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川田文学.com 

《バニシング・ポイント(1971)》


 監督 リチャード・サラフィアン  主演 バリー・ニューマン


 早稲田時代、下宿のあった阿佐ヶ谷のオデオン座で観た。4歳から始まった映画狂いは11歳から17歳まで鎮静していたが、ドクドル・ジバゴやサウンド・オブ・ミュージックをきっかけに再爆発し、夢中で映画を観まくっていたころだ。
 学者好みの前衛ではないが、奇妙としか言いようのない映画だった。当時私には痼疾(こしつ)とも言える自殺願望があったので、最初から最後までしっくりきた。


ディーラーから車の配送をおおせつかった男(コワルスキーという名前がすてきだ)が、目的地までダッジ・チャレンジャーを15時間で届けるというくだらない賭けをし、デンバーからサンフランシスコまで、警察のバリケードを突破しながらひたすら走りつづける。届け先の人間の要求ではないので、不可解な情熱だ。死がにおう。

15時間の死出の旅路。

もと軍人、レースドライバー、警官だった彼は、走りながら自分の一生を走馬灯のように思い出す。思い出を貫くのは、純朴な正義感と、愛の喪失だ。

回想が始まる寸前に、最終場面で激突炎上するはずの車が、猛スピードのまま路上から消え去ったので、一瞬SF的興味も湧いた。時間構成はバラバラでわかりにくく、無視することにする。

死を賭けた情熱にはかならず味方がつく。彼の爆走を知ったラジオのDJに警察の厳戒態勢を教えられたり、最後まで戦い抜くよう励まされたりしながら、彼は肉体の消滅する地点まで走り切った。警察が走路に置いた二台のショベルカーに白いダッジが激突したとたん、文字どおり彼も車体も雲間へバニッシュする。激突の画面から、雲を見下ろす高みへカメラが切り替わる不可解さに腹が立つこともなく、不思議に心が洗われた。おそらくコワルスキーの魂の昇天を象徴化したのだろう。


 死に向かってひたすら、みずからの信念に背く不純物をときには迂回し、ときには排除しながら荒野を走り抜ける。私たちが本来目指すべき理想的な人生はそれなのかもしれない。回避と排除の理想の先には、かならず死の途絶がある。麗しきかな。