四十

 仲居の手で豪華な料理が運ばれてきた。揚げスルメ、牛乳豆腐、生ウニ、焼魚、カステラ玉子、サーモン、アナゴ寿司、ここまでが前菜。うまくて箸が止まらない。一枝が、
「ビール三本追加」
「はい、ただいま」
 中がみんなの顔を眺め回し、
「去年は例外として、これまでドラゴンズがAクラスを保ってきた理由知ってる?」
 一枝が、
「ホームで全チームに勝ち越してることだな」
「正解。今年はホームもアウェイもなくなった。勝ちに勝ってるから、そういう特色なんか考えても意味がない。長年野球をやってきたからわかる。金太郎さんが引っ張っていくかぎり、五連覇、十連覇する」
 江藤が、
「金太郎さんが出んでも、見守ってくれとったら、ボロ勝ちもできることを証明した。ばってん、見守っとらんと、たぶん……勝てん。金太郎さんと一蓮托生のチームになったちゅうこったい。さあ今度はワシらの記録やな。ワシはまず四十ホームラン、できれば三割五分、打点百。打点はいくやろ」
 木俣が、
「俺も四十、打点八十」
 高木が、
「俺は三割。盗塁王はもう無理だね。柴田、高田が別次元だから」
 中が、
「私も三割。盗塁は膝が限界だ」
 菱川が、
「三十本、打点七十」
 太田が、
「俺も三十本。二割七分」
 一枝が、
「二割八分、打点五十、十五ホームラン。二十九歳だからあと六、七年がいいとこだ」
 高木が苦笑して、
「俺は二十八歳。後進が育たないと、十年はがんばらなきゃいかん」
 一枝が、
「俺も島谷を育てないとな」
「やっぱり島谷は器か」
「おう、器だ。しかし、俺やタコと交代でときどき出んと、せっかくの器も飼い殺しになっちまう。ただ、試合の前半はだめだな。三振されたら攻撃の勢いが萎む」
 木俣が、
「タコもけっこう三振するぞ。三振したときのムードだよ。次の打者に明るくつながないとな。結局すべて水原監督の気持ちしだいだ。徳武さんや葛城さんも花道作ってやらんといかん。伊藤竜、千原、江島、新宅、高木時、吉沢さん。みんななんとかしてやらんといかんとなると、こりやたいへんだ。日野は出番がないな。バッティングセンス、ゼロ。足は速いのか」
 菱川が、
「いや、木俣さんより遅いです。たぶん内野守備の控えで呼ばれたんだと思います」
 江藤が、
「だれの? セカンドとショートしかやったことのない男やろ。空きはなかよ。なんで呼んだっちゃろうか。無理ばい。勝ち試合に代打で出て、ホームランでもかっ飛ばさんと。競っとる試合では出せん。みすみすワンアウトはくれてやれんけんな」
 太田が、
「一軍レベルの才能って、何なんですかね。日野さんにしたって草野球にいけば、すごいすごいと言われて、ほかのやつらを寄せつけないわけでしょう。ところがプロの一軍の足もとにも及ばない。いや、俺だって足もとに及んでるとは思ってませんけど、曲がりなりにも公式戦でやっていけてるんです。二軍でどうだったかというと、紅白戦で三打席連続ホームランをかっ飛ばしました。それで昇格したんですけど、一軍にきたら三十試合で八本しかホームランを打てない。神無月さんのように六打席連続ホームランを打ってしまう鬼みたいな人もいる。二軍選手は、一軍選手が故障でもしないかぎり、自然消滅していくしかないですよ」
 一軍の当人たちは黙るしかない。何をしゃべっても自慢になるからだ。二軍経験の長かった菱川がボソボソ言いはじめる。
「二軍戦には、新人選手は無条件で出られます。二軍住まいが長くて、結果を出さなければ真っ先にクビになるベテランは、なかなか試合に出られません。朝早くから二軍の球場に向かい、試合に出ることもなく家路につきます。寮に帰り着くころ、ちょうど一軍の試合が始まり、同期の選手がナイター照明の下で活躍してます。そもそもプロにくるほどの選手は、ほぼ全員、試合に出られないとか、控えに回るとかという経験をしてません。しかし、それを受け入れなければならないんです。受け入れた時点で負けですよね」
 夢は壊れる―幻想の死は究極の悲しみだ。人は簡単に壊れ、夢や心もまた壊れる。太田が、
「自暴自棄になっちゃうよね。いままでちやほやしていた人たちも離れていくし、プロ野球で活躍するという情熱が一気に冷めちゃう」
 菱川が、
「そこでどうするかなんだよ。自分の欠点を問い直し、心を入れ替えて練習に励む人間だけが将来に可能性を残すのだと自分を奮い立たせる。でも、努力で簡単に結果を出せるほどプロの世界は甘くない。それでまた自暴自棄に陥る。野球をやめたくないので、プロ野球選手になれたこと自体すごいことなんだと思い直す。自分のできる最大限のことを模索し、認めてもらうために必死こいて練習し、率先して声を出す。するとその態度を認められて徐々に試合に出られるようになって、出場すれば結果が出はじめるし、自分でも納得のいくプレーができるようになったと感じる。来年もできるかもしれない、という手応えが出てくる。―そこで悲しいかな、昇格ではなくクビの通告です。それが二軍選手の宿命ですよ」
 私は、
「がっかりすることはないですよ。人も環境もとつぜん変わるものです。それを受け入れて変わっていくしかないんです。その人たちは、プロ野球選手の集団の中で個性を主張できるほどの才能がなかった、そのひとことに尽きます。俺は、そういう経験をしていません。そういう経験をしている人たちを横目でさびしく見ているだけです」
「俺も太田の三打席連続ホームランと似たようなもので、二軍の公式戦で首位打者とホームランキングになりました。おかげで自然消滅しないですみました。ただ、自然消滅しないだけじゃ球団のお荷物のままです。よりいっそう奮闘して、個性を目立たせ、レギュラーか控えになれないといけない」
 江藤が、
「そのきっかけが―」
「はい、神無月さんでした。自分なりの野球観を持つことこそ個性だと気づかせてくれました。楽しい野球……苦しい野球じゃなく」
 太田が、
「練習野球じゃなく、実戦野球。……教えられて、助けられた」
「人はだれでも、いつも助けを求めてるんです。助けを求めるのは勇気が要ります。二軍選手もヤケになったり絶望したりせずに、助けを求めるべきです」
「野菜の炊き合わせと、和牛の柔らか煮でございます」
 つづいて蟹とフルーツのサラダが出てきて、五分もすると炊きこみめしの食事になった。
「香の物の盛り合わせとごいっしょにお食べください」
 二人の仲居が店長の指図でおさんどんをしながら言う。中が、
「ここはほんとにおいしい。ドラゴンズの選手は五千円までの食事をしていいことになってるんですが、なだ万さんでそんなに安く食べられるものはありますか」
「はい、単品でご注文いただければ、いくらでもございます」
「その分はホテル側に報告してもらえるんですね」
「はい、そうです。ここでお支払いをしていただく必要はございません」
「これからはそうさせていただきます」
「ありがとうございます。この部屋と同じような個室も五部屋ほどございますので、どうぞご利用くださいませ。それでは二十分ほどしたら、デザートをお持ちいたします」
「あ、ご主人、ちょっと」
 私は店長を呼び止めた。
「は、何でしょう」
「ロレックスのチェリーニって、どのくらいの値段ですか。野球選手には無縁のものだと思うので、仲間に訊けないんですよ」
「さあ、そういう高級なものはわかりかねます。申しわけありません。じゃ、デザートを」
 主人が去ると高木が、
「俺は高級品志向だよ。そういうことは俺に尋いてよ。あの時計は二百万するよ」
 ニヤリと独特の眇(すが)目をする。
「そうですか。お世話になってる北村席のお父さんにあげよう」
「そうくるやろな」
 江藤が高らかに笑った。
 みんな満足して炊きこみめしを食い終えた。
「デザートのグラマラッカでございます。タピオカ、小豆、黒蜜、ココナッツミルクを混ぜ合わせたものに、バニラアイスを載せてございます」
 ポットと茶葉を入れた急須を置いて去った。私は菱川に言った。
「どう努力しても芽の出ない二軍の人たちのことは、考える必要も意味もないと思うようになりました。プロ野球というのは、あるレベル以上の能力を持たない人間が〈がんばって〉どうにかなる世界じゃないようですね。高レベルの技能がもともと備わっているうえで、〈がんばる〉の意味が体力を鍛えることしか残っていない天才たちの集まりがプロ野球なんです。彼らの集まりに参加するからには、その人ももちろん天才でなくちゃいけません。それが八人。ほぼ同レベルの天才の控えを入れて十六人。天才ピッチャー三人、同レベルの控えを入れて六人。一チームを形成する天才は合計二十二人で事足ります。まんいち同じポジションが全員故障した場合を考えて、内外野の控えの控えは八人、ピッチャーは三人で事足ります。この十一人は天才である必要はありません。二軍選手以上の秀才であればじゅうぶんです。天才二十二足す秀才十一。合計三十三名。それが全選手数であるべきなのに、どの球団も百人前後いる。天才的な選手の寿命は十五年程度です。十五年が近づいてきたら天才の世代交代を考えるべきだとわかっていないのか、ドラフトでゴロタ石を採りすぎる。どうして各球団は、毎年ゴロタ石を集めるためにドラフトに参加してるんですか。参加しなくちゃいけないという規約でもあるんですか。雇った以上は使わなくちゃいけないでしょう。それなのに使い物にならないときてる。そういう人が百人もいたら、悲劇の主人公が増えるに決まっています。菱川さんも太田ももともと才能ある十六人の中にいて、大所帯の二軍で体力を鍛えられながら、一軍移行のための様子見をされていただけのことでしょう。自然消滅なんかするはずがない。三好真一はどこへいったんですか。竹田和史はどこへいったんですか。胸は痛みますが、真剣に考えるべきことではありません。来年は、小川さん小野さん級の天才ピッチャーを二人採ればじゅうぶんですね。野手はいらない」
「シビア!」
 木俣が叫んだ。
「この意見がシビアだとは思いません。タダめしを食わせたくない一心で、〈使わなくちゃいけない〉選手を公式戦に使うなぞ、ファンを馬鹿にした慈善事業です。この三十試合を振り返ってみてください。五球団の中で、ドラゴンズのように天才を揃えた球団がいくつありましたか。どのチームも聞いたことのない選手を何人も入れてたでしょう。巨人でさえ滝とか千田とか槌田とかを使って慈善事業をしていました。かつてのドラフト以前の、たとえば昭和三十五年の各球団の有力打者を考えてみましょう。みんな天才たちです。まずパリーグ。大毎は、榎本、山内、葛城、田宮、矢頭、醍醐。南海は野村、広瀬、半田コーチ、杉山、穴吹、森下、寺田。東映は張本以外小粒ですが、毒島、山本八郎など印象深い選手がいました。西鉄は、中西、大下、豊田、仰木、玉造、高倉、田中久寿男、和田。阪急は中田と……」
 中が、
「バルボン」
「ああ、いましたね。へんな日本語の。近鉄も人材不足とはいえ、加倉井と関根がいました。次にセリーグを見ると、巨人は広岡、国松、坂崎、長嶋、王、藤尾、錚々たるメンバーです。大洋は麻生実男、近藤昭仁、和彦、エイトマン桑田、黒木、土井、やはり錚々たるものです。阪神は三宅、吉田、並木、藤本、遠井、鎌田、これまた錚々たるもの。広島は古葉、森永、大和田、興津。国鉄は飯田、町田、根来のみ。徹底して金田帝国だったからです。万年最下位もやむを得ません。われらが中日は江藤、森、中、井上登、前田、本多、吉沢、ここに高木さんと木俣さんと一枝さんが加わっていくんですから、優勝争いをして当然のチームでした。ピッチャーを除いて、一級の天才が十六人いれば、いや十六人近くいれば、かならず優勝争いです。いまはどうでしょう。ぼくの目から見て、スタメン全員が天才なのは中日ドラゴンズのみ。あとのチームは、ドラフトのカスの寄せ集めです。巨人は十年前の生き残り組、特に長嶋と王だけ。森、柴田、末次なんてのは、生き残りの中でも小兵でしょう。高田、土居、黒江は、これからどうなるかわからない十六人候補。ほかのチームも似たり寄ったりです。わずかな生き残り組に頼って、ドラフトのカスを使い回しているだけ。全球団ドラフト百何十人の中で、モノになるのは十何人もいない。その十何人が将来生き残り組になって、後進の天才十何人とドラフトのカスと協力して野球をやっていく。そんな球界に未練はありません。水原監督と現在のレギュラー陣のほとんどが球界を去ったら、ぼくは野球をやめるつもりです。何の未練もありません。ドラフトと関係のない天才の生き残り組と楽しく野球をやりながら、それまで精いっぱい野球をやります。太田や菱川さんたちは、将来生き残って、記録更新だけを目指して、カスカスの人材の中で野球をやってください。テレビで応援します。あなたたちは天才ですから、うんと給料を取って、球界にはばかってください」


