二十八
ピッチャー、佐藤進に交代。背番号29。大きな角面。百七十八センチ七十六キロ。新人から四年連続で十勝以上挙げた男だ。去年アトムズからきて肩痛で二軍暮らし、今年のキャンプで復活した。変化球ばかり投げるピッチャー。思い出したようにフォークを投げてくるので要注意。
三番江藤。すでに研究を終えたような悠然たる美しい構え。初球インコース低目のシュートを見逃し、ストライク。二球目、外角パワーカーブを叩いてライト線に落とすスタンディングダブル。二者生還。三対十一。ネクストバッターズサークルからバッターボックスに向かう。轟然たる喚声。
―神無月郷がバッターボックスに入る。その姿を三塁コーチャーズボックスから水原茂が見つめている。水原は本人や他人から聞いた神無月の幼少期の話を頭に整理した。神無月は周囲の人間をよく観ている。でも周囲からも彼がよく観える。彼の心には残酷な傷跡が残っている。だれからも必要とされていないと感じていた時代の致命的な傷跡だ。以来彼は自他の死にしつこく魅了されている。寺院や墓石に興味を惹かれている姿をよく見た。死んだ人びとの祀られている場所だ。いっしょに同じ時間を生きて死ねなかったことを残念に思うのだろう。初めて死に遭遇したのは十一、二歳のころで、ひどく惹きつけられたようだと江藤が言っていた。
初球外角低目ストレート、ワンバウンド。彼の野球は神の域だ。だれもが恐れる。
―島流しにされた話も幾度か自分で口にしている。そのせいか、大事な人に捨てられるという恐怖感を常に抱いているように私には見える。非倫理的な男女関係だということも口にした。女が十人いようが百人いようが、別段悩むことでもないのに、自分は社会的な失格者で、幸福になる資格はないと思っている。よほど細胞が清潔にできているのだろう。その思いは捨てないまま、有能な人間どもと野球をすることで神無月郷は自分を取り戻したのだ。幸福を取り戻したのではなく(そんなもの、もともとありはしなかったように思う)、自分に見合った有能者たちに囲まれた人生を確認したのだ。
二球目外角高目すっぽ抜け。新宅が飛びつく。
―以来彼は、自分の根底にある衝動をすべて野球に向けている。彼は偽物を嫌い、政治運動やイズムを嫌う。だれかの作った道を歩かざるを得ない諦念を好む。生老病死、輪廻という観念を好む。だから老若を顕別しない。彼らしい。野球を含めた彼の行動には暗いにおいがある。重すぎてふつうの人間は気楽に近づけない。行動の本質にある暗さ。それが神無月郷という人間に深い意味を与える。……金太郎さん、私はきみを尊敬しているよ。
三球目、内角高目ストレート、顔のあたり。外すつもりだろうが、そこはだめだ。右肘を高く引いてバットをボールの下へ食いこませる。高く舞い上がる。ライトスタンド中段に落ちるだろう。谷沢は追わない。長谷川コーチとタッチ。水原監督と握手。ひさしぶりに尻をポーン。
―私たちと出会い、金太郎さんは救われた。私たちがいなければ、彼は自分を取り戻せずに〈死に直し〉たかもしれない。居場所を確かめられなかっただろうから。彼の最初の仕事が三冠王。新しい人生の始まりだった。
仲間たちに揉みくちゃにされる。みんなで抱きつく。
―神無月郷と出会ってから彼の人生ついてよく考える。何を思い、何を感じ、なぜ私たちに関わるのか。どうでもいい。何かを思い、何かを感じ、なぜか関わってくれたおかげで私たちも救われたのだ。
三対十三。五番木俣。外角カーブにバットをガンとぶつける強烈なセカンドゴロ。省三が胸に当ててさばく。六番菱川。外角カーブをジャストミート、一直線のライトライナー。七番太田。外角低目に流れるスライダーを空振りして三振。
五回表。白組は水谷から伊藤久敏にピッチャー交代。四年目、二十五歳、百七十五センチ、七十二キロ、背番号16。駒大で新宅とバッテリーを組んでいた。去年明石公園で井手といっしょにいた彼とチラと話した。気弱な感じがした。水谷寿伸と並んで目立たない男。目が合えばかならず微笑み返すが、いつもひっそり陰に隠れた存在だ。コーチ連に〈好青年〉とか〈仏のキューちゃん〉と呼ばれている。いつだったかベンチでスコアラーの江崎という人が、キューちゃんは欲のないのが欠点だ、と言っていた。勝ち欲の意味だと思うが、野球をするのにそんなものは要らない。ただ野球がうまければいい。長い顔、痩せ型。ドラフトでは阪神が江夏か伊藤かで迷うほどの買われようだったらしい。武器は直球とカーブドロップ、それに無類のコントロールのよさ。速球ピッチャーだが、変化球もすべて投げる。昭和四十年代初めに大学野球界ナンバーワンの速球サウスポーと呼ばれていたと聞いたが、私の目にはそれほど球威があると思えない。去年も少しコースが甘くなると打たれていた。
