四十

 ソテツに送られて文江と塙夫婦が去ると、一枝が周囲を見回しながら水原監督にボソリと言った。
「監督、ここはオアシスですね」
「金太郎さんのお城だから、ドブ川だったら困るんだよ。金太郎さんのいくところ、すべて清流になる」
「俺はここにくるのは二度目ですが、からだも心も洗われるようですよ」
「私もだよ。ご主人、先回いらっしゃった女性が何人かいないようですが、気のせいかな」
 天童が、
「素ちゃんと千佳ちゃんのことね。車の免許を取りに、きのうから中津川の教習所にいってます。二週間の夏期集中特訓」
 カーマニアの小野が、
「ああ、ガレージにあったローバーですね。短期集中講座の免許取得は、あとあと事故を起こす率が高いですから、帰ってきてからもよく練習するように言ってあげたほうがいいですよ」
 主人が、
「くれぐれも言い聞かせます。名古屋は道路が広いから、たっぷり練習できるやろ。……ね、神無月さん、練習と言えば、二軍の連中があんなに精彩がないのは練習が足りんからやろか」
 水原監督が、
「私もそこはぜひ金太郎さんの意見を訊きたいところですよ。来年からは、二軍を一軍の死活を握る兵站基地にしたいですからね」
「練習は必要以上にやってると思います。精彩がないように見えるのは、彼らが野球選手として、自分の技術の達成度にとおりいっぺんの関心しかもっていないことが原因じゃないでしょうか。だから、人と同じことをただ一生懸命練習してる。関心が深ければ、人とちがうことをしようとします。高木さんのバックトスや、木俣さんのマサカリ打法や、江藤さんの高目から打ち下ろすレベルスイング、中さんのアコーディオン打法、菱川さんのライト打ち、太田の内角のゴルフスイング、一枝さんのグラブトスとジャンピングスロー」
「ふーん、なるほど。人とちがうことをね」
 主人が、
「神無月さんの屁っぴり腰打法もそうやね」
「はい、冒険心が要ります。新しい学習は時間がかかりますから。じゃまが入らないことも重要な条件です」
 水原監督が私の顔に向かってゆっくりうなずく。私もうなずき返し、
「どう投げればどうふつうとちがったボールがいくか、どうグローブを構えてどう差し出せばどうボールが飛びこんでくるか、どう振ればどうふつうとちがった当たり方をしてどう飛んでいくか。野球に関心の深い人間は、その独自の感覚をからだに滲みこませる練習をせっせとします。高度な達成を目指す人間は、その練習の自分なりのノルマを欠かさない。ただのバッティング練習や守備練習ですまさないんです。独自性を獲得する勤勉な練習です。人がアッと驚くような大技は、そういう冒険心がないとモノにできません。平凡なトレーニングをいくら熱心にやったところで、独自の技は身につかない。気持ちが特殊な技一本に集中できないからです。千本の素振りとか、千本ノックなどといった平均的な練習をしていると、かならずどこかに不安が残ります。その不安が足を引っ張ります。少年野球以上の選手になりたければ、勤勉で独自な練習を適度に継続しなければいけない。それが衆に抜きん出るための基盤になるからです。二軍の選手たちは、衆に抜きん出ようと思って野球人になったのに、抜きん出るための基本を身につけようとしない。基本がなければ不安も消えないままです。自信がなくなる。そうなると精彩もなくなります」
 水原監督がパンと両膝を叩き、
「しっかと聞きましたよ。蘇生する思いだ」
「まったく!」
 四人のフロントが大きくうなずいた。榊が、
「私どももがんばって〈人材〉を連れてきます。独自の練習に没頭できるような人材をね。水原監督、来年から二軍を変えましょう」
「変えましょう。高レベルの二軍を持たないチームは滅びる。独自な練習をしない選手は滅びる。滅びたらどんどん切り捨てていく。じゃまが入らないという条件は大きい。コーチは、指導を求められたとき以外は口を出さないこと。そして、これからも徹底させたいのは、ノーサイン、ノー罰金、ノー門限。選手の独自性を損なわないための大事な〈戦略〉です。監督コーチの役割は、独自な開花を見守る介添え役になることであって、それを封じこめる管理や指導じゃない。放任主義などという批判は気にしないよ。たとえ成績は最下位になっても、天分だけのチームの指揮を執っていると自負があるだけで、うれしくなるからね」
 小山オーナーが、
「監督、天分のない選手たちはどうなるかね」
「レベルの自覚をしてもらいます。プロ野球人としての宿命を素直に受け止めるしかないでしょう。プロ野球にくる人間は、大なり小なり天才性を備えています。磨いて他に抜きん出ることができなかったとすれば、それはみずからの怠慢のせいです。来年の二軍はほぼ総とっかえになるんじゃないかな。私もときどき大幸に出かけて、慎重に吟味することにしますよ。さ、そろそろ引き揚げましょうか。厨房のみなさん、きょうはごちそうさまでした。どんな料亭よりもおいしかった」
