百九十七

「なんでフリーに? 自腹を切るのはつらくないですか」
「つらいことは多いですがね。私は週刊誌の粗雑さも、新聞の権威主義も嫌いなんです。嫌いなものに宮仕えしたくない。派手な見出し、愚にもつかないスキャンダル、独断と偏見、リーダー気取り、エリート主義、イメージで言えばそういうことです。新聞一流、週刊誌三流と考える社会のあり方も嫌いです。報道される中身でなく、メディアの社会的声望で、一流だの三流だのと区別をするなら、そんな精神に毒された報道機関そのものが三流であるということです。区別など意に介さないのは、フリーランスの世界だけ。それがフリーになった理由です。くだらない価値観から逃れられる。フリーランスそのものは何流でもありません。……とにかくホームランのすがすがしさは、何にたとえることもできません」
 涼しい視線を空に上げる。私も流れる雲を見ながら、ボールがバットのしかるべき場所に当たったときの爽快感を思い出す。軌道を追わなくても守備圏外に飛んでいくことがわかる手応え。ボールがスタンドに消え、音と時間、すべてが止まる。一つひとつ近づいてくるベースを踏み、ホームベースを踏むばかりだと気づくときのかすかな倦怠。勝敗などどうでもいいと思う清潔な倦怠だ。私は蒲原に向かって、
「あなたの写真に値するような、清潔な選手でいようと思います。ただ、何かを嫌うよりは、無関心でいるほうが自由でいられますよ。どんどんぼくを自由に撮ってください。一つだけ、お願いがあります。ぼくの野球生命を縮めるような写真を撮ることは遠慮してください。少なくとも水原監督が引退するまでは。追いかけているうちに、あなたの常識を超える行動をとることも考えられますから。……あなたがぼくに近い人間であることを祈ります」
 立ち上がり、ダッシュとジョグを繰り返しながらポール間を走る。きょうは二往復。蒲原はカメラを構え、シャッターを押しつづけている。仲間たちが塀沿いに走りはじめる。星野秀孝が真剣な顔で走っている。それを見やりながら三種の神器。
 中が私のグローブを持って走ってくる。キャッチボールが始まる。菱川と中の二人を相手に五十メートル間隔で、力をこめて十本ずつ。三塁側ファールゾーンで千原が素振りを始めた。簡易ネットの前で江藤がティーバッティング。その脇で伊藤竜彦が吉沢を相手にトスバッティングをしている。静かで、華やかな図だ。彼らには蒲原ではないカメラマンが貼りついている。
 菱川、江島、太田、三人の若手からフリーバッティング開始。私も四番手に加わる。ピッチャーは外山と松本と大場。シャッター音がかしましくなる。鏑木ランニングコーチと池藤トレーナー、中、葛城、徳武が球拾い。塀沿いに三、四人、ボールボーイもいる。
 ピッチャー、バッターともに十本交代で回す。フラッシュがしきりにきらめく。私は左ピッチャーの大場の外角へ曲がるドロップを十本打ち、ピッチャーの防御スタンドへライナー二本、右中間のスコアボードへライナーの一本。ちょうど時計の下のDENSOを直撃した。左中間スタンドへ二本。残りの五本は内外野のゴロを意識して打つ。菱川は外山からライト中段へ技ありの一本、江島は松本からレフト看板へ豪快に一本、太田は外山からレフト上段へ目の覚めるような二本。
 ベテラン組に移る。ピッチャーはきょう先発する小川。ゆるいストレートを一人に五球ずつ投げる。江藤は四本左中間スタンドへ放りこむ。中もライトへ二本、葛城はレフトへ三本、ほかのベテラン勢は一本ずつ打ちこんだ。ホームランを打たれると小川は微笑む。バッターが打ち損なうと怒鳴る。
「こんなゆるい絶好球、何やってんだ!」
 一枝は二度怒鳴られた。怒鳴り声が上がるたびに、順番待ちのバッターたちが愉快そうに囃し立てる。
 四時半。広島のバッティング練習に切り替わったころ、三塁側のスタンドがようやく賑やかになる。ケージの後ろで両チームの監督・コーチ連中が歓談を始める。ファールグランドのフェンスに沿って走り出したのは衣笠と山本浩司だ。白いユニフォーム、紺の帽子とアンダーシャツがまぶしい。そのまま私のところへ駆けてくる。衣笠は渋い声で、
「きょうも勉強させてもらいますよ」
「どうぞ」
 山本浩司が、
「大リーグ関係者が撮影フィルムのコマ割りで測定したところによると、神無月くんのバットスピードは世界ナンバーワンだそうですよ」
「何ですか、コマ割りって」
「さあ、専門的な作業じゃないんですか? とにかく、アメリカの新聞にでかでかと載ったそうです。打球の速度も、外野からの本塁返球の速度もナンバーワンだって」
 衣笠が、
「見えないスイングだから、興味持ったんだな」
「そんなもの数値で出るんですか?」
「正確じゃないけど出せるらしいんだ。その計測によると、バットスピードは百六十キロ強、打球スピードは百六十五キロ強、本塁返球スピードは百七十キロ前後ということだった。日本じゃなく、世界ナンバーワンだよ。飛距離の世界一は甲子園で達成したからね」
 観客がどんどん埋まっていく。三万五千人。内外野最上段は立ち見になった。
