二百四十五

 帰りの車には、女将、百江、イネ、キッコが乗っていた。女将が、
「私が観にいったのがゲンが悪いかったんやろか」
「いえ、そろそろ負けどきだったんです。四回以降ほとんど毎回点を入れられてましたから、豪快な負けっぷりです。みんなサバサバしたでしょう。負けて充電です」
 キッコが、
「どっちが打っても野球はおもしろいわ。きれいやし」
 イネが、
「平岡という左ピッチャーはすごいんだべか? ちゃっこいけんど」
 縦長のキリギリス顔を思い浮かべる。
「ある意味すごい。王キラー。横手投げからの百キロぐらいのカーブになかなかタイミングが合わない。これまでも二回対戦して、レフトフライとフォアボールだった。きょうもセカンドゴロとフォアボール。ぼくもワンポイントにされそうだな」
 菅野が、
「きょうはミーティングをやったみたいですね」
「うん。水原監督が決め打ちを提案した。ぼくも次回からそれでいく。背中からくるからオープンに構えて、曲がりこんできたところを叩く。バカの一つ覚えだけどそれしかない」
「今朝の新聞じゃないけど、うまく投げれば敬遠なんか必要ないですよね」
「そのとおりです」
 ウィンドーにパラパラと水滴がつき、あっという間に路上に水煙が立つほどの激しい雨になった。その雨も北村席に帰り着くころにはすっかり上がった。
 ソテツが起きていて、帰宅組に千佳子や睦子も交えて、天ぷらきしめん。私は大盛りきしめんとライス。睦子が、
「巨人は阪神と引き分けました。アナウンサーが、巨人はこのひと月で結束が固くなったと言ってました」
 一座が苦笑いになる。私は、
「叩かれれば叩かれるほど、忠誠を誓い合うというやつだね。良識派一般市民が彼らを支えているのが強みだ。世間的な価値に背を向ける庶民などほとんどいない。巨人軍が勝利することで、ご利益が得られると信じている人びと。そして実際、巨人軍が勝利すれば精神の安定を得るし、こういう苦しい状況を試練と見て自己研鑽の機会を得るんだ。権威主義者は大むかしから強靭だ。マスコミの批判的な報道に接して、それを鵜呑みにして失望し、支持する気持ちを捨てるなんて庶民はいない。ドラゴンズは権威じゃない。五連覇ぐらいしないかぎりね。弱くなったらすぐ見かぎられる。残るのは、少数の根強いファンだけ。でも選手としては、それが最高の幸せだ。権威にまとわりつく有象無象に寄ってこられるより、そっちのほうがずっと野球のし甲斐がある」
 きしめんのお替わりをする。主人が、
「ハブ酒、すごい効果だったそうですね」
 私はユニフォームを脱いでソテツに渡しながら、パンツ一枚になり、
「すごすぎて、危険です。下っ腹が温かいので、一週間ぐらい効く感じです。いままでとちがって、出したあとサッと萎みますし、勃ちつづけていることがなくなって、ほんとに助かります。これからは最終戦の夜だけに飲むことにしました」
「よかった、よかった。ワシもきのうの夜試しました。二十年ぶりくらいにビシッと勃ちましたよ。これもひさしぶりに大きな声を出しよりました」
「いやですよ、耕三さん」
 女将が主人の膝をやさしく叩いた。睦子が、
「私たちは、今朝とっても満足しましたから、今夜は遠慮して、もうお風呂に入って寝ます。郷さんも無理しないでね」
「うん、ぼくも則武に帰って寝る」
 菅野が、
「社長、私にも少し分けてもらえますか」
「ああ、一本持ってき。神無月さんが一週間にいっぺんなら、菅ちゃんはひと月にいっぺんでええわ。おチョコ一口な」
「楽しみです」
 主人が、
「あしたはいよいよ出発ですな。甲子園は大挙して応援にいきます」
「十三人でしたね」
 女将が、
「私とトモヨと直人と、厨房は留守番」
「帰ってきたら、いよいよトモヨさんの出産だな」
「あとひと月くらいやろね」
         †
 則武の寝室に手足を伸ばして横たわる。……
 ―カズちゃん。私のすべて。ほかの女は? 私の一部。一部の割合の大きさは測れない。彼女たちにも愛情を感じるのは確かだけれども、肉欲に基づいた愛の深さは、そのときの興奮の度合いで決まってしまう。肉体的な興奮の度合いの大小で愛の深さを測ることはできない。肉体の興奮と関係なく、絶対的な愛情が決して揺らがないのは、北村和子一人だ。……
 ―本人のことを最後に思いやることができるのは家族しかいない。親子の縁は切ろうにも切れない。だから愛憎相俟って泥沼にもなるけれども、その絆の強さは他人が逆立ちしたって敵わない。