スタンドで弁当を使う姿が目立ちはじめた。低い外野フェンスの金網からグランドを見つめる子供たちの服装が貧しげでなつかしい。レフトの守備位置から眺めやると、歓声を上げながら手を振ってくる。グローブを振り返す。
伊藤は伊熊、坪井、佐藤と、チャンチャンチャンと内野ゴロに切って取った。ただ、七番からの下位打線相手に自分の持てる球種をすべて使って打ち取るのは、ちょっとやりすぎじゃないかと思った。少なくとも、シンカーやフォークなど投げる必要がない。ベンチへ走り戻る。伊藤はブルペンへ走って吉沢相手にキャッチボールをする。菱川が私に、
「久敏がドラフト二位で入団したとき、一位は伊熊博一だったんですよ」
と教える。菱川もドラフト制度に疑問を抱いている一人だとわかった。ドラゴンズには昭和四十年のドラフト元年以前に入団した選手が圧倒的に多い。ドラフト以後の生え抜きでレギュラーや控えに登用されているのは、新宅、江島、若生、日野、西田、坪井、それから去年と今年の選手ぐらいだ。
五回裏。佐藤続投。八番一枝から。一球目、外角高目スライダー、空振り。これを見て佐藤は早くカウントを追いこもうと焦ったように見えた。一枝は低目に的を絞ったはずだから、もう一球高目に変化球を投げていれば打ち取れたはずだ。二球目、膝もとへシュートがきた。ハイ、いただき、となる。白球がすばらしい勢いで左中間スタンド前段に突き刺さった。
「技あり!」
高木が叫んだ。三対十四。紅組のピッチャーはもう川畑しか残っていない。七、八回をまかせるとしても、六回までは佐藤が投げつづけるしかない。
伊藤久敏がブルペンから走ってきてバットを持つ。高校時代は四番を打っていた男だと菱川が言う。ピッチャーで四番。よくあるパターンだけれども、プロではそんな選手は一人もいない。どちらかに絞らなければ大成しない。ただ、ときどきピッチャーが打撃の片鱗を示すことがある。伊藤がホームベースから離れて立っている。打つかもしれないと期待するのをやめた。伊藤は左投げ右打ちだ。内角シュートが左手に当たるのが怖い。腑甲斐なく立ちん棒の三球三振だった。それをきっかけに佐藤が徐々に調子を上げてきた。
一番中、真ん中高目の速球を打ち損ねてキャッチャーフライ。二番高木、真ん中高目のカーブを打ち損ねてサードフライ。
トンボが入り、内野までの白線が引き直される。
六回表、省三がバッターボックスに入る。マッちゃんの右手が挙がる。伊藤の初球、外角ストレート、速い! ストライク。省三はボックスを外してブンブンと素振り。兄とそっくりだ。二球目、同じコースへカーブを落とす。見定めて強振。セカンドライナー。惜しい!
二番千原。かえすがえすも去年の出場機会の激減が悔やまれる。江藤がレフトを守っていたころは、広野と競う一塁手だった。おととし広野が西鉄に移籍してからはメインになって、十四本のホームランを打った。江藤の一塁コンバートが彼の命運を決めた。それにしても七十試合近く起用されたのに、一割二分。打てなさすぎだ。初球を打ってセンターフライ。
三番江島。二割そこそこのバッター。チャンスに打てないということだ。ときどきホームランを打つといっても、チャンスと無縁のことが多い。オープン戦が終わるまでに存在をアピールしておかないと、谷沢が入団したいま、第二の中になるのは遠い夢になる。と思っていたところへ、真っ二つに折れたバットが三遊間へ飛んでいくのが見えた。打球が私目がけて伸びてくる。定位置のフライと見切った。
―え? ウソだろう。
頭上を越える勢いだ。百七十五センチ八十二キロの江島の怪力を思い出した。あわてて背走する。確実に越されるとわかった。クッションボールを捕る構えをとる。スッと最前列に刺さった。大喚声が上がる。江島が右手を突き上げて一塁ベースを回っている。プロ野球選手の実力を痛感する。谷沢にこのパワーはないが、江島よりも確実性がある。江島が生き残るには打撃の精度を増すしかない。
四対十三。バッターは四番谷沢。左対左。いまのところ彼に対しては肩口からのカーブが有効だ。速球は内角のきわどいコース以外はやられる。初球、肩口からのカーブ、空振り。二球目、真ん中へ落とすカーブ、空振り。あしたの特打は本決まりだ。三球目、膝もとのストレート、ボール。
―こら、浮気するな。痛い目を見るぞ。
四球目、真ん中から外へ流れるスライダー、当てた。痛烈なショートゴロ、一枝軽くさばいて一塁送球。スリーアウト。走り戻りながらネット裏を見る。つららが膝に手を置いて熱心に私を見つめている。
佐藤続投。先頭打者で出る江藤がバットを持ってベンチからグランドに上がる。からだを拭き、アンダーシャツを着替えてサッパリした小川が、