 カズちゃんが、
「コーヒーを飲んでいってください。アイリス自慢のサントスです」
「お、いただきましょう」
 カズちゃんにつづいて睦子とメイ子が勢いよく立ち上がり、百江や端テーブルのキッコたちも台所へいった。水原監督が、
「来年は、直人くん、カンナちゃん、二人いっぺんの誕生日ですね。それにかこつけて、またごちそうを食べにきます。いいですか」
 主人が、
「首を長くして待っとります。フロントのかたがた、選手のみなさんもどうぞ。優勝の二次会は、日を替えてここでやらせていただきます」
 私は並居るフロントや選手たちや北村席一家の人たちに、
「中日ドラゴンズ、そして北村席のみなさん、ぼくはこういう待遇を受けていることがいまもって信じられません。……しかし、信じます。光輝あふれる人生を与えてくださってありがとうございました。生涯にわたって感謝し、ご恩返しをするつもりです」
 江藤が私の腕を握り、
「どこまでも自分の価値を悟れん男なんやのう。きょうきたワシら選手どもは、野球場の中も外も関係なく、まっこと、金太郎さんの末永い片腕ばい。一蓮托生やけん、これから長い付き合いになる。その気持ちば金太郎さんに信じてもらうために、ワシら一人ひとり、ひとことずつしゃべるばい。健ちゃんからいけや」
 小川が、
「俺ね、金太郎さんといる時間が信じられないのよ。沢村賞獲ったときより信じられない。さっき給料アップを約束されたときより信じられない。人間がここまで気持ちをかよい合わせられるということがね。俺もその仲間だと思うと、天にも昇る気持ちだよ。その気持ちになれないと、浜野たちみたいに去りたくなる。怖いんだね。異常な金太郎さんといっしょに追放されちゃうんじゃないかってね。俺は、自分の異常性に気づいてたから、ちっとも怖くないよ。ただ、一人でいるのはさびしかった。これまでさびしかったよ。みんな異常なやつばかりだけど、ここまで気持ちをかよい合わせられなかった。水原・神無月という、ウルトラ異常人が現れて、やっとみんなの気持ちがまとまった。俺はその一員になれたんだよ。がんばりますよ」
 木俣が、
「欲得抜きでものごとをやる、義俠の心で人に接する、恥をかくことを恐れない、思い切り感情を表に出す、俺が大金太郎から学んだことだ。これだけ学ぶと、人はがらりと変わる。助かったと思うのは、そういう人間を認めて報いるフロントがいたことです。心置きなくやらせていただきます」
 水谷則博が、
「俺……何と言ったらいいか、打ちのめされてます。天才の集まりの中にいて、えらそうにしてるのが、場ちがいで。でも、江藤さんが言ってくれた、俺たちは神無月さんの永遠の片腕だって。俺、神無月さんの指一本でいいです。神無月さんにいつまでもくっついてます。神無月さんは俺たち選手ばかりでなく、監督やフロントを愛してます。だから、くっついてる指は、監督やフロントにも尽くします」
 菱川が、
「俺、だれが見てもわかるとおり、去年までグレてたんだよ。アイノコだし、素行も野球の成績も悪くて、拾ってくれた人たちに恩返しできなかった。神無月さんは、初対面のとき、俺そのものをスッと見たんだよね。空気みたいに、何のこだわりもなくね。その目にガンとやられた。……本気でがんばろうと言った。素直にがんばる気になった。何のためにグレてたんだ、馬鹿じゃねえのってね。神無月さんが好きなものはぜんぶ好きになるし、死んだら、俺は死ぬよ。何も思い残すことはない。江藤さんも同じ気持ちだって言ってたな。泣けてきた。タコ、いけ」
 太田が、
「監督とフロントと神無月さんに全身全霊で感謝してます。打席に立つたびに思います。ここに立てるのはその人たちのおかげだって。……俺が野球をあきらめないのは、神無月さんの人生を思い返すからです。どんなときもあきらめなかった人生です。俺は、ときには怒りを胸に行動すべきだということを学びました。……内に秘めた怒りの大きさに圧倒されます。ときどき噴き出すあれです。どれほど、つらい人生だったんだろうって。それに比べたら……俺の……すみません」
 太田は片手で顔を覆った。江藤と菱川も手の甲を目に当てた。主人夫婦も、カズちゃんたちも、水原監督のテーブルの人びともまぶたに手を当てた。私もテーブル雑巾を取って顔に当てた。睦子があわてて奪い、自分のハンカチを差し出した。小野が、
「金太郎さん、私もがんばるけどね、そろそろ肩が悲鳴を上げててね、そろそろ野球では片腕になれないかもしれないんだ。金太郎さんの長い人生の片腕にさせてもらうよ。私は金太郎さんが好きだから、そういうことならできると思うんだ。野球をやめても一生付き合わせてもらう」
