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《グロリア(1980) 監督 ジョン・カサベテス  主演 ジーナ・ローランズ》


 自主制作映画(インディ・ムービーズ)の草分けジョン・カサベテスに関しては、俳優として『特攻大作戦』や『ローズマリーの赤ちゃん』に登場する才走った面貌に多少の印象があったくらいだった。しかし、この『グロリア』を観て、彼の監督・脚本家としての腕のよさに舌を巻いてしまった。たしかにジーナ・ローランズという力強いパートナーを得てはじめて成る業績ではあったろうが、うなるほどの出来映えである。

 彼の中期の作品『こわれゆく女』は、未だインディーズ特有の部屋撮りにこだわり、ジーナ・ローランズに暗い一歩引いた女を演じさせたせいで、彼女の明朗闊達な魅力を半減させてしまっていた。ジーナ・ローランズという女性は、大らかに包みこむような愛情を、その存在だけで表現できる女優なのだ。『グロリア』のスペクタクルとユーモアと愛に満ちたシナリオが、ついに彼女を大飛躍させることになったのもそのせいだ。

 裏通りを歩いてきたその日暮らしの女グロリア(ジーナ・ローランズ。監督ジョン・カサベテスの妻。このセクシーな女優の存在感は圧倒的だ)と、永遠の逃亡を余儀なくされたマフィア会計士の息子(ジョン・アダムズ。映画史に残る名演)が、苦難をともにする途で心をかよわせていく。そこには、「もとマフィアのボスの情婦が、母性を最大限に発揮しながら敢然と孤児を守り切る」といった、この映画に関する一般の認識を裏切る印象がある。少なくともわたしにはそう見えなかった。

「『レオン』は『グロリア』の逆バージョンだね」
 と人に言ったとき、そんなの有名な話だ、という答えが返ってきた。せっかくの発見にケチをつけられた気分になったが、かえってますます『グロリア』が影響力の強い〈本歌〉である確信を深めることになったし、リュック・ベッソンが本歌取りした『レオン』もこれまた名作の誉れ高いことを考えれば、一応自分なりの発見に溜飲を下げておこうと思い直した。つまり『グロリア』は恋愛映画だという発見である。

 命乞いのために、組織の内情を記した手帳を携えたグロリアが、マフィアの重鎮たちとの最終交渉に臨む煮つまった場面で、むかしの愛人を前にして彼女は、
「あの子は私が寝た中でベストの男だ」
 とウィットの効いた科白を吐くが、単なるユーモアではすまされない奥行きがある。少なくとも通念的な母性は感じられない。また、墓地で待ち合わせた二人が、満面の笑みを浮かべて抱き合うラストシーンにしても、男女の愛以外の何ものも予感させない。おそらく三十歳以上も年のちがう二人が、いずれ愛情に満ちた生活を営むにちがいないというわたしの期待は、あながちカサベテスの意図を外していないだろう。

 はるか年上の異性に捧げる切実な憧憬は、岩手めんこいテレビ制作の名作ドラマ『南部の鼻曲がり』を思い出させる。たった二十分のこの知られざる傑作ドラマがすみやかに発掘され、大勢の人びとの目に供されんことを。

 あらすじ: FBIに内通した会計士一家に皆殺しの危機が迫る。アパートを取り囲む刺客たちの動きに観念した会計士は、六歳の一人息子フィルだけを救おうと決意する。彼はフィルに証拠の手帳を託して You are a man. と励まし、刺客の目を盗んで、同じ階の住人グロリアにフィルを預ける。独り身のグロリアは子供嫌いだ。フィルもこのおばさんが気に入らず、なにかと逆らう。反抗の言葉はつねにI’m a man.

 一家が惨殺され、不正の証拠を握るフィルに追っ手がかかる。グロリアとフィルの決死の逃避行が始まる。冷静なグロリアは銀行から全財産を引き出すと、I’m a man. を連発する足手まといのフィルを連れ、タクシー、バス、地下鉄を乗り継いでひたすら逃げる。襟首まで迫る追っ手に、情け容赦なく銃をぶっ放す。カサベテス持ち前の静かな暴力シーンに強烈な緊迫感がある。

 グロリアに反抗して何かと逃避行の障害になっていたフィルも、やがて彼女に全幅の信頼を預けるようになる。信頼から恋心へ。ホテルの部屋でベッドをともにしながら、六歳の子供が発する言葉のいじらしいこと……。フィルとグロリアとのユーモラスな掛け合いは、この映画の見どころの一つだ。