三

 私は社員たちの名前をすぐに覚えた。所長の岡本さん、現場監督の小山田さん、その配下の原田さん、新入社員の吉冨さん、ダンプ運転手の熊沢(クマ)さん、事務員の畠中女史、所長つき運転手の荒田さん、母のお手伝いをしている中働きのカズちゃん。特にカズちゃんは一目で気に入った。まるっこい感じの顔と、均整のとれた手足が若さを内側からあふれさせていた。仕事ぶりもきびきびしていて、歩き回る格好に柔軟な弾力性があった。母は彼女をお手伝いというよりも、杖とも柱とも頼んでいた。
 ほかにも何人か寮住みがいたけれども、めったに顔を合わせないので名前を知らなかった。彼らのいかにものんびりした晴れやかな表情や、あけっぴろげな口の利き方は、私を桁外れに楽しい気分にさせた。私はいつも彼らの機嫌の濃淡を興味深く眺めることができた。一日ごとに、これほど齢の隔たったお互いのあいだに、こまやかな友情のようなものが結ばれていき、ゴトリと停まって動かなかった生活の列車が、また生きいきと動きはじめたようだった。
 休日など、社員たちが作業用ブーツを革靴に履き替えて遊びに出払ってしまうと、まるで陽射しが翳ったように飯場が暗くなった。そんなとき私は食堂から別棟へつづく鞘(さや)土間を渡って社員寮へ忍んでいき、彼らの部屋を一つ一つ探検した。
 衣紋掛けにきちんと灰色の制服を吊るし、ぎっしり本の詰まった書棚と机が整っている片付いた部屋、靴下やワイシャツを脱ぎちらかした隙間からくしゃくしゃの千円札が覗いている部屋、中にはベニヤ造りの六畳に不釣合いな大机が置いてある部屋もあって、傾斜のついた机の上には、コンパスや定規や刷き毛などの製図用具が並んでいた。どの部屋もベニヤ板で壁を葺いた安普請だったけれども、少しも下品な感じはしなかったし、不潔なにおいもしなかった。戸には錠がつけられていなかった。鍵をかけないのは彼らの美学だった。
 高島台の飯場にいたころは気づかなかったけれど、飯場という共同体は笑い声の溜まり場であることをあらためて知った。母の話だと、現場社員はかならず建築士か土木士の資格を持っていて、腕の立つ技術者ばかりだということだった。その証拠に、手垢が滲みこんだ使い古しのカンナで、棚やスノコをたちまち仕上げてしまう大工顔負けの社員までいた。彼らは上役の悪口も言えば、駄じゃれも飛ばすし、ときには世間の軽薄な風潮をからかったり、政治談議めいた難しい話もした。
「政治家なんてのは、町内会の班長みたいなもんだな。自分じゃ何もしないで、ゴミ集めやら、夜回りやら、寄付集めやらをだれがやるか、それだけの仕分けに頭を悩ましてやがる。税金という名目で、町会費をピンはねされるのはシャクだが、どうせなら町内同士仲良くやるしかないな。せっかくのゴミ集めや夜回りが、甲斐のない仕事になっちまう」
 社員たちの話は子供の耳にもわかりやすかった。彼らは、世間の小難しい仕組みを簡単な理屈に煮つめて、人間同士の温かいつながりへ結びつけて解決しようとする知恵にたけていた。人間をきらい、塀の内にひっそり隠れている金持ち連中や、彼らに寄生できることを出世だと考えている世故に長けた人たちとはまったく異なった人種だった。
 母はそんな社員たちの話を聞いているふうはなかった。
「英(ひで)さんから聞いたけど、おばさんはむかし、小学校の先生をしてたんだって? 飯炊きなんかして、世を忍ぶ姿かい?」
 などと、思いがけないお世辞を言ったりして、母の堅苦しさを和らげようとする。
「忍ぶも何も、私はただのめし炊きですよ。若いころちょっと小学校の教員をしただけのことで、そんな大したものじゃありません」
 奥を偲ばせるような表情で言う。かえって神秘性が深まるというわけだ。彼らは、なかなか難しいところのありそうな母に向かって、いつもにこにこ笑いかけ、
「佐藤さんの磨く風呂は、いつもピカピカだね」
 とか、
「おばさんのカレー、ほんとにうまいな。クリームシチューとカレーの二本立てなんてのは、なかなか思いつかないぜ」
 などと、実のこもった顔つきで褒めるのだ。好意のこめ具合も、ひろゆきちゃんのママみたいではなく、はきはきした口調に誠実さがあふれていた。母もそれなりの反応を示し、たまには自分のほうから進んで、
