八十二

 風呂を出て急に冷え、ひどい下痢便。痛みの核が噴き出ていく。
 さっぱりして居間にいくと、直人を中心に一家が勢揃いしている。主人が柱の寒暖計を見ながら、
「十五度か。昼は二十五度まで上がるそうです。まあ、新聞をどうぞ。やっぱり一、二面を割いとりますよ」
 新聞を押してよこす。直人が私の写真をさする。野球の写真ではなく、男を押さえつけている写真だ。私は直人の頭をなぜながらコーヒーをすすった。主人が直人を膝に抱き取る。

 
世情騒然! 
 
プロ野球界のガンジー淡々と六十四・六十五号
 
正々堂々と闘う喜び 平松・伊藤語る
 中日ドラゴンズの神無月郷外野手(20)が、二十八日午後三時二十五分ごろ、対大洋戦を前にして中日スタヂアム駐車場付近において、刃物を振りかざした一人の暴漢に襲われたが、神無月選手みずから瞬時のうちに取り押さえ(写真下)警備にあたっていた中署員に引渡し、ことなきを得た。暴漢は(運送梱包店勤務・32)天白区在住の熱狂的な巨人ファンで、川上監督謹慎の報に激怒し、神無月選手の命を奪わんとして凶行に及んだものである。
 現行犯として逮捕された男に対し、神無月さんはその罪を責めず、即時の赦免を要請した。検察はこの要請に戸惑いながらも、男が初犯であることにかんがみ、本夕には釈放する模様である。神無月さんは事件に先んじて、今回の一連の脅迫・暴行事件の誘因となった川上哲治氏(49)の言動に関しても、氏の謝罪は必要ないとして、謹慎を取り消すよう申し入れていた。読売巨人軍球団本部はこれを謝して受け入れ、川上氏復帰を発表しようとしていた矢先の出来事だった。読売ジャイアンツ側の全面謝罪に関して、試合後のインタビューで神無月選手は「関心がない」と答えた。
 神無月郷という人物は慈悲仏か、はたまた無抵抗主義のガンジーであろうか。見るところ、本人には何の被害者意識もないかのごとくで、「なぜ訴えないのか」と問われると、「ただ平安に暮らしたいだけだ」と一貫して主張しつづける。「一連の事件は、人格円満でないみずからの咎である」とも答えている。人を罰すれば怨みを買い、怨みを買えば生活の平安が乱されるという理屈であろう。いずれにせよ、神無月郷の気組みは尋常でない。
 きょうも淡々と二本のホームランを打った。一本目は山下から内角低目のスライダーをライトポールに打ち当て、二本目は、本人曰く〈屁っぴり腰打法〉で、平松のシュートをレフトの看板に打ち当てた。三打席目は真ん中高目のストレートをミスショットしてセンターフライに打ち取られ、そして問題の四打席目、神無月は敬遠策をとったバッテリーを驚かせる挙に出た。ノースリーから外角へ高く遠く外したボールを伸び上がるようにして空振りしたのである。わずかにバットが届かなかった。次のボールは伊藤も捕球できなかったほど遠く外されたが、また神無月はジャンプして空振りしたのである。今度は遠く届かなかった。ここで伊藤が何やら神無月に話しかけた。次のような対話だったと、伊藤はインタビューに応えた。
「神無月さん、三振する気ですか」
「打つつもりです」
「バットに当たりっこないですよ」
「当たると信じて振ります。観客は個人の対決を観にきています。一打席ごとに勝敗が決するのは、投手とバッターの宿命です。観客はチームの勝敗よりも、その宿命を目撃したいんです。敬遠は無意味な勝負です。たとえぼくがぜんぶ振って三振したとしても、振って決着がついたことに観客は喜び、無意味な勝負に敗けたぼくのプライドも傷つきません」
 伊藤は胸を打たれ、平松のところに走っていって、神無月の言葉を告げた。平松は激しくうなずき、そのとおりだ、真っ向勝負するぞ、と言った。そして、右中間のライナーを打たれた。江尻がファインプレーで平松を救った。この結果にスタンドの拍手と喚声がしばらくやまなかった。神無月の言ったとおりだった。平松のインタビューは次のとおりである。
「野球人としてではなく、人間としてハタと大事なことに思い当たった感じでした。卑怯な人間は勝負の世界に住むべきではないということです。勝負の世界に住む以上は、正々堂々と戦いつづけなければいけない。開幕以来、負け投手にばかりなっていたのはチームのせいではなく、自分のせいだったんです」
 神無月と伊藤の対話を聞いていた平光清球審(38)―奇しくも先日のバット事件の審判でもあった―にもインタビューを敢行した。
「中立の立場にあるべき審判は、感情を冷静に保たねばなりません。私は審判になってから十三年間、その態度を崩さずにきました。しかし、二十六日につづいてきょうもそういかなかった。神無月選手の言葉を聞いて、思わず目にくるものがあった。涙をマスクの上から拭くわけにもいかず、しばらく目が霞んで厄介なことになったと思いました。そうしたら、一転あの印象深い対決になりましてね。どうにか気を取り直してジャッジの姿勢に戻りましたが、どうにも涙が止まらなくて……。涙に曇ったセンターライナーを生涯忘れません」
 彼が打てば彼の記録は伸び、チームも勝利数を増やす。彼は勝敗に関係している。彼が打てば彼個人の人気ばかりでなくチームの人気も上昇する。彼は人気商売に関係している。しかし、いずれにも徹してはいない。これまでチームは四敗しているが、勝ち試合にも負け試合にも彼の態度は一貫して穏やかである。最近とみにスポーツ界に跋扈している鉄仮面の選手たちのように、冷静さを気取っているのではない。ひたすら勝敗と人気に無関心だからである。みずからに関して無心―その証拠に、勝敗そこのけでゲームそのものに常に没頭し、監督をはじめとする仲間たちと顔を見合わせて心の底から笑い、温かくタッチし合い、きつく抱擁し合い、敵の理不尽な行動に対しては極力辛抱し、他人の名誉に関わる場合は力のかぎり怒る。
 また人気の援護役となるマスコミを身辺に侍らせようとしない。とはいえ、世間で噂されるほどマスコミを嫌っている様子はない。マスコミ嫌いというのは、大概は人気取りの擬態である。彼に擬態はない。質問にはよく答え、求める以上の情報を吐露することが多い。ただ、彼におべっかを使ったり、つまらない質問で時間を奪うようなしつこさを見せると、怒鳴ったり、すたこら切り上げたりする。余計な人気を高めることをスポーツ選手の本道と考えていないからであり、真剣味のない口説を弄されることを極端に嫌うからである。
 これを要するに、神無月郷は野球の天才であると同時に、野球そのものに格式を与えようとする奇特な人物であると私は考える。勝敗と人気商売に徹してきたプロ野球界に、もっとスポーツの本道に立ち返れと警告するために、いずこからか漫遊してきた若きご意見番だと思うのは私だけであろうか。
(スポーツ部・東野潔)


「自分のことじゃないみたいだなあ」
「まぎれもなく神無月さんのことですよ」
「観客がピッチャーとバッターの宿命を観たいというのは、伊藤捕手の脚色ですね」
「彼はそう受け取ったんでしょう。当たってると思いますよ」
 カズちゃんが、
「ここまで有名になっちゃうと、周りがうるさくなるのが自然な流れだけど、私たちが何とかがんばってキョウちゃんの静かな生活を守らなくちゃね」
 女たちが力強くうなずいた。
 千佳子と睦子が風呂から上がってきて食卓に加わった。トモヨさんに髪を拭いてもらってサッパリした直人が睦子の膝に乗って、胸をつかむ。カズちゃんが、
「こらこら、直人、それはおとうちゃんのものよ。おかあちゃんのでがまんしなさい。オバチャンのもだめ」
 一座に笑いが立ち昇る。トモヨさんが抱き取って、通園前の食事に没頭させる。素子が、
「二人、名大で苦労しとらん? キョウちゃんの知り合いだゆうんで、うるさく寄ってくるやろ」
 睦子が、
「別にだれも寄ってきません。こちらからしゃべりませんから。入学式のときにいっしょにいるところを見た学生は、一度、サインもらってくれないかと話しかけてきたことはありますけど、断ったらそれっきりです」
 千佳子が、
「二人でソフトボールやってるときも、別に話しかけられないわ。結局、身の回りをうるさくしちゃうのは、自分の口ですね」
 主人が、
「きょうは内野席に何人いくんやった? 和子に言われたとおり、一般席の前売り五枚買っといたぞ」
 カズちゃんが、
「五人で合ってる。ネット裏の年間席は、おとうさんと菅野さんと、アイリスの森さん。キョウちゃんはネット裏に気を使っちゃうから、内野席に紛れこんでればわからないでしょう。キッコちゃん、千佳ちゃん、ムッちゃん、イネちゃん、それに私」
 メイ子が、
「島さんは、三十一日の広島戦の初戦、ネット裏で旦那さんたちといっしょに観戦することになってます。私たちは六人で、六月一日のダブルヘッダーの二試合目に内野席で観ることになってます。私と、素子さん、百江さん、天童さん、丸さん、ソテツちゃん」
 主人が、
「その前売りも、きょう買っとくわ」
 ちょうど菅野が入ってきた。カズちゃんが事情を話す。
「いきはみんな電車でいくから、帰りだけハイエースでお願いね」
「了解」
 前売り券を見せてもらう。バットを構える選手の上半身を劇画ふうにあしらった図の余白部分に、

