四十八

 四月二十三日日曜日。上天気。二度目の紅白戦。七回終了決め。光の中へ甦る日。クラウンの脇で青空を見上げながらユニフォームに着替える。きょうは菅野とカズちゃんがコーヒーポットを一つずつ持ち、おトキさんが平桶におむすび、オイナリ、海苔巻を三十個ずつ並べて用意した。
 一人離れて、いつもの周到な準備練習をやったあと、フリーバッティングをやり、シートノックを受ける。ようやく親しんだ三年生の顔はない。グローブの音、バットの音、光が降り注ぐ。カズちゃんとおトキさんが両軍ベンチに差し入れをする。監督部長以下うるさいくらい礼を言いながら、あっという間に桶を平らげる。私はオイナリ二つ、海苔巻一つ。紙コップで茶が振舞われる。
 十時試合開始。草の斜面がギッシリ満員になっている。新一年生たちは金網の塀の外でたったまま見学だ。二十人はいる。新聞部のフラッシュが光る。
 土手に並んだ床几の後方に新聞社のカメラマンらしき男たちが二、三人いる。河原の野球が新聞の片隅にでも載れば、飛島の社員たちが見物に駆けつけるだろう。それも仕方がない、受験までは鷹揚な気持ちでいようと思うけれども、それは私の空元気にすぎず、母にとっては私の覚悟など屁でもない。力というのは人の恐怖心を操ってみせることだ。西高の学業成績が維持できているあいだは、母はまだその力を揮う気にはならない。とにかく学業成績と、女の気配だ。
 私の打席数を増やすということで、白組の一番バッターをまかされる。
 第一打席、じっくり選球して、ライト金網へライナーのソロ。ベンチの菅野が私と固く握手し、
「東奥日報の記事に書いてあったとおり、一直線に伸びるホームランでしたね。目が覚めました」
 カズちゃんが抱きついたのに勇を得て、ベンチ内の仲間たちが初めて抱きついた。菅野がにこやかに見つめている。おトキさんは私にコーヒーをいれた。仲間たちが質問してくる。
「手首は返すんですか」
「絞る感じだね。投げ出して、絞る」
「高目は胸までですか」
「バットの届く範囲にとにかく手を出して、高いと思ったらレベルスィング、低いと思ったらゴルフスィング。のめらない、ふんぞり返らない」
「ヘッドスライディングは?」
「指や、首を痛める。しないほうがいい」
「どんなに練習したって、神無月さんのようにはなれません」
「練習しつづけてください。小学校五年のとき、ぼくの目標はサンフランシスコ・ジャイアンツのウィリー・マッコビーでした。ぜったいああいう選手にはなれないと思った。挑戦が始まったんです。百六十センチもない小さなからだで。……まだ彼のような選手にはなれていません。ぼくはこのまま努力しつづけます。ときどき、どうでもいいとか、馬鹿なことをやっているんじゃないかと感じて、だらけた気分になることもあります。でも挑戦に対して無関心でいることは許されない。生きているあいだに実現するかどうかなんか、自分がこれだと思って掲げた高い目標のためなら関係ない。だからこそ、ぼくたちのするべきことは、努力と、忍耐と、そして、けっしてあきらめない気持ちを持ちつづけることなんです。そうしないと、きっと後悔が残ります。後悔というやつは最も苦しい人生の同伴者です。後悔にもいろいろな種類がありますけど、怠惰の後悔がいちばん大きい」
 高江監督が、
「いいお話でした!」
 カズちゃんが、
「オーバーな言葉と受け取らないでくださいね。キョウちゃんはいつも命懸けで生きてるんですよ。努力しないときの自分を罰するつもりで」
 選手たちが感じ入ったふうにうなだれた。監督の顔が赤くなり、菅野とおトキさんは目に涙を浮かべた。
 二打席目左中間二塁打一打点、三打席目右中間二塁打一打点、四打席目センター場外へソロ。打点四。九対ゼロで白軍が勝った。
 試合後、ベンチ前に全員集まったとき、監督に乞われて、新しいメンバーたちに私は去年と同じことを言った。
