三十一

 東京からきたひかりのグリーン車に乗りこむ。四、五人いた先客がギョッと顔を上げ、すぐに眼を伏せた。車内の一角を占めてふたたび会話を始める。私と同い年の江島が、
「昭和十一年から始まったプロ野球の歴史って、まだ三十年そこそこなんですよね。江藤さんは十二年生まれ、江藤さんより五歳下の省三さんは終戦のときは三歳、ここにいるほかの全員は戦後生まれでしょう。もの心ついてからプロ野球を十年ぐらいしか見ていないわけです。そんな歴史の浅いものが、どうして俺たちの心に将来の夢として滲みこんだんでしょうね」
 私は、
「ほんとに不思議ですよね。自分の記憶をたどると、小学校二年生のころにソフトボールというものに誘われて、一度だけ近所の学校の校庭でやった覚えがあります。とても印象に残りましたが、それ以後は誘われもしなかったので、関心は貸本や映画に移っていきました。そこへ映画館のニュースフィルムで長嶋の四打席四三振です。小学校三年生の春でした。それから一年半以上、母子の貧しい生活の中で野球を忘れて、貸本と映画に没頭しました。そして名古屋へ転校すると同時に、なぜかとつぜん軟式野球をやりはじめ、サーッと明るい陽が射してきて、あとはトントン拍子です。自分の人生に何が起きたかと思いました。……いまもって、なぜ四年生の秋からバットを振りだしたのかわからないんですよ。頭の中にはあのときのニュースフィルムで観た長嶋の姿があって、ぼくもああなることで〈人生をやり直したい〉と思ったのかもしれません。それからしばらくして、長嶋よりむかしの時代の人たち、たとえば中西太を知り、稲尾和久を知り、山内一弘を知り……」
 野球学者の太田が、
「つまり、自発的に野球というものに没頭しだしたんですね。非常にめずらしいです。ふつうはだれかに教わって野球を始めるものです。ソフトボールは、硬式野球の冬季練習用にアメリカで発明されて、大正時代に日本に伝わったものです。だからここにいるみんなは、小さいころかならずソフトボールをやってるはずです。一般のソフトボールを背景にしてマスコミにプロ野球の存在を知らされるという形をとったわけです。知らされる形は、大選手が活躍するのを目にするような強烈なものでないとだめです。硬式野球は明治時代にすでにアメリカにあって、すぐ日本に伝わりました。それから五十年以上、大学野球が全盛でした。その後プロ野球が結成されたんですが、プロチームの応援団がチャッチャッチャとやっていたと言われてますから、まちがいなく大学野球や中等野球の影響で派生したものです」
 星野が、
「そのころの江藤さんたちのあこがれは、大下、川上、青田ですか」
「ほうや。戦前の人たちは記憶になか。沢村、スタルヒン、藤本秀雄、中島康治といった人たちは名前しか知らん。戦後はワシも小学校一、二年生になっとったけん、記憶がはっきりしてくる。野球は、金太郎さんのごつ自分で始めたんやなく、社会人チームの選手やったオヤジから教わった。……川上、青田、千葉、別所といった選手は戦前からいたんやが、大下は戦後になって出てきた。ワシが二十歳までの水原巨人はすごかった。昭和二十九年にはドラゴンズも一回優勝しとる。その十年間がワシの野球の青春時代たい。プロ野球選手になりたい思って胸ふくらませた。大下やら青田やらゆう連中は、昭和三十年ごろまでにだんだん衰えてきよった。そこへ三原西鉄ライオンズと、彗星長嶋たい。ワシはそのころプロ野球に入った。二十二歳やった」
 私は、
「そのあたりからぼくの記憶もはっきりしてきます。ぼくらの年代は、江藤さんたちみたいに百花繚乱式にプロ野球の名選手を見ていない。長嶋しか知らないようなものですから比較ができません。長嶋はたしかに時代を画する華やかさを持った人物ですが、プロ野球選手そのものとしては案外中堅だと知ったのは、遡っていろいろな選手を知るようになってからです。大下、小鶴、中西、稲尾、金田、野村、山内、榎本。彼らばかりでなく、長嶋以降の王や、桑田武や、森徹や、江藤慎一や、中利夫、高木守道、尾崎行雄といった選手たちもすべて、パフォーマンスは長嶋ほどでないにしても、プロの野球道に徹した大型プレーヤーでした。自分もプロ野球人になってみなければわからなかったことです」
「ワシの名前ば挙げてもらってありがたか。ばってん、野球人としてはいざ知らず、長嶋の庶民性は別格たい。金太郎さんのごつ次元のちがう人間が現れても、庶民は身に合った人間ばっかり応援するもんばい。金太郎さんは人気では日本一にはなれん。神々しすぎて大衆受けせんけん。さびしかことばってん、どうもならん。ワシは現実としてそれを受け止めとる」
 菱川が、
「シャクに障るなあ」
「それだけに金太郎さんがますます愛しくなるばい。……金太郎さんはある日とつぜん、引退式もせんと去っていく男やろうもん。大きな足跡ば残してな。あと何年かわからんが、残りの野球人生、ワシも金太郎さんといっしょに生きるばい」
 星野が、