         四十一

 太田が両手で顔を覆った。
「神無月さん、さびしいことを言わないでくださいよォ。つらいなあ! 神無月さんがやめたら、俺もやめますよ」
「俺もやめる!」
 菱川が立ち上がった。中が、
「カスのことを気遣うような話をするから、金太郎さんが混乱しちゃったんだよ。私たちがいなくなったら野球をやめるなんて、金太郎さん、そりゃ球界の大損失だ。気持ちだけでうれしいよ。ドラフトはたしかに悪習慣だ。しかし、天才を見きわめて採るように球界の姿勢も変わっていくかもしれない。とんでもないピッチャーやバッターが紛れこんでくるかもしれない。金太郎さんのライバルが現れるかもしれないんだよ。私たちは十年もしないうちにやめていく人間だ。しかし、そのころようやく三十代になったくらいのこいつらを見捨てるのはアコギだぞ。私たちだって気詰まりだ。私たちがやめたら金太郎さんもやめちゃうのかと思ったら、つらくてプレーに身が入らない」
「そうたい!」
 江藤が叫んだ。
「三十代の金太郎さんが、華々しく後進を引っ張っていく姿を放送席から眺めるのがワシの夢やったんぞ。その夢をぶち壊してくれんな。利ちゃんの言うように、これからもどんな天才たちが現れるかわからん。そいつらを迎え撃たんとあかんやろ。もう二軍のことやら話題に出さん。カスはカスにまかしとこう」
 菱川が腰を下ろした。
「つまらないことを言って、すみませんでした!」
 木俣が両手を膝に突いて考えこんでいた。一枝はオシボリで目頭を拭いていた。目を充血させた高木が、
「金太郎さん、ありがとう。そこまで俺たちを認めてくれているとは思わなかった。俺たちが球界を去ったらと言ったね。それからを金太郎さんの円熟期にしてほしい。俺たちももう一踏ん張りして付き合う。円熟した姿を見せてくれないか。そこから五年でいい。見たいんだ。いまの長嶋や王のような地位について、こいつらを引き連れ、球界に君臨している姿を見たいんだ」
 私は不気味な感銘を受け、
「……あと先の考えもなく、感情にまかせてしゃべってしまう癖があるので、勘弁してください。水原監督やみなさんが引退したのちの消息を見届けるまで、できるだけ長くやります」
 太田と菱川が抱きついてきた。江藤がゴシゴシ手で顔を拭い、
「よっしゃ! うまかめしやった。ごちそうさん。晩めしは八時ぐらいのごたるな」
 一枝が、
「俺も天才か。うれしいな。野球をやってきていちばんうれしい気持ちになった。神さまに認められたんだからな。ようし、なんだか知らないけどがんばりたくなってきた!」
 木俣が、
「……ついてくよ、金太郎さん。十年、十五年を目指す。片手腕立てをするようになったんだ。パンチ力がついた。片手振りもやってる。金太郎さんがいなければ、何もする気がしないよ」
「いっしょにがんばりましょう。……木俣さん、ときどきバッティングピッチャーをやってる土屋という選手のこと知りませんか。コントロールのいい重い速球を投げます。凋んでほしくない選手です」
「さあ、知らないなあ。金太郎さん、もう二軍のことは気にしなくていいから」
 江藤が、
「おお、よかよか。言いすぎたと思うて気兼ねしちょるんやろ。金太郎さんげな」
 玄関で店主に丁寧に礼を言い、遠征ごとに一度はくることを約し、解散する。
         †
 七時半まで仮眠を取った。歯を磨き、ロビーに降りると、足木が報道陣に懇々と言っている。
「写真とビデオだけです。インタビューはぜったい禁止。神無月さんは答えません。食事をしてすぐ休息します。あ、神無月さん、十六階の大観苑へどうぞ。きょうの夕食はそこです」
 江藤たちが降りてきた。足木に、
「中華料理な?」
「はい、十六階です。九時半までです」
 フラッシュを焚きつけられながら、江藤、太田、菱川と四人でエレベーターに乗る。
「名古屋に戻ったら、バリうるさかことになるやろう」
 大喝采で迎えられる。大広間の熱気が押し寄せてくる。鏑木が、
「神無月さん、お祝いじゃないから気楽に。ただ拍手しただけですから」
 こういう変わった慰め方も、チームのみんな板についてきた。四人で回転盤のついたテーブルに座る。コース料理が運ばれてくる。前菜、フカヒレスープ。祝いでないと言いながら、部屋の奥のプラットフォームの壁に、祝・日本新記録五十六号・神無月郷君という横断幕がかかっている。マイクの前にひさしぶりに見る榊スカウト部長が立ち、
「どうぞお食事をおつづけください。球団本部から代表で参りました渉外部長の榊です。正式な祝いの会は、本人が出席してくれるなら―いや、オーナーの命で本人だけは強制出席になっております」
 会場に笑いが湧く。
「四月二十五日の巨人戦が雨で流れた順延試合が今月二十五日にありまして、その前後が二日ずつ空いておりますから、二十六日の月曜日に名古屋観光ホテルにて行なうと決まりました。昨年、高木守道選手が結婚式を挙げたホテルです」
 高木が頭を掻く。
「佐藤栄作内閣総理大臣より長文の祝電が届いております。電話は本人が苦手であると申し上げてお断りしました。では電文を。―六打席連続本塁打の世界記録ならびに、五十六本塁打の日本新記録、日本人全員が興奮し感動しました。苦しい人生を乗り越えてプロ野球選手となられた貴君は、いまや新しい伝説になりました。これからもさまざまな困難を乗り越えて、多くの人たちに夢と希望を与えてください。海外でも、ザ・ワークス・オブ・ガッドとか、スーパーヒューマンと大々的に報じられております。日本人としてほんとうに誇りに思います。これからも、個人としても貴君を永遠に応援しつづけてまいります。佐藤栄作―。各県の知事や芸能界のかたがたからも祝電が届いておりますが、神無月くんの食事がまずくなってはいけないので割愛いたします」
 水原監督が柱の陰になっていたテーブルから現れ、
「金太郎さんが好きなのは、総理大臣でも芸能人でも文化人でもない。身の周りの人たちだけです。私たちはその光栄に浴している。彼の好意を独占しましょう。何か特別に仕立てた賞を渡したいらしいが、大臣が呼びつけるなら、私はついていきますよ。一国の権力者が権力にあかせて金太郎さんに失礼なことを言わないようにね」
 会場に笑いが弾ける。
「観光ホテルにも、球団フロント以外にいろいろ権力者たちがくるが、金太郎さんにはただ座っていてもらうだけにする。きみたちがいれば金太郎さんも安心するから、ぜひ出席してほしい」
 オース! と声が上がる。海老ピリ辛炒め、鴨と北京ダッグ、鯉の生姜蒸し、鮑とナマコの煮こみ、上海風焼きそば。従業員が瓶ビールを各テーブルに配る。箸とスプーンの音がかしましい。田宮コーチが、
「さあ、食って寝よう。いまのところ、わがチームは三十一戦して二十七勝三敗一分、他のチームに大差をつけて突っ走っている。たぶん、八月の下旬か九月の上旬に優勝が決まる。二カ月間消化試合をこなすという異常な事態になるだろうね。その実戦を例年の秋季キャンプと見なして、秋季合同キャンプにレギュラーを拘束しないということも考えている。まずは優勝してからだ」
「オース!」
 マンゴープリンが出て、夕食会が終わった。