「慎ちゃん、まじめになったなあ。大洋の土井淳が言ってたことがあったよ。江藤がバッターボックスに入るとプーンと酒のにおいがしたって。ああ、ひさしぶりに肩が喜んでるぜ。ポカポカしてる」
小川は、二、三回投げたくらいでは肩を氷で冷やさない。高木が、
「去年からみんな変わったね。おととしまでは、キャンプのウォーミングアップのときもそこらじゅう酒のにおいだったからね」
爽やかなアナウンス。
「六回裏、白組の攻撃は、三番ファースト江藤」
歓声。三塁側ブルペンに川畑が出てウォーミングアップを始める。佐藤がこの回クリーンアップを抑えたら八回まで投げ切るかもしれない。
「失投なんか待ってられないぞ!」
「さ、慎ちゃん、そろそろ一発!」
平行スタンスをとっているので、本人もその気だとわかる。内、外、中、何であれ初球からいくつもりだ。佐藤もその気配を嗅ぎ取って、初球、二球目と、外、内へ大きく外した。
「敬遠ばすると?」
新宅に訊いている。新宅は反応しない。三球目、胸もとを抉る速球、豪快に空振り。尻餅はつかない。ヘッドスライディングと尻餅をやめ、江藤からスタンドプレイがすっかり削ぎ落とされた。強い連帯を感じる。四球目、外角へ落ちるフォーク、バックネットへチップファール。五球目、新宅が中腰で立ち上がる。真ん中かなり高目の速球、ボール。次はミエミエ。同じ高さからカーブを落とす。佐藤が六球目を投じたとたん、江藤はクローズドに踏み出し、落ちてくるカーブをひっぱたいた。右手は返さず押しこむだけ。彼独特の打法だ。打球はセンターへまっしぐらに飛んでいく。あっという間にスコアボードにぶち当たった。四対十四。
「紅組のピッチャー、佐藤に代わりまして川畑和人、ピッチャー川畑、背番号17」
目の吊った白い角面。叩いておく。初球、予想どおり速球で遠く外してきた。変化球で外してきたときが狙い目だ。二球目も直球。顔のあたり。首を引いてよける。スタンドがざわつく。新宅は荒っぽい男だと聞いている。私に怨みはないはずだ。
「コラー!」
本多コーチの声が三塁ベンチから飛んできたが、新宅は聞こえないふりをしている。川畑も帽子すら上げない。三球目、脇腹を目がけて速球。腹を引いても、前に出ても避けられない。当たりたくないので、真横にバットを払ってファールにする。打球が一塁スタンドを越えていった。ざわめきが大きくなる。新宅が、
「すまん、コントロール悪くてな」
川畑も帽子を取った。両ベンチが恐怖と疑心暗鬼で静まり返る。水原監督がタイムをとって、コーチャーズボックスからゆっくり歩いてくる。主審の松橋に、
「危険球じゃないんだね」
「はい、頭を狙っていませんので」
「わかった。新宅くん」
「はい」
「きみが要求したとおりだった?」
眉の太いオヤジ面が唇を引き結ぶ。
「内角高目を要求したボールが外れました。すみません」
「だれにも謝らなくていい。配球のアクシデントは仕方のないことだ。ただ、自軍も敵軍も故意に頭だけは狙わないように」
「もちろんです」
水原監督は小走りにコーチャーズボックスへ戻っていった。松橋の右手が挙がり、プレイ再開。ざわめきが回復する。やがて歓声に変わる。四球目、外角、ベースの外側へフォークボールがバウンドする。体のいい敬遠。連発するフラッシュ。こんなピッチャーは私に潰されなくても、自然淘汰される。木俣、右中間へ軽々とホームラン、菱川左中間へ軽々とホームラン、太田レフト上段へ弾丸ライナーのホームラン。四対十九。ノーアウト。
「川端に代わりまして、ピッチャー小野、背番号18」
登板予定のなかった小野が助っ人で敗戦処理に出てきた。六、七、八回、打者九人に対して、三振四、内野ゴロ三、外野フライ二でみごとに締めくくった。私はセンターフェンス手前の大フライだった。一方、白組最後のピッチャー戸板は、七、八、九回、打者十一人に対して三振六、内野ゴロ二、外角フライ一、安打一(谷沢のライト前ヒット)、フォアボール一の完璧に近いピッチングだった。観客は打撃戦と投手戦の二つを観ることができて大満足の様子で家路についた。ネット裏にすでにつららの姿はなかった。
二十九
試合後、監督コーチ連が引き揚げたロッカールームに太眉の新宅と四角い能面の川畑が謝罪にきた。江藤が、
「おまえら、何やったかわかっとるね。デッドボールよりも悪かことしたてわかっとるね」
二人はうつむいて黙っている。
