第四部
一章 明石キャンプふたたび
一
一月三十一日土曜日。七時起床。曇。五・五度。うがい、軟便、歯磨き、洗髪、シャワー。カリの溝も洗う。ここのぬめりは生きている証だ。新しい下着をつけ、ミズノのジャージを着てキッチンへいく。味噌汁のにおい。
「おはよう」
「おはようございます」
三人で大テーブルに料理の仕上がった皿を並べている。カズちゃんが、
「きょうは、西のほうは雨みたい。雨のカドデね」
「そのシャレいいね」
メイ子が、
「シャレなんですか?」
百江が、
「ハレの門出ってお天気のことじゃないですから。晴れがましい出発ということなんです」
「わあ、いままで知りませんでした」
塩鮭の切り身、さつま揚げと薄切り大根の煮物、キュウリとちくわとミョウガの酢の物、上に卵焼きの角切りが載っている。
「ミョウガは好物だ」
「秋ミョウガよ。北村の冷蔵庫に保存してあるのをいただいてきたわ」
「東京の茗荷谷もミョウガが生えていたのかなあ」
「そうでしょうね」
味噌汁はそうめんと生シイタケと焼き海苔の具だ。めずらしい。そしてうまい。めし二杯。
「さ、キョウちゃん、着替えるわよ」
カズちゃんと居間へいく。すでに一式鴨居に吊り下げてある。淡い灰色のワイシャツ、濃い灰色のツイードのジャケット上下。黄土色のカシミヤのウールオーバー。
「年末に松坂屋で買ってきたの。まあ、映える!」
牛革の茶色いベルトを締める。白靴下。胸にシャープペンシル、内ポケットに手帳と眼鏡ケース、上着の外ポケットに十万円と消しゴム、ズボンのポケットに千円札と小銭、尻ポケットにハンカチ。オーバーを手にキッチンへいく。
「キャー、きれい!」
百江とメイ子が触りまくる。少し得意だ。コーヒー。
「いくでェ」
素子が玄関に迎えにくる。
「ワ、百貨店のマネキンやが」
抱きついてくる。オーバーを着、黒のローファを履く。百江に見送られて四人で笈瀬川筋へ。三人とアイリスの前で別れる。メイ子は酔族館の面接期間中は、出勤する前に少しアイリスの手伝いをすることにしたようだ。
「いってらっしゃい!」
「いってきます!」
歩き出し、恥ずかしいのでオーバーを脱ぎ、腕にかける。こんにちは、がんばって、の声が飛んでくる。一声一声に頭を下げる。
ひと月の別れになる庭を眺めながら、玄関へいく。尻尾を振りまくるジャッキの頭をなぜる。北村夫婦は居間で菅野と茶を飲み、直人はトモヨさんに手伝わせて登園の準備をしている。トモヨさんが、
「すてきですね、そのツイード」
「おとうちゃん、かっこいい」
「土曜日なのにいくの?」
「うん、いくの。おともだちとあそびたいから」
早番のトルコ嬢たちが出かけていく。あちこちで家内掃除の音。名大生二人が降りてくる。千佳子はカバンを持っている。彼女だけきょうも試験なのだろう。ソテツがトモヨさん親子と千佳子に傘を渡す。
「いつ雨がきてもおかしくない天気ですから」
三人を送り出し、試験の中休みの睦子といっしょにジャッキと芝庭でボール遊び。仰向けになって、曇り空を見上げる。睦子は腰を下ろし両脚を投げ出して空を見上げる。雲の垂れこめた低い空だ。私の傍らで腹這いになったジャッキは生垣を眺める。
「明石には何時ごろに着くんですか?」
「名古屋から二時間半で明石駅。ちょうど一時ぐらいにホテルに着く」
「広島へいくのがたいへんなんですね」
「そう、今年は四月の末だね。……睦子」
「はい」
「愛してるよ」
「私も。一秒も離れたくありません」
ダッフルを担ぎスポーツバッグを提げた太田と秀孝が門を入ってきた。起き上がり、ジャッキと睦子と迎えに出る。
「よう!」
「ちわす!」
「おひさしぶりです!」
睦子がお辞儀をする。
「こんにちは。きょうはよろしくお願いします」
「こちらこそ、神無月さんと同行できてうれしいです。去年は早く着きすぎちゃって、神無月さんがくるまで退屈でした」
太田が頭を掻く。ジャッキが二人の顔を見上げる。秀孝が、
「かわいいな! 何ていう名前ですか」
「ジャッキ」
秀孝と太田は屈みこんでジャッキの名を呼びながら頭や腹をなぜる。主人夫婦と菅野が玄関に出迎えて座敷へいざなう。千鶴や優子たちがまとわりつく。ソテツと幣原がコーヒーを持ってくる。女将が、
