四十九 

 三月十六日日曜日。曇天。七時半起床。五・二度。枇杷酒でうがい、軟便、シャワー、歯磨き。太田がドアを叩きにきて、なだ万へ。監督以下チーム全員で和定食。
 ホテルの前にいつもの人群れ。ピカリピカリ瞬くフラッシュの中、彼らと握手をしながらバスに乗りこむ。足木マネージャーと池藤チーフトレーナーとランニングコーチの鏑木も乗る。村迫代表も小山球団オーナーも乗った。彼らは時間の余裕があるかぎり、労をいとわず球場がよいをする。試合に勝とうが負けようが、選手たちの奮闘ぶりを見ることが彼らにとって唯一の関心事であり、歓びだからだ。水原監督と同じ気持ちなのだ。
 新人たちが秋季キャンプで励み、一月下旬からすでに明石入りして、みっちりからだを鍛えあげているときに、一人だけ不参加を表明して自由行動をとる選手を見れば、監督やオーナーたるもの、ふつうは苦々しい気分になるものだ。たしかにそのことは私から言い出し、契約に含んでもらったことだったけれども、二人の温顔に接するたびに胸が疼(いた)み、少しばかり後ろめたい気持ちになる。
 オーナーは私に上機嫌で話しかける。新聞を広げて、
「十九本まできたね。いったい何本打つんだろうね。金太郎くん、きょうの新聞に王のインタビューが載ってるよ。『ホームランを打って見せるために天上からやってきた人間に、ホームランを打ちたくて地上で特訓している人間が敵うはずがない。神無月くんは人びとを喜ばせるため、ぼくはチームに貢献するため。もともと目的がちがう。ぼくは個人の記録よりもチームの成績第一に考えて、精いっぱいがんばります』―ちょっと含みのある言い方だが、気にしないほうがいい。川上くんがこんなことばかり言ってるんだろう。チームのためなんてあえて口にしなくても、きみはじゅうぶんチームに貢献している。きみがホームランを打つ、チームが発奮する、きみが凡打に倒れる、チームが発奮する。これ以上どうやってチームに貢献することができるかね。みんなが発奮するのは、水原くんの言うように、きみの存在そのもののおかげなんだよ。みんなきみの人間性に引っ張られて奮闘してるんだ。だいたいチームのことをいくら考えたって、個人は自分の能力で投げて打つことしかできないんだよ。ウハハハハ」
 村迫も水原監督もやさしい微笑を浮かべながらうなずく。感激屋の江藤が目を濡らしている。菱川が、
「俺、ぜったいクビにならないようにがんばります。神無月さんがいるあいだは―」
 そう言ってほんの一瞬ハッと息を呑んだが、だれも気にかけなかった。もしいなくなったら―そのあとの言葉は、球団との約束の言葉でなく、私との約束の言葉になる。もし私をオトコとして愛しているなら、迂闊に言えない。私を縛ることになる。江藤も彼も太田も、球団より私を愛している。私がいなくなったら自分がとるかもしれない行動を口にして、愛する男の自由を奪うわけにはいかない。彼は私の目を力強く見つめて言った。
「いま、ほんとに野球が楽しくてしょうがないんです。……神無月さんがいなければ俺は野球を楽しく感じられません」
 私は、
「菱川さん、ぼくはドラゴンズに骨を埋めたんです。いつまでもドラゴンズにいます」
 バスが拍手で沸いた。水原監督が菱川に、
「もしも金太郎さんがいなくなったら、ドラゴンズを辞めるかね。うん、きっとそうだろうね。金太郎さんに惚れこんでいる人間はみんな同じ気持ちなんだよ。でもそんなことを言ったら、金太郎さんの自由の翼が折れるよ。自分を愛するものを苦しめないように生きるのが、彼の人生だからね。だからだれも言わない。言わずに、〈もしも〉が現実にならないことを祈りながら、懸命に、かつ楽しく野球をやろうとしてる。その姿を見ているかぎり、金太郎さんは、ホームランが打てなくなるまでドラゴンズにいるよ」
 彼は何もかもわかっている。
「監督! 俺きょう出番ありますか」
「六番ライトだ」
「オッシャ!」
         †
 田宮コーチがベンチでメンバー発表にかかった。先発小川、控え小野、板東、山中、田中勉、若生和也、浜野は上がりで、ベンチ奥で見物。
「バッティングオーダー、一番ショート島谷、二番センター中、三番ファースト江藤、四番レフト神無月、五番キャッチャー木俣、六番ライト菱川、七番サード太田、八番セカンド高木。交代要員、キャッチャー新宅、ショート一枝、サード徳武(ひさしぶりに彼の名前を聞いた)、ライト江島。代打要員、葛城、伊藤竜、江藤省三」
 フリーバッティングにフォックスの姿が見えない。きょうだけではない。ずっと見ていない。高木に、
「フォックスさん、とんと姿を見かけなくなりましたね。まだ二軍にいるんですか」
「アメリカへ里帰りしてるようだな。だれか身内の具合が悪いって話だ。開幕までには戻ってくるんじゃない」
 水原監督が、
「アメリカの実家からの連絡では、もうフォックスには帰る意思はないそうだ。これきりだね」
 ホーとベンチにため息が拡がる。それは一瞬のことで、数秒後にフォックスは永遠に忘れ去られた。
 南海のバッティング練習が終わると、私は真っ先にバッティングケージに入った。ライト場外、バックスリーン直撃、レフトの看板と打ち分ける。一塁ベンチから、飯田監督、野村、杉浦、きのう先発した皆川らも次々と惜しみない拍手を送っている。三塁ベンチの水原監督がいちばん大きな拍手をしている。
 いつも同じ感慨と決意を新たにする。プロ野球選手として自分がいまここにたしかにいるということ。私を野球選手にした人びとに応えなければならないということ。その感慨と決意はこれ以上にふくらむ可能性もなければ、別種の希望に変異する見こみもない。何をしてもこうだろうということを、私は野球に没頭して初めて知った。だれもが流転の経験をしながら、自分なりにがんばって、そしていまここにいる。人生とはそういうものにちがいない。希望があり、高揚があり、そして倦怠がある。そういう人生からだれも逃れられない。倦怠を和らげながら、死ぬ日まで生きていくしかないのだ。生きつづけるためには、生きていることを忘れさせるほどの充足感がなければならない。どの人生に紛れこんでも、その充足感を失わずに生きなければならない。母にその真実を教えてほしかったが、私は母ではない女や男たちに教えられた。彼らに報いなければならない。
 南海のベンチにいって、きのう約束していた人たちの色紙にサインした。飯田監督を含めて七人いた。岡本伊三美コーチ、穴吹義雄コーチ、トーマス、ブレイザー、広瀬叔功、小池兼司だった。きのうの杉浦を除けば、ピッチャーは一人もいなかった。当然と言えば当然の気もした。野村、杉浦、そしてその五人と友好的な握手をした。
 守備練習に入り、鏑木の指導でポール間を往復しているあたりから小雨になった。スタンドにポチポチ傘が開く。みんなきついダッシュであごが上がり、膝に手を突いてゼイゼイやっている。
「はい、きょうはここまで!」
 鏑木が叫ぶ。水原監督が張り切ってシートノックに出てきた。めったにないことだ。コーチ陣もグローブを持って球拾いにやってきた。走者は控え選手たち、守備にはレギュラーたちがついた。みんな雨を顔に受けながらゴロやフライを捕球し、全力で返球した。私も張り切って地を這うワンバウンドのバックホームを何本かした。江島も負けじと肩の強いところを見せる。菱川もかなり肩のいいところを示した。木俣のミットが輪郭のくっきりした音を立てるたびに、内外野のスタンドが喚声を上げた。静かなはずの球場が二日間盛り上がっている。
 私のオープン戦二十号を見届けようと、記者席にはふだんに倍する数の報道陣がひしめいている。一塁守備の江藤にスタンドから野次が飛ぶ。
「きょうはええ天気やなあ、お齢でたいへんやろうけど、がんばってや!」
 江藤が掛け合う。
「雨にも負けず!」
 一塁スタンドの爆笑。三塁スタンドからの野次。
「オープン戦なのに、なんでこんなにカメラ集まっとるんや。野村撮ってもしょうもないで。ブ男やさかい」
 野村がベンチから出てきて、なんやとう! と怒鳴る。爆笑。レフトスタンドに紛れこんだ南海ファンからの野次。
「すんまへんな、ワテ南海しか知らんさかい、ドラゴンズやらゆうチームの選手の名前覚えてまへんのや。この背番号8の若い人、だれでっか。ボールボーイでっか」
