四

「弾丸(たま)よりも速く」 
「力は機関車よりも強く」
「高いビルも、ひとっ飛び」
「あっ、鳥だ」
「飛行機だ」
「いや、スーパーマンだ!」         
 そんなことを言い合いながら、ひろゆきちゃんが弟といっしょに、ピカピカの自転車を乗り回している。弟の自転車は少し古ぼけていた。さぶちゃんの話では、ひろゆきちゃんのその新しい自転車は『少年』の懸賞で当たったものだという。二十四インチの魅惑的な車体が目の前をさっそうと通り過ぎていくとき、ひろゆきちゃんの襟足の白いのがやけに目立った。
 それ以来、逆回りに回転するような車輪のまぶしいイメージが目にちらつくようになった。ひろゆきちゃんは、もう一台自転車を持っている。京子ちゃんといっしょに物置に忍びこんだとき、その自転車は暗がりの中でどっしり輝いていた。
 ひろゆきちゃんは自分の持ち物をかならず宝物と言って人に見せるけれど、ぜったい貸してくれない。漫画雑誌も、持ち出し禁止だ。ほかの子が持っていないものは何でも、自分の権威を誇示する資本のようなもので、失くさないようにしっかり守っていなければならないのだ。
 きょうもひろゆきちゃんといっしょに下校し、時分どきまでトランプをして遊んだ。食事の誘いをいつものように断りながら、
「自転車、貸してくれない?」
 と遠慮した声で言った。ひろゆきちゃんは黙ってうつむいた。
「古いやつでいいから」
「でも、キョウちゃんは、自転車に乗れないじゃん」
「練習すれば乗れるようになるよ」
「転んだら、傷がついちゃうじゃん」
「転びそうになったら、ちゃんと地面に足をつけて止まるから」
「そんなことできっこないよ」
「じゃ、ごはんのあとで、いっしょに練習の手伝いしてくれる?」
「ごはんのあとは、勉強しなくちゃいけないんだ」
「……そう、じゃいいや」
 玄関から大きな門の外へ出ると、空が濃い夕焼けに染まっている。《元尾》という表札の掛かった門柱に凭れ、ハコベが足もとに三、四本わびしそうに咲いているのを眺めながら、しばらくもの思いに沈んだ。ふと閃くものがあって、心臓が躍った。
  
 ―黙って借りて、ちゃんと戻しておけばいいんだ。
 もう一度門の中へ戻り、オレンジ色の庭を透かし見た。足早に物置へ近づいていく。モクレンの大木が庭の隅に立っていて、舌のような白い花の群れがトタン屋根にかぶさっている。振り返り、人気のないのを確かめると、物置の戸を引いた。埃っぽい闇の中に二台の自転車が行儀よく並んでいる。私は新しいほうの自転車に手をかけた。
 丘の稜線が、だいだい色の水で洗ったように鮮やかに浮かび上がっている。坂道を見下ろす幅の広い土手を、片足でケンケンをしながら門から遠ざかっていく。自転車と私の長い影がくっきり道の上に落ちている。ハンドルを握りしめ、倒れないようにサドルに肘をあずける。からだが地面を蹴って離れるたびに、足もとに黄色い埃がパッと立って、何とも言えない幸福感に包まれる。笑いを抑えながら、ペダルに足が乗っている時間を長くしていった。心の隅に残っていた後ろめたい感じが薄れていく。
 ―片足をすっかり上げたら、ぜったい転んじゃうな。
 ひろゆきちゃんより背のない私には、サドルの位置は途方もなく高く見える。ふと素敵な考えが浮かび、私は微笑んだ。
 ―女乗りをすればいいんだ。
 私は勢いをつけ、ぐんと地面を蹴って踏ん張り、片足を素早く三角バーの内側へ畳んで入れた。そのとたんに夕焼けが反転し、強い力でぐいっと地面に吸い寄せられた。自転車の下敷きになるのを避けようとして、ハンドルを向こう側へ突きながら飛び離れた。背中からもんどりうって倒れ、自転車がゆっくり崖の向こうに消えていくのが見えた。あわてて起き上がり、土手の端まで走っていって見下ろすと、自転車がいびつに弾みながら草の上を転がっていくところだった。最後に土手の裾で大きくバウンドして、固い坂道に叩きつけられた。
 ―やっちゃった!