「兵庫のほうの雨はきょうまでで、あしたから何週間も快晴やそうや。冷えこむゆう話やけどな」
秀孝が、
「毎年そうみたいです。投げこみに注意しないと」
菅野が、
「キャンプはケガが多いので、ほんとに気をつけてください」
「はい」
「トモヨさん、小バッグにノート一冊と、ワンタッチネクタイ入れといて」
「ネクタイはつけていったほうが」
ネイビーブルーと黒と細い白のストライプのネクタイを取ってくる。上品な色合だ。生地がツイードに似て厚ぼったいのもいい。
「会食のときにつける。やっぱり放りこんどいて」
ソテツが筑前煮の弁当を三つ持ってくる。私は、
「いつもありがとう。好評のソテツ弁当だ。山陽本線に乗ったあたりで食べるよ」
「ごっつぁんです」
大男二人が頭を下げる。十時十分前。菅野が、
「少し早いですが出かけますか。売店で雑誌を買う時間も必要でしょうし」
「いきましょう」
優子や信子たちが抱きついてくる。女将が土間で三人の肩に切り火を打つ。秀孝は驚いた顔でじっとしている。
「さ、いっといで」
「いってらっしゃいませ!」
オーバーを着て出る。主人と菅野と睦子が同行する。門前にカメラマンが数人いてストロボを焚く。強烈な光に思いがけず気持ちが引き締まる。
今年もキャンプに出かけていく―そんなイベント的な気持ちではない。去年の自分の正体を確認しにいく。そういう緊張に満ちた、蒼く燃える思いだ。
コンコースで菅野から切符を渡された。彼らは入場券を買う。記者たちのざわめきに釣られた数十人の人びとに取り囲まれる。新幹線の改札を六人で抜ける。ホームにも記者連中がごった返している。三人と熱い握手をする。主人が、
「何かあったら遠慮せんと連絡してな。金が足りななったら電報打ってや」
「はい」
菅野が、
「キャンプの様子は新聞でもテレビでもすぐ伝わります。北村席だけじゃなく、いつも全国のファンが見守っていることを忘れないでください。喧嘩しないように。ヤケを起こさないように」
「はい」
「これ、三枚つづきのグリーン席券です。グリーン車に乗ってください」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
睦子は潤んだ目を隠さないでただ黙って私の手を握っている。新幹線に乗りこむまでフラッシュが瞬きつづける。
†
三人荷物を網棚に上げ、オーバーを脱いでフックに掛ける。
「すごい報道陣だったですね。神無月さんは毎日ああなんですか」
秀孝が尋く。
「報道陣がああなるのは特別な日だけです。ぼくは無愛想だから、ふだんはほっといてくれます。……去年はファンレターに一通の返事も出さなかったなあ。無愛想の極み。そのうちファンにもほっとかれるようになるでしょう。人に関心を持ちつづけるというのはたいへんな精力ですよ。北村席やドラゴンズの人たちのやさしさがそれです」
車内販売のワゴンが回ってくる。だれも雑誌を買わない。太田が、
「ああ、人間らしい会話が戻ってきた。きょうから楽しくなりますよ」
「中学時代から楽しかったでしょう」
「中学時代は、神無月さんはあんまりしゃべらなかったんだ。いつも考えこんでいて」
私は、
「昇竜館暮らしは非人間的だったの?」
「精神的な意味なんか考える以前に、純粋にあれは人間じゃなく生物ですよ。練習でからだを動かす以外は、食う、寝る、遊ぶしかないんですから」
「よくてお国自慢か、親姉妹の話、車の話、最高によくてタイトルへのあこがれ話か、根拠のない年俸の話」
窓に雨がきた。
「女の話は?」
太田は首を振り、
「イロ気のある話はいっさいしません。そのくせ女を買いにいったり、こっそりデートしたりしてるようですけどね。神無月さんが初日にしゃべった原爆のような話を聞くには千万年待たないと」
「いつまで待ってもだめでしょう。スケールのちがうイロ気話は神無月さんしかできませんよ。人間じゃないんだから」
「そうなんだ。水原監督がいつだったか、潔いのかバカなのかと疑わせるような人間はそういう価値基準の範囲にはいない、人間の考える価値ごときの外にいる神なんだよ、と言ったことがある。少年野球教室の帰りに寄った料亭じゃなかったかな。神無月さんが便所に立ったときだったと思う。目に涙を浮かべてた」