 ほとんどの人びとがそんな〈宗教〉を切実な思いで肯定する。私は肯定しない。……
 ―所詮、他人は他人だ、彼らと真剣に関わっているように見えても、どこかに利益追求や偽善や自己陶酔のにおいがある。
 だれが言い触らしたか知らないが、ほとんどの人がそう信じている。私は信じない。なぜなら、家族や親族というものに対するそういう楽観的な見方を捨てて〈他人〉をきびしく信じたことが、私を現在の幸福へ導いたからだ。私の女たちには私という他人しかいない。……
 脈絡なくさまざまな想いがめぐる。目をつぶった。すぐに眠りが訪れた。
         † 
 七月十八日金曜日。七時半起床。晴。二十三・八度。
 全裸になって風呂場へいく途中で、健康な便意を催す。きわめてひさしぶりに下痢ではなく、蛇が抜けていくような快便だった。水洗の便溜りも液状に濁らなかった。ハブ酒のおかげかもしれない。
 下着を替えるとすぐジム部屋へ。鍛錬をしている戸の外に、カズちゃんとメイ子が出かけていく物音がする。
 八時。迎えにきた菅野とランニングに出る。頭頂がメッシュになっているドラゴンズの夏季用野球帽をかぶる。早朝の陽射しなのに、アスファルトの照り返しがすでに熱い。長距離を走ると危ない。メッシュの野球帽をかぶってきてよかった。
「日赤まで走って切り上げましょう」
「了解」
「昨夜はどうでした? ハブ酒」
「半信半疑だったので、夜は一口飲んでそのまま女房に声もかけずに寝ました。失敗したら恥ずかしいですからね。朝になって驚きました。二十代みたいにビンビンになってたので、女房に教えるとひどく喜んで飛びついてきました。社長も言ってましたけど、女房のやつ声を上げそうになって必死でこらえてました。子供の手前ね。いやあ、ひさしぶりに気持ちよく出しましたわ。亭主の面目が立ちました」
「おめでとう」
「ありがとうございます。カラーテレビ、早速社長に届けていただきました。ソニーのトリニトロン。よく映ります。一家で感激してます」
「それもよかった。ねえ、菅野さん、ぼくはいつもキョロキョロ期待して走ってるんだ」
「何をです?」
「幹線道路なり線路なりを越えたとたん、景色が一変すること。高層住宅が天に向かって何本も伸びている都会が消え去って、稲穂が明るい陽射しの下でそよぎ、溜池が雲一つない青空を映し出している」
 こういうことは根っから親しい人間以外に話す気にはなれない。話したところで、薄笑いをされたり肩をすくめられたりして終わりだ。
「すばらしい。私も溜池のそばに生えてる草か木でいたいなあ」
 真剣な顔で答える。ためらいのない感応だ。
「……このごろ問い合わせとか、雑誌掲載依頼の電話が事務所に頻繁にかかってくるようになって、専用回線をもう一本引きました」
「よかったね。商売繁盛だ」
「そうもいきません。単独でのテレビラジオの出演、インタビュー等はすべてお断りしてます。写真の雑誌掲載は本人に相談のうえ、路上の望遠撮影ならオーケーということにしました」
「どこ?」
「朝日ジャーナルと、週刊新潮です」
「あらためてポーズをとらなくていいんだね。問い合わせというのは?」
「いろんな催し物のゲスト出演です」
「盆踊りとか?」
「その類は断ってます。ほとんど、野球部のある高校の公演です」
「中商はきた?」
「きました」
「それだけは受けてね。木俣さんが同行する条件で」
「わかりました」
 日赤病院の正面から折り返す。マンションと小規模な工場が軒を連ねる一画を走り抜けて太閤通へ出る。ときどき市電に追い越され、市電に出会いながら走る。
「……そのからだから百本のホームランが飛び出しのかと思うと、感動します。くどくていやになるでしょうが、言わせてください。……遇えたことに心から感謝してます」
「ぼくもくどく言うけど、人間というのは強く信じられたとき、理屈では説明できない力を発揮してしまうものです」
「じつは神無月さんのことをすごいと思うのは、野球のことよりも、その慈愛に満ちた人間性のほうなんです。迷わず人に手を差し伸べる人間性です。そういう人がホームランを打つことや、しゃべることや、飲み食いすることや、セックスすることは、ある種、神秘的な感じを抱かせます。それが言いたいんです」
