四

 九回裏。四点差。一塁側の巨人スタンドがうるさくなる。ライト外野席でジャイアンツの私設応援団の旗が振られる。ベンチの屋根に乗って応援をかますことで有名な関屋という男が、ハッピ姿で扇子を振りながら紙吹雪を散らしている。ここまで一割台の打率に低迷している長嶋は、関屋の応援空しく初球外角低目のカーブを打ってショートゴロ。
 スイッチヒッターの柴田が右打席に立つ。ラインぎわに浅く守備位置を変える。高田と同様、ダウンスイングでここに飛んでくる確率が非常に高い。彼は左打席では掬い上げるので長打がよく出るが、右打席は巨人のお家芸のダウンスイングで打つ。球の中心から上を叩く打法だ。ボールの上を叩けばゴロ、芯を食ってもライナーになる。マレに下を叩けば浮力がついてホームランになることもある。フェンスの向こうにあこがれず、フィールドの内にへばりつく矮小な打法だ。この打法が少年野球の世界までも食い荒している。こんな打法をだれが推奨してきたのか。
 やっぱり飛んできた。太田の頭を高いバウンドで越える二塁打コースだ。ファールグランドで難なく打球を処理してシングルヒット―と思ったら、柴田が二塁に向かって走っている。ふだんならやすやす二塁打になるコースなのだろう。ワンステップして、高木目がけて手首を叩きつける。スピードの乗ったボールが芝を低く滑空し、高木のグローブに糸を引いて吸いこまれる。滑りこんでくる柴田のスパイクに軽くタッチ。山本の右手が真っすぐ天に上がる。歓声がこだました。
 長嶋の初球打ちといい、柴田の〈暴走〉といい、彼らは四点差を忘れている。いい気になっているとしか思えない。堅い野球をするというのは噂にすぎないとわかる。伊藤久が遠く私に向かって右手を挙げた。それから屈伸運動をした。
 ツーアウトランナーなし。六番末次が打席に入る。五年目、二十七歳。この鈍くさそうな男の使い途は難しいだろう。一、二番の素早い機動性はない。加えてそれほどの長打力がないので、クリーンアップを打つのは荷が重い。七、八番に置くには貫禄がありすぎる。この打順しかないのだろう。
 三塁コーチャーズボックスに背番号72の小男が立っている。遠い昭和二十年代、中日ドラゴンズでプレイした牧野茂。天知中日優勝の立役者の一人だ。それから川上の子飼いになった。その経緯は知らない。中学時代、テレビの野球中継にはいつも三塁コーチャーズボックスに立つ彼の姿が映っていた。末次は牧野のお気に入りだという。美智子妃殿下の第一子である徳仁(なるひと)親王が末次の大ファンだというのは、おそらくプロ野球選手にはまれな人徳を感じるからだろう。きょうベンチで江藤が言っていた。
「末次は川上やワシと同じ肥後モッコスばい。モッコスゆうんは頑固者のことばってんが、根っから頑固ちゅうんやなく、性格がゴツゴツしとって、表情もほとんど変えんちゅうほどのこっちゃ。笑うときに努力せんばいけんちゅう話は、冗談やろう」
「川上監督のような権力欲はなさそうですよ。それが人徳に映って、ナルヒト親王もファンになったんでしょう」
「なるほどな」
 八、九歳の子供に人徳を感じるするどい感覚があることは否定しない。ただ、人徳で野球は上達しない。末次はいい当たりのサードゴロに終わった。試合終了。伊藤は走り寄った新宅と抱き合った。九時十二分。平均よりも少し長い試合だった。巨人ベンチはサッサと引き揚げ、新聞記者が取り囲むインタビューになった。
「水原監督、初戦快勝おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 スタンドに帽子を振る。それを見て、ワーというスタンドの喚声。ゾロゾロ出口へ歩いている彼らに水原監督の声は聞こえない。
「六連勝して、一敗してのち十三連勝。きょう勝って十九勝、九勝九敗二分けの二位大洋を九・五ゲーム差で引き離して首位街道驀進ですね」
 九・五ゲーム差? 十ゲーム差ではないのか?