「名古屋弁というのはおもしろいですね。このあいだも八百屋さんで、この大根(でゃーこー)いーくらきゃあも、って言ってる人がいましたよ。方言というのは奥深いですね」
 どこがおもしろいのか、一人でくすくす笑う。奥深いというのも曖昧で、取ってつけたような感じだ。母の笑いに追従して笑う者はいない。彼らは何でもかんでも人に愛想よくするわけではないのだ。名古屋の人たちの言葉は、猫のようにニャアニャアというひしゃげた語尾が特徴だ。だからといって、別段聞き苦しいというわけではない。方言というだけのことだ。母は方言を軽蔑しているのかもしれない。
 そういう、どことなく冷笑的で、定規をあてたような応対の仕方は、社員たちに常々ぎこちない思いを抱かせるようだった。気が大きくて朗らかな彼らは、どうかすると不機嫌に転じるかもしれない雰囲気をただよわせているもと教師を相手にするのが、なかなか骨のように見えた。
 毎日床につくとき、母は一日の人付き合いを捨てて、長く胸に畳んできたらしい苦悩を眉根に浮き出させる。それが何であるか私にはわからないし、知りたいとも思わない。彼女は眠気でまぶたが閉じそうになっている私に向かって、世間に身を処していく難しさや、金の大切さや、それを中心にした世の中のからくりや、学歴の重要さといったことを、苦い顔で説く。横浜では一度もなかったことだった。大した苦悩でないことが私にも予想がついた。
 昼は昼で、いつも注文を取りにくる酒屋の御用聞きが、帰りぎわに頭を下げるのをうっかり忘れたりすると、母はひどく機嫌が悪かった。もうその店は彼女の信用を失って、お払い箱になってしまうのだ。彼女が事務所の人たちとちがう点は、そういう不機嫌を露骨に態度に出して平気でいるところだった。だから、社員たちは外出(そとで)のときに母とたまたま顔を合わせると、かならず、
「いってきます」
 と丁寧に挨拶して通り過ぎた。すると母は満足げに、
「いってらっしゃい」
 と返事をするのだった。
 日一日と、横浜のころのような美しさが、母からだんだん削げ落ちていくのがさびしかった。テレピン油のにおいをぷんぷんさせてはいたあのころのほうが、いまよりもずっと美しかった。苦悩などものともしない人間の誇りのようなものがあった。彼女が洗濯板でせっせと洗い物をしごいているとき、固く結ばれた唇や、眼窩の深い目や、落ち着いた身のこなし全体が私の心を喜びで満たしたものだった。そんなふうに生活の一こま一こまを生きているとき、母は男のように逞しくて、生命力に満ちている印象を与えた。いつのころから彼女は怠惰になり、無意味な嘘をつくようになり、イライラと棘のある言葉を発するようになった。
 あれからたいして時間は経っていないのに、なんだか母の頬の肉は茶色く薄べったくなり、額や目尻に皺が増え、眼つきも鳥のように険しくなった。鏡台に向かうことなどとんとなく、まだ老人でもないのにへんに老けこんでしまった。いつも灰色っぽい身なりをして、まるで世間から忘れられることを望んでいるように見える。自然、私の中から、母の来し方を気の毒に思う気持ちがこれまで以上に薄れていき、残酷なほどの無関心が芽生えはじめた。
         †
 夕飯どきには、かならず長テーブルにビールが用意される。男たちがめしを食う前に景気をつけるからだ。もちろんめしのあとも飲む。宵っ張りで、大酒飲みの彼らは、これまで私が接してきた人びととはまったくちがっていた。世の中にこんなに気持ちのいい人たちのいることを、私は知らなかった。
 彼らは、みんなが言いそうなことをしゃべったためしがない。土木の専門家同士の符丁めいた用語はもちろん、ありきたりな世間道徳を推奨する台詞を口にすることもない。格好のよいところも、みっともないところも、すべてひっくるめた、正直な意見を言う。仲間や上役を批判する皮肉、からりとした猥談、ときには身の上話をしたりして、ぐいぐい酒を飲む。酔いがまわってきても、だらしなく乱れることはなく、食堂いっぱいをなごやかな笑い声で満たす。
「所長は、東大出て、天下の西松に入って、きれいな奥さんもらって、とんとん拍子に出世して、おまけに子供まで優秀ときたら、何が不満で毎日あんなふうに苦虫つぶしてるんだ?」
