十六
二人校長室に導かれ、めいめい〈御礼〉〈お車代〉と書かれた白封筒を副校長から二通渡された。
「源泉徴収もしてございます。申告の必要はございません」
何のことやら意味がわからないが、断るべきものではないようなので、胸ポケットにしまった。コーヒーが出る。校長が、
「本日はすばらしいお話、まことにありがとうございました。こんなに堅苦しくない、これほど心のこもった講演は初めてです」
木俣が、
「伸びのびと正直に話せば、かならず心がこもるということを折につけ金太郎さんから学びました」
「なるほど。よくわかります。われわれも大いに学ばせていただきました」
副校長が、
「原稿やメモを持たない講演者も初めてでしたな」
私は、
「演壇から話しかけるのは大勢の人との会話ですから。会話にトラの巻は要りません」
「たしかにそれはそうですが、なかなか。中商校歌には度肝を抜かれました」
校長はうなずき、
「中京大のブラバン連中もOBも大喜びでした。私もうれしかった。大声を上げて歌いましたよ」
「木俣さんのきれいな声に驚いた。初めて聞きました」
「もう二度とやんない。あわてちゃったよ。金太郎さんはまじめな顔をしてお茶目なんだから」
しばし四人笑い合った。
「ドラゴンズがこれほど息の合っているチームと知って安心しました」
「今年からですよ。水原神無月軍団。当分強いだろうな」
校長室の外の廊下に生徒やカメラマンたちがたむろしていた。数十人の生徒たちとかなうかぎり握手した。それがすむと野球部員に導かれて土のグランドに出た。先日見たとおり狭い。外野ネットと校舎のあいだにビッシリ人が立ち並んだ。報道陣が紛れこむ。百人余りの部員たちの中のレギュラーとおぼしき者たちが、キャッチボールとベーランとスライディングをやって見せた。じょうずだったが、プロと比べてぎこちなかった。
素振りを求められた。木俣も私も背広の上着を脱いで、十本ずつ振って見せた。それだけで彼らは大いに満足したようだったが、主将格の男がフリーバッティングを懇願したので、エースと言われるピッチャーを相手に二本ずつ打った。百三十キロそこそこのひょろひょろ球だったので、二人ともネットの上辺にライナーで当てた。見物たちが跳びはねて喜んだ。得意な気分にはならない。いまこのときのメカニックな能力を見せたという冷静な感覚だ。人びとが騒ぐのもメカニックな眼で見ている。校長が、
「野球指導ではなく、表敬訪問の挨拶として行なったパフォーマンスとして、セリーグプロ野球連盟に報告し、了解を取りました。ご安心ください」
木俣が笑いながら、
「プロが背広を着ての腕自慢じゃ、指導にはなりませんよ」
写真屋がやってきて、私と木俣を真ん中にしゃがませ、三十名ほどのレギュラー部員たちを後ろに立たせて記念写真を撮った。校長と副校長と、野球部監督や助手たちが私たちの両脇に立った。ほかの野球部員たちはフェンス沿いに整列していた。校舎の窓にも生徒たちの顔が埋まっていた。ブラバンが写真屋の背後に整然と並び、スーザの雷神を演奏する。写真の列が解散してグランドが和やかになる。学校関係者も、生徒も、野球部員もサインを求めないのはさすがと思われた。
名古屋駅まで同乗することになった木俣と玄関に立って、大勢の人びとと握手しながら別れを告げる。どうして彼らはこれほど握手を喜ぶのだろう。肌の温もりだろうか。たしかに肌の温もりは人生の経験の中ではきわめてめずらしいものに属する。笑顔を自然にして一つひとつの手を握る。視線はボンヤリ相手の胸に当てる。副校長が私たちに頭を下げ、
「来年もご活躍をお祈りしています」
私は、
「ありがとうございます。中京高校のますますの繁栄を願っています」
「ありがとうございます」
木俣は、
「自己鍛錬を欠かさないようにしてがんばります。何かの折は呼びつけてください。駆けつけます」
「ありがとうございます」
ありがとうございますの応酬だ。校長が最敬礼したのを潮にセドリックに乗りこむ。木俣は助手席に、私は睦子たちと並んで後部座席に。
「お元気で。ありがとうございました」
「さようなら」
彼らはいつまでも手を振る。私たちはいつまでもお辞儀をする。名大生二人は微笑している。菅野に、
「一日苦労さまでした」