 すかさず中日ファンが、
「ドアホ! 金太郎大明神をコケにしよったらバチが当たるで。おまえんとこのチームはなんちゅう名前や。南海やと? ナンカイやっても勝てんチームは覚え切らん」
 ライトでは菱川が野次られている。中の守備位置まで走っていって野次を聞く。
「デブ! ブタマン食うか、うまいでえ」
 ほんもののブタマンを高く掲げる。菱川は均整のとれたスマートなからだをしている。だれが見てもわかる。無理やり丸顔をからかっているのだ。
「うまそうだなあ。あとでベンチに二十個届けてよ。みんなで食うから!」
 大爆笑。私と中も笑った。ああ、プロ野球だなと思う。両チームのスターティングメンバーがアナウンスされる。
「……ピッチャー、三浦、背番号34」
 きのう敗戦処理で投げたばかりの三浦清弘だ。中日なら、いやセリーグならまずやらない連投策だ。彼から江藤と二人でバックスクリーンに初のアベックホームランを打った。記憶に残る名前だ。十三年目、三十歳。右投げ。百八十センチ、八十二キロ。昭和四十年の日本シリーズで、長嶋に二試合連続でツーランを打たれたことでその名を知られている。明石の南海戦で太田がしてくれた解説の復習。スリークォーターからの速球、いろいろな変化球を投げるが、フォークは投げない。ときどきナックルを投げる。ナックルはたいてい百キロ前後の球だが、フラフラ揺れて落ちるのでひどく打ちにくい。前に出て打ってもあまり効果がないから、次がナックルと読んだら、ふつうの位置に立ってマグレ期待でひっぱたくしかない。
 午後一時試合開始。審判はきのうの四人が入れ替わり、球審はパリーグの中村、一塁露崎、二塁セリーグの太田、三塁はあの長嶋の幻のホームランを宣告した竹元、レフト線審は名審判の誉れ高いパリーグの斎田、ライト線審はセリーグの原田。水原監督が三塁コーチャーズボックスへゆっくり向かい、森下コーチが一塁へ小走りでいく。
 プレイボールの声がかかったとたんに、島谷がレフト線に痛打した。背番号30がセカンドベース上に颯爽と立つ。中日ファンがきょうも大量得点の予感に大歓声を上げる。大阪球場は歓声に満ちた球場に変わるかもしれない。半田コーチがベンチの中でツイストを踊っている。
 中の背中が一塁手のトーマスを狙うドラッグバントをにおわせている。ランナー二塁なので、内野はバックホームに備えずに通常の守備位置をとる。初球、野村は立ち上がり大きく外角へ外した。ヒットエンドランがあるかどうか島谷の様子を見たのだ。田宮コーチはだれにも話しかけていない。だから島谷は動かない。二球目、スリークォーターからの速球が内角に入ってきた。ドラッグバント! トーマスがビックリしてダッシュしてくる。セカンドのブレイザーは一瞬前進しかけて、ファーストベースのカバーに走った。トーマスがゴロを捕球して一塁へ送球しようとする直前に中はベースを駆け抜けている。露崎が翼のように両手を広げる。
「ウオー! 名人んん!」
「ボケ! ドンカス! トウナス!」
 すべてのスタンドが咆哮する。試合開始三球目にして、敵味方関係のない祝祭が始まる。ノーアウト一塁、三塁。
「前に出て、シュートば叩いてくるばい。まだ投げとらんけん」
「ぼくはナックルを待って、めくら振りします」
 ネクストバッターズサークルに膝を突く。江藤のバッターボックスの美しいたたずまいにウットリする。右肘を開き、わずかにからだを〈く〉の字に前傾して静かに構える。ダイナミックな振り出しの前の〈静〉だ。振り出す瞬間に左足をピッチャーに向かって踏み出す。二球つづけて外角低目のカーブ。ボールツー。
「一点、くれたるわ」
 ぼそぼそと野村の声が聞こえる。
「毒いり直球ね? ゲッツーと交換やろうけん、いらん」
 真ん中高目へ直球のようなスライダー。ストライク。
「毒入っとったか?」
「たっぷりな。スライドかけとったろう。打っとったらセカンドゴロやないね」
 敏感な左耳にぜんぶ聞こえてくる。四球目内角低目にシュートが曲がってきた。ジャストミート。低いライナーがレフトポールに向かって伸びていく。ドライブダウンしてラインの内側でバウンドし、ヘラのフェンスに打ち当たった。レフト柳田捕球してセカンド送球。怒り肩が猛然と走る。島谷ホームイン。中三塁へ美しいフットスライディング。江藤もセカンドへ足から滑りこんだ。一対ゼロ。水原監督が私を見つめてパンパンパンと手を拍つ。中が三塁手の国貞と何やら話をしている。
「金太郎ォォ!」
「金太郎さん!」
 スタンドの傘が揺れる。
「遠慮ちゅうもんを知れや!」
「三振してまえ!」
「三振して天国へ翔んで帰れ!」
 三塁スタンドのカメラの群れ。フラッシュが何発も光る。バックネットのテレビカメラを見上げ、遠くにいる愛する人たちと見交わす。


         五十 

 野村がバッターボックスの私にしゃべりかける。
「キッチリ勝負したる。打ってみい」
 初球、ナックルがきた。百キロもないスピードで右に揺れ左に揺れて落ちた。
「ストライク!」
 生まれて初めて見る揺れ方と落ち方だった。不思議な大喚声。味方ベンチが固唾を飲んでいる。
「すごいなあ!」
「めしの種やで。あたりまえやろ。もう一球見せたるわ」
 二球目、もっと遅いナックル。どれくらいバットとボールがズレるか腰を入れて振ってみる。空振り。初めての空振りかもしれない。スタンドがどよめく。落ちるよりも早く振りすぎたという感じがした。このボールにはタイミングは合わせられない。やっぱりめくら打ちしかない。
「おっとろしいスイングやな。敬遠はせんぞ。プロの沽券に関わるでな」
 三球目、三浦は突っ立つようなフォームから、キャッチボールかと思われるほど軽く投げてきた。山なりのボールがやってきて、内へ揺れる。
 ―ここだ!
 外へ揺れて、フワッと落ちかかる。腰をしっかり入れ、目見当でバットを投げ出す。ゴンと当たった。かなり強い打球がショートの頭上を越えた。よし、打てた。意外に打球にスピードが乗り、左中間を抜くかというところまで転がった。広瀬がスライディングして抑え、セカンドへ全力送球する。足から滑りこんで悠々セーフ。さらに大きな喚声に包まれる。中と江藤が小躍りしながらベンチへ駆けこんでいった。三対ゼロ。
「スゴイ、ですねえ」
 セカンドのブレイザーが声をかける。
「ありがとうございます」
 小雨が霧雨に変わっている。タイムを取ってベルトを締め直す。ベースを蹴って泥を落としている竹元塁審に訊く。
「長嶋の幻のホームランを申告した選手はだれでしたっけ」
 竹元はびっくりして私を見ると、あわてて答えた。
「ああ、あの広島戦の一塁ベース空過(くうか)ですね。藤井弘一塁手です。記録はピッチャーゴロになりました」
 そう言って急いで二塁ベース後方、セカンド寄りに下がった。傘の花が凋みはじめた。天気雨だったのだ。空の色がわずかに白んだ。
 ―藤井? 目の細いゴジラ顔。背番号5。三番バッター。
 思い出した。守備の下手なドンくさい男だった。バッターボックスでもドローンと構えていた。当時の広島には小さな大投手が二人いて、一人が長谷川コーチ、もう一人が備前だった。クリーンアップには森永というバットを長く持つ左バッターや、やはりゴジラ顔で三振の多い大和田という右の強打者もいたように思うけれども、いっさいが赤茶けたセピア色だ。彼らの背番号だけはハッキリ憶えている。18と16と9と8だった。
 しかし、チームのためというのは、そういう行動を指すのだろうか。それがプロというものなのだろうか。私なら決して指摘しない。たとえチームに不利を与えても、個人の業績を賞賛する。正義というのは、ミスを指摘することではない。せっかく打ったホームランを取り消すことではなく、ホームランという手柄を讃えることだ。
 木俣の打球が快音を残してライト前に飛んだ。ライトの樋口がハンブルした。
「突っこみまーす!」
 と水原監督に叫んで、ホームに突入した。野村がホームベースの前にぼんやり立っているので、送球の具合を振り返って見ると、中継のトーマスがハンブルしているところだった。楽々ホームイン。次打者の菱川とタッチ。四対ゼロ。ピッチャー交代。杉浦が出てきた!