そう言って太田は洟をすすった。私は、
「十一時だよ。昼めしにはいい時間だ。予定を早めよう」
「テレたらだめですよ。今年は褒められてもうろたえないようにしてください。褒められつづける運命も、神無月さんが神として授かったものですから」
米原駅を出たあたりでソテツ弁当を食う。秀孝が、
「この味つけはもう、事件ですね」
「ソテツさんの弁当にはみんな感動するんだ。江藤さんなんかぞっこんでね。引く手あまたの嫁さんになるっていつも言ってるよ。ソテツさんが神無月さんに惚れてなければ話は簡単なんだけどね」
「それがソテツさんの生き方なんだから、嫁さんになんかならなくてもいいじゃないですか。神無月さんですよ。最高ですよ! 神無月さんに惚れたということは、好んで難しい生き方を選んだことにはなりますけど、それで彼女なりに満足のいく人生が完成したということです。満足したならほかに何もいらないでしょう。引く手は神無月さんの一つでいいと思いますよ」
「いいこと言うなあ。そっくり俺たちに―」
「はい、置き換えられます」
二
新大阪で十一時四十六分発の急行加古川行に乗り換える。改札で渡す切符と持ちつづける切符をまちがえないように、階段を降り、別の改札を抜ける。山陽本線8番線。ダッフル担いでエッホ、エッホ、階段を上る。秀孝が、
「急がなくていいのに、つい急いじゃいますね」
「プロ野球選手は余儀ない移動の労働が三割。あとの七割は夢のような遊びだから、そういう習性もがまんして受け入れてます」
私が言うと太田が、
「遊んだ時間に給料が出る。そこに気づけば、給料がいくらなんてことは気にならなくなりますね。ほかの球団の選手に聞かせてやりたいな」
秀孝が、
「昇竜館のファームの人たちにも」
先頭の機関車は黄色と紺のツートンカラー、座席車は紺色の列車で出発。客のまばらな車内に暖房が効いている。大阪、尼崎。かなり建物の密集する窓外の景色だ。すぐに田畑が混じりはじめる。西宮、芦屋。
「芦屋だって? 新大阪から芦屋まで山陽本線で二十分だったのか。去年は面倒なきかたをしてたな。わざわざ私鉄で大阪に出て、大阪から阪神鉄道に乗ったんじゃなかった?」
「そうでした。江藤さんと菱川さんと俺。私鉄に乗った分、ロスがあったということになりますね。江藤さんの様子だと、それまでずっとドラゴンズはそのやり方で芦屋にいってたみたいでしたよ」
「何度かそのやり方で芦屋にきたけど、今年はこれ一本でこれる。十分とちがわないにしても、乗換えに面倒がない」
「江藤さんたちに教えてやらなくちゃ」
「山陽本線の古臭い感じがいやだったんじゃないかな」
「それはないでしょう。新大阪から私鉄で大阪に出るって、先輩たちに教わってきたんだと思います」
「ぼくも菅野さんにそう教えられた」
「新幹線が走りはじめたころですからね、大阪から新大阪に山陽本線が乗り入れてなかったのかもしれませんよ」
なるほど。
住吉、六甲道、三宮、元町、神戸。ビル街がつづいたあと、雨に煙る山景を遠くに、見通しのよい田園地帯を走る。須磨からはかなり長いあいだ海の近景も見えた。瀬戸内海だ。垂水、舞子と過ぎて、十二時四十四分明石到着。明石という標札。ダッフル担いで一年ぶりのなつかしい大きな高架駅のホームに降り立つ。気温五・三度。目にようやく見えるほどの霧雨が降っている。
南のほうに背の高いビルが二、三増えたようだ。ダイエーの看板を掲げたビルの屋上にボーリングの巨大ピンが載っている。南口に接するように山陽電鉄の地平造りの明石駅が見える。去年ほどはキョロキョロ見回さないが、ビル看板や店看板に新しく目につくものはある。その一つに『都きしめん』。明石にきしめん? キャンプ中にいってみようと決める。北を見ると、遠く森の奥にあの天文科学館が突き立っている。三人で駅舎の北口を出る。脚立まで用意した報道陣に迎えられる。連続するフラッシュ、霧雨と群衆と警官。
「ウッヘエ」
思わず秀孝が歎息を漏らす。寄ってくる人たちから子供を選り分けサインする。十五分ほど足留めされた。明石公園の外濠を縁どる葉の落ちたシダレヤナギを瞥見しながら歩き出す。カモが泳いでいる。グリーンヒルホテルまで二百メートル、五分足らずだ。去年と同様外濠沿いにつき従う人びとの列ができる。公園正門に大洋漁業創始者中部銀次郎の銅像。常緑の樹木の間に明石城址の櫓が見える。ホテルの玄関でようやく群衆を振り切る。カメラはロビーまでついてくる。ロビーのソファに徳武と千原と井手がいた。会釈だけですます。