「自分が迷って引いた気持ちでいるあいだに、相手は手を差し伸べられない距離へ離れていくでしょう? 手を差し伸べれば差し伸べられたのに、逡巡して足踏みをしているあいだに相手は不幸になっていくんです。そんなことをしてはいけないと、いつもぼくは思ってる。あるときぼくは、自分の卑怯さに気づいたんです。世の中にはとてつもなく卑怯な手段で人を篭絡しようとする人間がいる。そいつらが使う常套手段は、常に、自分の弱さと傷を見せびらかすことです。引っ込み思案も弱さの一種です。もちろん、自分の華やかな部分を見せて人の心をつなぎ止めようという魂胆も、腹立たしいし、滑稽で哀しいものだけど、弱さと傷をひけらかすことほど悪質じゃない。……とにかくそういういっさいのものを捨て去って、強くありたいと思うようになった。弱さや傷や華やかさではなく、強さで人から愛されようと決意したんです。みずから意見など持っていないなら、相手にはいっさい反論せず、相手の意見に感情的な反発は抱かない。ただうなずいて話を聞くだけ。そうやって手を差し伸べることこそ最高の強さです。求められていると信じて打つホームランや、求められていると信じてするセックスは、その強さの一つにすぎない」
「……もう何もおっしゃらなくていいです。ぜんぶわかってます」
 カズちゃんや山口を思った。彼らが私の消えかけていた命の火を燃え立たせようとした真剣な情熱を思った。あらためて彼らの情熱に祈りを捧げた。そうして、母に連れ出されることを野辺地の小さな部屋で祈った日々を悲しみながらなつかしんだ。
 居間に集まっていた北村一家の人びとに朝の挨拶をし、菅野と二人でシャワーを浴びにいく。
「下着置いときますよ」
 トモヨさんの明るい声。
「はーい、ありがとう」
 菅野に訊く。
「ぼくの今シーズンの四死球、二百個いくと思いますか」
「その半分でしょう。王の百五十前後の四球記録を軽く抜いて、三百ぐらいの四球記録を作ると思うと言ってる評論家もいますけどね。……五百野って、どういう作品ですか」
「……母を書かなければいけないと思ったんだ。母をモデルにして、とにかく一つの作品を仕上げようと思ってる」
「あのとおりの母親像を書くんですか?」
「たたずまいだけ」
「たたずまい……」
「底に秘めてる本来のやさしさ」
「やさしい人なんですか」
「ぼくの願望が作り出した雰囲気。実際それを感じた数年があったんです。掛け値なしであのとおりの人間なら、書く価値はないです。だから、ぼくの信じるたたずまいに添うように、言動はまったく別物にする。モデルにした人物のたたずまいはそのままにしなくちゃいけない。そうじゃないと、モデルにしようとした動機が曖昧になる」
「少しでも時間があったら机に向かうというは、たいへんなことですね。人間はサボりたい生きものだから」
「いやなことはね。活字の羅列に考えを刻むことは、性に合ってる」
「とにかく、現役スポーツ選手で物書きなんて、寡聞(かぶん)にして知りませんよ」


         二百四十六 

 二人で湯に浸かる。天井に煌々と蛍光灯が輝いている。
「神無月さんは野球を心から楽しんでやってますが、少年のころとはちがった目で、スタンドから見下ろされる自分を見るようになったでしょう?」
「うん。曝し場に置かれている俗な生物って感じがする。曝されることには反発心が湧くし、俗に思われることにも心底喜べないものがある。でも、視線が集中するって、俗になるってことでしょう? じゃなきゃだれも見つめない。子供のころはそう思わなかった。野球場や、野球という遊びを神聖なものと感じた。そして好きになった。それだけでいいじゃないか、自分だけが神聖と思っていればいい―で、積極的にそういう晒し者になってやろうと居直った」
「よき義務感が芽生えたんですね」
「そう。うまい言い方をしますね。そのとおりです。そんなふうに居直ると、野球場で野球をすることが、充実感いっぱいの義務としてぼくにつきまとうようになりました。少年のころには感じもしなかった重圧……自分が見世物だという事実、それをいっぺんに引き受ける気になった。ぼくは観客のいない校庭で楽しく野球をする権利がある人間じゃなくて、観客が営利をもたらす野球場で野球をして見せる義務を担った人間だ、そういう仕事をする運命だったんだ、そう気づいたら……反発がいっぺんに消えちゃった」
「そして見世物でありつづけようとする努力の人になった」
「そうです。でもそんな気持ちだけでいたんじゃ生きている甲斐がない」
「はい。大好きな野球を楽しまなくちゃ、ということですね。そういう環境で野球という仕事をしながら生きようと居直ったら、子供時代の純粋な喜びが立ち返ってきたわけですね」
 耳鳴り。
「話がきれいに終わりましたね」
