三十七

 カズちゃんの父親が尋いた。
「神無月さんは、将来、プロ野球の選手にならないとしたら、何になるつもりですか? 医者ですか? それとも弁護士? 政治家?」
「ほんとにおとうさんの頭は、俗にできてるのね。ぜんぶキョウちゃんの嫌いなものばかりじゃない。プロ野球選手にならないなら、何にもならないの」
 きょうから八月だ。日曜日の午前なので、北村席の居間にもゆったりとした気分が流れている。
「〈なりたい〉と願っているのは職業野球の選手だけです。それになれなければ、生まれつき〈なっているもの〉でありたいですね。ヨタロウ」
「ほう、どういう仕事ですかな?」
「仕事というか、いわゆるフーテンですね。無為徒食のヤカラ。フーテンも生活のための仕事を持たなければいけないない場合もあるので、そういうときは、きょうも働いたと感じられる仕事が理想ですね。飯場の土方みたいなのがいいとは思いますが、年をとったら無理な仕事ですから、皿洗いでも、掃除夫でもいいですね」
「強がってる様子はないし、謙遜というわけでもなさそうですな。こりゃ神無月さんは折り紙つきの変人だよ、和子」
「だから楽しいのよ。そういう仕事をさせないように、私の人生を賭けることができるもの。医者や弁護士と同じくらい、肉体労働はキョウちゃんに似合わない」
「たしかに、神無月さんみたいな人には苦労させたくないな。酒が飲めれば、もっと話したいんだけどね。変人と飲む酒はいちばんうまい」
 彼の拍手(かしわで)で、何人か三味線が呼ばれ、若手の踊りが入り、玄人たちがそれぞれ唄をつけた。長々とそれがつづいた。
「おとうさん、やめてよ、昼日中から」
 カズちゃんがたしなめる。
「神無月さんにこういう世界も見せておきたいんだよ。ヨタロウというのは芸術家の別名やろ? 何でも見ておかないと」
 私は手でさえぎり、
「希望を言ったにすぎません。ぼくは、飯場で育った平凡な男です。これまでも、何かに成功したことはなかったし、将来、何ごとかをなす見こみもないんです。そんなふうに言っていただけるのは身に余る光栄で、感謝しますが、ちょっとプレッシャーが……」
 母親が、
「和子の言ったとおりの人やね。神さまは厩(うまや)で生まれるというから……」
「そのへんにしてください。恥ずかしくて顔から火が出ます」
 蜘蛛の素通りに勤めながら北村席に使用料を入れて宿借りしているような女たちも、たまたまきょうは二、三人いて飲み食いしている。一人の女が私をしみじみ眺めて、
「こんないい気持ちと頭をした男、見たことないよ。お嬢さんも飛びっきりだけどさ」
 と言った。
「さ、キョウちゃん、きょうは東山動物園よ。いい若いのが、三味線なんかオツにすましていつまでも聴いてられないわよ。お日様カンカンだけど、おとうさんが言うとおり、チャンスがあるときに何でも見ておかないと。じゃ、私たち動物園いって、それからホテルへ帰るから」
 賄い頭のおトキさんが、
「あそこは植物園も遊園地もありますよ。あれこれ見てると、あっというまに時間が過ぎちゃいますから、気をつけて」
「地下鉄の東山線て、昼夜関係なく混むのよ。タクシーでいきましょう。名古屋駅から広小路通りを真っすぐ、十キロもないから、タクシーでも三十分程度よ」
 名古屋駅周辺十キロ圏内はカズちゃんの庭のようだ。
 タクシーを呼び、昼なお薄暗いビル街を栄まで走り、右にエンゼル球場、左にテレビ塔を見ながら百メートル道路を過ぎる。
「でも、なんで動物園なんかいきたいの?」
「横浜の野毛山動物園に入りそこなったから。おふくろが中絶手術をした日だったからね。そのあと名古屋に五年間もいたのに、動物園にいこうなんて思いつきもしなかった。人間は一つのことに没頭すると、人生のあらゆる余白に振り向かなくなる。余白に振り向いてる自分を確認したい。食べて寝て排泄して交尾すること以外は、ぜんぶ余白だ。動物には余白がない。人間であるかぎり、余白こそ人生だ。芸術、宗教、学問、スポーツ、遊山、グルメ、すべて」