 自転車はなおも砂利の坂道をこすりながら滑っていって、崖沿いの草むらに前輪を突っこむ格好でようやく止まった。私はしばらくその姿を見下ろしていた。遠目に無事に見えた。
 ―何でもありませんように!
 私は草にしがみつく格好で斜面を下りていった。坂道にたどり着き、草むらの自転車に近づいて目を凝らした。絶望が押し寄せてきた。ハンドルはあらぬほうへ捻じ曲がり、ライトも割れてつぶれ、後輪のスポークは何本か外れて突き立っていた。自分を責めるより先に、私はこの場をしのぐ方法を考えはじめた。胸がざわめくように苦しいばかりで、何一つ名案が浮かんでこない。
『……どうせ懸賞で当たった自転車じゃないか。ひろゆきちゃんには、もう一台自転車があるんだ』
 草の斜面に寝ている自転車を抱き起こそうとすると、後輪がいびつにノロノロ回って止まった。私は自転車をもう一度草の中へ突き倒し、弁償なんかできっこない、という考えを反芻しながら、すっかり暮れてしまった坂道を登っていった。
 明るい飯場の食堂で、社員や土工たちが食事を兼ねた酒盛りにとりかかろうとしていた。流し台に曲がりこんでいる母の華奢な首が見える。そそくさと食堂を通り抜けようとすると、
「ご飯だよ」
 母が背中に声をかけた。
「うん、少年探偵団、聞いてから」
 男たちのにぎやかな声を聞きながら、畳に丸くなり、耳をこすりつけるようにしてラジオを聴いた。頭の芯がぼんやりして、ストーリーが何も入ってこない。草に横たわってひっそり息をしている自転車の姿が何度も浮かんだ。母が部屋を覗いた。
「早くご飯食べちゃいなさい。おじさんたちに迷惑でしょ」 
「ひろゆきちゃんちでお菓子食べたから」
「いやしいことしちゃだめだって、いつも言ってるでしょ。……どうしたの、背中どろんこだよ」
「みんなで、崖を滑ったんだ」
「だめだよ、そんな危ない遊びしたら」
「うん」
 母は框で短い一服をつけていった。
「眠くなる前に、ちゃんと蒲団敷きなさいよ」
         †
 翌朝、かなり早い時間に母に手荒く揺り起こされたとき、私はしっかりと悪い予感を抱きながら目覚めた。母に手を引かれ、パンツのまま玄関まで連れていかれた。ひろゆきちゃん親子が立っている。寝惚けまなこをこする振りをしながら、大小一対の姿を見つめた。大は小を守るように、小は大にすがりついて立っていた。母が申し訳なさそうに、二人に向かって何度もお辞儀をする。
「泥棒じゃん」
 私は真っすぐひろゆきちゃんを見返した。
「言ってくだされば、いつでもお貸ししましたのに」
 ひろゆきちゃんの母親がいかにもとりすました顔で言った。
「ハンドルもペダルも曲がっちゃったんだ。もう乗れないよ。サイテイじゃん」
 言いつのるひろゆきちゃんを、私はさらに強い眼で睨みつけた。
「どうして、ぼくがやったってわかるのさ」
 だしぬけに母の平手が飛んだ。頬が痺れたようになった。
「京子ちゃんが見てたんだ。とぼけたってだめだからね」
「ほんとに、ひとこと言ってくださればねェ」
「なんだい。ちゃんと頼んだのに、貸してくれなかったじゃないか」
 理不尽さに対する何か奇妙な怒りのせいで、耳がガンガン鳴り出し、そのまま泣きたいような気持ちになった。
「いいかげんにしなさい!」
 もう一度、頬が張られた。涙があふれ出た。早朝の景色が、薄い膜を透かしてぼんやりかすんだ。母がぺこぺこ何度もからだを折っている。
「ほんとうなら新しい自転車を買ってお詫びするところでしょうけど、なんせこんな暮らしをしておりますもので。せめて、その……修理代だけでも」
 悶着の気配を聞きつけて、社員や人夫たちが食堂裏の寮棟から起き出してきた。玄関のほうまでやってくる者もいる。所長まで出てきた。ひろゆきちゃん親子は彼らの姿を見て、ひるんだように後ずさりした。