「練習のしすぎでケガをしないように。どんな練習もほどほどに、そして習慣的にやること。ピッチャーは投げこみすぎないように。五十球がメドです。バッターは素振りをしすぎないように。二百本がメドです。今年の秋まで、これからもこれるかぎりきますが、模擬試験や、旅行や、来客などがあるときはこれません。悪天候は常識で判断します。じゃ来週もよろしくお願いします」
「お願いしまーす!」
         †
 四月二十九日土曜日。雨。西警察署の向かいの辻を曲がると、小雨の中に横浜の浅間下の商店街のような明るい光の道ができている。まだ午後の一時だ。
「ああ、いいなあ、こういうの」
 肉屋で豚のコマ切れを買った。香ばしいコロッケも買い、カズちゃんと二人で齧りながら歩いた。彼女が総菜屋でイナゴの佃煮を買おうとしたので、拝むようにして止めた。カズちゃんはケラケラ笑った。野菜を一揃いと、玉子、納豆、油揚げ、豆腐、板海苔、アジの開き、わかめを買った。彼女は、小学校以来の私の好みを知っている。
「白菜はもう漬けてあるのよ。キョウちゃんの好物だものね。一人きりだと、冷蔵庫は宝の持ち腐れ」
「東京にいったら、宝になる」
「ほんとね! 所帯道具をせっせと貯めとかなくちゃ」
「じゅうぶんだよ、あれで」
 家の玄関に入るとすぐ、私はカズちゃんを後ろから抱きしめ、耳に囁いた。
「愛してる……」
「それを言っちゃだめ」
 かすかな耳鳴りといっしょに追憶の風が吹いた。……通り過ぎていった悲しみ。カズちゃんの背中を強く抱き締める。カズちゃんは買い物袋を下に置き、振り返って私をそっと抱いた。
「愛してるわ。……悲しくなっちゃだめよ」
         †
 昭和四十二年五月五日金曜日。曇。十八歳の誕生日。十八年生き切った。
 飛島の社員たちが、スナック菓子を用意して祝ってくれた。面映ゆかった。
「キョウ、ひとこと」
 所長に促され、この十カ月で胸の内に溜まった湯のように温かいものを表現しようとする。しかし水蒸気の言葉さえ出てこない。
「言葉に尽くせないほど感謝しています。期待に添うよう生きるのだけが喜びです」
 とだけ言って、頭を下げた。所長が、
「キョウ、来年の春からは六大学の花形だ。四年間のリクレーションだと思えばいい。大学で何年か道草食うのもいいぞ」
 三木さんが、
「四年もやりますかね。プロに誘われたら―」
「たしかにな。期待に添うなんて殊勝なこと言っても、根本的に賑やかなことが嫌いな人間だから、ちゃんと卒業して静かな学問の道に進むかもしれん。いや、ひょっとしてケガをして、野球とおさらばすることもあり得るぞ。何かが起こるんだよ、キョウには。天才の前途は多難だからな。すべて順調にいったとしても、人間関係で神経やられちまうかもしれん」
「心配しすぎですよ、所長。このままいくって。あの新聞記者がきてから、キョウちゃんの顔つきがちがってきた。東大という枷がきちんとはまって方向決まったんで、うれしいって顔だ」
 山崎さんが、私にヘッドロックして頭をごしごし撫でる。
「そうだな。ま、何かあったらあったで、キョウにとってはもっと厚みのある人生になるわけだからな」
 佐伯さんが、
「ここにきてから静かな人生を始めたわけでしょう。郷くんが静かにしているつもりでも、世間はじゅうぶん騒いでる気がするんですけど。これ以上うるさくならなければいいんですが」
「新聞記者がきただけだろう。キョウちゃんには、落ち着いた生活なんだよ。俺も見てるだけで楽しくてしょうがない。ね、おばさん」
 三木さんの笑顔に、
「さあ、なんだか、怖いです。能力以上に持ち上げられているみたいで」
 大沼所長が、
「佐藤さん、くどいこと言うけどね。あんた、天才生んじゃったんだよ。慣れなさい。三木が言ったみたいに、ただ黙って見つめてればいい。何かが起こっても、暖かく手を貸してやるんだ。いずれ、いい生活させてもらえるから。俺もごしょごしょ心配しないことにするよ。飛島、いけ!」
 飛島さんの陸の王者が出て、社員たちは酒盛りに移った。私はエビセンを手づかみでシロにやった。


         四十九

