十九 

 運転手が桟橋を見つめながら、
「最終的にドラゴンズの引きで入団できたんやとしても、青森の高校の野球部に入ってなかったら、神無月さんはプロ野球選手になっていなかったわけじゃね」
「そうです。最大の分岐点でした」
「江藤さんの言ったとおり、野球をやろうという神無月さんの信念の賜物じゃね。―とにかくすごい話じゃわ。一生忘れられん」
 なになにという顔で痩せた運転手が近づいてきたので、私は江藤たちと待合所のベンチへいった。
「金太郎さんのことはあまり人に話しとうなかばってん、つい言うてしまう。どげんや、まねできると? ちゅう気分になるんやろうなあ」
 振り返ると、痩せた運転手が煙草を吹かしながら同僚の話を聞いていた。私は江藤に、
「個人の事情なんて、他人は聞きませんよ。自分の人生をしっかり送らなきゃいけないのに、他人の人生の話なんか悠長に聞いてられません。努力して生きてるなら、どの一人の人生も独自です。だからこそ尊重し合わなくちゃいけない。母の人生は愚痴ばかりで、努力のあとがまったく見えませんでした。独自ではなかった。独自でない精神は独自なものを見抜けない。その結果の軽蔑が、母がぼくにしてきたことです。もうわざわざ軽蔑されにいくほどぼくはお人好しではなくなった。よほどのことが起こらないかぎり、彼女には近づきません」
「よほどのことゆうんは、死んだときね?」
「彼女の死には興味ありません。病気をして心細くなったときです。正気を取り戻すかもしれませんから」
「取り戻さんと思うぞ。心細うなったら、ますます依怙地になるやろう。経験があるんやなかね?」
「はい」
 胆石で入院していたときの母を思い出した。
 正午を回ったばかりだ。安芸小富士の山裾の湾岸道を往路と逆回りに歩きだす。斉木と運転手たちは待合に残った。テレビカメラだけがついてきた。麦わらを愛らしくかぶった勢子に、
「あれ? 園山さん、喫茶店がありますよ」
「ほんとだ! 私が島を出てからできた店ですね」
 民家の並びの奥まった一画に、コーヒーハウスドライという洒落た店があり、空色の看板が軒にかかっていた。店構えが新しいので、開店ほやほやだろう。入口脇にショーウィンドーを設え、ウェディングドレスを着たマネキンを飾ってあるのが奇抜だ。本日終了という立看が入口の前に置いてあったので笑った。
 家並が途切れ、森を右手に控える道だけが残る。チビタンクの種畜場へいく海沿いの道に似ている。七人でしばらく歩きつづける。星野秀孝が、
「神無月さんは華やかな人だけど、こういうさびしい風景にピッタリはまりますね。惚れぼれします。園山さんが連れてきたくなったわけがわかるなあ」
 菱川が、
「尾瀬にも合うか」
「合いません。あそこには観光地特有の気取った明るさがあります」
 江藤が、
「金太郎さんには気取りがなかけんな」
 係留された小型の船が溜まっている入江がある。その彼方に穏やかな海が拡がっている。野辺地の海とそっくりだが、波がない。砂利船が二艘見える。勢子が、
「ガット船と言うんです。砂利採集が似島の主な産業なので、ガット船の保有数は日本一です」
 道が歩道の幅になった。さっき引き返した道は、ここへつながっていたのだ。桟橋へ戻り、合同庁舎前の小さく密集した住宅街を歩く。ほとんどが狭い路地だ。そこらじゅう猫が闊歩している。ひどく古い背高の家並の中に理髪店や駄菓子屋があったりする。食堂も一軒あった。石垣の上に建っている旧家が多い。適当に歩いていくと、煙草や雑貨を売っている商店の前に神社の鳥居があった。竃神社。五、六段ほどの階段が昇っている。カメラを随えて六人で昇りきると、草地に朽ちかけた社殿があり、周囲は墓地になっていた。森の方角に入り組んだ住宅地が見下ろせた。勢子に、
「すごい住宅の密集度ですね」
「外国人も三十世帯ぐらい住んでます。民宿なんかも雑じってますし」
「人口はどのくらい?」
「五百世帯もないので、三千人はいないと思います」
 私は何気なく訊いた。
「もとのご主人は漁業をやってると言ってたけど、どういうことをしてるんですか?」
「似島の漁業は、底引き網や、刺し網、一本釣り、タコツボなどですが、うちは底引き網でした。この島はむかしから夫婦単位でやってる漁師が多いんです。いまは十組ぐらいしかいません。チヌ、カレイ、アイナメ、タイ、カワハギなどを漁ります。冬はナマコも漁ります。高見亭にも卸してます。きょう食べた黒っぽい魚はアイナメです」
 仲居たちが勢子をキョロキョロ見ていた理由がわかった。江藤がようやく状況を察したらしく、
「ご亭主と別れて、あんたの島での評判が落ちていたというわけたいね」
「はい。でもみなさんが島にきてくださったおかげで、少しばかり汚名を返上できたと思います」