「来年、沢村賞、獲ります。芸能人じゃあるまいし、野球の世界に庶民性なんかいりませんよ。江島さんの言うように、野球が俺たちの夢なんであって、庶民に人気が出ることが夢じゃないでしょう」
 張りのある声で言った。
 三時十一分、京都駅到着。モワァと熱気がきた。湿気はそれほどでもないが、とんでもなく暑い。腕時計を見ると、三十四・一度。
「なんじゃ、この暑さは!」
 江藤の呆れ声に、めったに口を利かない省三が、
「梅雨時以外は、月に二、三回も雨が降らん土地だから」
 階段を下り、百五十メートルほどのコンコースを歩いて八条口へ。すれちがう人びとに大男たちの行進を奇異の目で見られる。ホテルに着くまでしばらくの辛抱。
「ホテルがこの近くでよかったっち。球場のそばやったら往生したやろう。こっから地下鉄烏丸線に乗り換え、西京極行の切符を買って―」
 みんなで私を囲むように道の脇に固まって歩く。西京極の経験のある門岡が、
「西京極は、四条から阪急京都線に乗り換えて、四十分もかかります。ホテルバスで助かった。いやあ暑い!」
 コンコースを出て、名古屋駅よりも小ぶりな京都駅を振り返る。タクシーはずらりと並んでいるが、道に雑踏がない。一般の車も名古屋の十分の一も走っていない。背高のビルも見当たらない。アスファルトの照り返しに炙(あぶ)られながら歩く。通行人にいじられることもなく、七、八分歩いて京都グランドホテルに到着した。あまりにも重厚な玄関の造りにたじろぐ。
 ロビーに入ると、ドラゴンズの選手に混じって、外国人が右往左往している。フロントの男女と外国人とのあいだで聞きなれない言語が飛び交う。いやな感じだ。富裕な外国人や身分の高い日本人以外は傍流の人びとと見なす雰囲気だ。しかしそのおかげで私たちの存在が半ば閑却されているので、ふだんとちがって気楽な感じもする。
 先着してチームメンバーのチェックインをすませていた足木が、続々と到着する人員を順に呼び寄せ、四階と五階のエコノミールームへ割り振る。ツインと三人部屋しかないと言う。私は江藤と二人部屋になった。食事は地下一階の小宴会場でということだった。
「プロ野球選手はエコノミーか。気取ったホテルやのう。プールはあっても、風呂は部屋にしかなかろうもん」
 足木は、
「そうなんですよ。高いだけでね。まあ、年に一度あるかないかですからがまんしてください。向こうも年に一度だと見くびって、われわれが団体の上客にもかかわらず冷たくあしらってるんですよ。来年からはホテルを替えます。落ち着いた老舗旅館にします。また京都にくることがあればですけどね。そんなわけで、ホテルからはバスを出してくれませんので、バスセンターに貸し切りバスを頼みました。球場まで十五分です。十二時十五分の練習開始に合わせ、あしたの朝十一時四十五分に出発します。試合の帰りに一度ここに寄って、着替えてからチェックアウト。荷物の郵送はきちんとやるようにと、フロントに言ってあります。チェックアウトのあと、京都駅までそのバスでいきます。そこで解散。一時間で名古屋です。ちなみに、われわれはアウェイになるのでベンチは三塁側です。チャッチャと終わらせて帰りましょう。単発でソロホームランを何本か打てば早く終わりますよ。監督、コーチもそう言ってました」
「水原さんたちもツインね?」
「はい。この系列のホテルは二度と利用しません」
 高木や中たちも人混みの中で不機嫌だった。何を並ぶのか知らないが、
「並んでください、並んでください」
 とボーイに声をかけられている。小川が、
「勝手にいくから、鍵をよこせ!」
 大声を上げていた。江藤と四階の六号室に入り、荷物の点検をした。グローブ、スパイク、バット二本入りのケースは、送り返されるときに紛失するのが怖いので持って帰ることにした。狭い風呂に江藤と交代で入る。
「ホテルのだれも金太郎さんに注目せんかったばい。すごかもんやのう。あしたの観客は一万人もおらんやろ」
「それでこそ野球場です。ボールの音が響きます」
「江夏は七日に投げたばっかやけん、あしたはデンスケか雑魚やな」
 六時を回ってすぐに地下の宴会場にいった。三十数名全員集っていた。もくもくと紫煙が上がっている。一枝が、
「両翼百メートルだろ。一応ホームラン狙うけど、無理かもな。外野スタンドが狭いから、金太郎さんはぜんぶ場外だな」
 給仕係が運んでくる料理は、京料理かフランス料理か知らないが、なんだかパンチがないなという感じの味つけだった。すべての食材が細かく刻んであったり、串を通してあったりして食いにくいことこの上ない。握り鮨や天ぷらや蕎麦の屋台も用意されていたが、わざわざ立っていく気はしなかった。運ばれた分だけをフォークで食い、ちびちびビールを飲んだ。みんなも煙草をくゆらしながらそうしていた。水原監督が、
「プロ野球がここまで知られていない土地もめずらしいね。どうだい、名門平安高校の江島くん」