「終わりました。神無月さんがどこか静かに、うれしそうに野球をやっている雰囲気がすっかり納得できました。ほとんどの人間が、見世物になるのを最終的な人生の成功と思ってるのに……神無月さんは見世物になろうとする自分に納得しようとする。見世物というものに幼いころからしっくりこなかったからです。小さいころは有名になりたかったと神無月さんはよく言いますけど、野球選手になれなかったら死ぬという決意は、有名になれなかったら死ぬ、見世物になれなかったら死ぬというのとはちがいます。野球をやって生きられなかったら死ぬということです。嫌いな見世物を引き受けながら、だからこうやって野球をやれていることだけに生甲斐を見出して生き延びてるんです。理想的な人生でないかもしれませんが、いまの神無月さんの人生を私は神無月さんのために喜びます。―そろそろ上がりましょうか」
「はい」
 風呂から上がって食卓についた。ナスの煮浸し、キャベツの浅漬け、引割り納豆の味噌汁、おろし付きの卵焼き三切れ、ひじき煮、好みのものばかりだ。ソテツたちの心映えがうれしい。めしが進む。菅野が、
「しかし……プロ野球人は、やっぱり俗人ですか」
「はい、見世物、成り上がりですから。神秘的と言えるほど、遊び心あふれるオタクでなければね。ただの野心のかたまり、俗界へ一直線の人たちです。それはどんな分野の人たちも同じですけどね。……菅野さんの言葉に打たれました」
 ソテツが、
「オールスターのお荷物はぜんぶ手配ずみです。安心してください」
「ありがとう」
 主人と菅野が見回りに出た。
「ソテツ……」
 十七歳の顔がパッと輝いた。
「とうとうですか!」
「うん、幣原さんといっしょに客部屋にいって、蒲団を敷いといて」
「はい!」
         †
 きちんと二組の蒲団が敷いてある。ソテツと幣原がその蒲団の上に坐っている。二人とも、シュミーズ、ブラジャー、パンティのフル装備だ。
「これ、バスタオル。出血したときのためにお尻に敷いてね」
 ソテツの蒲団に敷く。私に全裸になるように言われて幣原はすぐ立ち上がり、まとっているものをすべて取った。腹にこぶしを置いて横になる。濃いTの字の陰毛が目を射る。私はぐずぐずしているソテツを脱がせにかかる。シュミーズとブラジャーを取ると、ソテツはキャッと言って胸を隠した。斜めに背を向けるようにする。パンティを脱ごうとしないので、
「ソテツちゃん下着を取って。ちゃんとオマンコを神無月さんに見せてあげて」
 幣原がやさしく言う。ソテツはかたくなに背中を向けている。面倒だ。
「恥ずかしがらないで見せてあげてくれる? してもらわなくてもいいなら、それでももいいけど……。私が最初にしてもらいましょうか」
 ソテツがキッとなって、
「……してもらえないのはいやです。……どうして幣原さんは帰らないんですか」
「あなたが妊娠しないように、神無月さんが出したものを受けてあげるためよ。まんいちのことがありますから。私はそろそろ月のものが上がりかけで不純になってるし、たまたま妊娠しない日だからだいじょうぶよ。そのために私もいっしょに呼ばれたの。そうでしょう、神無月さん」
「うん、幣原さんも危なかったら外に出すけど」
「私はほんとにだいじょうぶです」
 私はジャージを脱いで裸になった。すっかり萎れている。
「見て、ソテツちゃん、これが神無月くんのからだ。きれいよ」
 ソテツは見ようとしない。私は幣原の隣に横たわった。幣原は察して、私のものを咥える。いつもとちがっていきり立つ気配がない。ソテツが正座したまま振り返り、驚きの目を見開いた。幣原の様子をじっと見つめる。色黒の頬が赤らみ、あわててパンティを脱ぐと、手で胸を隠しながら仰向いた。やや血が入りかけたので幣原が離れた。ソテツにやさしく語りかける。
「ほら、これが神無月さんのオチンチン。ソテツちゃんがそんなふうだから、ちっちゃくなってる」
 ソテツはチラリと見て、視線を逸らした。
「ソテツちゃん、ほんとに男の人、初めてなのね」
「はい」
「オナニーは?」
「……ときどきします」
「それなら、最初にお口でオマメちゃんをイカせてもらいなさい。もうその感じは知ってるから怖くないでしょう? 恥ずかしいなら、私が最初にしてもらいましょうか」
「いいえ、私が先に。神無月さん、お願いします」
 ソテツが私の手を引いた。濃い陰毛。こちらが恥ずかしくなるほど濡れて光っている茶色い小陰唇。たぶん頻繁に自分で慰めているクリトリスが不気味に大きかった。小陰唇を一舐めし、クリトリスに舌先が触れたとたん、ウン! とうめいて果てた。見下ろすと陰茎がしっかり伸びていた。幣原が、