 運転手が今池の交差点を過ぎた道端で車を停めた。運転席で拍手をした。
「泣けますね。食べて寝て排泄して交尾するというのは、命の維持ということですね。命を維持させるということは、人間の場合、生活と言うんでしょうが、生活するだけを人生とは呼ばないということですね。すばらしい。余白こそ人生か。すばらしい。なんだか吹っ切れました。お客さん、代金はいりません。一日、人生を堪能してきてください」
 ふたたび寡黙に車を走らせつづけ、東山動物園の入り口に着けた。わざわざ運転席から降り、帽子を脱いで礼をすると、すみやかに走り去った。
「キョウちゃんて、一生に一度みたいなことを経験させてくれるのね。ありがとう。きのうの夜はたっぷり生活に浸ったから、きょうはたっぷり余白に浸りましょう」
 本園に入り、きのう買った野球帽を忘れてきたので、大きな麦藁帽を買い、ゆっくり園内を廻っていく。カンガルー、キリン、アジア象、アシカ、コアラ、カワウソ、ウォンバット、アザラシ、マレー虎、ダチョウ、フラミンゴ、シマウマ、カモシカ、ペンギン、北極熊、獏、ペリカン、ライオン。
 北園に入り、アフリカ象、ビーバー、ゾウガメ、犀、大アリクイ、ヤマアラシ、プレーリードッグ、カバ、カピバラ、コンドル、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、テナガザル。子供動物園では、かわいらしい山猫をしばらく見つめた。
 ソフトクリームを食べる。
「虎と山猫がよかった」
「……人間も、これくらい種類があるとおもしろいのにと思うわ」
「うん、烏合しなくなるかもしれないね」
 少し歩いて、植物園に向かう。
「季節の花だけ見られるお花畑にいこう。夏の花って、何だろうな。思いつく?」
「ぼたん、あざみ……」
「すずらん、アカシア、あやめ……」
「菖蒲のことね。かきつばた、しゃくやく」
「立てば芍薬と言うけど、見たことないな」
「バラみたいな形で、細かい花弁がいっぱい開いてる。ラン、さつき、けし」
「ヒナゲシは植えてあるだろうけど、ケシはね。すいかずら、蜜柑」
「へえ、蜜柑て、夏に花が咲くのね」
「うん、白い尖った五弁の花が咲くよ。カズちゃん、歌って。蜜柑の花咲く丘」
「みーかんのはーながー、さあいてーいるー、おーもいーでのーみちーい、おーかのーみちー。はい、キョウちゃん」
 カズちゃんのアルトに魂が引きずりこまれた。腕に鳥肌が立った。蜜柑の花咲く丘は私の大好きな歌なのだ。鳥肌をカズちゃんに示す。まあ! と驚いてさすった。
「これほどいい声だったなんて知らなかった。カズちゃん、ぜんぶ歌って」
「いいえ、キョウちゃんの声を聴かせて」
「はーるかーにみーえるー、あーおいーうみー、おーふねーがとーくー、かーすんでるー」
 カズちゃんの目が潤んでいる。
「……どうしたの? これは思い出の歌?」
「言ったでしょ。キョウちゃんの歌声を聴くと涙が出てくるって。すぐ目の奥が痛くなってくるの。不思議な声」
 お花畑が高いところにありすぎて、まだまだ歩かなければならなかったので、回避して帰路に着いた。
 栄の『なまずや』という鰻屋でヒツマぶしを食べる。うなぎをごちゃごちゃと盛り重ねて見栄えは悪かったが、味はよかった。
「食べ足りないなあ。どこかできしめん食べていこうよ」
「きしめんは、でんと構えてる店より、駅のガード下がおいしいのよ」
「賛成。経験あり。ガード下にいこう」
 蜘蛛の素通りのすぐ近くの、立ち食いきしめん屋に入る。ホウレンソウ、板カマ、油揚げを載せたシンプルなきしめんを食った。じつに美味だった。四時。まだ陽が高い。
「あしたは犬山城。一泊することになってるのよ」
「こっちのホテルは?」