「金太郎さんば悲しませたことばい。金太郎さんは何も言わんけん、ワシが金太郎さんの代弁ばしちゃる。よう聞けや。金太郎さんは嫉まれることや嫌われることには慣れとる。屁とも思っとらん。ばってん、心の拠りどころと思っとる相手からそうされると、つくづく悲しうなるんぞ。中日ドラゴンズは金太郎さんの最後の心の拠りどころばい。顔にボールがきたとき、金太郎さんは驚いた顔ばした。腹にボールがきたとき悲しい顔ばした。金太郎さんの悲しい顔ば見てワシらも悲しい気持ちになったけん、おまえらを袋叩きにするのをやめたんぞ。金太郎さんはおまえらの強い味方やなかね。敵でなかぞ」
「すみません!」
新宅が私に向かって深く頭を下げた。中が、
「うちはむかしから血の気の多いチームということで有名なんだよ。濃人時代の柿本しかり、去年の浜野しかり、そして新宅、おまえだ。よく言えば闘志剥き出し、悪く言えば喧嘩っ早い。その好戦的な気質も敵チームに向けている分にはまだうなずける。おまえみたいな斬りこみ隊長がいなければ収拾のつかないこともある。敵とは仲よくしないというおまえのプレイスタイルも理解してるよ。しかし紅白戦という状況を考えろ。便宜的に敵味方に分かれているだけで、どちらも自軍だぞ。にっくき敵じゃない。ボールぶつけてどうするんだ。川畑のコントロールが悪くてすみませんだと? この川畑は、コントロールのいいことで有名なピッチャーだぞ。二球つづけてあんなところに投げるか?」
めずらしくするどい語調で言う。
「まことに申しわけありませんでした!」
「どうしても打たれたくなかったんだろ」
「はい、逃げのリードをするのも気が進まなかったし、金太郎さんならよけてくれるだろうと思って」
「よけるどころか、ボールをハエみたいに払う技術があるんだから、そんな甘えも出るだろうさ。しかし頭部は別問題だ。よけるのがひどく難しい。当たったら命に関わる」
川畑が、
「私に度胸がなくて、堂々と勝負できなかったことが原因です。神無月さん、すみませんでした。許してください」
「気にしないで。二人の心根はわかりました。打たれたくないという気持ちだっただけだと知って、ホッとしました」
小川が、
「俺もけっこうぶつけるほうだけど、頭は狙わない。血の気が多いという汚名はそそぐほど悪いものではないと思う。でも、野球選手として最低限の倫理は守らないとな」
「はい―」
木俣が、
「板ちゃんは、最初は金太郎さんを憎いと思ってた。寄ってくるファンを蠅捕り紙にくっつく蠅だと板ちゃんが言ったことが原因で金太郎さんと激しい口論になって、蠅のように潰してやろうかと怒鳴られたこともあった。あのときの金太郎さんは鬼に見えた」
一枝が、
「俺だって嫉妬があったよ。ひと月もしないうちに、板ちゃんも俺もコロリと変わった。金太郎さんの人間レベルでないやさしさと正義心に打たれてな。……浜野はそれを甘っちょろい書生っぽだと罵って、最後まで金太郎さんを憎んでた。とうとう監督にまで悪態をついて出ていった。その結果があのざまだ。結局やつの勝ち星は金太郎さんにいただいたものだけだろう」
高木が、
「ちっちゃな脳味噌じゃ金太郎さんを理解できん。憎んで、嫉妬して、引き摺り下ろすことばかり考えて、金太郎さんに自分が引き上げてもらってることに気づかないんだな。新宅たちがそういうくだらない気持ちで危ない球を投げたわけじゃないとわかって、めでたしめでたしだよ」
秀孝が、
「ぼくも土屋さんも、去年一軍に上がれたのは神無月さんがこっそりフロントに口添えしてくれたおかげです。そこからは自分の努力でどうにかなるというのが理想なんでしょうが、能天気なぼくは夢中で努力できましたけど、びくびくしている人はなかなか努力なんかできないもので、結局土屋さんには神無月さんのアドバイスが努力の特効薬になりました。失敗したくないという気持ちは自分をよく見せようという気持ちだからガムシャラになれない、失敗してしまえというわが身を捨てた気持ちになることでガムシャラになれる、神無月さんはそう言いたくて〈打たれてしまえ〉って土屋さんを励ましたんです。神無月さんの心にいつもあるのは、わが身をかわいがるな、夢中になれってことです。失敗したら責任をとって夢から去ればいい。土屋さんは去年一年間、その気持ちで投げました。ぼくは一軍に上げてもらっただけでうれしくて、神無月さんに感謝しながらますます夢中で投げました」
菱川が、
「夢から去ったら現実の中で生きればいいだけだからな。どちらもガムシャラに生きていることには変わりない」
太田が、
「神無月さんに何か悪さするやつは罰当たりですよ」
二十六歳の新宅が二十歳の私の手を握ってきた。握り返した。江藤が、
「ほかのチームが悪さしたら、おまえ、斬りこんでいかにゃいけんぞ。そのえずか顔をしっかり利用せんば」
「わかってます」
新宅といっしょにまた川畑が深く頭を下げた。小川が新宅に、