「楽しかったですよ!」
私は木俣の後頭部に向かって、
「木俣さん、ありがとうございました。何の準備もしてないから、話がとりとめのないものになってしまって」
木俣は、
「俺も金太郎さんも、まとまったことを言ったと思うぞ」
菅野が、
「そうです、あれこそ〈話〉です。二人とも別次元でしたよ」
睦子が、
「学者たちの講演がオペラなら、郷さんたちの講演はポップスかジャズかしら。心にスッと入ってきました。それよりあのホームラン、いつ観ても芸術品」
私は、
「木俣さん、二発ともいきましたね」
木俣が頭を掻く。睦子が、
「同じ芸術品でもちょっとちがうんです。木俣さんや江藤さんのホームランはやさしくて、郷さんのはするどい。きょうは二人ともライナーでしたけど、ライナーでもそう感じるんです」
木俣が、
「ボールのカットスピードのちがいですね。金太郎さんのスピードは猛烈だから」
千佳子が、
「ものすごいホームランと、ブラバンを聴いて流した涙がアンバランス。すてきです」
菅野が、
「二人で手をつなぎ合って泣いてましたね。校長たちまでもらい泣きして。私は浮きうきしましたけど……ドラゴンズのみなさんは何をやるにも型破りです。そして、静かで深みのある人たちです」
涙を流す感動だけではなく、浮きうきできる感動がほしい。ハハハと木俣は笑い、
「金太郎さんに手を握られたら、人生究極でしょう。究極の涙ですよ」
私は、
「北村席に寄っていきませんか」
「女房とショッピングデートの約束をしてるんだ。金太郎さんも予定があるだろう」
「帰ったらオールナイト映画を観にいく予定でしたが、やめました。舟木一夫と浜田光夫の青春もの二本立て。毎日青春真っただ中の経験をしてる中でそんなもの観たって、何分もしないうちに飽きてしまう」
「名古屋駅から岡崎までどれくらいですか」
菅野が尋く。
「国鉄でも名鉄でも、四十分弱です」
名古屋駅の玄関で木俣を降ろし、手を振る。
「はい、菅野さん、お車代」
「いりませんよ、そんなもの」
「何言ってんの、純粋な足代だよ。ぼくが受け取るいわれはない」
菅野は渋々受け取り、すぐに中身を覗いて、
「ウエ、一万円! こりゃだめだ。何か食って帰りましょう」
「だめだめ。菅野さんが運転してくれなかったら、名古屋駅から延々と市電を乗り継いで、最後は歩いていかなくちゃならなかったんですよ」
「了解。では遠慮なく」
一時四十五分。時間を確かめてばかりいるのに、一日の細かい時間に埋めこむ何の予定もない。大まかな予定を待って動いているだけだ。全力で横道に逸れてみたいけれども、何に逸れたらいいのかわからない。野球のほかに、行動に移すだけの興味を覚えない。則武のガードをくぐりながら菅野が、
「帰ったらファインホースを覗き、ひさしぶりに社長と名古屋競輪にいって、二レースほどやり、その足で見回りです。このお金は競輪に使わせていただきます」
菅野には細かい時間割がある。
「競輪上人行状記ってリバイバル映画をテアトル新宿で観たことがあったけど、傑作だった。中学教師上がりの坊さんが競輪の予想屋になるという有為転変。何とも言えない迫力があった。もう一度観たいなあ」
菅野が、
「来年自分の映画館で上映すればいいじゃないですか」
「そうか、その手があった」
「三月に着工しても、九月十月にはでき上がるでしょう。競輪、いってみますか」
「いかない。潮騒のような喚声は印象的だったけど、競輪そのものにはあんまり魅力を感じなかった」
「そうですかねえ、けっこうおもしろいんだがなあ」
「早くジャージに着替えて、ゴロッとなりたい」
千佳子が、
「私たちは勉強」
「名大はそろそろ定期試験?」
睦子が、
「一月末から二月の初旬にかけてです。でもこつこつ準備しておかないと」
「そうよね。科目が多いから。神無月くん、気にもしてないこと訊かないの。私たちは私たちでつつがなくやってますから」
「郷さんは無意識に何でも気にしてるのよ。うれしいわ。きょうこそジャッキを洗わなくちゃ」
「そうだった。特に首から下ね」
†
直人が保育所から戻ってきたころ、パラリと雨がきた。縁側の畳に寝転んで硝子障子からプリムラの黄色い花を眺める。ヒイラギや水仙の白と並んで鮮やかに映える。ジャッキの丸いからだが視界に入った。花を嗅ぎ回っている。人間用の石鹸で洗ってもらって、灰色の毛づやがよくなったように見える。白い胸が美しい。