「知らねえよ。ああいう顔で生まれてきたんじゃねえか。うん、生まれだよ。いいとこの坊ちゃんだって話だぜ。人生、成功するのは、小金持ち、俗物根性の野郎たちだけだな」
「そういう口は、小金持ちの俗物になってからきけ」
「そりゃそうだな、ウハハハ……」
「俺のオヤジは小金持ちですよ。まあ中産階級ていうやつで、中卒で、世間常識に凝り固まった俗物ですが、俺は大したやつだと思ってるんです。人生成功なんぞ目指すのはロクなもんじゃない、というのがオヤジの口癖ですからね。賢い知恵なんざ、いくらでもモノの本に書いてある、しかし結局のところ、ものごとを判断したり、自分の進む道を決めたりしたけりゃ、自分の経験に照らし合わせるしかない、とのたまいました」
「だいたい、成功とか、小金持ちってのは、どこらあたりが基準だ? そこがわかれば俗物と言われなくてすむぜ」
「成功とか、小金持ちとか、そんなものはてめえの満足具合が基準になるのよ。しいて言えば、世渡りについちゃカラキシだめなんて野郎は、俗物にすらなれねえ。俗物ってのはさ、世間を泳いでいく筋肉だけはちゃんと発達してるような、けっこうレベルの高いやつらのことよ」
「そんなやつは、ここには一人もいないな」
「どいつもこいつも、俗物以下か。ワッハハハ……」
 私はだいたいの意味を汲み取り、浮きうきした気分で箸を運びながら、騒ぎ立てる彼らを見つめる。テレビが小柳徹の『ホームラン教室』をやっている。ときどきそちらに視線を移してみるけれど、社員たちの話を聞いているほうがずっとおもしろい。
 めいめい酒が足りてしまうと、めしに熱い味噌汁をかけて食べる者、湯づけを香の物でかきこむ者、青ジソに醤油を効かせた冷奴だけをつまむ者、櫃(ひつ)のめしは遠慮して電気釜の底からおコゲだけをすくい出して、塩を振りかけて食う者―みんな無作法で下品なようだけれども、そのすべてが私にはめずらしく感じられ、見ているだけでとにかく楽しかった。こんなふうに、開けっぴろげでにぎやかな人たちと同じ屋根の下に吹き寄せられた偶然を、私は子供心につくづくうれしく思った。
 私は、この闊達で廉直な人たちの中にいて、和気藹々とした家族的な融合というものが人生にとってどれほど多くの意味を持つものかを知った。尊敬と興味に基づいたこういう正しい生活に比べたら、合船場はまだしも(けっして和気藹々とは言えなかったけれども)、横浜の家族生活は何だったのだろう。
 私は古間木を出て以来、母と二人だけで暮らしてきた。毎日が、よきにつけ悪しきにつけ、母の影に覆われていた。私自身はものごとを能天気に(それは無関心ということでもあるけれども)見る性質だったが、能天気なりにどこかで母に気を使っていた。私にとって母は、いつでも意識して仲良くしなければならない人だった。それは融合でなく、隔絶だった。仲良くしながら隔絶していること。その気遣いから、いまようやく解放されたのだった。
 私はご飯を食べ終えると、母の目配せに追われて、食堂に壁一枚で接している部屋にひっこんだ。ベニヤの壁の小窓が食堂に向かって開いている。そこから射してくる光が部屋の天井にぼんやり映っている。鴨居の上に幅の狭い棚が打ちつけてある。棚の上は空っぽだ。食堂と比べてかなり暗い。四十燭光(ワット)の電球をひねる。いつも二つに畳んである煎餅蒲団と、福原さんから餞別にもらった古ぼけた姫鏡台。ヒビが入ったもとの鏡台は引越しのときに捨ててしまった。畳んである蒲団を敷きのべ、横たわる。飯場に入ってからは、敷蒲団が二枚に増えたので(ミッちゃんが母にくれた)、もう母と同衾していない。
 枕もとに置いてある六球スーパーはめったに点けない。雑誌を読むほうがずっとおもしろいからだ。男たちのにぎやかな声を聞きながら、吉冨さんの部屋からこっそり持ってきた『週間ベースボール』をぺらぺらやる。長嶋の打撃フォームが、連続写真で二ページにわたって載せてある。食い入るように眺める。インパクトの瞬間からフォロースルーまで、とんでもなく美しい。こんなに美しくバットは振れない。どのページも長嶋であふれている。対談まで長嶋だ。南海の杉浦との対談。おたがいに褒め合っている。眼鏡をかけた野球選手は、杉浦のほかに杉下しか知らない。
   