         †
 杉浦はどしょっぱなに菱川にレフト前ヒットを打たれてから、静かに奮い立ち、後続の九人を五三振、内野ゴロ四の無安打に切って取った。そして大事をとって降板した。長谷川コーチが、
「さすが史上最高のリリーフだ。神無月くんもセカンドゴロまでか」
「はい、ベースの前で叩こうとしましたが、浮き上がって食いこんできました。全盛時代ならかすりもしなかったと思います」
 長谷川コーチは、
「うれしそうだね。打ち取られたのに」
「はい、偉大な人に打ち負かされるのは愉快です」
 江藤が、
「金太郎さんは明石で杉浦からホームラン打っとるばい」
「はあ、初対面は仕方ないですよ。ぼくも二度目の対戦なら、もっと打ってしかるべきなんですが」
 杉浦に代わって出てきたのは、左腕の林俊彦というピッチャーだった。木俣がうれしそうに、
「林は俺と中商時代にバッテリーを組んだ男だよ。山中巽の控えだった」
「木俣さんと山中さんは甲子園球児なんですね」
「ああ、省三も山中と同期だ。三十六年の夏、三十七年は春夏と出た」
「三十六年なら尾崎に遇ってますね」
「おお、準々決勝でこてんぱんにやられた。あんな速い球、あれからも見たことがない」
 その林から六回と八回にソロホームランを打った。一本はレフトポールをギリギリに巻く会心の流し打ちだった。もう一本はライト場外に叩き出した。ボールが場外に消えたとき、なんとホークスの旗が何本もいっせいに打ち振られた。一塁を回る瞬間、交流試合と同じような明るい声でトーマスが、
「ナイス、ヒット!」
 と言った。私も、
「サンキュー!」
 と応えた。
 二十一本。あと七試合。大学時代よりも四本多い三十本を打ちたくなった。
 八回まで南海は広瀬と小池にシングルが出ただけで、小川にきりきり舞いさせられた。それでも九回裏に、小川の後処理に出た山中を打ちこみ、広瀬の適時打、野村のスリーランホームランでどうにか体面を保った。野村のホームランは低い軌道を描いて左中間のスタンドに突き刺さった。私はその弾道の美しさにあらためて嘆息した。野村は二塁から三塁ベースに向かって悠然と走っていった。トーマスの言葉が思わず口をついて出た。
「ナイス、ヒット!」
 九対四。南海戦二連勝。グランドに乱入するファンを十人ほどのガードマンたちが押し留めながらのインタビューになった。
「ドラゴンズはオープン戦、九戦して七勝二敗、二位の巨人は十戦して六勝三敗一分です。ペナントレースもこの形になると思いますか」
「オープン戦の勝率のまま、ペナントレースも突っ走れるかという意味ですか?」
「はい」
「オープン戦は十五、六戦、ペナントレースはその十倍近い試合数を戦うわけです。同じ割合にふくらませて、中日ドラゴンズの優勝を予想しているわけでしょうが、そうは問屋がおろさないと思います。一試合一試合戦っていくうちに、連勝も連敗も起こります。選手も疲れてきますし、ケガもあるでしょう。縮んだり、ふくらんだり、ゆがんだり、けっして同じ形にはならないと思います」
「神無月選手のホームランも、ということですか?」
「そうです。ぼくもできれば自分の記録を同じ割合にして考えたいんですが、打てる日もあれば、打てない日もあるでしょうし、得意なピッチャーもいれば、不得意なピッチャーもいるでしょう。ただ、願いは八十本のホームランです」
 たぶん私が記録を作る可能性は高いだろうが、チームが優勝する可能性は七分、二位になる可能性が二分、三位以下に沈む可能性は一分だろう。個人の意志は、才能や美学や哲学で強固に保てるけれども、そのレベルのまちまちな個人集団の凝集力を保つのは並大抵のことではない。
 公園の三角ベースとはちがうプロ野球には、才能に満ちあふれた、クセのある人間が集まる。クセがあるだけに、妥協と協調を基本にする凝集力は弱くなる。たしかに川上監督のような全体主義の野球は、凝集力を高める最も有力な手段であることはまちがいない。しかし中日ドラゴンズは首脳陣や水原監督の度量と裁量を信頼して、チーム和合し、妥協と雷同に縛られない自由闊達な野球を楽しみながら頂点を目指そうとしている。この冒険が成功すれば、商業的なプロスポーツの世界の凝集力の定義が変わっていくだろう。
 マイクを向けられた水原監督は、ひとことでまとめた。
「和合です。和合の結果が優勝であればいいと思っています」
 選手の荷物は、私の分を除いてすべて輸送トラックが持ち去った。
 帰りのバスで田中勉がめずらしく口を利いた。
「しあさってから西鉄戦だ。昭和三十年代前半のライオンズはめちゃくちゃ強かった。俺は三十六年入団だったけど、まだ強かったころの名残があって、相当ガツンと教育されたもんだ。俺はそこそこ勝てるピッチャーだったんだけど、負けも多かった。俺のピッチングのまずさで試合に負けたりすると、仲間はだれも口を利いてくれないんだ。それどころか、宿舎まで帰るバスに乗りこもうとしたとたんに、バカタレ、歩いて帰れ! と怒鳴られた。一度だけ実際歩いて帰ったよ。強いチームは仲良し集団じゃいかんのよ。勝つためにはダメとヨシをはっきりさせる非情さを持たんといかん」
 水原監督のインタビューの受け答えに逆らうようなことを言う。水原監督が、
「じゃ、田中くん、現在われわれが勝ちつづけてるのは、なぜだね? みんなが非情だからかね? それとも、マグレかね? 負けだしたら、ほれ見たことか、ナカヨシコヨシにしてるからだよと皮肉でも言うつもりかね。きみは歩いて帰る道々、ああすばらしい仕置きをしてもらったと思ったかね。そんないいチームに、結局は放出されたんじゃないのかね。仲良く、楽しく生活しながら、持ち前の才能を発揮できたら、これにすぐるものはないんじゃないの」
 田中勉は何も応えられず、黙った。
「西鉄第一戦はきみが先発だよ。仲良しチームの代表として、意地悪チームに意趣返しをしてあげなさい」
「はい―」
 小山オーナーが大きくうなずいた。
「和合、和合! 資金は潤沢にあるから、楽しく勝ったり負けたりしなさい。鍛錬をサボらずに、持てる才能をうんと発揮してください。きみたちは並の人間とはちがうんだからね。きみたちを支援する人たちの顔なんか知る必要はない。そんな顔なんぞ、きみたちの前に曝したって何の慰めにもならない。かえって場塞ぎになるだけだ」
 小山オーナーは心映えの派手な人であり、オーナーというより、アンチャンと呼ばれたがっているようなキップが感じられた。田宮コーチが、
「オーナーの鍛錬というのは、ほとんどのチームの一月の自主トレみたいなことを言ってるんじゃないんだ。三十分走って、ちょっと休んで、また三十分ダッシュして、また走って、またダッシュする。素振り千本、ノック千本。もうとにかく、からだを苛めるばかりで、ただただ疲れるような訓練は、野球のためにならない。そんな特訓は、練習の鬼の金太郎さんでさえやらない。ウェイト的な基本鍛錬をしたうえで、走るときは走り、打つときは打ち、守るときは守る。メリハリの利いた鍛錬をしてくれということだ。だから効率よく走るためにランニングコーチをつけたんだよ。ひと月ほど走り方を教えてくれたら、鏑木くんは、ちゃんとした走り方をしてるか年じゅう見張り役をするだけだ。トレーニングというのは、からだを苛めるためのものじゃない。体力を徐々に増進し、増進した体力を維持するためのものだ。じつは今年は、一、二軍ともに、故障者がまったく出ていないんだよ。古傷を抱えている選手はいるがね。心したことと言えば、ランニングや、ノックや、投げこみの猛特訓をしない、それだけだ」
 田中は私に向かって、
「神無月くんも川上式には反対なの? チーム足並揃えるということに微妙に反発してるみたいだけど」
 江藤が私の肩を抱いた。私は十歳も年上の田中勉に言った。
