十三
 
 瞬間移動をしたわけでもないのに、もう私は革袋を担いで帰り道の川沿いにいて、土手の上を歩いている。目に映る夕方の草の緑は、水蒸気でも立っているように、ほとんど灰色の空気にぼかされた水墨画のように見える。七月までは禁欲を保つことをカズちゃんに誓っている。禁欲に充足感がある。不思議な感覚だ。
         †
 一時間ほど遅い晩めしを奥さんとミヨちゃんのおさんどんで食った。奥さんが、
「野球部がこんなに早く終わるなんて思いませんでしたよ。六時半までに帰ってこれるなら、まだおかずも冷めないうちですよ」
「練習時間がたった一時間半から二時間なんです。運動部というよりは、まるで中学校のクラブ活動ですね」
 茶をすすっていた主人が新聞から目を上げ、
「クラブ活動でも、まじめにやってれば、奇跡が起きることもあるんでねがな。こねだもしゃべったけんど、四けも甲子園さ出たんだすけ」
「甲子園さいったとごろで、四けとも二回戦敗退だ。律儀なもんだでば。神無月くんがへったこどで、青高の野球部はクラブ活動でなぐなったど思うど。嵐を呼ぶ男だきゃ。甲子園たらいがねでも嵐が巻ぎ起ごるべ。ワにはわがる」
 サングラスは私の食事のあいだは座を立たない。赤井は食後すぐに部屋に引っこむ。
 夕食を終えると、予習の机に向かいながら、テープレコーダーでラジオの音楽番組を録音する。ある夜、ベンチャーズの十番街の殺人を録音していると、遠くから汽車の気配が近づいてきて、たちまち音楽の中のドラムとレールの響きがぴったり重なった。失敗したとあきらめながら録音をつづけ、すぐにテープを聴き直すと、ドラムのリズムとレールの音がマッチしていて、意外な迫力があった。おもしろいテープができたと喜び、何度も聴き返した。


 私がテープレコーダーを鳴らさないときは、赤井がポータブルプレイヤーでクラシック音楽をかけている。勉強のバックグラウンドにしているのだろう。早寝早起きのタイプのようで、十時ぐらいには音楽がやみ、十時半にはカサリとも音がしなくなる。朝の四時半には起きていて、早朝の勉強をし、めしを食って、七時前に家を出ていく。教室で自習しながら一時間目の授業を待つ真剣な顔が彷彿とする。例の〈散歩〉に出かけるときも、この習慣は変わらない。
 もともと私はクラシックにうとかったが、聞こえてくるたびに少しずつ興味が湧いてきて、しばしば耳を立てて聴いた。私は、クラシック音楽というものが形式にこだわった飾りの多い音楽で、どちらかと言えば形式の整ったある種の宗教音楽に似ていて、心のままに自由に謳いあげるポップスやカンツォーネにかなわないとすぐに判断した。まれに、肌が粟立つほど胸に沁みる旋律が流れてくるときがあって、あとで赤井に確かめると、たいていショパンかモーツァルトと答え、ときおりラフマニノフという名前も出た。とりわけモーツァルトのレクイエムが壁越しに聞こえてきたときには、全身がふるえた。
「えり好みしないで、ポップスも聴いてみたら」
 と言うと、翌日、シルビー・バルタンの『私を愛して』を何度もかけていた。野辺地での私の愛聴歌だった。A面の『アイドルを探せ』に見向きもしないのは、なかなかの耳だと私は微笑んだ。


 雨で練習が休みになって私が早く帰ったときなど、よく赤井は時分どきに私の部屋の戸をノックした。食卓へ誘って他愛のない話をするためだ。
「鮭フライにササゲ炒めだど。ワの好物だ」
「青森の人は鮭が好きですね。赤井さんは青森のどこですか」
「青森でねェ。室蘭だ。……勘当されたみてなもんだ」
 だれもそれ以上の事情は聞かなかった。
「ササゲの炒めもの、ぼく大好きです。ごちそうだ!」
 鮭フライの脇に、こんもりとササゲ炒めが添えてあった。
「神無月さんは、経済的にできてるんですね。ほかには何が好き?」
「白菜の浅漬け、いわしの丸干し、ほたての煮付け……」
「オラは、カレーライス、すき焼き、石狩鍋」
 赤井が言った。奥さんは苦笑して、
「カレーライスなら、毎日作ってあげてもいいわよ」
