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《愛に関する短いフィルム(1988) 監督クシシュトフ・キエシロフスキー
 主演オルフ・ルバシェンク グラジナ・シャポロフスカ》

夜、広場を隔てた向かいのマンションの部屋に、望遠鏡の焦点を当てる。
19歳の孤独な少年の孤独な営為。

その部屋で〈愛する〉女が〈きょうの男〉と戯れている。少年は彼女の部屋に毎夜、無言の電話をかける。

郵便局員のトメクは、女の名前がマグダであること、職業は女流画家であることを知っている。愛しい女の行動を、水のような気持ちであきらめてはいるけれども、恋心を捨てきれない。だから、無言電話をかけて、彼女の苛立った声を聴く。それだけが慰めだ。

マグダの肌に近づきたい。

レンズを通した人工的な距離は、彼女の温もりを伝えてこない。少年は牛乳配達のアルバイトをすることにする。この仕事なら、マグダの戸口まで近づける。

しかし戸口までだ。彼女に逢えるわけではない。夜になれば、またレンズの向こうの奔放な彼女を見出すしかない。

今夜は痴話喧嘩のようだ。マグダが取り乱している。殴られる。男が出て行く。マグダが泣いている。どうすることもできない。ひたすらレンズを覗きつづける。
翌日トメクは、彼女のポストに為替を投げ入れた。
半信半疑のマグダが郵便局にやってきて、偽物と知った局員に難詰される。トメクは近づき、ついに声をかけた。

「きのうの夜、泣いていたね。ぼくは見ていた」

女は少年を、人でなし、と罵り、その夜わざと男を連れこんだ。
どうぞ見てくれ。望遠鏡に向かって手を振ったりする。あそこから覗かれているのだ、と一夜かぎりの男に告げる。男はトメクを表に呼び出し、痛めつける。
翌日、顔を腫らして牛乳を届ける少年に女は訊く。

「なぜこんなことをするの?」
「愛しているから」

マグダは誤解し、トメクを部屋に招く。そして独りよがりの行動に及ぶ。少年は深く傷つき、孤独な部屋に戻って手首を切る。

なんと静かな映画だ! ドラマの背後に音楽は鳴っているのに、聞こえないのだ。少年の心しか聞こえてこない。

 つまらない悲劇(たとえば『恐怖の報酬』)ではないので、むろん主人公は死なない。

少年が病院から帰る日をマグダは待ちつづける。帰宅を確認するために、少年の部屋を双眼鏡で覗いたりする。何かが彼女にそうさせるのだ。

トメクが退院してくる。無言の電話を待つが、かかってこない。
マグダは彼を訪ね、部屋に案内される。そうして、自分の部屋に向けられた望遠鏡を覗いた。

涙が静かにあふれてきた。肩に少年の手がそっと触れた。


神経の戦慄から流れ出す涙というものに、この映画で出会った。

見守ることだけを愛と信じた少年の視界に、かつての自分の純粋な心を重ね合わせるとき、こらえきれず流れ落ちる涙だった。

それが監督の意図かどうかは知らない。私の勝手な解釈だ。
純粋にあこがれ、純粋を取り戻そうとするとき、人は涙を流す。

この映画に関するかぎり、スタッフを知ろうとは思わない。おそらくだれに意図があったのでもなく、あったとしても構成に反映されずに、神がかりのようにして成った映画だろう。

 抑揚のない変わった響きの言語だ。ポーランド語。この言葉で激しく言い募ることや、理屈を言い立てることはできない。

静謐な精神の言葉だ。

ポーランド―エリ・ヴィーゼルの名作『夜』を思い出す。あの作品の諧調が聞こえる。