「いまのところ恐れるものはありませんが、かならず躓きがあることは覚悟しています。たまたま投手陣が安定しているので、水物の打撃陣が不調に陥らないかぎり、このまま勝ちつづけるでしょう」
 監督の声が昇っていく三塁スタンドから、
「もっと勝てェ!」
「その打撃陣ですが、神無月選手が三十七号、江藤選手が十四号、二人ですでに五十一本叩き出しています。打率も打点も二人で争っている、それに刺激を受けて他の打撃陣も絶好調です。不調に陥るとしたら、どういう原因が考えられるでしょうか」
「あえて考えるとするなら、七月から八月にかけての疲労と、チームの中心的存在である神無月のスランプ、あるいはケガです」
「ビーンボールですか」
「はい。一時的なケガどころか、選手生命を奪うこともあり得ます。球界の財産と考えずに、中日ドラゴンズの財産とばかり考えていると、そういうことが起こり得ます」
「そのとおりだァ!」
 ベンチのすぐ上から声が落ちてくる。
「人格的にも球界の鑑(かがみ)とまで言われている神無月選手ですが、ついに怒りを破裂させました。やはり怒り心頭に発するということがあるんですね」
 水原監督は少し間を置き、
「忍耐強い人の怒りに注意せよ、です。これからもこういうことは起こり得ますよ」
 私にマイクが移ったので、
「ぼくはただの短気野郎です。へたをすると短気な性分のせいで球界を追放されることがあるかもしれない野蛮人です。人格という言葉はぼくからいちばん遠い。大好きな野球とぼくを支えてくれる人びとの愛情を考えて、耐え忍んでいるんです。ぼく個人のことを罵られる分には、気に留めるほどのことはありません。ぼくを庇ってくれる人たちの行動と愛情を小馬鹿にする悪罵は許せない。大好きな野球や、愛にあふれた人びとを汚す輩を見ると、その心根を許せなくなるんです。ぼくがどれほど多くの人びとに支えられ、どれほど神聖なものとして野球を捉えているかを伝えるのは難しいし、もちろん罵言を投げつけるような人にはわからない。わからないことは罪ではありません。わからないならば黙っていればすむことです。あえて野球の神聖さを冒瀆し、ぼくを支える人びとをからかうようなことを言われれば、ぼくは沈黙しているわけにはいかない。沈黙していたら人非人です。怒鳴るのは序の口、暴れだして手がつけられなくなる。しかし、きょうは危ういところで思い留まることができました。大恩ある水原監督やチームメイトがすぐそばで見つめていたからです。……いいですか、もう少ししゃべっても」
「は、どうぞ、お聞かせください」
「神聖さを冒瀆する言動は、物質的な利益追求を価値とする精神から生れます。勝たないと利益が上がらないという精神です。神聖さというのはその価値観とは別の世界に属するものです。勝ち負けや損得ではなく、才能ある者たちの自由な行為を許す清澄な世界です。ファンがナケナシのお金を払って球場にくるのは、そういう世界を観て心を浄化したいからです。勝利と利益を求めるふだんの生活を忘れ、野球という神聖なスポーツを見て心を洗われたいからです。その世界が穢れていたらシャレにならない。自分の周りと同じ利益社会を、お金を払って観にきていることになります。ぼくたちプロ野球人は、幸運にも神聖な世界に遊べる才能をいただいた人間です。たがいに共存を図って野球のことのみを考え、利益社会の法則を度外視することができます。そういう情熱があってこそ球界全体が活気づき、それを喜ぶファンの義捐金のおかげで、逆にどの球団も繁栄に浴することになるでしょう。きれいごとを言ったつもりはありません」
「すばらしかあ! 追放されたら、いっしょに地の果てまでいきますけん!」
 観客席から声が降ってきた。御池の声のように聞こえた。私は当てずっぽうで手を振った。振り返す一点を見つめようとしたが、大勢が振り返すので見つけられない。
「暴れるなよ! 馬鹿は放っておけ!」
 山口か?
「俺たちはわかってるから!」
 克己の声だった。アナウンサーがスタンドを見上げながら、
「まことに耳の痛いお話、首がすくむ思いです。江藤さん、快進撃もその情熱のせいですか?」
「そのとおりたい。この齢になって金太郎さんに野球の情熱ば叩きこまれた。チームのみんなもそぎゃんたい。プロ野球はもともと能力のある人間の集まりばい。好きな野球ばチカッパやっとれば、強うなるに決まっとろうが。情熱が激しか分、金太郎さんの短気は度を超えとる。恐ろしか。きょう森に怒鳴った迫力で推して知るべしたい。金太郎さんの送ってきた人生を考えたらわかろうもん。短気のせいで道草ば食わされたとよ。ばってんここで短気ば起こしよったら、道草どころですまんこつなるばい。金太郎さんが追放しゃるうごたる目には、けっして遭わさん。ワシらが選手生命ば懸けて防御するっちゃん。百年千年も球界に伝説ば残す人間を追放させてなるもんね」
 水原監督が、