「大きな挽回ですばい。天馬の訪れた島ということで、いずれもてはやされるやろう。いまは島民があんまり野球に興味がない様子やけん、ここに天馬がおるのに子供のほかはだれも注目せん。ばってん、こういう金太郎さんもスーッと輝いとって、いい景色ばい」
 勢子はまぶしそうに私を見た。ふたたび桟橋へ戻っていくと、斉木たちが地元の主婦連中と立ち話をしていた。さっきの子供らが周囲を囲んでいる。私たちが近づくと、恥ずかしがってそれぞれの母親の後ろに隠れる。斉木が、
「あ、みなさん、こちらのかたたちが、ぜひごちそうしたいと言ってるんですがね。あと一時間以上ありますから、ありがたくお受けしましょうか」
 江藤が代表して、
「いただきます」
「運転手さんたちも、カメラさんたちもどうぞ」
「ありがとうございます」
 カメラマンも運転手も私たちとちがって朝めしを食ってきたはずだ。だからカメラマンたちは高見亭で食事を断ったのだ。しかしさすがにそろそろ腹がすいてきたようだ。私たち世羅組は小腹さえすいていない。形だけ口をつけてすまそう。
 みんなで待合所の便所で用を足し、主婦たちの尻についていく。カメラがにわかに大活躍をする。
「やあ、食堂がある」
 運転手二人が驚いた。みなとや食堂という看板が、ふつうの民家に貼りつけてある。主婦の一人が、
「観光地ですから、けっこう食堂は多いんですよ」
 私は子供たちが握ってくる手を握り返しながら、さっき歩いた隘路を歩いた。こんなに狭い道をスクーターが追い抜いていく。
「おじちゃんたちは野球選手?」
 小さな男の子が振り仰いで言う。
「そうだよ」
「広島カープ?」
「中日ドラゴンズ」
「大きいなあ」
「きみぐらいのころは、みんな小っちゃかったんだよ」
「どうやったらプロ野球選手になれるの」
「なりたいと願いつづけて、練習をサボらずやるんだよ。そしたらなれる。野球をやったことはあるの?」
「ソフトボール」
「軟式野球の設備を作ってくれるよう、みんなで校長先生に頼んだほうがいいね。お父さんお母さんたちにもお願いして。ソフトボールじゃ、いくらじょうずでもプロ野球選手にはなれないから」
 一人の子が、
「この島の学校はサッカーが強いんだ。広島市の大会でも、いつもベストエイトにいくよ」
 校庭にサッカーゴールしかなかったことを思い出した。一人の主婦が、
「ドイツ人の捕虜のかたたちが持ちこんだんですよ」
「似島には捕虜収容施設があったんですね」
「はい、第一次大戦のとき、大勢のドイツ人が青島(チンタオ)から連れてこられました」
「チンタオはドイツの租借地でしたからね。そうですか。この島のサッカーは歴史があるんだな。それなら、無理に野球選手になんかならなくても、みんなでサッカー選手になるといいね」
「うん、サッカー選手になる!」
 小富士登山口に大屋敷が建っている。主婦たちと子供らがぞろぞろ入る。私たちもついて入った。式台の広い三和土の玄関の奥に、四十畳くらいの座敷があった。大勢の主婦たちと長卓で待っていた長老のような老婆が、ここは似島説教所の別棟だと言う。
「説教所と言っても、内地の本寺の支部みたいなものじゃよ。お説教するところじゃない。島民の寄り合い場所じゃ」
 ほかの老婆が、
「いま日本でいちばん有名なおかたたちだそうで、ようこそ似島へいらっしゃった。伊部(いんべ)さんの奥さんの紹介でいらっしゃったとのことじゃが、奥さん、よう選手の人たちを呼んでくれましたな。ありがとうございます。似島の名が上がります」
「あの、私、いまは園山と申します。もとの苗字に戻りました。ドラゴンズのみなさんは私が呼んだんじゃなくて、ご好意できてくださったんです」
「斉木さんからはそんなふうに聞いとりませんよ。奥ゆかしいお人や。園山さん、ほんとにありがとうございました。さあ、中日ドラゴンズのみなさん、二つ、三つ、似島の名物を食べてっとくれ。おたくたちに食べてもらうために、朝から用意しとったものじゃよ」
 きょうのことはすべて斉木のお膳立てだったのだ。この食事会が最後にやってきたハイライトだった。道々の退屈な風景はこの伏線だったのだろう。
 奥の台所から続々と主婦たちの手で料理が運びこまれる。中学生らしき女の子たちも手伝う。お呼ばれの近所の子供たちが歓声を上げる。
「ほう、生牡蠣たい!」
 江藤や星野が手をすり合わせる。
「焼牡蠣もどうぞ」
 牡蠣は苦手だが、どちらにも手をつける。くさみがグッと鼻腔を押してくる。二種類ずつ四枚充ては食い切れない。太田と菱川に回した。
「串肉です」
 よく煮こんだ牛のレバーに甘口のタレを滲みこませたものだと言う。割り当てられた二串食う。うまい。ぺろりと食った。
「似島ソーメンです」