「通しでお金払ってるからいいの。留守にするって前もって言ってあるし」
「いまからしようか」
「いまからしたら、死んじゃう。だって、五回したら、百五十回はイクでしょう。キョウちゃんはたった五回。おまけに私の一回はキョウちゃんの一回より何倍も強いのよ」
「そうだね、死んじゃうね」
「でも、しましょ。一回して、少し眠れば、回復も早いわ」
 すぐにホテルに戻る。どうしようもなく勃起しているので、歩くのがぎこちなくなる。カズちゃんは私の前に立つようにして歩き、うまくカバーしてくれた。部屋にたどり着いたとたん、
「もう、興奮しちゃった!」
 と言って、私をベッドに押し倒し、ズボンを脱がせると咥えこんだ。自分の下着も右手でもどかしそうに脱ぎ取り、スカートを穿いたまま後ろ向きになって、濡れそぼったものを私の鼻先にこすりつけた。スカートのカーテンに私の顔が隠れた。早くイカせないように小陰唇だけを吸う。カズちゃんも私の臍を舐めたり睾丸を含んだりしてリズムを合わせる。クリトリスに舌が触れたとたん、愛撫をやめ、尻を静止してアクメの姿勢に構えた。
「イッていい?」
「いいよ」
「イク!」
 しばらくその姿勢で痙攣し、やはりスカートを穿いたまま、向こうむきに私のものに跨った。足首をつかんで微妙な角度で往復している。スカートが揺れる。めくって見た。前庭に食いこんだ私の陰茎の付け根を、カズちゃんの膣口がふくらんだり引っこんだりしながら往復している。
「あああ、もうだめみたい、イキます、イク!」
 垂直に起き上がり、強く痙攣する。カズちゃんを仰向けにして、またゆっくり抽送を開始する。亀頭がいつもより早くふくらんでくるのがわかる。
「キョウちゃん、近いわ、うれしい、あ、あ、イクー!」
 引き抜いて、四つん這いにし、片脚を宙に浮かせて、抽送する。
「あ、あ、そんな格好、あ、イク、気持ちいい、すごく気持ちいい、うーん、イク、イック!」
 表に返し、子宮口だけを突くように素早くピストンする。
「カズちゃん、イクよ!」
「あああ、イキます、イキます、イク、イクイクイクイク、イクウ!」
 いつものように固く抱き合い、恥骨をぶつけ合う。唇を舐めるように吸い合う。カズちゃんの間歇的に跳ねる腹が心地よい。
「スカートが汚れちゃったね」
「いいのよ、お風呂で洗うから。ああ、死ぬほど気持ちよかった。心臓が止まるかと思った。このまま、ベッドで眠りましょう。起きたら、精をつけて、またしましょ」
 ゆるゆるとスカートを脱ぎ下ろし、ベッドの下に落とす。ブラジャーを外して抱きついてきた。眠りに落ちた。


         三十八

 目覚めると、カズちゃんが窓辺に立って、夜景を眺めている。
「何時?」
「八時半。さ、お風呂に入るわよ。キョウちゃんのお掃除するの忘れたから、きれいにしないと。それから、ごはん、ごはん。スカート汚れてなかったわ。キョウちゃんの出したものを、ぜんぶしまいこんじゃったみたい」
 カズちゃんは私の足指の股まで丁寧に洗い、坊主頭にシャボンを立てた。狭い湯船に抱き合って浸かる。
「キョウちゃん、頭にびっしょり汗かくようになったわ。それも流れるようによ」
「手のひらと足の裏に汗をかかない分、汗腺がほかの場所に発達したのかもしれない。お腹にもびっしょり汗をかく。だから、夏は下痢ばかりする。腹巻なんかしたら、かえってだめだ。夏は苦手だ」
「特異体質なのね。そういえば足も腋もにおったことがないわ。口にもぜんぜんにおいがない。腕毛や脛毛は一本もないし、腋毛もポヤポヤしか生えてない。清潔! 何もかも美しくできてるのね」
「カズちゃんはどこにかくの」
「ぜんぶふつうにかくわよ。小さいころ、あんたいいにおいするねって、おかあさんに言われたことある。桃みたいなにおいだって。うれしかったけど、それ、汗のにおいだったみたい」
