされ、騙されて精神病院に入れられる。三年間そこで暮らして死ぬ。狂気は父親譲りの遺伝と病毒の浸潤のせいだと藤村はにおわせる。だとすれば性病はまちがいなく梅毒ということになるが、それなら病変は外部に出るはずだ。しかし、それはどうでもいいことだ。本筋ではない。私には、彼女の狂気の底に性的な抑圧がにおう。たぶん、藤村が書きたかったのもそれだろう。性の不満―くだらないことを書きたがるものだ。たぶん聞き書きのせいだろう、迫真性がなく、表現に愛情も感じられないので、たとえモデルがいるにしても、その女は藤村が愛する人間ではない。
 短編だったので、読み終えるころに新横浜に着いた。まちがって新神奈川という駅名で記憶していた。高島台が見えないかと視線を上げたが、まったく見えなかった。高島台の方向さえ見当がつかなかった。


         十四

 品川駅のホームに立った。大粒の綿雪が降っている。『雨の降る品川駅』という中野重治の煌(きらめ)くような詩を思い出す。

  辛よ さようなら
  金よ さようなら
  君らは雨の降る品川駅から乗車する
  李よ さようなら
  も一人の李よ さようなら
  君らは君らの父母の国に帰る


 昭和四年、天皇制反対の政治詩。四十年前。トモヨさんが生まれた年。菅野が生まれた年。天皇を殺せとまで書いてある。そこは私の感覚が詩として捉えない。金よさようなら、がすべてだ。
 都会の雪なので、目に見えるか見えないほどの粉雪に変わることを予想していたが、本降りのままだ。線路に落ちては積み重なって白さを増していく。
 ダッフルを担いでコンコースを歩き、山手線ホームへ。新橋に出る。改札を出て、銀座線へのコンコースを歩く。かなり距離があるけれども直進なのでラクだ。静かな人波。改札にたどり着き、発券機で赤坂見附までの切符を買う。渋谷方面の地下ホームに立つ。ホームと言うにはあまりにも狭すぎるプレートを少し進んでいくと、多少開けた空間に古風な木製のベンチが置いてあった。腰を下ろして黄色いタイル壁を眺める。黒いタイルで新橋の駅名標を浮き出してある。目に鮮やかだ。ひどく小さい黄色い車体が入ってきた。天井が赤くて毒々しい昆虫のようだ。けっこう混んでいる。チラとこちらを見つめる人の数が増えた。虎ノ門、赤坂見附と二つ目。暗い窓ばかり見つめているうちに赤坂見附駅に到着した。視線を逃れるように下車する。小さな改札だった。
 タイメックスを見ると三時半になろうとしている。気温マイナス一・一度。ものすごい冷えこみだ。駅員にニューオータニの方向を尋き、駅舎の外に出て、売店で傘を買う。雪が降りしきっている。靴が食いこむほどの積もりではない。右折し、アーチ型の弁慶橋という名の木橋を渡る。皇居の堀に架かっている橋だ。堀端の緑に黒いギボシが映える。午後の街並が人工の光で明るんでいる。雪片を掌に受ける。電柱に千代田区紀尾井町という表示がある。出っ歯の雄司の姓と同じだ。
 紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡という石柱を通り過ぎると、豪壮な白亜のビルが見えてきた。ホテルニューオータニという掲示標があるので宿泊先にまちがいない。何階建てなのか数えるのが面倒なくらい背が高いビルだ。全体を見渡す。くの字に折れた不気味に大きい建造物だ。ビルの最上階の屋根に円盤状の物見台が載っている。中日ビルの回転盤よりずっと大きい。
 だだっ広い駐車場に沿ったスロープの歩道を登り、円盤を載せた建物に向かう。正面玄関からロビーへ入る。薄暗い。広い空間に淡い色の絨毯が敷いてある。すぐに正装をしたボーイがやってきて、ようこそいらっしゃいませ、と言いながらダッフルと傘を受け取る。フロントへ導かれる。白シャツに黒のベストを着た男女が三人立っている。ボーイは傘に厚いビニールをかぶせて私に戻した。柱も壁も天井も豪華すぎるので、どこにも目がいかない。明石のグリーンヒルホテルとは別物だ。あそこも何か落ち着かなかったが、ここはますます落ち着かない。今度こそ飯場とはまったくちがう世界に入りこみ、まったくちがう生活が始まったと感じさせる。フロントから声がかかる。
「いらっしゃいませ、神無月さま。こちらへご記入をどうぞ」
 名前がわかっているのは、宿泊客の多くが常客のドラゴンズの選手だからだろう。カウンターのパンフレットを一枚いただく。氏名、住所、電話番号、九日午前十時チェックアウトと記入する。下の階へ降りる広い階段が見える。このロビー階に大食堂の常営店が何軒かあるとフロントが言う。喫茶部は目の前に見えている。
「その階段を下りますと、ショッピング階になっております」
「部屋は何階ですか」 
「お一人様用のセミダブルベッドのお部屋にお申しこみでしたので、五階八号室にさせていただきました。お荷物はすべてお部屋のほうに運んでございます」
「ありがとうございます」
 五月生まれと背番号8にちなんだのは、村迫代表の計らいだと思った。
「ほかの選手も同じ階ですか」
「六階ツイン七室に十四名さま、七階ツイン七室に十四名さま、八階セミダブル十室に十名さま、五階セミダブル五室に五名さまです」
「五階のぼく以外の四人はだれですか」
「三号室に中さま、六号室に江藤さま、十号室に高木さま、十二号室に木俣さまでございます」
「年間を通して同じですか」
「さようでございます」
 うれしさがこみ上げてきた。
「食事は?」
「一般のみなさまのお食事は、六時半より八時半まで、一階の芙蓉の間等大広間で召し上がっていただきます。朝食も大広間で、七時半より九時半となっております。中日ドラゴンズのみなさまは、館内、庭園、どのレストランでお食事なさってもよいことになっております。もちろん一般のお客さまとごいっしょしていただいてもかまいません。なおルームサービスは基本的に二十四時間となっておりますが、お店によって例外がございますのでフロントでお確かめくださいませ。ルームサービスのメニューはお部屋のテーブルの上に置いてございます」
 鍵を受け取り、大食堂の一室に入ってみる。マントルピースがあり、ねじり柱で縁どられている。百席もあろうかという広間だ。食堂を出て中央階段を上ると、踊り場の大窓は清楚な淡い色調のステンドグラスで、気持ちのいい光を採りこんでいる。階段の上がりはなの部屋は装飾の多い談話室になっていて、全体に沈んだ茶色で統一されていた。
 待ち受けていたボーイに従いエレベーターで五階へ昇る。ダッフルを受け取り、鍵を開けて部屋に入る。
「御用があるときは、枕もとの電話でダイアル二番をお回しくださいませ。お電話をおかけになりたいときは、直通でつながります。それではどうぞごゆっくり」
「ありがとう、ご苦労さまでした」
 大きなベッドに二つの白枕が重ねられ、赤紫の肘当てが一対置いてある。床頭スタンドが一対、凹んだ波模様の飾り壁は何本もの蛍光灯で照らされている。光量は枕もとのつまみで調整できる。幅の狭い机と簡便な背付きの椅子、ソファ、肘掛け椅子、コーヒーテーブル、台座に載ったテレビ。調度の一つ一つが豪華だ。風呂は一帖ほどのタブ槽、水洗トイレの広い空間が接している。ベッドの脇の絨毯フロアはバットを振れるほど広くはないが、タオルのシャドーはできる。
 届いているすべての荷物を解く。ユニフォームをソファに延べ、バットを三本机の脇に立てかける。その足もとにスパイクと運動靴を置く。机の上にノートと文具、文庫本を並べる。グローブ、帽子に加えて、アンダーシャツ一組、タオル二本、それから替えのスパイク一足と特殊眼鏡をダッフルに詰める。一キロのダンベル二つをコーヒーテーブルの下に置く。
 ようやく落ち着き、ブレザーを脱いで洋箪笥に掛け、ジャージに着替える。赤紫のカーテンを引いて大窓から覗くと、本館と別棟とのあいだの敷地が低木の植わった四角形の中庭になっていて、周囲は森だった。雪の彼方に都会のビル群がかすんでいる。雪が降っていることにあらためて気づいた。ソファに座り、さきほどいただいてきたパンフレットを読む。

 一九六四年の東京オリンピック開催に際し、国内の宿泊施設を補うべく国家の要請のもと誕生したホテルです。客室数一○五八、世界初のユニットバスやカーテンウォール工法、すべての席から富士山を望むことができる最大級の回転展望ラウンジ、十七階建てという日本初の超高層建築である点など、新時代を切り拓く最新技術が次々に導入され、世界に恥じない〈東洋一〉のホテルとして生まれた歴史的建造物でもあります。