 
CHUNICHI‐DRAGONS
 主催中日新聞・中日ドラゴンズ

 5月29日(木)6時30分 中日×大洋
 内野大人席券 ¥450


 と印刷してある。肌色と白のツートンカラーのシンプルなものだ。図柄に見覚えがある。小山田さんたちに連れていかれた内野席、ダフ屋に売りつけられた内野席。十年前が立ち返ってきた。素子が、
「あ、泣いとる。始まったわ、キョウちゃんの思い出し癖。泣いたらあかん、あたしも泣いてまうがね」
「だいじょうぶだよ。過去を思い出して泣いたんじゃない。むかしこの切符を買ってスタンドに入った自分が、いま野球をしている。それがうれしかった」
 素子の言うとおり、過去を思い出して泣いたのだ。過去に支配されていることがうれしい。不本意な過去から解放され、こうしてやさしい言葉に囲まれているのに、過去に縛られていることがうれしい。まぶたを一拭きして涙は止まった。女将が、
「神無月さんの人生はラクになることがないもんね。つくづく泣けてまうんよ。この切符を切ってもらって、飯場の人と中日球場にいった日のことを思い出したんやね。ええ思い出やったんやろ」
 カズちゃんがまぶたを拭いていた。みんなそれを見てもらい泣きしている。
「小山田さん、吉冨さん、荒田さん、熊沢さん、みんなキョウちゃんを中日球場に連れてってくれたわね。楽しかったころね。いまでも思い出すわ。キョウちゃんのうれしそうな顔。毎晩ガレージのところでバット振ってたわね。何百回も」
 私は微笑み、
「小四の秋から毎日振ってた。中一のとき、腰が痛くて教室で立ち上がれなくなって、岡田先生という野球部の顧問に整骨院に連れてってもらったことがある。病院じゃ治らずに、結局自然に治った。左肘の手術の直前だったな。人より四、五年早くバットを振りはじめて、もう十年も振りつづけてる。中三の秋から高一の春にかけてのそっくり半年間と、西高のあらかた二年間だけはまともに振ってない。あらかたというのは、名城大学付属高校の練習にかなり参加させてもらったからだよ。それでもたぶん、からだはボロボロだ。五年もつかな」
 菅野が、
「もちますよ! 十年でももちます。並のからだじゃないんですから」
「そうだね。その三年間のんびりやったことがうまく効いてるだろうな」
 女将が、
「とにかく気苦労なくやってほしいわ。川上ってゆう人、なんで辞めんのかね。辞めたら神無月さんが襲われるなんてのは、あまりにもその人に都合のええ話やない?」
 主人が、
「欲やな。物欲、金欲、権力欲。そういう欲にまみれとると、ものごとの引きぎわが見きわめられなくなってしまうんや。進退が見きわめられない上司に部下がついてくるわけがない。ナメられるだけやろ」
 菅野が、
「しかし、いままでイヤイヤついてきたせいで負けがこんでたとすると、本気ではついていかないと決めてしまえば、かえって気がラクになって、これからの巨人は勝ちつづけるかもしれませんよ」
「あり得るな。からだの根っこが変わるわけやからな。中日とええ勝負になるかもしれん」
 トモヨさんは直人が胸にこぼした飯粒を含みながら、
「でも、どうしてそんなチームが去年まで四連覇もしたんでしょうね。そのせいで川上さんの権力が絶大なものになったんでしょう?」
 主人が、
「そうや。しかし、今年のキャンプの交流戦と、オープン戦で、神無月さんにビーンボールを投げさしたあたりからおかしくなったなあ。選手たちがふっと彼に対する尊敬心をなくしたんやないか」
「いやな人だってわかっちゃったんですね。いやな人の下では、まじめに仕事をしたくないですものね」