 中が、
「私の膝も悲鳴を上げてる。私が走りつづけるのは、夢の中にいて痛みが消えてるからだよ。だからこれからも何年でもやるつもりだ。金太郎さんといると、いつも夢の中だ。健太郎が言ったろ、天にも昇っちゃってる気持ちだってね。いっしょにいれば夢を見れるんだもの、いつまでもそばにいさせてもらうよ。もちろん、野球だけじゃなく、人生もね」
 一枝が、
「俺、大阪のホテル経営者の息子なのね。カネ勘定ばっかり。世界が小さいわけ。小さくなりたくなくて、広い空の下で野球をして遊んで暮らしたくなった。そしたら、ホームラン一本いくらだとか、一人打ち取るといくらだとか、けっこう細かいことを気にしてる世界だったのよ。不本意ながら染まっちゃうよね。そこへ、カネはいらない、野球をやりたいだけだという原始人がやってきたのね。俺を染める力はそっちのほうが大きかった。俺の初心だったから。それからは驚きの連続。いっしょに生きたくないというやつの脳みそを覗いてみたいよ。俺の心の宝だね。一蓮托生、オッケー」
 土屋が、
「だれの口からも、優勝という言葉がひとことも出ないのがすごいです。ただただ、友情と愛情しか頭にない人たちが、何も思わずに一丸になって野球をやってる。すごい。いちばん最初、神無月さんが俺に言ったんです。打たれないようにしなくちゃ、じゃなく、打たれてしまえ、あの言葉は一生忘れられない。……生きていかなくちゃじゃなく、生きてしまえ。友情も愛情もひっくるめた覚悟なんですね。……そして、そのための努力。神無月さん、俺、がんばります。だから、いっしょに生きさせてください」
 星野が子供っぽくまぶたを拭いながら、
「ぼくは神無月さんに恋をしてるので、別れるなどと言われたら、人生ずたずたです。神無月さんが愛してる人たちとも、ぜったい別れません。以上」
 江島が立ち上がり、
「江島と申す末席汚しです。私はよく、日野や千原と練習をサボりました。神無月さんが率先してやる各地方のホテルの早朝ランニングにも参加しないで、ゴロゴロ寝てました。そのうち神無月さんは、不思議な眼圧で私や千原たちを見つめるようになりました。ニセモノを見る目です。怖い目です。神無月さんはニセモノを嫌います。あの目で見据えられると、とことん反省してホンモノになりたくなります。私は生まれ変わりました。土屋くんが優勝という言葉が出ないのはすごいと言いましたが、みずからホンモノでありたいと望むと、勝ち負けに対するこだわりが消えて、ホンモノでありつづけることだけに関心がいきます。この精神状態は捨てられません。見回すと、水原さんも、江藤さんも、フロントのみなさんも同じ眼圧を持っていることに気づきました。もう怖くありません。このまま末席を汚しつづけることをお許しください」
 深くお辞儀をする。感激に押し潰されている人びとに拍手はない。高木が、
「自分がしゃべったり、やったりしてることのことごとくに価値がある、と認めてくれる人間がいたら、どうなる? しかもおためごかしじゃなく、心の底から認めるんだぜ。そんなふうに認められると、人は好きなだけ自己表現して、たがいにぶつからなくなる。ぶつかり合って苦労する場所のことを社会というわけだから、金太郎さんといる限定的な場所だけは社会でなくなる。住みやすい。むだな切磋琢磨がないので、生きやすい。ドラゴンズをそういう無政府状態にしたのが金太郎さんだ。不思議なのは、俺たちが金太郎さんにそういうことをしてやったと、金太郎さんが信じていることだ。してもらったのは俺たちのほうなのにな。いずれにしてもそういう社会では、個人は発展するのみで、後退することはない。その社会を、もう少し広げたのが、金太郎さんの周辺の無政府社会だ。この社会は特殊な社会であることはまちがいない。しかし、いったんこの社会の住人となったからには、もう足抜けはできない。ともに生きるしかないんだよ。ほかの社会は快適じゃないんだからさ。そうだろ、江藤さん。何やってんだ、江島、坐れ」
 ようやく江島が腰を下ろした。江藤が、
「ワシはみんなのように、うまくものごとば表現できん。ひとことで言うと、金太郎さんは、ワシらの宝物たい。クニの宝のように言われとるけんが、こうしていっしょに暮らしてきたもん以外には、金太郎さんの価値はわからんやろ。じゃけん、敵になる可能性もあるったい。ワシらは敵にならん。ここにおる和子さんはじめ、北村席のかたたちは、金太郎さんを心臓と言っとる。ワシらは腕と脚になるばい。本体から離れられんとよ。話が長ごなった。じゃ、水原監督、小山オーナー、村迫代表、榊部長、引き揚げましょか」
 水原監督が、
「はい、そうしましょう。私はきみたちを誇りに思いますよ。きみたちと生きられる後半生を私は決して手離しませんよ」