 榊や、水原監督、コーチ連、レギュラーメンバーたちがつどって、閉店の九時半までコーヒーを飲んだ。子供の成長の話、若かりしころの選手時代の思い出、現代の細かい野球への批判などを、めいめい冗談交じりに手短に語った。私には話したいことがなく、聞き役に回った。私が置物のように黙っていることが、彼らをひどくくつろがせるようだった。そばにいることだけで彼らの幸福に寄与していると感じるのはうれしかった。江藤が、
「金太郎さん、ありがとう。もう寝ちくれ。たっぷり寝て、またあしたグランドを走り回ろう。ワシらはもうちょっと飲んで寝るけん。お休み」
「お休みなさい」
「太田くん、エレベーターまでついていってあげなさい」
「はい」
 水原監督が私に手を振った。あらためてみんなにお休みなさいを言って廊下に出た。女の従業員が何人か、太田といっしょにエレベーターまでついてきた。漠然とフアン意識でついてきたようだった。
「朝めしは、ロビー階のサツキです。七時から十時ですが、九時ごろ起こしにいきます」
「ありがとう、太田。おまえと友だちでいられて、ほんとにうれしい。二人でやれるところまでやろうな」
「はい! ありがたいです。肝に銘じます」
 ドアが閉まるとき、太田は女たちといっしょに頭を下げた。
         †
 八時に起きた。ひさしぶりの朝寝だ。シャーという近い耳鳴りが心地よい。カーテンを開ける。五月二十日火曜日。曇。体感温度二十度弱。腕時計は十八・四度前後。まあまあの皮膚感覚だ。歯を磨く。耳鳴りのする左耳にガサガサ異音がするので、深いところの耳垢を取ろうとする。出てこない。便器の水面に小便が落ちるときにも同じ雑音がする。耳鳴りとは関係ないようだ。本をめくるときに紙のこすれる音、小便が水面を打つ音。その二つの音を聞いたときだけなので、気にしないことにする。
 爪にヤスリをかける。下着のまま三種の神器。液状でない快便。シャワー。頭から足先まで全身を洗う。新しい下着に替え、ジャージを着る。カズちゃんから電話が入る。習慣から、耳鳴りのするよく聞こえるほうの耳にわずかにずらして当てる。
「新記録おめでとう! 忙しくしてると思って、すぐ電話しなかったわ。キョウちゃんが帰ってきた日に宴会を開くことになったからね」
「ありがとう。新聞、テレビが騒ぐだけで、ぼくは忙しくなかったよ。インタビューはシャットアウトされてるし。二十六日の月曜日、水原監督たちがお祝い会を開くみたい。名古屋観光ホテル」
「そういう会は欠席しちゃだめよ。そうそう、ブリヂストンから、百万円と高級タイヤ引換券百本分届いたわ。これから何年か、うちの車のタイヤ交換は安心ね。また看板に当てたんでしょう」
「看板? ああ、巨人の和光から照明灯の下の看板に当てたな。もう二週間も前のことだよ」
「風邪ひかないように。三日間がんばって。帰ってきたら巨人戦ね。巨人戦は思いがけないことが起こるから心配。何が起きても、水原監督やみんなのために耐えるのよ」
「うん。愛してる」
「私も。みんなもそうよ。忘れないでね」
「うん。ぜったい」
「じゃ、出かけるから。テレビで応援してる。さよなら」
「さよなら」
 江藤が部屋に迎えにきた。やはりジャージを着ている。
「朝のニュースで、金太郎さんの五十六号が流れた。もう一度泣いたばい」
「江藤さん、今後、何が起きても、ぼくは耐えますからね」
「もう起こらん。だいじょうぶたい」
 太田、菱川と合流してサツキへいく。もうほとんどの選手が食事をすまし、一般客の大テーブルに紛れて茶を飲んでいる。ごくふつうの和定食を頼む。ひさしぶりの納豆がうまい。袖まくりした江藤の腕が太い。江藤も体毛が薄いとわかる。朝からのすがすがしい気分に驚き、野球のことが考えられない。あえて考える。
 十三勝して二位を走っている阪神と負け数の差で大洋は現在三位。ドラゴンズのこれまでの三敗は、阪神、巨人、アトムズに一つずつ。引き分けは巨人のみ。大洋と広島には負けていない。お得意さんを作ることが大切だ。この三連戦はぜんぶいただくつもりでいく。
 ―こんなことを考えながら、あと十数年をすごせるだろうか。
 江藤の顔を見る。
「江藤さん、いま、江藤さんは何を考えてました?」
「お……福岡のガキのことを考えとった」
「やっぱり、野球のことは考えてなかったんですね」
「金太郎さんは考えとったのか」
「いえ、考えられないので、あえて考えようとしてました。野球選手失格だな」
「なあ、金太郎さん、たとえば数学者が一日じゅう数学のことを考えとると思うか。いざ考え出すと、とんでもない才能を発揮するだけのことやなかね。ふだんは、家族のこととか、愛人のこと、健康のこと、めしのこと、趣味のことなんか考えとうもんばい。それで数学者失格ね? そりゃなかろ。野球選手が本を書くと、一日野球のことを考えとるようなことを書く。一日練習しとるようなことを書く。嘘っぱちたい。ほとんどのやつが家族やら愛人やらのことしか考えとらん。金太郎さんは、恩返しやら人の命やらのことばかり考えよる。質がちごうとる。ワシはな、金太郎さんのぼんやりした顔が大好きばい。何か人の考えんことを考えとるんやろうなあて思って、ポーッとしてまうわ。人間ちゅうものは、家族愛と色と食欲で一生ばすごす。残りが仕事たい。金太郎さんにはどれもなか。色気も、食い気も、仕事もなか。ただ地蔵みたいにぽつんとおるぎり。ぽつんとおって、人が触ったり、声ばかけたり、逆に人ば思い出したりすっと、動き出して、しゃべったり、めし食ったり、野球ばしたり、女抱いたり、机に向かったり、寝たり起きたりする。ただそうやっとる。それでいて、与太郎でも敗残者でもなか。その逆の、グンバツの成功者たい。成功に関心のなか成功者たい。ワシは金太郎さんのそぎゃんぜんぶの世界には入り切らん。野球の世界だけにいっしょにいさせてもろうて金太郎さんと生きとる。金太郎さんが野球のことば考えとろうが考えとるまいが、どうでんよか。金太郎さんのたった一つの世界にいっしょにおれるだけで幸しぇだ。……金太郎さんとふつうの人たちのあいだには壁がある。近づけん。反感は持たんが、近づけん。近づいてくるのは新聞屋だけばい。そばにおりたか人間はどぎゃんすっと? 女になるこったい。女の気持ちになってピッタリくっつくこったい。もともと女ならよかばってん、それは無理やけん、女にならんといけん。男は自己主張のかたまりやけん、自分よりすぐれたものはシャクに障る。腹立つけん悪さするか、近づかんごつばする。ドラゴンズの連中は素直に女になったっちゃん。水原監督が最初から女やったけん、ワシらも女になりやすかったと。あのギターの山口さんはすばらしか女やった。北村のご主人も、菅野さんも女やった。女しか金太郎さんば気に入ることはできんし、支えることはできん。金太郎さんのおふくろさんも、岡本所長ゆう人も、浅野ゆう先生もみんな男ばい」
 私は立ち上がり、思わぬことを言いだした江藤を正面から抱き締めた。江藤は懸命に涙をこらえていた。私は涙を落とした。ふたたび腰を下ろし、二人でめしを食った。
「この三試合で六十本台に載せ、巨人戦で面倒なことが起こらないようにします」
「もう五十五は越えとる。何も起こらん」


