十六

 直人を保育所に送って帰ってきた菅野から新幹線の切符を渡される。ブレザーの内ポケットにしまう。
「ファインホース、ほぼ完成です。見てください」
 彼の案内で門を出て、ファインホースの墨看板を掲げた事務所を見物する。記念品保存のための立派な造りの棚に目を瞠る。ただ、陳列してあるトロフィーや楯や賞状といったシナモノは見る気にならないので、スチール机を四脚も置いた立派な室内だけを見る。電話番に三人ほど見知った賄いの女が座っていた。幣原もいた。
「いつもこうしてるの?」
「二時間交代で、留守にしないようにしてます」
「みなさんお世話さま。感謝します。ドラゴンズ関係者出演以外のテレビやラジオは断ってくれていいですからね」
 愛想よく三人頭を下げる。菅野が、
「いずれ、正式に社員を雇いますから、それまで力をお貸しください」
「はーい」
 プロ野球選手はファンに報いるショーマンシップもきわめて重要だということだ。賞状や楯やトロフィーといった勲章ばかりが尊重されるのは味気ないことに思われる。そんなものはだれも見たくない。勲章の目録なぞ野球年鑑の備忘録を見ればすむ。
「菅野さん、ファンへの感謝を表わす具体的な行動はないですかね」
「チャリティですね。広島球場で神無月さんがした類のことです。野球用具やサインをオークションに出して、その売上金を恵まれない人びとに寄付するんです」
「ふうん、なるほどね。適当にいい方法を考えといてください。役に立つなら、この棚のものもお願いします」
「それは―」
 菅野は絶句した。
 事務所の玄関前で傘を差しながら空模様を見上げていると、ダッフルやスポーツバッグを担いだ江藤たち四人が数寄屋門にやってきた。一人増えたのは星野秀孝だった。
「みなさん、わざわざありがとうございます。星野さんこんにちは。しばらく休んでから出かけましょう」
 居間で、星野がしゃちこばった自己紹介をする。コーヒーを飲みながらしばらく一家の者たちと歓談する。星野は尾瀬の自然や、二軍時代の心持ちなどをさわやかな口ぶりで語った。
「おととしドラ八で入団しました。それから二年間、本多さんに絞られながらのんびりやってきました。あまりのんびりしてるんで、よく寮長の大友工さんにもっとしっかりやれと叱られました。大友さんはぼくと同じ軟式野球出身で、巨人で剛速球のエースとして百三十勝も挙げ、沢村賞も獲った人です。……去年本多さんに投げてこいと言われて一軍のバッティング投手をやったとき、雲の上の人の江藤さんが褒めてくれて。それをきっかけに、二軍の登板が増えました。ノーコンでなかなか勝てませんでした。一軍の試合は、夜テレビでたっぷり観せてもらえるし、ファームの試合も楽しいし、このままいつクビになってもいいやって思ってました。二軍選手も優勝の胴上げには参加できるんです。今年はそれが実現しそうで、それだけでもドラゴンズに入った甲斐があったなァって感じてて……そんなときに江藤さんにまたバッティングピッチャーで呼ばれて、魔神の神無月さんに投げさせてもらって、その神無月さんが後押ししてくれたおかげで、とつぜん……」
 江藤が、
「かなり前からおまえのことを金太郎さんに紹介しとったけん」
 太田が、
「ノーコンでなくなってたから驚きました」
「コントロールがよかったのは、あの日だけだったんです」
 菱川が、
「すごいバッターには張り切っていい球を投げるんだろう。去年江藤さんに投げたみたいにな。一軍の実戦向きの男だよ。おまえ、江夏より速いぜ。パームは落ちるし……自信持て。寮長の大友さんな、巨人で三十勝、二十七勝と挙げた人だ。金田が、俺より速いのは大友だけだと言ったくらいの球界ナンバーワンの速球ピッチャーだった。その人に励まされたのも何かの縁だろう」
 菅野が、
「実力があったからこそですよ。もう四勝でしょう。来年は沢村賞ですね」
「や、それは……。土屋さんも神無月さんのおかげで一軍にこられて喜んでます。打たれてしまえ、という気持ちで投げろ、だめなら腹を切ればすむと言われたと、口癖みたいに言うんです。ぼくもいつもその気持ちで投げてます」
 感動したことにはかならず脚色される。星野はその素朴な性格を一家の者たちにいっぺんに気に入られた。江藤が最年少の彼の頭をやさしく撫ぜた。太田と菱川は、座敷や廊下の鴨居の写真を眺めにいった。
 カズちゃんに買ってもらった淡い薄茶のチェックのジャケットを着て、ズックのダッフルを担いだ。トモヨさんは具合が悪くて出てこられなかった。付き添いのイネも出てこなかった。
 女将が玄関でいつものとおり五人に切り火を打った。主人、菅野、弁当を提げたソテツが、これもいつものとおりホームまで見送りにきた。
 霧雨の貼りついた車窓の外で手を振るソテツが、色が抜け、ふくよかに成熟してきたように感じられた。
「ソテツちゃん、よかおなごになったのう。色気が出てきた」
「そうですね、女としての自信が出てきたんでしょう。星野さんも彼女と気さくに話してた。初対面を感じさせないやつはいい人間です」
「ふうん、金太郎さんはどんな女もピタッとええ言葉で褒めよる。不思議な男ばい」
 星野が私のことを、超一流のプロ野球選手でありながら、教養人でもある、と言いだした。私はまじめに否定した。
「教養人というのは、学問、思想、芸術などの分野で業績を上げてる人のことです。博識なだけではなく、人格も兼ね備え、そのうえ、そこそこ有名でなくちゃいけない。ぼくは積み上げた知識もそれを基本にする教養もない一介のプロ野球人です。本は読む、文章も書く、理屈めいたことも言う。でもそれだけです」
 江藤が、
「金太郎さんの言いたかことは、身の程ば知らんといけんちゅうことやろうもん。ワシらのことば文化を動かしとるけん文化人やと言いよる人たちがおるばってん、どこから見てもワシらは単なる野球選手たい。脳味噌はスッカラカン。それでよかやなかね。……たしかに秀孝の言うとおり、金太郎さんの脳味噌はギッチリたい。何をさせても高い峰に登るにちがいなか。たまたま野球をやっとるだけやろう。ばってん、そのたまたまちゅうのを金太郎さんはきっちり教養人との境目と考えとって、自分をただの野球小僧て言うとるっちゃ。まっこと正しい意見やと思う。実際、学問の分野で活躍しとらんのやけんな。ただ金太郎さんは学問の分野で活躍することになっても、ぜったい自分のことば教養人と言わんやろのう。教養と心は両立せんていつも言っとるけんな。……金太郎さんは知識ば好いとらんけん。こと野球に関しても知識は好かん」