 選手たちの話が終わると、村迫が畳に膝をすって退き、平伏した。
「北村席ご一同さま、いまの選手たちの話からもわかるように、神無月くんの立場をご納得いただけたものと思います。われわれの宝である神無月くんを、今後ともくれぐれもよろしくお願いします」
 主人夫婦も同じように座布団の後方に退き、
「こちらこそよろしくお願いいたします。みなさんのおかげで、神無月さんは水を得た魚になれました。末永くかわいがってやってください」
 小山オーナーが私に、
「きみを愛する仲間たちの将来は私たちにまかせてくださいよ」
「はい」
「もちろん、私もきみのことを心から愛してますよ。だれにも負けないくらいね。高木くんも言ったように、人生を与えられたのは私たちなんですよ」
 下通がハンカチに顔を埋めて泣きっぱなしだった。カズちゃんが微笑しながら、
「なんだか恋人同士の告白のし合いみたいね」
 一座が温かい笑い声を上げた。写真屋が三脚を持ち出し、
「それじゃ、記念写真お願いします」
 ソテツが、
「イネちゃんを呼んできます」
 小走りに出ていった。ソテツがイネを連れて離れからやってくると、縁側の障子の前に水原監督と小山オーナー以下四人があぐらをかき、その右横に主人夫婦、カズちゃん、メイ子、左横に節子、キクエ、百江が端座し、二列目に下通を中央にして、キッコ、天童、丸、近記、木村、三上、ソテツ、イネ、幣原、そのほかの賄いたちや、たまたま座敷にいた店の女たちが立て膝を突いて居並び、最後列に選手たちが私を真ん中に、菅野、仁科を両端にして立った。私の左右には江藤と星野が、その隣には太田と菱川が並んだ。四十人ほどの集合写真になった。
「でき上がりには、右上に丸囲いで母子と不在の二人の写真を入れますからね」
 そう言って、黒布をかぶった写真屋はストロボを焚いた。


         四十一

 一家総出でフロント一行を門前に見送り、ベンツの窓に頭を下げ、手を振った。下通は女たちに引き止められて席に残った。女たちが選手一同と握手を終えると、私は江藤たちを一人でタクシー乗り場まで送っていった。十時に近かった。コンコースをみんなで歩く。木俣が、
「名残惜しいけど、俺名鉄だから。じゃ、みんな、あさってな」
「オウ!」
 名鉄沿線に彼が暮らしていることを初めて知った。私たちは名鉄の改札につながる階段口で木俣に手を振った。行き交う通行人が好奇の目で振り返った。寄ってきそうになる人たちもいたので、みんな早足で玄関ロータリーまで歩いた。
「夢のごたる宴会やったな。腹も胸もはち切れそうたい」
 小川が、
「びっくりしたぜ。三十五歳、涙が止まらなくなったのは生まれて初めてだ。涙にボーナスもついてきた。金太郎さんのおかげで、俺たちは一躍高給取りになった」
 一枝が、
「みんなのおかげだと言わないと、金太郎さんが頭抱えるぞ。当然の報酬だと言っとこうや」
 則博が、
「俺は逃げ出したいな。怖いです」
 江藤が、
「ビクビクしなしゃんな。球団利益の山分けなら、みんなで半分持っていってあたりまえたい」
 小野が、
「そりゃそうだ。せっかくのタナボタなら、せいぜい貯金をして、引退後に備えるよ。あと一、二年だろうからね」
 私は、
「……プロ野球に現役引退の退職金はありませんよね。吉沢さん、退職金もなく急にコーチ職になって、路頭に迷うんじゃないかな」
 江藤が、
「余計な気ば使ったらいけんとオーナーが言ったろう。吉沢さんのプライドが傷つく」
 中が、
「現役引退のハナムケとして、寸志をカンパしたらどう? 無記名で」
「そういうのはいけんて。現役をやめる人間が吉沢さんだけとはかぎらんやろう」
 みんな納得顔でうなずいた。
 タクシー乗り場で江藤ら寮組に手を振った。それから、中、高木、小川、小野が乗りこむ一台一台のタクシーに手を振った。
 北村席に戻ると、主人夫婦や賄いたちの姿はなく、下通がカズちゃんやメイ子たちと女らしい話題に花を咲かせているようだった。店の女たちは座敷の隅で麻雀を打っていた。幣原がプレゼントの包みを積み直している。睦子とキッコ相手にコーヒーをすすっていた菅野が、
「きょうはご苦労さまでした。盛会でしたね」
「うん、みんなのおかげです。あしたはアヤメのあと走りますよ」
「承知、承知」
 下通がカズちゃんに、
「水原監督から、ここの家は置屋さんだったと聞きましたが、私、そういうご商売に対して、もっと暗いイメージを持ってました。まったくそういうところが感じられませんでした」