「いえ、もう、ほんとによろしいんですのよ。反省さえしていただければ。ひろゆきにも、日ごろいたらない点があったと思いますから」
「神無月さん、何かあったのかい」
 土工の一人が大声で訊いた。
「郷がたいへんな悪さをしまして。お友だちの自転車を壊しちゃったんですよ」
「壊した? わざとか」
「わざとじゃないよ。一人で練習したんだ。そしたら崖から落っこちて……」
「黙って物置から持っていったんだよ!」
 ひろゆきちゃんが叫んだ。
「そんなことで朝っぱらから大騒ぎしてるのか。キョウ、自転車なんか、倉庫にゴロゴロ転がってるぞ。おい、そこの坊主、俺が修理してやろうか。ちょちょいのちょいだ」
「ハンドルもペダルも曲がっちゃったし、スポークだって外れて……」
「そうか、そこまでいっちゃったんじゃ直せないな。じゃ、買ってやる。買って届けてやるよ。安心しろ」
「そこまでしていただかなくても。とにかく、反省だけしていただければ、何も申し上げることはございませんので。どうせ、懸賞で当たった自転車ですし」
「そうはいかんでしょう、奥さん。懸賞で当たろうと当たるまいと、買えば値段の張る自転車だ。おたくの坊主もあきらめきれんでしょう」
 所長が言うと、そうだそうだ、と賛同の声が上がる。四、五人も金を出し合えば立派なやつが買えるだろう、とうなずき合う。で、あしたまでに買って届けるということになった。
「私がきちんと届けますよ」
 母が何か言おうとするのをとどめるように、所長が胸を張った。母は戸惑ったふうに、ひろゆきちゃん母子と所長にひたすら頭を下げつづけた。
「ほんとうによろしいですのに」
 ひろゆきちゃんのママの微笑は、いつものように醜かった。彼女が謝罪や反省よりも望んでいるもの―それは、自分のお目こぼしに感服して、私たち母子が彼女に捧げる精神的屈従だった。所長や社員たちは、うまうまとそんな手に乗せることはしなかった。
「もう、遊ばないからね」
 ひろゆきちゃんはそう締めくくった。私は昂然とうなずいた。親子が去ると、所長が言った。
「神無月さん、あれじゃ、キョウの気持ちもわからんではないな。キョウ、なんだかおじさん痛快だったぞ。あの子には、うんといい自転車を届けてやる。卑屈になることはないからな」
 翌日、よだれが出そうなほどピカピカの自転車が、母と所長の手でひろゆきちゃんに届けられた。私には倉庫の二十六インチの自転車が与えられた。私は何日間か所長といっしょにそれで練習して、上手に乗れるようになった。プレゼントされた自転車に乗ったひろゆきちゃんの姿は、一度も見かけることはなかった。


         五

 授業中、後ろの席から福田雅子ちゃんのリボンを引っぱって泣かしてしまった。でも四宮先生が仲に立ってくれたおかげで、なんとか雅子ちゃんの許しを請うことができた。
「郷くんは雅子ちゃんのことが好きなんですって。好きな子には、男の子というのはつい乱暴なことをしてしまうのよ」
 先生は私の気持ちを代弁してくれた。雅子ちゃんのベソが止んだ。四宮先生は乱暴な転校生を気に入っているようだった。私が高島台の飯場の飯炊きの一人息子であることは、初日の面談で知っている。彼女は最近の家庭訪問で、母にこんなことを言った。
「青木小学校では、郷くんはかなり特殊な事情を抱えた子に属します。そのせいでいじめられるのが心配でしたが、思いすごしだったようです。ほかの子に比べて不足した環境にあるとはいえ、すねもしなければひがみもせず、むしろ、そういう身の上を喜んでいるふしさえ見受けられます。いつも表情は生きいきしていますし、暗い翳りなどどこにも見られません。満点のお子さんですね」