         八十三

 私は一つの疑問を言った。
「そういうことじゃなく、巨人には勝てっこないという劣等感で、ほかの球団は勝手に自滅してたんじゃないですか? 豊富な資金をもとに有力選手をかき集め、常勝軍団を築き上げたチームに勝てっこないという気持ちです。でも、どうもちがうらしいとわかってきた。たとえば巨人のメンバーを考えてください。高田。どこにでもいる外野手です。中さんや菱川のほうがずっと上でしょう。王。ごらんのように、江藤さんが本領を発揮すれば彼の倍もホームランを打てるわけです。黒江。一枝さんや吉田義男のほうがはるかに上でしょう。長嶋。さすがに彼に敵う三塁手はほかの球団にいません。巨人軍を支えているのは彼です。森、槌田、吉田。木俣さんや、野村のほうがはるかに上でしょう。ピッチャー陣。他球団とドッコイドッコイです。江夏や、かつての尾崎行雄、稲尾、杉浦のようなピッチャーは一人もいません。豊富な資金とやらを何に使ったんですか? 潤沢な資金で有能な選手をというのは、ただの能書きじゃないんですか? いや、資金は豊富でも、有力でない選手に使っちゃったんじゃないでしょうか。巨人に勝てっこないというのは幻です。今年、他球団もやっとそれに気づきました。たぶん、中日の躍進がきっかけになっていると思います。巨人にそこまでの幻想を抱いた理由は、長嶋、王の存在と、川上監督のえらそうな態度のせいです。ちがいますか?」
「ちがいません!」
 菅野が叫んだ。ドッと笑いが上がった。私は、
「二月の交流戦以来、川上監督がぼくにつらくあたったわけは、ぼくが幻を抱かない人間だったからだと思います。たぶん彼の人生で初めての人間だった。ほとんどの人間は世間の権威に幻想を抱く。ぼくは抱かない。そこが憎かったんです。彼も幻想を抱いて生きてきた。幻想は是正しようがない。ぼくの母と同様、ぼくに対する川上監督の憎しみは消えません。寺田康男は、人間はみんな歩く糞袋だと言った。人間はみな同じだということです。それなのにぼくを抱擁し、涙を流す情愛を持っていた。同じ人間の中から、特定の糞袋を選んで愛する才能を持っていた。人間のおもしろいところはそれだけです。そのおもしろさを頼りに生きていけます。ぼくはそのおもしろさを求めて生きることが楽しい。幻想を抱く人間は切り捨てて生きていかないと、大切な人間のおもしろさに浸る時間を奪われてしまいます」
 主人が私の手をとり、
「ワシは神無月さんを愛しとりますよ。女房も、和子も、トモヨもここにいるみんなが愛しとりますよ。神無月さんが幻を見ん人やったおかげで、ワシらみんなが救われたんですわ。こんなことがスッと言えるようになったのも、神無月さんのおかげです」
 トモヨさんは私の頬にキスをすると、
「直人を送ってきます」
 と言って、菅野と玄関へ出た。
「いってきます!」
 直人が大声で叫んだ。
「いってらっしゃい!」
 一家で応えた。菅野が振り返り、
「神無月さんに遇ってなかったら、私、幻ばかり見て、人間のおもしろさに気づかずにつまらなく死んでいくとこでしたよ。じゃ、ちょっといってきます」
 カズちゃんが、私の顔を両手で挟みこんで長いキスをした。素子、メイ子、キッコ、百江、丸、天童とつづいて短いキスをした。
「さ、出かけるわよ。五時に上がって、速攻でお弁当作って、ゴー」
「はーい!」
 ソテツが、
「オニギリとサンドイッチ作っておきます」
「ぼくにも一個お願い」
「大きいのをダッフルに入れておきます」
 女たちが出かけたあと、主人がしみじみと、
「神無月さん、いやになったらいつ引退してもいいですよ。神無月さんがいなくなれば球界はさびしくなるやろう。しかし、名馬が引退してもダービーはつづきます。需要があるかぎり、神無月さんの後釜はおりますよ。小粒なね」
 女将が、
「ダービーといえば、神無月さんの三万円で、一日の日曜日に仙石さんから鮨をとらせてもらいますよ。ありがと。三十人分ぐらい握れる言っとったから、店の子の分を入れてもじゅうぶんやろ。一桶トリガイを握ってもらうでね。この季節は水気たっぷりでうまいで」
「センゴクというのは?」
「戦後からやっとる老舗やが。笈瀬通を渡って、すさのお神社のすぐ前。構えは小さいけど、奥が広いんよ。ええネタ使う」
 私は、ごちそうさま、と箸を置き、
「大きな楠木が二本立ってる神社ですね。あのあたり菅野さんと走ったことがあるな。千佳子たちはきょう授業?」
 睦子が、
「はい。木曜日は九時から目いっぱいの日です」
 千佳子が、
「私も。目いっぱいじゃないけど、九時から」
「三、四十分、散歩しない?」
「します!」
「午前の授業はボイコット!」
 牧野公園から太閤通に出る。笈瀬通の信号を渡って、木造家屋が並ぶ道へ。瓦屋根の二階家が多い。青い河童の坐像が祀ってある角地に、猫の額ほどの神社があった。民家の軒先に庭のようにくっついている。注連縄を渡した玩具のような石鳥居と小さな社があるきりの神社だ。思わず見過ごしてしまいそうなほど小さい。向かいの古ぼけた家の玄関に『仙石すし』と染め出した小ざっぱりした暖簾が垂れている。睦子は持参した『愛知縣神社名鑑』という厚手の本を開き、
「一六五三年に疫病流行、一六六○年名古屋城下大火、藩主光友、天王(てんのう)信仰・秋葉(あきば)信仰を奨励し、町々に両神を祀る」
 よく意味のわからないことをまじめに読みつづける。
「延焼対策として広小路ができたんですって」
 千佳子が、
「天王とか秋葉って、なに?」
「疫病を防ぐ牛頭天王(ごずてんのう)と、火伏せの神の秋葉権現。牛頭天王はスサノオの別名よ。読みますね。―明治二年の東京大火ののち秋葉権現信仰が盛んとなり、延焼防止の火除け地を秋葉ノ原と呼んだことから、いまの秋葉原の誕生となる」
「それで、アキバハラが正しい読みなわけだ」
 そんなことぐらいしか思いつかない。
「この場所にまとめて二社を祀るようになったのは、戦後のことらしいわ。ここは牧野五社の一つ。牧野村も空襲で大被害を受けたから二つの社が必要だったわけね。―無謀な開発により境内矮小となる、か」
 私と構造のちがう思考アタマが、単純な哀楽アタマに寄り添っている。快適だ。
「あの河童は、笈瀬川伝説の河童だな。文江さんが言ってた」
 子助け河童の話を少しする。そんな話題しか抉り出せない。心地よい。
「この道は笈瀬川筋ですものね。すさのお神社はこじんまりとした神社だけど、氏子数は二千戸ですって。さすが都会ですね。私、ぼつぼつ五社を回ってみます」
 そうやって深い思考に磨きをかけるのがいい。私はいつも見守っている。
「かっぱ商店街というのがあるみたいだから、いってみよう」
「それも小さいんでしょうね」
「きっとね」
 千佳子がところどころに立っている幟を見て、
「いま通ってきたこの道のことみたいよ、かっぱ商店街って」
「ええ! アーケードがないから気づかなかった。じゃ、仙石寿司から戻りながら一軒一軒見ていくか」
 どうでもいい発見がさわやかだ。古びた町並を引き返す。青果店、クリーニング屋、布団店、犬を連れたハイカラな主婦、青果店、蕎麦屋、和服店、割烹着を着た婆さん、有料駐車場、職種不明の四階建て縦長ビル、少年の自転車、美容院、接骨院、空き地、トタン拵えの廃屋、民家、独り歩きの老人、駐車場、蕎麦屋の原付、不動産、食堂、喫茶店。なるほど、商店街と言えば言えるが、ただの〈通り〉とも言える。
「喫茶モック。入ってみよう」
「長丸のアーチ窓。楽しそう!」
 入ると、瀟洒な構えの清潔な店内だ。調度のツヤがいいのは掃除が行き届いている証拠だ。ステンドガラスふうのランプシェードが三つ垂れ下がり、カウンターの壁のメニューが美しい。客席を設けていないカウンターに、眼鏡をかけたオールバックのマスターが物静かに立っている。ウェイトレス一人。開店したばかりのようで混んでいない。
 テーブル席について、三人ともクリームソーダを注文する。私に緑、女二人にピンクの色ちがいで出てくる。甘い爽やかな味。
「正解」
「正解!」
 千佳子が、
「ジャージ、すてき」
「一億円だからね。これも仕事だ」
 睦子が、
「きのうは一日、たいへんでしたね」
「フロントがすべて処理してくた」
「郷さんは心の寛い人。みんなを助けてあげる」
「助けてるかな……いつも待たせてる。ごめんね」
「私たちに都合なんかありませんから。待ってることは自由です」
「気持ちは自由でも、待つ時間は自由でなくなる。でも、耐えてほしい。プロ野球選手になっちゃったからね。こんなジャージを着て昼日中(ひなか)に街を出歩くなんて、いい大人がやることじゃない。鏡台にある睦子や千佳子の化粧水やクリームは、ちゃんとした生活のために身を飾るものだ。ぼくのジャージはちがう。自分の身じゃなく、企業の外面を飾るためのものだ。ぼくにとって千佳子や睦子たちの意味で装飾品は野球用具だけ。……そういう仕事に就いちゃったんだ。校庭でホームランを打って喜んでいるような立場ではいられなくなった。自分を喜ばせる〈人間〉から他人を喜ばせる〈物〉になった。千佳子や睦子が街をいくと、みんな二人の生身を見る。でもぼくが街をいくと、通りすがりの人たちはぼくを見ない。ぼくのユニフォーム姿や、ホームランや、新聞記事やテレビニュースや、友だちと球場にいった日の楽しさことを思い出す。いまここを歩いている生身の男を見ない。ぼくは中日ドラゴンズの神無月郷という墓標を建てられて、お参りの対象にされちゃったんだ。莫大な給金とフラッシュライトが副葬品。球場のアナウンス、ファンの歓声、大仰な賛辞。墓石になる前の自分の正体を見失いそうになるけど、睦子や千佳子のような後見者がいるから見失わないですむ。後見者たちは生身のぼくを知ってる。知恵の浅い、世間知らずで、グロテスクな、飯場出身の野球少年をね。裸ん坊の神無月郷をね。墓石でない人間としてのぼくをね。……墓石でいる時間が長くなったけど、辛抱して待っていてね。待つことの不自由に耐えてね。待っていてくれれば、墓石のからだに服を着て歩いてくる。逢いたいから。……睦子、千佳子、ぼくという人間を許してくれる?」
 千佳子と睦子は呆れたようなやさしい笑いを浮かべながらうなずいた。睦子が、
「墓石になってしまったというお話、よくわかりますけど、神無月さんを愛してる私たちにはそのほうが安心。外面しか見えない人に〈墓石〉の郷さんに近づかれるのはぜんぜんつらくありません。もともと神無月さんは冷えびえと立ってたし、スターってそういうものです。神無月さんを愛してない人たちにはそういう姿にしか見えないから安心。許すも許さないも、私たちは郷さんを愛してる女なんです。郷さんの皮膚にくっついてる野球用具と同じものです。心を持った野球用具」
 明るく笑って見つめる。千佳子が、
「どうしてこんなに好きなのか、自分でもわからない。青高の入学式の日に、頭の中で何かが決まったの。……最初に見たときから好きだったんだけど、竜飛岬が決定打。あれからずっと胸が痺れっぱなし。これから神無月くんは墓地にいる時間が多くなる。でも墓石のままでいいです。服を着せて連れ出してあげるから」
「そう、裸ん坊が見える服を着せてね。私は神無月さんでありさえすれば、墓石でも裸ん坊でもどちらでいいですけど」
「おたがい逢いたい人間同士だね。そういう人間同士はいたわり合うので、何の問題も起こらない。問題が起こるのはおたがい会いたくない人と接するときだ。会いたくない人には二種類ある。熱烈に思慕しているけど敬遠している人、思慕しているのでもなく人間的にも嫌いなので会いたくない人。熱烈に思慕している人は相手に危害を加えない。ただ熱烈すぎて不快感を与えることはある。でも不快感ですむ。危害を加えるのは、嫌っているのに会おうとする人だ。彼らは会いたくないのに近寄って実害を与えるので不快感ですまなくなる」
「暴漢たちですね」
「うん。野球選手として姿を人前にさらしているかぎり、彼らとの関係にずっと苦しむと思う。苦しむことがつらくなったら、野球をやめるしかない」
 市電が通り過ぎる音がする。睦子が、
「墓石としか見られない苦しみですね。墓石は不死身の感じがするから、したい放題されます。拓本を採られたり、オシッコをかけられたり。やっぱりスターはたいへん」
 自分で言ったことがおかしくて、愉快そうに笑う。