 理科の勉強を新鮮に感じだし、せっせと勉強した。活字の大きい地学や生物の問題集を買ってきて、舐めるように解いた。物理や化学はいっさいやらなかった。数学は、たまたま書店で見つけた赤摂也という立教大教授の数Ⅰと数ⅡBを熟読するほかは、ほかのものに手を出さなかった。
 英語と現国と古文・漢文は部屋の机で学習する科目ではなくなり、緊張して授業に臨むだけですました。社会科の教師はみな相変わらず生徒に背を向け、黒板にしきりに文字を書き連ねるだけで、教科書の説明もほとんどすることがなかった。私は社会科の時間を休息に充ててグッスリ寝入った。
 山口にトモヨさんの妊娠と、出産の予定月を書いてやった。山口以外には手紙というものをほとんど書かなくなった。語りかけるべき〈思い出の人びと〉に対して、筆不精を申しわけないと思う気持ちと同時に、忘却を望む微妙に投げやりな気持ちがあって、実のある言葉を思いつかなかった。端的に言うと、箇条書き的な生活をこなすことに疲れ、言葉をひねり出す精力がなくなった。人から離れるというのはこういうことなのだろう。かける言葉がなくなり、それが習慣となり、その存在さえ忘れてしまうのだ。
 手紙に割く時間が大幅に減るにつれ、心にゆとりが生まれ、すみやかに読書と詩作の気力を回復しはじめた。かならず一時間は読書し、詩を一つ書いてから床に就くようになった。
 図書館でのドラゴンズメモも回復しはじめた。昭和二十年代から三十年前後にかけて活躍した選手にさしかかった。
 西沢道夫―右投げ右打ち。百八十二センチ、七十三キロ。昭和十一年十五歳で入団テストを受け名古屋軍入団。その後十年、速球を武器に主戦投手として活躍。五十九勝六十五敗。肩を痛めて打者に転向。二十一年金星に移籍、二十四年中日ドラゴンズに復帰。主砲として活躍。二十五年、一シーズン四十六本の本塁打、五本の満塁本塁打。二十七年首位打者と打点王。二十九年ドラゴンズ優勝の年、二十二試合連続安打。三十三年引退。背番号15は永久欠番。三十八年ドラゴンズコーチ。三十九年から現在にかけて中日ドラゴンズ監督。四十六歳。
 杉下茂―右投げ右打ち。百八十二センチ、七十一キロ。旧制帝京商出身、いすゞ自動車、明大を経て、昭和二十四年中日ドラゴンズ入団。二十五年から六年連続二十勝、九年連続二桁勝利(戦時中の手榴弾投げ競争を機に弱肩が強肩に変身した話、肩を何度か壊したが自然治癒したという話、その二つは信じられない。もともと強肩で治癒力もすばらしかったのだろう)。二十五年最多奪三振、二十六年最多勝、かつ沢村賞、二十七年二年連続沢村賞。ものすごいのは、二十九年ドラゴンズ優勝の年、三十二勝、防御率一・三九、二百七十三奪三振、最高勝率、最多完封で投手五冠王、MVP、ベストナイン、史上初三回目の沢村賞。一本もヒットを打たれたことのないフォークボールは有名。現在阪神コーチ、四十二歳。江夏を採ったのは彼。二百十五勝、百二十三敗、最終防御率二・二三。
 漱石は虞美人草で一頓挫。書物は書店で買うことはほとんどなくなり、図書館から全集を一巻ずつ借りて帰るという習慣がついた。その習慣の中で、宮嶋資夫という大正期のプロレタリア作家を発見する。全集の中にたった一編しか載っていなかった『坑夫』という短編に震撼した。無骨でリリカルな描写に真実味があった。
 不定期に訪ねるカズちゃんを除いて、ほかの女たちはひと月に一回ずつ訪れるようになった。曜日も特定しなかった。彼女たちのだれ一人、この気まぐれな訪問に不平を言わなかった。彼女たちは、日々自分なりの充実したスケジュールの中で生活していた。私はその生活に性欲の発散というアクセントつける喜ばしき客人だった。
 彼女たちは月に一度の肉体の交接を大切にし、心ゆくまで貪った。トモヨさんの欲望が最も激しかった。流産が危ぶまれるほどだった。文江さんは近所の散歩を重視し、肉体の交わりを求めるのは別れぎわと決まっていた。ただその反応は烈しく、喪心することがしばしばだった。法子は最も淡く、一回ごとに、新しい反応を開花させていくことを楽しんでいた。