 食堂に同席して聞いていた西脇所長が満足そうにうなずいた。四宮先生の顔を、初めてじっくり見た。縁なし眼鏡の奥に、深い二重が切れていて、真ん丸い顔をしている。母がいつか、あの人は美人だから引く手あまただね、と言っていたことを思い出した。私はなんだかうれしくて仕方がなかった。
 とにかく四宮先生のおかげで、雅子ちゃんと仲良くなることができたのだ。あれ以来休み時間になると、いつも二人で手をつないで校庭へ出ていく。砂場のそばの揺り椅子に向き合って乗っていると、それまで校庭の真ん中で追いかけっこをしていたクラスの男連中がかならず寄ってきて、
「もしもし、ベンチでささやく、お二人さん」
 とか、
「うまくやってるじゃん。いつ結婚するの」
 などとてんでに冷やかした。雅子ちゃんのやさしい顔に、帽子のリボン飾りが翳を落としていた。目深にかぶった帽子は、あごで結ばれていた。彼らが走り去ると、雅子ちゃんはにっこり笑い、私にはよくわからない彼女の家の近所の人びとのことや、かわいい飼い犬のスピッツことや、両親と出かけた富士五湖の景色のすばらしさのことなどを、とつとつと話すのだった。そうして、また二人で手をつないで教室へ戻っていった。
 成田くんだけはちがっていた。いつも遠くからにこにこ二人を眺めていて、私が一人になるのを見計らい、おずおずと近づいてくる。彼のとぎれとぎれにものを言う癖が私は苦手だった。それに彼の顔はひどく人目を惹いた。髪が縮れたクセ毛なのもその一つだったけれども、唇に淋しい特徴があった。いつもそこに神経を集めているせいか、顔の中でいちばん力のないはずの上唇の線がすっかり浮き出していた。一本の線が繊細なカーブを描いて片方の鼻の穴の中央に切れこみ、下に向かってかすかな楔形の隙間を作っている。それを隠そうとする無駄な努力のおかげで、口の両端にはいつも緊張したえくぼのようなものができていた。
 ある日、成田くんは一人きりの私に声をかけると、校庭の隅の土俵に誘った。何番も相撲をとった。私は相撲なんか好きではなかったし、成田くんはあまりにも強すぎた。でもどんなに気乗りのしない人間関係も、追従か賞賛がなければ滑らかに回転しない。私はいかにも喜んだふりをして彼の胸を借りた。
 成田くんは魔法のような投げ技の持ち主だった。私がどれほど一生懸命ぶつかっていっても、そのたびにフワリと羽毛のように投げ飛ばされる。今度こそはと彼のズボンのベルトをしっかりつかむ。押しても引いてもびくともしない。そうやってこちらが何か仕掛けるのを待っている。少しでも動いたり押したりすると、やっぱりフワリと投げ飛ばされる。五番、六番と取り組みがつづき、彼がお腹で荒い息をついているとき、生地の悪い半ズボンから、痩せて垢じみたすねが突き出ているのが見えた。
「きっと、神無月くんは強くなるよ」
 何番かとり終えて一段落つくと、成田くんは俵に腰を下ろし、うれしそうに言うのだった。
 いつだったか、二人で校舎の板壁によりかかって日向ぼっこをしていたとき、私はドキドキしながら尋ねた。
「その口、どうしたの」
 彼はしっかりした調子で、まるで準備していたかのようにたちどころに答えた。
「小さいころね、いまみたいにどっかの壁によっかかってたんだ。そしたら、ガチャンて音がして、見上げると、ガラスが落ちてきたんだよ」
 そう言うと、とたんに真っ赤になった。これを言うために、彼がどれほど自分を励まさなければならなかったかすぐにわかった。
「だから神無月くんも、窓を見上げないほうがいいよ」
 私は目が熱くなった。彼の唇が割れているのは生まれつきなのだということをみんなの噂で知っていたくせに、とぼけて訊いてしまった自分が恥ずかしかった。それで、せめてもの罪滅ぼしのために、それからも成田くんに誘われると、かならず何番も相撲をとった。けっして引き技のようなズルをしないで、正々堂々と押し相撲や投げ相撲で全力を尽くして戦ったけれど、とうとう一勝もできなかった。