「キョウちゃんが浄めてるからよ。私の小さいころはそのイメージどおりのところがあったの。それでつまらない反発もしたわけ。ただ、置屋というのは遊郭じゃないから、売春婦じゃなく芸妓さんを置いていたのね。だから、うちは女を買う客が上がる店じゃなくて、芸者さんを派遣する店だったの。母が一家の中心的な存在で、かあさんと呼ばれてた。父は旦那さん。遊郭の女将は、客の懐具合を値踏みして搾り取ったり、稼ぎの悪い妓女を叱ったりするのが商売だけど、置屋はおっとりしたものだったのよ。芸者さんを斡旋して派遣したあとは、どういう男女の関係になっても本人の責任。チップの上前をはねることもなく、斡旋料だけをいただくの。いまのトルコ商売のほうが、ずっと遊郭に近いかもしれないわ。上前で商売してるから。ただ、うちのピンハネ率は名古屋の業界でいちばん少ないし、相変わらずチップの上前ははねないから、良心的と言えば言えるのよ。バンスを返し終われば、足抜きも自由だしね。世間には事情のある女の人は多いので、どんな意味でも救済してあげられる商売は、一種の必要悪と言っていいわね。おとうさんはいまでこそコチョコチョ動き回ってるけど、むかしは、家業に関してはまったくの無責任。釣りにいったり、芸妓さんと家の中で麻雀打ったり、競輪や競馬に出かけたり、フラフラ遊んでるだけの男。置屋というのは、そういう夫婦関係がふつうらしいの。でも飼い猫みたいにダラッとしてるそんなおとうさんが私は嫌いだった。いまは好き。少し働くようになったからというより、ごく自然にキョウちゃんを愛してくれてるから」
「和子さんは一人娘?」
「ええ。高校のころはヤンキー、大学のころは変人さんと言われてたわ。家業を理解して両親に感謝するようになったら、家のためにガゼン動くようになったの。西松に勤める少し前よ。そのころ七、八人の芸妓さんがいて、彼女たちのあだ名やキャッチコピーを書いたビラを椿商店街とか、お役所なんかに配ったわ。二十二、三歳の女のすることじゃないわね」
 イネが遅い食事をすますと、もう一度直人の添い寝に退がった。ソテツが、お休みなさい、と言って去る。百江が、
「私はあした、早番のホールの責任者ですので、これで失礼します」
 緊張したふうに立ち上がった。
「一番客でいくからね。一番目に入れるかどうかわからないけど、一番行列には並ぶ」
「お待ちしてます。六十人定員ですから、だいじょうぶです」
 カズちゃんが、
「私もいっしょにいくわ」
 優子が、
「私は遅番の責任者。信ちゃんは中番でしょう」
「そう。緊張しちゃう。責任者はレジ番が主な仕事だから」
 キッコが、
「あたしは中番のホール。張り切るで」
 カズちゃんが頭を下げながら、
「みなさん、どうかよろしくお願いします。レジ係には慣れた人を使いますけど、混んで補助が必要になったら、自分でも少しいじったり、不安ならホール回りのだれかに手伝ってもらってね。私はアイリスの工事にかかりっきりなのでほとんど顔は出せないけど、今月中は遅番の仕事を見にいくわ」
 それじゃ、と言って百江がそそくさと出ていった。菅野が、
「百江さん元気だなあ。名前どおり百まで生きそうだ」
 下通が、
「失礼ですが、百江さんはおいくつなんですか」
 カズちゃんが、
「五十歳よ。大正八年生まれ」
「え! 四十そこそこかと」
「キョウちゃんのおかげ。私はいくつに見えます?」
「二十五、六? ……七、八?」
「三十五よ」
 みち子は息を呑んだ。
「……私より年上だったんですね。私三十二です」
「ムッちゃんは二十歳。十六、七に見えたでしょう?」
「はい」
「ここにいるみんながそう。五、六歳から十歳は若く見える。見えるだけじゃなく、ほんとうに若いの。現実とは思えないわね。現実でないからには、中さんが言ったように、キョウちゃんに愛されているあいだだけの夢よ。愛されなくなったら、もとどおり。愛されるというのは、からだだけのことじゃないの。キョウちゃんという存在に全身を抱かれてるということ」
 睦子が菅野に、
「北村のお父さんが郷さんを自然に愛する気持ちというのは、父親みたいなものでしょうか。菅野さんも郷さんを愛してますよね」
「もちろん。でも、父親のような気持ちじゃないな。私たちはよく神無月さんのことを護る、護ると言うけど、それは言葉のアヤで、そういう気持ちじゃない。もっと別の、得体の知れない人なつかしい気持ち、うーん、友情……人生の相棒とでも言うんですかね。それに比べれば、ほかのどんな人間関係も薄っぺらく感じるような―猿や鳥や蛇しかいないジャングルの中を一人でさまよってる気分で生きてきたときに、ようやく人間に巡り会って、人なつかしさの虜になったような感じ。神無月さんの周りの男も女も、みんなそうじゃないかな。そういう人間を命懸けで大事にするのはあたりまえですよ」
「……よくわかります。きょう集まった人たちも、みんなそういう感じでした」
 キクエが、
「いつからか、そういう気持ちに変わってしまうのよ。個人的にはいとしくて仕方ないんだけど、幸運にも出会えたという、よく出会うことができたという、自分はそういう幸せな人間の一人だという、フッと感謝する気持ちに切り替わるんです」