「京都という土地は、野球の伝統はあるんです。中等野球第一回優勝は京都二中です。沢村は京都商業ですし、阪神の牛若丸吉田は山城高校、南海の野村は峰山高校、大洋の近藤和彦、広島の衣笠、阪急の阪本は平安高校です。ただ、西京極のような中途半端な野球場しかないので、高校野球までは大騒ぎしますが、プロ野球は遠くから眺めているという感じですかね。私も、里帰りしてサインを求められたことはありません。私の知名度からしてそれは当然のことですが、神無月さんや江藤さん、中さん、高木さんがここまで無視されたのには驚きました」
 私は、
「あしたはサイン攻めがなくて、ゆったり帰れるということです。ありがたい」
 太田が、
「監督、あしたは江島さんのライト先発でお願いします。故郷ですから、ファンも期待していることと思います」
 中が、
「いや、私が控えに回る。若手三人組でいきなさい。ホームランを打つんだぞ」
 江島は一瞬うなだれたが、
「ありがとうございます!」
 と明るい顔を挙げた。
         †
 八月九日土曜日。八時起床。晴。すでに二十九・八度。うなぎ上りに三十五度以上になる勢い。うがい、洗面、下痢便、江藤と交代でシャワー。
 昨夜はドラゴンズチームも阪神チームも、棟をちがえて、四階、五階のレギュラーフロアーに宿泊した。ベッド二つと、長卓が目立つだけの妙に明るい部屋だった。その明かりは細い窓からではなく、蛍光灯からのものだった。ソファはなく、木製ベンチが壁に造りつけてあった。早く去りたいと心から思った。
 朝食は洋食、軽食、和食とバラバラに店があり、選手各自が好みの店でとることになっていた。私と江藤は、たん熊という店で、奮発して高瀬川弁当を食った。腹に溜まった。棟がちがうので、阪神チームとはいっこうに顔を合わせなかった。
 少し予定を早めて、四十五分早く十一時にホテルを出発。阪神チームはとっくに出発していた。堀川通のイチョウとケヤキの並木道を北上。左に西本願寺の壮麗な山門や櫓を見て過ぎる。水原監督や中がじっと見ている。堀川五条の交差点を左折。五条通。並木は右にケヤキ左にイチョウ。低層のビルがところどころ点在する風景の中をどこまでも直進する。青空が高い。京都看護大学。通りの名が西五条通に変わる。背の低い街をバスが走る。車の数が、とりわけトラックの数が少ない。阪急線の高架をくぐり、さらに直進。左右に京都光華女子大の大きな建物。西京極球場の道標が見えた。幹線道路を左折して少し細めの道に入る。くねくねと走り、ビニールハウスと薬局が向かい合っているような奇妙な住宅街の向こうに照明塔がそびえている。
 レフトスタンドの裏側の空地めいた駐車場でバスを降り、ゲートから五メートルも入ると、ロッカールームだった。壁にくり抜いた通用口の向こうにブルペンが隣接して貼りついている。暑い。気温三十七・四度。蒸し暑くないのがせめてもの救いだ。
 スパイクの紐を二重の蝶々に固く結び、グランドに出る。バッティング練習を終えた阪神チームと入り混じって、二十人、いや三十人、カメラマンや報道記者がうろうろしている。淡いグリーンの芝生が外野一面に拡がっている。内野の焦げ茶色の土との対比が美しい。広い球場だ。外野スタンドは枯れ芝で、球場の縁飾りのように狭い。そのリボンのように狭い場所に、新聞紙やビニールを敷いた観客がぽつぽつ固まって坐っている。後ろは東大球場とそっくりの林だ。前のほうだけ長椅子になっている。内野スタンドはネット裏も含めてすべてコンクリート造り、板を渡した背凭れのない椅子。細長いバックスクリーン、その奥に小さなスコアボード。バックネット裏後方に屋根の架かった立派な記者席がある。周囲に人がたむろしている。そこを除いた内野席全体に外野席以上の空きがある。青森市営球場より閑散としている。熱田球場を髣髴とさせる。そう感じた瞬間、フェンスにもバックネット下部にもどこにも広告が貼りついていないことに気づいた。


         三十二

 私たちがフェンス沿いに走りはじめると、カメラが集ってきてフラッシュを瞬かせる。二周する。スタンドから声はかからない。冷めた姿勢が徹底している。外野スタンドの片隅から大学野球の応援のような太鼓の音が立ち昇った。もの慣れないリズム。太鼓に合わせる拍手の音もぎこちない。旗は振られていない。いっしょに走っていた半田コーチが、
「お客さん、少ないねェ」
 見回すとたしかに一万人も入っていない。おおきな穴が開いたように空席が目立つ。走り寄ってきた長谷川コーチが、
「この造りなら、うちの選手はほとんど場外だな。場外ホームランは野球の華だ」
「ここは何人入るんですか?」
「二万。満員になることがないめずらしい球場だけどね。なんせ、ナイター設備ができたのは昭和四十年だから」
「四年前ですか」
「おととし、西本さんの優勝決定の胴上げはここだった。観客千二百人」
「へえ!」