         †
 このあいだまで青々していた木の葉が、いつの間にか赤や黄色に変わって、ひらりひらり散りはじめた。高島台の団地が完成し、新開地から社員や土工たちが三々五々引き揚げていって、飯場の中はさびしくなった。
 たった半年で母は職を失い、西脇所長と主だった職員たちがやってくれたお別れ会もそこそこに、十日ほどの猶予で職探しにとりかかった。その前に家を見つけなければならなかった。母は私の手を引いて、あちこちの道を曲がったり、貼り紙のある玄関の戸を開けたり、家主と細かい問答をしたりした。
 ついこのあいだまでいっしょにすごしていた野辺地の人びとを思い出した。するといまの生活に、ほんのちょっとしたさびしさと不自由さを感じた。野辺地にいたころ、私は転々と連れ回されるということはなかった。古間木から横浜行きの列車に乗って以来、私にはすべてが、母の決定する他人ごとのように思われた。しかしそれは、もともと新しい光に照らされようと望んだ私が引き寄せた〈幸福〉だった。
 青木橋から市電で南へ二ついった浅間下(せんげんした)という下町を歩いた。三ツ沢グランドの高台から下った宮谷(みやがや)という町に、軒の低い民家と商店が肩をこすり合うようにして立ち並んでいた。その町の真ん中に、青木小学校の三倍もある大きな小学校があった。校門に宮谷小学校と書いてあった。
「埃っぽい町だね」
 と母が言った。空を見上げて鼻をふくらますと、ほんとうに埃のにおいがした。
 坂本という表札の脇に、『貸間あり』と貼り紙がしてあった。玄関の戸を引くと、品のよさそうな中年の女が出迎えた。彼女は式台に接した部屋の仏壇を振り返りながら、
「母の住んでいた離れを、間仕切りしましてね。どうぞ、裏手へ回ってください」
 と言った。そのまま案内された裏庭の長屋は、小さな引き戸を入ってすぐ右手が木枠の流しのついた共同炊事場で、左に部屋割りのために敷居を膝まで高くした二枚の障子、突き当りがノブのついた洋式ドアになっていた。障子の奥に家族の気配がした。
「ご夫婦と、お子さん二人の家族なんですよ。紹介しましょうか」
「いいえ、いずれこちらから」
 大家が洋式のノブを引くと、狭い板敷きの寒々しい三帖だった。
「お家賃は?」
「三千円です。礼金、敷金はいただきません」
「お借りします」
 翌日、ひろゆきちゃんとさぶちゃんの家を回った。ひろゆきちゃんはママに呼ばれて仕方なく玄関の式台まで出てきたが、母の話が終わるまであぐらをかいて背中を向けていた。
「お母さんを大事にね」
 ママの顔はいつものようにてらてらしていた。私の母は必要以上に深いお辞儀をして玄関を出た。
 さぶちゃんはわざわざ玄関から出てきて、強く握手してくれた。一家の人は出てこなかった。篤ちゃんが、何しにきたんだという顔ですだれの隙間から覗いていた。母はさぶちゃんに深く頭を下げ、
「いつぞやはほんとうにありがとうございました。おかげで郷も命拾いしました」
 とお礼を言った。
「キョウちゃん、転校はしないんだろ」
「わかんない」
 母を見上げると、かすかにうなずいた。どちらの意味かわからなかった。
「かならず遊びにいくからね」
「うん」
 所長と幹部社員に最後の挨拶をしたあと、人夫の一人が所長に命じられて用意したトラックに、母子の荷物を積みこんだ。古道具屋で買ったばかりの母の小さな水屋が、ピカピカ光った。
「会社のものだから、持ってっちゃいけないよ」
 母に言われて、自転車は倉庫に置いていくことにした。所長と何人かの社員が、私の手を握ったり、からだを抱きしめたりした。照れくさかった。