 下校のつれづれに、ささやかな娯楽を発見した。環状線の沿道の例のパチンコ屋にときどき立ち寄るようになっった。人混みにまぎれて、見知らぬ人びとともの言わぬ時間を共有できるのが楽しかった。チューリップが開いたり閉じたりする単調さも気に入っていた。千円と決めてきっちり使い切った。勝つことは一度もなく、誇張ではなく、負けることに深い喜びを感じた。ときどき、マグレで玉が出すぎたときなど、負け切るまで帰路につかなかった。ただこれも、二週間ほどで飽きがきた。物質的な僥倖を願う人びとの〈孤独〉に退屈した。
 帰宅すると、社員たちと晩めしを食い、勉強を開始する前に、テープレコーダーで六十年代初期のポップスを繰り返し聴く。勉強が一段落するとランニングと筋トレ。読書のあと、詩想が湧かないときは、床に入って眠気が襲ってくるまで、佐伯さんがくれたトランジスタラジオのダイアルを回した。深夜のリクエスト番組の曲はほとんどがクズ曲だったが、そんな中でも耳に好ましく響く曲を発見すると、レコードを買いにいき、せっせとカズちゃんの音楽部屋へ運んだ。小指の思い出、世界は二人のために、帰ってきたヨッパライ、そんなクズの中に、森山良子の『この広い野原いっぱい』を発見して喜んだ。柔らかい絹のような声をテープレコーダーに吹きこみ、何度も聴いた。カズちゃんの買ってくれたテープレコーダーは、回転時の起動が鈍いほかはいつまでも健在だった。回すたびに彼女の笑顔を思い出した。
 早朝の運動、朝食、登校、授業、下校、図書館、夕食、勉強、深夜の運動、読書、まれに詩作、日曜日の野球、カズちゃん、トモヨさん、文江さん、法子、素子。そんなあてのない羅列的な生き方をしながら、不意に空しくなるということはなかった。野球以外の自分の無目的を悟って以来、何をしても充実した気分でいた。その気分の中で、比較的文江さんと法子を閑却した。ただ一つ底冷えのする不安は、たとえ成績が降下しなくても、母のするどい嗅覚でこの生活がいつ崩壊の憂き目を見るかもしれないということだった。
         †
 ドラゴンズメモ。
 河合保彦―右投げ右打ち。百七十七センチ、七十七キロ。岐阜高から昭和二十七年中日ドラゴンズ入団。中日で七年、西鉄で九年、今年は西鉄で和田博実の控え捕手をしている。ドラゴンズ時代は野口明の控え捕手、その後吉沢岳男と併用される。杉下のフォークボールをじょうずに受けた捕手として有名。目立った活躍はなし。現在三十四歳。
 児玉利一―右投げ右打ち。百七十九センチ、七十五キロ。大分商から、明大、社会人を経て、昭和二十六年三十二歳で名古屋ドラゴンズ入団。三番西沢、四番児玉、五番杉山のクリーンアップは球界随一と言われた。カーブ打ちの名人。三十二年大洋移籍。二年後に引退。生涯本塁打五十一本、打率二割七分八厘。三塁手としてベストナイン二回、オールスター出場三回。現在四十八歳。東海ラジオで解説者。
 杉山悟―右投げ右打ち。百八十センチ、七十五キロ。岡崎中から軟式野球の社会人へ。昭和二十三年中日ドラゴンズ入団、サードを守る。すぐにレフトにコンバート。その年十一本塁打。二十四年、三十一本塁打。二十七年、二十七本塁打でホームラン王。同年ベストナイン。中日優勝の二十九年、九十一打点で打点王。西鉄との日本シリーズで、左側頭部にデッドボール。その恐怖症がもとで本来のバッティングができなくなり、徐々に衰えた。中日時代十一年間に二百三本塁打。三十四年国鉄移籍、翌年近鉄バファローズ移籍。引退。三十八年から中日ドラゴンズコーチ、二軍監督。現在四十一歳。
         †
 相も変わらず、数学Ⅲという科目がさっぱりわからない。微分や積分のごちゃごちゃした公式が呑みこめない。物理も無意味に難しいと感じはじめたし、化学にいたっては、化学式を理解することはおろか、原子記号すら暗記できない。