「ソテツしゃん、おふろそうじ!」
「はいはい」
二人で風呂場へいく。どうしたの? とトモヨさんに訊くと、
「シャワーのしぶきが大好きで、浴槽にかけてはスポンジを持ってゴシゴシ磨くんです。園児服を着たままですよ。洗剤はソテツちゃんがつけて、直人は濡れたところをこするだけ。結局最後はソテツちゃんが丁寧に磨いたあとへ、直人が一生懸命シャワーをかけるんですけど、ギャーギャー喜んでやってます。それから私がお風呂を入れて、直人の濡れた服を脱がせるついでにからだを洗ってやります。子供なりの疲れがお風呂で取れるんでしょう。みんなといっしょに長っ尻で夕飯を食べてますし、食後にすぐ眠くなることもなくなってきました。おかげで、食べたあと一人で洗面所で歯磨きする習慣が身についてきました。このごろは夕飯のあとでパズル遊びもやるようになったんですよ。ウルトラマンの十五ピースです」
「積木は?」
「まじめに積んで、一気に倒して楽しんでます。板廊下でやられるとうるさいんです。座敷でやるようにさせてます」
千佳子が、
「ウルトラマンの塗り絵は静かにやってますよ。そうだ、塗り絵のご本を買ってきてあげるって約束してたんだった」
「あしたにしなよ。庄内川に迎えにきた帰りに買えばいい」
「そうはいかないわ。きょうの約束だから。ムッちゃん、ちょっとメイチカにいってこようか」
「うん、いこ」
「じゃぼくは則武に帰って、少し机に向かう」
トモヨさんが直人を洗いに風呂へいった。インターフォンに出たイネが座敷にきて、
「新聞社か雑誌社かわがねけんど、神無月選手はご在宅ですかって」
「どこの?」
「わがんね。いま門のとごさきてる」
「何の用か尋いた?」
「尋かねがった」
「とにかく門に出てみるよ」
名大生二人とジャッキもついてくる。門を開けると、CBCだった。二人の男と一人の女の腕章にCBCと書かれている。睦子たちは彼らの脇をスッと通り抜けていった。ジャッキを抱き上げる。
「二十日のトークショーの先触れビデオをいただきたいと思いまして。十五分ほどお願いします」
「いいですよ」
女性の手でマイクが突き出され、男性の肩でビデオカメラが回りはじめる。ジャッキが口を伸ばす。幣原がやってきて抱き取っていった。
十七
メモ帳片手の男性の質問係が、
「野球を始めたのはいつですか?」
「軟式野球という意味でなら、小四の晩秋です」
「中学時代は?」
「軟式野球でした」
「硬式少年野球クラブなどで成長した全国の逸材をよそに〈怪物〉は静かに熱く自らの腕を磨いてきたわけですね」
「そんな少年たちがいるとは知りませんでした」
「同世代と聞いて思い浮かべる選手は居ますか」
「宮中の同期太田安治、宮中の対戦相手水谷則博、青森高校の同期小笠原照芳」
「甲子園を目指したいという思いはありませんでしたか」
「思い返すと……ありませんでしたね」
「野球少年にとって甲子園は一つの大きな目標だと思うのですが、その裏にはどういう考えがあったのですか」
「小学生のころからプロ野球選手になるんだと思いこんでいたので、甲子園は目標ではありませんでした。中京商業からプロ野球へいきたいと思っていました」
「しかし、実際に知り合いの選手が甲子園に出場している姿を見ると、ちがった思いが出てきたりしませんでしたか」
「名古屋西高時代野球を休止していたとき、東奥義塾に進学した野辺地中学校の同級生が甲子園に出場した姿をテレビで観たときは、多少心が動きました。が、甲子園へのあこがれではなかったですね。どこで野球をやってもプロ野球選手になるんだと思っていたので、自分に与えられた環境を生きながら野球を思うことがいちばんだと信じていました」
「どのタイミングで、プロ野球選手になることが現実味を持ってイメージできるようになったのですか?」
「中学校一年のときに左肘の手術をしたことがきっかけで、一念発起して右利きに換える訓練をしたんです。自分が暮らしていた飯場のかたがたの協力を得てね。そのとき偶然右腕が強力なものであると知りました。そのときからしっかりイメージするようになりました」