 暖房を切り、腕立て五十回。腹筋五十回、背筋五十回。汗が出る前にやめる。左腕のシャドー五十本。ひさしぶりにスパイクとグローブを磨く。ドアにノックの音。
「太田です!」
「おう!」
 やはりジャージを着ている。
「うわ、すごい部屋だな。最大貢献者はやっぱりちがいますね」
「太田は何階?」
「六階のツインです。監督、コーチは八階。五階から八階までは、宿泊客数からすればごく一部ですが、俺たちのような特別予約客が入ってます。予約は予約でも俺たちは二人部屋ですよ。二軍からスタッフと合わせて十四人きてます。俺は菱川さんと相部屋です」
「明石でぼくと同部屋したのよりはマシな部屋なんだろ?」
「もちろん、雲泥の差です」
「あしたは何時に出ればいい?」
「二時試合開始ですから、ここを十時半にバスで出れば悠々間に合います」
「宿泊だから、バスが出るんだね」
「はい。ホテルから二台でいきます。巨人戦も同じです」
「ユニフォームでいって、ユニフォームで帰れるな。直接球場に駆けつけるなんて、とうてい無理だったよ」
「そうですよ。車で駆けつける以外は無理です。江藤さんが言ったように用具一式抱えて電車に乗ったとしても、ファンに取り押さえられて立ち往生です」
「だからみんな車を買うんだな。高校からこっちの野球は、団体行動しなくちゃいけないスポーツと化すわけだ。新幹線にしたって、ダッフル抱えてなくても二等車に乗ってたら厄介なことになってた」
「北海道や九州は一般車輌や飛行機で団体移動ですよ。人にまとわりつかれてラクじゃありません。ラクできるのは、俺たちみたいな無名人です」
「あしたの朝めしは九時からにしよう」
「俺は早めに食っちゃいます」
 私は窓を見て、
「すごく降ってるね。あしたできるかな」
「プロの球場のグランド整備は、台風のあとでも万全です。ビニールシートで覆ってあるので問題ありません。中止になるのは、試合中に大雨が降ったときぐらいです」
「まだ経験ないけど、そのうち大雨にもぶつかるんだろうな」
「試合前に大雨がきそうなときは、ホームランを控えることですね。雨でノーゲームになると、記録が取り消されます」
「そういうのは気にしないでいくよ。昼めしはどうやってとるの」
「試合開始三十分前に近所の店から選手控え室に出前をとれますし、ダグアウト裏には選手用の立派な食堂もあります。ホテルの弁当を注文しておくこともできます。めしを食う食わないは自由ですけど、食わないとからだがへこたれます。あ、そうだ、今夜六時半から十五分くらい食堂でミーティングです。と言っても、スターティングメンバーの発表とサインの確認ぐらいですけど。晩めし食いながらです」
「それ、どっからの情報?」
「ぜんぶ江藤さんです」
「巨人のブロックサインはすごかったな。あれじゃ選手が疲れちゃう」
「うちはもう、ヒットエンドランのサインも出さなくなりましたね。水原さんは徹底してます。ポンポン手を叩いたり、尻ポケットに手を突っこんだり、空を見上げたりして、サイン出してるふりをしてるんだもん。じゃ、俺、シャワー浴びて、めし食いにいきます」
「こっちにきてる二軍て、今年入団のやつ、いる?」
「三好と水谷則博ですかね」
「ああ、三好」
「愛媛出身のスラッガーですよ。十八歳」
「態度の大きかったやつ?」
「はい、衣笠みたいに豪快に振りたいと言った男です」
「スィング見たことないけど、どう?」
「いいものを持ってます。ただ、素振りに神無月さんのようなテーマがないんです。使われるのはずっと先ですね。じゃ、食堂で」
 みんな〈いいもの〉を持ったまま消えていく。
 ジャージをブレザーに着替え、六時二十五分に大食堂にいった。報道陣のフラッシュが連続して光る。すでに水原監督以下一軍コーチ陣、二軍の本多監督と、長谷川コーチ、森下コーチ、一、二軍選手一同も席についていた。私がいちばん最後だった。首脳陣はもちろん、選手たちも全員背広を着ていた。太田と江藤と水谷則博と三好のテーブルに同席した。またフラッシュが光った。水原監督が立ち上がり、
「まだ序の口ですが、遠征じみたものが始まりました。どうですか、遠征先に駆けつけるのもたいへんでしょう。二軍の三分の二は名古屋に残したままです。岩本信一くんと塚田直和くんが面倒見てます。遠征メンバーがたいへんな思いをするのは、チームの命運を担っているからです。覚悟の臍を固めて、この四戦を戦ってください」
 廊下のソファに、チラリと宇賀神の顔が見えた。二人の男を供に連れていた。私がうなずくとうなずき返して、すぐに姿を消した。


         十五

 入口に近いコーナーでコック帽をかぶった男が数人でステーキを焼いている。そこから続々と分厚いステーキが運びこまれる。水原監督が腰を下ろすと榊スカウト部長が立ち上がり、
「今年秋のドラフト上位指名予定は、バッターを考えています。たとえば早稲田の谷沢とか荒川です。うまく採れれば、神無月、江藤、木俣のクリーンアップの一角に食いこませるよう鍛えることになると思いますが、菱川、島谷、太田、千原、伊藤竜彦ら打線の核になるべく期待されている者たちは、ドラフト入団者に競り勝ってクリーンアップの一角に食いこむよう精いっぱい奮闘していただきたい」
 森下コーチが、
「二軍から三好真一、村上真二の両内野手、ピッチャーの水谷則博を合流させた。出場チャンスがあればどんどん使ってもらうことになる」
 田宮と交代し、
「これまでどおり、サインはあるように見せかけて、実はない。これは他チームにとっては非常にやりづらい。巨人のブロックサインなど見抜かなくたって、つまるところ、バントしろ、スクイズしろ、ヒットエンドランしろ、自由に打て、待て、走れ、しかないわけだ。あんなオーバーなことして選手に神経と時間を使わせて、笑止のかぎりだ。全員自分で考え、たがいの目と頭で相談し合って野球をしてくれ。あ、それから、ヒットエンドランのサインも出さないことになった。以上」
 半田コーチが、
「ダッシュの練習のとき、ワタシ、こっそり五十メートルのタイム計ったネ。ナンバーワンは神無月くんの五秒四」
 ウオーというどよめき。
「次が中さんの五秒八。だから、この二人が塁にいるときは積極的に走るよ。サインはなしネ。この話、新聞に書かれてもだいじょぶよ。防ぎ切れないから。知ってるとかえってカウント悪くするのがオチよ。新聞記者さんがこのこと書くと、その人あとで怨まれるかもネ」
 ざわざわと笑いがカメラの居並ぶ壁に拡がる。太田コーチが、
「じゃ、食事にかかってください。あしたからはこんな堅苦しいことはなし。スターティングメンバーはバスで発表します。朝食後のミーティングはカット」
 江藤が、
「野球の神さまは、足もピカイチか。ワシもむかしは六秒一か二で走れたが、いまは六秒五くらいかのう」
 三好が、
「五秒台はオリンピック並ですよ。五秒四は異常です」
「百メートルは十一秒くらいで、たいしたことないんですよ。プロ野球には十秒の後半で走る人がたくさんいます」
 太田が、
「グランドで百メートル走り切る必要なんかないですから、神無月さんの足は野球用にできてるということです」
 水原監督のテーブルにいた村迫が私に微笑みかけた。私は辞儀をした。小川と浜野がガハガハ笑いながら、しきりにナイフとフォークを動かしている。板東と葛城と伊藤久敏と山中はビールをつぎ合いながら歓談し、小野は徳武や長谷川コーチと静かに肉を切っていた。
「あいつ、お替り要求してやがる。肉ばっかり食うとると癌になるばい」
 江藤の視線の先を見ると、菱川が皿を持って料理コーナーに立っていた。ウエイターやウエイトレスが、水やコーヒーを持って歩き回る。
「徳武さん、元気ないですね」
「代打でもあまり使われんごつなるやろうのう。三好、せっかく一軍に合流できたっちゃん。外角打ちばマスターせんと、徳武と同じ運命になるぞ。まずは打率ばい。ホームランなんぞ簡単に打てんのやけんな」
「はい!」
「返事だけはよかな。これからは素振りも工夫して振らんば」
「というと?」
 江藤に代わって太田が、
「外角の低目だけ百本振るとかするんだよ。そのときのフォームが、からだに滲みこむだろ? 神無月さんは小四のときからやってるぞ」
「なるほど……それでレフトへのホームランも簡単に打てるわけですか」
 私に顔を向ける。
「簡単ではないけど、なんとかね」
 部屋に戻り、北村席へ電話を入れる。おトキさんが出て、すぐカズちゃんに代わった。
「荷物ちゃんと届いてた?」
「うん。千佳子、元気に帰ってきた?」
「いま睦子さんもいっしょに食事してるところ。答え合わせなんかして、二人とも手応えじゅうぶんよ。キャーキャー笑い合ってる。直人が二人の胸を触りまくるの。キョウちゃん二世と言って、二人喜ぶ喜ぶ。睦子さんすごくきれい。輝いてるわ。代わる?」
「いや、いい。よろしく伝えといて。だれよりも愛してるのはカズちゃんだよ」
「わかってる。身に滲みてわかってます。じゃ、ケガなく元気で帰ってきてね。テレビで応援してるから」
「うん、さよなら」
 バットを三本ケースに納れ、ダッフルのグローブと帽子を確認した。机に向かう。いのちの記録を開き、シャープペンを握る。