 太田が、
「巨人の森や、ジャイアント馬場が、よく本を読む教養人だと言われてるのをどう思いますか」
「金太郎さんに言わせれば、本を読む、ただそれだけのことばい。相対性理論を読んでも同じことやろう」
 私は、
「創造しなければ、ただの読書人ですね。教養人よりは読書人のほうがマシですけど。享受することを楽しんでるから」
 菱川が、
「教養人は享受することを楽しんでないと?」
「はい。たぶん享受することに齷齪してるでしょう。知識の集積を生かすことが目標ですから」
 五人でソテツ弁当を開いた。
         †
 新大阪から大阪駅へ二台のタクシーに乗る。山陽本線のホームに登って姫路行の特急を待つ。特急に乗りこむと太田が、
「さあ、ここから六時間か。名古屋を夜中の十一時台に通る博多行の特急あさかぜに乗れば、一本で広島までいけるんですけどね。ホテルのチェックインのタイミングがね」
 私は、
「そうなんだよね。結局この方法しかない」
「それ知っとったばってん、出発が夜中やろう。眠れんかったら試合に響くし、決心がつかんやった。何時に広島に着くとね」
「朝六時半過ぎです。京都、大阪、岡山、尾道と停まって、広島です。やっぱり八時間弱かかりますね」
 星野が、
「話が弾んで、眠れないということは大いにあり得ますね。旅館に着くのも朝早すぎるし」
 太田は、
「狭いベッドも疲れるし……やっぱりこの方法がいちばんいいですよ。世羅別館は部屋でバットが振れるんで助かります。神無月さんも振るんでしょう?」
「ごくたまにね。例の九コース二十本ずつ。感覚の確認のつもりなので、それ以上は振らない」
 星野秀孝が、
「ぼくも小川さんに言われて、一回の投げこみは五十球までにしてます。多くて八十球」
 菱川が、
「これからの星勘定、最悪どのくらいのペースですかね」
 江藤が、
「最悪は一勝二敗ペース。まあ、一勝一敗と踏んどけばよかやろ」
「あと五十九試合。最悪二十勝で、八十勝か。まず優勝はまちがいないですね」
「まちがいなか。一勝一敗以上のペースでいけば、今月末に優勝やろう。とにかく連敗せんことばい」
 広島駅からタクシーに乗る。薄曇り。そろそろ終電の市電を眺めながら世羅別館へ。十五分もかからずに到着。夜九時五十分チェックイン。ロビーがドラゴンズの選手で賑わっている。シャッターのかしましい音。二階一号室の鍵を受け取る。フロント主任が笑いかけながら、
「あした雨でなければ、似島(にのしま)にご案内します。宇品(うじな)港からフェリーで二十分です」
 頭頂の薄い、冴えない中年だ。人は良さそうだ。胸の名札に斉木とある。私は江藤たちを見回し、
「あしたの午前、こちらの斉木主任と園山という仲居さんの案内で、すぐ近くの似島を観光することになってるんですけど、いきますか? 三カ月も前からの約束なんですよ」
「おお、ワシはいく。朝早くいって、土地のめしば食おう」
 残りの三人も手を挙げる。
「七時半のフェリーでいって、二時半ので戻ってきましょう。島内をたっぷりハイヤーで観光できます。あしたは六時半試合開始ですから、三時過ぎにここに戻れば余裕でしょう」
「余裕たい。ビジターは四時半からバッティング練習やけん、四時十五分に球場に着いとればよか」
「球場までは十七、八分なので、じゅうぶん午後の食事をする時間があります。あさっては二時半からのダブルヘッダーですから、観光するのはスケジュール的にも体力的にもつらいでしょう。あしたしかないですね。写真をたっぷり撮らせてもらいますが、よろしいでしょうか」
「もちろんよかよ」
「たまたま、うちの園山が、いい散歩場所はないかと神無月さんに廊下で訊かれて、自分の出身地をとっさに答えたようです」
「そう言えばいつやったか、金太郎さん、河口のほうまで散歩にいこうって提案したばってん、牡蠣の養殖場しかなかて聞いて、散歩ば取り止めにしたことがあったっちゃん。よほど残念やったんやのう。とにかくいこう。瀬戸の小島。よか感じでなかね」
「あしたの夜は、だるま寿司ですか」
「ほうやな」
「ホルモンキングはやめましょうね」
「おお、あそこはちょっとゲテばい」
 二階と三階に分かれて部屋に入った。ジャケットの上下をジャージに着替え、届いていた荷物を解く。ユニフォームをソファに延べ、ケースにバットを二本入れると、すぐに宴会場に入る。三日間の規則的な生活が始まる。
         †
 監督はじめ、三日ぶりの顔ぶれと一堂に会する。彼らが親友のように毎日会いたい人びとになってきている。口数の少ない男、饒舌な男、腹を揺すりながら低く抑えた声で笑う男、弾けるように甲高い声で笑う男。彼らは一様に肉親に近い眼差しで私を見つめる。平和な別世界にいる。
 野辺地、古間木、横浜、名古屋、ふたたび野辺地、ふたたび名古屋、東京、みたび名古屋。そうして煩わしい戦いが終わった。あれほど忌み嫌っていた母に対する反撥が嘘のように消えて、頭の中が空っぽになった。空っぽな頭は葛藤で充たさなければいけないようで、新しい苦しみが未熟な愛情の発露の形をとってやってきた。苦しみが充実だというのは皮肉でも何でもなく、未熟な愛情表現に苦しむこともまた、自分の内部に巣食う完全主義を燃え立たせる充足なのだ。
 たぶん、自己達成の未熟さに不満を覚えて苦しむことに充実感を覚える私の心は病んでいるだろう。たとえ病んでいても、私はこの病の中でしか生きられない。常に自分の不足に苦しみたいのだ。苦しみがなく、自分に満足していると、ねばねばした不快感に襲われる。そういう粘ついた感じは、鈍く、長く、胸に残る。
 幸い野球の世界には間断なく他者の自己達成との軋り合いがある。それは競争ではなく、充実した生命の存続に関わる軋り合いなので、たがいに自己達成の満足感など永遠に訪れない。集団の勝利と敗北はその軋り合いの副産物にすぎない。個人の卓越した才能に終始し、無才の人間の困窮には目と耳を塞ぐ世界だからこそ、自己達成を目指す測り知れない緊張感がある。永遠に入手できない満足を乞い求める緊張感だ。大勢の関心に結びつく集団同士の競争に対する緊張感は、さほど精神を苦しめないけれども、鍛練をほどこした自己と鍛練をほどこした他の自己とを擦り合わせる緊張感は、個人的な鍛練の終結にメドが立たないので、絶えず精神を苦しめる。ただそれは、他者との天稟の比較ですまず、鍛練による自己達成を目標にしているだけに、快適な苦しみとなる。