フロントで記帳し、荷運びの三人のボーイに導かれて四階へ。去年は五階七号室で太田と相部屋だった。エレベーターの中で主だったボーイから、三、四、五階に分かれてドラゴンズの全選手が宿泊している、一般客はそのほかの階に二十人ほどしか泊まっていないと知らされる。つまり中日ドラゴンズの貸切り状態だということだろう。エレベーターを降りると太田と秀孝はそれぞれのボーイについていった。
四〇六号室に案内される。名古屋からの荷物が大ぶりなベッドの脇に積んである。荷物の中に小ぶりなコーヒードリッパーも混じっていた。去年ここで使ったものだ。あしたでも挽き粉を買ってこよう。
「この階のこのサイズのお部屋は、中さま、江藤さま、高木さま、神無月さま、木俣さまの五名のかたがたがお泊まりになることになっております。太田さま、星野さま、そのほか七、八名の選手のかたがたは五階のツイン、そのほかの選手のかたがたは三階のお部屋になります」
レギュラーと控えの選手以外ということだ。
「三階もツインですね」
「はい。監督、コーチ、マネージャー、トレーナー、スコアラーのかたがたは、六階にお泊まりになります。監督以外のみなさまはツインでございます」
それはひどい。
「本日のみなさまの夕食会は、六時より二階喜春の間で行なわれることになっております。あす以降は、二階のレストラン『メール』にて、部屋番号をご記入のうえ、ご自由にお食事なさってくださいませ。それでは失礼いたします」
ボーイが去った。喜春という響きをなつかしんだ。オーバーとブレザーを脱いでベッドに放り出し、ジャージを着る。去年と同様、バットが振れるほど広い部屋だ。窓から明石公園第一球場が見える。両翼百メートルを思い出す。眼鏡をかけて眺めやると、遠く正面にバックネットが望見され、近くの森がライトスタンドを隠している。かなたに山並が霞んでいる。球場の右手に一対の櫓が見えた。風呂場を覗くと、二人ぐらいゆったり浸かれそうな浴槽だ。太田がやってきて、
「広めの部屋ですね。俺たちのシングル部屋はちょっと狭いですけど、ここと同じ造りで眺めも同じ、バットも振れます。振りませんけどね」
「当然だよ。部屋で本気でバットを振るなんて、正気の沙汰じゃない。去年は海が見える側の部屋だったよね」
「はい、真下に鉄道線路が見えて、ビルのあいだに海も見えました」
線路を見た覚えはなかった。フッと窓の外を見たきりだ。遠い海の色しか憶えていない。初日だったので案外アガッていたのかもしれない。秀孝もやってきて、
「もうみんなきてるようですよ。三号室、江藤さん、九号室、中さん、十二号室、高木さん、十五号室、木俣さん。二部屋置きに黄金の五人が泊まってます」
太田が、
「二軍の付録組はキャッスルホテルに泊まります。きょうの夕食会だけは出てきます」
「去年と同じだね」
「末席を汚してるだけですから、気を使わなくていいですよ。どうせ知らない顔がほとんどでしょう。シーズン初めの行事にすぎません」
私は机に置いてあった〈たこせんべい〉を齧りながら、
「五階って、太田と星野さんのほかにだれがいるの」
秀孝は、
「ぼくと太田さんが相部屋、小川さんと小野さん、一枝さんと菱川さん、伊藤久敏さんと水谷寿伸さん、戸板と谷沢がそれぞれ相部屋です」
「それで三階の相部屋のメンバーがだいたいわかりますよ。若生さん、門岡さん、江島さん、千原さん、江藤省三さん、則博、土屋、井手さん、新宅さん、伊藤竜彦さん、松本幸行(ゆきうら)、渋谷幸春……」
「則博さんと土屋さんはキャッスルです。伊藤竜彦さんは近鉄に移籍しました」
「そうだった。近鉄の川内とかいうピッチャーと交換トレードだったね。ちょっとショックだったなあ」
太田が、
「俺も驚きました。川内はキャッスルホテルです」
「キャッスルホテルには何人ぐらいきてるの」