         四十二

 連続のシャッター音がした。
「まるで隠密のごたるな。ばってん、やつらは、つまらんことで騒いで金太郎さんをプロ野球界から追い出すことはせん」
「どういうことですか」
「金太郎さんのイメージは清潔そのものばい。部屋によう女が出入りしとるんはワシらのあいだで有名なくらいやけん、記者どもはとっくに嗅ぎつけとる。ワシもやつらに訊かれたことがあったっち。本宅の女中さんが〈世話〉しにきとる言うといた。それでまちがいなかろうもん。金太郎さんは彼女たちのご主人のごたるもんやけんな。年のいった素人くさい女たちばかりやったけん、記者たちも半信半疑でうなずいとった。いや、無理やり信じこんどった。もともとそんなことで金太郎さんの清潔な雰囲気はいっちょも傷つかんけんよ。その道のプロば利用した性処理ぐらいには思ったかもしれんが、性処理は記事にならん。ワシと同じで、金太郎さんのすることば不潔と思わんからやろう。自分たちのことば棚に上げて不潔と思うんは、生まれながらのスターに自分たちと同じことばしてほしくなかちゅう理屈やろう。世間の潔癖症ゆうやつばい。その世間の代表のマスコミが金太郎さんば清潔やと信じこむちゅうことは、一般人より広い心で金太郎さんを守っとるゆうことにほかならんたい。ばってん、取材のターゲットが芸能人やったらこうはいかん。芸能人は生まれながらのスターやなく、庶民の成り上がりばい。心持ちも根っからの庶民やし、才能も庶民と大してちがわん。ほうやけん、自分たちと同じことばしよったら、すぐ袋叩きにすっとよ。芸能人のゴシップはマスコミのめしの種やし、庶民の命のみなもとや。ところが金太郎さんは芸能人嫌いときとる。庶民の中の庶民ば嫌うちゅうのは、金太郎さんが庶民でなかちゅう証拠になって、庶民は頭にくるばってんが、マスコミは喜ぶ。金太郎さんの〈不気味な清潔さ〉が永久に保たれるけんな。皇族の悪口を言わんのと同じ気持ちばい」
「複雑な気持ちですね。……松葉会もバレてますか」
「たぶんな。その種のリークには政治的な圧力がかかっとるやろうし、松葉会自体、金太郎さんばバリ尊敬しとって、会との交際ば全面的に否定しとるにちがいなか。それに松葉会はテキヤ系の穏健な組織で、これまでプロ野球界に一度も悪さしたことがなかけん、金太郎さんとの交際もまずあり得んやろうと思っとるゆうところやな。交際のなかごたァ人間ばなぜあそこまで護衛しとるかわかったら、マスコミ連中も感動するやろう。ばってん、そぎゃん感動ば記事にはできん。どんな感動的な理由があったっちゃ、ヤクザ者に護られとるゆうだけで、まじめ腐った庶民が許さんけんな。結局松葉会のことは記事にならん。自由に生きればよか。力づくで金太郎さんのじゃまをするやつはおらん。どうや、早目に球場いって走りこむか。二時くらいから大洋チームは特訓組が練習に入っとるはずや。混ぜてもらおう」
「そんなことできるんですか」
「大洋の連中がバッティング練習しとるあいだ、外野で走っとればよか」
「五十六号を褒められにいくようなもんですね」
「無視しとればよか」
 鏑木が紙の束を手にテーブルにやってきた。
「あしたの朝からでも走ってみてください」
 テーブルに一枚の紙を置いて説明する。
「ニューオータニの裏手に、清水谷公園という非常に広い公園があります。草木の中に遊歩道が縦横に張り巡らされていて、ゆるやかな階段あり、急な階段あり、適当な空地ありで、ジョギングには絶好です」
「そこでときどき走ってます」
「そうですか。それなら話が早い。そのつどコースを替えて走れば、だいたい四、五キロ走ることになるので、理想的です。一年じゅうその公園を走るだけでいいんじゃないでしょうか。あとは甲子園近辺のコースですね。研究しておきます」
 紙を置いて去った。
「あしたはみんなを誘って、まずその公園を歩いてみるかのう」
「そうですね」
 十時を回っている。面倒なのでユニフォームを着て川崎球場へいくことにした。
「先に江藤さんと電車で出ます。走りこみをしたいんで」
 ロビーにいた宇野ヘッドコーチに断り、ダッフルとバットケースを手に江藤とニューオータニの玄関を出た。スロープの歩道をくだりながら薄曇の空を見上げる。気持ちの晴れ上がる午後だ。小学四年生の秋に返ったようだ。
 ―この気持ちがずっとつづきますように!
 赤坂見附の仄暗いホームから銀座線に乗った。丸ノ内線と同じように車内の灯りが点いたり消えたりする地下鉄だ。灯りの明滅に心が浮き立つ。
「楽しいですね!」
「ほうやな!」
 江藤は人目もはばからず、私を抱き締めた。
 溜池山王、虎ノ門。狭い車内、窓の外は真っ黒。赤坂見附から新橋まで六分、話しかけられたりサインを求められたりしないことを祈る。この気分のままずっといたい。幸い話しかけられず、サインを求められないまま新橋着。空席のない山手線に乗り換える。ユニフォーム姿が二つまともに目の前にあるので、かえってだれも近寄らない。私たちの正体はわかっている。五分で田町に着き京浜東北線に乗り換え。満員ではないが、やはり座れない。ドア際に立つ。
「江藤さん、八十本ペースですよ」
「おお、ペースダウンしても五十本はいけそうや。じつは六十本を狙っとる」
「二人で二百本いきましょう」
「オシャ!」
 二十分弱で川崎駅到着。ロータリーに出ると、曇り空とビルのほか何もない。
「三月に市電が廃止されたばかりでしたね」
「ほうやったな」
 江藤について黙々と歩く。大きな駅ビルの東口からまっすぐ進み、市役所通りのイチョウ並木を眺めながら、市役所前の交差点を右折する。アーケードのある平和通り商店街に入る。低くて古い家並がうれしい。六角形のガラガラを置いた福引小屋がある。オール現金があたる・拾万円・中元ジャンボセール・抽選所、と小屋看板に書いてある。鞄長久屋、足袋小美屋、バーバーオオタ、中華飯店大沼、時計メガネ長坂……。
「なじみのない街を歩くのは、少し居心地悪いですね」
「ワシも初めての経験や。ばってん、金太郎さんとすることは何でも楽しか」
 富士フィルム、さくらカラーフィルム、ワタナベ洋品店、サントリー・カクテルコーナー、川野時計店。平和通りを左折して、大通りを渡り、電柱に宮前町と標示のある細道へ。見回すとアパートだらけだ。商店街はなく、ビタ明治牛乳などという看板がある。宮前小学校を過ぎ、十一時半少し過ぎに川崎球場に着く。球場係員が驚いて私たちにゲートを開けた。
 グランドでは二十人に余る見知らぬ控え選手たちが熱心に打ちこみをやっていた。江藤と私が塀に沿って走りだすと、彼らは歓声を上げた。
「一周したら、給湯室にいって柴田のオバチャンに挨拶してきます」
「ワシもいくわ」
 かなりのスピードで周回する。選手たちが拍手する。コーチたちも拍手する。
「五、六本打ってください」
「給湯室のオバチャンに挨拶したらすぐ戻ります」
 外野手兼任の金光コーチが、
「おまえたちも見習え。川崎球場のヌシに挨拶を欠かしたらいかんぞ」
「オース!」
 給湯室にいき、驚くオバチャンの肩を抱き寄せる。
「いやですよ、神無月さん」
 江藤もまねをして肩を抱く。
「江藤さんまで、ふざけないの」
「川崎球場のヌシに敬意ば示さんと」
 番茶を一杯ご馳走になり、グランドに戻る。また喝采を浴びる。明大同期生同士の、秋山、土井、沖山、岩岡の四人のコーチが私たちに寄ってきて、
「新記録おめでとうございます。ぜひ模範をお願いします」
「右のケージで投げている太目の人はだれですか」
 秋山が、
「王に五十五号を打たれた佐々木吉郎です。おととし完全試合をやってます。肘やられててね」
 球は速いが高目が多く、コントロールも悪い。
「左のケージはおととしのドラ一小谷正勝。これから出てくるピッチャーです」
 担ぎ投げだ。見どころのあるボールだが、どこか二軍ふうで洗練されていない。私が佐々木を、江藤が小谷を打つことになった。
「企業秘密でないボールを五球お願いします」
 佐々木はこれ以上ないほど緊張している。小谷は度胸よく、すぐに投げはじめ、江藤は五本のうち三本を軽くレフト中段上段へ(ライトだと場外だ)、二本をバックスクリーン左横へ打ちこんだ。私は四本をライト場外へ、一本をスコアボードの裾に打ちこんだ。拍手がしばらくつづき、やがて止み、ため息に変わった。
「ものすごいもんですなあ。二人ともスイングに余分な力が入っていない」
 三原監督からグランドの指揮官と呼ばれた土井コーチが言う。沖山コーチが、
「ポパイ、ちょっと見てもらえ」
 眉の薄い少し足りなさそうな丸顔の男が、渋々ボックスに入る。去年、おととし名前を知られるようになった長田という三十歳の左バッターだ。ヤクザにときどきいる面貌と物腰の男だ。佐々木のケージに入る。しこを踏むような格好で、反り返って打つ。十本ほど見る。ほとんど浅いライトフライ。二本スタンドに入った。
「振り出しのとき、ドスコイというふうに下半身が固定してますね。フォロースルーがふんぞり返りすぎです。もっと力を抜いて、立てたからだをコマの軸にして、ミート中心の打ち方をすれば、三割、二十本打てます」
 修正できる打法でなかったので適当なことを言った。ポパイは聞いていない。腹を立てているようだ。九年選手、三十歳の先輩対する態度ではないということだ。
「すみませんでした。外野を走らせてもらいます。江藤さん、いきましょう」
「おう」
「ありがとうございました!」
 土井と秋山の声。走りながら江藤に、
「失礼なことを言っちゃいました。でも、長田さんはだめです。分け隔てなく聞く耳を持ってません。とにかくからだが固い。顔はマシュマロみたいなのに」
「守りがへたで、足も遅い。ときどきホームランば打つゆうても、一シーズン十五、六本がよかとこで、十本打つようになったんはこの一、二年ばい。戦力にはならんな。喧嘩っ早いとたい。空ビンば投げられて怒って、スタンドに殴りこんだこともある」
「金網をよじ登ったんですか」
「ああ。退場になったっち」
 打球が飛んでくる。芝生に転がって勢いを失う。大洋の現状を象徴している。
 三種の神器。腕の筋トレ。するどい打球がレフトスタンドに飛びこむ。当たっている伊藤勲だ。
「この変わった形の球場の外周りを見ておきませんか」
「よかね。歩いてみよう」
 正面ゲートから出て、ライトスタンドの外に回る。川崎球場はレフトスタンドはふつうの造りだけれども、ライトスタンドは低く狭くなっている。左右非対称型の球場だ。ライト後方に民家の並ぶ国道が通っているので照明塔が建てられず、スタンドの内部に建てられた。ライトスタンドの外郭はスパッと包丁で切ったようになって、高い防御網が張られている。ライト以外の照明塔は球場の外に立っているが、ライトだけはすぐ後ろが国道なので、スタンドの中に立っている。スタンドが狭くなったのはわかるが、なぜ斜に切り取らねばならなかったのかはわからない。
 外野入口。じつにイージーな小ぢんまりした造り。すぐそばに民家の洗濯物がはためいている。オバチャンや川崎ガールズが出前を頼む球場名物ラーメン店がある。ただの小屋だ。営業中になっている。開場まで二時間近くあるのにかなりの人混みだ。これも球場名物広島焼の店。
 小ぢんまりした内野入口。
「川崎球場の内野にはコンコースはなか。すぐ階段や。戦後から同じ造りやろう」
「正面に戻って、グルッと回ってみるばい」
「はい」
 青ペンキの正面ゲート。ペンキが剥げまくって、異様な迫力を醸している。入口の人だかりを縫って入る。ロビーは古風な雰囲気。売店がある。照焼きチキン丼、スタミナステーキ丼、お好み弁当、お茶、ジュース、缶ビール、つまみ類、スナック菓子、肉まん、餡まんも売っている。二人のおばさんが開店準備をしている。溌溂とした起居から彼女たちの聖域だとわかる。まだ入場者はいない。右手はホームチーム通用口。球場係員に紛れて選手が出たり入ったりしている。
 ロビー左の暗くて狭い階段から薄青い空が見える。その階段を上ってネット裏最上段に出る。特等席から吊りネット越しにグランド全景を見渡す。球場の狭さが練習中の選手をいっそう近く感じさせる。ライトスタンドだけ削れているのが異様に映る。ネット裏最上段の通路の壁沿いに細いベンチシートが貼りついている。意外なところに気配りがある。掘立小屋のような放送席。その背後の壁の上にペンキの剥げた広告。いい雰囲気だ。三塁側内野席とレフト外野席の境界までいく。仕切り戸がある。