「まったく反発してません。やるならお好きに、ぼくは参加しませんというだけのものです。からだを痛めて野球がやれなくなったらコトですからね。ドラゴンズが猛訓練で有名なチームでなかったことはラッキーでした。さっきの西鉄の話ですが、郷に入っては郷に従えでは不十分だと思うんです。その金言自体、全体主義に疑問を感じてるという意味ですから。どんな郷に入っても矛盾を感じない人はたしかにいます。そういう人の心には矛盾を矛盾と感じない深い沼があって、そこに湛えられている水は、矛盾を一つ二つ呑みこんだくらいでは濁らないんです。管理とか規律とかを屁とも思わず、何の矛盾も感じない心には、それは沼に落ちてくるただのワクラバでしょう。長嶋さんを考えてください。管理を喜ぶ人間だと思いますか。何も考えてない深い沼なんですよ。彼の〈自分の心〉は野球をしたいというだけのものです。だから周りの体制など意識していないんです。むろんぼくも野球をしたいという心を人一倍持ってます。でも、人と仲良く生きていきたい、そのうえで野球を楽しみたい、それが〈自分の心〉です。長嶋さんとちがってさほど深い沼ではないので、仲良くし合うジャマになる管理や規律は気になりますから排除しようとします。そんな具合で、ぼくは、おたがいがおたがいの内面を許容し合うような、和合のチームでしか野球ができないというわけです。生意気を言ってすみませんでした」
「いや、よく思い切って言ってくれた。もうすぐ三十にもなろうというのに、自分が何を望んでいるのか、入団したころほどもわかっていなかったんだな。あんたのことをオツに澄ましてイケスカン野郎だと思ってたけど、そういう気持ちでいつも生きてたんだね。アタマがよくて、野球も天才だと、あんたのような雰囲気になるんだろう。貴重な生きものを見てる感じだな。しあさっては全力で投げる。援護よろしく」
「はい」
 バス全体が拍手の嵐になった。板東が、
「いまの話、ラジオで使わせてもらうで」
 水原監督が、
「金太郎さん、いっしょに野球をしようね。そのあとも一生の付き合いをしよう」
「はい、よろしくお願いします」
 小山オーナーが、
「金太郎さんはだれよりも大人のアタマの持ち主だ。大人なのに、世故を無視した深い情がある。これまでの自分の生き方を重々反省させられるよ。せめて金太郎さんを生かしめるようなチーム作りをして、金太郎さんが燃え尽きてチームを去ったのちも、いや、これは仮にの話だよ、十年後、二十年後には、そういうことも起こるだろうからね、そのときのために、人間味のあるプレーヤーを迎えられるような下地を作っておきたい。きみがいつか球界を去っていく日があるかと思うとスリリングだなあ。底なしにさみしいがね」
 そう言って、ハンカチで目を拭った。江藤がまた私の肩をそっと抱いた。


         五十一

 三月十七日月曜日。八時起床。晴。七・二度。板東との一件以来この二日間大きく鳴っていた耳鳴りがおとなしくなっている。うがい、歯磨き。江藤と交代で排便、シャワー。ブレザーを着る。ほぼチーム全員、なだ万の大座敷に集まって会食。
 めいめい部屋に戻って福岡への出発準備。グローブ、新しいジャージ、新しい下着、タオル類、いのちの記録と筆記用具と文庫本、眼鏡をダッフルに詰め、段ボール箱には、クリーニングから戻った新しいユニフォーム一式、ワイシャツ、スパイク、帽子などを納めた。ダッフルは担ぎ、段ボール箱とバット二本はフロントから福岡の西鉄グランドホテルに送ってもらうことにする。きのう使ったユニフォームと、ジャージと、二日分の下着(結局洗わなかった)と、使用ずみのタオル類は、別の段ボール箱に詰め、使用済みのバット一本を添えて、同じようにフロントから北村席に送り返した。
 十一時。ホテルバスに乗りこみ、二月に開通したばかりの空港線を通って大阪国際空港に向かう。二十分で到着。空がものすごい音で鳴っている。静まっていた耳鳴りと共鳴する。ターミナルビルが完成したばかりだということなので、レギュラーたち何人かと送迎デッキにいってみる。六甲の連山を背景に大きなジェット機がいくつか駐機している。菱川が、
「JALのボーイング727ばかりですね。俺たちが乗るのはあれじゃなく、プロペラのYS11です」
 午後十二時四十五分、トレーナー二名、スコアラー、ランニングコーチそれぞれ一名を含むドラゴンズチームはタラップまでぞろぞろ歩き、足木敏郎マネージャーの先導で博多行きのプロペラ機に乗った。小山オーナーは所用があるということで、村迫球団代表ほか何人かのフロント陣を連れて一足早く球団のバンで堂島の中日新聞支社へ向かっていた。何時間か遅れて福岡に駆けつけるという話だった。
 座席は新幹線の一等車に似ていた。濃紺の制服を着たスチュワーデスがなにやらパンフレットの説明をする。
 私は機内を見回し、特別席に座っている水原監督、コーチ陣、そのすぐ後ろの普通席に座っている選手三十数名の顔をあらためて記憶に焼きつけた。青高や東大のころにときどきやったことだ。一人ひとり名前を頭の中に唱えながら、顔を注視する。監督水原茂、一軍ヘッドコーチ宇野光雄、一軍投手コーチ太田信雄、一軍打撃コーチ田宮謙次郎、一軍守備コーチカールトン半田、二軍ヘッドコーチ本田逸郎、二軍投手コーチ長谷川良平、二軍コーチ森下整鎮(のぶしげ)。ピッチャー小川健太郎、小野正一、田中勉(つとむ)、板東英二、浜野百三、伊藤久敏、山中巽、水谷寿伸(としのぶ)、水谷則博。キャッチャー木俣達彦、新宅洋志(ひろし)、高木時夫、吉沢岳男。野手、江藤慎一、高木守道、一枝修平、島谷金二、伊藤竜彦、千原陽三郎、徳武定之、太田安治、江藤省三、中利夫、葛城隆雄、江島巧、菱川章。
 コーヒーと紅茶とジュースが出る。私は断る。選手たちの後ろには二十人ほど一般客が座っている。翼の陰から、箱庭のような地上を見下ろす。やがて雲海に変わる。プロペラの子守唄。眠くならない。雲を越えていく。
 ―直人。こんな親でいいのだろうか。何が子供に影響するかわからない。しかしあの子のために生きよう。あの子は肯(がえ)んじられないことに真剣に怒り、やがて柳に風と受け流し、ついに生まれ出たことに心から感謝できる男だ。
 太田に訊く。
「ドラゴンズの全陣容って何名?」
「監督、コーチ、一、二軍選手を入れて六十五名。スタッフを入れると百名近くになります。名古屋に居残りの二軍は、一軍遠征時は岩本コーチと塚田コーチが面倒見てます」
「ベンチに入れるのは何人?」
「最大登録数は二十八人。実際に試合に出場できるのは二十五名です。ふつうは野手十七人、ピッチャー八人、アガリのピッチャー三人という内わけになります」
「二軍は何人いるの?」
「三十人弱ですね」
「監督、コーチは十人か。なるほど六十五人だ。三十人の中から抜け出して、一軍ベンチに入ることは至難なんだね」
「はい、毎年新人が十人近く入ってきて、一軍の控え選手も二軍へ追いやられます。そのうち何人かは辞めていく。信じられないほどきびしい世界です」
「竹田和史はどうしてるんだろうね」
「まだまだじゃないですか。球は速いんだけど、とにかくスタミナがないですから。その点では若生さんも似たようなものです。内臓が弱いんですよ」
 若生の後頭部が斜め前方の席に見えたので、私は話題を換えた。
「大阪球場は、ふだんはガラガラだと言ってたけど、あんなすごい選手たちがいるのになぜなんだろう」
 聞きつけた森下コーチがすっかり上機嫌になって、
「パリーグはテレビ中継が少ないんだ。それで注目度が落ちて、観客動員が減少することになる。おまけに南海と西鉄が弱くなって、アウト」
 先日聞いた話だ。それだけが原因だろうか。日本シリーズはじめ、パリーグが連年劣勢だからではないか。カールトンコーチが、
「杉浦さんと稲尾さんと中西さんがいかにえらかったか、ネ。いまは野村さんだけ。一人でがんばってもダメなのよ。連続優勝でもしないかぎり無理ね」
 森下コーチが、
「いや、西鉄や南海が強かったころも、やっぱりシーズン中は一万人も客が入らへんかったで。どう考えてもテレビのせいやな」
 水原監督が、
「テレビというよりは、スター選手が地味なせいでしょう。記録がすごくても、華やかさがない。もともと野球選手なんてのは地味なものです。職人ですからね。スター選手に輝きがなければ、セリーグのチームも人気が出ません。セリーグの人気の平均を高めてきたのは、長嶋くんと王くん、それから巨人以外のチームのスター選手たちです。彼らはパリーグのスター選手とちがって地味じゃない。華やかに人目を引きます。パリーグの地味な選手たちも、明るく楽しそうにプレイしていれば、観客の気分も明るく楽しいものになるのにね。尾崎くんはいつもにこにこ明るく投球していました。あれは例外です。心がけなければいけないのは、努力という言葉を自分の胸の内に引っこめておいて出さないことです。努力みたいなものはどっかでちゃんとやっておいて、輝くような才能でプレイしてるだけだと見せることです。それは欺瞞じゃありません。ほんとうに才能があるわけだからね。パリーグにそれができるスター選手は少ない。どこか努力がにおう。野村のようになぜか努力を前面に押し出す人が多いんだ。努力すれば報われるなら、ほかの社会といっしょです。客はそんなものを見るために金を払いたいんじゃない。才能と異常性を見たいんですよ。セリーグにも川上監督のような努力一本の人はいるが、王長嶋の華やかさで補って余りある」