「とにかく、バットスピードの秘訣は学ばないと。筋肉隆々のガタイだけじゃ、バットを速く振れない。全身の使い方、手首の強さ、その二つ」
 山本浩司が、
「手首はどうやって鍛えてるの」
「ダンベルや、空の一升瓶です」
「特殊な鍛え方ってわけでもないんだよね」
 衣笠が、
「振り出しからインパクトまで速すぎて、学習するったって容易じゃない。学べるとしたら、からだの使い方のほうだね」
「褒めてくれてありがとうございます。じゃ、バッティング練習拝見します」
「オス!」
 ぎっしり埋まったスタンドを見つめながら広島の選手たちが好き勝手に内外野に散り、バッティング練習が始まる。マネージャー、コーチ、審判員たちが球拾い連中に混じってめいめい屈伸運動などしている。投手陣もいる。
 去年の盗塁王古葉から打つ。昭和三十八年には長嶋と首位打者争いをしたが、十三試合を残して、大洋の島田源太郎からあごの骨を割られるデッドボールを受け、二厘差でタイトルを逃がした。長嶋からベッドの古葉に『キミノキモチハヨクワカル』という電報が届いた話は有名だ。要らぬお世話の気味悪い電報だ。同情ではない。相手に敗北を確認させる文面だ。目の前の古葉のバッティングには見るべきものがない。下り坂だ。衣笠、山本浩司とつづく。二人ともフルスイング。ポンポン、スタンドに放りこむ。山内、山本一義が打つ。やる気がなさそうなのがクセモノだ。ホームラン、ゼロ。
 ドラゴンズの守備練習終了。ロッカールームに引っこみ、ソテツの焼肉弁当を食う。じつに美味。仲間がぞろぞろと選手食堂へいく足音がする。高木がいつものようにサンドイッチを買って、ロッカールームにくる。
「モリミチさんは、二軍経験なしで初年度から出場するほどの実力者だったのに、そのころの記録を見ると、代打や代走でばかり出されてますね。どうしてですか」
「三十五年当時は、セカンドには何年も連続でベストナインを獲ってる井上登さんがいて、杉下監督が井上さんにサードコンバートを打診したけど、受けてくれなくてね、代打、代走、ハイ、ハイと従うしかなかった。井上さんは翌々年に南海に移籍していったので、ようやく陽の目を見たわけ」
「井上という人はよく憶えてます。小学校五、六年生のころに中日球場でよく見た人だったので。背番号51。あまり大きくはないんですが、首の詰まった、背中の広い選手で、カーンではなく、ガシッと音のする打球を飛ばしてましたね。モリミチさんほどするどい音じゃなかった。ガシッという音はモリミチさんの専売特許です。井上さんは南海へいってからどうなったんですか」
「ベストナインは獲れなかったけど、三年か四年、第一線で活躍して、下り坂になってからおととし中日に戻ってきて、十試合も出場せずに引退した。来年から二軍コーチでくるような話を聞いてる。ところで金太郎さん、俺のこと高木さんとかモリミチさんじゃなく、モッちゃんて呼んでくれないか。岐阜ではそう呼ばれてたんだ」
「それはできません。長幼のけじめがつかない。モリミチさんと呼ぶのも畏れ多いくらいです」
 中が爪楊枝を咥えて入ってきた。
「きょうはよくボールが見えて、バットがスムーズに出る。こういうときは逆にボールを見ちゃうんだよなあ。モリ、またエンドランか」
「初球振りませんから、盗塁してください。二球目からは打っていきます」
「オッケー。バントにするか、打つか、モリの瞬間的な判断力はすごいからな。な、金太郎さん、そう思うだろ?」
「はい。打撃だけじゃありません。中さんと同じように、難しいフライの落下点に入る直線的な走り、グローブさばき、タッチの速さ。二塁牽制に入るときの動きなどは、殺意を感じます。球界最高の二塁手です。なぜ巨人の土井が選ばれたのかわからない。オールスターはまじめなプレイじゃなく、高度で華麗なプレイを見せるものです。勝利への貢献度は全選手あたりまえのことで、それよりも野球の技能です。オールスターはプロ野球のオリンピックでしょう。平均点の人を出してどうするんですか」
 中が、
「怒ってるね。二年連続で選んだのはファンだ。去年は川上監督。正直な生き方が退屈な人もいるからね。まあ、今年の土井は出番は少ないだろう。出たら、オールスターでバントが見られるかもね」
 高木が、
「いやあ、中さん、おととしのオールスターで土井は三の三。打撃賞獲ってますよ。お祭りになるとみんな人が変わります。とにかく選ばれないと始まりません。来年の監督は水原さんですから、まずだいじょうぶでしょう。サンキュー、金太郎さん、そこまで怒ってくれて」
「私なんか、〈一番、センター、中〉を金太郎さんが入団式でやってくれたおかげで、全国に知れわたっちゃって、だいぶ得したよ。今年でオールスター五回目だもんなあ」
 高木が、
「中さんは、もともと高度で華麗です。あの走塁は天下一品です」
 私は、
「目の覚めるようなライナーのホームランも」
「ありがとう、金太郎さん。さ、いこうか。スターティングメンバーの発表だ」
 眼鏡をかけてベンチに入り、下通のアナウンスを聴く。両隣の江藤と菱川と腿を接する。江藤の隣に高木と中、菱川の隣に木俣と太田。