 無番のユニフォーム姿の少年たちが三人で、トンボを押しながらファールグランドを走っていく。ホームベースのあたりと内野グランドは、トレパンを着た大人たち六人で均している。マウンドの周囲だけはトンボを牽いたスクーターが均す。たちまち美しく仕上がった。
 阪神チームがバッティング練習を終えベンチに退がる。一つしかないケージでバッティング練習開始。先頭打者で入る。監督コーチ陣がケージ裏に集まってくる。ピッチャーは小川。きょうは投げるチャンスがないと踏んで、肩を〈休めない〉ために軽投しているのだ。彼の場合、シーズン中に肩を完全に休めることは体質に合わないようだ。五十球は投げるだろう。
「五球、お願いします!」
 林へ打ち出さないようにリボンのスタンドを狙ってライナーを打つ。フェンスに二メートルほどの金網が立ててあるので、バッターボックスからはスタンドが二センチ程度にしか見えない。三球はうまくスタンドに入ったが、二球は林の繁みに吸われた。拍手は湧かない。腕組みして見ている連中が多い。
 私はケージの後ろに回った。江島がケージに入った。ワーと歓声が上がる。不思議なことに、このときを境に観客が残った空間を埋めはじめた。一万六千人という入場者数の発表が流れる。水原監督が、
「西京極の記録更新だ。江島くん、錦を飾ったね」
「はい!」
 ショートライナー、
「ウワー!」
 レフトへ深いフライ、
「ウオー!」
 左中間ホームラン、
「タクミー!」
 左中間ライナー、
「ヒャアー!」
 レフト繁みの中へホームラン、
「ヨーシ! 平安四番!」
 私はなんだか安心して、グローブを持ってレフトの緑の芝生へ走っていった。フェンスぎわで三種の神器を始める。ときどき打球が上がると、グローブをはめて立ち上がり、捕球する。ボールボーイに投げてやる。
 守備練習。五本。一本だけバックホームする。まばらな拍手。徹底して関心を持たれない喜び。きょうはのびのびやれそうだ。
 素人くさい若やいだ声のアナウンスが流れる。甲子園球場の声ではないので、地元のアナウンサーだろう。
「ただいまより阪神タイガース対中日ドラゴンズ十三回戦の試合開始でございます。両チームの先発メンバーを発表いたします。先攻中日ドラゴンズ、一番センター江島、センター江島、背番号37」
 大喚声、拍手、平太鼓の連打。
「二番セカンド高木、セカンド高木、背番号1、三番ファースト江藤、ファースト江藤、背番号9、四番レフト神無月、レフト神無月、背番号8、五番キャッチャー木俣、キャッチャー木俣、背番号23、六番ライト葛城、ライト葛城、背番号5、七番サード徳武、サード徳武、背番号11」
 徳武の先発はめずらしい。結局太田と菱川が仲良く控えに回った。
「八番ショート一枝、ショート一枝、背番号2、九番ピッチャー土屋、ピッチャー土屋、背番号26。つづきまして後攻阪神タイガース、一番ショート藤田、ショート藤田、背番号6、二番レフトゲインズ、レフトゲインズ、背番号35、三番ファースト和田、ファースト和田、背番号12、四番ライトカークランド、ライトカークランド、背番号31、五番センター藤井、センター藤井、背番号19、六番キャッチャー田淵、キャッチャー田淵、背番号22、七番サード大倉、サード大倉、背番号1、八番ピッチャー若生、ピッチャー若生、背番号27、九番セカンド吉田、セカンド吉田、背番号23(かなりの歓声)。主審田中、塁審一塁久保田、二塁竹元、三塁手沢、線審レフト太田、ライト大谷。以上でございます。つづきまして、ただいまより京都市長による始球式を行ないます。マウンドに登るのは、全国初の聾唖センター開設など福祉政策の功労者、京都府医師会会長、京都三曲(さんきょく)界の重鎮でもある、第二十一代京都市長富井清さまです。対しますバッターは、京都平安高校出身、昭和三十九年、四十年、春、夏、春と甲子園出場、ドラフト二位で中日ドラゴンズに入団、新人にして三試合連続ホームランを放つなど、ドラゴンズの中心打者として大活躍なさっている江島巧選手です」
 ドーという歓声。私は中に、
「何ですか、三曲って」
「箏(こと)、三味線、尺八のこと」
 眼鏡をかけたチョビ髭の老人が、背広を着たままマウンドに立った。振りかぶり、投げ下ろす。バフッと上着がはためき、力をこめて投じたボールが江島の足もとで弾んだ。晴れ舞台の江島は力強く空振りをした。球場じゅうが歓声を上げ拍手する。チョビ髭はにこやかに笑いながら江島と握手した。
 二時プレイボール。
「一回表、中日ドラゴンズの攻撃は、一番センター江島、センター江島、背番号37」
 歓声が轟(ごう)々と重なる。若生デンスケ初球、真ん中高目の速球、江島豪快な空振り。
「ウォー!」
 若生の投球フォームが小山正明そっくりなのに初めて気づく。二球目外角スライダー、ヘッドアップの空振り。大拍手。ここでホームラン、あるいは長打をかっ飛ばせば、江島は地元民に面目が立ち、中の後継者最有力候補にもなるだろう。
「江島さーん! ホームラン!」
 彼はベンチを振り向いた。私は内角低目を掬い上げる格好を示した。次は内角シュート九十パーセント、内角カーブ十パーセントだろう。江島は小さくうなずいた。江藤が、