「ください」
 私はうなずき挿入する。幣原は背中をそっと抱き締める。
「ああ神無月さん、気持ちいいです、愛してます、あ、イキそう、イッたら抜いてください、ソテツちゃんにもそうしてください、お手伝いします、そのあとで何度もイカせてください、ああ、もうイク、イクイクイク、イク!」
 収縮する腹をそっと押しながら抜いて、ソテツに挿入する。意外なことにスルリと入った。太い眉が寄り、ドングリ目が閉じられる。私は腰を止め、
「男、知ってる?」
「……こういうときにご迷惑をかけないように、いつもハリガタでしてました。中でもちゃんとイケます」
 厚い唇を吸いながらゆっくり往復する。
「ううーん、気持ちいい、神無月さん、好き、愛してます、ああイク、イク、イク、好き好き、あ、イッちゃう、神無月さん、イク!」
 グンと一腰押しつけ、背中を抱き締めながら弾むように痙攣した。反射的に腕が解けたので引き抜くと、まだ回復していない幣原が這ってきて私のものを握り、跨った。
「あああ、神無月さん、イク!」
 幣原の愛液でたがいの陰毛が濡れはじめる。
「イクイク、イク! あ、あ、気持ちいい、愛してます、愛してます、うう、うう、イックウウ!」
「出すよ、幣原さん!」
「はい! いっしょに、いっしょに、好き好き好き、あああ、イクウ!」
 律動する。
「死ぬ、ううう、苦しい、でも抜かないで! 抜かないで、あ、あ、イクイク、ああ、イクイク、グググ、イッグ!」
 猛烈に膣壁をうねらせながら、からだを弓なりに反り返らせた。尻を抱えてやる。陰茎を求めるように恥丘が前後する。前後しながら強烈に陰茎を搾る。
         †
 二人の手が私の胸にある。ソテツが、
「やっと神無月さんの女にしてもらえました。死ぬほどうれしい」
 この女の心映えに感動したことを強いて思い出す。顔を見る。眉毛が濃い以外、目立った瑕はない。からだが一人前だったことがうれしい。
「私もそうだったわ」
「いつですか?」
「今年の春。それきり神無月さんは振り向いてくれないし、とても苦しかった。きょうは幸せ」
「……幣原さんて、よく見るときれいなんですね」
「お婆ちゃんよ。もう四十二。ソテツちゃんの若さが羨ましいわ」
「私はブスだから……。バスタオル、ありがとうございました。必要ありませんでしたけど」
「私もお手伝いする必要がなかったわね」
 ソテツは得意げな顔になり、
「……神無月さんに迷惑かけないですみました。最初、ハリガタに血がついたときは、すごく怖かった。でも、二週間ぐらいでイケるようになって、そのとき、この一人前になったからだを神無月さんにぜったい抱いてもらう、ハリガタじゃなく神無月さんにイカせてもらうって決心したんです。……思い出しました。先月の生理、二十七日か、二十八日でした。いつもだいたい月末の五日間から、月の初めにかけてです」
 幣原の肩を揺すると、
「私もそうですよ。整理前の二週間が安全日で、十日間は絶対安全日です。ソテツちゃん、中に出してほしいのね。どんな感じがするか知りたいんでしょう?」
「はい」
「私もいまそうしてもらったけど、一度し終わったあとすぐしてもらうと、飛び上がるほど気持ちいいわよ。神無月さん、だいじょうぶですか」
「一度出したら、しばらくヤル気はそのままだ。萎んでるけどだいじょうぶ」
「私が勃ててあげます。ソテツちゃん、やり方わからないでしょう」
「はい、でも私にやらせてください」
「こうするのよ」
 幣原は私の萎れたものを握り、含む仕草をして見せた。
「亀頭を口に入れたら、舌を動かしながら、こうしてタマタマを揉むの」
 ソテツはそのとおりにした。すぐに回復した。
「ほんとだ! すごい。ウ! 大きい」
 吐き出した。幣原は勝手知った顔で笑った。私はすぐにソテツの手を引いて跨らせた。好奇心満々の顔で腰を下ろす。
「あ、すごい、あああ、愛してます、好き好き、だめ、もうイキます、イクイクイク! ああ、気持ちいいい、イクウ! 幣原さん!」
「はい!」
 ソテツは転がり落ち、幣原が跨る。すでに射精を促すように締まっている。
「ううう、神無月さんすぐですね! 愛してます、神無月さん、イク! あああ、イク! グ、イグ! 神無月さん、出さないで! ソテツちゃんに、ああ、イクウ!」
 ソテツに挿し替え、
「ソテツ、出すよ!」
「はい! わ、大きい! あーん、イク!」