杉浦忠    杉下茂

                     
 食堂が静かになったので、小窓を開けて覗きこむと、男たちが引き揚げたあとの長床几(しょうぎ)に母とカズちゃんが腰を下ろしてテレビを観ている。日本の素顔というNHKのドキュメンタリー番組をやっている。私はこの番組のテーマ音楽が何とも言えず好きだ。さびしくて、不吉で、ほんの少しだけ希望があるようで、人生の深みといったものを子供なりに感じる。
 テレビの画面の中で、老人や子供が奇妙な格好をしながら痙(ふる)えている。猫もくるくる回っている。ミナマタビョウというナレーションが入った。重々しい声で、魚にたまった水銀を食べたせいでこうなった、水銀を垂れ流しているのはチッソという会社だ、と言っている。
 私にとって、それは初めて目にする残酷な光景だったけれど、まるでむかしから知っていたことみたいに格別の驚きを覚えなかった。母が野毛山でうめきながら泣いたときもそうだった。だれかが苦しんでいるのを見ると、たしかに同情の気持ちは湧いてくるけれども、なぜかそれがもうとっくに見知ったことのように、胸の壁を新しい爪で引っ掻かないのだ。母が唇を引き締め、目を細めている。何かに苛立っているときの癖だ。
「去年、宝塚で胴体真っ二つという事故が起きたけど、即死だからまだ救いがある。こんな病気にかかったら、一生地獄の苦しみを味わわなくちゃいけない。このチッソという会社、死刑だね」
「ぜったい死刑ですよね」
 カズちゃんが、窓から覗いている私に気づいてウィンクしてきた。笑い返す。切れ長の目に、下膨れの顔。どことなく品もいい。二十一、二歳ぐらいの、少しやんちゃな感じのする人だ。いつも裾の長いフワッとしたスカートにエプロンをして、小まめに母の背について立ち働いている。カズちゃんが自分で言うには、高校生のころは相当のいたずらっ子で、かなり危ないことをして遊んだけれど、去年かおととし、親戚に紹介された中年の男と結婚して落ち着いたということだった。
「共働きってわけでもないけど、退屈しのぎに家計の足し前を稼いでるのよ」
 と言う。
「退屈しのぎじゃ困るわよ」
 と母が笑う。カズちゃんの働きぶりはけっこうやる気にあふれていて、草むしりやら、風呂掃除やら、落葉焚きやら、母に言われたほかの仕事も進んでやっている。
「カズちゃん、お子さんは?」
「結婚したからって、おいそれと子供は生まれるものじゃないんです。年だって二十も離れてるし」
「じゅうぶん男盛りじゃないの。かわいいもんでしょう。女は父親ほど年のちがう男にも、母親とか姉の気分になるって言うから。うまくいってないことでもあるの?」
「年の差って、きれいごとじゃ埋まらないのよね。しゃべること、することが、とにかくシンキくさくて。……向こうも、離婚ならいつだってしてやるぞ、なんて強がり言ってるけど、そうしてくれたらセイセイするわ」
 鼻の穴を膨らませた。
「離婚は面倒よ」
「面倒より、セイセイするほうを優先します」
 カズちゃんは窓辺までやってきて、私の頬っぺたをつつきながら、
「いくつに見える?」
「はたち……ぐらい」
 見た目のとおり答えると、カズちゃんはうれしそうに笑った。
「いい子ね。女がきれいなのは十代だけよ。それを過ぎると、どんどんトウが立ってお婆ちゃんになっていくの」
「ぼく、カズちゃんの顔、好きだよ」
「あら、そう。ありがと」
 褒められちゃった、と母のところへ戻っていく。私は窓を閉めて、鏡台にのっていた手鏡を取って見入った。鼻の脇の傷が、食堂から射してくるかすかな光に浮き上がる。この傷に気づいてからだいぶ経つ。ぽつぽつ縫い跡のある一センチほどの短い直線。しげしげと眺めたあと、裁縫箱からマチ針を取り出してほじってみた。血が出るまでしつこくやる。カサブタになってポロリと取れたら、きれいになるかもしれない。