         八十四

 カウンターのマスターとウェイトレスにごちそうさまを言い、金を払って店を出る。太閤通を渡る。モルタル造りの家並。ポツン、ポツン、とビルが混じる。
「市電だけが救いの冴えない通りだ。名古屋駅へいくまでの廊下という雰囲気。何度も通った道なのに、一軒の家も、一軒の店も憶えていない。都会はもちろん、人間の暮らす町はみんなこういうふうだね。近所に十人いたら、一人か二人ぐらいとしか付き合いがない。たいてい代々の特定の付き合いだ。だから、だれが自分のそばにいるかもほとんど知らない。ぼくも野辺地で、幼いころから向こう三軒両隣の人を知らなかった。島流しをされてからも、ばっちゃがよく連れていった遠くの浜の親戚しか知らなかった。人間はもともと他人と付き合いたがらない動物なんだろうね。付き合いたがるのは恋人と親友と近くの知人だけ。その恋人や親友や知人とはどこで出会った? 近所の通りじゃない。付き合いを強制される集団の中でだ。それも、学校の教室ぐらいのものかな……」
「クラブ活動、文化祭、会社……」
「ぼくの場合は、飯場という重要な場所もある。遠く旅先のどこかで偶然出会って付き合う関係になるということもまれにあるだろうけど、皆無に近い」
 睦子が、
「どこであれ、惹かれ合うのは、奇跡ですね」
「うん。だから自分から別れちゃいけない。同じ条件の集団に繰りこまれることは、もう二度とないだろうし、あったとしても同じ人間とは出会えない」
「キスしてください……」
 私たち三人は立ち止まり、人通りの少ない午前の道でキスをした。
 牧野公園のベンチで一休み。千佳子が、
「小山オーナーが人格って言ってたけど、人格ってどういうものなのか、いまひとつわからないわ」
「ぼくも何度か考えたことがある。資格の〈格〉、人格の〈格〉。言い換えれば、大勢の人間の中で頭角を現した〈立派さ〉のことなんだろうけど、そんな普遍的で大げさな名前をつけられるものは、万人を感銘させる場合にだけ偉大だし、それらしい意味も持つんだ。一部の人に好まれるスケールの〈立派さ〉なぞ、気分の爽快さ程度の効能しかない。試験の一番、名門校、一流企業、富裕階級、高い身分、すべてそう。あいつは〈立派な〉やつだ―。だいたい、それだけ〈立派〉の種類があったら、あの人格、この人格のスケールをどうやって〈格づけ〉するんだ? どの種類に頭角を現わせばスケールの大きな人格になるんだ? そんなものを、信じていた時代がぼくにもあった。いまはちがう。大切にしているのは、人間というすばらしい生きものに対する好奇心と愛情だけ」
 二人で私の一つずつの手を握る。睦子が、
「郷さんは過去をとっても大切にしてますけど、それに背中を押されて前に進む感じですか?」
「うん、推進力。過去を思うとき、エネルギーに満ちた深い孤独感に襲われる。この不思議な孤独感は何だろうって思う。その精力的で貴重な孤独感に不思議さを感じていなかったころ、ぼくはその孤独を不本意なものと思いこんで死のうとした。……間一髪山口に救われた。―せっかく生き延びた命を不本意な過去にくれてやるのはもったいない、すばらしいあしたにあげなくちゃ、と最初は思った。ところがぼくには過去こそすばらしいもので、ちっとも不本意なものじゃなかったと気づいたんだ。過去にこそ命をくれてやると決めた。……不本意な過去こそ、エネルギーに満ちた郷愁のもとだったんだ。気に入った満点の過去なら、ここまでなつかしく思い出すはずがない。不完全な過去の中で、愛情深い人たちはぼくに完全であれと願って最大の愛を注いだ。その思い出こそ貴重なエネルギーなんだよ。その人たちにはもう会えない。少なくとも手段を尽くさなければ会えない。それが孤独と涙の源だ。孤独と涙がぼくを未来に進めてくれる」
「その過去に私たちもいますか?」
「もちろんいる。燦然と輝いてね。その光のまま、いまもいる」
 千佳子が抱きつく。
「ああ、きょうもいいお話を聞けた! 愛してます」
「私も!」
 睦子もひしと抱きつく。
 十時過ぎに北村席に帰った。トモヨさんの離れの門から入る。主人と女将が菅野と何やら仕事の話をしていた。
「早かったやないの」
 女将がうれしそうに笑う。
「喫茶店に寄って、ソーダ水を飲んできました。菅野さん、きょうの先発予定、新聞に書いてありましたか?」
「書いてませんけど、高橋重行でしょう。せっかく早く帰ってきたんだから、いまから走りましょうか」
「そうしましょう。裏から出ますよ」
「どこへいきます?」
「どこを走っても同じだけど、車通りの少ない道となると、このあたりをクネクネ走るしかないですね」
「私もそれがわかってきましたよ。自転車なんか使わずに、牧野公園から、中島町、若宮町、大門町あたりまで適当に流しましょう」
「おまかせします」
 高橋重行からはホームランを二本打っている。しかし今シーズン唯一の三振も喫している。トモヨさんが、
「コーヒー飲んでからにしたらどうですか?」
 菅野が、
「どうぞ、神無月さん、コーヒーやってて。トランクからジャージ取ってきますから」
 睦子たちは大学へ出かけていった。
         †
 離れの裏口から、小型自動車が二台すれちがえるほどの細いアスファルト道を走りはじめる。瓦屋根の民家の並びに、真新しいマンションがはまりこむ。郵便配達員のスクーターが通る。防犯の腕章をつけた婦人警官の自転車が通る。人はほとんど歩いていない。駐車場、アパート。心が安らぐ。
「午前の見回りはいいんですか」
「社長がいってます。このごろは面接がないんでラクなんですよ。女の子の給料計算が主な仕事です」
「給料ってどういう仕組みなんですか。大雑把なことは、座敷で耳に挟んだことがありますけど」
「基本給なしの歩合制です。接客した人数で一日の稼ぎが変動します。接客一人一時間四千円、バック率は北村の場合六十五パーセントです。二千六百円ですね。ふつうの店は五十パーセントです」
「ピンハネ半分かァ」
「うちにきたがる子が多いのはそのせいです。雑費と言って、タオルやローション代など、給料から五パーセント天引きされます。一日一人を相手にすると、いまの計算で二千四百七十円。五人だと一万二千三百五十円。月二十日働いて、手取二十四万七千円。千鶴ちゃんみたいに一日平均七人を相手にすると、その二十五パーセント増しです。三十一万くらい。一人も客を取らなければ、その日はゼロ収入になります。一日一人相手にしただけで、月給五万近くになりますから、欲のない子はそうやって暮らしてます。北村は三十五パーセントのピンハネ料で、設備費、光熱費、店や寮の使用人等の経費をすべて賄ってます。純益は総売り上げの十パーセント程度です。だいたい一カ月一千二、三百万円ですね」
「一年で一億二、三千万。大がかりなわりには、案外少ないですね。このジャージ着てるだけで一億円ですよ。申しわけない」
「雇用主の資金がちがいます。ましてや日本一の選手に支払う報酬ですから」
 クネクネ走るよりやっぱり直進してしまう。景色が似たり寄ったりだから、直進しても曲がっても感興が新たにならないからだ。浅野の亀島のあたりを除けば、どこも新築の家が建てこんでいる。ときどき、戦後を引きずってきたようなトタンの家も混じっている。八坂荘からつながる環状線に出て、直進路が途絶えた。左折して、復路にぶつかるまで走る。太閤通にぶつかった。中村区役所前。あっけない。菅野が、
「もう帰り道ですよ。このまま戻りますか」
「戻りましょう。走りすぎはよくない」
 空が翳った。薄曇になる。背の低いビルとモルタルの二階家がつづく。市電が通る。車輌番号は61。カバンを襷に掛けた車掌の帽子姿が車中に覗く。空を見ると、電線が縦横に架け渡されている。
 丸首、袖なしの白いセーターに黒いミディのスカートを穿いた女が、買い物籠を提げて商店街に入っていく。髪型は五年前の節子だ。あの髪型は看護帽を載せるためのものだと思っていた。流行だったのだ。でもなつかしい。うどん、そば、きしめんの看板。
 竹橋の信号まで戻ってきた。見慣れた風景に戻ってくるとこんなにホッとするものなのか。芭蕉は、旅の目的は帰ってくることだと言ったと、西高のガンジーが言っていた。そのとおりだ。牧野公園へ向かう。アヤメの建設予定地が整地を終わって、木枠つきのコンクリートの土台が敷き渡されている。
「八月開店に間に合いそうだね。カズちゃんといい、法子といい、すばらしい商才だ」
「社長もそうです」
「才能と呼んでいいのは、生活に直結してる商売人の才能だけだね。才能の中で唯一慰みものにならない」
 園内に入りベンチに坐る。
「菅野さん、人間はみんないっしょだと思った瞬間がありますか」
「……ありません。骨があって、肉があって、皮がある。そういう構造的なことで平等を感じたことはあります。でも、しゃべることも、考えることも、運動することも、みんなひとしなみにやりますけど、同じではありません。同じでないことが重要なんじゃなくて、その内容にすぐれた人のいることが重要なんです。寺田康男さんは、人間はみな糞袋だと言ったそうですが、差別して神無月さんを抱き締めています。構造的には同じだけれども、すぐれ具合がちがうということです。よく神無月さんのことをキンピカと言ったそうですね。それです。人は平等ではありません」
「能力、才能といったことですね。その不平等性はわかります。アインシュタインもいれば、トルストイもいれば、アベベもいる。でも、だれかがだれかを愛しているという、否定できない事実に引きこんで考えれば、ほのぼのとした平等性が確立していると言えるんじゃないですか。社会生活をするには、それだけの条件で足りる。能力や才能は愛情の条件じゃない。愛情を彩るものと思うでしょうが、愛はそれだけで純粋に成立するもので、何の彩りも必要としない。菅野さんも、ただぼくが好きなだけのはずです。ぼくも同じです」
「……ありがとうございます。人を愛する心を持っているという意味で人間は平等だということを、これほど温かく説明できる人はこの世にいません」
「帰りましょうか。汗を流して、昼めしだ。人は、食って、寝て、しゃべって、セックスをして、能力に見合った仕事をして生きてる。そうやって生きてる実感を確かめながら生きていくしかない。さびしくも悲しくもない。好きな人がいて、愛があるから」
「はい……」
 裏門から帰る。主人が戻っている。カズちゃんたちも戻っている。
「ただいま」
「お帰りなさい!」
 いっせいに言う。
「シャワー浴びます。菅野さん、いこう」
「はい」
「トモヨさん、新しいジャージ」
「下着といっしょに置いてあります」
 シャワーを浴びながら菅野が、
「井手という選手はちっとも出てきませんね。野球じゃなく、帝王学でも学んでるんですかね」
「飛島さんみたいな帝王にはなれないと思います。日本の教育というのは上にいくための教育で、上にいって何をすべきかという教育じゃない。何かをするためには、常套の教育ではなく、相応の訓練が必要なんですよ。飛島さんはそれをやってます。井手さんは二軍で無能をさらしながら野球に打ちこんでる。結局何にもなれないでしょう。何をしに東大にいって、卒業までしたのかわからない。大洋にいった東大のエース新治は、最初はきちんと大洋漁業に入社して、優秀なサラリーマンとして出発している。そこから子会社の大洋ホエールズに出向という形で入団している。身分はサラリーマン。二年間で九勝を挙げた。学生時代の八勝よりも多い勝ち星です。プロ生活を堪能したでしょう。去年退団して親会社に復帰。これからはエリートサラリーマンの道をひた走ることになります。上にいって何をすべきかを知っていた例です」
「上にいくことだけを目標にする人間を作ってきたのは、政治家たちですよね」
「そうです。日本社会を牛耳ってきた権力者たちが、教育をそういう方向へ持っていったんです。自分の意思を持たずに、機械のように働く人びとを増やすためにね。そうやって日本は経済大国になってきました。お父さんや菅野さんのように、あるいはカズちゃんや法子のように、自分は上に立ったら会社をこういう方向へ変えていくというプランを持って働いている人はじつに少ない。そもそも、そういう考えを持っている人は危険分子と見なされ、たいがい途中で飛ばされてしまう。そういう風土が日本には色濃く残っているんです。とどのつまり、人に使われずに自分で商売をやるしかない。ノブレス・オブリージという言葉を聞いたことがありますか」
「いえ、ありません」
「上に立つ人にはそれなりの責任と義務がある、という意味です。日本の高い地位に立つ人の中で、そういう責任と義務を果たしている人がいったいどれほどいるでしょうね。儲けることはたしかに生活の基本だけれど、そこからもたらされる人間的な応用問題がさらに重要だというポリシーを持っているトップはまずいない。中日ドラゴンズのフロント、水原監督といった上位に立つ人たちは、そのポリシーを持っている例外的な存在です。たしかにポリシーを打ち出して見せる経営者もいるでしょう。でも、そういう振舞いは他人に役立てるためのものではなく、自分の地位を維持するためのものだったりします。トップがそんなふうだから、企業だけではなくスポーツの世界にもエゴが滲みわたっているんです」
 シャワーをすまして食卓についた。どんぶりめしを片手に、ミョウガの味噌汁をまず含む。はらわたに沁みる。アオジソの天ぷら。うまい。グリーンアスパラ。マヨネーズをつけてカリカリ齧る。サヤインゲンの炒めもの。好物だ。生キュウリを醤油と味の素で。ナス、シシトウの焼きもの。肉詰めピーマン。ラッキョウを三粒。ホタテ刺身。カツオの刺身。鮎の焼きもの。