 二度目の精を搾り出す。
「キャー! 気持ちいいい! だめええ、イク! あ、あ、あ、気持ちいい、イクウ!」
 自分の作品である人生を創造しようという気持ちは真剣そのものだけれども、彼女の内部には別の彼女が住んでいてその真剣さをからかっている。私が離れるとソテツは、
「神無月さん、私のホーミーに指入れて」
 隠語でそれのことだろうと思って、中指を入れると、ウ、とうめいて、
「あ、イク!」
 指を動かすと、
「あああ、気持ちいい、イク!」
 幣原がたまらず尻を向け、
「お願いします、もう一度だけ」
 射精の終わった名残の堅棒を挿しこむ。
「ああ、またイク! 神無月さーん、愛してる、愛してる、何度もイキます、あ、イクイク! ああああ、気持ちいい! イク!」


         二百四十七

 幣原がすっかり呼吸の落ち着いた声で、
「神無月さん、ありがとうございました。こんなに気持ちよくさせてくれて、ほんとに」
 静けさを取り戻したソテツが、
「ありがとうございました。からだじゅうがスッキリしました。血がきれいになった感じです。睦子さんや千佳子さんが言ってましたけど、半年もすると恐ろしいくらい感じるようになるって。もう、そうなりました。イッてるときは呼吸できないほど苦しくて、どうなってしまうのかほんとに怖くなりましたけど、こうしてからだが静まると、ふわふわ暖かい綿に包まれてるようで、とってもいい気持ちです。……神無月さん、私のホーミー、どうでした」
「とてもよかったよ。しっかりつかんでしごいてくれた」
「うれしい! しつこくしませんので、これからもときどき抱いてくれますか」
「うん、人のいないとき、この家でも、道端でも、したくなったらお尻向けてね。後ろから入れるから。そういう緊急のときは、ゆっくり横になる場所がないし、前からだと入れにくいんだ」
「はい!」
「わかりました! さ、幣原さん、お台所に戻りましょう」
 二人は下着をつけ、しっかり服装を整えると、襖を引いて出ていった。思いがけなかったソテツの反応を侮れない感じで思い返した。トモヨさんがタオルを手に、襖を開けて入ってきた。股間を拭きながら言う。
「やっぱり二人、後始末をちゃんとしてないわ。シーツも敷きっぱなし。……でもよかった、ソテツちゃんのこと、私ずっと気にしてたんですよ。とにかく郷くんに一生懸命でしたから。とうとう念願叶ったわね。イネちゃんにお尻叩かれて、すぐお義母さんに報告にいったんですよ。無邪気ねェ。お義母さんにもお尻を叩かれてました。幣原さんもそれは喜んでました。神無月さんのお役に立てよかったって。……私にこっそり言うんですよ。ほんとに幸せです、神無月さんとの初めてのセックスで、信じられないくらい強くイカせてもらってって。さびしい人ですから、いいことをしてあげました」
 初めて、と幣原が多少取り繕う気持ちは痛いほどわかった。
         †
 キッコが登校し、直人が離れに引っこんだ夕食後のテーブルで、ひとしきりソテツと幣原の〈初体験〉の話題になった。カズちゃんが、
「二人ともよかったわね、ちゃんと満足した?」
 ソテツが、
「はい! 信じられないくらい気持ちよかったです」
 素子が、
「あんたが気持ちよかった言うと、気持ち悪いわ。ヨガリ顔が浮かんでまう」
「素ちゃん、ひどいこと言わないの。ソテツちゃんはかわいらしいわよ」
 幣原が、
「私も生まれて初めてすばらしい経験をさせていただきました。神無月さんにほんとに感謝してます」
「同情票やね。おめでと。キョウちゃんはマメな人やから」
「貪欲にならずに、次のチャンスを待つのよ。キョウちゃんのからだは一つなんだから」
「はい」
「承知してます」
 主人と菅野がビール瓶を手にニヤニヤ笑い合う。木村しずかが聞きつけて、
「満足って……私、だめみたいなんです。丸ちゃんにも訊かれたんですけど、イクというのはオマメちゃんと同じように中でもイクってことですよね」
「そうよ」
 カズちゃんがうなずくと、
「三十五にもなって、中でイカないんです。それで売れないんじゃないかと思って」
 素子が、
「中でイッとったら商売ならんが」
 丸信子が、
「サックしてやる女はみんなイカないのよ。私もそう。でも売れない原因はそれじゃないと思う。同じ三十女でも、れんさんは売れてるでしょう? れんさんも中ではイカないって言ってたわよ。だから売れない原因は、イカないことでもないし、齢でもないのよ。感じていないのに感じるふりをすることができるかどうか。それだけ。しずかさんは正直な人。感じんから黙っとるし、感じたらちゃんとそれなりに表現できるということよ」