「早いうちに川畑と二人で監督のところへいって、金太郎さんに謝罪したことを報告したほうがいい。俺たち以上に金太郎さんを命だと思ってる人だからな。へたなことすると飛ばされるぜ」
「そうします」
みんなでゾロゾロと球場を出た。
†
シャワーを浴び、帽子の全体を洗って干す。ビニール袋に詰めたユニフォーム一式と汚れ物投げこんだ段ボール箱を持って、ロビーに降りる。洗濯の上がったユニフォームを受け取る。仲間たちがめいめい正装して夜の街へ出ていく。一党を引き連れた江藤が、
「ワシらは外でめしば食うけん、金太郎さんはゆっくりしちょれ。あしたのランニングは中止にすると?」
「いえ、十時から走ります。それから百江とゆっくり散歩します」
「わかった。明石駅には見送りにいくけんな」
「ありがとうございます。夕方には送り返そうと思ってます」
「わかった」
男たちが手を振って玄関から出ていった。安心したように眉を下げた新宅も混じっていた。フロントでパンフレットをもらい、中がよくやるように土地の歴史を予習する。
メールで海老フライと牛肉コロッケの定食を食う。部屋に戻って窓から明石公園を見下ろしていると、電話が入った。
「百江です。703号室にいます。二時に着いて、紅白戦を観て、二階のレストランでおいしいカレーを食べ、さっきお風呂にも入りました。下着、脱いでおきましょうか」
「うん、すぐしよう」
「はい」
駆けつけ、口で小波を与えてから、正常位で大波、裏に返して大波、親しんだそのリズムに合わせて心置きなく吐き出した。いっしょに湯船に浸かる。
「ごちそうさまでした。からだの隅々まで晴れ上がりました」
「外野席で観たの?」
「いえ、ネット裏の席がちゃんととれました。佐藤というピッチャーからライトへホームラン、川畑というピッチャーから危ないフォアボール、小野さんから大きなセンターフライでしたね。相変わらず美しいユニフォーム姿、ドキドキしました」
「みんな元気?」
「お元気ですよ。お嬢さんも奥さまも睦子さんたちも、何も変わりありません。変わったことと言えば、直ちゃんの耳かすを取りに日赤にいったくらいです。大きなのが取れたそうです。カンナちゃんは活発に動くようになって、お座りもじょうずになりました。下二本、上二本、歯が生えてきて、表情も豊かになりました」
「離乳食は?」
「舌でつぶせる豆腐くらいの硬さのごはん、ニンジンやホウレンソウもバナナより柔かいくらいで、柔かく煮た果物、肉、豆腐、卵、白身魚、まんべんなく食べます。もぐもぐ食べます。それから、映画館の基礎工事は来月半ばに終わる予定です。あ、そうそう、山口さんの名古屋公演はひと月早まって、三月十四日土曜日、五日日曜日の二日間と決まりました。鶴舞公園の名古屋市公会堂一階ホールです」
「そこ、日程空いてる?」
「十四日がヤクルトとのオープン戦で、一時から。十五日、十六日とお休みです。十八日は西鉄とのオープン戦なので、十七日の午後には飛行機に乗ることになります」
「十四日の終演にいこう」
「六時からです。十時から、二時から、六時からの三回です。六時からの前売りを菅野さんに頼んでおきます」
「素子の料理学校入学も定時制受験組も順調と」
「はい、キッコちゃんも受験票待ちです。アイリスもアヤメも順調です」
「菅野さん、忙しくしてるでしょう」
「秋のマツダの新型車のコマーシャルの打診があったくらいです。マスコミ関係の取材や、写真集、テレビ出演の話はすべてお断りしてるようです」
「夜の散歩をしよう」
七・四度。そろそろ冷えこみはじめる時間帯だ。ブレザーを着る。百江は花柄のブラジャーとパンティをつけ、濃い肌色のストッキングを穿き、シュミーズの上からブルーのウールのワンピースを着ると、黒のカシミヤの厚手のオーバーをはおった。
「ぜんぶお嬢さんと素子さんのお見立てです。下着も」
「すごくきれいだよ。うれしいな」
眼鏡をかける。裏口から出て、国道2号線を渡り、魚の棚商店街へ向かう。去年太田と魚の棚から帰ってきた道だ。
「裏通りみたいな道を通ってきましたけど、こちらのほうが公園側より繁華ですね」
「ロータリーも広いし、線路の南側のほうが表玄関だね。神戸や大阪のベッドタウンと言われてる。いまからいく商店街は、地元ではウォンタナって言うんだ。明石城と同時にできたので三百五十年の歴史があるようだ」
さっそくパンフレットの知識を開陳する。商店街の外れに出る。
「表口は逆のところにある。さっき渡った国道2号線に並行して走ってるアーケード商店街だ。全長三百五十メートル。商店街に入らずにこのまま真っすぐ進むと明石港に出る」
アーケードの下へ踏みこむ。いったん入口までずっといき、戻ってしばらく歩く。昭和二十七年創業・元祖の味という看板が目に入る。『よこ井』と書いてある。