 シイタケ、油揚げ、かまぼこ、金糸卵、刻みネギを載せてある。これもうまい。へっていなかった腹にどんどん入る。男たち全員お替わりをする。その食欲を見て子供たちが拍手した。日活の万里昌代ふうの美形の主婦が、
「手作りのバウムクーヘンです。グルグル竹筒を回しながら、半日かけてじっくり焼き上げました。神戸のユーハイム本店のものと遜色のない味になったと思います。似島発祥の味と思ってお食べください」
 これまたじつに美味だった。二切れ完食。最後に似島みかん。メロンとまちがえるほどのトロリとした甘みだった。
「ごちそうさまでした!」
 みんなでお礼の頭を下げ、大型の色紙に寄せ書きのサインをした。老婆たちと握手したり抱擁したりした。カメラが座敷中を動き回る。
「いい絵が撮れたなあ!」
 顔を見合わせ笑っている。
「この子供たちは近所の子ですか?」
 主婦の一人が、
「ほとんど似島学園の子です。学園は昭和二十七年に、広島の戦災孤児や浮浪児を引き取って創設した施設です。学校施設も一体化して、高校部まで整えました。子供たちが卒業したあとも、大学へいったり、社会人になったりして自立するまで面倒見ます。三年前には知的障害者の養護部も併設しました。各人が独立できるまで、無期限に養護します」
「……今年広島球場で打ったホームランの賞金や景品は、すべて似島学園に直接送るよう手配します。江藤さん、足木マネージャーにその旨お伝えください」
「わかった、伝えとく。金太郎さん、六月にも何かせんかったか」
「たしか、時計にぶつけたら、子供たちを球場に招待するという話じゃなかったですか」
 太田が、
「RCCにぶつけた賞金を子供たちの招待に使ってくれという話でしたよ」
「そうか。賞金が切れるまでだったね」
 菱川が、
「切れたら、RCCが引き継ぐことになったでしょう?」
「なら、そっちは安心ですね」
 万里昌代が、
「神無月さんのお志の件、似島学園の理事にお伝えします。いずれお礼の手紙を差し上げることになると思います」
「手紙なら球団のほうへどうぞ。ぼくに手紙は要りません。感謝されることが好きじゃないんです。悪しからず。ただ、急にホームランがストップしてしまうかもしれないし、それに、看板にでも当てるのでないかぎり、ホームランの賞金など微々たるものですよ」
「いいえ、とんでもございません。お志が貴重です。ありがとうございます」
 星野秀孝が、
「マツダの看板に当てたら、車がもらえるかも」
 菱川が、
「マツダの看板は、電化製品と百万円だ。車はもらえない」
「ケチだな。でも広島球場は狭いから、看板で稼げるかもしれないですね」
 私は、
「ビールや酒の景品は送らないほうがいいでしょう」
「送ってください。私たち主婦でうまく役立てます」
 和やかな笑いが弾けたのを潮に、みんなの腰が上がった。


         二十

 老若の主婦や元気な子供たちに送られてぞろぞろと桟橋に出る。朝に倍する人混みになっている。合同庁舎の人たちが群れの先頭にいる。勢子は人混みに見知った顔を探すようなことはせず、ひたすら私の横顔を見ている。島民の一人ひとりが五人の選手と握手しにくる。
 フェリーが待っている。自転車やオートバイや車が積みこまれる。百人ほどの大人や子供と握手し、斉木や勢子や仲間たちといっしょに乗りこむ。車を積んだハイヤーの運転手たちも遅れてやってくる。さようなら、さようなら、と言いながら子供たちが手を振りつづける。島が遠ざかった。
 甲板で涼しい海風に吹かれる。あと数時間で試合が始まる。たぶん、外木場だ。早くバッターボックスに立ちたい。肥ったハイヤー運転手が江藤に、
「中日ドラゴンズは丈夫な人揃いじゃね。神無月さんや江藤さんはもちろんのこと、中、高木、一枝、小川。とにかくじょうぶだという印象じゃが、デッドボールなんぞの思わんケガはあるにしても、からだそのものを壊すということはないんやろか」
「ワシらも生身の人間ばい。モリミチは、高校に入った当初はショートを守っとった。肩ば痛めてセカンドに転向したとよ。それが名セカンドになる運命の分岐点やった。中は長年悪い膝を抱えてがんばっとる。ワシは右肘痛が持病たい。一枝と健太郎はまっこと頑健ばい。ほとんどのプロ野球選手は、どっかかしら痛めたまんま、騙しだましプレイしとる。全体的に腰痛持ちが多か。ばってん、野球が好きやけん、やめられん」
「……そうなんですか」
「ほうや。それで、毎日がんばって鍛えとるわけたい。ピッチャーでないかぎり、故障で選手生命を絶たれることはなか。ピッチャーは即引退になる。金田は肘痛を抱えて二十年投げてきたばってんが、やつは痛みに耐える天才やけん、例外ばい。稲尾や杉浦や尾崎もそうたい。―みんなボロボロやけん、もうそろそろ終わりやろう」