「こういうわれわれの態度が大げさに感じられて、揶揄の罵言も浴びせたくなるのでしょうが、神無月郷という人物を深く知れば、だれしもわれわれの態度が大げさなものではないと理解できるでしょう。私も江藤くんたちと同様、監督生命を懸けています。われわれのような雑魚が一人二人減ったくらいで球界は揺らがない。神無月くんが去ったら、回復不能です。ファンも心から悲しむでしょう。とにかく彼の悍気を掻き立てないように、五年でも十年でも球界で活躍してもらうのが私たちの務めです」
         †
 十一時を回って、ノックの音を聞いてドアを細く開けると、眼鏡をかけた美しい顔が微笑んでいた。詩織だった。黒いきちんとしたタイトスカートに、臙脂のカーディガンをはおっている。手を引いて、ドアを閉め、抱き寄せる。長い口づけをする。
「よくきてくれたね」
「あたりまえです。御池さんと同じように地の果てまでもいきます。きょうは、お話したらすぐ帰ります。……怖かった。神無月くんが蒼白い顔で怒ってたから。あんなにすごい怒りは、いつか抑え切れなくなるときがくるんじゃないかって……」
「しゃべって消化した。よくあんなに長くしゃべらせてくれた」
「ひとことひとことが感動的でした。きっとアナウンサーも、もっと聴きたかったでしょうね。……逢いたかった! どんどん有名になって、遠くへいってしまって、もう一生逢えない気がしてました」
 並んでソファに腰を下ろす。
「一度出会った人間とはぜったい別れない。口が酸っぱくなるほど言ってきた」
「信じてます。私には神無月くんしかいないんです。最高の、ただ一人。……菊田さんと福田さん、私の隣に座ってたんです。あんな危ない場面を見てしまって、怖い怖いって言いながら、それでも一生懸命声援してました。インタビューのとき、泣いてたんですよ」
「聞こえたの?」
「場内マイクが小さく入ってました。球場側の計らいだと思います」
「二人とも元気なんだね」
「はい。ほんとに二人三脚。克己さんたちには、神無月くんの吉祥寺のお友だちって説明しておきました」
「気を使わせるね。ごめん。……ぼくたち出会ってから一年経ったよ」
「まだ一年しか経っていないんですね。二十年も経ったみたい。毎日毎日、部屋にいてもグランドにいても、神無月くんのことばかり考えているから。特に東大グランドにいて選手たちのユニフォーム姿を見ているときは、どうしようもなくなります。いますぐ逢いたいって気持ちになっちゃう」
「逢いたいときは、いつでも連絡してね」
「はい。……有名になるってたいへんなことだってわかります。世界の百人にまで選ばれてしまったんですから、風当たりも強くなるわ。週刊ベースボールの連載記事に、神童神無月郷の登場を心から喜ぶものではあるが、その鬼神とも言えるホームラン量産をフィールドの茶飯事と錯覚してしまい、やがてホームランでなければ野球でないという風潮が広まって、野球の奥深さが侵されるのが怖い、というのがあったの。口惜しかった。素直にホームランを喜べないなんて」
 肩を抱き寄せ、
「偶然ドラゴンズはホームランをたくさん打ってるけど、ドラゴンズの試合のないほとんどの球場では〈茶飯事〉と言えるほどホームランは出てないよ。明らかに無益な批評というものがあるんだ。若いころに屈辱的な経験をして、その埋め合わせをするために批評する人の書いたものだ。批評することで自尊心を取り戻そうとしてるんだよ。その批評家は野球に素人の文化人でしょう?」
「ええ、もと明治大学の教授とか」
「多少、幼いころに野球をやったことがあったんだね。その人はホームランを打てない人だったんだね。それで、ホームラン以外のものに野球の〈奥深さ〉を見出すようになったんだろう。野球は単純なスポーツだけど、才能のぶつかり合いにこそ奥深さがある。野球場という宮殿ではホームランが王様だ。臣下はたくさんいるよ。速球、強肩、俊足。でもホームランこそ最高位なんだ。その評論家はそういう不文律に適合できずに傷つけられたんだね。過去の痛みを鎮めるために、齢とったいまになって、今度は自分がホームランを傷つけようとしてる。その手の批評家は、批評の対象が現在の自分に引き起こす反応じゃなく、批評しようと決めた対象に過去の自分がどう反応させられたかに関心があるんだ」


         五

 詩織は私にピッタリと寄り添い、
「過去に野球で成功した人が、たとえば、いつも神無月くんのことを悪く言ってる川上監督なんかがそういう批評をした場合はどうなるのかしら。私、グランドの外だけじゃなく、グランドの中のそういうヤッカミも怖いんです」
 私は詩織の手を握り、
「批評家面してるプロ野球人も多いよね。彼らの批評の原動力は、過去のささやかな栄光に対する執着だ。栄光が傷つけられたり、忘れ去られそうになったりすると、執着心が極まって怒りや嫉妬になる。川上監督はその例だ。でも、批評一本槍の批評家とちがう点がある。野球をプロの視点から知っているということ。だから、心の底ではきっとぼくを評価してるということなんだ。そのうちかならずぼくに共感するような意見を言うようになるよ。野球にかぎらず何かを批評するからには、知識が広いのと同時に、いろいろな才能に幅広く共感できなくちゃいけない。興味がないけど寛容に接してやろうという共感じゃなく、自分が持てなかった才能への素朴な感動に基づく共感だ。いやしくも人を批評する者は、澄んだ心を持ち、公平で、人間の脆さを知っている哲学者でなきゃいけない。……野球そのものに話を戻そうね」