「ほんものの明石焼を食おう」
「はい」
店に入る。眼鏡と百江の存在がカモフラージュになっていて、だれにも気づかれない。 二人前注文する。
「たこ焼きに似てるけど、小麦粉じゃなく卵なんだ」
板に八個載って出てくる。百江は添えられた小鉢に入ったダシを指先につけて舐めた。
「冷たいわ。薄い昆布ダシですね」
女店員が、
「薬味の三つ葉を入れ、ダシに漬けて一口でお食べください。そのままでもおいしいですよ」
フワリとした食感。口の中で全体が溶け、卵とダシの風味が滲み出る。
「おいしい!」
「うん、うまい。タコもいい」
茶を飲み、百江が支払いをして、出る。少し入口のほうへ戻って『三ツ星蒲鉾』の出店の前で立ち止まる。明石だこの干物が並べてある。百江はたこ蒲鉾を三つ買った。商店街の出口のほうへ歩き切り、角の『ピッコロ』という喫茶店に入る。間口の狭い、かなり古い店。客は近所のおばちゃん三人。自宅でくつろいでいる雰囲気だ。メニューはない。かなり齢のいったママさん。階段口から孫らしき幼女がときどき覗きこむ。
「ホット二つ」
ハムサンド、目玉焼き、サラダの三種類を注文。ハムサンドは辛子が効いていてうまかった。目玉焼きは気味がトロリとして箸で食うのは難儀だった。サラダはドレッシングが絶妙だった。ここも百江が払い、出る。
「だいじょうぶ?」
「女将さんからお金を渡されてますから」
「変わった夕食だったけど、これでいいね」
「はい、じゅうぶんです」
「夕方から食べつづけだったから満腹だ。さ、ホテルへ帰ってゆっくりしよう。たまに二人で寝そべってテレビを観るのもいいね」
「たまにじゃなく、初めてです」
「そうだった」
裏口から入り、エレベーターで六階に昇る。603号室に入り、テレビを点ける。ジャージのままベッドに横たわる。百江はシュミーズ姿になり、並んで横たわる。花柄の下着が透けている。暖房が効いているので寒くない。八時。NHKは大河ドラマ樅ノ木は残った、その他の局はプロフェッショナル、壮烈!第七騎兵隊、緋剣流れ星お蘭、姿三四郎。
―姿三四郎?
決戦の日というサブタイトルが出る。
「オリンピックの年の忘れられないドラマだ。主演は倉丘伸太郎と宇治みさ子だった」
牛巻病院と寺田康男と滝澤節子の話をする。
「……深すぎる傷なので、なかなかカサブタにもなりませんね」
そう言って私のジャージの胸に手を置く。
「姿三四郎というのは、私が二十三、四のころにベストセラーになった小説です。すぐ黒澤が映画にしました。観にいきました」
「藤田進が主演だったね。宿敵檜垣源之助は月形龍之介」
「共演は轟夕起子。きれいでした」
「昭和三十九年のテレビドラマは、主題歌を美空ひばりが唄ってるんだ」
「はい、柔ですね。レコード大賞を獲りました」
テレビの姿三四郎に目を移すと、竹脇無我が映っている。新藤恵美と朝丘雪路。どこか軽い。緋剣流れ星お蘭に切り替える。女スリと女剣士が悪人退治しながら旅する道中記。大信田礼子と花園ひろみ。こちらのほうがおもしろそうだ。と思いながら、画面に集中できない。まだ九時前だ。
三十
花柄のパンティに手を伸ばす。
「あ、したくなります」
「しよう」
私は全裸になった。百江も全裸になる。相変わらず異様に白いからだ、淡い陰毛。酒井飯場の宮本さんの奥さん……。胸を念入りに吸う。性器の細部はふつうの形と大きさと色をしていることが大いなる安心のもとになる。人間、平均がすばらしい。つららも交接した感じが平均的なものだった。安心だ。
十数分の念入りな交接になる。念入りになるときは、カズちゃんとの初期の交接を復習する気分で行う。女はグロッギーになる。カズちゃんもいまならそうなるだろう。
「もう降参、こ、これでおしまい、イグウウ!」
私の射精と同時に百江の胸の谷間と両脚の付け根にドッと脂汗が噴き出す。
「愛してます、愛してます」
固く私を抱き締める。こめた力に未練がなくなるまで抱き締める。やがて百江は股間にティシュを挟み、私のものを口で清めると、ベッドを下りて、ホテルが用意したテレビ番組表を調べてチャンネルを切り替えた。日曜洋画劇場。
「さあ、映画でも観ながらウトウトしましょう」
私の横に滑りこんで二人の枕を高くする。昭和三十七年の荒野の三軍曹。初めて聞く題名だ。オープニング曲。聞いたことがある。単純で、コミカルで、歯笛を吹きたくなるような曲。シナトラとディーン・マーチンが出ているのでしばらくがまんして観ていたが、ほんとうに眠くなってきたのでテレビを消しにいく。ベッドに戻ると、百江はもう寝ていた。