「桃か! やっとわかった。あそこのにおいもそれだ! やっぱり人間じゃない。うれしいな! ぼくの恋人は女神だ」
「褒めすぎ。汗のにおいがマシだっていうだけよ。かかない人にはかなわないわ」
 風呂から上がると、屋上階のラウンジに食事に出かけ、カズちゃんの注文でステーキと大盛りのサラダを食べた。苦手な肉が、葛西家のステーキをうまいと感じて以来、スムーズに喉を通るようになった。自然と牛の瞳も浮かんでこなくなった。カズちゃんも頬をふくらませて食べた。見つめ合い、微笑み合った。均整のとれた、豊満な、丸顔のクラウディア・カルデナーレ―。小学生のころこの美しさを意識できなかったのは、きっと、縁のない大人として遠くに眺めていたからだ。
 食事から戻り、夜が更けるまで、カズちゃんに求められるとおりに、いろいろな体位で交わり合った。壁に背中を押しつけて片足を抱え上げたり、思い切りからだを仰向けに折り畳んで陰部を丸出しにしたり、おしっこをさせるように両脚を抱えたりした。挿入した感覚にそれほどの差はなかったけれども、どの形でもカズちゃんは強く気をやった。しかし、どんな刺激的な視覚や触覚に耽溺しているときも、肉体への興味よりも、カズちゃんを好きだという気持ちのほうがまさっていた。それは肉体という〈生活〉を通して初めて感じられる不可思議な〈余白〉だった。
 カズちゃんに起こされるまで意識なく眠った。彼女はすでに起き出して、きちんとした服装で椅子に座り、私を見つめていた。
「よく眠れた?」
「うん、ぐっすり」
「愛してるわ。……死ぬときは連れていってね」
「どうしたの?」
「寝顔を見てたら、そう言いたくなったの。私を置いていかないでって。私で役に立つことがあったら、私の命もぜんぶ使ってね」
「おぬしの命はもらった!」
「アハハハ……」
 彼女の用意した下着を穿いた。
「ワイシャツはベルトにたくしこんだままにしないで、後ろへしごくのよ。ほら、見栄えがよくなるでしょう」
「ほんとだ」
 些細なことに幸福感を覚える。カズちゃんは白のプリーツスカートに、ピンクの半袖シャツを着た。日焼け止めしか塗っていないのに、近づきがたいほどの美しさだ。
 ラウンジでアイスコーヒーを飲んだ。
「こうしてるのが夢みたい」
「ぼくには、最高の現実だ。夢にしたくない」
「もちろんよ。夢を見てるように幸せなの。きょうは明治村にいきましょう」
「明治村?」
「小学校か中学校のとき、遠足でいかなかった?」
「ないなあ」
「そっか。犬山城のそばにある村よ。明治時代の遺物を保存してるの。名古屋から特急で二十五分でいけちゃう」
「明治村には何があるの」
「私も小学校三年生のときいったきり十年以上いってないから、よく憶えてない。いろいろな建物を見ながらぶらぶら歩くだけだけど、たまにはそういう観光も気晴らしになると思うの」
「そうだね」
 赤い車体の名鉄特急で犬山に向かった。ドアの開け閉(た)てから座席にいたるまでしつらえのいい豪華な電車で、大きな窓から眺める景色もすばらしかった。カズちゃんは、ホテルのレストランで仕入れた贅沢な洋食弁当を二つ広げた。重が大きいうえに、ハンバーグとエビフライが弁当の半分の面積を占めていた。それを食べているだけで、乗車時間がつぶれてしまった。
 犬山駅で降り、タクシーで木曽川のほとりへ出、迎帆楼というホテルにチェックインした。それからまたタクシーに二十分ほど乗って、博物館明治村という名のコミュニティに着いた。
 ようやく真昼だった。ウィークデイのせいか、あまり見物の数は多くない。煉瓦門から入り、聖ザビエル天主堂を見る。中に入ったとたん、淡い闇に包まれた。上方の明るい空間にだけ視界が展がる。壁面に埋めこまれたステンドグラスのきらびやかさに、しばらくぼうっとなった。十字架のキリストに光が燦々と注がれている。
「これで、もう満腹だね」
「ほんと」