「十人ちょいでしょう。ピッチャーは、近鉄からきたその川内と田辺修、ロッテからきた川畑和人、アトムズからきた佐藤進、うちの則博、土屋、大場。野手は、冨士鉄名古屋からドラフト外できた坪井新三郎、うちの伊熊、日野、村上、三好」
頭がこんぐらかってきた。太田が、
「三階の相部屋連中の井手や新宅さんなんかと混ぜて、第二球場でキャンプ張らせる人員ですよ。今年一軍にチラッと出るかもしれない選手たちです。ここから漏れた二十人くらいは大幸で居残り練習です」
「辞めた人もけっこういるんでしょう」
「はい。堀込基明、佐々木孝次、金博昭、松本忍、外山博といったところですね。もっといるんでしょうが、もともと名前を知りません」
松本と外山は今年残留だと水原監督が言っていたと記憶しているが、監督の権限を越えてフロントにきびしい決断をされたのだろう。江藤や高木や菱川たちがゾロゾロ部屋を覗きにきた。
「よ、半月ぶりやの。あしたからカンカン照りになるげな。気温は上がらんごたるばってん」
菱川が、
「マイペースでやりましょう」
高木が、
「中日(うち)はマイペース以下でやるから、自主的に気合入れないとね。俺は走りこむよ」
中がチラとドアから覗いて、
「ドラゴンズは食いもののいいことで有名だ。私はバンバン食べる。そのうえで柔軟と基礎鍛錬で一週間ミッチリやる。ダッシュなんか誘わないでよ」
廊下に小川や一枝や木俣たちもたむろしはじめた。一枝がベッドに投げ出してある私のジャケットを見て、
「いいツイードだ。和子さんの見立てか」
「はい、ぼくは着せ替え人形ですから」
小川が、
「俺も一時期そういう極楽の時期があったけど、いまはすべて自力更生だ」
「健太郎は子だくさんやけん、忙しか女房に贅沢は言えんばい。ワシも同じたい」
木俣が、
「俺は大名ですよ」
「子がおらんけんな。ラウンジにコーヒー飲みにいかんね」
一も二もなく、全員エレベーターへ移動する。ラウンジに腰を落ち着け、コーヒーを注文したとたん、
「年末の三冠王表彰を辞退したそうやな」
江藤に質され、
「はい、スポーツ三誌主催とかのやつですね。何週間も前に菅野さんに断ってもらいました。高輪で散々表彰されてますし、もう満腹です。それに、大恩ある中日スポーツが入ってませんでしたから、本気で、表彰されたくなかったです」
「いさぎよかのう。三冠王単独の表彰ちゅうんは今年立ち上げたばかりやったげな。ばってん、金太郎さんに断られて来年からはもうやらんち話ばい。実際、金太郎さんは全冠王やけん、あらためて三冠は要らんわな」
「それより、来年のフロントの正式な布陣を教えていただけませんか。まだ新聞発表されてないでしょう」
高木が、
「されてるよ。十二月二十八日にちゃんと中日スポーツに載った」
「そうでしたか。見すごしました」
小川が、
「俺も知らなかったぞ」
菱川と秀孝が、自分もという顔でうつむいた。中がおどけて、
「太田くん、よろしく」
「はい。監督水原茂」
「わかっとるっち」
「はあ、いちおうしっかりと正式に。江藤さんも新聞を見てないでしょうから」
大きな笑いが上がる。
「一軍ヘッドコーチ宇野光雄、ピッチングコーチ長谷川良平、打撃コーチ杉山悟、バッテリーコーチ太田信雄、内野コーチ森下整鎮(のぶやす)。二軍監督本多逸郎、ヘッドコーチ同じく本多逸郎、ピッチングコーチ山中巽、打撃コーチ徳武定之、内野コーチ井上登、バッテリーコーチ吉沢岳男、選手兼任ランニングコーチ高木時夫、トレーニングコーチ岩本信一、走塁およびコンディショニングコーチ塚田直和。なお、一軍トレーニングコーチ鏑木柔(やわら)、走塁コーチ兼任プレイヤー中利夫」
中がニヤニヤして、
「一年間現役延長のわがままを聞いてもらった。来年からコーチ専任になります。どうぞよろしく」
拍手。コーヒーが出てくる。私は、
「第二球場の面倒見は、本多監督と徳武さんですか。少ないですね」
「岩本さんと塚田さんと高木時以外はみんなきてるよ。私もときどき面倒見る」
中が言った。私は彼に、
「今年の紅白戦はいつですか」
「七日と十四日。どちらも土曜日。交流戦の予定はないね。一つぐらい入る気もするけど」
江藤が、
「西宮が近いけん、阪急が申しこんでくるんやなかね」
小川が、
「考えられるな。長池にまたやられるのか」
「やられん、やられん。日本シリーズ、抑えとったやろうが。健太郎は王の研究ぎりしとればよか」