「ええ……でもどうすれば」
「ある日、とつぜんじゃないの」
 近記れんが、
「イクって、クリ……のことじゃないんですか。私はぜったいお客さんにクリを触らせないから、そういう意味でイカないって丸ちゃんに言ったんですけど、中でなんかもちろんイッたことはないわ」
 女将とトモヨさんが明るく笑って、たがいを信頼する目で見合った。トモヨさんが、
「クリちゃんは軽く、と言うか、短く一回しかイケないでしょ? 膣は、強く、長く、気が遠くならないかぎり何回でもイケるの。男がまじめにしてくれる人なら、そのうちそうなるわ」
 イネが、
「まじめだけでええのが」
 トモヨさんは聞かぬふりをする。近記が、
「私……男は」
 カズちゃんが、
「あ、そうか、みんな独り身だったわね。じゃ恋人を作って、まじめにしてもらいなさい」
「男なんか作ってる暇ありません」
 菅野が、
「シモネタにしても、ちょっと露骨すぎるんじゃないですか? もっと女らしくロマンチックにいきましょうよ」
 カズちゃんは菅野の動議に首を振り、
「男にはただのスケベたらしい話に聞こえるでしょうけど、女にとっては気持ちも絡んだ大問題なのよ。こういうことも女のロマンの一つなの。私もキョウちゃんにきちんと女にしてもらってから、じつはこういうことって大きな愛情問題だったんだなって気づいたの。それをクリアしてない女の人があまりにも多いとわかって、胸が痛くなったわ」
 カズちゃんは周囲の女たちを見回し、
「トモヨさんはやさしく言ってくれたけど、これは男のまじめさの問題じゃなくて、女の愛情が絡んだ、とても厄介な問題なのよ。愛情という気持ちこそ人間にとって大問題だから……。男を深く愛すれば一挙に解決すると思ってたころもあったけど、そうスッキリしたものでもないかもしれない。体質が複雑に関係してる気もするの。そういう体質と気持ちがマッチした運のいい女は、何百人、何千人に一人もいないと思う。私も、私のおかあさんも、ここにいるキョウちゃんの恋人たちも、みんなそういう幸運に恵まれたんだと思えばいいのよ。ガッカリすることないわ。そういう幸運はきっといつか訪れる。私はそう信じてる」
 イネがひねっていた首をもとに戻して小さくうなずいた。千佳子や睦子、素子やメイ子や百江、イネ、優子、三上ルリ子といった、たまたま〈幸運〉に恵まれた連中は、寡黙に湯呑茶碗をさすりながら、口を挟まないでいる。登校してここにいないキッコも、こういう会話の中に混じっていればきっと黙っていただろう。正直、何をどう言えばいいのか見当がつかないからだ。大事な話だとわかっていても、自分の幸運を大っぴらに公言すればみっともない自慢にとられる。ホームランを打てる僥倖についても同じだ。人間はどんな話でもするし、どんな話にも対応する。そしてすぐに忘れる。幸運にあずかった者たちはそれを望んでいる。幣原が、
「何百人何千人に一人。そんなに少ないんですか? そうですよね。私もついさっき、運よく……」
 ついさっき。キンゼイ報告的なことを開けっぴろげに、しかもまじめ腐って話しているときも、少しでも潤色しようとする四十女の遠慮が痛々しい。でもきょうから幣原は本音を繕う必要はなくなる。彼女は、私と何カ月も前に関係をつけたことを正直に言えないでいる。周囲の女たちを裏切っている気がするからだろう。かわいそうに。私はたまさか大勢の人に喜びを与えることを日々の仕事にしているけれども、喜びを受け取る相手にとっては、たまさかではない精神的な苦しみを強いることになる。それが私の宿命のような気がする。
 ―私のすることに喜ぶとロクなことがない。
 近づかないほうがいいと言いたいけれども、言えない。苦しみも喜びの一種だと思うからだ。むろん、カズちゃんは私にそんなことを言わせない。私の仕事も宿命もすべてをひっくるめて愛しているからだし、愛することで自分が私から何も奪わないという確信があるからだし、愛されることに私が気兼ねしていないからだ。女将が、
「さあ、腰を上げましょうわい。あしたからオールスターやよ。みんなで楽しいお話をするのは五日間オアズケや」
 主人は掌で腿をパンと叩き、
「じゃ菅ちゃん、回ってくるか」
「いきましょう」
 みんないっせいに腰を上げ、それぞれの休息場所へ戻っていく。女将とトモヨさんが私たち椿神社組を式台に見送った。門からは、千佳子と睦子、ソテツと幣原の四人が送ってきた。