 堂を出て、呉服座という芝居小屋を覗く。小さな舞台の前に、ごちゃごちゃと狭い桟敷が固まっている。
「御園座の舞台を何度か観てるから、この舞台は猫の額みたいに見えるわ」
「カズちゃんて、たくさん経験があるし、教養も深いんだね。何でも見て、何でも吸収して、そうして蓄えて表に出さない。奥ゆかしい。御園座の話なんか、カズちゃんに六年前に遇ってから初めて聞いた」
「教養なんて垢みたいなものよ。表に出したって、ポロポロ汚い皮膚が削れ落ちていくだけ。そんなもの見せられたって、迷惑なだけでしょ」
「だから、垢も出ない馬鹿なぼくのことが好きなんだね」
「まあ! キョウちゃんは馬鹿じゃないわ。人と考え方がちがうだけよ。だから感覚的な美に惹かれるの。知性と審美眼を持ち合わせた才能ある人だけができることを、キョウちゃんはいつもやってる。キョウちゃんにはほんものの知性があるわ。鉱物質の知性。自力で考えて、感じ取る気質。垢がたまらないようにできてるのよ。野球は天才で、勉強の努力は惜しまないし、他人の垢みたいな教養も尊敬する。そのうえやさしくて……人を分けるのは、思いやりと自愛の心よ。人間とは思えないわ。私、キョウちゃんのこと、好きなんてものじゃないの。もう崇拝ね」
「別の人のことみたいだけど、うれしいな」
 宇治山田郵便局を眺める。古代の教会のように美しい。黒いポスト、ドーム屋根。遠い時間を感じさせる。見回すと、この村にある建物のすべてが美しい。取り壊す必要があったのかどうか疑わしくなる。
「……宮本さん、どうなったかな」
「え?」
「老人をはねて、逃げちゃった宮本さん」
「ああ、宮本さん。半年ぐらい交通刑務所に入ったってことは聞いたけど、出てからのことは知らない。きれいな奥さんだったけど、どうなったのかしら。お気の毒だったわね」
「クマさんや小山田さんたちがカンパしてあげたっけね」
「そうだったわね」
 京都駅の話はしなかった。あのときの少女二人の顔を思い出そうとしても思い出せなかった。
「どうして宮本さんのことを思い出しちゃったの?」
「捕まる前、一家で遠いところを歩き回りながら、こういう場所にも入ったのかなって思って」
「捕まったんじゃなく、自首したんだったと思うわ。でも、自首する前に、こういうところにもきたでしょうね」
「……シロに会ったよ、岩塚で」
「シロに! 元気だった?」
「年とってた。毛もパサパサして。……バス停までついてきて、チョコンと腰を落として見送ってた。泣いた」
 カズちゃんも目にハンカチを当てた。
 入鹿池を背景に品川灯台を見やる。尖塔に二つの風車を付けただけのシンプルな小さい建築物。わずかな上り坂の中通りに写真館があり、その向こうに洒落た建物が見える。案内パンフレットを見ると、東山梨郡役所と書いてある。中に入らず、坂道からガス燈の列を見下ろす。カズちゃんの腕をとって尋いた。
「疲れた?」
「少し。みんなきれいだけど、人工物だから、かなり退屈ね。そこの喫茶店に入って、コーヒー飲みましょ」
 アイスコーヒーを飲む。窓から聖ヨハネ教会堂を見上げる。道の行き止まりの、まばらに松の生えた崖のそばに一軒家が見えた。パンフレットを見ると、漱石居宅となっている。
「漱石か……」
「たしか縁側の置物の猫が、我輩は猫である、ってしゃべるのよ」
「恐ろしくつまらない趣向だね。写真館で記念写真を撮って帰ろう」
「うわあ、どんな顔に写るか怖い」
「自分の美しさを知らないんだね。それも奥ゆかしい」
「還暦がきても、そう言われたらいいな」
「だいじょうぶ、愛し合ってさえいたら、死ぬまできれいでいられる。ぼくはカズちゃんが八十歳になっても〈する〉よ」
「……ほんとに、キョウちゃんて人間じゃない」
 肩を寄せ合った写真を撮り終わるころには、入園してから四時間が経っていた。
「額縁に入れて、二つ作ってください」