 三年生の第一回の実力試験で、校内の五番に落ちた。首席は加藤武士だった。英語と現国と古文は依然としてトップの面目を保った。土橋校長には呼ばれなかった。すぐに復活するだろうと見こまれている。私も、このままナシクズシに成績が落ちていくとは思わなかったし、次回は引き離したトップに立つことを確信していた。定期試験は悲惨だった。数学は七点、物理はかろうじて平均点、化学は赤点どころかクラスのしんがりだった。それでもやはり英語と現国だけは首席を通した。校内順位は四百番まで落ちた。
 信也からの連絡を受けて母があわてた。
「おまえ、どうしたの。東大へいくんじゃないの」
「だいじょうぶだよ。ちょっとした興味で理系のクラスに入ってみたけど、やっぱり数理オンリーのやつと理系科目で肩を並べるのはムリだね。英・国は実力試験も定期試験も学年のトップだから、別におたおたすることはないんだよ。入試だって数Ⅰと数ⅡB、理科は地学と生物で受ける。ぜんぶ得意科目だ。ぜったい受かるよ」
 母は不安そうな表情を崩さず、
「言ってることがよくわからないけど、大風呂敷なところが、ますますオヤジに似てきたね」
 と言った。
 翌週の第一回河合塾東大オープンで、予定どおりの科目で受け、全国文系総合二位、文Ⅲ志望者中一位の成績を収めた。英語と国語は全国一位だった。数学でさえ五十位に入っていた。判定《A》に学校じゅうが大騒ぎになった。三千番に入れば東大合格確実と言われている試験だった。
 飛島の社員たちは、私の示した成績表を、額を寄せ合って覗きこみながら、ため息を漏らすばかりだった。無目的な無能から生まれるマグレ―私にはそれがわかっていたので、けっして有頂天にはならず、ただ母に対して面目を回復できたことだけを喜んだ。母には学校の試験と全国模試とのちがいが得心できないようだった。


         五十

 ある週日の学校帰りに、担任の加藤信也が私を自分のアパートに誘い、浅間下のような腰高の窓が一つあるきりの薄暗い部屋で、サイフォンコーヒーを振舞った。
 彼はギターを抱えて、ピーター・ポール・アンド・マリーの『花はどこへ行った』を鼻詰まりの声でひとしきり唄い上げた。おまえも唄えと言われたけれど、私はそんなリフレインばかりのメリハリのない歌を唄いたくなかった。
「音楽はめったに聴かないので、その歌を知らないんです。すみません」
 会話が途切れ、手持ち無沙汰になって彼が点けたテレビに、ゲゲゲの鬼太郎が映っていた。机と書棚は学校関係の書類らしきものでいっぱいで、部屋の調度はそのテレビ一台きりだった。書物の姿がなかった。サイフォンコーヒーは彼の孤独な生活の唯一の慰めのようで、うまかったのでお替りをした。
「おまえ、ほんとに模擬試験に強いな。数学も模試になると校内一番だ。定期試験だとドベクラスなのにな。いたって本番に強いってことだ。校長はじめ、私もみんなも期待してるぞ。しかし、ほんとうに理Ⅲを受ける気か。数学がネックになると思うんだがな」
「あれは書いてみただけです。ハナから医学なんぞに興味はありません。政治にも法律にもね。政治家、弁護士、医者なんて権力志向者は、自分の手柄のために強引に事実をねじ曲げ、平気で他人の命まで利用するようなヤカラですよ。いちばん無害な文Ⅲを受けるつもりです」
「するどい舌だな。人から嫌われる舌だ。舌はするどいが、ものを見る目が単純すぎて、ガキの意見を聞いてるみたいだ。世間はおまえの見る構図どおりじゃないぞ」
「真理は小児の口にあり。真理は単純なものです。そして深い。底なしの一本井戸だ」
「まあ、文Ⅲならまちがいなく受かるだろう。しかし油断するなよ」
「ぼくは油断したことってないんですよ。ぜんぶメいっぱいです」
「ふん、自己紹介でおまえが言ってた、敷かれたレールがむだになる、というのは、どういう意味だ?」
「せっかく軌道に乗っても、そこから外れるということです。意図的にそうしたいわけではありませんが、おそらくそうなることは確実です。手短に言えば、学歴を社会的成功に生かせない生き方を本能的にしてしまうだろうということです。なぜなら、ぼくは真の意味で無能だからです」