 外野席に行かれるお客様は
 整理上内野席に戻ることはできません
 ご了承ください        川崎球場


「整理上って何や? せこかのう」
 戸を開け、バックスクリーンの裏へいってみる。レフト側とライト側を自由に往来できるようになっている。スコアボード下の通路から見下ろした全景がすばらしい。
「ホォォ」
 江藤がため息をつく。


         四十三 

 外野入口につづく階段を降りる。係員とすれちがうたびに頭を下げられる。チャチな外野入口の改札に出る。いつのまにか表に大群衆が集まっている。私たちに気づいて、オーと喚声が上がった。
 ライトスタンドに戻り、照明塔を見上げる。スタンドの日当たりが悪くてなんだか暗い。
「薄暗いですね」
「川崎はホームからセンターへ北西を向いとるけん、西日が三塁側とレフト側のスタンドしか照らさんのよ。ライト側は暗か」
 右翼席と一塁側内野席との境界に鉄条網が張ってある。外野席に出られる三塁側内野席と扱いがちがうが、その理由はわからない。ライトスタンド後方に、高い壁と金網ネットがあり、照明塔を支える鉄柱がごちゃごちゃしていてフィールドが見づらい。しかも鉄柱の下はナイターになってもカクテル光線の反映しか当たらないので、相当薄暗いだろう。しかし、ひっそりとしたこの場所で好んで観戦する客もいるにちがいない。
「お、金太郎さん、見てみい」
 ライトスタンド上段の壁に横書きのパネルが貼ってある。

 
1969年3月27日大洋対中日戦(オープン戦)に於いて中日ドラゴンズ神無月郷選手は、大洋ホエールズ平松投手からこの照明塔の最上部の桟に当たる本塁打を打ちました。なお次打席も連続して平松投手からスコアボードを直撃するホームランを打ちました
 
「なんだかうれしいですね」
「うれしか」
 三時半。ドラゴンズの連中がちらほらベンチ入りするのが見える。百人に余るカメラマンが球場内に群がる。鏑木が私たちに気づきフェンスまで走ってくる。
「ダッシュ、いきましょう!」
「ウィス!」
 三塁側内野席へ戻っているうちに大洋のフリーバッティングが終わり、観客がなだれこんできた。あわてて回廊に降り、三塁側ベンチに入る。
 四時、バッティング練習交代。監督、コーチ陣がケージの後ろに立ち、レギュラーたちがバッティング練習に入る。私は江藤とダッシュのあと、シャドーをつづける。太田と島谷が打っている。太田はレフトスタンドへポンポン。島谷はレフトライナーが多い。末次とよく似た打ち方だ。巨人にいけば重用されたかもしれない。菱川がレフトスタンドの上段へ何本も打ち上げる。心強い。中と高木がセンター返しをしている。心強い。水原監督が私に向かってバットを振る格好をする。江藤が、
「練習ば観るのを楽しみにきたお客さんにサービスしてやれちゅうこったい。五本ぐらい打ってこんね」
「はい」
 走っていき、門岡から五本打つ。フラッシュの嵐。すべてネットを越える場外。観客の喜ぶこと。外野へ走り戻り、江藤と五十メートルキャッチボール。低いボールでコントロールよく、念入りに。
「これで守備練習に替えます。球拾いをします」
「おう。ワシはファーストやけん、そうはいかん」
 江藤とベンチに駆け戻り、半田コーチや長谷川コーチと並んで腰を下ろして大洋の守備練習を見つめる。近藤和彦、江尻、重松、三人とも肩がいい。ベンチの私に向かって何十発ものフラッシュが光る。内野守備練習。近藤昭仁と中塚の連繋は無難。松原は硬いが堅実。プロらしさとは何なのか、考えてしまう。カメラマンたちが記者席のほうへ去っていくと、半田コーチが、
「金太郎さん、左肘見せて」
 アンダーシャツをまくって傷跡を見せる。
「現代文明を気取ったメスが神さまに傷をつけたのネ。でも、何もできなかったんでしょう?」
「はい」
「許せない。それにしても太い腕! もうすっかりいいの」
「すっかり。かすかな恐怖心はありますけど」
 広島のエースだった長谷川コーチが、
「無理もないよ。あの痛みは耐えられないからね。錐で突き刺すような痛みだ」
 私は太田コーチに、
「太田コーチは高木さんの先輩ですよね。県岐商」
「うん」
「エースだったんでしょう?」
「昭和十年代ね。甲子園、春優勝と準優勝、夏二回準優勝」
 半田コーチが、
「すごいね、それ!」
 長谷川コーチが、
「松竹に入団したとたんに二十勝で新人王。中日にきても十二勝、十二勝、五勝。たった五年で現役をやめた。そのあと何してたの」
「ラジオやテレビの解説者。少年向けの野球教則本なんかも書いてた。県岐はモリミチを出して以来、鳴かず飛ばず、いまやまったく無名校だ」
 江藤が、
「無名でもなかけんが、ふるわんね」
 森下コーチが、
「県岐に長嶋が指導にきてモリミチを発見したという話は有名やが、六大学のトップスターが、なんでわざわざ指導にいったんかな」
 高木は、
「俺を長嶋に見せるために、立教出身の監督が呼んだという〈伝説〉がありますけど、ちがいます。あれは指導じゃなかったんですよ。俺でない選手のスカウト。三年生に清沢忠彦という甲子園を沸かせた快速球左腕がいて、三十二年夏の決勝で早実の王に投げ負けて準優勝ということになったんですが、そいつにぜひ立教にきてくれというわけでね。長嶋を餌に勧誘にいったんです。清沢は慶應にいっちゃって、スカウトは成功しなかった。そのときに長嶋が一年生の高木を発見する手柄を上げた。まあ、そういう具合ですね」
 森下コーチはうなずき、
「そういうことやったんかい。おかげでもっと大物が釣れたゆうことやな」
 私は、
「高木さんの話のほうが事実だったとしても、実際のところは森下コーチの言うとおりだと思います。長嶋を連れていって正解だったんですよ。長嶋は、ピッチャーではなく、野手の能力を見抜く確かな鑑識眼を持っている男だったと思いますから。その、慶應にいった清沢というピッチャーはどうなったんですか」
 高木は、
「慶應大学も社会人の住友金属も、防御率のいい名ピッチャーでならしたけど、優勝経験のない不運な男でね、自分の意志でプロにいかず、住金の監督になった。最近では審判になるという話も出てる。プロじゃなく、高校野球のね」
「清沢さんの心の底はわかりませんが、プロに何か偏見があるんでしょう。清廉でないとか、浮ついてるといったような。そういう人たちの偏見を払拭するためにも、プロ野球人はもっと誠実に戦う姿を見せないといけませんね」
 ドラゴンズ守備練習。ノッカーは宇野ヘッドコーチ。私は見学しがてら球拾いを兼ねてセンターの背後に立つ。右中間と左中間を抜けてきたボールを走り回って拾う。いい運動になる。スタンドが超満員にふくれ上がっている。スタンドの圧力。超満員というのはいつまでも慣れない不自然な密度だ。特に甲子園には圧倒される。一箇所にあれだけ人間が集まるのは正常ではない。違和感を持たないための解決策はただ一つ。見ないようにすること。私に大きなフライが飛んできた。中継プレイのために前進していた中が振り向いて、
「バックホーム、一本!」
 と叫んだ。
「オッケイ!」
 私は捕球するとツーステップしてマウンド目がけて低空の遠投をした。ワンバウンドがマウンドの向こうで力強く滑って木俣のミットにバンと収まった。どよめき。外野手全員ベンチに駆け戻る。ベンチの拍手。長谷川コーチが、
「これがないと始まらないね」
 田宮コーチがサッパリとシャワーを浴びた顔で戻ってきた。
「きょうは二十度しかないんだが、湿気がひどい。汗をかくぞう」
 水原監督がベンチの端に立って内野守備練習を見つめる。私は特殊眼鏡をしっかりかけた。ポツポツ残っていたカメラマンも退いていく。
 メンバー表の交換。これが長いあいだいまひとつわからなかったが、最近ようやく理解できた。両チームの監督かヘッドコーチが球審に九番までの打順と守備位置番号と姓と背番号を横書きで記した三枚組の紙を渡す。一枚目の紙にきちんと書いたものが正本、下に写した二枚が副本と言う。球審が三枚とも同じものであることを確認し、それぞれ相手の監督かコーチに副本一枚を渡す。残った一枚の副本は場内アナウンサーに届け、正本は審判自身が胸ポケットにしまう。
 五時半。オートバイのトンボがマウンドの周りを円形に走り回る。グランドから人けがなくなるひととき。スターティングメンバーの発表。
「一番センター中、センター中、背番号3、二番セカンド高木、セカンド高木、背番号1……」
 きょうも試合が始まる。緊張が高まる。尻のお守りを確認する。新品の二本のバットを打ち当てて音を聞く。オーケー。できのいいバットだ。大洋の先発森中の投球練習を見つめる。担ぎ投げ。五、六年前の南海の黄金時代を支えたとはいえ、もう三十歳だ。ボールに力がない。
 よくプロのピッチャーのボールは、とてもじゃないが素人には打てないと言う。小学校のころから聞かされてきた。素人というのがわからない。プロにきて、いちばん驚いたのは、まともなピッチャーがあまりいないことだった。それを、とてもじゃないが打てないと感じるのは、小中学生の野球選手だけだろう。たしかに小中学生は素人だ。高校生ともなれば、野球の才能があれば打ってしまう。才能のある高校生は素人ではない。となると玄人とは非常に限定的に定義された人びとになる。
 まず野球をやったことがない人はぜったい打てない。彼らはまぎれもなく素人であり、無慮大数いる。小中学生は野球の才能があるなしに関わらず、プロのスピードボールや変化球はぜったい打てない。その意味で彼らも素人で、やはり無慮大数いる。私もその一人だった。野球の才能のない高校生や大学生も打てない。彼らも素人で、無慮大数いる。それでは玄人とは? 高校、大学、一般の人たちの中で、素人を打ち負かせる者ということになる。その人たちの一部が幸運によってプロにいく。プロにいっても素人しか打ち負かせないので、玄人には散々やられる。では、プロのピッチャーはだれに対して威張っているのかという疑問が湧く。打てっこない小中学生の素人や、高校大学一般の素人に対して威張っているのだとしか思えない。
 素人が打てないのは、高速で動く物体を観察することに慣れていないからばかりではない。恐怖心が先行するからだ。その物体を捉えて飛ばす才能があれば、恐怖心は芽生えないし、しかもプロにいかなくても玄人だ。つまりプロのピッチャーは玄人に対してではなく、永遠に対戦もしない素人に向かって威張っているということになる。
 ―何がプロと素人はちがうだ。合いまみえることさえない相手とは、ちがった領域にいるのがあたりまえだろう。
 板東もキャンプの初日、同じ領域にいる私に同じことを言った。そして私にノサれて黙った。金田も長嶋に対して同じことを考えた。プロが学生さんに負けるか、と。その後彼は、長嶋にボチボチやられて黙った。長嶋が最初の対決で敗北したのは残念だ。玄人としての才能のかさばりが、対決当時金田のそれに見合っていなかったからだとしか考えられない。
 どの世界もプロプロと喧(やかま)しい。力のない者ほどその単語を連呼する。私は自分をいわゆる〈プロ〉ではなく、玄人だと思っている。プロ野球の世界に入ってからホームランを打てるようになったわけではないからだ。たぶん、尾崎も、ベーブ・ルースもそう思っていただろう。彼らは高校時代から、あるいは孤児院(ベーブ・ルースは十二年間孤児院で暮らした)時代からそうだったからだ。
「プレイ!」
 中、森中のカーブを二球、アコーディオンで見逃し、ノーツー。三球目のストレートをさりげなく掬った。高く舞い上がりライトの場外防御網に当たった。五号ソロ。淡々とした表情でダイヤモンドを回る。にこやかに水原監督とタッチ、私たちとタッチ。高木、初球をいつもの左中間最前列へライナーで打ちこむ。十号ソロ。江藤、初球をバッティング練習どおり、レフト最上段へ二十二号ソロ。熱泉が噴出するような喚声。私、ツースリーから、スコアボード右上のサントリー生ビールの広告板に当てる五十七号ソロ。木俣、ワンワンから右翼鉄塔に当てる九号ソロ。
「ただいまの木俣選手の第八号ホームランをもちまして、五者連続ホームランとなり、日本新記録、同時に世界新記録の達成でございます」
 ノーアウトのまま森中から高垣にピッチャー交代。背番号58。見たこともない大きな背番号だ。右の本格派。ボールが素直だ。菱川、初球をバックスクリーンへ一直線。十二号ソロ。六者連続ホームラン。もうアナウンスは流れない。スタンドのざわつきが止まない。太田、素直に二球目を掬い上げる。レフト中段に舞い落ちる九号ソロ。七者連続ホームラン。おそらく永久に破られない記録だ。田宮コーチが、
「修ちゃんも、いけ!」
 一枝、一塁スタンドへファールを二本打ったあと、三球目、高いフライがレフトに上がる。近藤和彦が必死に追う。フェンス上部の金網に当たってグランドに撥ね返った。
「惜しい!」
 左中間まで転がっていく。滑りこみがシンと孤独に見えるほどの堂々たる三塁打。小野、三振。連続安打は八で途切れた。なぜか内外野のスタンドから安堵のため息が湧き上がった。中、左中間の二塁打。一枝還って八点。ピッチャー池田に交代。二年目、二十三歳、コントロールピッチャー。高木、ライト前ヒット。中還って九点。江藤、レフト前ヒット。ワンアウト一塁、三塁。
「金太郎!」
「神無月ィ!」
「金太郎さーん!」
「おまえのホームランは許す!」
「ひと思いに殺してくれ!」 
 中日ファンと大洋ファンの喚声が入り混じり沸騰する。緊張感がつづいている。池田からは四月の三十一日に二本打っている。一本は、江藤が標示板を読み上げた照明塔の柱だった。