「はい、少し話が難しくなってきたわ」
「野球が批評に値するかどうかは定かじゃないけど、批評する以上は、自分の得意技能にだけ通じているのでは足りないんだ。ぼくみたいなホームランを打てるだけの人間は批評家になる素養がない」
「批評したくもないでしょう」
「批評という体裁のいいものじゃないけど、野球をする〈技能〉じゃなく〈情熱〉についての愚痴はしょっちゅう吐いてる。プロと呼ばれる以上、技能は高度のレベルで安定上昇していくに決まってるから、批評の余地はない。野球を無我夢中で〈楽しむ〉情熱は、無我夢中で〈鍛える〉技能よりランクが上のものなんだ。情熱は積み重ねて習得する能力じゃなく、人間として持ち合わせていなければならない精神だ。技能は怠惰で停滞するものだけど、情熱は怠惰が介入できない生来的な素質だ。野球を継続してきた人間ならみんなそういう情熱を生来的に備えてる。忘れていたら思い出しさえすれば回復するんだ」
「神無月くんがずっと言ってきたことね」
「うん、身をもって経験してきたからね。情熱は野球という娯楽を向上させることはあっても、つまらないものに退廃させるとは思えない。野球の批評はそういう野球のあり方を論じるべきだと思う。ゴロを転がす野球、バントを中心にした野球、やりすぎる素振り、やりすぎるピッチング練習、守備の猛特訓、上下関係。そんなことを重く論じる視線には情熱の欠けらもない。たしかに伝統は、文化の抜き差しならない本質だから、ある程度尊重しなくちゃいけないだろうけど、そこに滞らないで、野球という娯楽的なゲームの持つ自然な快感を促すために、野球のあり方にあらゆる改良を加えるべきだ―そんなふうに論じるのが本物の批評だろうね」
「誤った伝統というのもありますからね」
「そう。文字などにしなくてもいい。どれもこれも口で伝えられることだからね。イヤな批評がある。こんなやつだ。過去の日本の野球についての知識を礎にして、外国の野球も学び、これからの日本の野球がどの方向に向かって発展していくかを見届ける興味がないと何も論じられないとか、日本の野球をよくしていこうという意欲があれば日本の野球の進むべき道はこうだと指摘する有意義な意見となるとか論じる批評だ。そんなのが正しい批評だと思われてるけど、ちがう。世界を引き合いに出して、競争欲と対面ばかりがあって、野球を楽しむ情熱のことがひとことも語られてない。要は、批評や悪口なんか言わないで助言ですませばいいということなんだ。監督やコーチは実践の現場にいるアドバイザーだ。中日ドラゴンズの監督やコーチの助言はすばらしい。ホームランを打てるようになれと言う、犠打は仲間と意思を通じてやれと言う、素振りの数は強制しない、投球練習は負担を感じない球数まで、守備の猛特訓は一切しない、上下関係は自発的な長幼感覚にまかせる。それでいて、だれもだらしなくならない。それぞれが体調管理に気をつけて好きなだけ練習する。その結果がいまの強いドラゴンズだ。批評などされる余地がない。とにかく素人の活字の悪口なんか怖がる必要はないんだ。川上監督のような玄人は? 玄人が活字を書くのは現場に身が入っていない証拠だから、笑って無視すればいい。ぼくはだれにもやっつけられないから心配しないで」
「……大好きよ、神無月くん」
「今回はいかないけど、二十二日の夜、御殿山にいこうと思ってる。詩織もくる?」
「川崎の大洋三連戦が終わったあとですね。もちろんいきたいんですけど、連敗中なので木金と合同練習の予定なんです」
「わかった」
「じゃ、きょうはこれで帰ります。お話して元気な顔が見られてよかった。また、神無月くんの予定を調べて、御殿山か名古屋に会いにいきます」
「たまにはホテルにもね」
「はい、お休みなさい。あしたもがんばって。テレビで応援してます」
「ありがとう。お休み」
 ドアまで見送ろうとする私を手で制して、詩織は廊下へ出ていった。
         †
 翌日のロビーが大騒ぎになっていた。昨夜のインタビューに関する川上監督の反論が聞き書きの形でスポーツ紙に載っていた。

 たかが野球選手が何を言っているか、分を知れと言いたい。どこから給料をもらってると思っているのか、と言いたい。野球というのは、個人の遊びから発展して、企業の経済的な戦略の一環として市民権を得たものだ。その歴史を考えても、まず経営母体ありきが基本であって、社員ありきが基本ではない。つけ上がるのもいいかげんにしたほうがいい。球界なぞいつでも企業に潰されてしまう。潰されたくないならば、優秀な成績を挙げて企業利益を増大させるように努力するしかない。私はそのことがよくわかっている。総じて、神無月対策に対する私への批判が高まっているようだが、私の采配こそ現代企業の利益をよく理解している人間のものである。愛だとか情熱だとか浮ついた感情論を吐いて、近代企業精神を冒瀆するとはおこがましい。百年千年球界に君臨したところで、日々進歩する現代金融社会に何ら資するところはない。せいぜいその進歩の下部構造に自分が属していることを自覚したほうがいい。