 毎日はいやよ、とミヨちゃんがからだをくねらせた。
 食卓では、夕方の決まった時間にひょっこりひょうたん島をかける。テレビをかけっ放しだった飯場とはまったくちがっていた。ドン・ガバチョとか、トラヒゲとか、適当な名前をつけられた人物がどたばた動き回る他愛もない人形劇を、一家の者が箸を止めて見入っている。サングラスは熱い味噌汁の椀だけに気をつけながら、三皿ほどの惣菜を箸先で探り、ゆっくりと口に運ぶ。早めしの主人が食後の茶をすすりながら、テーブル越しにじっと味噌汁をすする私を注視している。食事のスピードが極端に遅いからだ。サングラスと同じくらいのんびりだ。私は小さいころから、ものを素早く飲み食いすることが不得手だった。とくに熱いめしや汁物は用心しないと舌が焼けた。
「上品な食べ方すること」
 奥さんが言い、亭主とミヨちゃんがうなずいた。
「祖母もよく、遊ばねで食(け)、と言います。ハハハ、癖なんです。食事にかぎらず、勉強でも、歩くのでも、何でものんびりなんです。すみません、気にしないでください」
 主人が、
「オジサンとスピードがまったく同じだすけ、見でるのが楽しくてね」
 すると、サングラスが抑揚のない調子で言った。
「目の見えね人間と同じ速さでメシ食うやつがいるのが。驚いたな。目見えでで、そんだんだら、くこどに関心ねんだべ。ワが目見えでだら、ワタワタ食うど。運動選手がワタワタかねば、ワみでに栄養失調になるど」
 主人が気の毒そうにうつむいた。
「ワがこたら目になったのは、じつは戦争で爆弾喰らったからでねんだ。内地に戻って栄養失調が出たのよ。角膜が融げてまった。他人にまんまかへでもらいながら、ありがだぐこうして露命をつないでられるのも、目見えなぐなったおかげだ。ホイドのありがだみをゆっくり噛みしめでるのよ。ホイドになったらまいね。てめばりありがだがって、ふとさありがだみをけれなぐなる。神無月くん、あんたはありがでふとだ。このえが明るくなったおん。そったらふとが、めぐらみでにママさすりなが食ったらまいね。しゃきしゃき、け。神無月くん、あんたはいっつもモノを考えてるおんたな。それでママ食うのが遅いこった。しゃんべれ。しゃべってふとをありがたがらせろ。へたな考え休むに似たりだど。へば、訊く。ワみてな、毎日腹の虫を鳴らしながら一飯の振舞いを待つような人間は、生きるべきか、死ぬべきか」
 唐突に露悪的な質問をする。口もとが緊張している。とっさのことで私は何も答えられなかった。すでに箸を置いた赤井も、さすがに口を出さなかった。サングラスと私で黙々と食う形になった。
「答えられねべな。生ぎるべきだて答えだら、無礼になるしべし、死ぬべぎだて答えたら慰めになるべし。それがわがってでも、死ぬべきだと言えねべ。……曳かれ者の小唄と思って聞いてけろじゃ。ワは戦地を引揚げるまでは、捕虜にならねように現地を逃げ回って歩った。人家だとわがれば軒並み押しかげて、どの台所にも首を突っこんで、かみさんや婆さんと無駄口ただぎ、樹ィ伐ったり、屋根の修繕したり、何かけるまで帰ろうとしねがった。炉端でメシ食ってげとへられれば、うろ覚えの現地語で戦争の話コしたり、日本語で軍歌唄ってやったりした。気前よく食い物を持ってげとへられれば、軍服のポゲット破れるほンど、パンやら胡桃やら果物やらを詰めこんだ。森だろが、野っ原だろが、ほんのわんつかな気配から人家の近いこど悟って、どたら片隅でも寝場所になるがどうか詳しぐ調べだり、土間さへったとたんに、そのえのふところの程度や、あるじの珍しがりやおっかながり具合を嗅ぎつげたり、まあ、そのための眼力なら名人の域になってしまった。毎日百姓たちにへづらって、ぎょろぎょろ油断なく目ェ配って、やつらの顔つきや、何かめぼしいもののありそな土間の奥や、皿鉢(さはち)の上の食い物の種類まですっかり頭さ叩っこんだ。一けもやったことはなかったけんど、いつか盗みに入ってやるべと頭の隅で考えてたんだ。もうすっかり、すれっからしの海千山千よ。同じえさ三度はいがねすけ、飢えだり凍えだりして苦しい思いをしてるうぢに、何の恥もねホイドになってしまった。そのころがらマナグが見えねぐなってきてらった。めぐら餓鬼よ。ほんだすけ、めぐりめぐって、この家さ厄介になるこどになったとぎも、なんも遠慮がねがったのよ」