 しかし、そういう自己完成を図る緊張感が強すぎるせいで、他者との勝敗に重きを置けない悩める精神は、充実し、粘つかずに晴れ上がっている。その晴れ上がった精神状態にだれも気づくことがない。現実には、他者と競う姿を示しながら、叫び、笑い、抱擁し合っているからだ。まさかそこに快を覚えず、自己完成の苦しみだけを快としている心の仕組みは、容易に理解されることはない。その心の果てに、私を愛する者たちの喜びがあると信じている。むろんその信仰を理解されようと思わない。
 安芸の彩(あや)懐石。給仕の仲居の中に園山勢子の姿はなかった。水原監督たちは十一時ごろ引き揚げ、選手たちも十一時半までには腰を上げた。部屋にこもる者もいれば、徒党を組んで大浴場へいく者もいれば、外に出る者もいる。食事のあとで外出する者たちの行動は決まっている。遠征で全国を股にかけるプロ野球選手は、旅先に女を作りたがる。


         十七

 私は江藤と大浴場へいった。背中を流し合う。
「共同風呂と、酒のつぎ合いは、日本人のいい習慣ですね。……江藤さんがどれほどマメにみんなの面倒を見てきたか、よくわかる会話を耳に挟みました」
「ほうね、そぎゃん覚えはなかよ」
「具体的に一つひとつのことはわかりません。でも、ロッカールームで一枝さんが省三さんに話してました。おまえの兄貴はみんなによくしてきた、だから兄貴が何かの拍子にポックリ死んだとしても、おまえが困るのを黙って見ているやつはいないよって」
「そういう馬鹿なことをまじめに言えるやつは、世間知らずのよか男たい。ドラゴンズにはそんな男しかおらん。や、おるようになったんや。それで強うなった。金太郎さんのおかげたい」
「……江藤さんも幼いころ、飯場か社宅暮らしでしたね。ドラゴンズに入団したとき、最初に胸を撫で下ろしたのは、江藤さんがぼくと同じ馬鹿でよかったということでした。馬鹿はおそらく飯場直伝です。スポーツの基本は馬鹿(こけ)の一念でしょう。馬鹿に率いられる集団は馬鹿になります。基本ができあがるんです。ぼくのおかげというのは言いすぎで、江藤さんの作っていた地盤をぼくが少し踏み固めただけです」
「ほんなこつ金太郎さんは神さまやなあ。ワシは馬鹿に徹し切れんやった。商売に手ば出したりしてな。去年の最下位がそのムクイたい。家族のためとは言え、金でもつかんで利口になりたかったんやろう。金太郎さんがキャンプにきたとき、ワシは何か大事なものを思い出したんや。子供のころからもともと利口ゆうんは不気味なもんやった。ばってん、これだけ利口が多なると、妖も怪も感じられんごとなる」
 鼻声になった。
「……金太郎さんのおかげたい。水原さんはようわかっとう。神さまゆうんは馬鹿の大もとばい。純金の馬鹿。ワシら半馬鹿を率いる総大将。ドラゴンズを神軍にしたんは、だれが何と言おうと金太郎さんたい。―守る、打つ、走る、九回までそれがつづく。そんな単純なこと、馬鹿にしかできん。利口は、気晴らしに馬鹿を見物して、また利口に戻るためのエネルギーにするだけやろう。金太郎さんのごたァ純金馬鹿は、単純作業に飽きん。じぇんじぇん気にせんと黙々と単純作業ばやる。それが、利口になりかけとったワシらのような半馬鹿を救うたっちゃん。ワシらは〈これや〉と気づいたっちゃん。子供の泥んこ遊び、退屈せん心、それがどれほどたくさんの人間を救うか知れたもんやなか。利口は純金馬鹿に救われん。救われるためには、半馬鹿やないといけん」
         †
 机の蛍光灯の下に『赤頭巾ちゃん気をつけて』を開く。
 どこかの翻訳物で読んだことがあるような、若者口調のとりとめのない文章。サリンジャー? これがいわゆるポップ文学というやつか。処々に風俗知識や学術知識を散らしてあるので、読むのにひどく苦労する。かなりの密度で文体に合わないスケベな学術的知識が瞥見される。
 雑読に入る。読み取ったところ、どうも全共闘運動を知性破壊の象徴として批判したいようだ。批判するからには、擁護したいのは知性だろう。だとするなら余計な要素が二つある。知性の粉飾として設定した、素っ頓狂でわがままな女の存在と、みずからの性欲の〈明るい〉描写だ。どちらでも知性の擁護をすることはできない。どだい、くだらない知性など描写しても意味がない。柴田翔や大江健三郎のように、いらない要素を削って要らないスケベ心を徹底させればいいのだ。そうすれば徹底的にくだらなくなり、心ある人間にはくだらない本として、ちゃんと処理される。それがくだらない知性の宿命だ。処理されたくないというあがきがみっともない。
 モンテクリスト伯やジャン・バルジャンのような針の振れた個性がこの作品に登場しないのは、そんな個性を創造できないこともあるだろうが、作者に〈知性人の内輪話〉を書くだけの能力しかないからだ。どんな思想の激しい流行も、流れを堰き止めるような強烈な個性の前にはくだらないたわごとになる。
 いずれにせよ、血統書つきの東大受験生の日常など描写するに値しないので、思想らしきもの、と言うか、大勢をうなずかせる流行のイデオロギーとセンチメントが必要だったということだ。選者を代表して三島由紀夫が才気とウイットに富んだものとしてこの作品を選んだ。五月何日だったかの三島と全共闘との人間味に欠けたくだらない問答を考えると、彼は快哉を叫びながら、人間味と知性を〈におわせる〉この作品を選んだものと思われる。
 いったい何が青春の苦悩だろう。東大全共闘とか、口先だけの知性否定とか、やさしさを求めてとか、私には信じられないほどの世界の狭さだ。
 知性は人間味と対極にある。知性は知性人を救う。冷厳な知性を維持しながらやさしく振舞ったところで、知性人以外のだれも救えないのだ。だいたい〈やさしい知性〉という連語は成立しないだろう。私もかつて、やさしさは理知だ、という衒った連語をノートに書きつけたことがある。まちがっていた。やさしさは無能、無知、無私であって、理知ではない。いまははっきりとわかる。