「だてに高給をもらってたわけじゃないんじゃねえ」
「ほうよ。忍耐料も入っとる」
「ぼくは右投げに替えてから、故障は出てません。左肘も、ほぼ完治してます」
 痩せたほうの運転手が、
「天馬さんが左肘を壊(め)いで、右投げに替えたなあ有名な話じゃのう」
 江藤がうなずき、
「おお、知らんもんはおらん。だれよりも右腕ば大事にしとる」
 太田が、
「俺たちもまだ故障はありません。故障が出ないように必死で鍛えてます」
 肥った運転手が、
「山本浩司も腰痛持ちじゃと。なんでプロ野球選手がきびしい練習を毎日しとるかわかったわ。それ以上からだを悪くせんようになんやな。あしたのダブルヘッダーは観にいきますよ」
 斉木が、
「真剣勝負ですから、二試合行なうとなると、首脳陣も選手もかなり体力を消耗するでしょうね」
 菱川が、
「消耗します。特にレギュラーはね。プロ野球は年間試合数が決まってますから、雨天で中止する分を見越して、日曜日なんかにまとめてやっておくわけですよ。巨人はぜったいダブルヘッダーをやらない贅沢なチームですけど」
「一試合分の入場料がすごかけんな。ケチくさ」
 宇品桟橋が近づいてきた。江藤が手すりを握って前方を見つめながら、
「ええ一日やったの。この静かな海がしっかり記憶に残ったばい。園山さん、ありがとう」
「いいえ、私こそ、一生の思い出になりました。ありがとうございました。斉木さん、お時間を使っていただいて申しわけありませんでした」
「いやいや、私も一生の思い出ができました。神無月さん、ドラゴンズのみなさん、ほんとうにありがとうございました。心から感謝します」
 星野が女のように私に寄り添い、
「艱難辛苦という言葉がぴったりの人生を送ってきたんですね。そんなふうには見えない顔だなあ。何も考えていない顔だ。きっと何も考えてないんでしょうね。すごい人だ」
 竿マイクが頭上で揺れている。菱川が、
「東大も、神無月さんのおかげでいい宣伝をしてもらいましたよね。勉強だけの運動音痴の定評が崩れた。たとえ神無月さんが例外中の例外だとしても、東大出身者がスポーツ界の記録を塗り替えたわけだから、名実ともにナンバーワンの大学になった。東大からノーベル賞が出ても驚かないけど、ベーブ・ルース以上のホームラン王が出たとなると、これは驚天動地でしょ。それにしても、東大は去年神無月さんが優勝させた当初は、六大学の一チームとして違和感はありませんでしたけど、ほとぼりが冷めると、やっぱりなんだか妙な気持ちになりますね。歴代の記録を考えても弱すぎるので、なぜ六大学に入ってるのか疑問なんですよ」
 私は、
「わかりますよ。ほとんど最下位だもの。そのことはぼくも疑問に思って、入部した当時調べたことがあるんです。わかりました。大正十四年に東大が早慶法明立の五大学に加盟を申し出た当時、いまから四十四年前ですね、そのころ東(あずま)武雄という名投手がいて、ほかの大学と互角に戦ってたんですよ。でも、もともと東大が弱いことはだれもが知ってたし、東大側も自覚してた。東が卒業したら、ただの弱小チームに戻るだろうってね。東がいなくなったら連盟を脱退するつもりでいたわけです。連盟側は、野球そのものの実力ではなく、伝統を重んじるのが東京六大学野球の真髄だと考えていて、日本トップの大学を連盟に加えることで六大学のブランドを強化しようとしたんです。そこで、東武雄がやめても連盟から足抜けしないことを東大に約束させて加盟を許可したんです。東大はその約束をいまも守りつづけているんですね。加盟後、東は六大学初のホームランを打ったり、いまなお東大で唯一のノーヒットノーランを達成したりしました」
 江藤が、
「約束ば守りつづけた甲斐があったやないか。とうとう優勝したんやけんな。その東ゆうんは、どういう人やったと」
「一高、東大の典型的エリートで、当時の都知事東龍太郎の弟です。右投げ右打ち、百七十六センチ、七十五キロ。残っている写真を見ると、投球姿勢が高い素人ですね。ガッチリした力投型ですけど、ボールは大して速くなかったと思います。十六勝してますが、その倍以上負けてます。ピッチャーとしてプロにいけた逸材だったとは思えません。バッターならいけたでしょうね。それから二十年後の昭和二十年の終戦時、ミンダナオ島の捕虜収容所で病死しました。その二十年間の消息はわかりません」
「東大に入る頭と野球センスの両方を兼ね備えとったんやな。プロにいっても、新治ぐらいはやれたんやないか?」
「かもしれません。井手よりははるかに有望だったでしょう」
 太田が、
「井手さんは今年も一軍には上がれませんね」
 菱川が、