「中日ドラゴンズ対広島東洋カープ第十五回戦、間もなく開始でございます。両チームのスターティングメンバーの発表をいたします。先攻広島カープ、一番ショート今津、ショート今津、背番号6、二番セカンド古葉、セカンド古葉、背番号1……」
 下通みち子。キクエによく似た一途な眼差し。豊かな頬。一度きりのセックス。オールスター第三戦が終わったあとの七月二十三日水曜日、熱田神宮のデートを想像する。何も想像できない。その二日前の二十一日、平和台の前日は大信田奈緒とのデートだ。一度きりのセックス。これも想像できない。新庄百江、柴田寧々、桜井メイ子、大胡季子、田所イネ、天童優子、丸信子、幣原照子、兵藤千鶴、山本小夜子、園山勢子……。プロ野球選手になって以来知り合った女のことを思うと、心が闇に沈む。人の感情を推し量ったことなどなかった十歳のころの単純で明るい気持ちと比べて、なんというちがいだろう。あのころと変わらず明るく鮮やかに私を照らしてくれるのは野球ばかりだ。いや野球へのまめやかな思いも、見知らぬ人びとの過剰な賞賛で変質させられつつある。
 ふと後楽園球場の噴水を思い浮かべる。吹き上がる水に浮き上がるネオン Home Run フコク―親切ごかしの賞賛に気持ちが滅入る。大きな企業の掌、その掌の上の孫悟空。彼らは私に人生を選ばせてはくれない。それに思い至ってうれしがる野球選手のいることが信じられない。
 母……私に反対はしても、最終的に人生を選ばせてくれた。感謝しなければならない。
「後楽園の噴水、いやですね」
「ん? おお、後楽園の噴水な。ありゃ派手で好かん。ホームランが穢れるばい」
 菱川が、
「後楽園以外は、喚声しかないです。すがすがしいですね。野球の醍醐味は拍手と喚声ですよ」
「ええこと言うなあ」
 アナウンスがつづく。衣笠、山内、山本浩司のクリーンアップ。
「六番ライト水谷、ライト水谷、背番号38……」
 デンとした大男。ラグビーボールのような顔。あごが巨大だ。
「七番サード朝井、サード朝井、背番号15、八番キャッチャー田中尊(たかし)、キャッチャー田中尊、背番号12、九番ピッチャー外木場、ピッチャー外木場、背番号14」
 コロリとした体躯の外木場がゆっくりブルペンに向かう。
「代わりまして後攻中日ドラゴンズ、一番センター中、センター中、背番号3……」
 高木、江藤、神無月、木俣、菱川、太田、一枝、小川。ほぼ完成形の布陣。小川が赤茶けてきた空を見上げながらマウンドに上がる。
「なお球審は岡田、塁審は一塁久保田、二塁平光、三塁柏木、線審はライト田中、レフト佐藤、以上でございます。どうぞ最後まで、梅雨の晴れ間のスタンドで手に汗握りながらすばらしい試合をご堪能くださいませ」
 スタンドに明るい笑い声が上がる。下通はいつもふと変わったことを言う。つづけて下通の意外なアナウンス。
「みなさま、一塁ベンチ前をごらんくださいませ。広島カープの山内一弘選手が中選手に花束を贈呈いたします」
 山内が照れくさそうに三塁側ベンチから小さな花束を持って走り出てきた。中は驚いてベンチから飛び出ると、帽子を脱ぎ、山内に会釈した。
「五月三十一日の対広島戦十回戦において、中利夫選手は十五年目にして千五百試合出場を達成いたしました。膝の故障や眼病を乗り越えての大記録達成でございます。偉業を記念して山内選手からの花束贈呈でございます。おめでとうございました」
 場内盛大な拍手。両チームベンチも惜しみない拍手。中は花束を受け取り、山内と握手すると、深く辞儀をした。
「なお、球界において中選手より三年先輩の山内一弘選手は、阪神に在籍当時の昭和三十九年八月に、十三年目にして当中日球場において千五百試合出場を達成しております。そして昨年八月、広島へ移籍した初年度に、甲子園にて二千試合出場を達成いたしました。山内選手にも大きな拍手をお送りくださいませ」
 当然のことに、適度に大きな拍手。それに気づいた暖かい笑い声。


         百九十八

 三十度あったベンチ気温が二十六・六度に下がっている。ドラゴンズチームが走って守備位置につく。私は佐藤清次線審に帽子を取って挨拶する。彼も帽子を取る。レフトスタンドの喚声と拍手に頭を下げる。中もスタンドに帽子を振っている。照れくさそうな中とキャッチボール。二投でやめ、守備位置の周囲の芝の禿げ具合を記憶する。イレギュラーに備えたり、背走のときの躓(つまづ)きを防いだりするためだ。守備位置についたらかならず、考えられるかぎりの状況をイメージして、自分なりの予習をする。わずかに風がある。旗が揺れている。
 三塁側スタンドでカチカチというしゃもじの応援が始まった。広島カープに応援歌はない。太鼓とカチカチと声援だけだ。
 一番今津が打席に入った。同時に岡田球審のプレイのコール。今津光男、一割バッターのチビ。長嶋入団と同じ昭和三十三年に中日に入団。準レギュラーとして六年やって、打率一割八分、ホームラン五本。昭和四十年に広島へ移籍し、今年で五年も使われつづけている。たぶんその堅実な守備力のせいだ。