 カズちゃんが、
「あ、一つでいいです」
「どうして?」
「キョウちゃんが記念品みたいなもの持ってても似合わない。私が大事にとっとくわ」
 もともと少ない見物の人びとがだいぶ退いた。建物の隙間から、低く赤い陽がまぶしく射してくる。小高いところにある鉄橋を、玩具のような園内通行用の蒸気機関車が渡っていく。
 タクシーで迎帆楼に戻った。車内でカズちゃんの腿にずっと手を置いていた。彼女はときどきおどけて、筋肉をたくましく動かしてみせた。
 ふつうの部屋。洋間十帖ほど。ダブルベッドと造りつけの机。緑茶と紅茶のティーバッグ。犬山のホテルである必然性を感じない。二人で窓辺に立った。窓から遠く見やる小山のいただきに、質素な犬山城が見えた。それは訪れて観察するものではなく、こうやって景物として眺めるものに思われた。
「天守閣がきれいだね。あのお城にほんとうにいったの?」
「うん。学校遠足の定番だから。高校のハイキングでいったわ。昭和二十七、八年だったかな。伊勢湾台風で壊れて、造り直されるずっと前よ。あの天守閣は国宝ですって」
 カズちゃんを後ろから抱きしめて唇を吸った。胸に手を置くだけでカズちゃんがふるえる。彼女は深く息を吐き出し、
「死ぬまで何回抱いてもらえるかしら。一回でも夢みたいに幸せなのに」
「きょうは、危険日?」
「今週の真ん中へんから危なくなるわ」
「外へ出そうか」
「そうね、念を入れたほうがいいかも。外へ出すのはかわいそうね……。私がイキすぎると、キョウちゃん、抜くタイミングがわからなくなっちゃうでしょうから、すぐイカないようがんばる。……でも、何回もイキたい」
 茶目っ気を見せて笑う。股間に指を滑りこませたとたん、真剣な顔で感覚を追求しはじめる。この真剣さが好きだ。
「あ、だめ、イキます」
「あまり触ってないよ」
「でも、イク!」
 小さく叫んで窓辺にもたれる。すぐに抱きかかえてベッドへ運ぶ。服と下着を脱がして麻痺状態のそこを覗きこむ。クリトリスがひくついている。含むと尻が跳ね上がり、腹が縮んだ。
「入れるよ」
 目をつぶってあわただしくうなずく。絹のように柔らかな膣に入る。うねっている。動くと私のほうが危うい。覚悟して動かなければいけない。しかし、何の行動も起こさないうちに、カズちゃんに高潮が押し寄せる。
「キョウちゃん、イク!」
 高潮のリズムに合わせて強くカリを引くようにする。何度もカズちゃんは痙攣する。私にもすぐに高潮がやってくる。
「カズちゃん、中でイッちゃう!」
「いいわ、出して、出して。私もイク、あああ、イク!」
 うねりながら私を吸い尽くす。乳首を含む。連動して新しい痙攣が始まる。カズちゃんの初めての反応だ。
「キョウちゃん、またイキます!」
 幼い口調の発声が愛らしい。もっともっとイカせたくなり、結合した姿勢のまま指でクリトリスをこすり上げる。
「あん、またイク!」
 からだがくの字に折れ、性器が抜けた。軟体動物のようにのたうっている。
「だいじょうぶ、カズちゃん」
 短い息を苦しげに吐きながら、カズちゃんが応える。
「心配しないで。興奮しすぎただけ。すぐにおさまるわ。キョウちゃんの指とオチンチンでしかこうならないの」
「うれしいな!」
「もう少し待ってね、すぐよくなるから」
 少しずつ腹がひくつく間隔が長くなり、やがて静かになった。カズちゃんはティシューで自分の股間を拭うと、私のものを丁寧に舐めた。
「苦い! 排卵日が近いからね。キョウちゃん、つらいでしょうけど、あしたから外へ出してくれる?」
「うん、きょうはごめんね。カズちゃんのグニュグニュを感じながら出したくなっちゃって」
「私も同じよ。キョウちゃんのカリが大きくなったときに、いっしょにイキたいもの。この何日か、青森に帰るまで、最後のところだけはおたがいにがまんしましょう」
        

(次へ)