 カナリア色のコートを着た少女が主人公を振り向いて、気をつけて、と言う。その少女が〈やさしい知性〉の象徴で、彼女のように自分も〈強さとやさしさ〉を持って生きていこうと決意する段に至っては、もはや支離滅裂だ。表題の謎解きをする努力が水の泡になった。気をつけてと言って去っていく少女に強さもやさしさも、知性さえも感じないからだ。作者の言う知性は、最終部分で意味不明の〈カナリア色のコート〉にすり替えられてしまったが、この小説を語り始めたときの〈知性〉に対する連想は、受験勉強から連綿とつづく最高学府での〈学問知識〉のことにあったはずだ。政治学、経済学、社会学などという知識は人間の情緒と無関係の酷薄なものだ―そこにあったはずだ。
 知性とやさしさは乖離させなければならない。知性などかなぐり捨てて、永久に人間情緒のみごとな綾に翻弄されて生きることこそ、知性に永遠にタッチすることのないやさしい人間の在り方だろう。翻弄されることから逃げてはいけない。逃げると知性に立ち戻ってしまう。知性と人間忌避は母子だからだ。
 十一時雑読終了。就寝。
         †
 八月二日土曜日。六時に起床して、一連の日課をすませ、畳の上でバットを九コース二十本ずつ振ってからジャージに運動靴でロビーへ降りた。主任の斉木と涼しげなスカート姿の園田勢子が満面の笑みを浮かべて立っていた。私のために買ったという麦藁帽子を持っている。
「きょうは雨ですから、必要なかったですね。私がかぶります。十時ぐらいには上がるそうです」
 すぐに江藤たちも降りてきた。みんな私と同じジャージ姿だ。小糠雨が降っているが、服に染み透るほどではない。斉木がさっそくパチリパチリやりながら、
「着いたらすぐ食事にしましょう。予約しましたから」
 人だかりのない玄関前にタクシーが二台停まっている。それぞれ助手席にガタイの大きな菱川、太田が乗りこむ。菱川の乗った一台目の後部座席に、勢子を挟んで私と江藤が乗った。二台目の後部座席には斉木と星野秀孝が乗った。勢子が運転手に、
「宇品港へお願いします。似島汽船に乗ります。宇品まで二十分ほどでしたっけ」
「そうじゃのう、似島までもフェリーで二十分。この時期やと海水浴じゃが、プロ野球の選手じゃけぇ、そりゃないのう。ちいと天気も悪いし」
 背の低いビル街を猿猴川沿いに南下する。後方に広島テレビの車が勝手に同行している。勢子が運転手に応えて、
「食事と散歩です。私が似島出身なのでお誘いしました」
「そうですか。ええところじゃ。広島第二の聖地と呼ばれとる。第一は厳島じゃが、ワシはそこよりええと思う」
 平野橋を渡る。長さ133m京橋川と掲示板が立っている。両岸の河川敷が広い美しい川だ。丸い小さな麦わらの学生帽をかぶり、ランドセルを背負った女の子が欄干沿いの歩道をいく。傘を差していない。薄雲が空一面に拡がっている。
「この雨が上がると、本格的な夏だそうじゃ」
 途切れない並木の緑が目を洗う。ほとんど建物のない大通りへ出た。ほどなく宇品港に着く。島嶼(とうしょ)部フェリー切符売場という大看板が入場ゲートの額に掲げてある。
「向こうを二時半に出るフェリーが着くころに、ここに待機しております。いってらっしゃいませ」
 タクシーを降り、大看板をくぐる。レポーターつきのテレビカメラもついてくる。
「似島行の乗船券はなく、乗船のときに船員に船賃を渡すシステムになってます」
 斉木が言う。どでかいフェリーが繋留されている。斉木が船員に七人分の乗船料を渡して乗りこむ。鉄階段を昇り、上甲板へ。私たちも含めて十二、三人ほど。同乗してきたビデオカメラが回りはじめる。ボーと汽笛。
「きょうの移動費に」
 と斉木に三万円差し出すと、
「別館から経費として出ておりますので、どうぞお気遣いなく」
 手で押しとどめる。
「似島の合同庁舎のほうにはすでに連絡してあります。大騒ぎにならないようにお願いしたんです」
 菱川が、
「野球ばかりやってきたんで、こういうのは新鮮だなあ。ありがとう、神無月さん」
「園田さんのおかげですよ」
 音を拾う竿マイクが近づいてくる。星野が、
「ぼくは尾瀬の山猿ですから、山のほかはよく知りません。船は初めてなんですよ」
「海辺で育ったくせに、ぼくも船は初めてなんだ」
 勢子は髪を風に吹かせて微笑む。
「似島までたった三キロです。目の前に見えてます」
 太田が、
「富士山が島になってる感じですね。大分の由布岳に似てる。豊後富士、千五百八十三メートル」
「似島は安芸の小富士と呼ばれてます。ほんとに富士山にそっくりなんですよね。二百何十メートルしかないので、登山と言っても五十分ほどで登れます。蚊が多いのでやめたほうがいいです。島一周は十キロで、歩いて二時間半で回れます。でもハイヤーでいろいろな場所に寄りましょう」
 フェリーはたちまち似島に近づき、砂利船や、船隊のように並んで浮かんでいる筏(いかだ)が見えてきた。斉木が江藤たちに説明している。
「牡蠣筏と言います。筏の下で大量の牡蠣が養殖されてるんです。似島周辺は牡蠣の餌になる植物プランクトンが豊富でして、養殖に最高の環境が整っています。似島の牡蠣は広島ブランドの認定を受けてます」
 島に近づきながら、裾野がかなり広いことに気づく。民家やビルが山肌に貼りつくように建っている。テレビカメラもそれを撮影している。似島桟橋待合所到着。岸壁のコンクリートの上に猫が数匹寝そべっている。
 降り立つと、ハイヤーが二台待っていた。へばりつくように降っていた霧雨も折よく上がっている。人のよさそうな田舎くさい顔つきの小太りの男と、如才なさそうな痩せた男がそれぞれのタクシーのドアの外に立っていた。フェリーから降りたテレビ局や観光客の車のほかは、あたりに車の姿はほとんどない。噂を聞きつけて集まった島民や子供たちが群がっている。ハイヤーの背後にいた運転手ではない二人の男が、丁重な挨拶をしながら近づいてきて、似島合同庁舎の者だと言う。桟橋のすぐ右手の石鳥居の背後に見える立派な四階建を指差す。竿マイクが伸びる。
「合同庁舎は、公民館、区役所、集会所、診療所、消防署などの複合施設です。登山客や釣り客、サイクリング客、キャンプ客、海水浴客、潮干狩り客、みかん狩り客などの振り分けの仕事もしております。プロ野球選手がこの島を訪れるのは初めてのことでございます。広島テレビさんにもきていただけましたし、町興しになるものと島民一同喜んでおります。ありがとうございます。どうぞごゆっくり見物なさってくださいませ。島内には信号機はもちろん、コンビニエンスストアもございません。お食事をしっかりなさってからお出かけください」