「高校生のころからプロ野球チームにも注目されていたわけですから、東大進学はかなり悩まれたんでしょうか」
「やむを得ぬ事情だったので悩みませんでした。西高の校長先生に励ましの言葉をいただき、東大中退でプロになれる可能性が高いと判断して進学しました」
「東大を選ばれた理由はどこにあったのですか?」
「おそらく巷に流布されているとおりの理不尽な複雑すぎる理由なので、うまく総括してお答えできません」
「東大の野球部はたいへんでしたか」
「質問の趣旨がわかりませんが、同朋とはうまくやっていけました」
「では、実際にプロになった日のことをお聞きします。電撃入団は事前に知らされていましたか」
「まさに直前に知らされました」
「そのときはどんな気持ちでしたか」
「たどり着いたという感じです」
「プロ野球選手になったんだと実感したのはどんなときでしたか」
「入団式で、自分用のユニフォームの上着を着たときです」
「プロ野球の練習に参加されて、やっぱりプロはちがうなと思いましたか」
「いまも日々思っています。その一員であることに至上の喜びを感じています」
「先輩、監督、周囲のかたなどに言われて印象に残っている言葉は何でしょう」
「……チームのみんなが言うことですが、練習がすべてだという言葉ですね。試合のときにどう足掻いても、練習で積み重ねてきたことでしか結果は出ないということですね。才能に対する過信が消えました」
「プロ野球生活で、イヤだなと思うようなことはありますか」
「ありません」
「休みの日は何をしていますか」
「のんびり」
「好きな曲やアーティストはありますか」
「五十年代から六十年代にかけてのポップスです。歌手もその時代の人ならほとんどすべてです」
「遊びとなったら、何を?」
「楽しいと感じることなら何でも。ギャンブルは楽しいと感じないのでやりません。のんびりの一環として、カラオケ、映画鑑賞、読書、レコード鑑賞、小旅行」
「もしプロ野球選手になっていなかったら、どんなことをしていたと思いますか」
たぶんこれは定型の質問なので、定型で答えたら興醒めになる。
「これまでのぼくの野球以外の付属的な行動は、何もかも野球をやってきた条件のもとで付け加わったものです。もしプロ野球選手になっていなかったら……ぼくの永遠の課題で、結論が出ませんが、しっかり考えてみると、ぼくにとって野球は単純肉体労働の極致だとわかります。だから、最終的にたぶん、ご質問に対する答えは、野球以外の単純肉体労働者となりますね。職種は相当可能性が拡がります」
「小さいころから注目されてきたと思いますが、注目されることをどういうふうに消化してますか」
「消化するまでもなく、まったく気にしていません。注目というのは常に自分の器以上になされるものだと知ってますから」
「来シーズンの目標は」
「練習と実戦をケガなくまっとうできること」
「最後に、神無月選手が考える野球の魅力を教えてください」
「華麗なスピード、豪快な距離、ユニフォームの美しさ、球場の美しさ」
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
「トークショーの開始時に、このフィルムを流します。じゃ、失礼いたします」
「ご苦労さまでした」
バンに乗って引き揚げていく。とにかく少しでも時間が埋まった。則武に向かう。三時四十分。にわか雨が上がっている。早番の百江が干し終えた洗濯物を畳んでいるころだ。ポットにコーヒーを入れてもらおう。
ソテツがキッチンテーブルに座っていた。頭を下げ、
「……すみません、奥さまに直ちゃんをまかせたあと、離れの門から出てきました」
「百江は?」
「上の部屋をお掃除しています。終わったら声をかけてくれって」
「ごめんね、長いことしてなかったね。きょうはだいじょうぶなの?」
「はい」
すぐにカズちゃんの寝室に連れていき、万年布団の上で裸にする。私も裸になって性器を彼女の顔に差し出す。
「命の棒……」
と言って、やさしく握りながらカリの溝をなめるのがおかしい。
「すみません、欲が深くて」
「歓びを知ったからだを長いあいだ放っておかれたんだ。自然なことだよ」
ソテツは亀頭を、茎を、陰嚢を丁寧に舐める。そして私が十全になると、かすれた声で言った。