 野球選手だなどと言っても、それは企業の使用人であるところの監督の、そのまた使用人にすぎない。そういうたかが野球選手のくせに神を気取っている人間に、ボールでもぶつけてやろうと考えるのは当然のことだ。そこまで腕っ節に自信があるなら、受けて立つ。きれいごとばかり言っている人間の腕っぷしがどの程度のものか、大いに興味がある。

 私が驚くだろうと思って、へんに効果を量った言い方をしていた。江藤がタオルで涙を拭っている。太田が、
「これが、野球哲学、人生哲学の大家と言われている川上哲治の言葉ですか? 一般紙に載ったら、社会問題になりますよ。それより何より、神無月さんの前代未聞の才能を忘れてませんか?」
 小川が、
「忘れたいことを忘れただけだ。褒められてきた人間は、他人が褒められるとむやみと嫉妬する。胸糞が悪くなるんだよ。ついこのあいだ自分で金太郎さんを褒めたばかりなのにな。褒めようと貶そうと、大きな後ろ盾があるから、何を言ってもだいじょうぶということだろう」
 中が、
「それより何より、進歩社会を代表するのが企業だと思っているところがお笑いぐさだ。社会の進歩って金銭システムの優越性ことじゃないよね。社会が精神文化的にも物質文化的にも洗練されていくことだよね。江戸商人や現代の企業はそれとはまったく関係していない。文化的なスポンサーになることはあっても、進歩の代表とはなりえない」
 高木時夫がめずらしく発言する。
「百歩譲って、企業体が進歩社会の代表だとしたら、企業利益に貢献している有能な社員たちこそ進歩を支える細胞群ということになる。トヨタの社員も、ドラゴンズの選手もそうだ。俺たちがいなければ進歩もないわけだ。何が、野球選手ごときが金融社会に資することはないだ。もし進歩というのが企業の実現するものだとすると、俺たちが進歩の核心部にいることになる。でも、実際、自分が進歩の一翼を担ってるように感じられる? 感じられないよね。金融社会の名のもとに発達した大企業のおこぼれをもらっているだけだ。つまり、中さんの言うように、大企業も俺たち使用人も進歩とは関係していないということなんだよ。江戸期の商人も、現代の大企業も社会が変容する一過程にすぎないよ。金融社会というやつね。進歩とは関係ない。金なんて科学的な進歩のスポンサーだろ。進歩の本体は科学だよ」
 二人の名門校出身者が息を荒くする。高木守道が、
「その細胞をぜんぶクビにしてみろっての。あっという間に金融社会は潰れるぜ。ま、そんなことはいいや。川上は、ある意味、野球界という金融社会の最大貢献者である金太郎さんをそこらの道を歩いている神さま気取りの白痴にしてしまった。こりゃ、とんでもないことだぞ。個人的な悪意ですまないことになる。いくらスポーツ紙でも、これが事実だとしたら確実に社会問題になるし、少なくとも、やつの進退問題にまで発展するよ」
 私は、
「川上監督を追い詰める人たちはいないと思います。社会問題にも進退問題にもならないでしょう。大衆と企業体に褒められ守られてきた川上哲治という人間の歴史がちがいます。批判に曝されるほどの事態にならないと確信して、彼はしゃべってますよ。ぼくの直観がそう教えてくれるんです。ただ、まんいちそんなことになったら、王や長嶋が気の毒ですね。巨人軍にいることがいやにならなければいいけど」
 一枝が、
「いやになることはないよ。彼らの巨人愛はそんなに浅くない。どんなに世間から非難を受けても、非難するほうが弱者で、まちがった人間どもだと信じてる。川上のことも、これっぽっちも疑わないだろう。ただ巨人へ巨人へと草木もなびくで、巨人に入ったやつらなんだから」
 私はにっこり笑い、
「口惜しいですけど、まちがいなく川上監督は何のお咎めもなしですよ。読売新聞にしてみれば、しっかり忠誠を尽くしてくれた意見だし、なんせ八年間で六回リーグ優勝、六回日本一、現在四連覇中の大監督ですから。企業利益の存続を考えても、新人の悪口を言って世間を騒がせたくらいではクビにはなりません。注意程度のことはするでしょうけどね。川上監督もよくわかっています。じゃなきゃ、こんな刺激的で傍若無人な意見は吐けません。ぼくも川上監督も思いこんだことを本気でしゃべってる。その意味でおたがいは信念を語っていると確信してる。まちがいなく信念には優劣があるでしょうが、大小はないと思います。戦えば、同じ質量のものの空しいぶつかり合いになってしまう。しばらく巷でいろいろな論議が巻き起こされるでしょうが、ぼくたちは無視しましょう。とにかく、もうこれで、しばらくビンボールはないですね」