 群がる子ら二十人ほどに、私たち五人はきちんとサインをしてやった。ハイヤーに乗りこむと彼らはしばらく走って追いかけた。
 賽銭箱を路上へ押し出したみすぼらしい祠を過ぎて、反時計回りに走り出す。テレビカーがついてくる。注連縄が渡してある石鳥居の後方に、数十台のスクーターや自転車が整然と並んでいた。本土へ通勤する者たちのものだろう。庁舎の玄関前で一時停車。ゾロゾロと中から男女の職員が出てきて、車の窓から全員に島の略地図を手渡すと、いっせいに頭を下げた。棟つづきの左隣に消防署があり、赤い消防車が二台停まっている。庁舎玄関の真向かいに大きな商店。それ以外に商店らしきものは見当たらないので、島で唯一のスーパーマーケットなのかもしれない。その並びに薬局、ふとん店。トタン張りの民家、モルタル造りの民家。たいていが三階建か四階建だ。二階建ての家はめずらしい。細道の家並もそんな感じになっている。ときおり、屋根や壁をトタンで葺いた廃屋や、放置されて錆びついた工場が混じる。どこにでもある風景だ。
 意外に早く雨が上がった。目の覚めるほど美しい海岸線を十分ほど走り、高見亭という旅館ふうの食堂に到着。玄関に集まった従業員たちが歓声を上げる。テレビカメラが舐めるように撮影する。畳の大広間に通され、足を投げ出したり、肘枕で横たわるなどしてくつろぐ。運転手二人は表に待機。早速店主が平伏しながら五枚の色紙を差し出す。
「生まれて初めてプロ野球選手を目の前で拝見いたしました。偉丈夫というのはまさにこのことですね。どうか記念のサインをお願いいたします。末永く飾らせていただきます」
 みんなですみやかに書く。
「ありがとうございました。それではどうぞごゆっくり。すぐにお飲み物をお持ちいたします」
 仲居たちの手で生ビールの小ジョッキが運ばれてきたが、だれも手を出さない。
「六時半までには抜けるでしょう」
 と私は言って口をつけた。みんなでジョッキを手に取った。大窓のガラス越しに、牡蠣筏を浮かべた穏やかな瀬戸の海が眺められる。窓を開け切って眺める。筏のギシギシという音が心地よい。カメラマンに、
「瀬戸内海は穏やかですね」
 マイク係が、
「台風のとき以外はいつも凪いでいます。人間で言うと、晩年の雰囲気ですか。太平洋や日本海と聞くと、やんちゃで怖い感じがします」
 みんなで笑った。倉敷出身の菱川がうなずいていた。伊勢海老、ウニ、トリガイ、サザエの刺身と肝、アワビの刺身と肝、タコの刺身が舟盛りで出た。つづいて、蟹、牡蠣、魚の名前はわからないが、焼魚、煮魚、それから野菜天ぷら、どんどん運ばれてくる。新鮮で深い味わいだ。仲居たちがチラリと勢子を見たが話しかけなかった。炊き上がっためしがきた。テレビ関係者たちにも食うように言ったが、
「撮影に区切りがついてませんので」
 と断った。斉木が、
「ここは高級民宿でもあるんです。魚介は漁師が獲ってくるものを料理しますので、新鮮この上ありません」
 漁師と聞いて勢子のほうを見たが、穏やかな表情をしていた。私たち大男どもはどんぶり二杯のめしを食った。斉木や勢子はふつうの茶碗に一膳めしだった。斉木が茶をすすりながら、
「私は昭和二十四、五年から、西鉄ファンとして野球を見てきましてね、中西太や稲尾の前です。木下勇、笠石徳五郎、小暮力三。東急大下、巨人川上の全盛時代でしたが、それでも野球全体がトボトボ歩いたり走ったりしている雰囲気のころです。そこへ中西や稲尾が現れました。たしかにすごかった。しかし、そのすごさは、いまこうして神無月さんと比べてみると、人間の範囲を感じさせるものでした。彼らや、あるいは金田、王、長嶋のようなすごい人たちは、十年、十五年、長々と持てはやされますが、神無月さんのようにベーブ・ルースでさえ人間の範囲と思わせてしまうほどすごすぎる人は、一瞬人気が沸騰したあとは、一転して騒がれなくなるんじゃないかと心配してます。そういう危惧を最近覚えるようになりました。そういう人こそ大事に応援していかなくちゃと思います」
 江藤が、
「ほんなこつ、斉木さん、あんたの言うとおりや。金太郎さんは神さまやけんな、大事にせんといけん。ふつうの人は、神さまに祈ることはしても、応援はせん。祈るんは利益をもらうこと、応援は利益を与えることや。ワシらの気持ちも同じばい。いつでん心中する気持ちで、金太郎さんを応援しとります。祈ることはせん。それは金太郎さんの負担になる。神さまが気持ちよく進む道は、ワシらが切り開かんといけん。神さまはそれでなくても、人間とまちがわれて軽んじられるちゅう苦しみを抱えとるんやけん。ところで斉木さん、人間にもてはやされるのは同じ人間たい。神さまはむかしから人間に人気はない。お地蔵さんみたいに道端に立っとって無視されとる。人間の形でこの世に現れても同じこったい」
「神無月さんはやっぱり神さまですか」
 太田たちが大声で、
「まちがいないですよ!」
 竿マイクが振られた。星野秀孝が、
「抱き締められるとよくわかります。昇天する感じになります」
 勢子が頬を紅潮させた。菱川が、
「よくみんなが抱きついてるでしょう。水原監督がいちばんよく抱きつく。次が江藤さんと俺たち。からだに光の棒がビッと通る感じになるんです」
「そうですか、やっぱり」
 斉木は感激してハンカチで目頭を拭った。私は、
「江藤さんは冗談がきついから、みんなすぐ乗せられるんですよ」
「そうしとこう。ウハハハ」
 なぜかその笑いが心地よく感染して、私たちは声を上げて笑った。


         十八

 みんなでハイヤーに戻る。運転手たちは会話をしながら煙草を吸っていた。私たちに微笑みかけ、足で吸殻を揉み消した。
「ごくろうさまです」
 私が声をかけると、肥えたほうが、
「いやいや、仕事じゃき。広島市のタクシー会社から派遣されて、フェリーに乗ってきました。似島にはタクシーもバスもないけぇのう。みなさんといっしょにフェリーで帰りますけ」
 もう一人の痩せた運転手が、
「ここには銀行もないんですわ。郵便局が一つあるきりで」
 高見亭の周囲を見回すと、一本道に沿って森が広がり、朽ちかけた掘立て小屋が点在するだけの寂れた風景だった。人は歩いていなかった。