 小川がウーンとうなり、
「セリーグの人気は、長嶋と王二人のおかげだということですか」
「平均すればその二人です。ただ、巨人に関して言えば長嶋くん一人です。王くんは異常な感じがしません。異常さの特徴は奔放さです。わがドラゴンズの人気はレギュラー陣全員の異常さと奔放さのおかげです。金太郎さん一人じゃない。もともとみんな奔放さがありますから。長嶋くん程度の奔放さは、うちのみんなが持っています。いまや飛び抜けて奔放な金太郎さんからみんなの本来の奔放さが引き出された感じです。巨人軍には長嶋くんのおかげで奔放になった人が一人もいませんね。川上さんが許さないからです。それでもあそこまで巨人の人気が高いのは、伝統的な強さを国民が支持して国家の権威になったせいです。大阪球場はこの二日間、立ち見を入れてこれまでで最高の三万二千人を記録したということです。つまりほかの球団も、わがドラゴンズのおかげを被ったというわけです。巨人相手のオープン戦も大阪球場は満員になると聞いた。観客の見たいものが何であるか、これで一目瞭然でしょう」
 後ろの席の葛城が、
「神無月くんが飛び抜けて奔放というのはよくわかるな。グランドでの行動を見てみろよ。観客に手を振るわ、笑うわ、ホームラン打って全力疾走するわ、ヒネクレ者の野村に話しかけるわ、ネット裏に知り合いがいるとピースサインは出すわ、テレビカメラを見つめるわ、タッチするわ、抱きつくわ」
 横にいる江藤が、
「泣くわ―」
 田宮コーチが、
「長嶋でさえやらないことばかりだ。大毎のスター選手にもそれはなかったな。山内も榎本も俺も、葛城、おまえもだろ」
「なかったですね」
 水原監督が、
「そう、金太郎さんは奔放のかたまりです。客が喜ばないはずがない。きみたちも毎日楽しくてしょうがないでしょう」
「楽しいす!」
 菱川が叫んだ。機内に笑いが弾けた。
 二時十分。一時間半もしないで福岡空港に着いた。どの空港も青森空港や名古屋空港とそっくりだ。遠くに低い連山、ターミナルビルに入ると天井の迫った通路とロビー。空港カウンターや、飲食店、売店の列―。四十名に近い屈強の男どもが空港駐車場までぞろぞろ歩く。プロ野球選手がまとまって歩いていると、人は遠くから眺めるだけで近づいてこない。機内でも近づいてこなかった。意外な発見だった。
 空港の駐車場に大型の西鉄バスが一台待っていた。プロスポーツ選手専用の輸送車に見える。乗りこむ。レギュラーは後部に、監督、コーチ、マネージャー、トレーナー、スコアラーが前部に乗る。田宮コーチが振り向き、
「ここから西鉄グランドホテルまでは八キロもないんだけどね、歩いていける距離じゃないからバスでいく。二十分程度だ」
 殺風景なアスファルトの道を市街地へ向けて走り出す。薄青い曇り空。看板と樹木だけの道がつづく。枯れ枝の分かれぶりから、並木は櫨(はぜ)だとわかる。路灯に混じって延々とつづく。高木が周囲に笑いかけながら、
「サイン盗みというのがハヤッているらしいな。野村が元祖らしい」
 長谷川コーチも笑いながら、
「スコアボードから望遠鏡で覗かせてキャッチャーのサインを盗むってやつだろ。それをベンチに電話で伝えて、控え選手からバッターに伝達するってやつだ。笑い話だな。そんな面倒なことをやってられるはずがない」
 宇野一軍ヘッドコーチが、
「そうなんだよ。野村が流した噂だそうだ。サイン盗みをしているふりをするようにと選手に指示したって話だ。だいぶ敵のバッテリーに影響を与えたと喜んでたらしい。せこいよなあ」
 本多二軍ヘッドコーチが、
「おかげでキャッチャーがなかなかサインを決められなくて、ピッチャーはイライラするし、バッターはしょっちゅうボックスを外すしで、だらだらした試合運びになった。それで客も愛想を尽かしたわけだ。野村のキャラクターと相俟(あいま)って、パリーグの暗いイメージが増幅したね」
 私は首をひねりながら、
「大選手の野村さんが、なんでそんなケチくさいことをする必要があるんですか」
「次期監督の白羽の矢が立ってるからね。勝ちたいということだよ」
 水原監督が、
「勝ち負けにこだわると、結局ファンに見捨てられてしまうという好例ですね」
 中が、
「いつもながら金太郎さんの素朴な質問、私は大好きだよ。ほかにわからないことはないかい?」
「マネージャーという人がどこにいて、どういう仕事をしてるのか教えてください。高校や大学は、ベンチにいて裏方をしてましたが」
 長谷川コーチが笑って、最前列にいた足木マネージャーを指差し、
「ほら、そこにいるよ。プロ野球のマネージャーは徹底した裏方さんだから、帯同はするけど、めったに表立ったことはしないんだ。試合のスケジュール表や、イベントの案内状なんかが送られてきたでしょう? ああいうものを作成して全選手に送る。二軍の首脳陣から届く情報を報告書にまとめて、一軍の首脳陣に伝える。遠征の移動手段の計画を立てる。切符の購入、宿泊ホテルやバスの手配、部屋割り、乗り物の座席順といったものまで考える」
 足木が振り向き、
「移動人数が多くなっちゃったときは、電車の車輌の一両増結まで手配しなくちゃいけないんです。そんなこんなで忙しいので、選手との交流はほとんどないわけ。たまに、選手のマッサージもすることがありますけどね」
 森下コーチが、
「いまのマネージャーの足木さんは、英語力を生かして外国人獲得に奔走したりもして、けっこう表に出て目立ってる人だよ。十二球団ではいちばん有名なマネージャーじゃないかな」
 水原監督が思いついたように、
「そう言えばサインなんだけどね、ぼくのブロックサイン、その格好だけで銭が取れるといわれてる有名なものなんです。だからやってるだけなんだ。アハハハ。ぜんぜん気にしなくていいからね。からだの線がいい、ダンディだなんて言われてるでしょう? 六十ともなれば、線は崩れます。ダンディのはずないよ。ユニフォームの下にね、特注品の鹿皮のパンツを穿いてるんです。保温性にもたしかにすぐれてはいるんだが、何よりもからだのラインをきれいに見せるんです。おじいちゃんのひそかな苦労ですよ」
 みんな心から笑う。愛想笑いをする者はいない。


         五十二

 ようやく郊外の食い物屋の看板がぽつぽつ見えてきた。新車のショーウィンドー、低層マンションやビル。背高の椰子の植わった分離帯がつづく。吉塚新川という名の小さな川を渡る。とつぜん高層ビルの谷間へ突っこむ。高層と言っても名古屋の広小路通ほどではなく、ほとんどが示し合わせたように八階建てだ。中原中也が、出てくるわ出てくるわと詠ったオフィス街。めしどきや退社どきでないので舗道に人影が見えない。たまに自転車やバイクが通る。ふたたびハゼの枯れ枝の並木道。かなり大きい御笠川を跨ぐ東光橋を渡ると、車の往来が多くなってきた。田宮コーチが、
「ここまでずっと空港通りという道路がつづいて、博多駅前の信号から竹下通りと名前が変わる。そっちへいかずに、博多駅のガードをくぐって住吉通りに入る。那珂川の柳橋を渡って渡辺通りに入れば何分もしないで西鉄グランドホテルだ。今年竣工したばかりのピッカピカのホテルだ。もう五キロもないよ」
「博多に詳しいですね」
「新人以外はみんな博多に詳しいよ。新人に説明してるんだ」
 ベテランたちが笑う。
 博多駅の道路標識が出た。高架の下の長いガードをくぐり住吉通りを左折する。高層ビルの群れになる。それでも十四、五階で止まって空へ伸びていかない。縦長のブロックが整然と並んでいるようで美しい。代々木ゼミナールがある。その裾に若い男女の受験生が溜まっている。ビルとビルのあいだに赤い柱が並んでいるおかしな街路がある。その奥まった空間に楠木の緑がこんもりと見える。水原監督が、
「ここは有名な第一住吉宮、いわゆる住吉神社だ。全国で最も古い。境内は、本殿も池もきれいだよ。福岡にくると、私はかならずここにお参りすることにしている。大阪住吉大社、下関住吉神社とともに、日本三大住吉の一つだ。ただ、現在の総本社は大阪だけどね」