 小野が、
「注意程度のこと、か。おい、川上くん、天馬にぶつけてやれとまでは言ってないぞ、ってね。そんなところだろうな。燃え上がる前に、事前鎮火。新聞のでっち上げだ、こんなこと言ってないって、とぼけ通すに決まってる。私たちは楽しく野球をやって、ありがたく給料をもらいましょう。奴隷根性だけは持たずにね。せっかく人並みすぐれた才能をいただいたんだ。そのプライドだけは捨てないようにしなくちゃ」
 江藤が、ウウとうなりながらタオルで目を押さえている。
「江藤さん、すみません。くだらない心労をおかけしました。ぼく、ぜったい暴れませんから。いま考えると、奴隷に向かって怒鳴るなんて、空しい行為でした」
「ばってん、口惜しかあ!……」
 菱川が江藤の背中をさすった。
「今度何かあったら、俺、選手生命懸けますから。神無月さんがいなけりゃ、今年クビだった人間ですから、何も惜しいものはありません」
「菱川さん、そんなこと言わずに、球界で長生きしましょう。きょうは二十点取りましょうか」
 水原監督とコーチ陣が隅のテーブルからにこやかに近づいてきた。監督が、
「盛り上がってるね。なんだ、江藤くん、泣いてるのか。話は聞こえてた。馬鹿らしすぎて、まともな喧嘩はできないよ。一応、この新聞記事に関して、今朝早く中日ドラゴンズ球団はコミッショナーに提訴した。こういうことは最高機関に委ねて、われわれは楽しく野球をやってるほうがいい」
 江藤が涙声で、
「コミッショナーは罰を下しますか」
「下さないだろうね。球界の是正の話ではなく、個人に対する誹謗中傷の話だという点が論議対象としては弱い。損得ではない、情熱だという金太郎さんの正論を気に入る人間は少ないだろうし、川上さんを罰する場合、読売系列という大利益団体とプロ野球界との勢力均衡も考えなくちゃいけないだろうからね。ただ私は、小山オーナーと白井社主とも諮(はか)って、ドラゴンズ球団は腰抜けでないことを示すための手続を踏んだだけです。結果はどうでもいい。川上さんはしばらくベンチ裏で采配を振るかもしれないがね。江藤くん、私はきみに劣らぬくらい悲しいし、腹が立っているんだよ。わかってくださいね。きょうはファンが騒がないように願いましょう。さ、まずは腹ごしらえだ」
 水原監督はコーチ陣といっしょにバイキング会場へといってしまった。

         六

 板東が、
「金太郎さんのおかげで、いろいろ球界の膿が出てきたなあ。膿が少しでも出たら、気持ちのいい風が吹いてきよるやろ」
 小川が、
「甘いぜ、板ちゃん。膿なんてことを考えてると、野球を楽しめないぜ」
「あのう……一枝さん、お聞きしたいことが」
「お、きたな。何でしょう、金太郎さん」
 おどけて訊き返す。
「きのう、九・五ゲーム差と言ってましたが、ゲーム差って勝ち数の単なる引き算じゃないんですか」
 江藤がタオルで目をゴシゴシやって、サッパリした顔になると、
「ワシもそれがよくわからんたい。ときどきそうでなかこともあるけんな。教えてくれんね」
「単純に勝ち数の差じゃないんだ。勝ち数の差に負け数の差を足したものを二で割るんだな。まず勝ち数の差が十九引く九で十だろ、うちは一敗、二位の大洋は十敗だから、十引く一で九。十足す九は十九、それを二で割って九・五」
「はあ!」
 拍手がいっせいに上がった。中が、
「ペナントレース途中まではゲーム差でだいたいの目安をつけるんだけど、最終的には勝率で決めることになってる。引き分けを含まないから、勝率は簡単だ。勝利数割る引き分け以外の試合数。当然引き分けが多いほど勝率はよくなる」
 パラパラと拍手が湧いた。ほとんどみんな知っていたようだ。
「マジックというのは?」
「相手が全勝して、自軍が全敗しても、自軍の勝率のほうが上回っていたら、その時点で優勝決定だね?」
「はい」
「そういう時点まであと何勝すればいいかがマジックだ」
「ほう!」
「ギリギリまで確実な数字は計算できないんだ。計算式はあるみたいだけどね」
 拍手が上がらない。私もわからない。
「どれもこれも知りませんでした。マジックは最終的にマスコミが計算してくれますから、何も考えなくていいですね」
「そのとおり。金太郎さんは何も考えんと、ホームランだけ打っとればよか。それしかでけんとやろう」
 江藤が私の肩を叩いた。
「そう言ってもらうと、ずいぶん気がラクになります」
         †
 五月七日水曜日。七時起床。うがい、ふつうの排便、シャワー、歯磨き。
 七時半。バットを持って清水谷公園をジョギング。曇。気温十五・二度、無風。公園内の空地で素振り、三種の神器。
 公園を出て、清水谷坂を登る。かなりの勾配。得体の知れないビル街を走っていく。登り切って紀尾井町交差点に出る。右折してイチョウ並木の平坦な道を走る。ここもビルが林立している。坂が下りに入り、ふもとの大きな通りに出る。右折してさらに下る。バットを重く感じはじめる。並木の陰にニューオータニの円盤が見えたので、そちらを目指して走っていく。ふもとが赤坂見附の交差点だった。ここからは見覚えのある道になる。弁慶橋を歩いて渡りながら、両岸のこんもりとした緑に囲まれた弁慶堀を眺める。何艘かボートが浮かんでいる。清水谷公園に戻る。ここまでほぼ四十五分。紀尾井町ビルのフロントから入る。