         四

 軽快な音楽が流れてきた。蟋蟀(こおろぎ)の声がやんだ。きょうも熊沢(クマ)さんがレコードをかけている。おとといはアート・アンド何とかというグループの『シャンソン・ダムール』で、きのうはニール・セダカの『カレンダー・ガール』だった。きょうは女性の声だ。ほかの社員たちは日本の歌謡曲か、せいぜい浪曲を聴くのがふつうなのに、クマさんは外国のポップスしか聴かない。


 サンダルをつっかけ、バラックを貫く土間を走っていく。三間先の六畳の引き戸が開け放しになっている。覗きこんだとたん、ポータブルプレーヤーの前で肘枕したクマさんと目が合った。
「きたな」
 作業ズボンにランニング姿の慎太郎刈りが、起き上がって白い歯を剥いた。ビールのせいでほんのり赤くなった顔が心安い雰囲気をかもしている。
「きょうは、なに?」
「ケーシー・リンデンの『悲しき十六歳』だ」
 少し鼻の曲がったクマさん。人なつこい彼の大きな目を見ていると、からだの隅々まで温かくなる。曲がった鼻も彼の愛敬を削ぐことはないし、光の当たり具合で外人のワシ鼻のように見えることもある。クマさんは起き上がり、もう一度最初から針を落とす。
「ヤッヤッヤーヤ、ヤヤヤヤッ、と」 
「ヤッヤッヤーヤ、ヤヤヤヤ」
 口まねをする。
「アイム、スットン、オナ、オナ、フーリングウ」
 クマさんが英語で歌う。きっとでたらめだろう。私は楽しくて夢中になる。クマさんは一息ついて、うまそうに煙草を吸う。吹き上げる煙が、心地よく私の鼻に絡みつく。
「俺はもうすぐ、悲しき三十歳だ」
 いつものおどけた話しぶりだ。声を聞いただけでニコニコ笑っているのがわかる。


「変わった声だろう? ロリータボイスってんだ。これもいい曲だぞ」
 彼はB面の『グッバイ・ジミー・グッバイ』をかけた。敷居に腰を下ろしたまま私はうっとりと耳を傾ける。音楽が終わると、クマさんはきょうも小さな友人を手招きして部屋へ上げた。
「今年の夏に、ビリー・ホリデイが死んでな」
「ビリー・ホリデイ?」