「ワシもそう思う。問題は内角高目がきたときたいね」
「低目を想定していれば、見逃せます。どうせボールですから」
 三球目、膝もとにシュートがきた。江島は準備していたとおりのスイングで、しっかり掬い上げた。ギュンと打球が上がった。中が、
「よし! 技あり一本!」
 両翼百メートル。歓声を連れて白球がレフトの森へ消えていった。森下コーチと手を握り合うようなタッチ。一万六千人の大観衆が声を合わせてタクミコールをする。水原監督と両手でハイタッチ。チームメイトの荒っぽい出迎え。私は初めて同僚の尻を叩いた。江島は四方のスタンドに手を振った。
「江島選手、公式戦第三号のホームランでございます」
 水原監督が三塁コーチャーズボックスからベンチ前に小走りでやってきて、
「凡打を恐れず好きなように打ちなさい。江島くんのいるチームが強いことを京都のお客さんに知らせるんです。プロ野球のおもしろさも教えてあげましょう」
「オー!」
 ネクストバッターズサークルから打席に向かおうとしている高木に、太田が水原監督の伝令に走った。高木がニコニコうなずいた。早打ちの高木は初球の高目ストレートを強打した。広い球場の左中間を深々と抜いていく。高木今シーズン三本目の三塁打。ダイナミックな走塁に大歓声が湧く。
「ようやく盛り上がったばい」
 江藤はベンチから直接バッターボックスに向かった。ボックスに立つと、足もとを少し均し、グリップエンドを左掌で握りこんで静かに構える。早打ちをしないという覚悟が見える。初球内角シュート、ストライク、二球目内角ストレート、ストライク、ツーナッシングまで打ち気を見せずに見逃した。内角球を見逃し、外角に的を絞っているように見せている。若生の気持ちを考える。それなら外角の吊り球でいくか―三球目、ボール一つ外れる外角のスライダー。ピクリとも動かず見逃す。ノッポの田淵が立ち上がった。何の指示を出すでもなく、またしゃがむ。混乱している。四球目、真ん中高目のストレート、ボール。私も読めなくなった。ここで打ち取らないと、ピッチャーが不利になることは確かだ。初球のストライクは内角の何だったっけ? 内角高目シュートだった。デンスケがいちばん自信を持っているボールだ。
 ―なるほど。
 江藤はかすかに左足を開いた。五球目、内角シュートが胸のあたりにきた。スムーズな回転でバットがレベルに振り出される。少し右手の離れる独特のフォロースルー。江藤は上体を傾けて打球を見つめながら右手を突き上げた。白球がピンポン玉になって緑の中へ消えていく。
「ウオオオ!」
 という喚声。外野芝生席の子供たちが跳びはねている。
「江藤選手四十五号のホームランでございます」
 森下コーチとハイタッチ、水原監督とハイタッチ。ホームに戻ってくる江藤の首っ玉に菱川が飛びついた。三対ゼロ。
 歓声が静まる。バックネットの後ろに坐っている観客の顔がひどく近い。ゲテモノを見るような親しみのない目だ。ヘルメットを彼らに向かって掲げたが、やはりパラパラとしか拍手しない。余計なパフォーマンスだった。バッティングに集中しよう。きょうは全打席、初球から打つ。田淵が小さな声で、
「林の向こうも運動公園の緑地なので、民家に当たる心配はないですよ」
「百二十メートルでいいね」
「そんなにうまくいくかなあ。だってストライク、投げませんから」
 若生が振りかぶり、からだを猫背に丸めて投げこんできた。内角、足首のあたりの高速スライダー。ボール二つ低い。得意のコースだ。どうしてみんなあえてこのコースに投げてくるのだろう。がっついて打ち損なうことを期待して? 右足を大きく踏み出し振り抜く。いつもの手応え。
「アチャー! だめか!」
 田淵の叫び声。若生が首をライトに振り向ける。観客が息を呑む呼吸音が聞こえたような気がした。右中間の照明塔を目指してボールが真っすぐ伸びていく。鉄骨にガンと当たった。この球場では初めての距離だろう。ゲテモノはこうでなくちゃいけない。大歓声はないが、球場全体に柔らかい拍手が立ち昇った。森下コーチと手を打ち合わせ、黙々と走る。水原監督とロータッチ、尻をポーン。江島が先頭で出迎える。抱きついてくる。そのとき初めて歓声が湧いた。江島の抱擁で私は京都市の市民権を得た。
「神無月選手、第百十二号のホームランでございます」
 あらためて驚愕の喚声、拍手。四対ゼロ。お祭り野球の後藤監督が出てきて、田中球審にぼそぼそ。
「若生に代わりまして、ピッチャー鈴木、ピッチャー鈴木、背番号7」
 小柄な右腕のサイドスロー鈴木皖武(きよたけ)に交代。ふてぶてしい顔。彼も巨人キラー。いったいプロ野球界に巨人キラーは何人いるのだろう。そんなにたくさんいれば巨人は優勝できなくなるはずなのだが。球種はストレート、スライダー、カーブ、切れのいいシュート。そのシュートで木俣三振、葛城三振、徳武詰まったサードゴロ。
         †