―振り返ると、謎めいた女だ。二十一で初子を産むまでの人生がまったくわからない。両親のこと、幼年期、少女期、学校のこと……。その類の寝物語もしたことがない。ほかの女の過去はみんな知っているのに、百江だけは知らない。私が知ろうとしなかったからだ。過去がどうであれ、彼女は自由で情熱的な女になった。その彼女と、彼女の自己実現と深く関わりたい。不健全な欲望だと思うけれども、切実な欲望だ。ぼく自身が生きられなかった人生を彼女の肉体を通じて体験しているからだ。立ち去るべきだけれども、立ち去れない。いき着く果てを体験したい。それから……わからない。
†
寝すぎるくらい寝て、七時過ぎに目覚めた。百江はとっくに起き出して、トイレとシャワーをすませていた。花柄の下着を純白のものに穿き替えている。そそられた。呼び寄せて、下着を剥ぎ取り、一交。百江はじゅうぶん堪能したが、私は射精してもほとんど液が出ない。
「空になったみたいだ」
「無理もありませんよ。女をこんなにつづけてかわいがったら、貯まる暇がありません」
二人で笑い合う。陰部を清めるためにだけ百江はシャワーを使う。私も起きて、歯を磨き、排便し、シャワーを使った。全身にシャワーを浴びて頭髪を洗うのはランニングのあとだ。カーテンの外は快晴。公園の緑と第一球場がくっきり見える。
「腹へったねえ」
「ほんと」
「みんなの中へ出ていくの、恥ずかしくない?」
「恥ずかしいです。いつも」
「じゃ、弁当買ってくるからいっしょに食べよう。待ってて」
メールの入口脇のショーケースカウンターにいき、ベンチで何日か一人で食った豪華な弁当を二つ買う。まだ八時にならないので、見知った顔は一つもない。親鳥のように弁当を部屋に持ち帰り、いっしょにモーニングショーを観ながらのんびり食う。芸能人がしゃべり、唄い、頭を低くされる。芸能人に支配される世の中。政治も経済もみな彼らに支配されている。芸能人というのはいったい何者なのか。
「じゃ、いってくるよ。コーヒーでも飲みながら待ってて。帰ってきたらシャワーを浴びて、少し高台のほうを散歩する。太田がいっしょにいくからね」
「はい」
電話が入る。法子からだ。明るい声で、きのう酔族館が開店だったと言う。
「おめでとう!」
「ありがとう。七十人もお客さんが入りました。エブリシング、メイ子さんや松葉会さんのおかげです」
「よかったね! 花輪、届いた?」
「はい、ありがとうございました。水原監督とドラゴンズ一同の花輪も届きました。神宮商店街からも十個以上。道を通る人たちがビックリして見てました。一週間ほど飾っておくつもりです」
「ホステスさんは問題ない?」
「みんなまじめな人たちばかりで大助かり。開店前、二日かけてメイ子さんと能勢さんがしっかりミーティングしてくれたおかげです。おねえさんが根性出して仕切ってくれてます。これでお母さんとヨシエさんは、安心してノラの仕事に打ちこめるでしょう。もとのお店をつぶさなくてよかったわ」
「牧原さんは元気でいる?」
「五、六人で開店早々飲みにきてくれました。約束どおりミカジメはいらないっておっしゃって」
「ほんとによかったね」
「寺田執行さんのツテで、水金の週二でカルテットのジャズバンドまで雇っていただいて、素人ですけどいろいろ弾けるかたたちなので、ポップスも歌謡曲もだいじょうぶです。ひと月ふた月に一度くらいプロの歌手も呼んでやるとおっしゃって。四月の五日にはフランク永井さんがくるんです。日曜日です。出演料は松葉会さんが払ってくださるって」
「ほんとによかった。すばらしい船出だ。オープン戦が三月二十九日に終わるから、四月五日に北村席一家で飲みにいくよ」
「わ、うれしい。楽しみに待ってます」
十時。きのうと同じコースを同じメンバーでランニング。三・九度。息が白い。大観小学校の校庭で赤帽の子供たちが整然と体操をしている。笛の音が聞こえる。堀川よりも澄んだ川が海に向かって流れていく。小川が、
「今年の阪急は山田がいいらしいぞ」
高木が、
「恐ろしく球の速いアンダースローらしいな」
「来週会えますかね」
私が訊くと菱川が、
「腰が治ったばかりだから、冬場は大事をとるでしょうね」
江藤が、
「攻走守三拍子揃ったチビがおるげな」
太田が、
「松下電器からきた福本ですね。めちゃくちゃ足が速いです。おととし都市対抗で見ましたけど、ふくら脛の太さが尋常じゃないです」
「あいつはバッティングもよかぞ。打球がスライスせん。バチーンと当ててる証拠たい。金太郎さん、タコに説明してやらんば」
「人に説明するというより、自分でいつも心がけてることです。バットのヘッドが下がって、叩きが弱いときにスライスするので、ボールをしっかり叩き、力強くスイングするようにしてます」
谷沢が、