「傷が残らなくてよかった。縫い跡も目立たない。もとの美男子のままだ」
 そう言って所長は私の鼻の脇を撫ぜた。
 広い助手席に母と座った。トラックが出ると、みんないっせいに手を振った。私は彼らの姿が見えなくなるまで手を振りつづけた。
「おたがい、あぶれちまったね。どうするの、これから」
 運転手が言った。
「さあ、ぼちぼち探してみますよ。おたくは?」
「関西のほうへでも流れていくかな」
 私は助手席のフロントガラスから、無意味に明るい緑色の空を見上げた。これっきり所長たちに会えなくなるというのが信じられなかった。
「所長さんたちはどこへいくの」
「さあ、どこへいくんだろうね。あの人たちにはいくらでも仕事があるから」
「また会えるといいな」
「人は、一期一会だからね」
 知らない言葉だった。一度会ってそれっきりという意味だと見当をつけた。人はそんな簡単に別れられるものではないし、別れてはいけないと感じた。
「冷たい言葉だね」
 運転手が私の頭を撫ぜ、
「坊やはいいこと言うな。おじちゃんも、だれとも別れたくなかったんだが、人生はきびしいからな」
 と笑った。
 新しい部屋は四帖の間取りで、奥の一帖分が造りつけのベッドになっていた。ベッドの下に、二つ横並びの大きな抽斗があり、私はその一つにしこたま貯めこんだメンコと、少しばかりのビーダマを入れ、残りの一つを母が箪笥代わりに使った。所長からもらった背の低い本棚に、あり合わせの少年雑誌や漫画本を並べた。母は本棚の脇に小ぶりな姿見を、その隣に水屋を置いた。水屋の上に質流れのラジオが載った。部屋の真ん中に卓袱台を置くと、かなり狭苦しい感じになった。
 庭に面した一間(けん)のガラス窓からはあまり光が入らず、昼でも暗かったが、それでも窓のない飯場の四畳半よりはましだった。窓を開けると、檜の幼木が何本か植えてある庭が見えた。夜、小便に起きだして、窓から薄青い月の光が射しこんでいたりすると、小部屋はぎょっとするほど美しい空間に変わった。


         六

 長屋から道路へ出るには、大家の家の脇を通り抜けなければならなかった。道からすぐ宮谷小学校の立木が見えた。山手から流れてきた幅広のドブが、宮谷小学校の石塀に沿って百メートルもつづいていた。いつも灰色に濁った水が蒼い藻を揺らしながらゆるゆると流れ、いやなにおいがした。校舎塀を過ぎてドブはさらに数十メートルいき、地下にふたたび姿を消すところが浅間下の交差点だった。
 通学路を覚えるのはなかなか骨だった。しかし何日もしないうちに、市電道をたどらずに、三ツ沢の坂下から南軽井沢へ渡り、市電道沿いの旧東海道を歩いて楠町の交差点に抜ける道筋を覚えた。それだと道なりにその先の坂をひとつ越すだけで青木橋へ下っていけるし、五十分の通学時間を十分も縮めることもできた。
 母は最初、ろくに英語もできないのに、アメリカ人の家に家政婦として勤めた。一週間ほど桜木町まで市電でかよった。彼女の英語力は《?マーク》のことを、エンデルクッションマークと得意げに言う程度のものだった。小学校の代用教員までしたとはいえ、少なくとも彼女の英語の学力は並以下だっただろう。そう気づいたのは、ずっと後年のことだったが、小学校を通じて彼女が私に一度も勉強を教えたことがないことに思い当たったからである。いまになって考えてみると、佐藤家で秀才の誉れ高かったのは、じっちゃと善司の二人きりだった。
「きょうは歩いて帰るから迎えにきなさい」
 と言われ、鉛筆書きの地図を渡された。学校の帰るさに、いったん浅間下に出て、そのまま市電道をたどって迎えにいった。浅間下から直角に分岐している線路の終点が桜木町だということは、市電の額の表示からわかっていた。あらためて浅間下から始めて、桜木町の停留所までひたすら歩いた。町並に変化の少ない道だったので、青木小学校より少し遠く感じた。