         四十四

 池田は外角低目にスライダーを律儀にかすらせてツーナッシングにすると、とまどったふうにボールをこねた。ストライクを見逃され、狙いをつけて待たれるのがピッチャーはいちばんつらい。同じ球は本能的に投げない。かといってちがう球はそれを待たれているかもしれないと考えると投げられない。結局見逃したコースの付近に変化をつけて投げるしかない。三球目、同じコースにボール一つ外す高目のストレートを投げてきた。踏みこみ、ひっぱたく。ちょうどレフト守備位置のはるか後方、最上段へ突き刺さる五十八号スリーラン。十二点。三塁で立ち止まって水原監督としっかり抱き合う。
「百号はオールスター前かな」
「大事に打ちます」
「そうだね」
 花道の仲間たちとタッチしていく。ベンチ前の選手、コーチ全員と固い抱擁。ダッグアウトに腰を下ろしたとたん、半田コーチのバヤリース。思わず、
「うまい!」
 と言うと、徳武が、
「半分、半分」
 と奪い取って、残りを飲み干してしまった。
「ただいまの神無月選手の五十八号ホームランにより、チーム一イニング安打数十二となり、これは昭和二十一年に阪急ブレーブスが記録して以来十八年ぶりのタイ記録でございます。またチーム一イニング得点十二は、昭和三十六年に南海が記録して以来八年ぶりのタイ記録でございます。このイニングに安打と得点が追加された場合は、いずれも、最多安打、最多得点として日本新記録となります」
 拍手と歓声がこだまのように反響して漆黒の夜空に立ち昇る。
「新記録、いっちゃれー!」
 ひさしぶりに森下コーチの叫び声。長谷川コーチと森下コーチは本来二軍のコーチなのだが、二軍は本多ヘッドコーチと岩本、塚田の三人のコーチにまかせて、春先のオープン戦からずっと一軍の試合に詰めている。水原監督に呼ばれたわけではなく、二軍とのコンタクト役として本多コーチに派遣されている格好だ。二軍の試合にも頻繁に顔を出す。独特の勘で日野の守備に目をつけ一軍に呼んだのも森下コーチだ。一軍で鍛えようという心づもりだ。いまのところ一軍に人材が足りているので、日野は出場のチャンスを窺いながら、ベンチでもっぱら声出しに努めている。
「ピッチャー池田に代わりまして、佐々木、ピッチャー佐々木、背番号18」
 また一人火消し役が出てきた。バッティングピッチャーをしていた男だ。中日のブルペンでは先発の小野が投げている。長谷川コーチが、
「小野はおととしまで三年間大洋にいたんだ。俺がちょうど大洋の監督をやってた三年間だ。おととしの五月、先発予定だった小野の当て馬で、一回だけ佐々木を投げさせたんだが、ヒットを打たれないもんだから、打たれるまでいけということになって、あれよあれよという間に完全試合をやっちゃった。それでもその年は四勝六敗。マグレだったんだなァ。きょうもこっからマグレが起こったら、もう俺たちは一点も入らないよ。そのほうが試合が早くすむ」
 長谷川コーチの〈願い〉が通じた。佐々木は、しょっぱな木俣に二塁打を打たれたが、そのあと九回スリーアウトまで、ストレートとスローカーブとスライダーをうまく両サイドに決めてカウントを稼ぎ、決め球に高目の速球を投じるコンビネーションで、打者三十六人を首尾よく処理した。被安打散発七、凡打十八、フォアボール二、三振九。三点を取られただけで投げ切った。ホームランは一枝の六号ソロのみだった。
 木俣の二塁打で一イニング十三安打の新記録は打ち樹てたが、後続が凡退して得点の新記録は成らなかった。三振は、五回に太田の代わりに入った島谷が二つ、高木が二つ、小野が三つ、太田が一つ、九回小野のピンチヒッターに出た日野が一つだった。生まれて初めて一軍の試合に出た日野は、頬を真赤にして空振り三振し、希望に燃える目でベンチに走り戻ってきた。私はぜんぶで六回打席に立ち、佐々木と対峙した四打席は、レフトライナー、打点一の右中間二塁打、センター前ヒット、ファーストゴロだった。
 十五対二で勝利。大洋の二点は、八回裏、ヒットで出た伊藤勲とフォアボールの重松を一、二塁に置いて、近藤昭仁が右中間を抜く三塁打で還したものだった。小野は、打者三十三人、被安打散発六、三振四、フォアボール四、自責点二。九回に小川の継投を受けて田中勉と並ぶ六勝目を挙げた。継投した小川は打者四人、被安打一(中塚の代打関根のセンター前ヒット)、三振三、自責点ゼロで、〆にふさわしいみごとなピッチングをした。
 インタビューは水原監督にまかせ、みんな早めにバスに戻った。高木が、
「佐々木って、今シーズンやりそうじゃない?」
 ホームランを打っている一枝が、
「球が遅すぎる。コントロールがいい日って、何年かにいっぺんくらいあるんだよ。肘かばって投げてた。今年が限界だな。あしたは平松だ。鬼のいぬ間にもう二勝しちゃってる」
 中が、
「鬼って、私たち?」
「はい、決まってますよ。平松のシュートは、カミソリシュートって言われだしてます。長嶋のバットをへし折ったそうです」
 一枝が丁寧な言葉遣いになる。私たち新米はもちろんデスマス体でしゃべる。江島、若生が二年目、伊藤久敏と二軍の井手が三年目、一枝を含めて新宅、菱川らほとんどの選手が四、五年目、小川が六年、高木が九年、江藤と伊藤竜が十年、中が十五年選手だ。ちょっとしたところでおのずと言葉遣いのちがいが出る。江藤が、
「ワシはそのシュートば狙う」
 水原監督とコーチ陣が戻ってきた。
「新記録のインタビューばかりでまいっちゃうよ。大リーグがどうのこうのと、そんなこと私は知らないからね、そうなんですかと応えるしかない。金太郎さんなんか山を越しちゃったから、もうインタビューの煩わしさはないね」
「はい、そっと姿を消しても咎められません」
 高木が、
「今年は攻撃が長いから、体力を使います。高校時代に走っておいたご褒美をいまごろいただいてる」
 太田が、
「高校って、とにかく走りますよね。ジャイアンツはいま走る。ときすでに遅し」
 高木は、
「高校時代も走ったんだろうけど、いまも同じように走るのはやりすぎだ。故障のもとになる。それにしても、高校時代はじつによく走った。東は藍川橋から西は合渡(ごうど)橋まで、長良川の堤防を走った。休日も、伊奈波(いなば.)神社の階段や、ドライブウェー。走れば足腰の切れがよくなる」
 江藤が、
「鏑木さんが、東京では清水谷公園を走るのがよかと教えてくれた。森の中のコースが六つも七つもあって、だいたい一周四、五キロで、ゆるい階段もあるげな」
「走りましょう。いいですね、そのくらいが調度いい」
「あしたは歩いてコースを確かめるだけにすっと。あさってから走らんね」
 俺もいくぞ、とバラバラ手が挙がった。カールトンコーチまで手を挙げる。
「めし前、七時半から八時半にしましょう。あしたの歩きが楽しみだ」
 中が言うと、