 と言った。例外なくだれもかれも物知りだ。道路から見るかぎりでは、わずかに見える社の屋根がふつう見かける豪農屋敷のたたずまいだ。神域に見えない。赤い柱列が途切れたあたりに、灰ずんだ小ぶりな鳥居が見えた。そばに立てられた大看板に、日本第一住吉宮と書いてある。小看板には潮干祭と墨書きしてある。興味のないことは尋かないことにする。それにしても親しみのある街並だ。どういう建物の配置と空間の具合で親しみが湧いてくるのだろう。不思議だ。吉塚新川や御笠川よりはるかに幅のある那珂川を渡る。柳橋と言いながら柳の姿はない。薄緑の川面。通行人の数が多くなる。田宮コーチが大きな声を上げる。
「その大通りを右折して二分で西鉄グランドホテルだぞ!」
 とつぜん市電の姿が見えたと思ったら、たちまち縦横に走りはじめた。赤と淡い黄色のツートンカラー。市街電車の街のようだ。市電道沿いに中野と同じサンロードという商店街があるのを発見して微笑する。散歩をしてみようと思う。サンロードを左に見て、市電を追いかけながら渡辺通り一丁目の交差点を回りこむように右折し、広い渡辺通りに出る。人と車の通行が繁くなる。ビル街を市電といっしょに直進。新川橋の信号、渡辺通り四丁目の信号、天神の信号。天神二丁目、天神西。左手に西鉄グランドホテル。到着。角張って、灰色のスッキリとした十二階建ての建物だ。
 駐車係に導かれて車寄せから駐車場に入る。全員バスを降り、駐車場の出入り口から足並揃えてフロントロビーに入る。すっきりと快適なエントランスエリアだ。焦げ茶の角柱の重厚さと、ベージュ色のシンプルな絨毯と、照明のやさしさにホッとする。壁の一角の凹んだ空間に、見返り美人のような浮世絵の掛軸が垂らしてある。水原監督が、
「西陣織だそうだよ。二枚とできないものらしい」
「はあ……」
 ロビーのソファから、窓の外に設けられた人口滝を眺めることができる。丸帽のボーイが諸所に立っている。
「キャー!」
 という声が上がる。ずらりと報道陣が控えている。ストロボが何発か焚かれた。フラッシュが連続で瞬く。人びとが遠巻きに取り囲み、歓声を上げたり、シャッターを押したりしている。顔を振り向けるたびに、若い女たちがキャーと叫ぶ。
「いらっしゃいませ」
 黒スーツの三人のフロント係が打ち揃って最敬礼した。壁の時計が二時五十分になろうとしている。
「水原監督はじめ、中日ドラゴンズのご一行さま、西鉄グランドホテルへようこそおいでくださいました。お待ちしておりました。記帳のほどよろしくお願いいたします」
 選手たちがいっせいに記帳にかかる。一人だけダッフルを担いでいる私は、
「バットは、部屋に届いてますか?」
「はい、ご指定のお荷物は、それぞれのみなさまのお部屋にすでにお運びしてあります」
 丁寧過ぎない自然な応対がいい。選手は全員五階のスタンダードツイン、監督とコーチ陣、トレーナー以下のスタッフは六階のスタンダードシングル。
「朝食は朝六時半から十時まで、一階洋食レストラン『グランカフェ』か和食『松風』でご注文形式でおめしあがりください。夕食は六時半から九時まで、一階七店舗でご自由におめしあがりください。ルームサービスも貸切りの正餐形式も可能でございます。店舗紹介のパンフレットは各お部屋に備えてございます」
 田宮コーチが、
「弁当は頼めるの」
「残念ながら当ホテルからお弁当はお出しできませんが、付近の弁当屋さんにこちらから注文を出して、球場にお届けすることはできます。朝九時までにご注文ください」
「よかった。今年も平和台球場の選手食堂でまずい昼めしを食わなくちゃいけないかと思ったよ。チェックアウトは十二時だっけ」
「はい、二十一日の午前十二時となっております。それ以前になさっていただいてもかまいません」
 江藤が501号室の鍵を受け取った。海老茶のお仕着せに白手袋の従業員に導かれて全員エレベーターへ向かおうとすると、またキャーッと黄色い声が上がった。報道陣に取り囲まれる。廊下の外れに、松葉会の蛯名と、ほかに数人のいかつい灰色の背広姿が立っていた。目礼を交わした。
 部屋の内部は大阪ロイヤルホテルより鄙びた感じだった。茶系の色調が好みに合っていた。部屋の照明も明るすぎず、しっくりと気持ちに馴染んだ。空調は二十二度に設定してある。
 たっぷり広いシングルベッドが二つ。カーテン脇の壁に丸時計とシンプルな風景画が一幅掛かり、床頭の棚には蛍光スタンド、電話、置時計、ティシュが置かれている。丸いローテーブル、足置きつきの椅子。壁灯に照らされた備えつけの机はがっしりと簡素で、湯と水入りのポット二つと、西鉄球団のライオンマークが入ったカップとティーバッグ、湯呑、コップ、それからカレンダーが置いてある。机の端に小型のカラーテレビが載り、テレビの下はキャビネットと箪笥になっていて、キャビネットには小型冷蔵庫がはめこまれ、箪笥には折り畳んだパジャマが入っていた。机の抽斗には聖書がしまってある。机を隔てた脇壁のクロゼットに、しっかりした木のハンガーが六つ掛かっていて、ランドリーサービスを希望する人のためのビニール袋も下がっていた。至れり尽くせりのホテルだ。
「よかやろう」
「はい!」
 江藤と二人で荷物の確認をし、適当に置き並べ、浴室やトイレを見て回る。大理石造りで広い。カーテンを開け、市街を眺める。電車通りと反対側の民家の眺めだ。表通りとちがって、胸にくるなつかしさだ。
「天神は福岡一の繁華街たい。新宿の歌舞伎町やらとちごうて、上品できれいやのう」
「いいですねえ」
 二人床にあぐらをかいてグローブを磨く。江藤は大きなファーストミットだった。
「あと六試合か。こんなに充実しとるオープン戦は初めてばい。よか意味で長う感ずる」
「ぼくも楽しくて仕方ありません。ところで、小山オーナーは、もと新聞記者ですか」
「そうや。中日新聞の社長の白井さんもな」
「友人同士ですか」
「知り合いというくらいで、何の関係もなかと思うばい。小山さんは六十歳、白井さんは四十歳。齢も離れとる。小山オーナーは十年くらい前に、なんとかゆう国際記者賞をもろうたらしか。法政の経済を出たインテリたい。白井さんは旧制高校出やと聞いた。叩き上げばい」
「小山オーナーや水原監督があんなに喜ぶほど、ぼくが入ったことでドラゴンズの雰囲気は変わったんですか」
 江藤は手を止めて私をじっと見つめた。
「大ちがいたい。いくら勝ち負けにこだわらんちゅうても、負けがこみだすと、何でんなかごたァ些細なことでも、トラブルのもとになりがちでな。選手の不平やら不満やら、監督批判やら思い切った発言も出やすうなる。チーム内の雰囲気は悪なるし、選手たちは勝とうゆう前向きな姿勢を失うてしまう。……ワシは勝負に向かう気持ちの強か人間やったけん、そういうどんよりした状況には耐えられんかった」
「知ってます。昭和三十八年、ぼくは中学二年でしたが、八月に巨人戦でコールドゲームがありましたね。テレビで観ました」
「おお、八月二十五日、六対六、六回雨天コールド」
「あのとき、江藤さんは北川から十九号ソロ、伊藤から二十号ソロを打って打棒爆発でした。試合は成立してるので、そのホームランは取り消されないのに、コールド宣告後も江藤さんはベンチに引き揚げずに、独りぼっちで雨に打たれながらレフトの守備位置に立ちつづけてました。コーチが走っていって説得したとき、江藤さんは、勝たなければ意味がないと言ったそうですね。杉浦監督になだめられてようやくベンチに戻った。あの当時はそれほど印象に残りませんでしたが、年々あの姿が甦ってくるようになりました。精神の強さ、引き下がらない心……それを年々感じるようになりました」
 江藤が泣いていた。
「よう憶えとってくれたな。引き分けは負けと同じやと思っとったからな。あの年は巨人と首位を争っとったし。とにかく勝ち負けにこだわっとった。……いま考えると、ホームランば打てたことを素直に喜ぶだけでよかったちゅう気のするばい。去年の話ばしつこくしゃしぇてもらうばってんが、負け癖のついた選手どもの団結心は、どうしょものうバラバラになるっちゃん。試合どころでなくなるとたい。そげなふうになると、レギュラー連中は監督の杉下さんば更迭して、新しい監督の下でチームの再建を図るしかなかて思うごつなる。うまい具合に杉下さんのからだ具合が悪うなって、本多さんが代行に立ったちゅうわけばい。ばってん、勝率四割ば割りこんで最下位に終わってしもうた。ガックリきとるところへ、とつぜん金太郎さんが天から降ってきたっちゃん。会うてみると、とつけんなか変人で、そんうえとつけんなか努力家たい。言うことなすことぜんぶめずらしか。打てばホームラン、する試合する試合ほとんど勝つ。天才ちゅうものがこの世に実際おると初めて信じたばい。いちばん大きかったんな、天才も努力するちゅうこったい。チームの雰囲気が変わらんはずがなかろう」