 私は施しに値しない人間だ。その確信から逃れられない。だから施しを受けるのは恥ずかしい。しかし恥じているだけではだめだ。身に余る施しには、しっかりと謝恩で応えなければならない。命を投げ出す―報恩のために。その営みが努力の領域に入ってはならない。どんな感謝の営みも、努力の領域に入ってしまったら、天真の芳しい香りを失い、謝恩の相手を空しくする。明るく無心でなければならない。
 私にとって野球は、天真爛漫にかかずらえる唯一の玩具だ。まったく精神的に力む必要がない。野球こそ彼らを幸福にする愛情に満ちた謝恩の手段となり得る。努力を意識せずに自分を奮い立てようとすること。努力は自己鍛錬のためには全的な要素だけれども、報恩のためには悪魔的な妨害物になる。


 行を重ねていくにつれ、道徳的な通念が入り混じり、頭が混乱してくる。何を書いているのかわからなくなる。つくづく自分の頭の悪さを痛感する。寝ることにする。
         †
 三月五日水曜日。朝六時起床。二・九度。腕時計で確認。うがい、ふつうの排便、シャワー、歯磨き、洗髪。七時になって三・二度。七時半、メインロビー階のサツキでレギュラー連と朝食。オムレツとライス。それでは足りず、ビーフシチュー。
 朝のベッドとサツキは冷えびえとしていたが、バスに乗りこむころには大気を暖かく感じた。
「きょうは十度いかないな。ウォーミングアップをしっかりならないとケガするぞ」
 小川が窓の空を見上げる。みごとな快晴。雪は道の両側に掻き分けられている。
 ベンチ入りは二十五人。一日と二日に投げた小川、小野、田中勉は基本的にアガリなので、きょうはゆっくりとベンチで待機だ。江藤が、
「ヤンキースのミッキー・マントルが引退したばい」
 すぐに高木が、
「三十八歳、五百三十六本、スイッチヒッター」
 中が、
「金太郎さんより少し小さい百八十センチだ。向こうではふつうの身長になる。大リーグナンバーワンの俊足でね、ドラッグバントでよく出塁した。昭和二十五年にメジャーデビューして壁にぶち当たり、マイナーに落ちてもよくバントで出塁してた。それをセルカークという監督に叱られた。バントをするためにおまえはここにきたんじゃない、どデカい当たりを打つためだろう、てね。野球をやめたくなって相談した父親にも叱られて反省した。俺の跡を継いで炭坑夫で一生終わるか、ヤンキースで大金を稼ぐか、どっちかを選べと言われたんだ。その夏にメジャーに復帰し、それから去年まで十八年間で、本塁打王四回、打点王一回、首位打者一回、三冠王一回、生涯打率二割九分八厘の記録を残した。三振王も五回獲ってるけどね」
 主人や菅野より知識が詳かい。中はつづける。
「昭和三十五年に、デトロイトのタイガー・スタジアムで、大リーグ最長不倒、推定百九十五メートルの場外ホームランをかっ飛ばした。同じ球場で大正十年にベーブ・ルースがセンター場外に叩き出したホームランは推定百七十五メートルだから、それを二十メートル上回ったわけだ。マントルは、昭和四十年から四年間、三割を切ったので三割打者の名誉を逃した。三十九年で引退すればよかったと、本人はしきりに悔やんだそうだ。今年マントルの引退の年に現れた金太郎さんは、彼の生まれ変わりかもしれないね」
 車内に拍手が満ちた。皇居の堀を眺めながら北上し、御茶ノ水に出たあたりで、田宮コーチがメモを片手に立ち上がった。
「きょうのスターティングメンバーを発表する。先発浜野、控えは水谷寿伸、門岡、伊藤久敏、水谷則博、板東英二、山中巽。投げたやつは、あしたはアガッていい。投げなかったやつは、あしたの先発か控えの可能性あり。小川と小野と田中勉はあしたの控えに回る。じゃ打順いくぞ。一番葛城、二番中、三番江藤、四番神無月、五番木俣、六番一枝、七番高木、八番太田。控えは島谷、千原、江島、徳武、伊藤竜、菱川、三好。代打の準備をしておくように。きょうの控えの野手の何人かは、あしたのスタメンに回る」
 名前を呼ばれたのは二十一名だが、バスを見回すと、あとの四名は、吉沢、江藤弟、新宅、堀込だった。江藤が長谷川コーチに、
「あっちの先発はだれかいな」
「坂井か木樽と踏んでるが、成田、小山あたりも考えられるな。ま、その四人のうちのだれかだろう。中継ぎは、迫田、妻島、村田といったところかな」
 前の座席に座っていた水原監督が問わず語りに、
「東京スタジアムのある場所は、昭和三十五年に工業用水問題で閉鎖された大和毛織の工場跡地でね、下町に自前の球場を作りたがっていた大映の永田社長が買い取って、総工費三十億円の球場を作ったんだよ。初の公式戦は、三十七年六月二日土曜日の大毎対南海戦で、第一号ホームランは野村が打った。第二号はここにいる葛城くんだ。試合は大毎が九対五で勝った」
 板東が、
「よう憶えとるなあ。さすが慶應」
「そりゃあ憶えてるさ。その六月二日は、パリーグ全六球団がスタジアムに集結して、盛大に開場式をやったからね。少女音楽隊に導かれて、甲子園みたいにホームベース前に整列したんだ。陸上自衛隊のファンファーレはすごかった。そこで永田社長が、みなさんパリーグを愛してやってください、と三万五千人の満員のスタンドに向かって絶叫したんだよ。大リーグの設備を備えていながら庶民が下駄でかよえる球場、というのが彼の夢だった。それをみごとに実現させたんだ。コケラ落としの大毎―南海戦は、一塁ダッグアウトの上から河野農林大臣が始球式をした。……しかしオリオンズはその後、四位、五位の繰り返しでね、客がこなくなって経営難に陥った。そんなわけで、今年ロッテを冠スポンサーにして、全球団に球場を貸し出すことにした。ロッテに経営権は譲ってないが、いずれどこかの会社に売ることになるだろう」
 監督はしばらく窓の外の景色を眺め、
「葛城くん、きょうはホームランを打ってくれないかな」
 葛城はしばらく沈黙したあと、
「……打ちます。きょうの打順を聞いて、へんだなと思ってたんですよ。あの日、私は一番ライトで出て、四打数二安打、打点三でした。試合後、当時監督だったここにおられる宇野コーチが、きょうの殊勲の第一は葛城だと言ってくれました。ホーム球場を持ったファンたちの声援はとてつもないものでしたよ。持ち球場ではない後楽園や駒沢では、大毎が打っても歓声すら上がらなかったのに……。あの開場シリーズは南海に三連勝しました。大毎は三試合で四十安打を放ったんです。私も七本打ちました。野村は全試合一本ずつホームランを打ち、榎本は二試合目に一本、三試合目に二本打ちました。私はあの年、生涯最高の三割三分三厘を打って絶好調でした。……よく憶えていてくれました。ありがとうございます。打順まで考えてくださって……。ドラゴンズに移籍して、おととしひさしぶりに二十本塁打を打って以来、すっかり打撃が低迷してますが、きょうは生き返ったつもりでがんばります」
 私は目頭を拭った。江藤が、
「金太郎さんは涙もろかのう」
 と言って、自分も目を拭った。水原監督が目をしばたたきながら、
「足木くん、ロッテの野手の陣容を説明してやってくれ」
「はい。打順はわからないので、特徴だけをザッといきます。三塁手の前田益穂、二十九歳、熊本工業出身。昭和三十四年に中日ドラゴンズにピッチャーで入団、すぐ野手に転向して初年度からレギュラー。これといって目立たない二割二、三分のバッターでして、一度二割八分を打ったこともありましたが、三十九年に葛城さんとの交換トレードでオリオンズにいきました。守備がいいので、すぐレギュラーになりました」
 小学生時代の記憶に貼りついている名前だった。柔らかい面貌も憶えている。背番号は14から2に変わったような気がする。プレイに特徴のない静かな三塁手だった。
「センター池辺巌、二十四歳、長崎海星高校出身。昭和三十七年にピッチャーでオリオンズに入団、すぐ外野手に転向。四十年ごろまではほとんど出場機会がなかったんですが、おととしとつぜん開花して、二割八分を打ちました」
 まったく知らない。
「一塁、榎本喜八、三十三歳。奇人。説明不要でしょう」
 そのとおりだ。
「レフト、アルトマン、三十五歳、百九十三センチ、九十キロ。打てなくなって、大リーグのシカゴ・カブスから去年オリオンズにきました。やっぱり大リーガーは日本にきたら打つちますね。ホームラン三十四本、打点百で、打点王です。敬虔なキリスト教徒ですから、酒タバコはやらず、慈善心も旺盛で、東京スタジアムにアルトマン・シートを設けてファンを招待してます。足長おじさんと呼ばれてるようですね。ライト、ロペス、百七十六センチ、三十一歳。大リーグで鳴かず飛ばずで、やはり去年オリオンズにきました。これがやっぱり打つんですよ。二割八分、ホームラン二十本、打点七十。セカンドはご存知山崎裕之、二十二歳、ロペスと同じくらいの体格です。長嶋二世の触れこみで、埼玉の上尾高校から四十年にオリオンズに入団しました。中距離打者。若いのにバットコントロールのいい燻し銀です。細く長くの口でしょう」
 森下コーチが、
「足木マネージャー、言うやないか」
「ハハハ……。ショート広瀬宰(おさむ)、二十一歳、山崎裕之より小柄、今年東京農大から入団しました。まだ海のものとも山のものともわかりません。大柄なキャッチャー醍醐猛夫、三十歳、昭和三十二年に早実から大毎に入団。一年目から正捕手でした。早実では二歳下の王とバッテリーを組んで、うちの徳武さんと三番四番を打ちました。打率は低いですが巧打者ですね。キャッチングがいい。大毎、東京、ロッテと在籍しつづけてるのは、榎本と醍醐だけです。以上」