 小川が完全にナメ切った投球をする。初球、真ん中のスローカーブ、引っかけて一枝へのゴロ。二番古葉。小さい構え。小細工は効かなさそう。スリークォーターから速球を三球つづけて、三球三振。三番衣笠。内角カーブ、ストライク、外角カーブ、ボール、高く外すストレート、空振り、低目のシンカーで空振りで三振。さすがだ。中盤までは打たれそうもない。中が私といっしょにベンチへ走り戻りながら、
「ブルペンの様子だと外木場の球けっこう走ってたから、第一打席は見ていこうと思う。金太郎さんもベンチから球筋見といて」
「わかりました」
 ベンチで中はみんなに同じことを言う。高木が、
「出たら走る?」
「一球目」
「オッケー、空振りするよ」
 中のアコーディオン復活。ファールで粘って、フォアボールをもぎ取った。高木の初球に走る。外角剛速球。高木空振り。真剣に振っても当たらない球だった。中、悠々盗塁成功。田中尊の肩が弱い。高木、二球目外角低目カーブ、空振り、三球目内角高目シュート空振り三振。私はしっかり観察した。高目のストレートはスピードこそあるが、さほど伸びない。低目はカーブが切れている。シュートはそれほど曲がらないが威力がある。球種と関係なく高目を狙う。
 江藤、ツーワンまで見(けん)。そこから右に左に五球連続ファール、さらに三球連続でボールを見逃し、粘りに粘ってフォアボールをもぎ取った。たちまち山場がやってきた。中に三盗の気配はない。
 一塁スタンドから金太郎コール、応援旗が何本も揺れる。中日ドラゴンズには応援団がある。鉦太鼓球団旗だけの応援だが、水原監督は、神社に出向いて勝利祈願までする彼らとときどき公式に対面して、感謝と慰撫の言葉をかけているようだ。映画館の中日ニュースで観た。
 足もとを均して構える。初球胸もとのストレート。速い! ボール。二球目、セットポジションからからだを低く沈め、思い切り腕を振って投げこんでくる。真ん中低目の切れのいいカーブ。ボール。
「おっかねえなあ。振らないなら敬遠しちゃうよ」
 十六年目のベテラン、つるりとした好男子の田中尊が語りかける。
「次、どこにきても振ります」
 内、真ん中、ときたら、外角と読むのがふつうだ。私が振ると宣言した以上、田中は当たらないところに投げさせるはずだ。内角はデッドボールにしないかぎり当てられてしまう。真ん中も暴投以外は頭の高さでも当てられる。外角の遠いところへ投げて、バットの先っぽでレフトフライ―そんなのがきたら、田中との約束を破って見逃す。外木場は誇り高き男だ。次はたとえ外角でもストライクでくる。三球目、セットポジション。二塁の中をじっと睨んで、からだを倒しはじめる。するどい腕の振り。外角高目をかすめるシュート。じゅうぶん届く。ほんの少し腰高に踏みこみ、かぶせて斬り下ろす。センターの右だ。
「アチャー!」
 田中の叫び。中と江藤が右腕を突き上げる。森下コーチと水原監督がバンザイをする。
「ヨシャ、ヨシャ、ヨシャ、ヨッシャー!」
 田宮コーチがセンターを指差す。チームメイトがベンチから身を乗り出す。バッティング練習の一本とほぼ同じ場所へ伸びていく。スコアボード、デンソウの左の山一證券にぶち当たる。爆発する歓声。ため息のようなどよめき。森下コーチとタッチ。いつもの手順。スピードを落として走る。
「神無月選手、九十三号ホームランでございます」
 水原監督と片手でハイタッチ。
「やっぱり時計に金網しなくちゃね!」
「そうしてもらってください!」
 中が小股でホームイン、江藤が大股でホームイン、私は飛び上がってホームイン。次打者の木俣が抱きつく。一枝が土下座してスタンドの笑いを誘う。半田コーチが飛びついて頬にキスをする。ベンチと一塁スタンドが大爆笑になる。
「プレイ!」
 岡田球審の甲高い声。キーンという金属音。すぐホームランとわかる。木俣がバットを投げ出して走り出す。たぶん高目のストレートを打った音だ。ボールボーイが投げ出されたバットを拾いに走る。レフト最上段へ一直線。百七十三センチのからだから発射されるライフル弾だ。木俣は森下コーチと水原監督に抱きつき、私と同じお祭りの儀式へ飛びこんでいく。彼は丸まっちいので、遠慮なく蹴られる。
「木俣選手、二十一号のホームランでございます」
 バヤリースを私に渡すのを忘れていた半田コーチが、木俣と私に差し出す。二人とも断る。そういう雰囲気ではない。代わりに藤波トレーナーと鏑木ランニングコーチが、おごられます、と言って受け取る。江藤が、
「達ちゃんはオールスターに出られんかったばってん、ベストナインは確実ばい。来年からは天下やろう」
 木俣はうれしそうに、
「セリーグでよかった。パリーグにいたら、一生野村の露払いだった。ててて、ケツがいてえや。だれだ、思い切り蹴ったのは」
 葛城が、
「俺、俺。ごめんな。今年は中日がベストナインを独占じゃないの」
 太田が、
「それあり得ますね。でも、俺は長嶋がいるかぎりだめだな」
 徳武が、
「いなくなっても無理だ。守備はあきらめろ。おまえはバッティングだよ。菱と並んで将来の中日を背負って立て」
「はい!」
 ゼロ対四。六番菱川が打席に入る。一枝が、
「タコの守備は堅実だけど、華やかさがないんだ。第二の三宅を目指せばいい」