 挙手した連中がウィース! と声を合わせた。水原監督が頼もしそうに微笑んだ。
         †
 十一時ごろ詩織から電話があった。
「あ、詩織、どうした?」
「五十六号、おめでとうございます」
「ありがとう」
「新記録は広島球場だったのでテレビでしか観られませんでしたけど、五月十四日の神宮球場の六打席連続ホームラン、ネット裏の特別席で観ました。ユニフォーム姿、すばらしかった! 青い炎みたいに輝いてるんです。何万円出しても惜しくないって周りのお客さんたちも言ってました。自分では気づかないでしょうけど、神無月さんはよく笑うんです。バッターボックスに入るとき、ホームランを打ってベースを回るとき、アウトになって一塁から戻ってくるとき、外野からボールを投げ返したあと……。監督さんやチームの仲間たちも、神無月さんといっしょになって笑ってます。……なんてすばらしい」
「みんな明るくて、とてもやりやすい。水を得た魚だよ。東大はどう?」
「いまのところゼロ勝七敗です。……次の東京遠征はいつですか」
「六月四日のアトムズ戦。水、木の二連戦」
「逢いにいっていいですか」
「うん、もちろん。二連戦が終わったら甲子園へ移動であわただしくなるから、三日の夜十時ごろにくればいい」
「はい。どうしても逢いたくて。愛してます。心から」
「ぼくも。いつも眼鏡の奥のやさしい目を思い出す」
「私は神無月くんのぜんぶ」
「ありがとう。マネージャー業もたいへんだね。大学の勉強もしなくちゃいけないし」
「それはどうにかやってます。ただ、弱くて張り合いがないの。春は全敗する気配。立教にノーヒットノーランされてしまいました。鈴下監督も顔には出しませんが、背中がさびしそう。……野球の才能って、特殊なものですね」
「入場料を取るほどの才能はそうだろうね。大学野球の入場料はある種の寄付金だ。才能と関係なく、愛校心で払ってる。その収入はどこにいくんだろう」
「東京六大学野球連盟は財団法人なので、利益を出したり余剰金を分配してはいけない規則になってるんです。大学野球の国際試合、OB戦、野球教室といった、野球の振興につながるイベントにお金を還元してます。大学には分配金はありません」
「そうだったのか。大学野球の選手は純粋なアマチュアとしてプレイするわけだ。すべて自己調達で、場所を借りて無料奉仕するという形だね」
「はい」
「ぜんぜん知らなかった。だれも知らないだろうね。素人の世界のほうがお金のにおいをさせないように複雑になってる。金儲けの世界は単純。労働に金で報いるだけ。儲けのいき場所は資本家のふところ。ところで、ネットに向かっての遠投とか、テーマを決めての素振りとか、きちんとやってる?」
「……やらないんです。神無月くんが残してくれたのは、ユニフォームとバットと写真だけ。あんなに燃え上がった情熱も、喉もと過ぎればで、神無月くんのありがたい教えを忘れちゃったのね」
「仕方ないよ。東大は勉強が主だから。情熱の向けどころは野球じゃない」
「私も、春のシーズンが終わったら勉強に戻ろうと思ってる。もともと神無月くんのそばにいたくてマネージャーやってたわけだし、野球部員がダラダラしてるような野球部にいてもしょうがないと思う。選手とバトンとの関係も乱れてるし、もうごめんという感じ」
「未練がないならそうしたほうがいいよ。ときどき吉祥寺に会いにいってあげてるんだって? 菊田さんから聞いた。ありがとう」
「充実感がちがうの。二人に会うと、私たち学生なんかよりずっと女として自然に生きてるって感じがします。すみません、長話になっちゃった。じゃ、きょうはこれで切ります」
「うん、来月ね」
「はい、かならずいきます。さよなら」
「さよなら」
         † 
 五月二十一日早朝、清水谷公園を歩く。十人近いジャージ姿が、森の中に切られた鬱蒼とした道をいく。半田コーチもキョロキョロあたりを見回しながら歩いている。日野は不参加。
「日野さん、寝坊かな」
 菱川が、
「戻されちゃいますね。会食ではいいこと言ってたのになあ」
 高木が、
「言行一致は難しいよ」
「江藤さん、ずっと前に言ってた二軍の掘り出し物のピッチャー、なかなか姿を現しませんね。このあいだ投げた土屋以上のピッチャーなんでしょう?」
「比べもんにならん。本多さんには話してある。近々、バッティングピッチャーで投げさすことになった」
 太田が、
「だれすか、掘り出し物って」
「星野秀孝」
「ああ、暴れ球のノーコン。うん、たしかに速いですね」
「一軍で投げさしたら暴れんようになる。スピードは江夏以上やぞ」
 私は、
「楽しみです。早く会わせてくださいね」
「おお」
 鏑木の言うとおり、道の途中に、勾配も長さも適当な階段がいくつかある。そして階段の先が別々のコースに通じている。一枝が、
「大久保公追悼碑? 何だ、これは」
 インテリの中の顔をみんなで見る。中はしばらく漢字だらけの碑文を読んでいたが、
「ここは千代田区紀尾井町だよね。大久保利通がこの清水谷で暗殺された紀尾井坂の変のことが書いてある」
 紀尾井と聞いて、雄司を思い出した。思い出しただけだった。