         十六

 都会のビルの群れを抜け、上野から国道四号線に出て、寂れた一本道をひた走る。ここも道の両側に雪がある。下町らしい木造の家々が建ち並ぶ。
 十一時五分前、東京スタジアムに到着。平べったくごちゃごちゃ建てこんでいる民家や商店の真ん中に、直立照明灯六基に囲まれた近代的な球場が忽然と現れた。コンクリートの煎餅を重ねたような外観。教科書で見たことのあるローマの円形闘技場(コロシアム)に似ている。まだ屋根に雪が残っている家がほとんどなのに、コンクリートの煎餅には雪が付着していない。
「とんでもない下町にある球場だなあ」
 太田に言うと、
「オリオンズの選手は、電車でかよってきて南千住から歩いてくることが多いらしいですよ。アイスキャンデー買って、嘗めながら帰ったりね。人が群がってくることなんかまずないんですよ」
「この町の人たちにとって、ホームの選手はあえて声をかける必要のない身近な存在というわけか。そういうの、いいなあ」
 菱川が、
「アルトマンなんか、そこらへんの蕎麦屋でかならずたぬきソバを食ってから、コロッケパン買って球場へいくという話です」
 バッティングセンターや、ビリヤード場、ボーリング場が併設されていることが、球場に貼りついている看板からわかる。東京スタジアムと書かれた正面入口一帯に人がたむろしている。なぜか機動隊トラックが人混みを圧するように停まり、警官も何人か立っている。球場に入りこむスロープが何本かある。江藤に、
「あれは?……」
「入場券を買ったあと、あの誘導路を上がって客席にいくようになっとるばい。ぜんぶで四本ある」
 観客たちがゾロゾロ蟻のように登っていく。三塁側の関係者駐車場にバスが入る。
「よし、下車!」
 風強し。バス駐車場から選手通用口へ。一同揃って回廊を進む。三人が投球できる屋内ブルペンを見て過ぎる。すでに明るく灯っている。監督控室、トレーナー室医療室、喫煙室、シャワー室(覗くと、かなり広い浴槽もついていた)、選手や職員用の食堂。ガラスケースに展示してあるメニューが多彩で一流料理店並だ。
 細い通路へ曲がりこむと、右に洗面所(ゴミ箱が置いてある)、左は立派な便所。その隣はウォームアップ用スペースで、大鏡が貼りついている。並びの奥のロッカールームに入る。明るくて、広い。大きな冷蔵庫が置いてある。選手間の空間も広いので、小さな冷蔵庫もいくつか置いてある。半田コーチが早速、業者から届いていたコーラとバヤリースを大きな冷蔵庫に入れた。
 スパイクに履き替える。浜野と板東が廊下に出て、室内ブルペンへ向かった。私と小川も太田ピッチングコーチについていく。狭いが、マウンドをきちんと盛ったブルペンだった。さっそく浜野と板東が木俣と新宅を立たせ、マウンドの少し前でフォームを作りながら立ち投げをはじめる。すぐにアガリの小川が加わり、吉沢を立たせて、投球の際のグローブの操作をチェックする。やがて三人がマウンドに上がり、キャッチャーを坐らせてボールの強さを上げていく。太田コーチが小声で、
「金太郎さん、マウンドはホームプレートより何センチ高いのが標準だ?」
「二十五センチ」
「正解」
 投げこむ息づかい、スパイクがマウンドの土を噛む乾いた音、ボールがキャッチャーミットを叩く破裂音、私語厳禁の空気が濃縮した聖域だ。長谷川コーチと田宮コーチがピッチャーのかなり後ろに立っている。彼らの脇に立つ。長谷川コーチが、
「ブルペンというのは〈牛囲い〉の意味だ。むかし一塁側と三塁側のフェンス前に立見席を設けて縄を張ったんだ。だから、正式には、ブルペンはファールグランドの投球練習場のあたりを言うんだよ」
 納得した。室内はブルペンというより、きちんと投球練習場と言うべきなのだ。小声で田宮コーチに訊く。
「トレーナーって、ベンチの隅でジャージやトレパン着て立ってる人ですよね」
「そう、ドラゴンズには一軍と二軍に四人ずついる。どっちにもチーフトレーナーというのがいて、サブトレーナーとカップルでベンチに入る。一軍のチーフは―」
「池藤さんですね」
「そう。デッドボールを受けた選手にコールドスプレーを持ってったり、ピッチャーの肩のアイシングをしたりする。頼めばマッサージもしてくれるし、バッティングピッチャーもしてくれるよ」
「女性はなれませんか」
「はっきり禁じてはいないけど、一人もいないね。柔道整復師や鍼灸理学療法士の資格をとったあとで、トレーナーの試験を受けて合格しなくちゃいけないからね。ケガの予防と処置、医者との連携、健康管理、精神的なケアといったところまではどうにかこなせるかもしれないが、トレーニングの指導となったら、ちょっと女性じゃ無理だね。球団が募集をかけてないなら、男だって無理だ。コネじゃどうにもならない世界なんでね」
 詩織の笑顔が遠ざかった。彼女は進路を変更しなければならないだろう。
 中や高木や一枝とダッグアウトへいく。五十人は入れる映画館のように豪勢なベンチだ。座ってみる。
「このままゲームを見物していたい気がしますね」
「嘘つくな。腕がむずむずしてるくせに」
 一枝がこぶしで肩をトンと突く。フィールドに出て球場を見渡す。狭い! マーくんときたときよりも狭く感じる。スタンドにもフィールドにも嘘のように雪がない。外野はもちろん、内野のダイヤモンドにも、マウンドと走路以外に天然芝が敷かれている。芝は枯れているがきれいに刈りこまれている。ベンチ前の長方形の天然芝の刈りこみがとりわけ美しい。グリーン一色のフェンスと相俟って、芝の黄土色が球場全体に輝かしい化粧を施す。マウンドの周りは正方形の芝。キャッチャーを含む内野手が動き回る範囲は土。あとはファールグランドも何もかも芝。
 左右のファールポールまでぐるりと二層の大スタンド。外野は一層。巨大なバックスクリーン。右上の看板の向こうに、バックスクリーンより小さいスコアボードが突き立っている。旗が何本か強い風にはためいている。両翼九十メートル、中堅百二十メートル、右中間と左中間の塀がまっすぐなので、正方形の球場に見える。きょうとあしたの両チームのホームランは、何本か場外ホームランになるだろう。高木が私に並びかけ、
「公認野球規則だと、両翼九十九メートル六センチ、中堅百二十一メートル九十二センチなくちゃいけないんだが、その規則を守ってる球場はほとんどないね。フェンスは、日本で初めてのラバーフェンスだ。開場当時に激突事故が起きてね」