         八十五

 中日対大洋十一回戦。六時十五分。試合開始前の和やかだが緊張したひととき。ベンチの奥で、ソテツの大きなおにぎりを齧る。
 大洋ホエールズのスターティングメンバー発表。下通のいつもの澄んだ声が流れる。一番レフト重松、二番ファースト中塚、三番センター江尻、四番サード松原、五番キャッチャー伊藤、六番ライト近藤和彦、七番ショートロジャース、八番セカンド近藤昭仁、九番ピッチャー高橋重行。
 中日ドラゴンズのスターティングメンバー、一番ショート一枝、二番センター中、三番ファースト江藤、四番レフト神無月、五番キャッチャー木俣、六番ライト菱川、七番サード太田、八番セカンド高木、九番ピッチャー水谷寿伸。水原監督の約束どおり水谷の先発だ。早い回に打ちこまれれば小川が出てくる。
 戦う楽しさ。少年野球にしても、高校野球にしても、〈勝つ〉ことばかりを唯一の目標に据えて、持てる技術をぶつけ合いながら〈戦う〉楽しさを教えない。指導者のほとんどが、勝ちたいなら俺の言うとおりにやれと命令する。一人ひとりの技術を尊重しようとしない。と言うより、そんなものはないと馬鹿にしている。
 勝とうが負けようが、技術を駆使し合って戦うことが楽しいのであって、勝つことが楽しいのではない。勝つ喜びを人は第一に求めはしない。人が野球を好きだと言うとき、勝敗は頭になく、投げたり打ったりしながら野球の試合をするのが好きだということを意味する。戦いを楽しむことのできる大前提は駆使する技術があることだ。それがないと、関心が勝敗にだけ集まることになる。ドングリの背比べとはよく言ったもので、勝ち負けにこだわるのはたいていドングリだ。高校野球が、とりわけ甲子園野球がその最たるものだ。 
 きょうも、ものものしい警備に護られて球場に入った。人垣から暖かい声援を浴びた。手を挙げて応えた。フリーバッティングの声援にも、守備練習の声援にも、手を挙げて応えた。野球を愛する人びとに、持てる技能をすべて披露しなければならない。
 眼鏡をかけ、守備に走る。睦子のけぶるような視線を思い出しながら尻ポケットのお守りに手をやる。芝生の緑がカクテル光線に映える。空が薄紫になる。
 水谷がマウンドに上がった。江藤と同じ十一年選手。ピッチャーにしては、少し肉がつきすぎている。口もとに締まりがない。大人しいフォーム。球は速い。
 一番重松。初球、スピードの乗ったストレートが無雑作に真ん中に入った。
「あ!」
 思わず瞬きした。パンチングショット。バットを投げ出し腰の回転だけで打つ野村克也の打ち方だ。中も私も少し後方へ走りかけただけで、打球を追わなかった。あっという間に白球が左中間の前列に飛びこんだ。百六十六センチ、七十二キロ。ボールをスタンドまで飛ばす能力は、体格と関係しない。力感あふれる小さなからだがダイヤモンドを回っていく。
「重松選手、第三号のホームランでございます」
 もう三本も打っているのか。二番中塚、外角シュートを打ってショートへ強いゴロ。一枝軽快にさばいてワンアウト。三番江尻内角カーブを打って、詰まった一塁ライナー。四番松原、フォアボール。五番伊藤勲、真ん中低目のストレートを私の前へ痛打。六番近藤和彦、フォアボール。ツーアウト満塁。七番ロジャース、空振り三振。一点ですんだのはラッキーだった。水谷寿伸は二回から交代だろう。一回裏に大量点を取っておいてやっても、先発投手は五回をを投げ切らなければ勝利投手の権利を得られないので、水谷は涙を呑むことになる。二番手以降の最大貢献者が勝利投手だ。その判断基準はいちばん長く投げて逆転されなかった投手ということになる。
 一枝を一番に持ってきたのは初めてのことだ。彼はとにかくヒットをよく打つので、水原監督は〈一回大量点〉をもくろんだのにちがいない。案の定、内角から曲がってくるカーブを素直に打ち返してセンター前ヒット。一枝はまず走らない。中、ノーツーから三塁前にセーフティバント。きれいに決まってノーアウト一、二塁。江藤、ツースリーからフォアボール。ノーアウト満塁。おあつらえ向きの展開だけれど、ホームランを打てるとはかぎらない。球審はきのう三塁塁審だった竹元。ヘルメットのツバを軽く上げて挨拶する。むろん応えない。
 バックネットを振り返り、それからカズちゃんたちがいるはずの内野スタンドを見る。ぎっしり人が埋まっているので、どこにいるのかわからない。いた! ベンチ上スタンド中段に雛人形のように並んでいる。
 高橋重行初球、外角高目の外し球。速いストレートだ。ボール。二球目、内角にするどく曲がり落ちるカーブ。ストライク。曲がりこみが強かったので打ってもファールだったろう。彼の自信のボールはストレートだ。ツーストライクを取ったあとかならず投げてくる。三球目、外角へ流れるシュート。ぎりぎりストライク。ツーワン。ここからだ。次はまちがいなく内角高目のストレート。四球目、外角へ浮き上がるシュート。最初の外し球のそばだ。読みが外れたけれども、打たなければ見逃し三振になる。左掌でバットを押しながら強く投げ出す。コーン! という軽い音がした。高く舞い上がる。芯にめりこませたのではなく、芯をかすった感じだ。小さな重松が上空を見上げながら追いかける。塀にくっつく。あきらめた。ポトッとポールぎわに落ちた。線審の手が回る。百メートルも飛んでいないホームランだけれども、われながら技術的にかなり卓越した打ち方だった。太田一塁コーチとタッチし、満足しながら三つのベースを回る。水原監督とハイタッチ。
「エクセレント! 高橋のスピードを利用したね」
「はい!」
 江藤ががっちり抱擁する。
「神無月選手、第六十六号のホームランでございます」
 出迎えの全員と握手していく。大量点のきっかけを作るグランドスラムだ。半田コーチのバヤリースを断る。一対四。
 木俣ライト前、菱川ライト前、太田右中間二塁打と連続長短打で二点。ここで八番に下がった高木がシンカーを捕まえてレフト中段へ十四号ツーランを打ちこんだ。一対八。
 ピッチャー交代。サウスポーの平岡一郎。たぶん初対決だ。いやつい最近一回顔を合わせている。四対四の引き分けの試合だった。球種は忘れたが、レフトフライに打ち取られた。水谷の代打に出た葛城、二球目のドロップを打ってサード小飛球。一枝、ツーツーからドロップを打ってサードゴロ。中、初球内角低目ストレートを打ってファーストゴロ。十一人の一回のお仕事が終わった。
 二回表。小川が登板すると思っていたら、門岡だった。ボールは遅いが、コースをついた丁寧な投球でよく踏ん張り、二回から九回まで打者三十三人、被安打六、四球三、みごと無失点に抑え切って初勝利を挙げた。
 大洋も二回裏から八回裏まで平岡と池田が四回と三回に分担して投げ、被安打五、四失点と踏ん張った。私は初打席以外の四打席はすべて敬遠気味のフォアボール、江藤はサードライナーと敬遠気味の三フォアボールだった。二回以降の中日の四得点の内訳は三本のホームランで、フォアボール(二盗)の私を置いて木俣の十三号ツーランと、同じ回に菱川の十四号ソロと太田の十一号ソロだった。一対十二でα勝ちした。
 試合後、水原監督がロッカールームに顔を出し、
「インタビューも簡略なものになってきたよ。雲行きは怪しいぞ。金太郎さんと江藤くんは、これから打席の三分の一は打たせてもらえなくなる。とくにランナーがいたら歩かされる。その分、ほかのメンバーにがんばってもらわないといけない。しかもホームランでドカンだ。クリーンアップを塁に置いてドカンという変わった野球になる。これからは連敗もあるかもしれないね。心してほしい」
「オース!」
 菱川が、
「連敗がありますか」
 田宮コーチが、
「大量得点が望めなくなるんだ。慎ちゃんや金太郎さんの前にランナーが溜まれば、フォアボールで出される。みんなでドーンと返すしかない。返せりゃいいけど、返せないと負ける」
 太田コーチが、
「ランナーなしなら、三、四番にも打たせてくれるだろう。ランナーがいても、プロらしいプライドを監督が持っていれば、勝負してくることもあるけどね。ピッチャーは勝負したい生きものなんだよ。監督がピッチャーまかせなら、これまでどおりホームランも打点も増えるだろうがな。二人とも、一試合二つのフォアボールは覚悟しないと」
 江藤が、
「ワシはついでに怖がられとる気がするばってん、打点を稼げんのはつらか」
 水原監督がさびしそうに笑って、
「潔さのないプロ野球界がいやになるね。みんな、がまんしてください。金太郎さん、江藤くん、フォアボールになりそうときは、ボール球を凡打すればいい。それが重なればみんな勝負してくるようになる。金太郎さんは敬遠のボールを空振りしたくらいだからね。……平松のように目を覚ます選手だって出てくるはずだ。とにかく、全打席、一回は振るようにしてほしい」
「わかりました」
 宇野ヘッドが、
「三十敗ぐらいしないと、まともに戦ってもらえないかもな。AクラスだろうがBクラスだろうが、どのチームだって一つでも勝ちたいわけだからね。うちはすでに三十二勝だ。強すぎるのもつらいものだなあ」
 水原監督が、
「わざと負けちゃだめだよ。連盟が不正試合に目を光らせているからね。負けるなら、敬遠のボールを振ったり、クソボールを振ったりして、〈努力して〉負けないとね。負けがこんできたらまともに勝負してくれるようになる。そしたらまた勝ちはじめればいい」
         †
    