 部屋に帰り着いて、もう一度うがいとシャワー。
 三人組が迎えにきたので、ニューオータニの浴衣を着てサツキで朝食。イベリコ豚のハムのサンドイッチ、スモークドビーフ、無農薬サラダ、トリュフ入りスクランブルエッグ。もの足りないが、朝はこれでよし。
 十時。本を読む気もしないので、三時半の出発に間に合わせて映画を観にいくことにした。フロントに鍵を預け、玄関のタクシー乗り場に出る。ジャージ姿だ。足は運動靴。中老の運転手がアッと気づき、運転席から出てきて、
「神無月選手、おはようございます」
「おはようございます。ここからいちばん近い映画館にやってください」
「有楽町の丸の内ピカデリーですね。南太平洋を70ミリで上映した映画館です。地下の丸の内松竹では『続若者たち』のロングラン、地上二階、三階の丸の内ピカデリーではフランス映画の『個人教授』、アメリカ映画の『うたかたの恋』をやってます」
 よく頭に入っているものだ。タクシー運転手というのは何者だろう。
「じゃ、そこへお願いします」
 若者たちはうるさいだけのドラマなので観たくない。個人教授というのは題名がいやだ。まじめでない感じがする。うたかたの恋を観よう。
「ここから三キロちょっとですから、六百円かかりません。時間は十分ほどです」
 弁慶橋を渡って、さっききた道へ左折する。これもさっき下りてきた坂道を左に見ながら直進。
「青山通りを走ってます。登って三宅坂を下りると桜田濠です。……きのうもすばらしい活躍をなさいましたね。ホームラン二本。若生から三十六号、高橋一三から三十七号ですか。照明塔ぶっつけとライト場外はすごい」
「田中章に三打席連続でやられました。最近、凡打かホームランという形になってきて、少しいき詰まってます。ヤマが外れることが多くなりました」
「神無月選手でもヤマをかけますか」
「五十パーセントはヤマかけで打ってます」
「へえ、長嶋選手じゃありませんが、きた球を打ってるように見えますけどね」
「好球になるように足もとの工夫をしてるんです。バッターボックスは広いですからそれが可能です」
 三宅坂の三叉路。右折する。
「左手にずっとつづいているのが桜田濠です。いま桜田門が見えてきますよ」
 大きな濠だ。ふつうの川幅ほどもある。漣(さざなみ)がきらきら光る。水面に風が吹き渡る気配を感じる。濠が細くなる。小橋が架かっている。
「橋の突き当たりに開いている門が桜田門です。この門外の堀端で、大老井伊直弼が水戸浪士らに暗殺されました。いまから百十年前です。門の向こうは広大な皇居です」
 石垣塀に連結させて切妻屋根を載せた、何の変哲もない棟門(むねもん)だ。濠沿いに走りつづける。
「この左手の道は広い一般道に見えますが、堀の末端部に架かる祝田橋という大きな橋です。もうすぐ濠の突き当たりに出ますが、そこが日比谷です」
 濠が突き当りから左へ曲がっていった。日比谷の大交差点を直進する。国鉄の高架をくぐった。
「晴海通りです。このあたりが数寄屋橋ですが、十年前に高速道路建設のせいで取り壊されました」
「君の名は……古関裕而作曲」
「織井茂子唄……」
「佐田啓二」
「岸恵子。ハハハ、昭和二十八年の映画ですよ。お若いのによく知ってらっしゃる」
「上っ面だけです……何でも」
「短い人生、何ごとも奥まで極めることはなかなかできません。神無月選手は野球を極めていらっしゃる。それで満点です」
 左折。
「西銀座通りに入りました。あと一分です」
 ほんとうに一分で着いた。メーターは五百八十円。彼の予測したとおりの料金だ。千円札を差し出し、ツリはいらない、と言おうとすると、運転手は私の心の声が聞こえたかのように、
「勇気を持ってオツリをもらってください。庶民レベルの生活を感じることも、スターには大切なことです。じつはファンの気持ちをわかってほしいんです。私のほんとの気持ちを言えば、料金なんかいらないと言いたいところですが、仕事ですから仕方なくいただいておきます。ただ、この日のために色紙を用意してました。お願いします」
「はい!」
 私は感激してサインペンを走らせた。
「居間に飾らせていただきます。ありがとうございました。外へ車を転がしてないときはニューオータニに常駐していますので、いつでもご利用ください」
 丁寧に辞儀をして走り去った。
 二又道の角地に石造の大きな三角ビルが建っている。見上げる壁に、巨大な Shochiku Piccadilly の赤いネオン文字。突出し看板は丸の内松竹。絵看板は運転手の言った三枚だった。看板から、オマー・シャリフが主演とわかって胸が鳴った。カトリーヌ・ドヌーブは好きでないが、しょうがない。