 節子がうなずき、
「父親や母親という気持ちじゃないのよね。うまく言えないわ」
 下通は、
「神無月さんがこの家を浄めたとおっしゃいましたけど、神無月さんに遇う以前からすでに心の澄みわたっていた人たちが、神無月さんの影響でさらに澄みわたったというのが私の印象です。みなさんは神無月さんに対するときばかりでなく、だれに対しても親切ですし、まったく私心がありません」
 好奇心に富んだ敏感な女の言葉だった。抽象的なことに深い関心があるのだ。下通は小柄で、額が広く、紺色の地味な絹の服に、質素な銀色の細鎖の首飾りをしていた。そのほかには何の装飾品もつけていなかった。キッコが、
「それは神無月さんに私心があらへんさかいよ。自惚れたり、自己主張したりしたら、神無月さんに対して恥ずかしなるさかい」
 カズちゃんが、
「キッコちゃん、私心がないというのともちょっとちがうの。それって、博愛的な謙虚さということでしょ? ちがうの。自分を打ち出したい気持ちはあるんだけど、打ち出さないでほかを立てるという気持ちじゃないの。打ち出したくないなんて気持ちもないの。キョウちゃんはよく謙虚な人間とまちがわれるけど、自分と他人をスムーズに比べられないだけなの。雪のように真っ白な無関心というのかしら。相手をこうだと決めつけられないのよ。たとえば、自分は哺乳類である、相手は昆虫である、だから自分のほうが優秀であるとか、相手は権力者である、自分は一般庶民である、だから自分のほうが劣等であるとか、そんなふうに心を整理できないの。どんな命でも比較して批判する権利は自分にないって、そう〈考え〉てるんじゃなくて、からだ全体で〈感じ〉てるの。正直、社会的失格者と言われても、少しもおかしくない性質よね。でも、その未整理な感覚は人間として正しいものなので、だれもグウの音も出ないわけ。だれとでも同等な人間で、だれとでも同等な友人で、だれとでも同等な恋人で、内向的でも外向的でもない、無口でも饒舌でもない、ただ才能にあふれ、美しくて、やさしくて、もの静かで、縫いぐるみのように愛されるだけの人―そんな人を放っておけるのは悪魔だけね」
 下通が、
「……神さま」
「それはきっとちがうわ。キョウちゃんはもっと温かい、人間そのものよ。温かいものを求めて私たちは寄っていくでしょ。いくらジャングルで巡り会っても、一見して冷酷な悪人だとわかったら逃げ出すわ。キョウちゃんが言うにはマグレでこんな善人になったらしいから、私たちもマグレで最高の善人にぶつかったということね。菅野さんの言う、人なつかしい気持ちというのはそれだと思う。おとうさんも、おかあさんも、ドラゴンズのみなさんも同じ。ただ、なつかしくて、放っておけないだけ。でもドラゴンズの人たちも言ってたことだし、私もこれまで何度も言ってきたことだけど、護られ愛されてるのは私たちのほうなのよ」
 菅野が、
「そうですよ。神無月さんのことを社会的失格者と言うのだって、私たちにしてみれば最高の褒め言葉でね、社会に加担して私たちを見下さない無神経に感謝してるわけです。無神経と言っても、こうして生きているからには、神無月さんにも多少の世間智と生活技術が備わっていることになるんだけど、そのほとんどは、私たちの愛情に応えようとする気持ちから出たものでしょう。もともと生きていたくない人ですからね。私たちと、それから野球のために生きてくれてる。趣味があってよかった。野球は神無月さんの生きていくための最高の趣味だものね。ドラゴンズのみなさんのような、私たちの同類が増えてきてくれたのもよかった。朝日や、富士山よりも、人間が好きな人だから」
 下通はしっかり結び合わせた両手を胸に当てた。
「―すばらしい世界。この世界をすばらしいと思わない人には近づいてほしくないですね」
 菅野は大きくうなずき、
「だいじょうぶ、気持ち悪がってだれも近づきませんよ。お、十一時か。みんなを送っていかなくちゃ」


         四十二

 睦子が、
「私は千佳ちゃんの留守部屋に泊まります。あしたの朝自転車で帰って、金太郎の世話をしたら、少し万葉集の勉強をします」
 下通が、
「金太郎?」
「金魚です。今度の日曜日には教習場を訪ねて、岐阜のお土産を買ってきます」
 節子が、
「私たちは二人ともきょうは深夜出勤なので、いまから散歩がてら帰ります」
 菅野が、
「着替えは病院でするんでしょう?」
「はい」
「日赤まで送りますよ」
 キクエが、
「ありがとうございます。じゃ、アパートのほうへお願いします。院内靴を洗って干してあるので」
「オッケー」
「ぼくは則武に帰って寝る。朝のトレーニングがある」
 カズちゃんが、