「愛してます」
押し倒して挿入する。圧力のあるぬめりに包まれる。ソテツはものの数秒と経たないうちに、
「あああ、たまらない、神無月さん、愛してる、イク!」
反り返り、陰阜を前後に往復させる。私も激しく性器を突き立てる。
「あ、あん、愛してる、イクイクイクイク、イック! ああああ、好き好き好き、またイク、またイク、イクイクイク、イクッ、イク!」
「ソテツ、出すよ!」
「ください、ください、ううう、気持ちいい! イクイクイク、イイクウ!」
膣の奥が強烈に吸引する。ズンと疼痛が走って射精する。
「ああああ、イクウウ!」
愛液が噴出した。そっと抜いて、ティシューを当ててやり、痙攣が止むまで抱き締める。
「愛してます、愛してます、好き好き、死ぬほど好き!」
シーツがびっしょり濡れている。気を利かせて二階から降りてきた百江が、
「タオル、お持ちしましょうか」
「いい、百江もきて」
そっと襖を開けて入ってくる。ソテツが、
「すみません、聞こえたでしょう?」
「ええ、かすかに。興奮しました。お恥ずかしい」
一回しか射精していないので勃起が止んでいない。性器が天を向いている。思わず百江がそっと握り、
「カチカチ……。神無月さん、いいですか?」
「もちろん」
ソテツが身を乗り出す。百江がその様子を見て、
「ソテツちゃん、し足りないなら、したほうがいいんですよ。私はそのあとで出してもらえばじゅうぶんです」
「神無月さん、つらいんじゃ」
「神無月さんはだいじょうぶです。常人じゃないので」
ソテツは、もう一度、と言いながら、亀頭を呑みこんだ。私は百江と顔を見合わせて微笑む。ソテツは私が萎えるのを恐れるようにあわてて跨った。
「ああ、気持ちいい! 大好きな神無月さん、あんあん、だめだめ、あああ、イク!」
ガクンと反り返り、倒れそうになったのを百江が抱きかかえた。
「せっかちな子。ゆっくりすればいいのに」
ソテツはかまわずに、百江に背中を預けながら、数往復して、
「く、苦しい!」
と叫んで離れた。蒲団に横たわり激しく痙攣する。
「すごいイキ方。魚が跳ねてるみたい」
ソテツはやがてグッタリとなった。
「だいじょうぶかな」
「だいじょうぶですよ。いちばん気持ちのいい何分かだから、放っといてあげましょう。さ、神無月さん、出してください」
百江はそっとソテツの脇に横たわって脚を開いた。私は愉快な気分になり、百江に浅く挿入して安らいだ。口づけをする。
「神無月さん、いじめないで。私も早くソテツちゃんみたいに全力でイキたい」
動きだす。
「あ、あ、神無月さん、イク! ああ、気持ちいい、幸せ!」
丁寧な往復を素早い往復に換える。
「ああ、気持ちいい! 神無月さん、愛してます! イキます、だめだめ、大きなってきました、イキます、イクイクイク、イク! あ、あ、もう一回、もう一回、イック! だめだめ、もうだめェ!」
口でどんな分別や覚悟を言っても、性的に熟した女のからだは決意を裏切る。最後の射精と律動をする。
「ああ、うれしい、いただきます、好き、大好き、もう一度だけだいじょ……つつ、つらい、もうだめです、あああ神無月さん、もうイケないです、がんばってイキますウウ、あああ、イクイク!」
バンと跳ねて、芋虫が暴れるように伸縮する。一瞬陰茎が痛んだので素早く引き抜いた。
「キャ! だめえ! イクウ!」
意識を取り戻したソテツが悶え乱れる百江を横目に、私の手を握り、
「……神無月さん、ごめんなさい。焦ってご迷惑かけました」
ソテツは、薄い意識の中で懸命に手を差し出す百江の下腹をやさしくさすった。それに合わせるように自分の下腹も撫でながら、
「生意気なことを言うようですけど、神無月さんを愛してくれる女の人が大勢いて、とても安心です。このごろほんとうにそう思うんです。……だいじょうぶ? 百江さん」
「はい、だいじょうぶよ。年をとると、このうっとり気持ちのいい時間が長くつづくの」
三人手を取り合って横たわる。
「ソテツ、四時半だ。そろそろ帰ったほうがいいよ」
「はい、厨房が忙しくなる時間です。きょうはジャッキの餌と散歩の当番なのでもっと忙しい。じゃ、帰ります」
「百江、コーヒーをポットに入れといて。少し机に向かってから席にいく」
