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《ぼくの彼女はサイボーグ(2008) 監督 クァク・ジェヨン》

 

20081122日、夜空から電光とともに舞い降りたボディスーツの美女(綾瀬はるか)が、街の悪ガキ退治に一汗流したあと、百貨店で無断拝借したワンピースに着替えて堂々と出ていく。彼女は、死を目前にした半身不随の老科学者・北村ジローが自分の過去を変えるために65年後の未来から送りこんだ護身用サイボーグだった。2008年を若いころの自分にとって、平凡でつつがない一年にするために。なぜなら、その2008年に実際のジローは銃の乱射事件に遭遇し、半身不随となってしまう運命だったからだ。

彼女はじつは地球暦で一年前の20071122日に、まるで予行演習のように、同じボディスーツ姿でやってきて、同じように百貨店でワンピースを盗むところを、一人さびしく二十歳の誕生日を祝うための買い物をしていた大学生のジロー(小出恵介)に目撃されていた(なんとジローが買ったものはボディスーツサイボーグのフィギュア胸を打つ伏線だ)。彼女はレストランで孤独なお祝いをしているジローの前に現れ、図々しく大量の料理を平らげてしまう。パッピー・バースデイの歌声が客席から湧き上がる(監督のクァク・ジェヨンはまちがいなく黒澤の『生きる』を意識している)。そして彼女は「私も、きょうが誕生日よ」と言う(あなたに会えた日が誕生日なのだ)。

そこからは、無銭飲食でジローをつれて逃げ出し、街なかを駆け回るというドタバタの趣向。彼女はひとしきりジローを撹乱したあと、謎の言葉(彼女2008年の記憶1年後の記憶!)を残して去っていく。彼女はタイムトラベラーなので、地球暦の2008年を一足先に確認することができたのだ。そんな仕組みを知らないジローは、一年間、彼女を想いつづけることになる。

面白い! この面白さが最後までつづきますようにと祈った。

さて、話を一年後の20081122日に戻して、百貨店からワンピースに着替えて出てきた彼女は、これまた街角で強奪したケーキを抱えて、今年もジローが孤独な誕生日を祝っているあのレストランに現れる。そして、ジローを半身不随にした銃乱射の事件からつつがなく救い出す。

それからは彼女を中心にめぐる矢継ぎ早な珍事の連続、ジローの出生にまつわるノスタルジーへの回帰、そして大震災によるあまりにも悲惨な別れ。そこへ瓦礫の中から現れる瓜二つの彼女唐突に訪れるどんでん返し! 2007年、2008年の彼女と瓦礫から現れた彼女の正体が、さらにつづけて、二人の女の愛の脈絡が明かされる。わたしは茫然と涙を流した。 

 わたしの軽率な祈りが、涙で過剰に報われた理由は、ジローの喪失感があまりに大きかったことからきている。彼女のからだはジローを救うために真二つに切断された。内部の機械装置が回復不能に露呈された死だ。ジローは絶望の叫びを上げる。アンドロイドの彼女を愛していたからだ。アンドロイドという肉体の枠組みを越えた向こうに本物の愛が芽生えていたからだ。

ジローがそのことを無意識に確認した瞬間、瓦礫の砂塵の中から生身の人間の彼女がふたたび同じスーツ姿で現れる。彼の歴史を未来の時間の中で学習し、心から愛するようになった彼女が。何度この場面を観ても、目の奥が痛み、涙が噴き出す。

 日韓合同スタッフ、いや、韓国人が脚本・監督という事実に驚いた。97年の矢口史靖の『ひみつの花園』以来、久しぶりに日本映画の快作にめぐり会ったと思っていたからだ。才能の種は世界じゅうに平等に播かれている。クァク・ジェヨンの才能に迫真の演技で応えた小出恵介、綾瀬はるかも、わが国が誇る才能であるにちがいない。この映画をきっかけに私は、リバイバルも含めて、かなり韓国映画やTVドラマを観るようになった。残念ながら、まだこれ以上の作品に出会えていない。めげずにもっと目配りする必要があるかどうか。悩ましいところだ。