 私は、サングラスの体験よりも言葉の切実さに胸を突かれた。狡猾になり、餓鬼になるのなどめずらしいことではない。体験を言葉で表現する的確さにまいった。少し変わった人間だとは感じていたけれども、それは盲目ということがその変人性のうまい口実になっていただけのことで、彼がしごく純粋な表現者であることがわかった。不具のせいで世間のすり鉢の底を這い回ってきた彼は、うだつは上がらなかったかもしれないが、それだけに虚栄というものに煩わされることない表現力を身につけた。彼の全体の顔つきは、陰日向のない満足と希望の入り混じった不思議な具合に光っていて、それは微笑以上のもので、ほとんど光輝だった。
「オジサンは、生きているべきです。一飯の振る舞いなど安いものです。周りの人に光を与えます。自分を偽ってラクをする人の言葉は聞き苦しい。自分を偽らない言葉は的確で、胸がすがすがしくなります」
 山田三樹夫の言葉遣いになったけれども、それこそ偽りのない気持ちだった。赤井が私の肩に手を置いて小さな目を見開きながらうなずいた。
「光の見えね人間が、ほかのひとさ光を与えるってが。こりゃ、人生の大(お)っきた皮肉だニシ」
 盲人は声を上げて笑った。ミヨちゃんが涙ぐんでいた。


        十四

「長髪は許されたのな」
「わんざわんざ学生講堂さ集めて、校長が壇上で一言のたまってから、もうふた月だべや」
「きみたちを信じる、てが」
「信じるもなんも、このまま坊主でいろってんだべせ。長髪問題たら、だあ言いだしたのよ」
「三年の出世組だべせ。大学受けにいぐとき恥ずかしすけ、なんたかた長髪にさせてけろってよ」
「都立西高の女が『受験日記』出したの知ってっか」
「私はこうして東大に受かりました―聞き飽きたじゃ」
「現役にこだわらねば、だれだって受かるべや」
「そらねェじゃ。東大は別格だ」 
 学校には、素材そのままの人間、観察やデフォルメのタネになりそうな人間たちが大勢いた。クラスメイトたちを手中の粘土のようなものだと思うとき、私は不思議な悦びに襲われた。彼らの顔を見たり(たとえば顔の形や目つき、鼻の格好にいたるまで)、話すのを聞いたりして、興味が尽きなかった。
 授業の合間、いつも彼らはふざけて肩をぶつけ合ったり、笑い合ったりしていた。型どおりに仕こまれた陽気さだった。彼らは利口そうな大きな目をして、訛りの強い言葉を使っていた。私はあまり意味のわからない言葉をただぼんやりと聞いているだけだった。それは何か意味を持っているようだったけれども、どんな意味かはさっぱりわからなかった。しかし私は、彼らの〈知的〉なはしゃぎぶりと、自分の〈感情的〉で静かな生活とのあいだに、解決できない対立を覚えた。その対比自体が幼いとは感じられたけれども、それ以外に表現しようがなかった。
 彼らの言葉の端々から察するところ、虚栄の動機からこの高校を選んだ学生が多いことがわかった。自分も含めてそれが大半だった。そのことは別段気にならなかった。彼らの中でも成績が上位の者は、すばらしい頭の切れを持っていたし、彼らを教える教師たちにも匹敵する能力の高さを示していた。しかし、中位以下の仲間たちは、世間評価よりもかなり劣っていて、学ぶべきものは残らず学び尽くそうとでもいうような、クソ勉強家ぶりを露骨に打ち出しているくせに、思索そのものには熱心ではなく、競争の結果ばかりを気にしていた。そして、結果いかんに関わらず、自信たっぷりの姿勢を崩さなかった。