 大きな照明灯が右中間に一基、左中間に一基、一塁側三塁側スタンドの後方にそれぞれ二基ずつ。千六百ルクスと言われても具体的にイメージできない。一枝が、
「光の球場とは言うけどさ、夏なんか試合後に照明が消されると、近所の民家に蛾がなだれこむって話だぜ」
 赤、黄色、青のカラフルな観客席。外野には一階席しかないが、内野は一階席と二階席があり、その中間に、五、六人収容できる個室が数え切れないほど並んでいる。ゴンドラ席と言うそうだ。外野スタンドの最上段にはパラパラと広告が掛かっているが、内野には一切ない。
 マーくんとフィールドを見下ろしたときの席はどのあたりだったろう。三塁側内野スタンドを見上げる。客席の椅子が小さすぎて、ここからではよくわからない。水曜日。いまごろあの野球好きの腕白坊主は学校で授業を受けているだろう―。いやズル休みをして、この球場のどこかの席で私を見ているかもしれない。
 十一時十五分ロッテチームがフリーバッティングに入った。日本人選手も外人選手もポンポンとスタンドに放りこむ。ときどき場外に叩き出すのはアルトマンだけだ。水原監督がベンチに入ってきて、
「金太郎さんのおかげで、もう満員になりかけてるよ。ふだん五、六千人しか入らない球場が、オープン戦なのに三万五千人。ビジターの練習時間がきたら、真っ先に何本か打って見せなさい」
「はい」
 一塁側ベンチ前で榎本が黙々と素振りをしている。鬼気迫るもがある。やがてケージに入った。火を吹くようなライト前の当たりを何本か打って、また素振りに戻った。水原監督と悪名高き濃人監督が、コーチ陣も交えてケージの後ろで腕組みしながら話している。笑顔はない。握手して別れた。
 ―濃人渉(わたる)!
 丸々と太った小柄なからだを見ているうちに、胸が悪くなった。江藤潰し、権藤潰し、その先入観しかない。ベンチの隅に立っている水原監督に近づき、
「濃人監督の悪いイメージが消せないんですが、何かいいエピソードはないですか」
「うーん、勝利にこだわって選手を潰すことで有名だったけど、その名のとおり〈濃やかな〉気遣いも見せることがあってね、中日の二軍監督時代に、解雇された一人ひとりの選手にポケットマネーでネクタイを贈ったという話を聞いた。板東くんの肘痛を治すために知り合いの鍼灸師のところに連れていって、何年か選手寿命を延ばしてやったらしい。それくらいかな」
 傍らで聞いていた長谷川コーチが、
「潰れてから情をかけるなんてことはだれでもできる。水原さんは尾崎に懲りて、二度とそういうことはしない。濃人は懲りずに二度も三度もやった。彼は金鯱(きんこ)軍契約第一号選手だよ」
「あの鳴海球場、初のプロ野球試合のですか」
「そう。濃人はプロ野球古参中の古参なんだよ。政治的に潰しの利く男でね、すいすいと監督業を渡り歩いた。金鯱は名古屋新聞系の球団。中日新聞は名古屋新聞と愛知新聞の合併会社だ。その当時の知り合いの平岩治朗代表のコネで、二瀬の子飼いの慎ちゃんに〈くっついて〉三十五年に中日に二軍監督できたんだよ。慎ちゃんがいつも言ってるのとちがって、彼のほうが有望選手の慎ちゃんにくっついてきたんだ。そして、たった二年で杉下さんの後を受けて監督に就任した。政治だね。あとは知ってのとおりだ。井上、吉沢、森を放出して、与那嶺を獲るなんて大改悪をして、権藤を潰した。それでようやく二位、翌年三位。突然クビになったのは中日新聞のオーナーが名古屋新聞系から愛知新聞系に代わったからだ、なんて噂もあるが、じつは総スカンを喰らったんだね。九州組をとことんかわいがって、感情的に合わない主力を放出したんだからね。水原さんはそのとき、吉沢をパリーグに出すとは何ということをしたんだ、セリーグの損失だと言ったんだ」
 江藤が、
「ワシは森とはソリが合わんかったばってんが、深い遺恨は別になかったけん、森を追い出したいなんて思ったことはなか。濃人に名前ば利用されたとたい。江藤を主力にするために出すゆうふうにな。森と井上は濃人を徹底的に嫌っとった。それで出したかったんやろう」
 十二時半、ロッテのレギュラーが一とおり打ち終わり、ドラゴンズのフリーバッティング開始。スタンドが通路以外は隙間もないほどに埋まっている。監督に言われたとおり、イの一番にケージに入る。江藤が控える。EK砲のお披露目。山中巽と水谷則博が率先してバッティングピッチャーを務める。ライナーの場外ホームランを打ったらやめようと決めてボックスに入る。まず私がスタンド上段に打ちこむ。次に江藤も上段に打ちこむ。私の番。真ん中低目、バットを振り出した瞬間に、距離を推測できた。百四十七、八メートル。センターへ伸びていき、スコアボードの右端を直撃した。洪水のような喚声と拍手が立ち昇った。ロッテの外人たちがベンチで拍手している。江藤はもう一本スタンドに打ちこむと、ケージを出て、水原さんと肩を並べてネットの後ろにつく。
「もう一球、足首! 速球お願いします!」
 山中は注文どおりに膝下にストレートを投げてくる。しっかり叩く。連続するシャッター音。ギューンとライナーで上昇していき、照明灯の脚をかすめて右中間の場外へ消えた。笑い声まで混じった驚嘆の叫びがフィールドに響きわたる。水原監督が拍手している。私はこれで終了。江藤の代わりに木俣がケージに入った。レギュラーが三、四人見物に加わり、カメラマンも二人ネットに寄った。
「ファールボールやホームランボールにご注意くださいませ」
 ウグイス嬢の柔らかい声が聞こえる。江藤が、
「金太郎さん、いいデモンストレーションになったばい。もうあそこには放ってこれん」
 木俣と交代で千原が左用のケージに入った。私は木俣といっしょにベンチに戻る。木俣に訊ねる。
「ウグイス嬢というのは球場に雇われてるんですか」
「いや、球団に雇われてるんだ。球団付き職員だ。各球団に二名いる。球団の納会に出てくるから、興味あったら話しかけてみればいい。金太郎さんはいい男だから、喜ぶぞ。二十代のお嬢さんは少なくて、三十代、四十代がほとんどだ。アウェイにはついてこないから、きょうのウグイス嬢はオリオンズ球団の職員だね。北陸などの地方遠征のときは、主催球団のウグイス嬢が帯同する」
 やはりプロ野球選手も博士が多い。ドッシリとした喜びがある。千原がレフトスタンドに打ちこんだ。彼のレフト方向のホームランを初めて見た。木俣が、
「千原は、おととし、去年とよかったんだが。今年はどうもなあ。江藤さんがファーストを死守してるから、出番は少なくなるな」