木俣が、
「ホームラン打たれなければいいですよ」
三
ツイードのジャケットにワンタッチネクタイを垂らした。五時四十分、六十一人が喜春の間のテーブルに着く。名札に従って着席すると、ほぼいつもの陣形になる。賓席(水原監督、小山オーナー、村迫代表、榊渉外部長)、レギュラー席、準レギュラー席、一軍コーチ席、二軍コーチ席、二軍有望株席、奮起を期待される選手席、マネージャーおよびトレーナーおよびスコアラー席……。カメラが壁沿いに取り囲む。壮観。マッちゃんはじめ審判員六名は同席していない。私のテーブルは、江藤、中、木俣、高木が同席。中が、
「ミズノのコマーシャル、少し変わったね。飛びあがるところも、胸を張るショットになった」
「菅野さんが再契約したようですから。一度しか撮影してないのでフィルムは同じでしょう。恥ずかしいので見てません」
水原監督が手招きした。立っていって、テレビの四人に頭を下げた。水原監督が、
「始まったね。充実したキャンプにしましょう。がんばってください」
「はい、がんばります。ちょうどいい機会なので、みなさんにお礼を言いいたいと思います。……バット事件、暴漢襲撃事件、そのほかいろいろの不祥事を起こすたびに、どこかへ逃げていきたい気持ちでした。そこに留まれば、ふつうはただじゃすみません」
榊部長が、
「なぜですか? きみが起こした騒ぎじゃないよ」
「原因はすべてぼくにあります。でもみなさんが救ってくれました。おそらく連絡をとり合って庇ってくれたんでしょう。おかげで、ぼくの人生が変わりました。プロ野球選手にきちんとなれました。ホームラン王にも獲れました。みなさんがぼくを信じてくれた、そのせいでチームのみんなもぼくを信じてくれた。自分で自分を信じてなかったぼくを……。どうしてもお礼を言いたかったんです」
水原監督が、
「何を言ってるんだ、金太郎さん。礼ならとうのむかしにしてもらった。きみがその偉大な才能を私や中日ドラゴンズに捧げると決意してくれたときにね」
榊部長が、
「こんな立派な男になって……。押美くんもきみのことを口にするたびに泣くんですよ」
小山オーナーが、
「きみをずっと見守ってきた。きみも周りの人びとを見守っているだろう。そういうきみを誇りに思うよ。大した男だ」
村迫代表が、
「神無月さん、あなたはみんなを信じさせる男です。だから私たちはあなたを信じています。みなさん、こんな男を見たことがありますか」
水原監督が、
「いや、ありません。見たことがありません。初めて見ました」
村迫は私とやさしく握手した。ほかの三人もやさしく、固く、握手した。私は最敬礼して自分のテーブルに戻った。江藤たちも、やさしく、固く、握手した。
「聞こえとったばい。泣けるのう」
小川が、
「涙をこらえるのがたいへんだったよ。とんでもないやつと会っちまった」
「今年も優勝しましょう」
「おう!」
「よしゃ!」
木俣が、
「大金太郎、俺が耐えていくための条件は一つだ。おまえがいることだ」
榊が司会に立って、乾杯からすぐ食事会になった。瀬戸内の魚介を中心にする和洋折衷の豪華な懐石料理だった。マイクが回されていく。
小山オーナーは、今年は新人に対する揶揄もおためごかしも言わず、二連覇を祈願する檄を静かな口調で飛ばした。
「野球をいつまでもやりたい、野球ができなくなったらどうしよう、そういう希望と不安を常に抱えながら自己鍛錬に励んでいただきたい。野球はきみたちの命なんだからね。からだに重々注意して、好きな野球をやりたまえ。一カ月、無事にキャンプを終えられることを祈ってる」
各テーブルの代表が一人ずつ彼の祈りに応える抱負を熱く語った。江藤は、
「だれかさんがゆうたごたる、グランドに金が埋まっとるなんて思ったらいけんくさ。土のほかに何も埋まっとらん。美しか土と芝生の上に金で買えん夢が落ちとるだけたい。夢拾って暮らせんような人生は怖(えず)かよ」
菱川は、