「偉大なジャズ歌手だった。まだキョウにはわからない音楽だ。スイングからバップ、バップからモダンジャズ、おもしろいのはそこまでだ。ビリー・ホリデイ、ありゃ、神の声だな。恋は愚かと言うけれど、か。しゃがれ声になってから、ホンモノのブルース歌いになった。ま、能書きはいいや。とにかく彼女が死んでから、ジャズを聴く気がなくなって、ポップスを聴くことにしたのよ」
 いつもらしくなくまじめ腐って、しみじみと言う。
「ふうん。その女の人、長嶋茂雄みたいな人だね。ぼくも長嶋が死んだら、野球をする気がなくなるかもしれない」
「まあ、そんなもんだ。……俺はな、西松にくる前は、長野で観光バスの運転手をしていてな」
「かあちゃんの弟の善司って人も、山形で観光バスに乗ってる」
「そうか、よほど腕がいいんだな。バスの運転手は腕がよくないと務まらない。大勢の人間の命を預かってるからな」
 クマさんは、観光バスの運転手に雇われる基準が厳しいことや、自分の運転技術がいかに素晴らしいかを自慢気に語った。
「その会社に、好きな女がいてな」
 クマさんは小指を立てて見せると、故郷に残してきた恋人のことを話しはじめた。
「フサちゃんは、そこのバスガイドだ」
「どんな人?」
「どんなって、そうだなあ」
 彼は恋人の手足の可愛らしさや、グラマーなからだの線のことなどを、手振りを交えてしゃべった。千曲川にかかる薄もやを手のひらで示す。一斉に窓の外を見る乗客たちの首の格好、とりわけ、旅の中休みに、千曲川の岩だらけの岸辺を制服姿の彼女が裸足でぴょんぴょん渡っていく様子をまねるとき、彼の坐ったままのパントマイムは生きいきと冴えわたった。私は、千曲川の水が岩にぶつかるときの涼しげな音や、フサちゃんが軽やかに跳ねていく岩の形や、鬱蒼とした川岸の茂みの青さまで目に浮かべることができた。
「ちょっとこれ見てみろ」
 クマさんは話題を変え、前腕の表面にちょこんとふくらんでいるイボのような突起を動かしてみせた。小学生のころ友だちが撃った空気銃の弾丸(たま)が誤って彼の腕に当たり、放っておいたら傷口が閉じてしまってタマを取り出せなくなった、と話す。硬そうなかいなを突き出し、こぶしを握ったり開いたりしながら、自在に動かす。触ってみると、こりこり指の下で動いた。剃刀で切れば簡単に取り出せるだろうに、きっと大事な思い出なのだと思った。
「中学のとき、喧嘩して鼻を折られてな」
 鼻柱をコキコキ左右に動かす。
「折れたとき、痛かった?」
「そうでもないんだ。ジーンと痺れたけどな。これもほっといたら、いい音で鳴るようになった」
 かすかにくの字に曲がっている鼻梁を指でつまんで、もう一度鳴らしてみせる。
「なんだか、気持ち悪いや」
「ハハハハ」
 クマさんは自分の体験を、秘密らしく、舌なめずりして反芻するような話術にたけていて、聞いていてちっとも飽きなかった。彼が私と同年輩の子供みたいな快活さでヨタ話を持ち出すと、私はとても安心したし、自分の記憶から出てくる大切な思い出を、次から次へとおもしろおかしく表現できる頭のよさに心から感動したのだった。
「キョウは、きちんと人の話を聞く子だな」
 クマさんも私のことを気に入る理由を無数に見つけているようだった。だから彼はまるでレーダーでも内蔵しているみたいに、私の居どころや、考えていることまでちゃんと嗅ぎ当てるのだ。
「いじっちまったな、そこ」
 私の鼻の脇の傷を指差す。
「針で突っついちゃった。かさぶたになれば、治るかもしれないと思って」
「大した傷じゃなかったのに、かえって痕が残っちまうぞ。ケガして縫ったんだろ」
「一年生のとき、猿にやられたんだ。破傷風にかかって、お岩みたいな顔になったんだって」
 私は栄太郎飴までの顛末を手短に語った。
「さぶちゃんてのは、えらいやつだな。京子ってのは下衆だ。小僧はわらじ虫。武士と下衆とわらじ虫をいっぺんに見ちまったわけだ。下衆やわらじ虫はいくらでもいるけど、武士はなかなかいないぞ。とにかく気にするな。そんな小っちゃな傷、そのうち消えちまうよ。破傷風で死ななかったんだから、そっから先はまる儲けじゃないか。傷の一つや二つ、屁でもない」
 非番の昼、クマさんはよく私をトラックの助手席に乗せて、名古屋港の埠頭までドライブをした。平畑のガレージを出発し、千年(ちとせ)の交差点から堀川運河沿いに一直線の国道を走って、築地口に出る。そこで、埠頭から海を眺めながら煙草を一服し、さらにもう一服するために喫茶店に入る。
 喫茶店は私の大の楽しみだった。クマさんはビールの小瓶を頼み、私はアップルパイとコーヒーを注文する。コーヒー六十円、アップルパイ四十円なり。小さいカップで出されるミルクだけを先に飲み、苦いコーヒーに砂糖を少し入れてちびちびやるのが、大人っぽくて得意だった。
 それからUターンして、埠頭の工場の群れを眺めながら戻ってくる。風を切って走るトラックのフロントガラスに展がる景色は、広々として、横浜の下町とぜんぜんちがっていた。クマさんは柔らかい手つきでハンドルをいじりながら、
「フランク永井って、知ってっか?」
「有楽町で逢いましょう。低音の魅力」