 地図どおり、桜木町駅の繁華街から折れて、坂のいただきまで登った。空色に塗られた異国風の木造の垣が、あたりの景色から浮き上がって見えた。垣に手を置いて眺めていると、網戸みたいな戸口から母が出てきた。いつもズボン姿の彼女が、見かけないロングスカートを穿いて、エプロンをしていた。
「遠かっただろ」
「うん」
「帰ろ、帰ろ。きょうでかあちゃん辞めたんだよ。人のこと、奴隷だと思ってんだから。何しゃべってるのかさっぱりわからないし、大声ばっかり上げてさ。電車代だってバカにならないしね」
 母はさばさばした顔で言った。ひどく大柄な外人のお婆さんが、不機嫌な顔で網戸の向こうからこちらを見ていた。
「支那そば食べていこう」
 母は一軒の汚い店に入った。生まれて初めて支那そばを食べた。香ばしいにおいのする縮れた麺も、シナチクも、ほうれん草も、大きなナルトも、薄切りの肉も、おつゆも、何もかもぜんぶおいしかった。私は一滴余さず食べた。
 何日かして母は、横浜駅の地下街にある『天國(くに)』というてんぷら屋に勤めた。
「銀座が本店の老舗でね、みんなピシッとしてて、かあちゃんに合ってる」
 私はここにも何度か迎えにいった。通用口から入っていくたびに、白装束の男に手招きされ、厨房の四角いクールボックスから掬ったアイスクリームを振舞われた。小さな木製のスプーンで食べる淡黄色の冷たいかたまりは、信じられないほどおいしかった。私がアイスクリームを熱心に食べていると、二、三人の中年の女が寄ってきて、
「この子が神無月さんの息子さん? 嘘みたいにかわいいわね。この世のものとは思えないわ」
 と言って、頭を撫ぜたり、頬っぺたをつついたりした。
 一度だけ、母が二時間も残業したことがあって、二十円のお小遣いをもらって地下街の映画館で『赤胴鈴之助』を観た。古間木の『天兵童子』以来、久しぶりの映画だった。梅若正二という俳優の美しさに参って、それからも何度か一人でその映画館にいって続編を観た。しばらく映画づいて、宇津井健の『スーパージャイアンツ』のシリーズにもせっせとかよった。空を飛んでいくときの宇津井健の股間がぷっくりふくらんでいるのが、子供心に恥ずかしかった。

  

         † 
 坂本さんの長男はショウナン高校という優秀な学校に通っているとかで、めったに姿を見かけなかった。たった一度、金ボタンの詰襟を着て玄関を出ていく痩せたニキビ面を見たことがあった。次男はテルちゃんという小学五年生の丸顔の美男子で、いつも唇をゆがめ、皮肉そうな目であたりを見回していた。彼はことあるごとに私をキョウと呼び捨てにした。私に親しみを感じていたわけではなく、名前自体が気に入っているようだった。
 テルちゃんに誘われて、支那そば屋の隣の空地に紙芝居を観にいった。見料は五円だった。私はお金を持っていなかったので、遠くから眺めていた。サイドさんの官舎のそばの公園でも観たことのある『黄金バット』のシリーズもので、まったくおもしろくないことを知っていた。
 見物の子供たちは、二円もするねとねとした酢コンブ煎餅を齧りながら、熱心に紙芝居屋の口上を聞いている。画面そっちのけで、薄いラクガンみたいな菓子をくり抜くヌキと呼ばれるゲームを必死にやっているやつもいる。うまく抜けば、桃色の四角いチューインガムがもらえるのだ。だからよほど幼い子でないかぎり、私と同様、紙芝居の中身など関心がなかった。
 紙芝居のあとでテルちゃんは、空地の隅にたむろして2B弾を鳴らしていた子供たちに私を引き合わせた。みんな意地悪そうな顔をしていて、高島台の子供たちとは様子がちがっていた。瓢箪顔のター坊というのが、とくにイヤな眼つきをしていた。