「おまえはペシミストか」
「オプティミストです。命のあり方は楽観していませんが、生活は楽観しています。命というのは、レールの上を脱線しないようなスピードでは走れませんよ。かならず脱線します。命が立派な駅に停車しなくたって、正規の軌道から脱線したって、線路端でも生活していくことはできます」
「言ってることがよくわからんが、大学へいくというレールは走るんだろ」
「はい。一つ二つの駅は経験してみたいので」
「野球をすれば、きっちりレールに乗ることになるな。ぼちぼち、おまえのことが大手の新聞に載るようになってるぞ。おまえ、たまに名城高校のグランドで野球の練習してるだろ。毎日新聞のスポーツ面に載ってたぞ。神無月秘密の自主トレってな。おふくろさんが見たら、一悶着起こるんじゃないか」
「見ませんよ。たとえ記事を目にするなり、社員の口から聞くなりしても、東大合格が見えているかぎり、おふくろは反撃の腰を上げません。野球という停車駅は、幼いころからぼくの目的地だったんです。最近は、目的ではなく強い関心事だったとわかりました。その駅で素直に下車して、しばらく生活します。ほかの駅だとラッキーしか望めませんが、野球の駅では持ち前の才能を発揮できます。あえて拒否することはないでしょう」
「なんか、スッキリしないしゃべり方だな。まあ、難しい生き方をすることになるだろうが、本気で応援してるぞ」
 信也はギターを抱え直し『悲惨な戦争』を唄いはじめた。胸にくる旋律だったので、歌詞とメロディを教えてもらい、いっしょに唄った。唄い終わると、彼は山口と同じように涙を流していた。
「……驚いたな。この世に二人といない声だ。自然と涙が出た。野球、勉強、歌か。おまえはどの道に進んでも、超一流になる。とんでもないやつに会っちまったな。十月の文化祭で唄ってみないか。クラスに田島という眼鏡がいるだろう。あいつは私が部長をしてるフォーククラブの主将だ。部員は原と竹内と金原しかいないが、いい和音を出す。主旋律で唄ってやってくれないかな」
「わかりました。十月ですね。五カ月も先だ」
「十月八日、日曜だ」
「練習には出ませんよ」
「出なくていい。ぶっつけで唄って、みんなを驚かしてやれ。一人でも多くこの声を聴かせたい」
 文化祭の帰りには金原に誘われるだろう。まちがいない。このあいだも、
「英語教えてくれない? 夕食つきで」
 なんて言いながら寄ってきたばかりだ。卒業前に抱いてくれという約束を忘れてしまったのかもしれない。
         †
 五月二十一日。日曜日。十日も雨が降っていない。九時から河原の朝練。周回、三種の神器、素振り等、一時間は平常どおり。それから守備練習のあいだ、外野で三十分付きっ切りで一年生の素振りを見てやる。最上級生といっしょにセカンド滑りこみ十本。ひさしぶりなので尻が痛い。ベーランを三本して上がり。ユニフォームを学生服に着替え、カズちゃんと菅野のクラウンに手を振る。
 図書館の帰り、ひさしぶりに西の丸へいき、お腹がとみに目立ってきたトモヨさんと一交。
「このところ、お腹がどんどん突き出してきて、どこまで大きくなるんだろうとこわいくらい。過ぎていく月数と日数を忘れないように数えながら、こんな身重になっていくのが不思議に感じます。このあいだ、お腹をグーと蹴った赤ちゃんの足が、かわいらしい形のまま浮き出てきて、びっくりしました」
 西の丸を午後の三時に出て、公衆ボックスで電話を入れてから、法子の店にいった。四時には開けておくから、ぜひきてほしいと言われた。
 神宮前のロータリーから露地に歩み入る。小店のノラは路の左側にあって、背を神宮商店街のほうへ向けている。玄関の大きな植木鉢に、アカンサスの紫の柱状花が真っすぐ立っていた。この花の形を様式化したものが、ギリシャのコリント式の柱だと何かの本で読んだことがある。