「日々驚きの連続です。驚きの一つひとつを語ればきりがない。でも詰まるところ、人間に対する驚きです。保証します。中日ドラゴンズはすごい人間の集まりです。新人のみなさんは驚いて暮らすことのすばらしさをこの数日のうちに痛感するでしょう。そしてそのすばらしさの中でいつまでもすごしたいと願うでしょう。怠けないかぎりその願いは叶います。入団から五年間、去年のキャンプまで俺は怠け者でした。もったいない人生を送ってきました。この一年でその怠惰を取り払えたどころか、日常をさらに勤勉なものへと向上させることができました。何よりもすばらしかったことは、そういうすごい人びとのおかげで、自分がいちばん好きなものが野球だったと気づかせてもらえたことです。あたりまえのように思うでしょうが、あたりまえじゃないんです。出世とか名誉とか肩書とか金銭とか、つまり〈勝つこと〉がいちばん好きな人はこの世にごまんといるんです。この中日ドラゴンズにはいません。それは夢じゃないからですよ。以上」
菱川は生まれて初めてというほど長くしゃべり、会場の静寂を招いた。豊かな感動の静寂だった。私にはそれがはっきりわかった。新人代表の谷沢は、
「勝利が夢の一つでないという菱川さんの言葉に、プロの野球選手としてそれこそ驚きました。おそらく勝利に拘らない姿勢という意味だと思います。勝利は夢ではない。好きな野球、つまり夢に没入した結果のご褒美だということでしょう。そんなほんものの夢をグランドから拾えるだけの鍛練をしようと思います。こうして見回したところ、鍛練の師匠はわんさといると直観でわかりますから。先輩のかたがた、どうかきびしい指導のほどをお願いします」
静寂が拍手に変わった。コーチ代表として立ち上がった新二軍コーチの井上登は、淡々と長話をした。
「岡崎出身の井上登です。名手高木くん以前の二塁手として憶えていてくださるかたがいらっしゃったら幸いです。背番号は51でした。私はこの番号にこだわりつづけ、どんな若い背番号を勧められても断りつづけました。ドラゴンズの永久欠番15の西沢選手の大ファンだったからです。15の逆番号の51をもらったとき、ああ縁起がいいと思いました。……それはさておき、高木選手、昭和三十五年、あなたと初めていっしょに守備ノックを受けた別府球場の春季キャンプ、私はあなたのすぐれた守備力に圧倒されました。あなたは十九歳、私もまだ二十六歳でしたが、余儀ない世代交代のときを感じました。あなたの完成した姿をこうして目の当たりにできて感激もひとしおです。さて話を本題に戻しまして、入団の翌年、昭和二十九年に、私はドラゴンズの初優勝を経験し、日本シリーズ最終戦では決勝打を放つという幸運に浴しました。その瞬間、優勝の喜びよりも決勝三塁打を放ったバットの手応えのほうに心を奪われていました。きっとこれを夢というのでしょう。……野球のすばらしさ。あのときみんな泣いたのは、その夢の中にいたからだと思います。当時の同輩杉山悟氏も今年一軍コーチとして招聘され、きょうここに参席していらっしゃいます。彼はシーズン百本塁打を期待されるほどの大器であり、私やほかのチームメイトと同様、まぎれもない野球きちがいでした。……高木くんに後を譲った昭和三十七年に、私は南海に移籍し、そこそこの仕事をし、五年後の四十二年にドラゴンズに復帰しましたが、衰え隠しがたく、その年を最後に引退いたしました。そして野球から離れた空しい三年間を送りました。ボール、バット、グローブ、グランドの土、それらに触れていない時間のなんと空しいことか。今年、中日ドラゴンズは雷神のごとき打撃王神無月郷選手を得て、二度目の優勝を果たしました。その記念すべき年に、私はこうして二軍内野コーチとして招かれました。光栄の至りと思うと同時に、中日ドラゴンズとの深いえにしを感じます。三十六歳、背番号67、後半生をドラゴンズに捧げる覚悟でございます。どうかよろしくお願いいたします」
拍手喝采になった。賓席の全員が目にハンカチを当てていた。井上登は彼らにとってなつかしい男なのだ。水原監督が、
「いつもそうなんですが、場が引き締まっているのは神無月くんがそこにいるからですよ。私の望みは場を緊張させている彼の言葉を聴いてほしいということだけです。何を言うかわからない。頓狂なことをいうかもしれない。しかし、彼のどんな言葉もきみたちの胸にズンとくる。彼のひとことはきみたちのあしたからの姿勢を決めます。すばらしい世界にやってきたことを実感するはずです。じゃ、金太郎さん、お願いするよ。何でもいいからしゃべってください」