「うん。あいつは、歌手になる前は、西松でトレーラーの運ちゃんをしてたんだぞ」
「ほんと!」
「ああ、ほんとだ。それから進駐軍で歌って、のど自慢で優勝して、大スターになったのよ。芸は身を助けるってことさ。―ほれ、キョウ、どうだ」
 ハンドルから両手を離す。わくわくする。トラックが道を逸れて路肩の電柱にぶつかる寸前で、ハンドルを切り返す。また離す。そうして最後は、脱線トリオの由利徹のまねになる。
「カックンとやったっかな、チョイサッと」
   
 両手の指を鉤(かぎ)型に組み合わせ、左右に肩を揺するのだ。何度見てもおもしろく、私は助手席で笑い転げる。
 いつだったか午後遅く、かなり遠出のドライブをしたことが一度だけあって(クマさんは食事はいらないと母に断った)、伊勢湾台風の被害がいちばんひどかったという天白区のあたりを回った。帰りが夜になった。荒れ果てた暗い町の通りへ、ヘッドライトが二本の光線を投げ、その中に虫がただよっているのが幻想的に見えた。
「ゴーストタウンだな。何千人という人が死んだ。なんでかな、一度見ておきたかったんだ。生きているうちが花とは言うけど、いつ無理やり散らされるかわからない。せいぜい咲けるうちに咲いておかないとな」
 すばらしい言葉だとわかった。胸がジンとした。
 湾岸道路を引き返し、内田橋でレストランに入ってエビフライを食べ、楽器店でポップスのレコードを五枚も買った。きょうかけたケーシー・リンデンは、そのときの一枚かもしれない。
「早くお風呂に入ってしまいなさい!」
 食堂から母の声が飛んできた。彼女は、手足がぬるぬる脂じみている社員たちを不潔がり、湯船とスノコに脂と垢がこびりつかないうちにと、いつも私を早めに湯へ追い立てる。よけいなお世話だ。飯場の風呂はなぜか英夫兄さんの家の内風呂ほどにおわないので(カズちゃんがしっかり掃除をしているせいだろう)、私は脂や垢のぬめりなど気にならないのだ。クマさんが残念そうにレコードをジャケットにしまった。
「クマさんはもうお風呂に入っちゃったの?」
「きょうは、荒田としまい湯に入る」
「じゃいいや。一人で入る」
「今度、いっしょに千曲川を見にいこうな」
「うん」
 未練を残しながら風呂場へいく。引戸を開けると、じめじめした空気がからだにまとわりつく。独りぼっちだからそう感じるのだ。曇りガラスに、ヤモリが斜めに貼りついている。桟がカタカタ鳴る。裏のガレージから、夜の現場に出ていくライトバンの音が聞こえてきた。ヘッドライトの灯りが風呂場の天井に射す。だんだん淡くなり、揺れながら遠ざかっていった。
 湯船から出て、黄色い灯りの下でからだを洗った。ひやひや寒気がする。もう一度湯船に入る。ひさしぶりに裕次郎の『最果てから来た男』を口ずさんでみた。