 ふたたび牡蠣筏の浮かぶ海沿いの道を走りだした。貸し別荘という看板が見え、海に臨んでヨーロッパ風の建物が立っていた。自然を切り取って大げさな建物をこしらえ、その中で安らごうとする人びとの営みを痛ましいと感じた。同じ人工物でも、私は道端のネオンや、家の中のステレオや、机、書棚といった小ぶりな人工物に安らぐ。ようやく切り通しに小ぶりな人工物の気配がした。山火事防止の掲示札だった。
「次はバウムクーヘン?」
 私が言うと菱川が、
「なんですか、それ」
 勢子が、
「この似島はバウムクーヘンの発祥地なんですよ。ここの捕虜収容所に囚われていたドイツ人が日本で最初に作ったものです。ごめんなさい、神無月さん、原爆以来、この似島ではもうバウムクーヘンは作られていないんですって。てっきりこの島の喫茶店かどこかで食べられると思って。考えたら、島に喫茶店なんか一軒もありません」
 江藤が、
「みんな腹いっぱいになったけん、ちょうどよかったやろ」
「そうですね。このまま慰霊碑にいきましょう」
「原爆慰霊碑やな。痛ましかことばい」
 私は、
「園山さんは被爆したんですか」
「はい、この島で。二十三歳のときです。広島に原爆が落とされた朝、私は生まれたばかりの長男をあやしながら家の中におりました。窓の外がピカッと光って、ドンとお尻を突き上げるような地響きがしました。何枚か窓ガラスが壊れましたけど、それだけのことで、外にいた人も光と熱さは感じても火傷はしなかったそうです」
「広島から似島までの距離は?」
「宇品港から三キロです。爆心地から宇品港まで四キロありますので、七キロですね。宇品港の陸軍船舶司令部隊は被害が軽かったので、救護活動の中心になりました。生きている被爆者のほとんどは、この似島に運ばれました」
「そうやったとね、こん島に!」
 江藤が大きな声を上げた。
「朝の十時ごろ、広島から似島の第二検疫所に、発動機船と伝馬船でものすごい数のケガ人が運ばれてきました。何千人もいたと思います」
 私は、
「八時過ぎに原爆投下だから、二時間後か。迅速だなあ! 半径一キロ以内の人たちはほとんど即死だったから、その周囲で被爆した人たちだな。最初の一週間で十万人前後死んだんだ」
「私は長男を母に預け、似島婦人会の一員として寝ずの看病にあたりました。長男のことなど思い出す余裕はありませんでした。人手が足りず、たちまち住民総出の看護になりました。広島市からも火傷やケガを免れた人たちが救助に駆けつけましたが、そのかたたちもほどなくして急性放射線障害で亡くなられました。最近よく言われる第二次被爆です。私たち夫人会の者も第二次被爆はしているでしょうが、爆心地で救護活動をしたわけではないので、原爆病を発症した人がいるという話は、いまのところ聞きません」
 菱川が、
「運ばれてきた人たちは、少しは助かったんですか」
「瀕死のかたばかりでしたから、大勢の人たちが手を尽くして介護しましたが、その甲斐もなく、運ばれてきたほぼ全員が一日か二日で亡くなられました。目玉や骨が飛び出すといった傷のひどさはもちろんのこと、治療のための手足の切断、断末魔の叫び……。赤ん坊から老人まで人を選ばないこの世の地獄でした。遺体は掘った穴や防空壕に丸太のように積まれて、火葬されたり土葬されたりしました。その作業の中心地だった似島中学校のそばに慰霊碑があります。検疫所跡は現在、平和養老館自然の家になってます」
 午前九時半。相変わらずの曇り空の下を車が走る。タクシーの運転手たちは仕事に徹して、なるべく私たちに親しく話しかけないようにしていた。石垣に鉄扉をはめこんだ宏大な屋敷がある。表札が出ていない。郵便の配達に不便だと思うが、名を名乗る必要もないほどたがいを見知った集落なのだろう。
 右に海、左に切り通し、まったく同じ景色の中をひたすら走りつづける。勢子の原爆の話は地獄絵として頭に残るが、現実の風景は退屈だ。車を降りて歩けば退屈しないというものでもなさそうだ。紐を通したホタテ貝の棒束を整然と積み上げて立方体にしたものが海浜にポツポツ並んでいる。ばっちゃが夏の暑い盛りに、野辺地の砂利浜で紐通しをしていた姿を思い出す。
「ホタテの殻を何に使うんだろう」
 麦藁帽子を膝に置いた勢子が、
「牡蠣の稚貝を育てるためのものです」
「青森の野辺地でも祖母が紐通しのアルバイトをやってたんだけど、あれもそうなのかな。牡蠣の産地に送るために」
「北国のホタテ殻はちがいます。肥料や、ライン引きの粉や、道路の凍結防止剤に使うんです」
 江藤が感心したようにうなずいた。
「さすが漁村出身、よう知っとる」
 海から離れ、山路に入りこんだ。江藤と菱川の顔が期待に輝く。上って、下り、ふたたび同じ海が見えてきた。江藤と菱川は落胆の表情を浮かべる。大きな建物が目の前に迫る。
「あれは?」
 長く沈黙していた運転手がようやく口を開いた。
「似島中学校です。ここを右手に下ると慰霊碑です」
 海に向かって下る。築堤に突き当たった道路で下車。後続の星野たちも降りる。斉木は海に向かって深呼吸している。星野は海に向かってシャドーピッチングをしていた。彼の一徹さに胸のすく思いがする。
 慰霊碑と言っても、広場ふうの空地の隅に墓所仕立てのスペースがあり、二体の笠地蔵を控えさせた白っぽい岩が一つ置かれているきりだ。文言は読むまでもない。みんなで覗きこむ格好をする。
 車に戻り、似島中学校を過ぎる。校庭に野球の設備はなかった。野球と無縁の島のようだ。中学校の設備を見ればわかる。児童館という二階建ての建物を過ぎる。屋上の網柵に明るいあいさつ元気な子という文字が横断している。
「何ですか、児童館というのは。子供たちの姿がないけど」
「名前とは関係ないんです。防災訓練をする場所です。母親たちがクラブ活動にも使ってるようです」
 生き延びた者たちは命を謳歌して生活する。命は喜び讃えるべきものだからだ。児童館の校庭にも野球の設備はなかった。民家が連なる区域に入った。路上駐車をしている自家用車が目立ちはじめた。
「おお、団地だ」
 勢子が、
「いえ、似島小学校です。私の実家はこの道の奥の、ほら、あの青い屋根の二階家です。両親は亡くなったので、いまは借家人が住んでいます。夫だった人の家は港に近い家下(いえした)というところにあります」