「おい、馬の骨」
 六年生のサーちゃんという子が、私をそう呼んだ。サカリ屋という惣菜を売っている店の長男で、テルちゃんたちの態度からすると子供仲間の頭目のようだった。彼の弟も兄の威を借りてえらそうにしていた。彼らは、女の子たちがゴム跳びをしているそばでわざと声を合わせて、スケベな歌を唄った。
「マンコ針さす」
「一センチ五ミリ」
「赤い血が出る」
「とても痛いよ」
 そのメロディは国際ホテルのロビーに何度か流れてきたし、外人たちが廊下をいくときにもよく口ずさんでいたので、意味のわからない英語で耳に覚えがあった。
「ジャスト、ウォーキニンザレン、……ソーキンウェット……」

 その空き地には、ときどき救世軍もきて、太鼓を叩きながら説教をした。
「あなたがたは罪人です。早く悔い改めてマコトの人間になりなさい。ザンゲして神さまにおすがりなさい。神さまの道を世間に行なうのです」
 色黒の角張った顔の男が、左手を腰に当て右手を振り上げて大声で言った。それから軍隊のような人たちが、信ずる者は救われる、と声を合わせて唄った。そのあとでチラシを配って回った。
 サカリ屋の裏手に住んでいるジロちゃんという年上の子だけは、なんだかやさしくしてくれて、夏休みのあいだ何回か私を魚釣りに誘った。彼はひろゆきちゃんみたいに自転車を二台持っていて、一台を気前よく私に提供し、いっしょに平沼運河まで出かけていった。私は何時間もじっと釣り糸を垂れている魚釣りは退屈で、釣ったハゼがコンクリートの上で干乾びていくのは残酷な気がした。ジロちゃんは私の退屈を見抜いて、あれこれ世間話をした。
「キョウちゃん、プレスリーって知ってる?」
「知らない」
「すごくいい声だよ。今度聴きにきなよ。何枚もレコード持ってるんだ」
「うん。ジロちゃんは何年生」
「六年生。うちのかあさん、いつもキョウちゃんのこと褒めてるよ。感心だって」
「何が?」
「さあ、いろんなことじゃないかな。キョウちゃんのお母さんも立派だって。女手ひとつでよくがんばってるって」
 結局、彼の家を訪ねるチャンスはなくて、ジロちゃんのほうが二度ほど三帖部屋に遊びにきた。そうして、母と大人らしく長い話をしていた。私は自分たち母子のどこが彼に気に入られたのだろうと不思議な気がした。
 年が明けて、一度ジロちゃんと銭湯で遇った。私はいつも母と女湯に入っていたけれども、入口の暖簾の前で声をかけられたので、彼といっしょに男湯に入った。彼は湯船に浸かりながら、
「スタルヒンがね、お酒を飲んで、車ごと電車にぶつかって死んだよ」
 とか、
「美空ひばりが顔に塩酸をかけられたんだ」
 などと、まったく興味を引かない話をした。
 ジロちゃんは、二台のうち古いほうの自転車を私にくれた。母は菓子折りを持って私といっしょにお礼の挨拶にいった。ちょうどバキュームカーがきていて、あたり一帯うんこのにおいがしたので、ジロちゃんの記憶にうんこが混じった。いまも彼のことを思い出すと、ぷんとうんこのにおいが甦ってくる。
 一度その自転車で青木小学校へいったら、
「自転車通学は禁止になっているのよ」
 と四宮先生に注意された。近所を乗り回してもつまらないし、これといって自転車で出かけていきたい場所もなかったので、ときどき母の使いで、戸部本町の四宮先生の店に米を買いに行くときだけ、何回か遠乗りした。飯場のものよりも古かったその自転車は、半年もしないうちにチェーンの油が切れてぎしぎし回りにくくなり、大家の庭にほったらかしにしているうちにすっかり車体が錆びついてしまって、母の手で廃品回収のトラックに出された。


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