 うたかたの恋の窓口で切符を買い、二階のロビーに登ると、広く明るい空間に豪華な売店がある。ラッパズボン、白いローファ、ミニスカート。年配客も多い。ドアを開けて覗くと、ちょうど一度目の開映前のニュースをやっているようなので、売店に戻って物色する。バヤリースとポップコーンを買う。場内へ入る。一列二十四人掛け、三十列。客の入りは半分ほど。安心して座席を探す。後ろから十列目の通路側真ん中に空席あり。振り返ると二階席もある。どでかい映画館だ。十時半。二時間半の映画だから一時に終わる。球場出発まで時間はたっぷりある。
 ニュースフィルムのかすかな灯りに照らしてパンフレットを見る。十九世紀末、オーストリア皇太子と銀行家の娘の悲恋、独裁者の父と対立する息子、彼は民主独立運動に加担している。実話に基づく、か。
 本編が始まる。さっそくハプスブルグ家か……歴史好きにはもってこいの映画だ。十九世紀半ばに起きたオーストリア自由主義革命(国民の春と言うらしい)を若きフランツ・ヨーゼフ皇帝が鎮圧し、絶対主義の維持を図る。王権神授説というやつだ。自由主義の思想を持つように家庭教師等から扶育された皇太子ルドルフは、帝国主義的なプロイセンを頼みにしている保守的な父親と反目するようになり(プロシャとの同盟を基本とする父はオーストリア=ハンガリー帝国を統率するので手一杯、息子はフランスやロシアとの同盟が不可欠だと考える)、革命運動〈真剣な学生運動理論のようなものだろう。それほど真剣なものとは思えない)に秘密裡に手を貸すなどして公務を怠る。おのずと巷に出て、酒と女の庶民的な生活に染まっていき、娼婦や女優と親交を深め、背中に多くの女の影をちらつかせるようになる。
 当然妻シュテファニーとはうまくいかなくなる。性格の不一致、無理解と諍(いさか)い、ついには静かで冷たい擦り切れた関係になったというのは、後づけの言い逃れだろう。そういう男だったのだ。三十歳の遊び人である彼が、母エリーザベトの従姉の伯爵夫人ラリッシュの仲介で十六歳のマリー・ヴェッツラと出会ったことは、乱れた生活を改善するには絶好のチャンスだったろうが、しかしそういう男なのだ。奔放な生活の改善などできようはずがないし、真の恋愛などできようはずがない。たちまちマリーの清純さに魅かれたというのも映画の脚色にちがいない。小柄な美しい娘との浮気を勧めたラリッシュは醜女のシュテファニーを好まなかった。こういうところは興味深い。ルドルフは教皇にシュテファニーとの離婚を求めたが、当然許可されなかった。当時の欧州社会の風習、政情、宗教がロミオとジュリエット的な恋愛の障害になったと、観客に哀愁を押しつけようとするが、私には響かない。ルドルフはシュテファニーから逃げたかっただけなのだ。
 父親はことのしだいを知って激しく怒り、ルドルフを叱りつける。知り合ってからわずか四カ月、ルドルフとマリーはマイヤーリンクのロッジで拳銃心中する。太いプロットはわかりやすいが、オーストリア、プロイセン、フランス、ロシア、政治家、貴族、入り混じり、立ち混じり、当時の政情や人物一人ひとりのバックグラウンドが複雑すぎてまったく手に負えない。愛人マリーの個人的事情も複雑で手に負えない。
 いつものように自分の頭の悪さを感じる。悪い頭で考えた。これはかなわぬ恋愛の果ての心中事件ではない。面倒くさくなったのだ。もしほんとうに合意のうえの自殺だとするなら、外的、内的に絡み合い、錯綜する〈対立〉こそいちばん大きな要因になると私は思うから。人は対立が原因の苦悩を面倒に感じると、死ぬと思うから。
 今回のオマー・シャリフには、ドクトル・ジバゴほどの純一さを感じられなかった。ルドルフには詩がない。
 タクシーに乗り、ニューオータニに帰る。映画館を出てきた眼鏡顔の私に運転手は気づかない。のんびり乗車できた。一時半。ジャージ姿の仲間たちがロビーにたむろしている。歴史に詳しい中にさっそく訊く。
「うたかたの恋という映画を観てきました。一八八九年に起きたオーストリア皇太子の心中事件のこと、ご存知ですか」
「ああ、マイヤーリンク事件ね。少し知ってる。ルドルフ皇太子とマリアなんとかが心中した」
「マリー・ヴェッツラです。王侯じゃないですけど貴族です」
「プロイセンというのが国名でドイツというのは地域名だというので、こんぐらかった頭で勉強した覚えがある。ビスマルクがドイツ地域を統一して、プロイセンをドイツ帝国という国名にした」
 なんだなんだと周りも耳を立てる。
「悩むのが面倒になって、あるいは疲れて、あるいは退屈して死ぬというのは、ぼくたちのような庶民には起こりうることだと思うんですけど、王侯貴族でもそういうことがあるんでしょうか」
「心中かどうか疑ってるんだね」
「はい。心中したということになってます」
「退廃的な男はけっこう生命力が強いから、心中するなんてまず考えられないものね」
「はい」




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