「……ぼくは辞められませんね」
 江藤はやさしく笑い、
「ヒシも、神無月さんがいるあいだはて口走って、アッて息ば呑んどったな。だれも金太郎さんば縛らんけん、好きにすればよか。金太郎さんのいるあいだは、みんなヘドば吐くほどがんばるけんな。統計やらなんやら、アタマでやる野球がアホらしゅうなった」
 指のグリースをジャージで拭い、首位打者に二度輝いた江藤に手を差し出し、固く握手した。また二人でグローブを磨きだす。丁寧に乾拭きをする。ホテルのタオルを使う。そのタオルでバットも磨く。
「……小さいころからテレビの高校野球や、プロ野球を見ていて不思議に思ったことがあるんです。一点を争っている試合でもないのに、バントをすることです。ひどいときにはクリーンアップにもさせることがありました。たとえ一点を争っているときでも、それでは〈お掃除役(クリーンアップ)〉にはなりません。よくぼくは心の中で怒鳴りましたよ。いったいおまえたちは何を考えて野球をやってるんだ、なんでバントなんかするんだ、おまえはバントをするためにクリーンアップを打ってるんじゃないぞ、だれもおまえのバントなんか見たくない、おまえの長打を見たいんだ」
「ようわかるばい。二番や八番を打つバッターなら、しかも一点を争う展開なら、どうにか認めることはできるばってん、金太郎さんやワシが同じことばしよったら、だれも喜ばん。そういうアマチュア野球の考え方を打ち破らんと、日本のプロ野球はダメになってしまうとたい。雨雨権藤のあの権藤も、バントば命じらるっと、なぜわざわざワンアウトばくれちゃるんだ、クソーッと叫びながらボックスに入りおった。ようホームランば打つピッチャーやったけんな。濃人は渋い顔ばしよった。……話がちょっと横道に入るばってんが、濃人はワシがノンプロのころから〈世話〉になった人と世間では言うとるやろう。初めて言うことやけんが、世話ゆうんは特訓ば受けたちゅうことなんよ。濃人学校てゆうとった。ワシにかぎったことやなく、広島の古葉もみんなやらされた。百本ノックやら、夜中の素振りやらな。ワシは高校時代から、プロからずっと声はかかっとったが、体力に不安ば感じて、昭和三十一年に自発的に日鉄二瀬に入社した。翌年、案の定ワシはスカウトの争奪戦にかかった。三十三年からプロでやるつもりでおったばってん、濃人からストップがかかった。二瀬の優勝のためにワシを手離しとうなかったんやろう。三十三年二瀬は準優勝した。翌年ワシはようやく自由にしてもらって、ドラゴンズに入団した。濃人は三十五年、金鯱時代の知り合いが球団代表やったツテで、江藤の後見役ち名目でドラゴンズの二軍コーチになった。ワシは利用されるばっかで、何も恩なんか受けとらんのよ。世間ではワシの恩師と言うとるわけやけん悪口は言えんが、もともと好きやなかった。権藤も濃人を嫌っとった」


         五十三

「初めて話してくれましたね。うれしいです」
「……バントの話に戻るばい。水原さんはようわかっとる。いままで一回もバントばさせちょらん。そう言えば、今年からノーサインやったな。アハハハ」
「根拠のない習慣をやめたんですね。入場料を払って野球を観にきているファンの気持ちを考えたんです。すばらしい。プロ球団がファンの入場料を主な収入源としているかぎり、いやしくもプロ野球選手たるもの、彼らが何度でも球場に足を運びたくなるようなプレーを披露しなくちゃいけないと思います。でないとファンは、球場からも、もちろんラジオやテレビや新聞からも離れる。そうなると球団の経営は成り立たないわけでしょう。板東さんじゃありませんが、選手たちもめしの食い上げですよ」
「アハハハ、金太郎さんが、めしの食い上げなんてことば言うと、こっちが恥ずかしゅうなる。金太郎さんには似合わん科白ばい。野球で稼いだ金でめしなんか食ったことなかろうもん」
「給料自体、まだ一度も見たことがありません。食い扶持は人が出してくれます。とにかくプロ野球というのはアマチュア野球とちがって、ただ勝てばいいというものじゃないでしょう。いくら試合に勝っても、ファンが試合に魅力を感じて、また球場にこよう、テレビも観てみようという気持ちにならなければ、勝ったって何の意味もありません。あたりまえの話ですよ。だからといって、勝てなければ、いくら華麗なプレイをしても、滑稽でさびしいパフォーマンスになってしまう。華麗にプレイして、かつ勝利できるように、人一倍努力して技を磨くべきです」
 江藤は、パン! とファーストミットにこぶしを叩きこみ、
「もう何も言わんでよか。それ以上言えば、ワシャ泣くばい」
「涙っていいですね。涙を見るためにこの世に生まれてきたと思うことがあります。大空の涙―雨や雪も大好きです」
 江藤はしみじみと目を細め、
「……水原さんにファーストの守備ばさせてもろうてありがたか。キャッチャーしとったころ右肘やられてな、騙しだましやってきた。いつパンクするかしれんかった。水原さんはそんこつばよう知っとって、ファーストにコンバートしてくれた。この二カ月で、相当回復した。一年もしたら治り切るやろう」
 肘をやられたのは濃人の猛特訓のせいだろう。
「肘はつらいですものね」
「ああ。金太郎さんは肘ばやられて右投げに替えたんやったのう。そんな曲芸、だれもできん」
 私は思い切って言った。
「省三さん、あのホームラン以来なかなか一軍に定着しませんね。江藤さんみたいに、叩くフォームに替えれば、もっと長打力が出ると思うんですが。撫ぜるんじゃなく」
 江藤はパンパンとミットを叩きながら、
「二十六であれたい。もう芽は出ん。ええとこ代打やろう。かわいい弟やけど、しょんなか。三十四年にワシが中日に入団した年に、無理やり名古屋に呼び寄せた。熊商から中商に転入さしぇたばい。中商の野球部なら、注目されて、大学進学やらプロ入団やらちゅうこともあり得るて思うてな。甲子園に出てくれた。木俣が言っとったやろう。尾崎にやられたて。ばってんそんおかげで注目されて、慶應に進学できた。学費ぜんぶ払うてやった。ワシは弟三人の学費をぜんぶ払うてやったばい。それが兄たる者の義務やけんな。慶應ではセカンド守ってなあ、器用やったんやろ、四季連続でベストナインに選ばれた。熊商におったらこうはならんかった。呼び寄せてよかったて思うたばい。昭和四十年にドラフト三位で巨人に入りよった! 瓢箪から駒や。たまがったばい。ばってん、そこまでたい。プロは大学とちがう。三年間で十七試合、三安打てか。ばってん、捨てとけんっちゃん。今年小山オーナーに頼んで、中日に引っぱってもろうた。水原さんが慶應やけんな。かわいがってくれるやろう思ってな。このあいだのホームランはうれしかったなあ! 思い切り泣こごたったけんが、恥ずかしゅうてな。プロ入り初やて。どこまでボールが飛ばん男なんやろな」
 江藤はあらためて泣いた。喉をクックッと鳴らして泣く。
「かぎりなくいい人ですね、江藤さんは。離れがたくなりました」
「おお、離れんでくれや」
 私は風呂場でタオルを濡らして絞り、江藤に持ってきた。江藤はゴシゴシ顔を拭った。
「ええ人ゆうんはな、金太郎さんみたいな人のことばゆうんぞ。天然ばい」
「天然の馬鹿に生まれてつくづくよかったと思いますよ。天然の馬鹿に会えますから。ぼくの周りは、一人残らず馬鹿ばかりです」
「ときどき利口もいるやろ」
「はい、よけて通りましょう」
「ウハハハハ」
「ハハハハハ」
 シャワーを交代で浴びて、きちんと服を着た。窓の外に黄昏が訪れ、新しい夜が始まった。
「めしいこう」
「はい」
 会食場のテーブルについたとたん、小山オーナーと村迫代表がニコニコやってきた。監督コーチ連のテーブルに歩み寄りながらオーナーが、
「やあ、みなさん、ご苦労さん。一便あとの三時十分の飛行機できたよ。四時二十五分に着いて少し時間があったから、三社連合の西日本新聞社に挨拶してきた。飛行機も一時間半も乗ると応える。帰りは温泉にでもつかってのんびりしていくかな。私は三階の和洋室だ。四人部屋。あしたは白井社長と榊渉外部長がくることになってるんでね。老人は和室にかぎる。ハハハハ。めしはそっちで食う。じゃみんな、ごゆっくり」