「下通さんは泊まっていったら? ソテツちゃんの朝ごはんも絶品よ」
「ぜひそうしたいんですけど、あさっての試合に備えて、あしたの朝から球団広報の雑用がありますので。タクシーで帰ります」
 菅野が、
「私の車に乗っていきなさい。日赤から回りますよ。どこ?」
「テレビ塔のすぐそばです」
「日赤から回っても二十分かからない」
「じゃお言葉に甘えます。すみません」
 カズちゃんが、
「……下通さん、あなた、キョウちゃんを愛してるのね」
「そんな! 畏れ多いです」
「そう? キョウちゃんを見つめる目を見ればわかるわ。会いたくなったら、ここに遊びにいらっしゃい。忙しいからだでしょうけど、工夫すれば何とかなるでしょ。永いお付き合いをしましょうね」
「……はい」
 じっとみんなの話を聞いていた幣原が、これどうぞ、と言って、節子、キクエ、下通の三人に挽き豆の袋を持たせた。
「サントスです。下通さんはフィルターのセットをお持ちですか」
「持ってます。ありがとうございます」
 私は下通に明るく声をかけた。
「じゃ、下通さん、あさってからのアナウンス、楽しみにしてます」
「はい。それじゃ失礼します」
 カズちゃんが、
「節子さん、キクエさん、あと四、五日、トモヨさんをよろしくね」
 節子が、
「はい。産後も順調で、予定だと十三日に退院してもよかったんですけど、大事をとって十六日の土曜日にしました」
「菅野さん、その日はお願いね」
「まかせてください。朝? 夜?」
「朝十時ごろ」
「ガッテン」
 菅野について女三人が玄関を出ていった。下通が玄関戸から名残惜しげに式台の私を振り向いて微笑んだ。
 居間に落ち着いて、カズちゃんたちと顔を見合わせる。何ということもなく笑い合う。天童優子が、
「男同士の会話って、キラキラしててきれいですね」
 丸信子が、
「みんな一気にしゃべるから驚いちゃった」
 メイ子が、
「フロントの人たちのやさしい目にも、心打たれわ」
 キッコが、
「ほんまに神無月さんのことが好きなんでんなあ」
 優子が、
「雅江さんというかた、いらっしゃいませんでしたね。直ちゃんの誕生日にはかならずくるって言ってたのに」
「十五日だと教えてたから、ぼくの手落ちだ。でもかえってよかった。ドラゴンズのフロントたちもいて、対応に困ったろうからね」
 優子が目を細めて微笑した。幣原の姿が見えない。
「幣原さん、寝たの」
 みんなでキョロキョロ見回し、
「寝たんでしょうね。さっきまでいたのに」
 優子が、
「神無月さんて、こんなに濃やかに気を配るのに、みんなといるときはほんとに上の空ですね。江藤さんたちがしゃべってるあいだも、ポーッと聞いてましたよ」
 キッコが、
「菱川さんの話のときは泣いとったよ。雑巾で顔拭こうとするんで、ムッちゃんあわててハンカチ出したがね。ちゃんと聞いとる証拠やが」
 睦子が、
「ものをしゃべるときと、人の話を聴くときと、唄うときは、夢遊病みたいです。何かに関心があってしゃべったり、聴いたり、唄ったりしてるようには見えません。気を許した人と笑い合ってるときは目が輝いてますけど」
 キッコが、
「そういうの、ぜんぶ大好きやわ。不思議な夢の中で生きてることを実感させてくれるさかい。ぼんやりしてるときも、わてらに神無月さんの愛情の深さを実感させてくれる」
 メイ子が、
「これまでさんざん神無月さんのことをみんなで話し合ってきたけど、結局、不思議のひとことなのよね。神無月さん、ごめんなさいね。いつも神無月さんのことを話題にしてしまって。私たちも、ご主人や菅野さんたちも、ドラゴンズの人たちも、自分のことなんか話してもつまらないんですよ。だから、神無月さんのことばかり話題にしてしまう。これで、神無月さんがいろいろなことに敏感で、いちいち喜んだり、謙遜したり、考えこんだりしたら、私たちも気になってとてもやってられないと思いますけど、幸いぼんやりしてくれてるので気楽に接することができます。でも、神無月さんの人間性を話題にするのは、高木さんの言った〈無政府社会〉の人たちだけです。世間は話題にしません。成績と記録のほかは」
 丸信子が、
「すっかり新聞、テレビもやってこなくなったし、静かにしてられますね」
 カズちゃんが、
「さ、あしたの開店ために、きょうは寝なさい」
 睦子とキッコたちに手を振り、カズちゃんとメイ子と三人で玄関をあとにした。門の外にスカート姿の幣原がポツンと立っていた。カズちゃんが、
「あら、幣原さん! どうしたの」
 幣原は身も世もない様子でうつむく。カズちゃんはニッコリ笑い、
「……わかった。キョウちゃん、してあげて。長いことご無沙汰してたんでしょ?」
 そんな気がしたが、最後がいつだったのか憶えていなかった。
「私たち先に歩いてるから、ゆっくりすましてくればいいわ」