「ラインぎわのボールがフックしてポール直撃をよく見ました。神無月さんのスイングは背骨を真っすぐ中心にして両肩が水平に回ってます。だからインハイをあれだけ一直線に遠くへ飛ばせるんです。キャンプで最初に見たとき、それがキーポイントだってすぐわかりました。飛ばそうと利き肩を下げて振ると、気持ちは飛んだように感じるけど、実際は飛んでないんですよね」
「タコ、聞いたと」
「はい、しかと」
一枝が、
「背骨真っすぐ、肩水平。正しい筋肉つけて、正しいフォーム。それを心がければ俺みたいな非力なバッターでもでかい打球を飛ばせるよ」
堤防のせいでわずかしか見えない入江を眺めてから折り返す。
†
七階へ戻り、シャワー。洗髪。百江の外出の用意ができている。
「ロビーで待ってて。すぐいくから」
「はい」
五階の太田に声をかけがてら四階へいったん帰り、新しいワイシャツと着慣れたブレザーに着替える。形ばかりにナショナル髭剃りをあてる。廊下で江藤と木俣に遇う。
「昼めしですか」
「おう、百江さんの見送りのときは声ばかけちくれ。土産買っとくけん」
「お心遣い、ありがとうございます。五時過ぎに乗せれば、八時には名古屋に着きます」
二人は二階のメールへ去った。ロビーに降りると、太田と百江が秀孝や菱川とソファで歓談していた。
「さ、いきましょう」
秀孝が、
「ぼくたちもごいっしょしていいですか」
「もちろん。のんびり二時間かけるつもりで歩きましょう。来年も明石キャンプだろうから、ある程度は詳しくなっていたほうがいいですね」
ホテルを出て濠端を進み、明石公園に入る。左に第一球場を眺め、正面に二双の櫓を見上げながら直進する。ひぐらし池と兜日時計を過ぎて右折。緑の中の小径を東へ進む。犬を連れている人が多い。百江は緑を満喫している。短い階段を登り、大きな建物の裏手に出る。公園の東沿いの道を北上した坂上のあたりだった。水原監督に教えられて走り、迷いこんだ道だ。明石市街や明石海峡が一望できた。建設工事中のクレーンがまったく見当たらないのを新鮮に感じる。
「この大きな建物は明石市文化博物館。明石原人の腰骨が展示されてます。去年きました。ほかに何もないので入る必要はないでしょう」
しばらく進んで坂下の幹線道路との合流点に出る。
「あ、何か木杭の標柱がある。あの小さな階段から散策路に入れそうだな」
百江が、
「ほんとですか」
「長年の散歩者の勘。登ろう」
登り切るとすぐに、上の丸弥生公園という小さな空間があった。標札に、この公園の周辺で弥生時代の土器や貝殻や動物の骨が出土した、と書いてある。その文字を見つめる百江の清楚な姿に三人の男が見入っている。太田が、
「去年も思ったんだけど、百江さん、ほんとに五十歳ですよね」
「はい」
「どう見ても三十半ば。それ以上には見えない」
「ありがとうございます」
菱川が、
「北村席はバケモノばかりなんだよ」
百江が、
「はい、バケたんです」
大笑いになる。弥生公園を東へ進むと、明石神社の鳥居があった。境内の小屋の内に展示されている〈とき打ち太鼓〉を窓の外から見、さらに進んで日蓮宗大聖寺を過ぎ、坂を下り、上の丸教会の前に出る。建物の正面、鐘楼の切妻屋根の下に壁面日時計がついている。初めて見た。菱川が、
「やっぱり散歩道でしたね」
緑に包まれた住宅地をさらにくだっていって、日蓮宗本松寺に出る。百江が、
「慶長元年ですか。古いですね」
太田が、
「入ってみましょう。神無月さん、こういうの大好きだから」
参道の奥に瓢箪型の浅い枯れ池。宮本武蔵作と標札にある。築山(つきやま)と亀の形をした岩組み。これが売りのようだが、何が何やら意味不明。ほかに見どころもなく、浄財箱を無視して門を出る。
「この寺にはジャイアント馬場の墓があるそうだけど、見なくていいね」
「いいです!」
道をくだっていく。市街地へくだり切らずに左折。分岐路に出たら緑濃い細道を選んで進む。ゆるやかな勾配を上り下(お)りする。人麻山月照寺の石柱に出る。細くて急な石段を登る気にならない。百江が登り出したので私たちも後につづく。くねくねと長い階段だ。白壁と木立に挟まれた平坦路になる。とつぜん左手に鐘楼、その奥に曹洞宗人麻山月照寺の本堂。通り過ぎて数歩いくと、右手に水平日時計、左手に柿本神社の山門と参道。
「これ、こないだきた柿本神社の遊歩道だな」
「そうですね」
みんなでうなずく。
「おお!」
喚声が上がる。日時計の間近に塔がそびえていたのだ。私は、
「天文科学館ですね。あの塔の下にプラネタリウム館があります。あそこにも去年いきました」
秀孝が、
「神無月さんは何もしてないように見えて、たえず動き回ってるんだなあ」
「サメです」