もう笑うしかない怖がられ方
      
神無月五打席一本塁打(66号)のあと四連続四球
 五月十七日から十八日にかけての広島二連戦の五連続敬遠を思い出した。初回の攻防で一対八と大差がついて、その後も僅差の展開にはならなかったし、首位打者や本塁打王がかかっている試合でもないのは言うまでもない。勝負すればかなりの確率でヤラレる、勝負しなければヤラレない。結局勝負しないことになる。チームの勝利がかかっていない場面でもこれが繰り返されるということは、最終的に投手の体面がかかっているということになる。体面を潰されることが怖いのだ。
 くさいコースをついての四球ではない。キャッチャーはしゃがんでいるが、バットは届かないといった擬似敬遠である。一塁が空いていてもいなくても、徹底して歩かされた。一塁上の神無月は相変わらず微笑を浮かべていた。球史に残る強打者の宿命として受け入れるしかないというふうに。
 第一打席、外角ギリギリのシュートをチョンと叩いてレフトポール際に落とす技ありのホームラン。たしかに一振りで試合の流れを変えられる神無月は脅威以外の何者でもない。脅威は回避するにかぎる。しかし、観戦料を徴収される観戦者にとってプロ野球の存立の基本とは? 他の脅威にみずからの脅威をぶつけて対決し合う有能者たち、そういう彼らを目撃する醍醐味ではないのか。
 記録の話になって申しわけないが、けっしてこの状況を正当化しようとして言うのではない。四球禍は球史的に古いものだというに過ぎない。これまで一試合四球五個を記録した選手は六人いる。昭和十一年中部日本ドラゴンズの鈴木実、十三年大阪タイガースの和製ディマジオこと四球王の山口政信、十六年中日ドラゴンズの大沢清(大沢啓二の兄)、十八年中部日本ドラゴンズの古川清蔵(俊足。本塁打王二回)、二十五年読売ジャイアンツの山川喜作(小型水原と称された)、二十四年の南海ホークスの四球王安井亀和。鈴木を除けばいずれも注目に値する打者であったが、むろん強打者神無月には遠く及ばない。そして、少なくとも彼らは敬遠されたのではなく、コントロールミスか選球眼によって、正真フォアボールで出塁したのである。
 めげない神無月は、第二打席平岡から四球で出されたとき、一日の四球攻めを予想してか、激走して見せた。つづく木俣の打席の二球目に好スタートを切った。トップスピードに乗り、すばやいスライディングでセーフの判定を受けた。起き上がり、近藤昭仁の偽タッチにみずからアウトの右手を挙げておどけて見せた。すばらしいファンサービスにスタンドが沸いた。打たせてもらえないなら別のショーで喜んでもらおうという心意気だ。今シーズン五個目の盗塁成功だった。
 日本の絶賛の報道ばかりでなく、次元を超えた活躍だと讃えるアメリカの報道は神無月の耳にも入っているはずだが、彼にはどこ吹く風という表情しか見えない。ただできることをやっていると信じているだけで、自分のことをすごいと思う感覚はないようだ。心和やかに見守っていられる世界最強の打者である。