「井手はピッチャーとしてはプロではまったく通用しない弱肩です。それで去年、下手投げの変化球ピッチャーに改造しようとしたんですよ。あっという間に肩を壊しました。もともと中日新聞の出向社員としてドラゴンズで野球をやってたやつだから、すぐに引退を決意したんだけど、会社側が、おまえ足が速いからもう少しやってみろというわけで、いずれ代走か守備固めで使ってやるということになったんです。来年あたり出てくると思うけど、出番はないでしょうね。足、それほど速くないですから。二、三年やって退団したら、中日新聞でしばらく宮仕えでもして、それから球団フロントに入るんじゃないんですか」
「侘びしか」
         †
 埠頭で待っていたタクシー二台に乗りこみ、似島で乗ったハイヤー二台と手を振って別れた。広島テレビもバンに荷物を積みこんで帰社する様子だった。ディレクターのような男が、
「いずれ、似島探訪記として放送する予定です。インタビュー形式でないシリアスなものが撮れました。ありがとうございました」
 と、私たちが乗っているタクシーの窓に声をかけた。
 別館のフロントに着くと、麦藁帽子を斉木に手渡した勢子は賄い所の仕事に戻り、斉木はカウンターに入った。私たちに鍵を渡しながら、
「四時ぐらいにしっかり食べていきますか。ルームサービスで届けさせましょう」
 私は、
「いや、腹はいっぱいです。少しからだを休めてからいきます」
「ワシもそうするわ」
 太田たちは館内の喫茶店へいくと言って、すたすた去った。部屋に戻り、風呂に入って汗を流した。真っ裸でソファに座り扇風機をからだに当てる。
 和服のお仕着せを着た勢子が、
「きょうはほんとにありが……」
 とドアから顔を出した。私のあられもない姿を見てついと室内に入ってドアを閉め、
「今夜、参りましょうか?」
「うん。その前に」
 私はソファに長々と仰向けになった。
「でも時間が―」
「二、三分ですむよ」
「はい」
 早足でやってきて、ローテーブルのティシューを何枚か抜き、着物の下のパンティを脱ぐと、私のものを含んで濡らした。着物の裾をまくって跨る。尻を抱えてやる。
「ああ、なつかしい、いい気持ち、あ、だめ、神無月さん、も、もうイッちゃう、イッちゃう、あああ、イク!」
 強くふるえる上半身を抱き寄せて口を吸うと、勢子は激しく吸い返しながら、勇を奮って腰を上下させる。
「あ、また、イッ!」
 急激に締まってうごめきはじめたので、射出が迫り、
「勢子、イクよ!」
「はい! あああ、イクイク、イ、イ、イク!」
 吐き出したとたん、勢子は反り返ってあられもなく痙攣をする。この瞬間にもカズちゃんを愛していると強烈に感じた。
「ああ、ありがとうございます、うう、いい気持ち、好きです、死ぬほど好きです」
 ピークを過ぎ、勢子は反り返ったからだを戻して私の唇にむしゃぶりつく。
「帰りぎわの人混みの中に、長男がおりました。すっかり私を尊敬する顔で眺めているんです。もともといちばん愛情を注いで育てた子でしたのでうれしかった。神無月さんのおかげです。もう島へは帰りません。還暦までここに勤めさせていただいて、それでこしらえた蓄えで老後を内地ですごします」
「ずっと逢えるね」
「はい。それだけを楽しみに暮らします。二、三年したら仲居頭になるでしょうし、お給料も上がります。次男、三男がこちらで会社勤めをしたいと言ったら、いっしょに暮らすことも考えています。子供たちはいずれ所帯を持つでしょうから、ゆっくり一人暮らしを楽しめそうです」
 ティシュを添えてそっと抜き取り、ブルッと一痙攣すると、ソファを下りて微笑みながら立った。股間にティシュを挟んだまま下着をつけ、着物の裾を下ろす。私は手を引いてソファに座らせた。
「ご主人を愛してた?」
「子をなすほどの仲ですし、それなりの気持ちはありました。でも、まったく別の種類の愛情というものを知ってしまって……。もう思い出すこともないでしょう。私が愛する人は神無月さんしかおりません。じゃ、いきますね。夜遅く参ります。疲れていらっしゃるでしょうから、少し添い寝をしたらお暇します。きょうはほんとうに、ありがとうございました」
 だれも、最初の一人しか愛せないのだという確信を強くした。私の上でふるえながら彼女も最初の男を感じていたのだと、広々としたやさしい気持ちになった。心という生命の不思議を思いながら勢子が出ていく背中を見送る。静かな気持ちでシャワーを浴びた。
 心の向きのまま、しっかりユニフォームを着こみ、運動靴を履き、ダッフルとバットケースを持ってロビーに降りた。いつもながら落ち着く空間だ。実の割れた石榴の絵が多少不気味だが、不快というほどではない。庭を眺める窓辺のソファに、同じように運動靴を履いた水原監督以下全員がたむろしてコーヒーを飲んでいた。
 土産物店で、『宮島さん』と『もみじ饅頭』を五箱ずつ買って、テーブルに持っていく。