「三宅秀史。モンゴメリー・クリフトそっくりの人ですね」
 私が言うと高木が、
「地上(ここ)より永遠(とわ)に、か。三宅さんはじつにいい男だったし、長嶋ほどじゃないけど華麗だった。三十二年にはベストナインにもなってる」
 太田は、
「じゃ第二の三宅も無理ですね。華麗さというのは生まれつきでしょ。俺はドンくさいまま、バッティング一本でいきます」
 よしいくぞ、と言ってネクストバッターズサークルに向かう。菱川空振り。ツーワン。打ちあぐねている。四球目、内角高目の絶好球。強振。ジャストミート。
「いったア!」
 いや、ポールの左へ大きく切れるファール。場外へ消えていった。高木が、
「飛ばすなあ、菱は。しかし、いまのはせっかくくれた失投だぞ。打ち損ないだ」
 私は、
「菱川さんは、内角があまり得意じゃないんでしょう。次打ちますよ」
 五球目、外角カーブを狙い撃ち。火を吹くような当たりがライト前へ飛んでいく。ワンアウト一塁。七番太田、初球真ん中ストレート、ヘッドアップして空振り、振り遅れまいとして力んでいる。二球目真ん中シュート、バックネットへファール、三球目外角低目へするどく曲がるカーブ、空振り三振。走り戻ってくる太田に田宮コーチが、
「何やってんだ、タコ、ランナー進めんかい!」
「すみません。次、狙い球絞ってがんばります」
 ケロリとしている。気持ちのいい性格だ。速球に強い一枝が、カーブとシュートにやられて三振。チェンジ。
 二回表。カチカチカチカチ、ウオー、カチカチカチカチ、ウオー。四番山内、シュート打ちが内角シュートで打ち取られてショートゴロ。山本浩司、真ん中シュートをセンター前ヒット。ヒッティングポイントがからだに近すぎて、バットで重いボールをヨイショと運んでいる感じがする。ギリギリまで呼びこんで真芯で捉えようとしているのだろう。もっとポイントを前にし、もっとボールの下っ面にバットを入れてスピンをかけることを覚えれば、打率も飛距離もグンと伸びるだろう。水谷実男、外角カーブを二球つづけて一塁スタンドへファールしたあと、浮き上がるストレートで三振。おととしピッチャーから野手に転向したばかり。いずれモノになる雰囲気がある。朝井茂治、ツーワンからスローカーブを見逃し三振。去年阪神からきた内野手。打てないオーラ。小川好調。
 二回裏。小川、初球の速球にチョンとバットを出してサードゴロ。中、ワンワンから外角シュートを引っかけてセカンドゴロ。高木、ツーナッシングから内角ストレートに詰まってショートフライ。投手戦になる気配だ。このパターンに慣れている観客にとっては、次の中日打線の爆発まで幕間の弁当休憩のようなものだが、私は五回までに大量点を取って小川にラクをさせたいと思っていた。次もホームランを狙って起爆剤になろう。
 三回表。田中尊キャッチャーフライ、外木場ショートライナー、今津三振。
 三回裏。さあいくぞと思っているところへ、江藤内角高目のシュートにやられてレフトフライ。鉦、太鼓、旗、金太郎さん、金太郎さん。
「さ、金ちゃん、いこ!」
「二発目いっちゃって!」
 初球外角低目シュート、小さく曲がってストライク。二球目外角高目シュート、少し振り遅れて三塁内野スタンドへファール。三球目真ん中高目猛速球、ボール。初めてハーフスイングをした。田中尊が一塁塁審の久保田を指差したが、セーフの判定。四球目膝もとのスライダーの曲がり鼻をうまく掬って、ライト最前段へライナーのホームラン。九十四号。下通の声が弾む。木俣、カーブ攻めに遭い、低目のカーブにヘッドアップして三球三振。菱川内角を攻められ、低目のストレートを見逃し三振。ゼロ対五。
 四回表。古葉ライト前ヒット、衣笠ライト前ヒット。小川の中休み。山内の二球目に古葉と衣笠がダブルスチール。木俣三塁へ送球するも古葉セーフ。初めて見た。フォースプレイを減らすためだろうが、得点差があるときには危険な作戦だ。山本浩司がホームランを打てば三点なのに、ヒットを期待して二点を、あるいは外野フライで一点を取りにいった。小川は落ち着いて山本浩司を敬遠気味のフォアボールで出す。ノーアウト満塁。こうなったら広島は終わり。
 水谷内角シュートに詰まって浅いレフトフライ。古葉タッチアップ、私はノーバウンドで低い送球をした。木俣ブロック、タッチアウト! スタンドを揺るがす喚声。この間に衣笠三塁へ、山本浩司は二塁へ。一挙にツーアウト。朝井レフト前ヒット、衣笠生還。一対五。ツーアウト一、三塁。田中尊の代打左打者の宮川。代打成功率四割以上という代打屋だ。デッドボールも異様に多いので、当たり屋とも言われている。ボール、ボール、空振り、空振りのツーツーからの五球目、内角を抉って真ん中へ曲がり落ちるシュートが肘に当たり、一塁へ歩き出そうとした宮川に、岡田球審は三振の宣告をした。根本監督がベンチから飛び出してきて、岡田に詰め寄ったが、すぐに退き下がった。ストライクゾーンでボールに触れたと説明したようだった。岡田の説明が場内アナウンスに流れた。
 たった一点。味方打線を信じられないチームの悲哀を感じた。長谷川コーチが、
「ツーストライクまではケンでいってもいいよ。外木場を疲れさせよう」