         八十六

 監督、コーチたちが危惧した事態は起こらず、五月三十一日、六月一日ダブルヘッダーの広島三連戦を三連勝した。根本監督が〈プロらしいプライド〉を持って戦ってくれたからだった。三試合とも一点差で勝った。二対三、一対二、四対五。大差勝ちにならなかったのは、ピッチャーが真剣にコースを狙ってくるので、チーム全員が、内角に詰まり、外角につんのめって、さんざん打ちあぐねたからだ。私に対しては十二打席ともほとんど四球を意図したような配球だったが、すべて振りにいき、十二打数六安打、二塁打二、シングル四、ホームランゼロ、打点六、フォアボールなしだった。三試合連続でホームランが出なかったが、何の不安もなかった。
 初戦十回戦の外木場には初打席で、高目のストレート、バックネットファール、スライダー一塁スタンドファール、スライダーチップ空振りで三球三振を喫した。今シーズン二つ目の三振になった。その後の三打席は、ライト前ヒット、レフト前ヒット(打点一)、センターフライだった。
 日曜日十一回戦の大石弥太郎には、右中間二塁打(打点二)、ライトフライ、ライトライナー、レフト前ヒット、十二回戦の大羽進には、レフトオーバー二塁打(打点二)、サードゴロ、ライト前ヒット(打点一)、セカンドゴロだった。
 悪球打ちに慣れている江藤は、すべてのボールをバットに当てて、みごとに何本かヒットにした。彼は三試合で打点四を挙げた。私とともにホームランもフォアボールもゼロだった。一枝、高木、木俣はシングルヒットを打ちまくった。その他の選手に当たりは出なかった。きびしく攻めこまれたからだった。三試合でフォアボールは中と太田の二つだった。ホームランは一人も打てなかった。プロのピッチャーが真剣に投げればこういう結果になるのだと知ってうれしかった。
 勝ち投手は、小川、田中勉、山中。全員完投だった。負け投手は、外木場、大石、大羽の三本柱。どの試合も二時間半もかからずに終わった。ヒーローのいない試合後のインタビューも、毎回水原監督相手のきわめて手短なものだった。
 二日間とも菅野の運転するハイエースで帰路に着いた。ハイエースはフロント二席、乗降ドアの関係で二列目は二席、三列目と四列目は隘路に区切られて三席ずつになっている。四列目の後ろにはトランクスペースもきちんとある。私はいつも二列目に座る。三列目と四列目で女たちが仲良く賑やかにやっている。菅野が、
「三試合とも二時間チョイで終わりましたね」
 主人が、
「野球をするように生まれついたんだから、楽しくて、時間は考えもしないやろう。重労働なのにな」
「短い時間で終わる試合は気分がラクです。労働をしている意識はないので、何時間の試合でもかまわないんですけどね。練習も同じです。一日中野球をやっていても、拘束されていると感じない」
 言ってしまってから、ハタと考えこんだ。
 ―バットとグローブをいとおしみながら、夢中でボールを追いかけていた小学校の校庭。たしかにあのころと同じ感覚だ。
 ……小学校の校庭と同じことを同じ気持ちでやっているのに、法外な給料が支払われる。棚からぼた餅とか、僥倖などという生やさしい認識では、この目覚ましい事実に対応しきれない。胸の底に違和感がある。人と話し合い、人と抱擁し合っているときに感じる馥郁とした充足感を侵害する違和感だ。どうしてだろうという不安に打ちひしがれる。
 労働で得る金はすべて、かつがつであれ、余剰があるのであれ、人が生活していくための手段にすぎない。労働を必要とされることで生計が成り立ち、生活が保証される。金そのものがほしいわけではない。ほしいのは生活だ。そこには生活のレベルを争おうとする欲求はない。
 ところがどういうわけか(気質のせいにちがいないが)、競争を好み、金そのものを人間の格差として希求する人びとが現れ、金そのものを目的に変じ、暴力的な強引さで人を頤使する権力を得、その権力をもって人びとの慎ましい生活を金の高で優勝劣敗を争うレースに置き換えようとする。それを社会体制にまで進展させ、学校の試験のように課されつづける等級づけのレースとして定着させ、そのレースに参加することを暗々裡に強いるようになる。レースに参加しない者は競争失格者として切り捨て(彼らは巷間の無宿者となる)、参加者には競争能力レベルに見合った報酬を与える仕組みを整えていく。優勝者に多く、劣敗者に少なく―。その報酬でレース参加者は自分に見合った生計を立てる。
 しかし、生計のやりくりが群を抜いてうまくいったことに喜ぶほかに優勝者の感激はなく、手放しの幸福感や充足感といったものはない。獲得金額に関係しない要素を考えるかぎり、優勝者のレース参加は幸福感や充足感をもたらさない。競争能力の優劣に関係しない、人間固有の感情の充足という点では、レース参加で彼らにもたらされるものは極めて少ないということだ。
 もっと宿命的な、もっと冷たい、生れてしまったせいで強制されることになった人間的な等級づけはそういう社会体制の埒外にあり、資格試験に参加する義務もなければ、行なわれている気配もない。埒外にいる人間は、めいめい社会レースの埒外にあることを〈感情的な充足のための遊び〉と認識している。私は、いや私の愛する彼らも―レースに足をどっぷり浸けながら、埒外のオアシスへときどき逃げていく。それができるのはたぶん社会レース参加者としての彼らの等級が〈優勝者〉と規定されているからだろう。
 等級づけの価値を問うことは難しい。おそらく人間そのものの等級づけには本来価値がない。動物には食物連鎖のランクづけがある。そしてそれがそのまま生存に関わってくる。命懸けの競争に勝ち抜くために彼らはそのランクのもとで工夫して生きる。人間は、戦争を代表とする純粋な権力闘争以外は、勝っても負けても生命を脅かされることはない。だから、生命の維持に関するかぎりは、強制的なレースに勝ち抜いて等級を上げる必要もなければ落伍して等級を下げる必要もない。レース失格者として捨てられても、命は奪われない。
 ……そういう状況で、レースに勝ち抜いたわけでもない本来的な〈優勝者〉に法外な俸給が支払われる。くどいようだが、私にかぎらず、一握りの労働者が報酬の代価に諦念と義務感を差し出さずにすむのは、集団の等級づけのレースに参加する以前に優勝者として選別されていたからだろう。したがって彼らにとってそれ以降は、報酬を二義的なものに、個人的な技量を一義的なものに据えて、有能さを〈観せる〉特異な〈遊び〉をすることになる。
 ―カネはときに人を変える。少なくても多すぎても。
 それが常識のようだけれども、彼らの常識にはない。二義的なものにしては多すぎると感じるだけだろう。
 ……プロ野球は? ふつうの会社組織とちがって、プロ野球選手と親会社との関係性をフアンが意識することはない。企業同士の等級が定まらなくても、個人間のレースという名の〈遊び〉を喜ぶ人びとがいれば、プロ野球選手という職業は成立する。すぐれた技量と、一戦一戦完結する勝ち負けを娯楽として観せればそれで足りる。企業経営がつづくかぎり、有能な個人に依存する勝ち負けの総和は、企業体の〈格〉に関わってくる。すぐれた〈社員〉が多いことはそのまま企業体の格を決定づける。格は社員を飼っている親会社の真剣な商売に響くものであって、企業に飼われている意識もなく遊び気分で技量を発揮している優勝者個々の日々の生活には響かないのが道理だ。響くと考えるほうがおかしい。優勝者は企業体がつづくあいだだけ、その企業レベルの給料をもらいながら付き合って遊んでいればいいだけだし、遊んでいる人間が遊ばせてくれる雇い主の格を云々するなど笑止だからだ。ただしすぐれていない社員は、名門大学と学生との関係のように、格を求めて齷齪することがあるかもしれない。彼らは遊んでいられないからだ。
 商売人はなぜ格を求めるのか。適度以上に商品が売れることを望むからだろう。適度以上が格になるからにちがいない。つまり商売人は適度以上の格がほしいのだ。適度以上を格と見なす社会を人間が作り上げた以上、優勝者はそれに逆らわず、ちらと参加して見せて、心を寄せないことにするしかない。彼らが勝手に決定した報酬は素直にいただくことにしよう。金額に違和感はあっても、拒絶せずに受け取ることは私の良心を傷つけるものではない。
「いつごろマジックが出ますかね」
 菅野の言葉に、考えがフンギリよく中断した。
 優勝―いま心から優勝したいと私が思うのは、企業体の格を決定づけてやる優勝など虚しいと知っている水原監督を喜ばせたいからだ。彼はこう言うだろう。
「一度だけ虚しいことをしてみました。勘弁してください。私個人の誇りにはならないんですよ。こんな虚しいものを礎にして威張り腐っているやつらの鼻を明かしてやりたくてね。それ以上の意味はありません。ドラゴンズの親会社のことじゃないですよ。彼らは威張り腐ってませんから。今年は、野球をしているだけで幸せな連中を駆り立てて、意識して、意味のない虚しいことをやりました。選手たちは理解してますよ。この先何度優勝しても、それは意識してやったことではなく、野球好きの人間に野球の神が酬いる自然のご褒美だと思ってください。しかし、遊び人の多い今年ほど優勝がうれしいことはありません。しっかり遊んで野球をして、みごとに優勝したんですからね」
 だからこそ私は彼といっしょに虚しい結果を喜びたいのだ。
 私は菅野の後ろの座席で顔をほころばせた。菅野が振り向き、
「うれしそうですね、神無月さん。三試合ホームランが出なかったことですか? 神無月さんに合わせてドラゴンズのだれ一人ホームランを打ちませんでしたね。広島は六本打ちました」
「足並を揃えすぎですよ。愉快だ」
 カズちゃんたちがガヤガヤやっている。
「ぜんぶ一点差のゲームよ。上品な感じ」
 素子が、
「第一試合で四本も広島のホームランを見れたし、試合は勝ったし、文句あれせんわ」
 睦子が、
「衣笠選手のホームラン、レフトスタンド一直線でしたね。きれいだった」
 主人が、
「野球らしい野球を観たというところですか。ホームランを一本も打たずの三連勝は、たぶん今年最初で最後でしょう。特に神無月さんがホームランを打たないで連勝するなんてね」
 千佳子が、
「神無月くんがベンチでバヤリースを飲んでる写真、このごろ一般紙に広告されるようになりました。すごい売れゆきらしいわ」
「薄いオレンジジュースで飲みやすいんだ。ついこのあいだまで半田コーチがポケットマネーで仕入れてたんだけど、いまはスポンサーの無料提供だ」
 主人が、
「門岡がついに一勝を挙げましたね。初年度に十勝十敗。スライダー、フォークの投げすぎで肩やられて、それからは泣かず飛ばず。おととし九勝九敗で少しばかり復活したんですが、また去年三勝で泣かず飛ばず。きょうもようやく変化球で凌いでたなあ。先発の柱にはならないでしょうね」
「そうですね」
 下あごの長い門岡の顔を思い出した。長身なのだが威圧感がない。菅野が、
「大分高田高校のエースだったんですよ。野球部を退部したあとでないとプロ球団と交渉しちゃいけないという〈佐伯通達〉を破って、三十五年に大毎から五百万受け取って入団内定、それを知ったドラゴンズに脅しをかけられて、翌年甲子園で一回戦負けした直後にドラゴンズと契約。これまた退部前なので規約違反。当時は大騒ぎになりました」
「つまらない話だなあ。金に目がくらんだのは家族でしょう」
 主人が、
「そうです。門岡の兄がオリオンズでピッチャーをやってた関係もありましたけどね。十勝挙げた入団当時は、シュートが速くて、キャッチャー江藤のお気に入りだったんですよ。門岡もやっぱり濃人酷使の犠牲者です」
 キッコや優子たちはただ微笑みながら話を聞いていた。
         † 
 その夜、初めて睦子のマンションに泊まった。もともとトモヨさんのマンションだったので、目新しい感じはなかった。北村席からマンションまで、夜風に吹かれながら睦子と並んで菅野の自転車を漕いでいった。
 見慣れた部屋構えだったが、トモヨさんのころとちがって自炊の設備が整っているのをめずらしく眺めた。食器も二人分、風呂場の洗面所の歯磨きセットも、すべて二人分備えてあった。どの部屋も隅々まで磨き立ててあった。
「ずっとここに暮らせばいいね。マンションが老朽化して立ち退かなくちゃいけなくなったら、小さな家を建ててあげる」
「そんなことしてもらえません。ほかの女の人のことも考えなくちゃいけなくなります。衣食住なんか、ほっておけばどうにかなります」
「でも、月々足りてる?」
「毎月神無月さんからって、和子さんが十万円もくれるんです。千佳ちゃんも……。父からも仕送りがありますし、何不自由なく暮らしています。和子さんはどの女の人にも似たようなことをしてるはずです。これ以上甘えることはできません」
 二匹の金魚を飽かず眺めたあと、二人で風呂に入り、からだを流し合い、風呂から上がって全裸のまま、また二匹の愛らしい金魚をじっくり眺めながら、青森以来積もった話を吐き出し合った。彼女の母親の話は出なかった。
 深更を過ぎるまで丁寧に交わった。睦子は愛情深く濃やかに反応した。快楽に悶え苦しむ瞬間も、けっして私から離れようとしなかった。七時間しっかり眠った。


        八十七

 六月二日月曜日。八時起床。もう一度交わる。快晴。二十一・一度。ふつうの軟便、シャワー、歯磨き、洗髪。朝からカレー。美味。
 昼、二人で自転車を並べて北村席に戻った。みんなの集まっている座敷にいくと、主人に手招きされた。
「いい記事が載りましたよ」