 ドラゴンズはさらに四回に一点、六回に一点、九回に三点挙げて計九点、タイガースは九回に二点を挙げたのみ。九対二で勝った。
 郷土のヒーロー江島は三打数一安打、初回のソロと、四回、三塁打で出た一枝を犠牲フライで還し、打点二。四回裏からの守備を中にまかせた。その中は二打数二安打。九回ヒットの土屋を置いて、狭いライトスタンドにみごとに突き刺した十六号ツーランで二打点を挙げた。高木は四打数二安打、打点なし、江藤四打数三安打、打点一は初回のソロ。私は三打数二安打、打点三。もう二打点は、六回、鈴木から打ったレフトへの犠牲フライと、九回、平安高校出身の新人植木から打った左中間場外への百十三号ソロ。植木の勝負球は外角へ沈むシュートだった。ダイヤモンドを回るあいだまったく拍手が湧かなかった。フラッシュだけが静かにきらめいた。水原監督に温かく抱き締められ、仲間たちに固く抱擁された。
 阪神は鈴木皖武から、久(ひさ)野、植木と二線級のピッチャーにつないだ。太田の話だと、
「植木は、平安高校で衣笠とバッテリーを組んでいた地元の有名人です」
 私の唯一の凡打は、先頭打者で出た八回、久野から喫したセカンドゴロだった。スライダー、カーブ、シュートのめまぐるしいコンビネーションにやられ、バットに当てるのがやっとだった。私につづく五番から七番まで、久野に二安打を浴びせ一フォアボールを搾り取ったが、八番の一枝がゲッツーに打ち取られた。
 木俣は四打数一安打、葛城三打数一安打、徳武三のゼロ、最後に彼の代打で出た菱川はライトライナーで一のゼロ。一枝四打数一安打、土屋四打数一安打。ホームランを交えて十四本のヒットを打ちながら九点しか取れなかったのは、少しもの足りない気がした。
 土屋は九回を完投し、プロ入り初勝利を挙げた。木俣と抱擁し合い、水原監督と硬く握手した。打者三十五人、被安打八、三振四、フォアボールゼロ。失点は九回の裏に打たれた田淵の十二号ツーランだけだった。田淵の打球は高いフライで左翼の林の彼方へ消えた。試合を締めくくるのにふさわしい、美しいホームランだった。涙の止まらない土屋をみんなで順繰り抱き締めた。
 江島は同郷の吉田義男と試合終了後に握手した。上がりの江夏の顔はベンチにも見かけなかった。観客は上品にざわめきながら満足げに帰っていった。ヒーローインタビューは設備すら用意されていなかったので行なわれず、私たちは入り乱れる新聞記者連中と歩きながら適当な質問を受けるだけですました。


         三十三

 五時十分。西京極球場に別れを告げる。選手たちの乗りこんだバスの腹にファンは押し寄せてこない。そういう習慣はないようだ。駐車場の片隅にひさしぶりに宇賀神を見た。数人のスーツ姿を連れて、大型のセダンのそばで背筋を伸ばして立っていた。たがいに遠くから辞儀をし合った。私たちの辞儀の意味をわかっている水原監督やレギュラーたちもかすかに頭を下げた。
 まだ明るい街路をバスでホテルへ帰る。土屋が感無量の顔で街並を見つめていた。西京極球場とこの街並は彼の記憶に永遠に残るだろう。星野秀孝が、
「さっきの人たちは?」
「名古屋にぼくのファンの政治家がいてね、その人の秘書たちです。明石以来ずっと護衛してくれてます」
「……すごいですね」
 水原監督が、
「私たちも護ってくれてるんだよ。ありがたいことだね」
 ホテルで着替えをし、ダッフルに詰めなかった荷物をすべてフロントに出した。ファンにまとわりつかれることもなく、ホテルの玄関から京都駅までバスに乗った。中日ドラゴンズ三十数人が、従業員二人のさびしい見送りを受けた。
 六時三十二分のひかりに監督以下全員乗った。足木マネージャーが、
「過剰サービスは要りませんが、せめてふつうに接してもらいたいものですね」
 水原監督は、
「軽んじられてるだけで、反感は持たれてないんだよ。今度からは、重んじられも軽んじられもしないような宿屋にしよう。精神衛生上悪いからね。足木くん、頼んだよ」
「わかりました。京都の老舗は高いですよ」
「数年に一度だ。いくら高くてもいいさ」
 星野が、
「今回なぜ、わざわざ京都にきたんですか」
 一枝が、
「おまえも金太郎さんと同じで、ものを知らないな。天才はよく似てるよ。タイガースの本拠地は甲子園だ。甲子園で行なわれる春と夏の高校野球のあいだは、長期ロードに出なくちゃいかん。特に夏のロードは一カ月近くになる。その間、阪神主催の球場を西京極に決めたんだ。たとえ長期ロード中でも全チームと戦うわけだから、フランチャイズがないのはおかしいからな。お盆の時期に阪神が西京極を使ってしかも中日と対戦するのは、この先五、六年ないと思うぜ。だからこそ、いい印象を持って帰りたかったよな」
「すみません」
 江島が謝った。
「おまえが謝ることないさ。宿屋側の問題だ」
 木俣が、
「そう言えば、きょうから夏の甲子園が始まったな。前評判の高いのはだれだ?」
 小野が、