         十七

 オリオンズの守備練習開始。長嶋二世と言われている山崎を見たかったので、みんなが昼めしを食いにいっているあいだも彼のプレイを観察していた。広瀬とのコンビネーションが軽快だ。肩もいい。しかし、グラブさばきやステップにシナがあって、かなりスタンドプレイ的なものを感じる。長嶋とは華麗さの質がちがっていた。いかんせん、小粒の感を否めなかった。一塁手榎本の守備は名人級だと感じた。ただ、筋肉が硬そうだ。守備範囲は狭いだろう。前田益穂は可もなく不可もなく。外野は池辺の守備が堅実で、外人二人は大雑把だった。
 ドラゴンズの守備練習に私は参加せず、ひたすらランニングと柔軟をやった。やりながら内野の連繋プレイをぼんやり見ていた。高木の送球動作が早いことに驚き呆れた。小さなグローブの芯にボールが入り切らないうちに、いつのまにか目にも留まらぬ手首の返しで投げている。一枝はそれにしっかり反応し、4―6―3のダブルプレーを美しくやり遂げる。ファーストの江藤のベース入りが間に合わないくらいだ。とてつもない感激が押し寄せてきた。彼らの一員として恥ずかしくないプロ野球選手にならなければならない。肝に銘じた。
 一時半。メンバー表交換。浜野がブルペンに出てきて木俣とキャッチボールを始めた。そうしているあいだに、ウグイス嬢のツヤのある声が流れはじめた。田宮コーチがバスで告げたとおりのスタメンが発表され、つづいてロッテのスタメンも発表された。ドラゴンズの先発は浜野、オリオンズの先発は坂井だった。球審は道仏。その変わった名前が頭に焼きついた。いっしょに走っていた島谷が、
「道仏さんは、判定に文句つけてバットで小突いた外人を蹴っ飛ばしたそうだ。気の荒い審判だな。判定には素直にいこうぜ。たぶん俺は、四回ぐらいで太田か一枝さんと交代させられる。神無月くんが二回りくらいあっという間に進めてくれるから、もっと早いかも」
「ぼくだけじゃ進みません」
「みんな刺激受けて打ちまくるからだいじょうぶ」
 三塁側ベンチから、アンダースローの坂井のスピード豊かな球筋がよく見えた。田宮コーチが、
「俺が阪神から大毎に移籍した三十四年に坂井が入ってきたんだよ。専修大学出身で、うちの堀込の一年先輩だ。いいピッチャーなんだが、どうしても勝ち星より負け星のほうが多くなっちまう。三十八年には俺が引退して、翌年には山内と葛城が移籍。ちょうどチームの主戦投手になりだしたころに、弱体打撃陣をおんぶして投げなくちゃいけなかったからな。そうなるのも無理はない。ぶっ壊れたミサイル打線を榎本一人で立て直すわけにいかないものなあ。〈谷間〉のオリオンズで投げるのは、小山も成田もたいへんだったろう」
「アルトマンとロペスで、ようやく谷間を脱したというところですか」
「ああ、そう願いたいだろうね」
 二時。水原監督がコーチャーズボックスへ歩いていく。塁審線審が走る。審判の名前の確認をする。一塁、中田(セ)、二塁、真野(パ)、三塁、丸山(セ)、左翼、あのストラッキーの露崎(パ)、右翼、平光(セ)。テレビカメラはネット裏に一つ、内野に二つ、バックスクリーン横に一つ。それがいっせいに微妙な動きをしはじめる。
「道仏という名前も変わってますが、平光も古武士然とした名前ですね」
 高木に言うと、
「平光さんは慶應出の超エリート審判だ。野球部のマネージャーしか経験がないのに、審判先生と呼ばれてる。卒業してすぐ六大学の審判をしばらくやり、四年前にセリーグの審判員になった。その年に、二軍の審判を一度もやらずに、大洋国鉄開幕戦で一軍デビューしてる。そのときも右翼線審だった。そんな審判員はあとにも先にも彼一人だけだ。高校野球から、六大学野球、都市対抗野球、プロ野球、四つぜんぶ審判をしたことがあるのも彼一人だ。おまけにまだ三十一歳だ」
「高木さんは?」
「二十八歳」
 ウグイス嬢のアナウンスが流れる。
「一番、ライト葛城、ライト葛城、背番号5」
 内外野の大観衆が沸き立つ。彼がロッテのOBだと観客にはわかっているのだ。葛城が打席に入った。ヘルメットをかぶり、尻ポケットに帽子を差しこんでいる。だれもがする格好だが、これほどバランスが整って見える選手はめったにいない。
「プレイ!」
 道仏が甲高い声で試合開始のコールをする。野球の主審のゲーム開始の宣告は、プレイ、プレイボー、プレイボールと三通りあるが、プロ野球の主審は、十人中十人がプレイと言う。そういう決まりになっているようだ。ゲームセットのコールも、ゲーム、のみ。
「葛城さーん、約束実行!」
 私が叫ぶと、いつも困ったように八の字に垂れている葛城の細い目が、キリッと吊り上がった。坂井はやさしい微笑を浮かべている。田宮コーチが、
「坂井はあんなやさしい顔してるくせに、気の強さじゃだれにも引けをとらん。デッドボールの数が歴代三本指だ。葛城はよくわかってる。打つよ」
 初球、胸もとのシュートを葛城がふん反り返ってよけた。
「な? 二球目が勝負だよ。葛城はハナからどんどんいくタイプだ。四球を選ぶことはほとんどない」
「隆(たか)ちゃん、一発!」
 江藤の叫び。とたん、葛城は胸もとに浮き上がってきたストレートを、右手首を添えて左手一本で叩いた。山内の打ち方だ! ただ、山内のようにはポーンと舞い上がらずに、低い弧を描いて飛んでいく。
「ほら、いったろ!」
 田宮コーチの声に私は思わずベンチの外へ飛び出た。ライナー性の打球がアルトマンの頭上を越えて満員のスタンドの中段に突き刺さった。露崎がくるくる白手袋を回した。さすがに線審のときは派手なジェスチャーをしない。葛城がからだを傾けて一塁ベースを回る。願いの強さだ。才能なんかじゃない。願いが叶わないのは強く願わないからだ。私は噴き出した涙を拭わずに激しく手を叩いた。三塁コーチャーズボックスの水原監督が感無量の顔で天を仰いでいる。葛城はサードベースを越えたところでヘルメットをとって、かすかに監督にお辞儀をした。すると、なんと監督がいっしょに走り出し、葛城の尻を強く叩いた。
「葛城ィ、よくやった!」
「水原、いいぞう!」
 スタンドが感激に揺れた。両足で飛び上がってホームベースを踏んだ葛城は、私たちの花道へ飛びこんできた。私は彼の首に抱きついた。かさばりのある胸だった。葛城は揉みくちゃにされながらベンチへ戻っていった。半田コーチがパンパン手を叩きながら、
「ビッグイニングよ!」
 と叫んだ。だれもかれもが泣いている。私は備え付けの洗面台で顔を洗い、タオルでしっかり拭った。
「二番、センター中、背番号3」
 ネクストバッターズサークルにいた中は涙を掌で拭うと、バッターボックスへ走っていった。一握り短く持って低く構える。醍醐がホームプレートの前に進み出て、地面を両手で押すような格好をする。低くと言っているのか、落ち着けと言っているのかわからない。田宮コーチが、
「ああなると坂井はカッカするんだ」
 初球、まともに膝を目がけてきた。中はバタバタと脚を交差させてよけた。三塁側スタンドからいっせいにブーイングが湧き上がった。二球目、醍醐は外角に中腰で構えた。すばらしいスピードボールがきた。ストライク。醍醐が激しくうなずく。その調子だというジェスチャーで坂井の悍気を宥めようとしているのだ。もう一球同じコースにもっと低く要求した。スピードのあるシュートがベースの角をかすめようとする瞬間、中がするどいスイングで叩いた。サードの前田の右を一瞬のうちに抜けた。カモシカが跳ぶように走りはじめる。腿を上げず、地を這うような摺り足で一塁を駆け抜け、たちまち大股になり、爪先で触れるように二塁ベースを通過し、アルトマンの処理したクッションボールが前田のグローブに収まる寸前に、スピードを乗せて三塁ベースに滑りこんだ。足先がピタリとベースに吸いついている。スックと立ち上がり、水原監督と握手する。
「手品だ……」
 高木が、
「南海の広瀬と中さんしかできない芸当だよ」
 江藤がもうボックスで構えている。私はネクストバッターズサークルへいって膝を突いた。醍醐がちらりと自軍の一塁ベンチを見る。ブルペンで美男子の木樽が投げている。上半身が伸び切ったところで、踵をガクンと落とす独特の投げ方だ。全盛時代の権藤の投げ方と似ている。百五十キロ近いスピードがある。
 初球、坂井が投げたとたんに江藤はバッターボックスを外した。デッドボールを警戒したのだ。外角の速いカーブだった。ストライク。江藤は天を仰ぎ、ボックスに入り直すと今度は思い切りキャッチャー寄りに立った。外角へ逃げるカーブからはますます遠くなる。内角一本に絞ったようだ。醍醐は外角に構えた。江藤はそうなることを予測しているだろう。クローズドにステップして外角を打つつもりだ。ヒットか外野フライで一点入れようとしている。問題はゴロになる低目を捨てられるかどうかだ。高目なら球種を問わず振ればいい。
 二球目、真ん中高目のストレート。外し球。ボール。やっぱり醍醐が外角に構えたのはフェイクだった。次のボールは内角低目一本と決まった。たぶん膝もとだ。三球目、ドンピシャだった。シュート。江藤は押っつけて流し打った。ゆるいライナーが榎本の頭上を通過しようとする。榎本ジャンプ。届かない。フェアゾーンに落ちたボールがファールグランドへ転がっていく。ロペスがチョコチョコ追いかけ、山崎が中継に走る。中ホームイン。江藤、スタンディングダブル。水原監督がうれしそうに拍手する。二対ゼロ。
 濃人監督は動かない。くさいところをついて私を歩かせたいのだろうが、十年選手の坂井にそんなサインは出せない。坂井にもプライドがある。くさいボール球を四つつづける気はないだろう。それなら思い切ってデッドボールを食らわせて一塁を埋めたほうがマシだ。私はボックスに向かって歩きながら、ボールボーイに手ぶりをしてヘルメットを持ってこさせた。実際に危険を感じたからだ。帽子の上にヘルメットをかぶってみたが安定しないので、帽子を畳んで、これまでどおり尻ポケットにしまった。
 初球、ど真ん中に百五十キロ近いストレートを投げこんできた。
「ボー!」
 道仏の自信に満ちたコール。シャッター音がひっきりなしに聞こえる。場内がざわついている。ベンチの檄。風はライトへの横風。
「金太郎、いけ!」
「さ、軽く場外!」
「ビッグイニング!」
 もう一球、百五十キロで押してくる。まちがいない。醍醐が低く低くのジェスチャーをする。フェイクだ。二球目、胸もとの高目速球、ギリギリストライク。醍醐が一、二歩前に出て、低くのジェスチャーを繰り返す。くどい。勝負は高目でくるはずだ。三球目、外角低目へカーブを落とす。ストライク。醍醐が満足げに、
「よっしゃ、ドーンとこい!」
 外角に中腰で構えた。二塁牽制。江藤は両手を腰に二塁ベース上に立ったままだ。スタンドから失笑が漏れる。どのコースに投げたらいいのかわからないのだ。私にもわからない。ただ、同じボールは投げてこないだろう。内角低目が絶対的に強いことは、全球団に知れわたっているはずだ。そこだけは投げてこない。四球目、真ん中低目のシュート。ベースの前で跳ねて醍醐の胸に当たった。道仏がホームベースを掃く。決まった。外角高目スピードボール。手を出せば凡フライ、出さなければツースリー。そして最後は内角高めのボール球で歩かせる。打つのは次しかない。
 五球目、威力のある速球が外角の顔の高さにきた。クソボール。素直にバットを振り出し両手で絞る。瞬間、江藤がバックスクリーンに向かってバンザイをした。
「ウオォォ!」
 という喚声。走り出す。バックスクリーンより少し右にあるスコアボードに向かって白球が伸びていく。池辺とロペスが見上げる。長谷川一塁コーチが、
「おみごとォ!」
 と叫ぶ。ボールはスコアボードの左脇をかすめて場外へ消えた。喚声に歓声が重なる。榎本と山崎が私のベースの踏みそこないがないか目認する。前田が、ベースも見ないで、
「畏れ入った」
 と呟いた。水原監督とハイタッチ。江藤ホームイン、私ホームイン。太田と菱川が抱きつき、葛城が腰を抱えて持ち上げる。今度はだれも泣いていない。満面の笑顔だ。スタンドから金太郎の歓呼が始まった。ついに〈金太郎〉が全国に知れわたったのだ。
「はーい、一本目!」
 半田コーチから渡されたバヤリースを手にベンチに落ち着く間もなく、木俣が初球をレフト最上段の看板にぶつけた。あわてて走り出て、ホームベースへ迎えにいく。 
 五対ゼロ。濃人がピッチャー交代を告げた。木樽が走ってマウンドに上がる。浜野がブルペンでウォーミングアップを始めた。