 四回裏。外木場落胆を隠せないまま気丈にストレートを連投する。太田ツーナッシングから外角ストレートを打って右中間二塁打。一枝ようやくシュートを引っかけてレフト前ヒット。鈍足太田還れず、ノーアウト一塁、三塁。代えどきだが、バッターがピッチャーなので代えられない。田宮コーチが敵ベンチに聞こえるように叫ぶ。
「健ちゃん、準備オーケー?」
 小川はうなずく。水原監督の偽ブロックサイン。広島ベンチはスクイズと確信する。前進守備。外木場はバントしにくい低目のシュートを投げてきた。小川強振して、レフト中段へ高々と四号スリーラン。怒涛の歓声。森下コーチの尻ポーン、水原監督の尻ポーン。
「小川選手、第四号のホームランでございます」
 小川はにやにや笑いながらホームインしてきた。ピッチャーなのでハイタッチや手荒い洗礼はなし。ハイタッチで肩関節をやられることがあるからだ。ロータッチと尻ポーンの連続。
「低目のシュート。われながら芸術的なバッティングであった。うん」
 ベンチにドッカと腰を下ろし、バヤリースをうまそうに飲む。徳武が、
「でっかいホームランだったな。びっくりしたぜ」
「手首がいいからね。六年間で通算五本か」
「一本は?」
「去年の七月の大洋戦で島田源太郎から。今年は十本ぐらいいくぞ」
 一対八。惰力がついた。
「ドラ、ゴン、ズ!」
「チュ、ウ、ニチ!」
「ナー、カ!」
 外木場、ガックリきて、キャッチャーのサインを覗きこむ肩に精力がない。中、ワンスリーからきょう二つ目のフォアボール。ここで代えても遅きに失している。
「タ、カ、ギ!」
「モ、リ、ミ、チ!」
 中、高木の初球に二盗。二球目、外角パワーカーブを打ってセカンドゴロ。中三塁へ。


         百九十九 

 ここでようやくピッチャー交代。漫画のように濃い顔の安仁屋が出てきた。沖縄出身初のプロ野球選手ということしか知らない。ほかに知りたいこともないのでそれでじゅうぶんだ。カーブ、スライダー、伸びてくるシュート、沈むシュート。何度対戦したか忘れたが、開幕戦の第一打席、初対決で左中間の照明灯の脚にぶち当てたことを憶えている。外木場と安仁屋で五連続敬遠という〈事件〉もあった。いずれにせよ、安仁屋からはそれほど打っていない印象だ。ヘルメットをかぶりネクストバッターズサークルへ。
「エ、ト、オ!」
「エ、ト、オ!」
 江藤、二球目のカーブを左中間へ二塁打。中生還、九点目。
「ドラ、ゴン、ズ!」
「チュ、ウ、ニチ!」
「キン、タロ、オ!」
 一人ひとりバッターボックスに立つたびに、純朴なシュプレヒコールが球場にこだまする。私は初球の外し球のシュートを屁っぴり腰でレフトスタンドぎりぎりに九十五号ツーラン。一対十一。木俣サード強襲の内野安打。菱川センターオーバーの三塁打。十二点。太田ライトへ犠牲フライ。十三点。一枝レフトライナー。爆発終了。
 小川は外木場の代打横溝から、今津、古葉、衣笠、山内、山本浩司まで、五回、六回と三者凡退に打ち取り、七回から星野秀孝に代わった。ドラゴンズは、五回、六回、江藤の三十九号と私の九十六号のアベックホームランを含む集中打で七点を挙げ、一対二十と引き離した。私はこれでシーズン四度目の四打席連続ホームランを記録した。中日球場では二度目だ。
 七回、八回は、安仁屋に代わった白石に、中から菱川まで、フライ二、ゴロ四に切って取られた。私はセカンドゴロだった。そのときの声援もものすごかった。彼らはゲームを差し置いて、私たちを観にきているのだ。
 一対二十でα勝ち。小川十勝目。星野は打者九人、三振五、凡打四と完璧なピッチングをした。ストレートはやはり江夏や堀内より速いと感じた。試合が終わったとたん、星野は水原監督から六日の阪神戦の先発を言い渡された。星野は飛び上がって喜んだ。彼は球界を代表するピッチャーになるにちがいない。私も飛び上がりたい気分だった。
 下通が、連勝記録が二十五にまで伸びたことをアナウンスしていた。引分け挟んで三十一連勝。一塁ベンチの後方スタンドで、応援団が跳ねまくっていた。インタビューは監督と江藤が一手に引き受けた。
「見ましたか、わが投手陣と打撃陣のすばらしさを。若き将軍を中心にでき上がった、まさに軍隊です。鍛錬、気力、規律ともに満点の軍隊です」
 私たちはバシャバシャ写真を撮られながらベンチにくつろいだ。小野が、
「大エースが生れたね。私も安心して引退できる」
 しみじみと言った。小川が肩と肘に氷袋を当てていた。
「星野、おまえも冷やしとけ。あっためろというのはまちがってる。冷やすんだ。血行をよくしても炎症は抑えられない。炎症部分を冷やして回復させてから、じっくり血行をよくするんだよ。俺はこうやって長保ちしてる。いままで何人も優秀なピッチャーが、あっためて肩をだめにしてきた。雨雨権藤もその一人だ」
 初耳だった。血行をよくするためには温めなければいけないのに、冷やすのはなぜだろうと疑問に思っていた。まず炎症を鎮めてから、血行を促進させるのか。小川はいままでになく真剣な顔で、