「青森三沢高校の太田幸司が全国区。静岡商業の松島、宮崎商高の西井、松山商業の谷岡が地方区」
「太田はスタルヒン以来の白系ロシア人か」
 一枝が、
「いや、アメリカ人の男と日本人の女との混血だ。ややこしいんだけど、三歳のときに白系ロシア人の母親と日本人の父親の家に養子で入ったんだ。まあ、三沢進駐軍の落とし子だね」
 私が、
「甲子園からプロにくるような選手の大半は、むだめし食いですね。例外は沢村栄治、川上哲治、別所毅彦、中西太、尾崎行雄、王、池永、ドラゴンズでは水原監督と太田コーチと高木さんくらいでしょう。木俣さんも何回も甲子園にいってるんでしたっけ? でも甲子園から鳴り物入りでプロにきたわけじゃないですよね。大学で熟成期間を置いてる。プロの有力選手というのは、いま言ったようなほんの一握りの例外てきな甲子園組を除けば、どこかで熟成のワンクッションを置いているか、甲子園不出場の高校からやってきてプロで熟成する人が多い。つまり甲子園という肩書は、プロ野球でモノになるかどうかとは密接な関係がない。金田さん、野村さん、稲尾さん、長嶋さん、山内さん、張本さん、江夏さん、江藤さん、中さん、小川さんもみんなそうでしょう。野村さんと山内さんなんかテスト生ですよ」
 太田が、
「巨人の堀内は、山梨代表で甲子園出場を果たしたけど、試合会場を西宮球場に割り振られました。これも甲子園不出場と言っていいですね」
 江藤が、
「たしかにそこまで考えると、馬鹿らしかな」
 私は、
「それなのになぜみんな、甲子園、甲子園と騒ぐんでしょうね。ぼくは浪商の尾崎を見た昭和三十五年、あの先もあとも、甲子園の野球中継を見たことがありません。それで正解でした。プロ野球界の甲子園出身者と言われる人たちの大半を見て、ぼくはあまり才能を感じない。逆に甲子園と関係ない人たちに大きな才能を感じます。しかし、才能を感じたからといって、彼らが額面どおりに開花するのを目撃することもマレです。才能を処理しきれていないからです。才能という遺伝子だけで自動的に道が決まるとするなら、そんな人生はあまりにも簡単すぎる。遺伝子の責任をとるという複雑な努力をしなくてすむことになります」
 木俣が、
「遺伝子の責任をとるというのは?」
「有望な遺伝子も、厚遇されたり不遇だったりします。厚遇されるためには、遺伝子を適切に処理しなければいけない。つまり、不遇の時期に、精進し、努力しながら、才能を殺さない日々を送りつづけて初めて厚遇されるということです。そういう日々を送る習慣をつけるためには、幼いころから、なるべく名門の集団の中でなく、平凡な人たちの中で暮らす経験が必要になります。そういう人たちはある種、成功への障害ですから、優と劣が力を合わせて共闘しなければ、才能は不遇のまま芽を出さずに終わります。そういう経験をしたことのある人間こそ、将来いつまでも精進と努力を怠らず、優劣混在するプロの一員となっても、反発し合わず協力し合っていくことができるんです。優劣団結し、ともに向上を目指す方法をとらないかぎり、才能は持ち腐れになります。甲子園組はまずそういう野球人生は送っていない。五十点の実力しかない名門とやらの集団の中で、ほぼ全員が九十点だ、百点だと褒めそやされて生きてきた。悲惨です。名門とか甲子園とかのお墨付をもらって、物好きなプロ球団に誘われ、まちがった自信を持ったまま九十点百点の連中の中へ叩きこまれる。むだめし食いになるしかありません」
 徳武がため息をついた。
「きついなあ! 俺を含めて、ほとんどのプロ野球選手がそのとおりだよ」
 菱川が、
「神無月さんは一度も野球の名門に属したことがないですからね」
 太田が、
「千年小学校、宮中学校、青森高校、東大……」
 水原監督が、
「口の重い金太郎さんが、初めてプロ野球界について胸の内を語ったね。何もかも見えている天才の言うことだから、信憑性がある。現在のドラゴンズはどうかね」
「すみません、生意気なことを言って。中日ドラゴンズは、九十点百点の才能を持つ努力家ばかりです。最高の人たちに囲まれて、ぼくは最高の環境にいます。ぼく自身は八十点です。出発点が左肘の故障ですから、先天的に劣ったものがあるということです。その不足した二十点が不安で、毎日鍛錬しています。家に小さなジムも作りました。……水原監督、ドラフトでは五十点の人気者ではなく、九十点百点の努力家を採ってください。ぼくたちレギュラー陣二十数名はプロ野球界最高のメンバーです。ぼくたちに追いつき、追い越すのは並大抵じゃありません。その可能性のある人を選んでください」
「まかせなさい。仕方なくフロント命令で五十点の甲子園組を採るとしても、少なくとも努力を怠る雑魚は採らないよ。二軍も充実させなくちゃいけないからね」
 江島が、
「名門高校にくるやつのほとんどが五十点というのは、よくわかります。練習百点、才能五十点。それじゃないと、監督の言うことを素直に聞いて勝ち進めないし、学校の目標である甲子園にもいけない。アマ野球の世界では、五十点の能力になるのもたいへんなんですよ」