         十八

 初回がすべてだった。ドラゴンズは四回から私と木俣を残して、メンバーをそっくり入れ替えた。六回から伊藤久敏が投げて抑え、浜野と二人で零封した。木樽は初回の後続を断ったものの、四回までに三ホームランで四点取られ、迫田、妻島が八回までに六点取られ、九回に出てきた村田というどえらく速いピッチャーが三人を三振に切り取った。そのうちの一人が私だった。外角高目のストライクを二球見逃し、速い真ん中低目のフォークを空振りした。プロ入り初の三振だった。成田と小山はあしたのために温存された。
 十九対ゼロで大勝した。私は六打数四ホームラン(四打席連続。初打席のほかはライト場外へソロ一本、レフト看板へツーラン二本)、一シングルヒット(真ん中へ沈むカーブをバットの先で打ったので手にジンと響いた)、一三振、一盗塁。四回で交代する前の江藤と太田がソロ、葛城ツーラン(きょう二本目)、五回から代わった島谷がライトへライナーのスリーラン、江島と菱川がソロを打った。菱川はレフト場外だった。十九点のうち十七点がホームランで叩き出した得点だった。
 ロッテの攻撃のとき、一塁ベンチの上で本格的な私設応援団が観衆の指揮をとっていた。ベンチ上方のスタンドには、赤いチョッキを着た太鼓叩きや鉦叩きの人たちがいて、イニングの初めに、あるいはヒットが出るたびに、ベンチ上の団長の指示に従って規律正しく騒いでいた。じつに単純な応援方法だが、爽やかで見応えがあった。
 試合後、主力選手が短いインタビューを受けた。私は、ホームランの美しさを楽しんでほしい、とだけ応えた。最後に水原監督が二分ほどで切り上げ、十分もしないでインタビューは終わった。
 意気揚々と引き上げたバスの中、葛城が遠慮なく声を放って泣いた。徳武が、
「隆ちゃん、今年は俺の代わりに狂い咲きしてくれ。あんたが疲れたら、守備要員で出てやるから」
「おお、ありがとう」
 また泣いた。水原監督が、
「徳武くん、きみの打撃は捨てがたい。きっちりスタメンで出てもらうこともあるから、そのつもりで」
「はい」
「太田くん、島谷くん、きみたちの滑り出しは合格点だ。オープン戦は交代で出てもらおう。菱川くん、江島くん、きみたちも合格だ。とりわけ菱川くんの長打力には非凡なものがある。葛城、徳武両くんとライトの先発を争ってもらう。千原くん、きみはいいセンスをしてる。江藤くんと中くんがお疲れのときに、ときどき出てもらおう」
 江藤が、
「ワシは疲れんぞ」
 ドッと沸いた。
「三好くん、きみはまだ荒い。二軍で磨きをかけなさい。江島くん、きみはほかのチームにいけばクリーンアップの器だ。オープン戦残りの全試合、一枝くんと一日交代でショートに入ってもらう。内野はできるかね」
「がんばります」
「伊藤竜彦くん、スター性を身につけなさい。俺はスターだ、と思うんです。去年十本もホームランを打ったんでしょう。今年はサッパリじゃないですか。それから色気も重要だと銘記すること。奥さん孝行もいいですが、もっと女遊びをして、男としての自信をつけなさい。うちは巨人軍じゃないんですからね」
 一同爆笑になった。あたりまえのことだが、二十九歳の伊藤竜彦が妻帯者だと知った。
「木俣くん、きみは不動の五番バッターです。江藤くんとホームラン数を競うことを目標にしてください。キャッチングとインサイドワークはもともと天性のものに基づいていて申し分ありません。中くん、高木くん、一枝くん、きみたちはプロ中のプロです。何も申し上げることはございません。江藤くんと神無月くんを盛り立てるように、常に心がけてくれればじゅうぶんです」
「はい!」
「もちろん!」
「オス!」
 木俣が、
「監督、女遊びはどのへんが限度ですかね」
「秘密が守れれば限度はないよ。秘密を守るということは、女を愛しているということにもなる。女房を持ったら、秘密の鍵はぜったい手離しちゃいけない」
「わかりました! 俺、妻帯者です」
 田宮コーチが膝を叩いて笑った。この地上のどこで、いつまで、彼らといっしょに、そして、野球といっしょに時間を忘れていられるだろう。そんなことが、何か選り抜きの言葉で説明できるはずがない。とにかく私は幸福だった。
         †
 三月六日木曜日。曇。相変わらず寒い。
 歩くところどこでも、路上でも、ホテルの廊下でもサインをねだられ、テレビ局のカメラが目立って周りを取り囲むようになったので、食堂と球場ですごす時間以外は部屋を出ないよう心がける。予想していたことはいえ、舌打ちしたい気分だ。後楽園が思いやられた。きょうのインタビューはどのくらい長くなるだろう。
 名古屋西高に転校したばかりのころ、休み時間にいつもラグビーボールに唾を吐きかけながらタオルでせっせと磨いていた男がいた。彼のことを思い出す。スクラムでちぎれた耳を拾って病院に持っていき、めでたくくっつけてもらったと自慢していた男だ。耳がちぎれようとどうしようと、ただラグビーを愛する一心でボールを磨きつづける姿勢が麗しかった。ささやかな自慢なぞ、天下に自分を知らしめようとする大望ではない。名望欲のないああいう情熱こそ、情熱の名にふさわしい。慎ましく掘り抜いた井戸から汲み上げる上質な水。その水は素朴でありながら滋味にあふれ、五臓に沁みわたる。
 情熱の名にふさわしい情熱の痕跡をまだ残している、そういうシンプルで上質な情熱をインタビューで表現することは困難だ。私が貴いと思うのは、きのうの葛城や彼に涙した選手たちの〈言行〉だ。きのう私は、人と人のさまざまな結びつきの中に潜んでいる痛ましいほど美しい魂を経験した。ああいう澄んだ情熱はマスコミ相手には表現できない。彼らの言行から私は、人と人のあいだには越えがたい深淵が横たわっていて、ただ相手を思いやる心だけがその深淵の上に最良の橋を架けることができると知った。その繊(こま)やかな認識を維持するのに、人びとを睥睨する名望欲はじゃまになる。幸い名望欲が削ぎ落とされてからもう五年も経っている。この心持ちでマイクの前に立つことは苦行になる。
 うがい、ふつうの軟便、シャワー、歯磨き、洗髪。アルコールを入れないかぎり、下痢をしない体質になってきた。
 フロントに降り、ユニフォーム、シャツ、ソックスをクリーニングに出す。すぐに大食堂へいく。入口からいちばん遠い葛城と小野のテーブルに合流し、ミートボール、生卵、納豆、海苔、味噌汁で軽めのめしを食う。
 小野が差し出したサンケイスポーツに、キャンプのまとめというテーマで、太田コーチのインタビューが紙面半分を使って載っていた。