「はい、ソテツちゃんといっしょに出て、お茶菓子を買ってきます」
百江は股間を丁寧に拭い、濡れそぼったシーツを丸めると、押入れから新しいシーツを出して敷いた。
二人が身なりを整えて出たあと、シャワーを浴び、着替えをして、机についた。牛巻坂にかかる。遠征試合を一つ書いた。その最中に百江がコーヒーとドラヤキを差し入れた。
「ありがとうございました。私がいちばんたくさん抱いてもらってます。なんか不公平で、みなさんにほんとうに申しわけない気持ちです」
「だれとするのも一回一回同じ思いだよ。合計回数じゃない」
「それでも、ほんとにありがたいと感謝してます。お嬢さんにはとりわけ……。じゃ、先に席にいってますね」
「うん、ぼくも六時ごろいく」
百江は襖を出ようとして、
「……神無月さんも、ここしばらく空いたんじゃないですか?」
「うん。ソテツの姿を見てようやくその気分になった。……もう精が尽きてきたのかな」
「まさかそんなことはありません。あいだが空いただけのことです。むかしほど女のからだに関心がなくなったんだと思います。神無月さんは頭のいい人ですから、いろいろなことに関心が拡がるんです。女のことばかり考えていられなくなったということだと思います。でも、求められれば、だれよりもきちんと応えてくれます。精力はぜんぜん衰えてません。ただ、あまり間隔を空けるのは精力も気持ちも衰えるもとだと、キクエさんや節子さんから聞いたことがあります。そうならないように、神無月さんを奮い立てるのは女の役目です。きょうはたまたまソテツちゃんがいいことをしてくれました」
「十五歳で初体験というのは早すぎると思うけど、まだ二十歳だし、衰えるには早すぎるよね」
「そうですよ。これも節子さんが教えてくれたことですけど、精子は二日もあればたっぷり貯まるので、多淫でさえなければ一生打ち止めということはないんですって。打ち止めというのは世間の迷信だそうです。六十歳を過ぎると精子の元気さは衰えますけど、その中でも活発な精子が受精するので、勃起して射精さえできればいつまでも子供を作れるとも言ってました。じゃ、六時ごろに」
百江が出かけた。
十八
夕食のあと、二十四ピースの〈車〉パズルをみんなでやる。と言っても、直人ががんばるのをみんなで応援して見守るだけだ。カンナを抱いたイネが覗きこむ。主人たちまでやってきて興味深げに眺める。カンナが異様にかわいらしい。菅野が、
「直人、このピースはここの―」
「だめ!」
菅野の手から奪い取る。直人は周囲の者にけっしてピースを触らせない。十四、五ピースほど嵌めたところで、あくびをしはじめたので、トモヨさんが、
「さ、直人、歯を磨いてオネムの時間よ」
睦子が、
「画用紙に載せてこのままにしといてあげる。残りのピースは箱にしまっておきましょ」
「うん」
トモヨさんと洗面所にいった。あとを追うようにイネと幣原がカンナを抱いて風呂場へいく。直人は歯が生え揃っているが、カンナはまだだ。カズちゃんが千佳子に、
「この分じゃあしたのうちにやっちゃうわね。あまり早くできると飽きるから、何日もかけてやるのがいいんじゃない?」
「だと百ピースから三百ピースですね。その上もかぎりなくあります」
「いくら子供でも、こんなことを趣味にしてもらっちゃ困るわ。知育なんて言うけど、ほんとの知性は言葉でしか築かれない。ほどほどにしないと。せいぜい百ピースまでね」
素子がカズちゃんに、
「土日を開けてほしいってリクエストがひっきりなしやわ」
「私も考えてる。松の内明けから土曜日は営業して日曜日だけを休みにしようかなって。アヤメはいままでどおり」
女将が、
「それなんよ。トルコも日曜休みをひと月でやめてまった。あっちの欲は曜日をかぎらんでしょう。と言っても、女の子は週に一回ぐらい休まんと働く気がなくなるで、めいめい申告制で休んでもらうことにしたわ」
「全日営業ってこと?」
「ほうや。菅ちゃんには日曜日に休んでもらうよ。松葉さんや寮の賄いさんは、交代制やから休まんて頑固なんやわ」
「市場は松の内と年末以外の日曜日が休みだから、食べ物商売はそうはいかないのよねえ。寮なら買い置きが利くけど……。アイリスだって食材を仕入れてるし、やっぱり日曜日は無理ね。店を始めたばかりのころは日曜日もやってたけど、やっぱり食材が新鮮でないってことで気が引けてたもの」