 彼らほぼ全員が、自分の心の世界をきちんと整理することよりも、三年後にどこの大学に進むかだけを一大事にしていた。冷笑的な態度も、挑戦的なまでの高慢ぶりも、ただそのためだけのうわべの皮だった。数少ない大学の名前しか知らない私は、彼らの一大事にまったく興味が湧かなかったので、何かその種のことを語りかけられれば、幼いころから知っている大学の名を答えることにしていた。
「トウダイ」
 それでたいていの仲間は、二度と私に質問しなかった。
 授業自体も、ふた月もして慣れてくると、学生たちの行動と同じように型どおりのものに見えてきた。どこか空疎で、どの教師も似たり寄ったりのことをやっているという印象だった。教室に入ってくるなり、
「シェー!」
 と叫んで両手を振り上げ、脚を4の字に交差させる生物教師や、
「ぼくのようなバカな人間をいじめるなよ」
 という決まり文句で笑いを誘ってから授業を始め、ペコペコお辞儀しながら机のあいだを歩き回る古文教師などは絶大な人気を誇っていた。彼らが講義の途中でわき道に逸れ、大しておもしろくもない冗談を飛ばすと、かならず学生たちは待ってましたとばかり神経症的な哄笑で応えた。それまで落ち着いて感じがよく見えていた教師たちも、よく見ると〈客〉の反応を気にして眼をきょろきょろさせているのがわかった。私は新奇な環境を得た喜びが、一転して幻滅に変わっていくのを感じた。
 とはいえ、ときには、反骨精神にあふれた学生を目にして、深い感銘を覚えることもあった。特別クラスの英文法の時間に佐久間という生徒が当てられ、教師の前でわざわざ虎の巻を開いて読み上げた。最初は看過された。授業の半ばで、もう一度当てられた。教師が意図的に当てたことはすぐにわかった。佐久間は同じように虎の巻を読み上げた。どちらの問題も、あえてそんなことをしなくても簡単に答えられるものだった。
「おい、なめるなよ!」
 教師に怒鳴られた佐久間は、眼鏡を外して教師の顔を睨み返した。北海道大学を出たての、頭髪をチックで固めたその若い教師は、教壇から走り降りて虎の巻をひったくり、
「喧嘩売ってるのか、貴様!」
 と叫ぶと、それを丸めて佐久間の頬を何発もひっぱたいた。佐久間が眼鏡を外した意味がわかった。この故意に自分を窮地に追いこむような息苦しい行為を、私は愚かだと思わなかった。露悪的な雰囲気さえしなかった。緊迫した状況の中で佐久間は泰然として、唇一つ動かさなかった。私はその本能ともいえる反骨に舌を巻いた。よくやってくれたと思った。私もその教師が嫌いだった。
「おまえたちはデキの悪い学生だから、この程度の問題も難しかろう」
 とか、
「大衆は、複雑きわまる社会というこの大きな機構の中の、ただ一つのちっぽけな歯車にすぎない。しかも彼ら自身には、その機構の自動性を変えるなんの力もない」
 などと、おつに澄まして知ったようなことを口にするこの偽者に、ほとんどの学生が反感を持っていた。
 そんな佐久間を古山がいじめているのをたまたま目撃した。帰りの掃除当番に当たった何人かの中に、私と古山と佐久間がいた。私は練習があるので、机をまとめて押して壁に寄せ、形ばかりに床を掃いてドアを出ようとしていた。佐久間はまじめに教室の床を掃いていた。
「ンガ、××に逆らってどうするつもりだったんず」
 古山は佐久間の尻を箒の柄でこづいた。
「やめろじゃ」
 古山はますますおもしろがって佐久間の尻をこづいた。
「スタンドプレーしやがって。あんなテイノウ野郎に哲学ぶつけてどうすんだ」
 佐久間はとつぜん自分の箒を振り上げて、思い切り古山を打った。執拗に何度も打ちつづける。顔を見ると、冷静だった。古山は走って廊下へ逃げた。当番はみんな笑ったけれど、佐久間は無表情のまま、また静かに掃除に戻った。
 あとで、古山と佐久間が中学校以来の親友だと聞いた。古山は佐久間をいじめていたのではなく、彼なりに称賛したのだった。そういう交流の仕方もあると知って、私はここしばらく感じていなかった激しい憂鬱に襲われた。
 ―素直に褒めればいいじゃないか。