「お、サンキュー」
 森下コーチがうれしそうに包みを開ける。フロントの女子従業員が大ぶりの菓子皿を持って飛んできて、三箱ずつ開けて二種類の菓子をきれいに並べる。残りの二箱ずつを彼女に進呈する。
「みなさんで食べてください」
「それは、ちょっと」
「似島案内のお礼だと斉木さんに言ってね」
「はい」
 水原監督が、
「山田屋のもみじ饅頭だね。こし餡がうまいんだ。遠慮なくいただくよ」


         二十一

 二十人に余る男の手が差し出されているうちに、二種類の菓子四十個ほどがあっという間になくなった。もと広島監督の長谷川コーチが、
「似島はあの八月の六日に、一万人もの原爆の死傷者を収容したことで有名な島だ。どうだった」
「悲惨な話をしっかり聞きました。きれいな海と篤い人情が印象に残りました。慰霊碑も見てきました。小中学校も見ましたが、野球が普及していない島ですね」
「サッカーの島だからね。と言うより、広島県自体サッカーの本場なんだ」
 出発ですよう、と言って足木マネージャーが降りてきた。江藤が私に片目をつぶって、
「賞金の件、言っといたけんな」
「甲子園とちがって、広島はシワいんだよ」
 水原監督が茶目っ気のある笑い方をする。田宮コーチが、
「金太郎さん、ホームラン賞金の仕組み、知ってるか」
「はい、だいたいのところは」
「広島球場の場合、一般のホームランには金一封も出ないぞ。どこかのスポンサーの菓子一袋ぐらいだ。看板で百万出すのはマツダ自動車くらいで、あとはほとんど十万から五十万。照明塔も時計も場外ホームランもゼロ円だ」
「似島の学校は養護施設ですから、いろいろなところから援助があるでしょう。ぼくのホームランも多少の足しになってくれればいいんです。菓子の袋があるならそれも送ってもらいましょう。足木さん、よろしくお願いします」
「引き受けました。ご安心ください。さ、いきましょう」
 太田や菱川が、中や高木たちに話を訊かれて概略を話している。
「俺たちもそうしよう。しかし看板まで飛ばないだろう」     
 四時十分。沿道の歓声と嬌声の中をバスに乗る。重たそうな曇り空。ごちゃごちゃした飲食店街を通って中央通りに出、新天地交番前を左に折れて八丁堀へ出る。市電と落ち合い、いっしょにのろのろ相生通りの電停をいくつか過ぎる。江藤が、
「金太郎さんは景色が好きやのう。目がキラキラしとる。似島でも一心にあちこち見とった」
 中が、
「それって、無意識に動体視力の訓練になってるんじゃないの?」
 水原監督が、
「まちがいないね。金太郎さんは何ごとも意識しないので、ものごとを訓練したという実感がないんじゃないのかなあ。川上なんか、汽車の窓の客の顔を見定める訓練をしたと言ってたが、そんなことをしたら疲れて短時間でやる気をなくしてしまう。つまり訓練したことにならない。何ごとも自然で無意識がいいんだ。自然に敵うものなし。キャッチャーは、すぐれたピッチャーの速球や変化球を受けているうちに眼力がつく。木俣くんのバッティングがいいのもそのせいだ。江藤くんのアベレージが極端に上がったのは、持ち前の才能ももちろんあるが、内野手にコンバートされたことが最大の原因だ。もともとキャッチャーだったしね。内野手は目が鍛えられる。中くんの眼力は先天的なものだね。うちのキーポイントはライトを守る菱川くんだ。ライト打ちは名人級だし、当たれば飛ぶ。しかしそれじゃダメだ。確実性が増さないと。そこでだね―」
 紙屋町の交差点を突っ切って、広い国道に入る。
「昨夜ミーティングで決まったことなんだが、きょうから菱川くんにサードを守ってもらう。目を鍛えるためだ。衣笠くんのような豪快なサードを目指しなさい」
「ウス!」
 ふだん私の願っていたことが実現して驚いた。
「器用な太田くんはライトへ回る。中くんと協力して、強肩を生かし、堅実な守備をすることを期待してるよ。エラーを恐れず、伸びのびやりなさい」
「はい!」
 怒り肩でない菱川のほうが、華麗なサードになるだろうと感じた。二人は明るく笑い合って握手した。
「あ、それから、公約よりひと月早くなったが、きょうから星野秀孝くんの背番号が20に、菱川くんの背番号が4になった。気分を新たにしてがんばってくれたまえ」
「オス!」
 星野と菱川が立ち上がり、よろしく、と頭を下げ、背中を見せた。盛大な拍手。
「来年春のキャンプから、太田くんは葛城くんの5を譲り受ける」
 太田が立ち上がり、恥ずかしそうに礼をした。葛城と握手。これまた大きな拍手。