土間へジャッキを撫でにいく。コロコロしたからだを好きなだけなぜる。ジャッキはひっくり返って甘える。カズちゃんがやってきて私に寄り添い、ジャッキをなぜる。
「中商の講演、いまテレビのニュースでやってるわよ。観ないの?」
「観ない。きょうはみんなで出かけたの?」
「そう、素ちゃんやメイ子ちゃんと、松坂屋のウィンドーショッピング。二十七日から冬物蔵払いセールだから、その目星をつけてきたの」
「来年から土曜日も店を開けるようになったら、たいへんだね」
「仕方ないわ、週二日休む喫茶店のほうがめずらしいもの。オフは控え選手や二軍選手のアルバイトの季節ね」
「ほんと?」
「ほんとよ。そういう話はおとうさんの得意分野ね」
座敷にいってさっそくその話を聞くと、
「あの沢村栄治でさえ、実家のうどん屋の出前の手伝いをしとった。焼鳥屋の店員、お歳暮配達の郵便局員、その他いろいろ。ま、だいたい力仕事ですね」
菅野が、
「球団事務所がオファーするトークショーとかサイン会は、その一部が選手の収入になりますけど、自発的でないのでアルバイトとは言えませんね。自衛隊で荷作業をしてた選手もいます。プロ野球と言っても、スター選手以外はサラリーマンとほとんど変わらない給料ですからね。いま騒がれてる黒い霧事件も、そういう安月給が背景にあるわけです。永易も田中勉も、年俸百五十万程度だと週刊誌に載ってました」
「賭けゴルフや賭け麻雀もその一つや。ドラゴンズはやらんかったようやが、春季キャンプで練習が終わると、監督、選手、新聞記者や地元民まで加わってマージャンするのがふつうや。翌日が休みやと、朝までやる。ゴルフも同じ連中で〈握る〉のが常識。そういう中で金の貸し借りも生まれたんだがね。ただし、新聞記者や一般人が参加できるように千円単位でな。神無月さんは例外やが、ふつうの選手はタニマチのお供をして飲み食いする。神無月さんがお供せんのは、並のタニマチよりはるかに高給取りやからや」
「稲尾投手の年俸がかなり低いことを水原監督かだれかが口に出したのは憶えてます。ひょっとして、いわゆるスター選手も、契約金はさておき、年俸はかなり低いんじゃないでしょうか」
菅野は、
「そのとおりです。いままでの新聞発表だと、推定というドンブリで、王七千万、長嶋八千万。ドラゴンズ以外のチームはこれを実質の上限と考えるから、その金額を超えるスター選手は一人もいないんです。ほとんど一千万円台です。金田の巨人移籍料でさえ三千八百万だったんです」
「ぼくの給料は、もう、犯罪ですね。来年の契約更改で減額してくれないと、国民から袋叩きに遭いますよ」
「今年の成績の三分の一でも、優勝すれば漸増ですね。しなければ漸減。たぶん優勝しつづけますから、何年も断トツのナンバーワンでいくでしょう。どうしても世間に対して肩身が狭いなら、二億円とか一億円の公式発表をしてくれるように球団に頼むしかありませんね。長嶋の三倍五倍の給料をとっても、だれも不思議に思わない。肩身を狭くしてる神無月さんの気持ちのほうが理不尽ですよ。キャンプ、オープン戦から一年間通してどれほど観客を動員したかわかってないでしょう。神無月さんが出場するすべての球場の収入を潤したんですよ。感謝のしるしを贈らないほうがおかしい」
「そんなに怒らないで、菅野さん。ただぼくは快適に野球をしたいだけなんです」
主人が、
「いまのところ、神無月さんの年俸に対して不満の声はどこからも上がってません。きょうのニュースも国民的英雄扱いです。取り越し苦労はそろそろやめにしましょう。来年も快適に野球をしてください」
睦子が、
「郷さん、神無月郷という男はもうどんなことを言っても悪謙虚ととられる選手になってしまったんです。もともと気にしてなかったお金でしょう? これからも気にしないようにしましょう」
千佳子が、
「その青春もの二本立てとやら観にいかない? だれが出るんですか」
「舟木一夫と浜田光夫」
「歌謡映画と、小百合映画ですね。純愛路線の荒唐無稽なストーリーに決まってるから、意外とスカッとすると思いますけど」