 太田さんは、昭和二十七年から三十年まで中日ドラゴンズのコーチをなさっていらっしゃったわけですが、十四年ぶりに古巣に戻っていらして、指導方針を何か変えられたところはございますか。

「一度コーチをやるとたいへんさがわかる。ユニフォームを着ていると、言わなきゃいけないことが多くなって、思わず口うるさくなってしまう。今年、ドラゴンズに戻ってきて、細かいことをいちいち言わなくなった。そのへん、変わったところだね」

 水原監督の緩和方針でうるさく言う人もいなくなって、チームの雰囲気が緩んできたということはありませんか。

「緩んできたなんてけしかけないでくださいよ。無理をしなくなったと言ってください。おかげでケガ人がまったく出なくなりました。たしかに水原監督になってガラリと雰囲気が変わりました。しかし、結果を出せる変わり方です。大いに期待してます。プロはシーズン始まってちゃんと結果を残せばいい。きびしく言うのはシーズン始まってタルミが見えてからにします。もともと野球の評論や解説は私の仕事だし、そこは遠慮せずにやります。神無月というとんでもない逸材が入団しましたし、今年はAクラスを狙えると思う」

 狙いは優勝でしょう。しかし、ルーキーがレギュラーでガンガンやれるチームだとしたら、それほどチーム力がなかったという証拠じゃありませんか?

「ピッチャー陣に不安があるからね。若手が伸びてこないし。ただ、今年はどこかちがうんですよ。疲れているときでもちゃんと走るとか、少しばかり痛いのはがまんするとか、基本的なことをきっちりやれてる。そこを怠けて負けるとダメージは大きい。チームの勢いがなくなる。勝てる試合を落としたりする。神無月効果でそのへんのきびしさが出てきた。もちろん優勝してもおかしくない戦力になったんですよ」

 たしかに神無月選手はいいバッターです。しかしいままでレギュラーでもなかったバッターが、いきなり四番じゃ荷が重いでしょう。周りにいい打者がいるからそこに助けられるかもしれませんが。

「わかってないようですね。神無月はふつうじゃないんです。個人的にすぐれた才能の持ち主だということはごらんのとおりだとして、影響力が桁外れです。その意味で助けるのは神無月のほうですよ。彼は自分が新人だとかレギュラーだとか何も考えていないんです。一試合一試合に力を注いでるのだから勝つのが当然だし、負けるのは全力を出してないからだと素朴に考える。そのくせ勝敗には頓着していない。ただ野球が好きで楽しんでるだけの、本人の言うとおり〈野球小僧〉なんですよ。これはもう、奇人ですね。そこにチームが丸ごと影響を受けました。だれも、みんなでしゃかりきにがんばって勝たなければいけないと考えなくなったんです。個人的に楽しんで力を尽くして野球をやったら勝てないのは不思議、負けたら自分の力の出し方に原因ありと考えるようになったんですよ。その結果ひそかに懸命に努力する。みんなでがんばりましょうじゃなく、俺ががんばらなくちゃになった。そうしなければ野球を楽しくやれないと考えるわけです。チームプレイの巨人などに言わせたら噴飯物でしょうけどね」

 なるほど、キャンプの練習を見ても緊張感にあふれてましたね。

「それです。ハードな打ち揃っての鍛練ではなく、ソフトな個人的な鍛練ね。そりゃ緊張しますよ。去年の秋季キャンプはみんなへとへとになるまでやった。しかしどことなく緊張感はなかった。みんなでやってるんだからだいじょうぶだろうという油断があったわけです。全体のレベルでノルマをこなしてるという感じね。ところが、怠け者というさんざんな悪評を引っさげて、二月のキャンプにパンクチュアルにやってきた神無月が、グランドで練習を始めたとたん、チームに電流が走った。練習の多彩さ、打ちこむ姿勢、好奇心、すべてが異常だったんですよ。模範にならない異常さです。ノルマ的な団体行動から得るものは少ないと、彼自身の姿が示していた。それでみんな〈個人的に〉彼の練習方法を採り入れるようになった」

 そこまで評価しますか。フリー打撃を見ていたら、掬い上げたり、屁っぴり腰で打ったり、スイングが一定していない。この先さまざまなピッチャーの変化球に対応できるのかなと。

「あれは意図してやっていることです。オープン戦三試合をご覧になってわかるでしょう? どういう打ち方でもホームランを打てるように自分を鍛えてるんですよ」

 たしかによくホームランはよく打ちますね。しかし、個人技とチーム力の関係を考えると、まだ揺るがない戦力と判断するのは難しいんじゃないでしょうか。

「そういうことを言われつづけるでしょうな。彼はマスコミの憎まれっ子だからね。彼に対するわれわれの判断は終わってます。あれでいい。異様な技量の完成度、徹底した自己管理。チーム和合の過大な重視は、本道の野球を狭苦しいものにする。野球を自分ひとりに責任を負わせて楽しむという緊張感があれば、その総合のチーム力は当然上昇します。お家のためのハラキリの覚悟です。みんなで責任を小さく分担して寄せ集めてたんではそれが叶わない。彼のおかげで、一人ひとり個人的に肩に荷を負う気概がチームにいきわたった」

 そんなに自己責任でがんばりつづけていたら、精神的にも肉体的にももたないんじゃないですか。

「基本は野球を楽しいと思う心だね。ほんとうの意味で、野球に対するきびしい姿勢です。それがあるから身も心もくつろいでいる。だいじょうぶですよ。ほかのチームにはそれがあると思えないので、うちにこてんぱんにやられるという気がする」

 むかしの西鉄ですね。西鉄は強かったですからねえ。

「でも西鉄は、クリーンアップもバントをしたし、主軸の中西が腱鞘炎で引退した。チームプレイと、練習のしすぎ。自己責任で野球を楽しんでなかった証拠です。そういうチームは斜陽が早い」

 要するに、キャンプは成功裡に終わったということですね。

「オープン戦で五割の星を残せれば、ペナントレースで優勝の可能性は大だと思う。連覇はどうかな。でも連覇しないと強豪の名を残せないね。それでいい。名は残らずとも功績は残る。微笑んで球界を変えようと思います」

 すばらしいインタビューだった。小野が、
「サンケイスポーツにはやられるね。ほかの新聞は好意的だから心配しないでいいよ」
 葛城が、
「太田さんの言うとおりだ」
 テーブルを通りかかったウェイターに昼の幕の内弁当を注文した。
「出発までにフロントに用意しておきます。みなさまは?」
「俺も頼む」
「私も」
 十人以上が手を挙げた。
「それだけいらっしゃるなら、お昼に球場のほうにまとめてお届けします」




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