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《濡れ髪牡丹(1961)》

監督 田中徳三 出演 市川雷蔵・京マチ子他



 まぎれもない娯楽映画の傑作。軽妙さ、奥深さの窺える程度は、映画の頂点のような気がする。雷蔵のコメディ適性爆発。何度でも観たくなる。市川雷蔵自体、すべての演技に余裕と品格のある麻薬のような俳優で、股旅物、剣豪物、殺し屋物、スパイ物、若親分物、毎日のように次々と観ていきたくなる。

算盤、書道、華道、柔術、剣術、舞踊、俳句に絵画、何でも免許皆伝の腕前の風来坊が〈強い婿募集中〉のヤクザの女親分の家に口笛吹きながら現れる。彼女の試験にパスすれば三千人の手下とその親分をわがものにできるという設定。試験官は女親分。雷蔵(31歳)と京マチ子(37歳)の掛け合いがなんともたまらない。

京マチ子は、三歳のときに父親が蒸発して、母子家庭で育った。母の苦労を見て育っただけに、堅実な人生を歩んだ。いっぽうで人の面倒見には金銭を惜しまない寛大でやさしい人柄だった。父親には、三十三歳のときにブラジルで再会している。

私の生まれた1949年には、二十五歳の京マチ子はすでに時代にときめくスター女優で、偶然その年に撮られた木村恵吾の『痴人の愛』を学生時代に観て、女性の理想形として記憶した。それをきっかけに、新宿や池袋のリバイバル館で、黒澤の『羅生門』、吉村公三郎の『偽れる盛装』、衣笠貞之助の『大仏開眼』、溝口健二の『雨月物語』、『赤線地帯』、成瀬巳喜男の『あにいもうと』等々と観ていった。小津安二郎の『浮草』が最高だった。その後映画好きの友人と新宿の封切り館で『華麗なる一族』を観た。底意地の悪い役柄にしっくりこなかった。そこへ四十歳を過ぎて貸しビデオで発見した『濡れ髪牡丹』である。妖艶、かつオトボケ。目から鱗だった。

いっぽう市川雷蔵は、私が生まれたころは十八歳。乳吞児のころに養子に出されたような複雑な事情を抱えた青年であり、その事情から梨園では出世できない傍系の血筋の宿命に翻弄されて生きていた。二十歳で二度目の養子縁組で打開策を図るが、どうしても大役を与えてもらえないという不遇の中で悶々と暮らし、憂鬱な諦観を蓄積した。

二十三歳で思い切って映画俳優に転身、花の白虎隊、千姫、新・平家物語、花の兄弟、忠臣蔵、炎上、弁天小僧、薄桜記、ぼんち、と飛躍を図っていき、濡れ髪牡丹は映画界入りをしてから七年後の作品だった。道ゆく知人にすら正体を認識されない平凡な風貌が化粧ひとつでウルトラ美男子に変わることで有名な俳優だった。錯綜する精神の美が土台にあったからだろう。それまで京マチ子とは、千姫、スタジオはてんやわんや、次郎長富士、ぼんちで共演している。濡れ髪以降は、釈迦で共演した。彼の憂鬱な諦観が、出演するあらゆる映画の彼の立ち居にアンニュイと悲哀の影を添えることになった。特筆するべき長所だと思える。京マチ子にも哀歓を帯びた風貌が垣間見えたが、妖艶さと芯の強い明るさで撥ね返していた。

さて、本題の濡れ髪牡丹。ひとことで言うと、ただ楽しめばいいだけの正月映画ふう〈娯楽大作〉だが、このコメディには他愛のない謎めいた要素も加えられていて、雷蔵が毎日暮れ六つから明け六つまで一定時間部屋に籠もるのはなぜか、というものである。観てのお楽しみ。ただし、ほんとうに他愛ないですよ。

市川雷蔵は1969年に三十七歳、肝臓癌で物故し、生涯独身を通した京マチ子はその五十年後2019年に九十五歳、心不全で他界した。それぞれの複雑な事情を抱えた二つの美の典型が地上から去った。