 それから幾度か、佐久間が虎の巻を読み上げては看過されるということを目にしたけれども、私の心はもう躍らなかった。結局彼は味方のある男だ。孤高の反骨家ではない。古山を打った異様な行為にしても、抵抗の価値もないとわかっている男に抵抗して、親友にスタンドプレイと言い当てられたことにあわてただけだ。
 青高生という誉れ高い集団での生活は私に微々たる影響しか与えなかったけれども、いまやその影響すら楽しめなくなった。仲間たちの話していることに、悪質なこととか、陰険なことは何もなかった。ただ不愉快だった。実際ほとんどの言い回しが機知に富んでいて、ユーモアたっぷりにちがいないのだが、精神的な喜びの素となる肝心な何かが欠けていた。欠けているばかりか、そういうもののあることさえ予感できなかった。
 周囲の学生たちや教師たちが、自分に生理的に快感を与えないことを痛感すればするほど、かえって私は、授業でも、下宿の部屋でも、懸命に勉強するようになった。こうした人間どもの中で下位の成績に甘んじるようになることには、生理的に反撥を感じた。しかし、どれほど彼らの人間的な貧弱さを侮っていようとも、その学力だけは買っていたので、彼らの中で好成績を維持するためには、日夜つらい鍛錬を繰り返すしかなかった。
 数学、古文、漢文、地理、そして英語や現代国語さえも、いままでの二倍も、三倍も勉強をした。英語と古文は特に力をこめた。数学は公式を使った手品だと感じたので、ひたすら公式を暗記し、不得意な地理は教科書の一字一句を暗記した。現代国語は、相馬の教える論理が私のそれを上回る嵩張りがないと見切り、授業中にひたすら新しい〈知識〉にだけ神経を集中した。とにかく私は歯を食いしばりながら勉強しつづけた。いったん決心したことは何でも押し通すという病的な頑固さが私にはあった。
 東大のことは頭になかった。それならどうしてそんなに勉強する必要があったろう。問いかけてみるまでもなかった。生理的にいけ好かない連中の中で好成績を維持することが私の本能の至上命令だったからだ。理解の過程で、頭の中に次々に満足できないことが生じると、かならずいけすかない勉強家たちの中でその結果が出され、中学生になって以来経験したことのない劣等の苦しみを味わうことになった。
 一学期の中間試験の成績にそれが如実に現れた。科目別と総合順位が五十番まで廊下に貼り出されていた。私の成績は現代国語が二番、英語が三番、地理が一番、そのほかは五十番にも入らず、総合成績は十七番だった。実際、地理以外の科目に狙いを定めて一番を獲ろうと努力したのだったが、その地理が一番になって、数学Tも古文も平凡な成績に甘んじたのだった。どの分野にも常軌を逸してできのいい生徒がいる。その事実は、私を努力という健全な営みから引き離し、共同生活に溶けこめない精神をますます荒廃させた。つまるところ、情緒不足だとか、がり勉などと侮れない異能者たちに対する脅威に心の根底を揺すぶられていたのだった。
 ―彼らには到底かなわない。勉強なんて、乗りかかった船から降りて撤退しようか。
 しかし、彼らから撤退しても、勉強から撤退するわけにはいかなかった。直井整四郎に尻尾を巻き、康男やカズちゃんを愛して勉学の習慣から遠ざかったころとちがって、いまの私には、東大に受かってプロ野球選手になるという目標があったからだ。
         † 
 人は平等ではない。異才を与えられた人間と、そうでない人間に分けられる。私は、学問に関しては後者に属していることを思い知った。けっして勉強がきらいだとか、まるきりわからないとかということではない。予習中に、ときどき胸のすくような解法を思いついて心からうれしくなることもあるのだ。しかし、考えの筋道はたしかに合っていても、考え抜いてわかったという実感がない。ただ棒暗記した知識を利用して前へ進む。どれほどいろいろな知識をかき集めて理解に至っても、自分で考え抜いた結果ではないので、根本的な充足感がない。だから私は、勉強をしながら、広々とした見晴らしのきく高所へ自力で登って視界が展けたという感じを抱くことは一度もなかった。