 住宅区域はすぐに過ぎ、似島臨海公園という緑地帯もたちまちすぎる。
「あれがバウムクーヘン伝来の地の看板です」
 目に確かめる間もなく過ぎた。運転手が、
「この先は似島学園中学校・高等学校とあって、歩道の幅になりますので、ここから引き返します」
 一同、
「エッ!」
 と驚く。勢子まで驚いた。
「そう言えば、私、長年似島にいたくせに、この学校の先のほうへいったことがありませんでした。小富士の裾なので、上り下りの激しい山道だって聞いたことがあります。車は通れなかったんですね」
 私は、
「園山さん、この島を徒歩で一周する酔狂人は観光客だけのようですね」
「そうみたいです。申しわけありませんでした」
 江藤が愉快そうに笑いだした。
「よかよか。金太郎さん、これこそほんとの散歩やぞ」
「はい。散歩というのは気散じに歩くという意味ですから、いき当たりばったりがいちばんです」
 太田と星野の乗ったタクシーにつづいて、カメラ車もUターンしてついてきた。菱川が、
「原爆の話を聞いても、神無月さん、顔色を変えませんでしたね」
「一生懸命考えながら聴いてました。健康に生きて、衰えて死ぬことは悲惨なことじゃない。人間の輪廻ですから、平和の図です。ところが死に方が突発的だと悲惨に感じるんです。その最たるものは、一瞬のうちに個人の喜怒哀楽の記憶が吹き飛ぶ突然死でしょう。轢死や圧死や爆死。被爆して数日生き延びた人はそういう死に方ができずに、瀕死の状態で、人間らしい記憶を残しながら、悶絶する苦しみの中で皮膚が融け、壊疽で腐り、骨が剥き出しになり、内部組織を放射能にやられていったんですね。悲惨というよりもグロテスクです。死にゆく者も看取る者も、そのからだを人間と思えない。安らかな諦念など湧くはずもない。恐怖と絶望にやられて正常な精神の働きを失ってしまう。同情や慈悲や憐憫が無力になるグロテスクな話は、通りすがりの騒音のように聞かなければ精神がおかしくなります。偶然生き延びた者は、その生き延びたことに感謝し、正常な精神で健康に生きなくちゃいけない。感想を訊かれたら、江藤さんのように、痛ましいことだ、のひとことでいい。でも、それは知り合いでもなければ、愛してもいない人に対する感想です。愛する者がそうなったときは、グロテスクなどとはぜったい感じない。魂だけを見て、外形を見ない。愛する者のそういう死に遭遇したら、無力感と諦念に襲われ、いっしょに死ぬでしょう」
 江藤が、
「園山さんの話を聞きながら、そこまで考えとったんか。……気散じと言っとったが、散歩癖がついたのは、憂鬱なときやなかったんか?」
「はい、十五歳の島流しのときです」
 菱川が、
「その島流しの話はタコから何度も聞きましたけど、もし自分の身に起きたら一巻の終わりだったですね。神無月さんみたいに立ち直れなかったと思う」
「十五歳からの金太郎さんの人生は、まるまる奇跡物語たい。ワシャ、ぜんぶ暗記したばい。名古屋市のホームラン王に輝いた男が、学歴をこの世でいちばん大切やと思っとる母親に中商のスカウトば追い返されて、まず順調な道を断たれたのが始まりたい」
 勢子が、
「そんな、ひどい……」
 菱川が、
「俺なら、そこで暴れ狂って、家出でもしてますよ」
「ふつうはそうなるやろうな。それを思うと、あまりにも金太郎さんが憐れで、ワシはこれ以上しゃべりとうなくなる」
 勢子が、
「教えてください。神無月さんはお仲間のほかには決してしゃべらないでしょうから」
「ワシらも本人からはほとんど聞いとらん。後ろのタクシーに乗っとる太田が、金太郎さんの中学の同級生やったけん、あいつの口から聞かされた。ワシが思うに、金太郎さんにも多少ヤケッぱっちな気持ちがあったんやろう、たまたま大ヤケドで入院した親友の見舞いがよいに入れこんだ。金太郎さんにしてみれば純粋な気持ちからやろうが、夜遅く帰る日がつづいたのは無意識にヤケな気持ちがあった証拠ばい。それを八カ月もやりつづけたのが痛ましか」
 菱川が、
「せめてもの抵抗だと思うと、胸が痛みます」
「抵抗や腹いせじゃなく、その病院の看護婦に入れこんだんです」
「ぜんぶ見舞いの付録やろうもん。やったことを突き詰めれば、夜遅く帰るのがつづいただけのことにすぎんたい。そのせいで青森へ島流しば喰ろうて、たった一つの希望やった野球まで奪われたっち」
 菱川が、
「俺、いつもそのときの神無月さんの気持ちを考えるんですよ。死にたかったろうなって」
 助手席で目を拭った。勢子もハンカチでまぶたを押さえた。
「で、青森のナンバーワンの受験校に入った。勉強で生き直そう思ってな。ばってん野球ばあきらめきれん。あたりまえたい。たまたまネット越しに野球部の練習ばじっと見とって、もう一度野球ばやろうて決意した。そこからが奇跡の連続たい。鬼神のごたる活躍ばして弱小チームを準優勝に導き、県のホームラン記録ば大幅に塗り替えて、ついに北の怪物になった」
 運転手が、
「それ、聞いたことあります、青森の北の怪物。四、五年前じゃのう。そこで尾崎みたいに高校中退して、プロにいくことはできんかったですか」
 江藤が、
「親が承諾すればいけるとよ。親が承諾せんと、プロ球団は未成年に手ば出せんことになっとる」
「へえ!」
「母親は東大しか大学と思っとらん。野球なんてバカのすることだと思っとる。それどころか、おまえには王や金田のような才能はないと言い切る。息子のプレーも見たことがなかとに。母親の尊敬する東大出の上役がそう言ったけんよ」
「しかし、北国の高校ではじゃまされずに野球ができたんやの」
 江藤は視線を運転手の後頭部から菱川の後頭部に移し、
「そこんところは、金太郎さんを陰で支えてきたある人に聞いた。複雑に入り組んどる。野球やら、東大やら、じつは母親はどちらも成功してほしくなかったというのが本心やったとばい。これだけは言っとく。あの母親はふつうやない。いや、異常や。会ってみてわかった。たしかに野球の天才より、学校の秀才を本気で崇めとる。と言って、金太郎さんにとことん秀才になってほしくもなかとばい。どっちも挫折してほしかとばい」
 菱川が、
「よくわかりませんが……」