「ロッカーの冷蔵庫にでっかい氷がボールに入れてある。それをピックでかち割ってビニール袋に詰めるんだ。ビニール袋は俺のロッカーの抽斗に何枚も入れてあるからそれを使え。小野さんもこうしてる。久敏も寿伸も山中もやってる。ピッチャーはガタがくるのが早い。できるだけ長保ちさせなくちゃいけない。冷やす時間は十分から二十分だ。俺はそろそろ終わる」
「はい、きょうからそうします」
「ホラじゃなく何連覇かするからな。ピッチャー陣が長保ちしないとな」
「はい!」
 星野はロッカー室へいった。マイクに応える水原監督の明るい声が聞こえる。
「……全知全能を注いでシノギを削り合う野球―いくら文明が発達しても、人間を感動させるのは、こういうすぐれた個人と個人がぶつかり合うスポーツです。そのぶつかり合いを観てもらい、感動してもらうことこそ、私たちの願いなんです。スター選手に法外な報酬が支払われるのは、願いを実現してくれるすぐれた才能が、それほど偉大なものだからです」
 どういう文脈でそういうことをしゃべっているのかわからないが、水原監督は明らかに興奮していた。その興奮は私たちの英気を掻き立てるものだった。声のほうを見ると、テレビで顔馴染みのレポーターが、マイク片手に身振り手振りでカメラに説明している。一枝が、
「おたがい長保ちして、できるかぎり連覇しようぜ!」
 インタビューから走り戻ってきた江藤が、
「まかしぇろっち!」
 水原監督がやさしい笑顔でこちらを振り向いた。
 廊下に記者とカメラマンがあふれていた。真剣な様子で蒲原が何度もシャッターを押していた。
         †
 車中の主人が上機嫌だった。
「四度目の四打席連続でしたね」
「はい、スコアボードと最後のライト中段は会心でしたが、あとの二本はぎりぎりでした」
「それは打つ側の感想でしょう。観とるほうはぜんぶすばらしい一直線に見えましたよ。木俣さんと小川さんのホームランもすごかった。江藤さんはもう少しで場外でしたな」
 菅野が、
「どうだった、××くん」
「一方的で、広島を気の毒に感じました」
「いや、野球の美しさだよ」
「きれいでした。芝生とカクテル光線がきらきらして」
「それ、野球場の美しさだろ。選手のプレイだよ」
「ラグビーもきれいですよ。ナンバーエイトがタッチライン沿いにタッタッタッタッと走っていく姿の美しさは、他のスポーツとは比べものになりません」
 菅野はこりゃだめだという表情をした。
「ラグビーでも片方が点を入れすぎると、片方を気の毒だと思うものなんですか」
 私が訊くと、
「それはないですね。応援するチームが何点入れても気持ちいいです」
「じゃ、野球も同じですよ。結局、野球に興味がないうえに、ドラゴンズを応援していなかったということですね。菅野さん、これからは野球好きのドラゴンズファンを連れてってあげてください。せっかくの特別席ですから」
 主人が、
「ラグビーに世界一の選手はいないやろ。神無月さんは世界一だよ。少なくとも日本一だ。そういう人を目の前にして、畏れ多いと感じない神経は大したもんやなあ。野球が好きだ嫌いだの問題やない。純粋に、そういう人を目の前にしたら、畏まってまうやろ」
「ぼくはぼくですから。卑屈になることはできません」
「卑屈って、あんた……」
 主人が首を振る。菅野が、
「卑屈になる以前に比べものになりませんよ。卑屈になるまいとするってことは、自分と比べてるってことでしょ? 神無月さんは純粋に観賞して楽しむ対象ですよ。この人と勝ち負けは争えない。いくら口惜しいからって、勝ち負けを争っちゃいけない」
「人間には自由はないんですか? どう思おうと、どう行動しようと勝手でしょう」
「はいはい、そのとおりです、がんばってください。家はどこ?」
「菊井町です」
「市電の停留場でいい?」
「はい、お願いします」
 停留場で××を降ろした。××は丁寧に辞儀をして車を見送った。
「悪気はないんやろな。神無月さんの前で萎縮してまう自分がつらかったんやないか」
「お嬢さんとぶつからなければいいですけどね」
「和子は相手にせんよ。ああいう負けず嫌いは、仕事はできるもんや」
「ドッと疲れました。風呂入ったら、このまま寝てしまいます」
「和子に言って、アイリス組の観戦はストップするようにしますわ。連れてくのは北村席からだけということに。人さまざまですが、みんなと付き合うことはないですからね」
「少なくとも、野球に興味がないと、連れていく意味がない」
 菅野が、
「いるんですねェ、自分一番の人間。あしたは十一時ぐらいから走りますか」
「はい。雨なら中止」
「了解。じゃ私、クラウンに乗り換えて帰ります。このマークⅡ、エンジンいいですよ」
 十時五分過ぎ。主人と玄関を入ると、女将とトモヨさんだけが起きていた。主人と女将は離れの寝間へ退がった。私は革のダッフルからグローブとスパイクと帽子、着替えをしなかった新しいシャツの類、それからタオルを取り出し、ユニフォームを脱いだ。これからはもっと効率のいい持ち歩きをしなければならない。グローブ、スパイク、タオル、その三つは欠かせない。それから皮を湿気させない乾燥剤。用具のクリーニング製品と替えのシャツは要らないだろう。バスタオルも要らない。小タオルでじゅうぶんだ。お守りを水屋の抽斗に入れる。
