kawatabungaku.com
川田文学.com 

追想(1975)》

監督 ロベール・アンリコ  出演 フィリップ・ノワレ

 

 名画『危険な友情(1992)』のフィリップ・ノワレが徹底した復讐劇を演じる。復讐劇なら、アメリカでは『エクスターミネイター』、『狼よさらば』等、数え切れないほどあるが、ヨーロッパ映画ではめずらしい。かならず最後に警察が現れる日本映画では皆無である。江戸期以降、わが国では復讐が嫌悪されている。断罪を公の手に預けるという心の仕組みが、私には不可解だ。

何らかの意味で人生は復讐だと思っている私は、復讐映画に過剰な歓喜を覚える。一流大学を渡り歩いたのも、愛してもいない女を渡り歩いたのも、偉そうにしている者を、あるいはそれを崇拝する者を薙ぎ倒したがる性癖の私にとって、まぎれもない復讐だった。

心から愛する者を奪った人びとへの復讐は正当である。偉そうにしている者やその崇拝者を嘲笑する復讐は正当でない。単なる劣等感の顕(あらわ)れである。正当でない復讐に費やした私の人生は喜ばしい回復をしない。かく世の片隅に逼塞する姿になり果てたのも、理由なしとしない。野球や恋人や友を奪った人びとをしっかりと殺して、山に隠遁することこそ正しかった。だからこそ私は正しき復讐にあこがれる。

 終戦1年前のドイツ占領下のフランス。連合軍のノルマンディ上陸によって戦局が不利になったドイツ軍の焦りは、市民に対する残虐な迫害になって現れる。医師のジュリアンは、妻のクララと娘のフロランスだけを故郷の村の別荘である古城に疎開させる。

 ある日、手術を終えたあと、ジュリアンは不吉な思いに襲われて村へ急行する。彼がそこに見たものは村人の虐殺死体の山と、そしてフロランスの射殺体と、火炎銃に焼かれたクララの黒焦げの死体だった。彼女の死体は壁に貼りついていた

いまあなたがいちばん愛する者の無念の死をイメージすれば、ジュリアンの心情に一瞬のうちに到達できる。法に裁いてもらおうと考える心情こそエキセントリックである。古城はドイツ兵に乗っ取られている。勝手知ったる別荘である。周到な復讐の開始だ! 妻子との過去の日々を追想しながら彼は余念なく準備に動き回る。追想場面を頻繁に入れるのは、復讐の動機を私たちに忘れさせないための配慮だ。私たちはすぐドイツ兵に同情するから。……一人ひとり殺していく。橋の爆破、狙撃、水責め、火炎放射器、これぞ真の復讐である。

戦時中なので、復讐をやり遂げたジュリアンは山にこもらなくてすんだ。これもまた一抹のカタルシスである。