 さっさとエレベーターへ去っていった。村迫は水原監督のテーブルに残った。和やかな会食が始まった。トレーナー、スコアラー、ランニングコーチたちは、まとまって別テーブルについた。中に、
「三社連合って何ですか」
「三つの新聞で記事をたがいに利用し合ったり、新聞小説や新聞漫画を共通のものにしたり、合同企画で連載記事を書いたりすることだよ。北海道新聞、中日新聞、西日本新聞だ」 
         †
 三月十八日火曜日。明け方に下痢。寝直して八時起床。うがい、シャワー、歯磨き、爪切り。
 曇天。江藤、太田、菱川と一階の松風で和朝食膳を食ったあと、四人でホテルの玄関に出る。ベニバナトチノキの並木。まだ五月でないので紅色の花は咲いていない。
「パリの街路樹だそうです」
「ほうね、フランスパン、クロワッサン。まだちがう木もあるのう」
「ケヤキ、クロガネモチ、ホルトノキですね。夏はすばらしい木陰になります」
 腕時計を見ると五・一度。太田が、
「俺も堀越あたりを散歩するようになりました。何もないところですが、散歩だと思うとただ歩いているときより明るい気分になります」
 十五分ほどかけて渡辺通りから住吉通りに出、柳橋を左折して那珂川沿いの歩道を歩いた。物寂しい岸辺のアスファルト道。途中に甘栗屋があったので、みんな一袋ずつ買って食いながら歩く。濁ったおとなしい川。両岸の風景もおとなしい。時おり、シロサギとカワウが飛んできて浮かぶ。遠目に眺めている江藤の横顔に、
「江藤さんは、福岡は詳しいんですか」
「多少やけどな。日鉄二瀬は博多のずっと東の飯塚やったし、女房子供のおる家は南の水城やけん、たまにしか北の都会に出てこん」
 人が歩いていない。朱い欄干に鉄か銅のギボシを載せた住吉橋までくる。橋のたもとの礎石の上に大きな岩が置かれている。稲光弥平顕彰の碑とある。碑文が漢字ばかりで記されているので、まったく意味がわからない。この橋の建設に尽力した人なのだろう。江藤も首をひねるだけで何も言わない。住吉橋を渡る。渡り切った岸もおとなしい。天津神社という池囲いの小社がある。その先の道を渡ると、住吉宮と石板をつけた大鳥居があった。緑に覆われた参道に入る。朱の灯籠。玉砂利ではなく、固い砂の道。しっとりと木群れが覆っている。二の鳥居の向こうに朱門。くぐると朱の本殿がある。
「朱色で統一してるんですね。熱田神宮は自然色です」
「神社は朱が多かね。住吉さんもそうたい。朱色は厄除けばい。この神社で何回か初詣ばした。福岡の人はここで交通安全と安産の祈願をすることになっとう。どの部分をゆうのか知らんばってん、あの社殿は住吉造りゆうて、日本最古の建築様式らしか」
 行き止まり。熱田神宮よりはるかに小さい神社だとわかった。
「神社の意味や効能なんかちっともわからないのに、ぼくは神社に入るのが好きなんですよ。神信心と関係なく落ち着きます」
 太田が、
「散歩というのは、神無月さんのような捉え方をするのが正解かもしれませんね。神社でも、景色でも、くつろいだ散歩の一つの風景にする……」
 菱川がうなずき、
「神無月さんは、煩わしい人間関係をいろいろしまいこんできたから、なんとなく安らぐんでしょう」
 江藤が、
「……ワシらを煩わしく思わんでくれよ」
「まさか。野球と無関係に好んでくれてることがわかってますから」
 菱川が、
「当然ですよ。才能というものが人間にとって最高のものだと思って神無月さんに惚れてるんじゃないですからね。神無月さんが才能というものを軽んじてるわけじゃなく、それでいて重視していないというのが不思議な気がするだけです。……幼いころからいじめられてきたのは、そのせいだと思うんです」
「ありがとう、菱川さん。才能を重視してないわけじゃないんです。個人的に喜ばしいものだと思ってます。でも、そこでエンドにすべきものです。演説の才とか、スポーツの才とか、学問の才とか、芸術の才とか、とにかく何かの才にみずから喜ぶことで人が心から満足することはないんじゃないでしょうか。人を思い、人から思われることこそ、人間の真実だとぼくは思うんです。才能は人間の真実の脇にある何ものかです。その事実を否定し、人を区分けするいろいろな才能や、人間を序列化する社会的なやりくりだけを褒め讃えても空しい。そんな行為は、友愛や男女の愛や肉親の愛の大きな喜びを、たまたま与えられた個人の小さな喜びで踏みにじる行為です。人間の能力の優劣を重視するのは、人間そのものを小馬鹿にする行為です。人間の格差のように見えるものは、人間同士を釣り合わせようとした結果です。そんな空しいことをするためにぼくは生きているんじゃありません。人間同士の睦み合いを賛美するために才能を利用するなら、許せます。それは喜ばしい才能になります。人間の真実が目的で、才能がそれを手助けする手段ということになりますから。才能を人生の目的にする人は、手段にすぎない才能を褒めちぎって一生を暮らすでしょう。本末転倒です」
 江藤の濡れた目がギョロリと上を向く。
「金太郎さんは、気の毒ばい。あげんこと、こげんこと、しょっちゅう心ば痛めてくさ! ばり苦労ばして、たんびに心の壊れてきたんやろうなあ」
 三人の男が泣いていた。太田が涙を指で拭いながら、
「いつでも散歩に付き合いますからね。俺、神無月さんがとつぜん話し出す言葉が大好きなんです」
 神社を出る。北へ、灘の川橋のたもとを通って春吉(はるよし)橋のほうへ歩く。道の途中で博多川に架かる名の知れない小橋を渡ると、公園と緑のあるすばらしい遊歩道になった。ホテルを出てからとにかく人に遇わない。那珂川沿いの遊歩道に出る。すぐに春吉橋。わずか右に併行して架かる小さな中洲懸橋を眺めながら渡る。江藤が、
「戦前まではあっちが春吉橋やったらしか。保存運動で残したんやろうもん。このあたりが有名な中洲たい」
 ようやく人が多くなる。そのまま真っすぐ歩き、途中で北上して左折し、小川沿いの細道へ入りこんで歩く。江藤が小川の名を薬院新川と教える。右折して小橋に出る。もうまったく地理がわからなくなっている。太田も菱川も同じようだ。江藤が、
「これは三光橋。新川橋まで川沿いを歩こうや」
「はい」
 通りを渡ってふたたび川沿いの細道へ。ようやく老人の歩行者に遇う。古い建物や商店が密集しているなつかしい通りになった。
「いいですね!」
「ええのう!」
 倉敷の水の町に暮らしてきた菱川が、
「川沿いの一列目の通りで、緑の多い川端はかならずこうなります」
 太田が、
「川沿いの家は、夏は涼しくて、窓からの眺望が川を挟んで抜けていてすばらしいという長所はありますけど、冬は寒いという短所があります。水のそばは温かいという常識にはまらないのは、川が風の通路になるからだと思うんですけどね。それでも長く暮らしつづける理由は、この町並でもわかるように世代を超えたあったかい触れ合いがあるからじゃないですかね。俺、大分の中津の山国川沿いで暮らしてたのでわかるんです」
 私は一瞬、堀川のそばの千年町を思い出した。
「川、下町人情、癒しの魅力、ということだね」
「はい、そんなところです」
 新川橋を渡ると渡辺通りだった。西鉄グランドホテルへ引き返す。
 江藤が、
「野球の話ばせんね。金太郎さんは野球のことでもよかこと言うけん。金太郎さんは、ワンスリー、ツースリーちゅうカウントになったら、ヤマばかくると?」
「カウントにかぎらず、初球から常にヤマをかけてます」
「初球から!」
「はい。バッティングカウントなどないと思ってますから。内角か、外角か、ストレートか、変化球かのヤマをかけます。変化球の球種もヤマをかけます。きた球を打つと決意することは、よほどのことでないとありません」
「ほう! ワシはワンスリー、ツースリーからヤマばかくる。内角外角だけばい。ばってん、ボールがピッチャーの手から離れたときに、ヤマばかくったこつ忘れて、くさかボールでも打っていこうて気持ちを変えてしまう。で、内野ゴロばい。バカバカしい」
 菱川が、
「その反省があるので、二度も首位打者を獲れたんですね」
「反省のせいやなか。体力の配分たい。八月はホームグランドのゲームが多か。体力的に稼げる。そんときに、打って走りまくる。うまくいかん年がほとんどやけんが」
 一時間ばかりの散歩になった。心にかけていたサンロードには寄らなかった。



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