 カズちゃんはバッグを探って、私と幣原の手にティシューを渡した。私はカズちゃんに、
「すぐ勃たないんだけど」
「そっか。そうよね、電気仕掛けじゃないんだものね。わかった、私が勃ててあげる」 
 私の手を引いて小暗いガレージの奥にいき、セドリックの奥に停めてあるローバーの背後に隠れる。二人もついてきた。カズちゃんは私のズボンを下ろして、やさしく握った。すっかり萎れていた。幣原がガックリした表情でうなだれる。それを見たカズちゃんは、しゃがみこみ、口を開けて含むと精いっぱい舌を使った。屹立はしないが、真横に真っすぐ伸びた。メイ子がカズちゃんに代わってしゃがみ、懸命に舌と唇を使った。
「まだちょっと……」
 メイ子は首をひねる。
「だいじょうぶよ、幣原さん、すぐ下着取って」
 幣原は私の横に並び、パンティを脱いで手に握った。
「まだだよ、カズちゃん、芯がないから入らない。キスしながら握って」
 カズちゃんと口づけをし合い、陰茎を握ってもらいながら、下着のあいだから彼女の股間を探った。
「……キョウちゃん、私がイッちゃう」
「イッて」
「したくなっちゃう」
「カズちゃんとメイ子でこすってから、幣原さんとする」
「わかった。幣原さん、それでいい?」
「もちろんです!」
「あら、ちゃんと勃ったわ。メイ子ちゃんも脱いで」
「はい!」
 三人、二台のローバーの後部ウインドーに手を突き、尻を向ける。カズちゃんに挿入する。ひどく小さい声で、
「ああ、だめ、すぐイッちゃう、ううん、イク……」
 快適な縛めつけに、そのままつづけたくなったが、抜いてメイ子に入れる。メイ子もさらに小さい声で、
「むむむむ、イキます、気持ちいい、イク……」
 抜いて幣原に深く入れ、大きな陰核を愛撫しながら強くこする。多量の愛液に性器が溺れそうだ。よほどがまんしていたのだろう。幣原独特の微妙な緊縛が連続でくる。幣原は深夜の静寂を気遣い、懸命に喉を絞るようにしている。その分、緊縛が激しくなる。やがて激烈な痙攣をした。合わせて射精する。強く引き抜き、カズちゃんに挿入して残りの律動を与える。
「ウ……だめ、キョウちゃん、ク、ク、イク!」
 カズちゃんを苦しめないように、もう残液を吐き出さない陰茎をそっと抜き、メイ子に挿し入れて一度律動し、落ち着く。
「ああ、神無月さん、愛してます、イキます! イク!」
 揉みしだかれる。驚いたことにまた射精する予感がやってきた。
「大きい、大きい、助けて、ううーん、イクイク、イク! あああ、死んでしまいます、イクイクイク、だめ、イク! お嬢さんに、お嬢さんに、 あーん、イクウウウ!」
 大きく動く。確実に迫った。引き抜いてすぐカズちゃんに挿入する。
「大きい、キョウちゃん大きい、あああ、気持ちいい、気持ちいいい、イクイクイク、イク!」
「カズちゃん、愛してる、イク!」
 連続で射精するのは初めてのことだ。吐き出す。
「あああ、愛してる、死ぬほど愛してる、イク、強くイク、ううん、イクウ!」
 律動が止まない。カズちゃんは思わず叫び、あとは喉を鳴らして耐えた。声を殺しながら私の律動に合わせて尻をふるわせつづける。愛しい胸をブラウスの上からつかみ、カズちゃんの尻の痙攣と私の律動を合わせる。陰茎を嘗め回すようにカズちゃんの膣がうねる。この世で最も愛する女の襞の反射が止むまで、後ろ髪に頬を預けじっとしていた。
 一分ほど待ち、カズちゃんから渡されていたティシュを押し当てて引き抜いた。カズちゃんはいつものようにグーッと腹を絞った。尻にやさしくキスをする。隣で白々と光っているメイ子の尻をなぜる。まだかすかにふるえていた。さらに手を伸ばして幣原の尻もなぜた。ブルンとふるえ、
「ありがとうございました。ほんとにありがとうございました。すみませんでした、わがまま言って、ほんとに」
 幣原は自分の股間をティシュでゆっくり拭った。
「幣原さん、お口できれいにしてあげて」
「あ、はい」
 幣原はかなり時間をかけて私のものを清潔にした。私はズボンを引き上げてベルトを締め、もう一度カズちゃんの尻にキスをする。カズちゃんは股にティシュを挟んで下着を引き上げ、スカートを下ろした。メイ子も幣原も同じようにする。服を整えた三人としっかり抱き合い、幣原を選んで口づけをする。
「幣原さん、よかったわね。落ち着いたでしょう」
「はい、キスまでしていただいて……。もうだいじょうぶです。何カ月もだいじょうぶです。すみません、帰るのが遅くなってしまいました。どうぞ、則武へお帰りください」
「そうね、アヤメの初日、万全でいかないと」
 幣原に手を振り、ゆっくり立ち去る。




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