 左手のビルの隙間に原爆ドーム、右手のビルの隙間に広島球場の照明塔が見えた。四時二十分、広島球場到着。人だかり。士気が胸を衝き上げてくる。最近はこういう光景を好ましいものに感じて胸が躍るようになった。ゆっくり人混みを切り分けながらバスが三塁側専用駐車場に入る。きょうは濃い曇り空なので、西日に悩まされることはなさそうだ。
 ロッカールームに入る。狭くて寿司詰め状態。ドブくさい。球場の水回りが古くて下水のにおいが上がってくるのだ。ダクト剥き出しの細長い部屋。天井に蛍光灯四つ。ロッカーは粗末で小さい。テーブルは薄汚れている。雑巾でこすっても取れない。粗末な冷蔵庫のそばに、六畳のアパートに付いているようなステンレスの流しが据えられている。壁に申しわけ程度に小さい黒板が掛かっている。何か書いてあるのを見たことがない。クーラーはなく、二台の扇風機が回っている。
 奥のドアは売店につながっている。いつだったか、売店のおばさんがロッカールームに入りこみ、折り畳み椅子に座って煙草を吸っていたことがあった。とにかくこの球場は設備が老朽化している。試合のあと仲間で風呂に入りたくても、二人しか入れないと小川がぼやいていた。その二人風呂も新人は禁止されているそうだ。結局別館に戻って大浴場にいくということになる。
 ダッグアウトへいくにはロッカールームから電気室を通り抜けなければならない。川崎球場どころではない。しかも、どこへいくにも天井が低い。西日対策用の布製のブラインドが、一塁ベンチばかりでなく三塁ベンチにも、一列目と二列目のあいだに中途半端に垂れている。バネ式になっていてロープで引いて上げ下げする。椅子が壁よりもきれいなのがおかしい。
「ようし! ゴー!」
「いくぞ!」
 揃ってグランドへ出る。野球の〈一日〉が始まった。広島の選手たちは一塁ベンチへ退がって、私たちがバッティングケージに入るのを見つめている。一塁側のケージでは若生が、三塁側のケージでは水谷則博が投げる。あしたの肩慣らしだろう。
 若生和也、二十五歳。頬のこけたいかつい顔をしている。おととしのドラ三。百七十四センチ、七十七キロ。社会人のときに捕手から投手に転向した変り種。変化球の切れる本格派というのが名鑑の謳い文句だが、そんなふうには見えない。軟投派に見える。
 千原を先に打たせて、広島ベンチを背に素振りをする。六コース五本ずつ全力で振る。スタンドが低いので入場したばかりの客の声が聞こえてくる。
「おかしゅうないか、あの振り方」
「あれじゃろう、屁っぴり腰打法というなぁ」
 シャッターの音が響く。わざとその振り方だけをする。
「あれで打てるんか」
「打てるんじゃ。神無月しかできん外角用スイングじゃ」
 太田が水谷則博に甘やかされて好きなだけレフトスタンドに打ちこんでから、一枝に代わった。私はようやく一本放りこんだ千原のあとにケージに入る。私は若生に声を投げた。
「外角遠い低目だけお願いします!」
「オーライ!」
 監督、コーチが後ろに控える。衣笠と山本浩司が走ってきて、彼らに肩を並べた。腕組みをし、息をひそめる。初球、二球目と、クロスに踏みこみ、屁っぴり腰でレベルスイングをする。二球とも左中間スタンドへライナーで飛んでいく。
「ウッへー!」
 衣笠がたまげたという声を上げる。山本浩司が、
「神業だ!」
 シャッター音が連続で鳴る。
「ほら、打てるじゃねえかよ! 見たか」
 客が叫ぶ。一枝が同じ場所にフライを打ちこんだ。三球目、バットがラクに届く外角がきた。腰を屈めずに、体重を乗せ、しっかりひっぱたく。一直線に舞い上がり、レフトスタンドの日除け用の垂れ幕にぶち当たった。垂れ幕は看板の上に架け渡された木製レールにぶら下がっている。一枝が、
「ヒャー、あそこまではどうやったって飛ばせないぜ」
 そう言って、高いレフトフライを打ち上げた。あの広告板はアサヒビールなので、子供たちの身にならない。
「ラスト、もう一本!」
「え、もう終わり?」
 衣笠の残念そうな声。水原監督や田宮コーチの笑いが混じる。ちょっと届きそうもない外角シュートがきた。屁っぴり腰で片手を伸ばし、掬い上げる。水原監督の声。
「みごと!」
 高く上昇していった球が緩やかにドライブしながら下降し、オレンジ色のレフトポールに当たった。いつの間にか集っていたドラゴンズのレギュラーたちが、衣笠や山本浩司といっしょに拍手する。
「金太郎さんの免許を皆伝される人間は、どこにもおらんたい」
 鏑木の待っている外野へ走る。江藤と中がケージに入る。
「二万五千人だそうです。満員」
 足木マネージャーが外野まで告げにくる。
「広島球場の定員て、そんなに少なかったんですか」
「そう、日本一定員の少ない球場なんですよ。カクテル光線は甲子園より明るいけど」
 明るさの話は、川崎球場でも柴田ネネから聞いたような気がする。ものすごい西日が射してきた。遮蔽板がスルスル滑る。板の背後がオレンジ色に染まる。