         四十五

 太田が、
「大久保利通って聞いたことがあります。ね、神無月さん」
「うん、教科書に載ってた。明治の元勲、参議兼内務大臣。何のことやらさっぱりわからないまま暗記した。ぼくの知識は暗記したことだけ。何をした人なのか、どうして殺されたのかもわからない」
 中が、
「明治維新のころに四十歳ぐらいの人だったから、いま生きてたら百四十歳だね。明治の元勲」
「元勲というのは?」
「天皇の権威を回復することに功績のあった人のことだ。王政復古というんだけどね。日本の王政復古改革は何回あったか知ってる?」
「さあ」
「大化の改新、建武新政、明治維新の三回だ。維新の元勲は三人いる。大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允。維新の三傑と呼ばれてる。みんな幕末の志士で、大久保は内閣制度発足前の日本の事実上の首相だ」
「維新のあたりはゴチャゴチャしてて勉強するのがたいへんでした。学制改革、地租改正、徴兵令、富国強兵、殖産興業、いろいろな不満武士の反乱、外地への出兵」
「台湾や韓国の征服だね。暗殺のもとは征韓論の食いちがいなんだ。朝鮮を取りこもうとする動きには、武力でいけというのと、穏健な外交でいけというのと二通りあった。武力派は板垣、穏健派は西郷、後藤、江藤、副島(そえじま)。穏健派の西郷が使節として朝鮮に送られることになったんだけど、土壇場になって、岩倉、木戸、大久保が韓国取りこみそのものに反対した。なぜだかわからない。とにかく使節派遣は中止。それで、西郷も、西郷の派遣に賛意を示しはじめていた板垣も、頭にきて下野した」
 私は、
「そうか、武力派の板垣も下野したので、西郷ファンたちは、貫禄のある西郷がほんとうは穏健派じゃなくて、もともと武力派の頭領だったんだと思いこんだ。それで、岩倉、木戸、大久保を日和見と判断して怨んだわけですね」
 菱川が、
「わかりやす!」
 カールトンコーチが、
「ワタシにはさっぱりわからなーい」
 道端の草の花などを指先でいじっている。中が笑いながら、
「そのくせ政府は翌年に台湾出兵だ。わけがわからない。西郷を退けてまで台湾出兵をしたのは矛盾だと言って、木戸も下野した」
「その後、政府と対立する士族の反乱というわけですね。わけのわからない者同士の潰し合いだ。簡単な見方かもしれないけど、やっぱりイデオロギーじゃなく、権力闘争でしょう。馬鹿らしい」
「わかりやす! 神無月さん、歴史の先生になってもいけますよ」
「菱川さん、先生というものは、ぼくのように簡単なことを言っていたんではだめなんです。つまり、先生として信用されない。学生運動家こそ先生に向いてる。彼らの言うことは複雑でわけがわからない。複雑でわけがわからないのは太古以来、日本人のあこがれです」
 中が、
「私も先生にはなれないよ。簡単なことしか言えないから。金太郎さんの言うとおり、〈あいつ〉に権力を握らせたくないだけの、インテリ暴走族の権力闘争だね。西郷ファンが西郷のもとに集まって、西南戦争で西郷を失ったあと、ファンの生き残りが政府高官暗殺に走った。西郷さんでなく〈あいつ〉が権力を握っているのは憎い、ということだね」
 江藤が、
「金太郎さんは国語と英語しかできんごたるて、和子さんから聞いた。社会科はオシャカて。ばってん理屈を考える力はさすがやな」
 爽やかな笑いが起こる。一国の再建ともなれば、もっと深遠な〈裏〉がある。私には見抜けない。軽々にものを言ってはならないという忸怩たる思いはあるが、裏を探っている時間が惜しいし、興味もない。
 小池があり、池の周囲を歩く。
「階段だらけたい。あしたから楽しみばい」
 半田コーチが、
「ワタシも楽しみ。しばらく走ったことなかったから」
 高木が、
「コーチはおいくつですか」
「ワタシの齢も知らないで、いままで教えを受けてたの!」
「すみません」
「三十八よ」
「まだまだ若いじゃないですか」
 中が、
「三十七年に中日にきて、一年間レギュラーとしてプレイをしましたよね」
「そ、ほとんど全試合出たよ。ホームラン三本打ったけど、二割四分しか打てなかった。引退ね。三十一歳だったけど。もうみなさんに教えることないね。求められてるのよ、ハワイのアマチュアたちから。来年帰国することに決めたよ。今年の中日の優勝を一生の思い出にね」
 江藤が半田コーチの手を握り、
「かならず優勝しますけんね。一生の土産にしてください」
「ありがと!」
 高木が小さな半田コーチの肩を抱いた。みんなで順繰り肩を抱いた。江島がじつにめずらしく口を利いた。
「コーチ、日本の桜を忘れないでくださいよ。……ああ、桜の季節はこの公園、きれいでしょうね」
 知らないことに対しては知識人の中も適当にしか答えられない。
「きれいだろうね……」
 私は、
「江島さんは京都の平安高校でしたね。いい自然環境なんでしょう」
「うん、まず、校門の一本桜がきれいだね。高校のすぐ隣が、龍谷山本願寺、いわゆる西本願寺。敷地がこの公園くらい広くて、入ると、白砂に松やモミジやイチョウがポツポツ間隔を置いて立っていて、とんでもなく美しい景色だよ。境内に植えられた円形の大イチョウは壮観だ。そのほかにも、東寺、梅小路公園、景色を観るにはこと欠かない」
 菱川が大きな目をさらに見開き、
「江島、おまえ、しゃべることもあるんだな。びっくりした」
「平安では、主将をまかされるくらいおしゃべりでしたよ。プロのすごさに縮み上がって、口が閉じちゃったんですね」
「入団早々、三試合連続ホームランを打ったやつが、なに弱気なこと言ってるんだ。肩はいいし、長打力はあるし……変化球が打てたら、第二の江藤さんになれるのに」
「やや、なれませんよ。レベルを考えてみてください。変化球とかストレートの問題じゃなく、持って生れたものがちがうんです。みんなすごい。菱川さんはもちろん、太田にさえ敵わない。月の高さに神無月くんがいるし、疾風の走塁も、バックトスの守備も、名人だらけ。何試合かにいっぺん出してもらえるだけで、俺はありがたいような、申しわけないような気持ちになるんですよ」
 千原が、
「俺もだ。出してもらえてありがたいし、申しわけないとも思う。だから、出してもらった以上は最善を尽くす。おまえもそうだろう。それでいいじゃないか。弱気になんかなることないよ。俺は入団六年目だ。これが自分の器だと思ってる。努力の余地はたくさんあるけど、恥じてはいない。おまえと俺の欠点は、打率が低いことだ。球を捕まえる能力が低いんだよ。チームに貢献する度合いが低いということだ。俺がこの二年、二割六分から八分を打てたのは、広野さんが抜けた代わりに使われるようになって、新人と大差ないポッと出の俺をどのチームも研究できなかったからだ。研究された今年はカラッキシだ。俺は神無月くんの五打数一安打というのを一度しか見たことがない。バットが手のようにボールを捕まえる。七割近い確率で捕まえる。七割なんて練習でも打てない。バッティング練習だと江藤さんはほぼ十割長打、神無月くんは十打席十ホームランだ。こういう人と自分を比較しようとは思わない」
 中が、
「二人とも、ひたすら努力して、あきらめないということが大切だよ。私は昭和三十年に入団して間もないころに、右膝を痛めたんだ。それから何シーズンかは、ちょっと無理をすればすぐ膝に水が溜まり、苦しくてつらい思いをした。でも、どうにかいろいろな治療と摂生で折り合いをつけられるようになった。三十五年には五十盗塁を決めて盗塁王になったし、守備でもこの脚を活かすことができた。三十七年にはドビーやニューカムの鈍足外人をフォローして、自分で言うのもなんだけど、大活躍した。バッティングのほうは基本アッパーだったんでね、二割五分ぐらいで冴えなかったんだけど、三十六年にレベルスイングで流し打ちすることをマスターした。そしたら、ようやく三割打てるようになった。それから七年、三割前後をウロチョロしてたけど、おととし、三割四分三厘で首位打者を獲った。そして今年、金太郎さんのアドバイスでデビュー時のアッパーに戻した。アッパーで芯を食うという打法に自信を取り戻した。グンと長打力がついたし、今年は四割近く打てるんじゃないかってこっそり思ってる。入団から十五年、あきらめずにやってきたご褒美をもらったわけだ。江島も千原も自分で思ってるより水準以上だ。あきらめちゃいけないよ。たしかに打率を上げないと、有力な新人にポジションを持っていかれちゃうだろうね。コンスタントに二割八分。三振は三試合で一つまで。レギュラーたちはだいたい四試合に一個だ。金太郎さんみたいに三十試合で一個なんてのは例外だ。とにかくあまり三振をしなくなったら強い。ホームランバッターでもないかぎり、打率二割五分以下で三振六十以上だと、退団の危機だ。使われているうちは二割五分を切らないようにがんばりなさい」
 中のやさしさが胸にきた。三塁打王五回の天才プレーヤーが、悩める秀才に向かって、きみもぼくのようになれると言っているのだ。
 歩きだす。これまでは通り過ごしていた遊歩道の途中の階段を上っていく。予想以上に長い。振り返って木俣がいることに気づいた。見やると、ニヤリと笑った。
「あれ、木俣さんいたんですか」
「いたんですかとはなんだ。二代目金太郎が、初代金太郎を粗末に扱ったらバチが当たるぞ」
「すみません」
「冗談、冗談。打率の話だけどさ、俺も入れて、三割五分以上の打者が何人も出ると思うぞ。刀のように斬る芯食い打法をマスターしたのは中さんだけじゃないからな」
 江島と千原が、もの欲しげな顔で木俣を見たので、
「人には好みの振り方がある。アッパーでもレベルでもダウンでもな。それを修正したんじゃ、バッティングそのものが壊れる。スイングを好みのままにして、ボールの下ッ面を叩くように心がければいい。それが芯食い打法だ。飛距離は三割方伸びるし、ミートの確率は五割より上がる。金太郎さんはそれを小学生のときからやってた。俺たちとは別人種だ。人にできるほどのことが自分にできないはずはない、そう思ってほとんどの人間がプロにやってくるが、金太郎さんを知るとその考えを捨てる。捨てないと前に進めずに、アホみたいにぼんやりツッ立ってるだけになる。要は、下を叩く視力だ。金太郎さんは本能的にそれを備えてる。俺たちは鍛えなくちゃいけない」
 江島が、
「どうやってその視力を鍛えたんですか」
「健ちゃんに投げてもらってボールだけ見た。中心より下を見つづけた。それだけ。いざ打席に立つと、ボールの下ばかり見るようになってた。もちろん打ち損ねはある。でもボールをしっかり見る分、当たる確率は倍近くになった。当たると飛んでく」
 昇りきって下りにかかる。左の空に豪壮なマンションの連なりが見える。位置どりからして政治家の宿舎だろう、と中が言う。森の段々を降りていく。まばらな木立の中に平地が展ける。歩道の広い二車線の通りに出た。もときた入口だった。ここまで、立ち話をしながら四十分ほど。走れば十五分だ。ちょうどいい。
 ニューオータニに戻り、ステーキを入れておこうということで、ガーデンの『もみじ亭』にいくが、十一時半からの掲示を見て、結局サツキへいく。ここの朝食は千五百円で高い。
「途中の空地でバットが振れますね」
 江藤が、
「おう、あした一日やが、コースを決めてのスイング、江島や千原に見せてやっちくれ」
 オムレツ、ハム、サラダ、ヨーグルト、シャーベットアイスクリーム。物足りないが、もみじ亭の昼めしで腹をふくらませればいい。江島が太田に、
「おまえも芯食いか」
「もちろん」
「いっしょに打ちこみやってくれないか」
「いいですよ。二時四十五分から打ちましょう」
「俺もいく」
 千原が言った。



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