 
広島の善戦に感銘
 
恥を知れプロ野球 神無月が泣いているぞ

 
大きな見出しが一般紙のスポーツ面に踊っていた。きょうも長い記事だった。

 大洋戦から一転して、広島三連戦はじつに迫力のある戦いだった。一昨日二十九日の中日―大洋十一回戦は、江藤三フォアボール、神無月四フォアボール、どちらも敬遠気味という、観衆を落胆させるひどいものだった。じつは今回善戦した広島も、五月十七日、十八日に、外木場、安仁屋と二戦にわたって神無月を五回連続敬遠して、連盟から叱責を受け、懲罰金を科されている。十八日は、水原監督は、打席に立つだけムダだということで神無月を途中で引っこめている。五月二十八日の十回戦で平松対神無月の印象深い戦いがあり、二十九日のていたらくがあり、そして今回の広島戦となった。たしかに精神のありようは改善され得るだろうが、それを促進する意図で、特定の球団と定めずに、この際思う存分叱らせていただく。
 隠し球、敬遠、ビーンボール、すべて健全なゲームの進行にヒビを入れる悪名高き姑息な手段である。どんな手を使っても勝てればよいと野球ファンは思っていない。たとえ贔屓チーム、贔屓選手でもそうしてほしいとは思っていない。バットを振っても届かないボールを投げて有力打者をバッターボックスに金縛りにし、なす術もなくトボトボと一塁へ歩ませる。そうして打ち取れそうな打者を打ち取る。ファンはそれでご満悦というわけにはいかないのである。
 基本に戻ろう。プロ野球選手たるもの、みずからの才能を恃(たの)み、よりすぐれた才能と戦いたいと願ってプロ野球人になったのではなかったか。それなくしては、ただの草野球愛好家にすぎない。才能ある者同士の戦いを私たちは金を払って観る。私たちにその才能がないからである。戦いを放棄し、手柄でも上げたかのごとく、これ見よがしに小ずるいことをして、チームの勝利に貢献しているなどとほざかれたのでは、ファンのやるせなさは極点に達する。才能ある者同士戦えば、勝つことも負けることもある。その過程に胸躍るのであって、その結果に不満は覚えない。それがファンだ。ただ、その対決で大事な試合の行方が決まる、はたまた優勝の行方が決まるとなれば、敬遠は〈正しい〉方法だろうと思う。そういう場合は、強打者には涙を呑んでもらうしかない。
 今年のドラゴンズの打者はすべて強打者なので、なかなか打ち取れない。敬遠したくなる気持ちもわかる。しかし、たとえ最強打者を敬遠したとしても、後続の打線があまりにも強力なので、結局痛い目を見ることになるのは明らかだ。正々堂々と勝負し、しかるべき結果を甘受すべきである。いまはペナントレース前半の真只中である。優勝の行方を決めるのに敬遠が効果的という試合にはまだお目にかかっていない。ファンは白熱した試合展開を望んでいる。
 二十九日の大洋戦が終わったあと、水原監督は全員に、とにかく〈当てようとして振ること〉を命じた。その結果三振してもよいから、敬遠じみたフォアボールに甘んじて出塁するなと命じた。神無月と平松との感動的な戦いを念頭に置いてのことであろう。その翌日に、同じチームがかくも腑甲斐ない戦い方をするとは予想できなかったのである。ただ空振りをして三振するのであれば、それはむざむざ敗北を喫するための不まじめな戦い方だと言わざるを得ない。まじめに戦わなければ、連盟に提訴される可能性のある不正試合になると水原監督は熟知しているからこそ、〈当てようとして振れ〉と命じたのである。ある種の放棄試合と疑われないためには仕方ない。
 そこまで覚悟して臨んだ広島戦だった。あにはからんや、広島は真剣を真っ向に構えて立ち合ってきた。真っ向勝負で挑んでくる広島投手陣の投球に、ドラゴンズのバッターたちは、のめったり、ふんぞり返ったりしながら懸命にバットを振った。見ものであった。神無月にいたっては、ほとんどが悪球だったが、フォアボールで出塁することなく十二打席連続で当てにいき、二塁打二本を含む六本のヒットを打ち、六本の凡打に倒れた。真剣勝負なので凡打も美しかった。苦闘の結果、ホームランこそ出なかったが、神無月の晴れわたった顔を見るのはファンたちの喜びだった。全力勝負をしたとき、神無月の顔は晴れわたる。
 外木場との対決で、神無月は初打席に空振りの三球三振を喫した。神無月はこれまで一つしか三振を喫していない。記念すべき二つ目の三振である。外木場の才能が神無月の才能を打擲(ちょうちゃく)した瞬間だった。もとを正せば外木場は、ノーヒットノーランも完全試合も成し遂げたピッチャーである。そのくらいの成果を収めて当然なのである。真剣に戦えば神無月からさえも三振を奪えるのである。努力ではなく才能こそ報われると人は言う。しかし、戦う努力をしなければ、報われるべき才能も発揮されない。神無月郷なる鬼神の金剛力を与えられた男を打ち据えるには、みずからの天賦の才能を全開させて戦う努力をするしかないということである。そのことを肝に銘じてほしくて、あえてここに苦言を呈したしだいである。


 記者の署名はなかった。一般紙はそういうことをしないのかもしれない。
「水原監督の『神無月郷について』というインタビュー記事も載ってます。読みますよ」
 主人が通る声で読みはじめた。

 これまで神無月郷という人間を人びとは〈連れ戻そう〉としすぎました。自分の理解の領域にね。だから理解の手に余ると、意地悪してみたり、脅迫してみたり、襲ってみたりしたわけです。長いあいだ彼はそういう扱いを受けてきたし、それがいまなお留まるところを知らない。胸が痛みます。たとえば彼を幼いころから知っている母親は、こんなふうに言うわけです。昨年の暮れにドラゴンズのフロントの一人が彼女に対面を求めたときの言葉です。―息子にはエゴイストの気質があり、人を近づけずに孤独に暮らしたがるけれども、そういう人さまの気持ちを顧みない人間に育てたのは私だ、離れて暮らしていても息子の不行届きに関しては、私が責任をとるべきだと思っている、というふうにね。親であるにもかかわらず、少しでも息子の悪口を言って、彼に違和感を覚えている人たちの機嫌をとろうとする。しかし、申しわけないが、気質の責任をとるとらないはひたすら本人の問題であって、肉親であっても関与できることではない。彼の生活に波風を立てる人間はみんなこの母親の類です。ちなみに神無月はエゴイストと正反対の人間です。
 なぜそこまでして自分の理解の範疇へ取り戻したいのか。こういうことではないかと思います。―彼に才能があるなんてちっとも知らなかったが、とにかくあの迷惑人間のパトロンが現れたらしい、どこのどいつだ、その物好きを諭してやらなくちゃいけない、彼のことは私がいちばんよく知っているのだから―。とんでもない思い上がりです。こう言えばわかってもらえるかもしれない。神無月郷は私たちと同類の人間ではなく、めずらしい生物なのだと。入場料を取って観賞に供するべき珍獣なのだと。生き神と呼ぶ人もいますが、呼び方は自由でしょう。そういう生物を自分の理解の中へ引きこみたいですか? まさか、そんなことはしないで観賞するだけじゃないですか? チケットを買って彼をごらんなさい。連れ戻さずにね。
 彼をどうしても自分の中へ引き戻したい人びとに言いたい。彼はあなたたちにとって
 邪悪な存在です。すばらしい希少種なので、ふつうに対応しようとすると泣きを見ます。彼と共存するには金がかかります。それがわかっている人間だけが、彼に何も求めず、自由に放置して寄り添うことができるのです。彼が放置されている場所は野球場と、愛する人びととの共存場所です。野球場で彼は、いい選手どころか、偉大な選手です。共存場所にいるときは? ここが肝心なんですが、常人の理解を越えるほど偉大な人間です。ところがそこでは観賞用にはならない。愛情の対象にしかならない。人間としてグロテスクだからです。それを愛せるものだけが彼の周りに集まっています。彼らは彼の才能のファンではありません。彼らもまたグロテスクな人間なのでグロテスクな神無月郷を同類として愛するのです。
 野球場の外では、神無月郷に〈ファン〉はいません。全身全霊で愛する人間しかいないのです。愛する以外の対応は彼に対して無用だ、と知っているグロテスクで偉大な人間しかいないのです。意地悪もしない、脅迫もしない、暴行もけっして加えない人びとしかいないのです。極力言葉を尽くしましたが、わかってもらえたかどうか心もとない。わかってもらえなかったとしても、それは私には問題でありません。


 カズちゃんは、うるさく主人の周りを走り回る直人を引き寄せ、
「水原監督の言ってること、百パーセントわかるわ。私がうれしいのは、野球場のスタンドじゃなく、ベンチが北村席と同じ環境だってこと」
 菅野が、
「それこそ神無月さんが人生で得た最高のマグレ事件じゃないですか?」
「さあ、二日の暇ができた! 美術館でもいってくるかな。名古屋を極めておかないと」
 私が言うと、カズちゃんが、
「きょうお休みの人は?」
 千佳子と睦子と天童が手を挙げた。
「いっしょにぶらぶらしていらっしゃい」
 主人が、
「神無月さん、足がないと不便やろ。菅ちゃんもいってきなよ」
「はい。徳川美術館は一度山口さんたちといきましたしね。愛知県文化会館美術館なら、いろいろ有名どころを見れるんじゃないですか」
 睦子が、
「私、いってきました。洋画は、ピカソ、マチス、モジリアニが一点ずつありますし、日本洋画は、神無月さんの好きな浅井忠のほかに、梅原龍三郎、岸田劉生、黒田清輝、高橋由一、藤田嗣治、安井曽太郎も一点ずつあります。日本画は、憶えている名前では、すべて重要文化財になっている与謝蕪村と浦上玉堂、朝丘雪路のお父さんの伊東深水、あとは菱田春草、横山大観、前田青邨(そん)、川合玉堂、竹内栖鳳、富岡鉄斎、東山魁夷、安田靫(ゆき)彦などです」
「絵画は、名前を聞いても、実際絵を見てもよくわからないんだけど、モジリアニの晩年の哀れな人生は好きだな。三十五歳、肺結核で死んだ。結核の咳を止める深酒のせいで髄膜炎を起こしてね。酒代は町なかで似顔絵を描いて稼いでた。顔と首の長い絵のモデルはほとんどジャンヌ・エビュテルヌ。彼女はモジリアニが死ぬ三年前から同棲を始めて、一人子供まで作ったけど、モジリアニが死んで二日後に飛び下り自殺をした。そのときも妊娠九カ月だった。お腹の子は死んだけど、長女はモジリアニの姉に引き取られて、いまも生きてる。五十歳ぐらいだ。美術に携わって、父親の研究もしている」
 トモヨさんが、
「私も郷くんが死んだら、直人を置いて死ぬと思います。その画家は郷くんのような人だったんでしょうね」
 千佳子が、
「今度、トモヨさんにモジリアニの画集を買ってきてあげます」
「お願いね」
 カズちゃんが、
「無茶なこと言わないの。トモヨさんは直人のために生きないとだめよ。お腹の子のためにもね。人柱になる女は身軽でないと」
「モジリアニの話をしてるだけでお腹いっぱいになった。もっと人生の煮詰まっていない明るい名所にいこう」
 私が言うと女将が、
「有松までいって、浴衣でも買ってきたらどうね。町並もええし」
 菅野が、
「そうしますか。有松までは四十分くらいでいけます」
 睦子や千佳子といっしょになって天童も喜んだ。カズちゃんが、
「千佳ちゃん、私とトモヨさんもあなたと同じサイズだから、適当に買ってきて。ムッちゃんは、素ちゃんとキッコちゃんと同じサイズね。天童さんも丸さんと同じぐらいだから、選んで買ってきてあげてね。お金はみんなキョウちゃんに出してもらいなさい」
 菅野が、
「私も女房と子供に買ってこよう。社長は?」
「ワシは有松絞りの浴衣を持っとる」
 女将が、
「うちが買ってあげたんよ。十年も前やわ」
 昼食になった。


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