「とにかく何につけ、子供が成功して親より目立ってほしくなかっちゃん。目立ったら足を引っ張る。世間にはそういう親がけっこうおって、毒親とゆうげな。建て前は東大いちばん、野球馬鹿。表向きその態度ば通す。野球をやっとると知ったら、最大限の妨害ばする。ほやから金太郎さんは青森高校で秘密で野球ばやった。ばってん、バレた。あんまりすごすぎたけんよ。名前が全国に知れわたったとたん、野球ばやめて名古屋に転校ばするよう強制された。そのまま青森高校で勉強しとれば、東大にいける成績やったのにな。つまり、野球でも成功して勉強でも成功しとったのにな」
 勢子が、
「耳を疑います」
「……そんな状況で、高校中退してプロにいくなんぞ、夢のまた夢たい」
 運転手が、
「救われんのう。生き地獄じゃ」
「母親は名古屋の高校まで決めて、呼び寄せる手紙ばよこしたんやけんな。手紙ば受けて北の怪物はどうしたと思うね、園山さん。それば和子さんから聞いたとき、ワシは腰ば抜かした」
「頑として転校を拒否したんじゃないんですか」
「ふつうやな。ふつうの頭では考えられんことをやったったい」
「……野球をやめ、心を入れ替えて勉強しますとか言って、懇々と手紙を書いたとか。受験校ですから、それで一件落着ですよね」
「そんな態度をとったらこの毒親はどう思う? 隠れて野球をやるかもしれん、たとえ野球をやらんでも、勉強で成功するかもしれんて思うやろ。母親は二つとも潰さんといけんのですよ。ワシが思うに、もともと野球ばやっとらんでも呼び寄せたんやなかろうか。二流校か三流校に手続ばして……。子供は親もとで暮らすのがまともやら言うてな」
「じゃ―」
「おお、素直に転校ばしたっちゃん! それで腰ば抜かしたんやなか。一人だけ欠員のあった二流高校の転入試験に、四十人ば押しのけて合格した。硬式野球部はなかけん、隠れても野球はできん。そげん高校でふつうに学生ばやっとったら、二流大学へいって、人生終了たい。青森高校におっても野球ばじゃまされる、新しか高校にいってもじゃまされる、おまけにそんな高校で勉強しても東大なんぞ受からんやろう。それが母親の狙いでもあったったい。野球も勉強も潰して、将来もそっくり潰す。ワシが腰を抜かしたんはそっからや。母親はその高校を見くびっとるけん、東大を受けることだけはじゃませんと踏んで、金太郎さんはその高校から東大に受かることを決意したっちゃん! そのためには、バリ勉強して優秀な成績を挙げんといけんかった。東大に入れば、驚いた母親はいっとき親としての面子が立ったことを喜んで、渋々でも野球をやらしてくれるやろう、そこで世間に目立てば、有力な支持者も増えて、そいつらの力でプロ入団のときに、母親に無理やり承諾書のサインばさせてくれるやろうと考えたっちゃん。つまり、高校が一流でも二流でもかまわんかった。とにかく、いっとき野球ば中断して受験勉強ができればよかっただけやった」
 勢子は
「気が遠くなるような話ですね」
「ほうよ、ほんなつ腰ば抜かしました」
 運転手が、
「アホな母親に青春を捧げたようなものじゃないかいね」
「捧げたふりをしたとよ。金太郎さんは口の堅い信念の人たい。泣けるばい」
 菱川が、
「それからはとんとん拍子ですよ。東大入って、野球をやって、東大を優勝させて、中退して、十九歳で電撃契約をした―」
「大学の監督とドラゴンズのフロントの押しで、母親も渋々中退の承諾書に判子ば捺したっち。自分がいつもしつこく口にしとった東大に入ったことば喜んどるふりはせんといけんし、六大学で有名人になってしもうた息子の社会的体面も傷つけるわけにいかんけんな。そこでじゃまばしたら、世間から何ば言われるかわからん。毒親がいちばんえずかことは世間の口やけんな。ぜんぶ金太郎さんの思惑通りになったったい」
 運転手が、
「そこまで考え抜いて、一つひとつ難関を突破していったわけじゃね。人間じゃないね」
「金太郎さんは人間でなかよ。人間は奇跡を起こせん。おまけに、契約金をぜんぶ母親と祖父さん祖母さんにくれてやって、実質、母親と縁切りをした。ワシはその母親にしっかと会っとる。息子のことを軽蔑し切った鬼やった」
「奇跡を完成させてくれたのは中日ドラゴンズのフロントです。野球を休んでいた名古屋の高校時代に、将来かならず入団してくれと懇請にきました。東大の鈴下監督と共同戦線を張って、中退の便宜を図ってくれたのもドラゴンズのフロントです。その尽力がなければ、ぼくはいまバッターボックスに立っていません」
「名古屋の高校時代、ほかのチームは声をかけてこんかったんか」
「きませんでした」
「なるほどなあ。実際野球はやっとらんわけやし、簡単な大学にいって野球をやればいいのに東大などとわけのわからんことを言っとるし、そんな難しい大学受からんやろうし、落ちてまた浪人となったら入団交渉はできんし、東大に合格したとしても野球部に入るかもわからんし、野球部に入ったら大学生と四年間交渉してはいかんことになっとるし、少なくとも二十歳過ぎてから動こうと、のんびり構えとったんやろなあ。神さまの祠(ほこら)を作ってくれたんはドラゴンズだけやったんやな」
 菱川が、
「他球団は信心が足りなかったせいで、バチが当たったというわけですね」
「そのとおりや」
 少しスピードを上げて走ったので、十五分で埠頭に帰り着いた。車を降りて七人が合流する。もうあたりに朝方見かけた子供たちはいなかった。勢子が遠慮がちに微妙な距離をとって近づき、
「そこまでお母さんにひどいことをされる心当たりがありますか」
 と首をかしげた。
「あるというより、理解してる。別れた父にぼくが似ていたからだと長いあいだ思ってたけど、ぼくに対する生理的なものだろうと思い直した。江藤さんが言ったのは、事実を考たうえでの結論だ。ほとんど当たっていると思う。そこに生理的なものが加わった。東大に入って以来すっかりちょっかいを出してこなくなったのは、遠くにいれば生理的な感覚も薄まるからだと思う。……野球と、友人と、女……彼女以外のものにぼくが振り回されるのがシャクだったということもあるだろうね」
「自分の感情を落ち着かせることだけが理由でそんなひどいことをしたのだとしたら、お母さんは心を病んでます。これまでいっしょに暮らしてきて、つらかったでしょう」
「つらくはなかったけど、ある時期からイヤになった。それからは母の存在を忘れるようにしてる」



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