 八人でしみじみと話し合いながら帰る。
「ソテツ、いつもおいしい弁当ありがとう」
「とんでもありません。大好きな神無月さんに食べてほしく作ってるんです」
「ぼくにだけじゃない。遠征のときも作ってくれるじゃないか。ソテツちゃんの弁当は相変わらずうまかねえって、江藤さん、ベタ褒めだよ。いい嫁さんになるだろうって」
「私はだれのお嫁さんにもなりません。神無月さんの女で一生すごします。それが最高の幸せですから。きょうはほんとうにありがとうございました」
 百江がメイ子と並んで私の前を歩いている。明石以来これまでの誠実な、てきぱきとして、心の行き届いた応対が哀れみを伴って胸にくる。百江には家族の影が射さない。彼女には私しかいない。百江の家の前にくる。
「百江、いつもありがとう。ぼくたちは明石以来の腐れ縁だからね。忘れないで」
「はい。……愛してます、心から。―お休みなさい」
「お休み」
 玄関の戸が閉まるまでみんなで見送った。先をいくカズちゃんと素子の両隣を幣原とソテツとメイ子が歩き、私の両隣を睦子と千佳子が歩いている。素子が振り返り、
「うちらとキョウちゃんは、みんな腐れ縁やよ」
「ああ、もちろんわかり切ったことだよ。百江も文江さんも強い愛情の持ち主だけど、年をとってる。老いはさびしさの素になる。いつも声をかけてあげなくちゃいけない。そうやって安心させてあげないと、さびしさでまいってしまう」
 幣原も振り返り、
「神無月さんのやさしさは、かぎりないですね」
「せいぜい風呂敷程度です。幣原さん、直人をよろしくね。あなたにいちばんなついてるから」
「神無月さんだと思ってお相手してます。かわいくて仕方ありません」
 素子をアイリスの隘路に送った。
「キョウちゃん、愛しとるよ。死ぬほど」
「ぼくも」
 手を振って去っていく素子の後ろ姿を見つめながら、すてき、と睦子が呟いた。
「じゃ、私たちもここで」
 北村席の四人が踵を返そうとする。
「千佳子、睦子と協力してキッコをかならず大学の後輩にしてあげてね」
「かならず」
「まかせてください」
「睦子のジャズレコードは三分の一ぐらい聴いた。オタクっぽくて一回一回が楽しい。とても気に入ってる。意外な趣味だね」
「オーソドックスなものは、マンションで聴いてます。来年、まとめて持ってきます」
「ありがとう。千佳子、法律は楽しい?」
「ぜんぜん」
「経済学は」
「ちっとも」
「それなら、弁護士とか公認会計士とか資格なんか目指さずに学者になればいい。気に入った分野を一つ勉強してね。もちろん司法試験は受けて合格しておけば、大学に残って学問をするにはツブシが効くだろうけど、つまらないね。ほかの学部に転部したっていいし、とにかくしっかり勉強して教養を積むことだね。あ、それから、暇なときでいいから、青と白の市松模様のスタンド敷きを編んでね」
「はい」
「千佳ちゃん、私にも編み方教えて」
「うん、今夜さっそく教えてあげる」
「睦子、青森高校でぼくが最初に目をつけた女は千佳子だったって知ってる?」
「はい、山口くんに聞きました。窓辺で本を読んでる横顔や、体育祭で走った百メートルの鹿の脚に惚れたって」
「それから、バス旅行の大きなおにぎりね。睦子は、マネージャーになって野球部にきたとき、胸がときめいた。歯を治しただけの顔がカズちゃんにピッタリ重なったんだ。一年余りそばにいたのに気づかなかった。……ぼくはいつも女を見るとき、カズちゃんを試金石にする。その石にこすっていい色が出ると、カズちゃんと同等な女と看なすんだ。青高では、千佳子と睦子の二人しかいなかった。……二人はカズちゃんだよ」
 二人で私の腕を握った。カズちゃんがやってきて、
「またオーバーなこと言ってるわね。私は私、千佳ちゃんは千佳ちゃん、ムッちゃんはムッちゃんよ。ただ私たちに純粋に惚れただけでしょう? さ、いいかげんに切り上げていきましょう」
「うん」
「じゃ、郷さん、あした北村席で。お休みなさい」
「お休み」
「暇を見つけて、スタンド敷き編みます。春までに二枚ぐらい」
「よろしく。気をつけて帰ってね。幣原さん、ソテツ、いい夢見てね」
「はい、きょうはほんとうにありがとうございました」
「ありがとうございました」
 四人大きく手を振って戻っていった。


七章 進撃再開 終了

八章 オールスターへ進む 

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