「お守りって、古くなると効験は少なくなるのかな」
「さあ、だいじょうぶじゃないかしら。郷くんのホームランは効験と関係ないでしょ?」
「このごろ、関係あるような気がしてるんだ。しっかり幸運に締めつけられてる気がする。いっしょにお風呂入ろう」
「はい。いま下着とジャージを持っていきます」
 風呂へいき、湯船にゆったり浸かる。トモヨさんが声をかけ、戸を開けて入ってくる。大きなお腹の下の陰部を丁寧に洗う。
「みんな、テレビの野球を観てる?」
「夢中で観てます。店の子はあまり観ませんね」
「そんなものなんだろうね。きょう、野球に興味のない店員がお父さんたちと特別席で観た。素っ気ない反応だった。関心のない物は観たくない。それがふつうじゃないかな。彼らにしてみれば、毎日野球もないもんだ、ということだね」
「素っ気ないのは、嫉妬のせいじゃないと思います」
「そうだよね。関心がないから、嫉妬をする余地もない」
「何か不愉快なことがあったんですか」
 ××の話をする。
「男というのは、尊敬してないかぎり、成功した男を素直に褒めることができません。どうしても自分と引き比べます。でも、郷くんのお母さんや西松の所長さんほどの害はないですよ。手出ししませんから」
「わかってる。道徳的なところを攻めてこなければ生活は乱されないので、なんてこともない。ただ、ぼくがラグビーを観戦したら、連係プレーがすばらしかった、トライが美しかった、などと言うだろうなあ。負けてるチームが気の毒だなんて、心にもないことは言わない」
「……やっぱり、抑えきれない嫉妬があるのかしら。郷くんを自分と同列に置こうとするからそうなってしまうのね。同じ人間だぞ、どこがちがう、って。同じ人間でないことがわからないんですよ。それとも、わかりたくないんでしょうね」
 主人や菅野と似たようなことを言う。
「野球ファンの諸相みたいなものだと捉えればいいのかな」
「ファンでもアンチファンでもないと思いますよ」
 お腹の大きいトモヨさんにからだを洗ってもらう。
「……ぼくはほんとに母親を嫌ってるんだろうか」
「どうして?」
「女に射精するとき、おかあさん、て言いたくなる」
「文江さんや、百江さんでしょう?」
「みんなに」
 手桶で石鹸を流す。
「理想の母親を求めてるからでしょう。やさしくて、何でも受け入れる。……郷くんのお母さんとは別物。でも、お母さんて呼ぶのはやめたほうがいいわ。母親の代理品? て誤解されちゃうかもしれないから。どんなに年をとっても、女は自分の名前を呼ばれながら精を出してもらうとうれしいんです。……そんなこと言ってくれるのは、この世で郷くんだけだから」
 湯船を出る。
「後ろ向いて。ラクな姿勢で」
「うれしい、いただきます」
 尻のあいだを割って、美しい性器を見る。小陰唇とクリトリスがしとやかに光っている。ゆっくり挿入する。
「奥には入れないよ」
「はい、入口でじゅうぶんです」
「膣を汚さないように、ぼくは出さないからね」
「はい、すみません」
 短く二、三往復する。膣口が輪ゴムのように締まってくる。そして内部の壁がしっかり締まる。
「ああ、郷くん、気持ちいい、もうイキますね、愛してます、あああ、イク、イク!」
 腹が落ちないように支える。
「もう一度、イク?」
「はい、もう一度」
 腹側の壁を突き、快感を強めてやる。
「ああ、すごく気持ちいいです、強くイキます、ごめんなさい、オシッコしちゃいます、あああ、イク、イクイクイク、イクウ!」
 ジョッと小水が飛んだ。ジョッ、ジョッと出しながら、尻悶えする。膣がマンリキになっている。カズちゃんのように達しつづける。小便が終わったので、私はそっと抜き、膝を突かせて、乳房を抱き締めた。ふるえが止むのを待って、いっしょに湯船に浸かる。トモヨさんは髪を掻き揚げながら、きれいな顔をほころばせ、
「ごちそうさま。ごめんなさい、赤ちゃんの解毒をするせいで、オシッコがよく溜まるんですって」
「オシッコしながらイキつづけるから、とっても気持ちよかった。出さないようにするのがたいへんだった」
「ふふふ、でも出さないとだめです。文江さんは東京帰りで疲れてるでしょうから、百江さんを呼んであげましょうか?」
「うん。でもきてくれるかな、こんなに夜遅く」
「喜んで飛んできますよ。あしたのアイリスにいく服装でね。百江さん、明石がなかったら、自分には生きる理由が見つからなかったってよく言うんですよ。郷くんの女はみんなそう。郷くんに遇って初めて生きる理由が見つかるんです。郷くんはだれよりも長生きしないとだめですよ」
「うん、ぼくのほうが生きる理由がたくさん見つかったみたいだから。トモヨたちはもちろん、水原監督やドラゴンズの仲間たち」
「ほんとにそうですね。私たちも、それがいちばんうれしいんです。生甲斐を持った郷くんと生きられることが。毎日が明るくて、まぶしいくらいです」





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