 とてつもない猛者がいるのは、勉強にかぎったことではなかった。運動にしても、信じられないほどのツワモノがいた。山口勲―彼は、体力テストで鉄棒懸垂を四十回やってのけた。しかも、ゆっくり苦しげにやるのではなく、たてつづけに素早く四十回やって着地した。もっとやれるがこのへんでやめておく、といった顔つきだった。私はゆっくり十回で限界に達した。百メートルを十一秒台の前半で走る男もいたし、走り幅跳びを六メートル以上跳ぶやつもいたし、千五百メートルを四分台の前半で走る痩せっぽっちの男もいた。
 やがて私の関心は、まるで反動のように努力のための努力に傾き、優秀なバケモノたちへの賞賛から遠く離れていった。内心にかすかに撤退の気持ちがある分、無力感にひたされながら惰性で机に向かった。一部の猛者を除いた大半の生徒たちは、よく戦々恐々と言い交わしていた。
「青高さくるのは、だいたい中学校の一番だべ。それでも東大さいぐのは十人もいね。日比谷高校は、百二十人だず。都立西は九十人、灘高は……」
 私はどの高校の名前も知らなかった。
「早稲田も慶応も、東大の滑り止めだべや。東北大つたって変わりはね。なんたかた東大さいがねば、青高にきた意味がねじゃ」
「ウガは、全校の十番に入ってるのが」
「ようやく八十番だ」
「だばまず、東大は無理だ。東北大はいけるべおん」
 彼らの幸福の追求は、努力の成果を大勢の人たちの賞賛に結びつけることを最大の戦果としていた。
 ―いったい彼らは、四六時中こんなことばかり話し合って生きてきたのだろうか? 
 彼らの大部分は勉強家の決まりきった型をしていた。勉強家らしい似かよった心の動き方のせいで、一族のように見えた。私は興味深く彼らの顔を見つめた。何か懊悩する真実とでもいったものを感じさせる人間は一人もいなかった。彼らには勉学を好む性向があり、その性向に従ったたゆまない努力があったけれども、その努力には、ほんとうに知恵のある者だけが深く関わっていく〈没我〉のにおいがしなかった。彼らはもっと浅い固執の中に生きていた。彼らは、ある仲間のところからほかの仲間のところへ移っていき、だれのところにも一分ばかり立ち止まり、自分と比べてひそかに瀬踏みをしたり、たぶん胸の内で讃えたり、軽蔑したり、満足したりしていた。彼らの薄っぺらさ加減に私はジリジリしたが、結局のところ、どうでもいいという気持ちが強かったので、腹立たしいと感じるところまではいかなかった。
 いずれにせよ、勉強のコンクールだけに血道をあげているような彼らをぼんやり眺めるとき、いつも寺田康男のすがめるみたいな目を思い出した。思い出の中の彼の目には、それこそはるかな想いとでもいった茫洋とした表情が浮かんでいた。康男の光彩は私の中で色褪せてはいなかった。いまもなお生新で、興味深い人間のままでいて、男というものを見定めるための試金石になっていた。康男に比べれば、ここにたむろしている勉強家なぞ、学生時代はいっぱし幅を利かせていながら、その後の実人生では群衆にまぎれて跡形もなく消えていってしまう路肩の塵埃のようなやつらに思われた。
 猛者であれ凡夫であれ、私は彼らのだれ一人にも特別な親しさや関心を寄せることがなかった。私のそういう冷淡さは、おそらく一つの確信に基づいていた。それは、彼らに詩心がないということだった。彼らはひどく現実的な精神の持ち主たちばかりで、医者や法律家や学者といったふうに、将来の自分の姿をすでに見定めている連中ばかりだった。それに比べて私は、これといった将来の展望を持たず、ただぼんやりと野球をし、勉強をしているだけだった。ひそかな願いらしきものはあった。カズちゃんを渾身の力で愛すること、近い将来プロの野球選手として活躍すること、その生活の中でひたすら本を読み、そうしていつの日か、人びとの胸を揺すぶる詩を書いて文学史に名を残すこと―。


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