 中が、
「エクセレントではなくコンピタント、優秀ではなくまあまあというやつだね。プロ球団も学校の目標や世間評価に合わせるんじゃなく、プロ球界の目標や評価に合わせるよう再考しないとね」
 私は、
「少しでもすぐれていると素人目には目立ちます。その中にときどき、とりわけ目立つ九十点百点の器がいる。結局そいつが五十点を引っ張っていく。つまり、甲子園に出る連中の十人に九人は五十点ですから、プロのスカウトは彼らを切り捨てる鑑識眼と勇気を持たなければいけません。庶民は、甲子園にくる連中は全員百点だと思ってますから、マスコミもその気になって騒いで、五十点の連中を九十点百点の有能者といっしょに押し上げる。……九十点百点は、甲子園組でないチームにもたくさんいます。ただ、彼を囲む連中が二十点三十点なんです。そいつらにまぎれて、いっしょくたにされる。注目されない。プロにいけない。そこに注目することこそスカウトの能力だと思います」
 水原監督が、
「中京中学の押美というスカウトは、小学五年生の金太郎さんが名古屋市のホームラン王になる以前から注目してカメラを回しつづけていた。二度スカウトにいって、お母さんに断られた。他の学校のスカウトはいかなかった。まさにスカウトの白眉だ。押美さんは金太郎さんを青森高校まで追いかけた。他のスカウトはいかなかった。青森高校が名門じゃなかったからだよ。榊くんと村迫くんはすでにそのころから、ドラゴンズに金太郎さんを採ろうと言っていたそうだ。その二人以外はだれも言わなかった。二十点三十点に囲まれたほんものに目をつけるのは、ごくかぎられたスカウトの才能なんだよ。榊くんは同じころ、やはり神無月くんに注目し、ほかに三本木農業の戸板くんにも注目していた。戸板くんはどこからも誘われず、日本軽金属にいった。去年のドラフトで広島から六位で指名されたが、躊躇なく断って、いまも軽金属で投げてる。まちがいなく逸材だ。一位指名をして、即戦力として彼を採る。戸板くんの一位指名はうちだけだと思うから、確実に採れるだろう。小川くんと小野くんの二本柱が衰えてきたときの予備軍は、星野くん、則博くん、土屋くん、戸板くんだ。それから、採れるかどうかわからないが、早稲田の谷沢くんを考えてる。中くんが衰えたあと、江島くんや太田くんと競わせようと思ってる。非凡なバッティングセンスを持ってるんだ。二軍候補は法元渉外課長の腕を期待している。来年、うちも十人くらいは自由契約になるからね。彼が甲子園組を採った場合は、二軍でしばらく様子を見る」
 小川が、
「早く衰えろといわれてるみたいだなあ」
「いや、きみたちは不死身だよ。新人たちが乗り越えなくちゃいけない山だ。そのつもりでせいぜい妨害してやってほしい」
 七時二十五分に名古屋に着いた。関東住人の徳武と千原はそのまま東京へ向かうことになった。徳武が、
「東京には九時過ぎだ。二人で八重洲あたりの居酒屋で一杯ひっかけて帰るよ。じゃ、みなさん、十二日に中日球場で」
 徳武と千原はホームに居並ぶ私たちに窓越しに手を振った。水原監督が私に、
「あしたの午後、予定どおりお訪ねするよ。じゃ、きょうは失敬」
 水原監督以下名古屋残留メンバーは名古屋観光ホテルへ、名古屋在住組は自宅へ、江藤たち寮組は西区の堀越へ向かうために、全員手を振りながらタクシー乗り場へ去った。
 北村席に戻ると、まだわいわい食事の最中だった。菅野が直人を抱いて式台に出てきた。
「お帰りなさい、大統領!」
「おかえりなちゃい、おとうちゃん」
「ただいま。あしたは盛大なお祝いをするぞ」
 頭をなぜる。主人を先頭にいちどきに家の者たちが式台に立った。カズちゃんが、
「お腹ペコペコでしょう」
「うん、昼から食ってない」
 ソテツにダッフルとバットケースを渡して式台に上がる。幣原が、
「すぐお食事用意します。ハンバーグステーキです」
「お、いいね。箸で食べるよ」
 睦子が私のジャケットを脱がせながら、
「お帰りなさい。実況観てました。西京極って静かな球場ですね」
「学問くさい宗教都市だから、スポーツはあまり人気がない。近代的なものに無関心なんだね。おかげで、気楽にプレイできた。素子と千佳子は岐阜へいったの?」
「きょうの午前中に出発しました。二十四日に帰ってきます。十七日の日曜日に一度会いにいって、あたりの写真を撮ってきます」
 新しい下着と浴衣を持ってきたイネにワイシャツ、ズボンを渡し、カズちゃんに汗の滲みたシャツとパンツを脱がせられる。めずらしい光景ではないので、最近では店の女たちのだれも見なくなった。駅からここまで歩くあいだに相当汗をかいている。カズちゃんは濡れタオルで全身を拭く。エアコンの風が気持ちいい。浴衣に着替えてサッパリし、食卓につく。直人が膝に乗ってくる。



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