「本日はご来場まことにありがとうございます。間もなく広島カープ対中日ドラゴンズ十六回戦の試合開始でございます。両チームの先発バッテリーをお知らせいたします。中日ドラゴンズのピッチャーは門岡信行、背番号24、キャッチャー木俣達彦、背番号23。門岡投手は現在一勝ゼロ敗でございます。広島カープのピッチャーは外木場義郎、背番号14、キャッチャー久保祥次、背番号24。外木場投手は現在六勝十二敗でございます」
 広島球場のアナウンスは変わっていて、ピッチャーの勝敗数まで発表する。またホーム、ビジター関係なく、ホームランが出ると競馬場のようなファンファーレが鳴る。後楽園の噴水よりも歴史は古い。バックネット下にはアナウンス室と並んで、ラジオ放送用のブースが四室ある。大声の実況放送が重なるように聞こえてくることが多い。
「先攻中日ドラゴンズのスターティングメンバーをお知らせいたします。一番センター中、センター中、背番号3」
 二番セカンド高木、背番号1、三番ファースト江藤、背番号9、四番レフト神無月、背番号8、五番キャッチャー木俣、背番号23、六番サード菱川、背番号4、七番ライト太田、背番号40、八番ショート一枝、背番号2、九番ピッチャー門岡、背番号24。
「対しまして後攻の広島カープ、一番セカンド古葉、セカンド古葉、背番号1」
 二番センター井上、背番号25、三番レフト山内、背番号8、四番ライト山本一義、背番号7、五番ファースト衣笠、背番号28、六番サード朝井、背番号15、七番キャッチャー久保、背番号24、八番ピッチャー外木場、背番号14、九番ショート今津、背番号6。
「球審は松橋、塁審一塁平光、二塁柏木、三塁大里、線審はライト谷村、レフト田中、以上でございます」
 松橋さんの球審はひさしぶりだ。
 二番打者の井上弘昭はガッチリした体型で、大洋の長田と並んでポパイと呼ばれている。山内一弘は衰えたりと言えども、ただいま十八本なり。太田に尋く。
「王はいま何本?」
「二十一本です。長嶋が十二本」
「みんな貯まってきたね」
 江藤が四十二本、高木が二十六本、木俣が二十七本、菱川二十一本、太田十九本、中でさえ十四本打っていることを考えると、王の二十一本は意外な数字だ。
「中日のホームラン数はすごいな」
「三百本はいくでしょう。何百年も破られない記録になります」
 プレイボール。中が打席に立つ。バットを重そうに寝かせて構える独特のウェイティングスタイルだ。重いヘッドを利かせるバッティング。完全試合とノーヒットノーランの外木場が、今年すでに十二敗もして精彩がない。
 通算奪三振四千四百五十個を超え、四百勝になんなんとする金田、シーズン四十二勝のスタルヒンと稲尾、通算防御率一・○九、シーズン記録○・七三の藤本英雄、シーズン記録四百一個の江夏。すべて異常としか思えない凄まじい記録だ。外木場もまた燦然と輝く記録の持ち主だ。ノーヒットノーラン二度。二度目のノーヒットノーランは完全試合で達成している。十六奪三振のオマケつきだ。一試合平均にすると三振は少ないが、伸びのあるストレートで、とにかくフライを打ち上げさせる。内角のシュートは胸もとをえぐり、カーブは巨人の堀内と同様、一度浮いてから落ちる。たいていのバッターは釣られて伸び上がるようにスイングする。
 中への一球目、ブレーキのいい外角カーブでストライク。二球目、アコーディオンが伸び上がったところへモロに高目の速球がきて、ジャストミート。一直線。ライト上段に突き刺さった。先頭打者ホームラン。中にしては大きなホームランだ。ファンファーレに祝福されてダイヤモンドを回る小柄なからだに喜びがあふれている。さりげなく水原監督とタッチ。松橋がベース板に視線を落としてホームインを確認する。切りこみ隊長を迎える仲間たちのやさしい尻叩き、背中叩き。きょうも中日ドラゴンズが派手に発動した。
「中選手、第十五号のホームランでございます」
 太田が、
「通算百三十二号、百五十号のメモリアルアーチまであと十八本。達成してほしいですね」
「そうだね。膝さえ悪化しなければ、だいじょうぶだと思う」
 二番高木。去年の五月に堀内から顔面に死球を受けて意識不明になり、どうにか回復したものの、長いスランプに陥った。それがこの復活だ。私ばかりでなくだれもが感心しているけれども、高木の慎ましい人柄が周囲の称賛を撥ねつける。痛いとか痒いとかいっさい言わない。
 ワンスリー。内角にシュートのストライクが一球きたきり、すべて外角に外すカーブかストレート。高木は五球目インハイの直球をえらんでフォアボールで出た。森下一塁コーチとタッチ。



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