「そうしようか。講演料も入ったことだし」
カズちゃんが、
「私たちもいきましょう。マキノ映劇ね。ひさしぶりだわ」
「うちもいく」
素子も立ち上がった。夜更かしがつらくない若い女たちも寄り集まってきた。アヤメの天童、丸。メイ子、キッコ、幣原にあとをまかせたソテツと千鶴。結局菅野もいくことになった。主人が菅野に、
「時間を調べていったほうがええぞ。電話帳で番号わかるやろう」
私は、
「飛びこみで途中から観ても、オールナイトだから二本ちゃんと観れますよ。散髪ついでに洋画を一本観てきたけど、少し古い映画館ですね」
菅野が、
「昭和三十年か三十一年の夏に開館したんです。三百人ぐらい入る映画館で、神無月さんが建てようとしてるシネマ・ホームタウンとほぼ同じ大きさです」
女将が、
「映画館できたら、たまには古い映画もやってや」
「はい、可能なら」
菅野が、
「専門家が配給会社やフィルムセンターなどと連絡をとって、うまくやってくれるでしょう」
主人が、
「金がかかるようだったら、ワシが地元の人たちや商店会に諮って、協賛金や助成金を集めるからな」
百江と幣原にいってらっしゃいと見送られて玄関を出る。0・7度。菅野と私以外は暖かそうなオーバーで身を固めている。メイ子が、
「浜田光夫が目をケガしたのは名古屋の栄のクラブなんですよ」
「目を? いつ?」
「三、四年前の夏です」
菅野が、
「直人を連れてった『そーれ』のすぐそばです。女子大小路のサパークラブ。何かのロケのあとで葉山良二と飲んでたとき、絡んできた酔っ払いに葉山が電気スタンドで殴られた。その破片のガラスが右目に突き刺さって―」
いつか法子からもっとオーバーな話を聞かされたことがある。ビール瓶で突かれたとかなんとか。
「失明……ですか」
「いや、大手術でなんとか失明は免れて、いまはコンタクトレンズで仕事をしてるみたいです」
「じゃきょうの、花ひらく娘たちもそのあとの仕事か」
メイ子が、
「ケガのせいで、次に出演することになっていた愛と死の記録という映画を降板して、渡哲也が代役になったんです」
素子が、
「葉山良二って、芦川いづみと付き合っとったんよね、去年藤竜也と結婚した」
なつかしい名前が出て話が拡がる。若いソテツがキョロキョロしている。私は、
「目立つ人同士、目立たない人同士が結びつくんだね。裕次郎と北原三枝には驚いた。南田洋子と長門裕之には驚かなかったけど」
カズちゃんが、
「北原三枝と南田洋子は、裕次郎以前の看板スターだったのよ。三橋達也と三國連太郎も」
私は、
「夜霧に消えたチャコの筑波久子や非行少女の和泉雅子はよしとして、松原智恵子や笹森礼子って何だったんだろう」
丸が、
「笹森礼子は日真名氏飛び出すのレギュラーでしたよ。裕次郎の青年の樹が映画デビューです。ずっと浅丘ルリ子の控えみたいな役どころですね。赤木圭一郎や二谷英明の相手役。五、六年前に結婚して引退しました」
映画通のメイ子が、
「宍戸錠とも共演してましたよ。探偵事務所ツースリー」
私は、
「宍戸錠って何者? 裕次郎映画の裏でよく観たけど」
「昭和二十九年に、日活がニューフェイスを募集したんですけど、そのときの一期生です」
「ドラゴンズが初優勝した年か」
「二期生が葉山良二。同じころ、緑はるかにという映画のヒロイン公募で特別ニューフェイスとして日活に入ったのが浅丘ルリ子」
「小林旭は第何期?」
「第三期です。二谷英明と筑波久子も。赤木圭一郎は第四期、高橋英樹と中尾彬は第五期」
「詳しすぎる」
「暇なときはつい娘のことを思い出してしまいますから、気を紛らすために映画雑誌を見てます。百江さんも相当映画好きなので、よく買ってきてます」
「で、六期は?」
「成功した人はゼロ。七期は山本陽子、西尾三枝子、谷隼人。それ以降はニューフェイスという登竜門はなくなりました」
千鶴が、
「浜田光夫や吉永小百合はどうやって出てきたん?」
「裕次郎と同じようにスカウトやオーディションです。吉永小百合は小学校のときラジオの赤胴鈴之助に出てたんですよ。テレビの赤胴鈴之助にも出ました。そういう下地があって、松竹の映画に一本出てから日活に入社したんです。高校時代にキューポラのある街で当たって、それから浜田光夫と清純コンビ」