 凍てついた海を越え 俺はやってきた
 いつも夜明けに 胸に疼いた面影よ
 恋は涙か幻か
 愛しき瞳 いまはいづこに
 ああ俺は 最果てからきた男さ

 裕次郎の歌にはいつも海と風と雲がある。大好きな二番をつづけて歌う。

 帰りこぬ夢の日よ 思い出の庭に 
 枯葉を踏んで きょうもわびしくたたずめば
 闇に北風 鳴り響き
 やけに身に沁む 街のともしび
 ああ俺は 最果てからきた男さ


 ドヤドヤ二階の麻雀部屋へ向かう足音が聞こえる。あの部屋の前には、いつもたくさんの靴が乱雑に脱いである。大人が大あわてで靴を脱ぐほど、待ち遠しくて楽しいゲームなのだ。牌をかき混ぜる音が天井のベニヤ越しに響いてきた。 
 風呂から上がって部屋に戻り、もう一度せんべい蒲団に横たわる。鏡台の上の菓子盆を枕もとに置く。わざと湿気らせた柿の種―横浜のせんべいの耳から昇格したおやつだ。小さな丸火鉢のふちに、煙草の短い吸いさしが、何本か大事そうに並んでいる。母のけちくさい癖だ。
 蒲団にうつ伏せになり、また長嶋と杉浦の対談のページを開く。柔らかい柿の種を何粒かほおばって噛みつぶす。二階の麻雀部屋がドッとざわめき、にぎやかな笑い声が落ちてくる。食堂でカズちゃんが水屋に皿をしまう音が聞こえる。あの音がやむと、彼女は帰っていく。そろそろ食堂の明かりが豆電球に落とされ、母が戻ってくる時間だ。私も豆燭に落とし、雑誌を閉じ、蒲団を首まで上げる。
「寝たかい」
 戸を引いてかならず母が言う。
「まだ」
 私は答える。母は敷居に腰を下ろし、
「洗濯物を畳んだら、お風呂に入って、きょうは終わり」
 高島台と同じことを言う。
「あしたから、クマさんとしまい湯に入っていい?」
「しまい風呂はだめ。あれはお風呂なんてもんじゃない。垢がたっぷり浮いてて、ドブみたいにとろんとして。新(あら)湯(ゆ)がいちばん」
「かあちゃんはしまい湯でいいの?」
「水を半分足して、焚き直すんだよ。薪の二本もあればじゅうぶんだからね」
 学校や飯場での生活が、これからどんなものになるのだろうとぼんやり考える。野辺地から古間木、古間木から横浜、そして名古屋。引っ越した初めのころはきまって、写真を眺めるようなさびしい気持ちで、以前の風景や人びとを思い出す。雑草の崖を見下ろす台地、神奈川駅のホームの灯り、貸本屋の白髪のお婆さん、石原裕次郎……。何もかも、独りきりの風景だ。そういえば、開港百年祭の横浜港へも独りでいった。ブラスバンドの音を追いかけながら、夢中で走った。

 百年、百年、数えて百年
 みなと横浜、夜が明ける

 すっくと立っていたさぶちゃん、ケチん坊のひろゆきちゃん、顔のてらてら光るひろゆきちゃんのママ、パンツの汚い京子ちゃん、えくぼのかわいい福田雅子ちゃん、相撲の強い成田くん。浅間下はいやなやつが多かった。テルちゃん、ター坊、サーちゃん、彼の弟や、お父さんお母さん。でも、サーちゃんにはほんとうに悪いことをした。保土ヶ谷の父や、やさしいサトコはどうしてるだろう。なつかしくて、さびしいな。
 ―でも、だれもいらない。何もいらない。いまのぼくには野球がある。ぼくは野球を見つけた。一つしかできないものを見つけたんだ。
 台風の夜、母がせわしそうにやっていた引越し荷物の整理のことや、強風にたわんだ庭の檜のことまで、脈絡なく浮かんできた。
「まだ起きてるの? いいかげんに寝なさい」
 風呂から戻ってきた母が声をかけた。


(次の章へ)