水原監督の熱く深くやさしい視線が私を促した。私は立ち上がって言った。
「小山オーナー、江藤さん、菱川さん、谷沢さん、井上コーチ、みなさんのおっしゃったことがすべてで、真実です。言い尽くされました。ぼくなりの蛇足を申し上げます。すみません」
私はビールをグッと飲んだ。
「―タイミングが合わないことをしたせいで、好きなものに精力を注げなくなるような愚を冒さないということです。そうしなければならないとわかっていても、覚悟ができるまで人間は動き出せません。せっかくプロ野球選手になってもそうなんです。だれでも自分を変えようと努力をする気力は持っています。でも、自分のタイミングでしかその気力を発揮することができないんです。発揮しようとするとそれは〈無理〉になります。ただし、そのタイミングに出会ったら、時機を逸しないようにしてください。このドラゴンズには無理を強いる人はいません。だれも尻を叩きません。だからこそ、自分のタイミングに巡り会うことが難しくなります。決意のタイミングに巡り会うのには、厄介な条件があります。努力するのは自分のためなのか、人のためなのかと考える感覚です。その感覚が鈍いと、常に自分のためにだけ努力するようになります。自分のためなら、どうしても怠惰になる。どうせ挫折しても自分が苦しむだけだと油断するからです。人のためだとなると、挫折してはいけないと神経が張り詰めます。それが覚悟です。ぼくが〈人〉と言っているのは、単なる他人のことじゃありません。ドン底にいたときに命綱を投げてくれた人たちです。ぼくはつかみました。いままでの人生で最高の決断でした。……ぼくが宿命的なタイミングに巡り会ったのは、自分のために努力するのをやめた高校一年のときでした。愛する人のために、喜んでくれる人のために、好きな野球をして命を使おうと決意したんです。命を有効に使うためには、好きな野球に精力を注げるようにからだを鍛えることでした。故障をすれば野球を失う。故障しないような鍛練を心がけるようになりました。適度に走り、要所の筋肉や腱の力をつけ、スイングスピードを維持する。基本は、やろうと決意するタイミングに出会ったら、無理なくそれをやる、そしてやりつづけるということです。なんとか簡潔にしゃべることができました。あしたからシーズンの終わりまで、どうかいい友人でいてください。よろしくお願いします」
突風のような拍手が巻き上がった。水原監督がまたハンカチで目を拭いながら大きくうなずいていた。高木が、
「いちばん遅いタイミングでも、プロ入りのときだろう。あしたからだれもサボれなくなったぞ」
小川が、
「いいことしゃべってるのに、またさびしそうな顔をしてたぞ」
「まさか。顔を上げると、みんながいるというのがいいですね。居場所があると思わせてくれます。独りじゃないと思わせてくれます。感謝してます。ありがとうございます」
江藤が、
「こっちのゆうこったい。どう礼ばしたらよかかわからんばい。助けらるう一方で、いっかな金太郎さんば助けられんたい」
「もう助けてもらいました。江藤さんたちが思っている以上に。……いつまでも元気でいてください」
中が、
「乾杯だ。みんなに」
「カンパイ!」
グラスを打ち合わせる。江藤が、
「さあ、食うばい。ステーキと鮨ゆうんも悪か組合せでなかな」
戸板や渡辺ら新人投手たちが握手しに押し寄せてきた。木俣が、
「大事に握っとけよ。一年間の活力になるぞ」
去りぎわに戸板が津軽弁で、
「最後の握手のとぎ、プロにいったらきみを待ってるてへったのをおべでますか」
「もちろん。ずっと待ってたんだ」
「うれしいす。一生いっしょに野球やりてす」
まぶたを拭った。江藤が、
「だから、泣かすなって。早くめしば食え」
「はい」
本多コーチがマイクをテーブルに置いて、ギターを爪弾きながら『山のけむり』を唄いはじめた。原曲を唄った伊藤久男のように力のある声だった。心に響いた。
…………
幾とせ消えて 流れゆく
思い出の ああ 夢のひと筋
遠く 静かに 揺れている
「お、泣いた、泣いた、金太郎さんが泣いた」
隣のテーブルの小川が囃し立てた。