 ノラは女四人の手で営まれている。身内以外の働き手は、法子の姉の友人であるヨシエという名の中年女が一人。先回いったとき、バーは軒なみスナックとパブに取って代わられ、イチゲンの客はほとんど入らなくなったと母親が言っていたし、残ったお得意客のサービスは四人では手が多すぎると姉が嘆いていた。
 鈴を鳴らして入る。驚いたことに、カウンターに法子と並んで私服の加藤雅江が座っていた。ハイウェストのハナダ色のスカートに黄色いセーターを着ていた。透き通ったような美しさにしばらく言葉が出ない。紫のドレスを着た法子がにこにこ得意げに笑っている。
「やあ! 何年ぶり?」
「浅野先生に写真を撮ってもらって以来やから、二年半ぐらい」
 ポニーテール姿が凛と胸を張っている。なつかしい姿勢だ。
「すごくきれいになったね。鰐淵晴子と言ってもいいくらいだ。むかしから美人だったけど、ここまでなるなんてね」
 雅江が笑いながら、
「また始まった」
「この小僧は口がうまいんだ。こんなのがあんたたちの想い人なんだからね。先が思いやられるわ」
 白いセーターに赤のプリーツスカートを穿いた小夜子は、相変わらず痩せて青い顔をしていたけれども、眼は生きいきとよく動いた。豊満な曲線は持っていなくても、女らしさに欠けているわけではなく、カウンターの中の足どりは軽やかだった。普段着で手伝いにきていたヨシエが、
「新聞読んだわよ。北に南に盥回しされてるようだけど、ポキンといかないようにがんばってね。東大に入るのはお母さんに対する復讐でしょう?」
「そういう気持ちはすっかりなくなりました。うまい具合に風が吹き回っているので、そのことだけに没頭できます。いまのところいい人生です。ポキンとはいきません」
 モスグリーンのドレスを着た大柄の母親が円満顔で私に微笑みかけ、
「神無月さんはだいじょうぶ。ちょっとやそっとじゃヘコたれないわ。どこから見ても貴公子ね。皇族か何かみたいよ」
 いつものように時間が巻き戻る。雅江が、
「おとうさんが野球好きやで、神無月くんの活躍のこと聞いとったよ。北の怪物、全国高校野球二年連続三冠王、野球をお休みして、勉強のために南へ帰る。青森高校でも名古屋西高でも学業成績ナンバーワン、奇人中の奇人、来年の秋、ドラフトでいちばん騒がれる男。でも、ドラフトは拒否」
「あらあ! 神無月くんて、そんなすごい人だったの」
 母親の目が大きく見開かれた。法子が、
「私も雅江ちゃんから教えてもらって、驚いちゃった」
「この少年、不機嫌だよ」
 小夜子に耳打ちされたヨシエが、
「野球の話、したくないんじゃないの」
 小夜子が注意をこめて私の顔を数秒見つめた。
「少年、お腹すいた?」
 母親が、
「お茶漬けつくりましょうか?」
「いえ、腹はへってません。不機嫌じゃないですよ。こういう顔なんです。小さいころから、どの写真も眉間にシワを寄せて写ってます」
 雅江が、
「青森に出した手紙、返事くれんかったね」 
「ごめんね。あのころはだれにも返事を書かなかった。浅野、親戚の叔父、直井整四郎まで手紙くれたけど」
 法子が私の手を握った。
「わかるわ。とつぜん島流しされたんだもの」
 雅江がチラリと重なり合った手を見た。小夜子が話題を換え、
「ふうん、ホームラン王とはねえ。ちょっと、腕まくってみせて」
 右腕のワイシャツをまくり上げる。手術をした左の前腕は少し細いから見せない。
「太ォい! 何これ!」
 五人の女が興味深げに覗きこみ、触りまくる。母親まで触ってくる。雅江が目を潤ませて、
「神無月くんは、名古屋市の小学校、中学校でもホームラン王だったんよ。あんな島流しがなければ、いまごろどこかの野球の名門校で……」
 私は雅江に笑いかけ、
「スポーツ、イコール馬鹿。ある時期にその価値観が固まったんだろうね。つまり、勉強の道だけに成功があり、スポーツの道には挫折がある。たとえ成功しても、馬鹿同士でじゃれ合ってるだけ。そういう考え方をする親の子供として生まれたんだ。世間相場の親孝行ができない分、少しはがまんしないとね」
 小夜子が首をひねる。
「人の親が、そんなシンプルな考え方するかなあ。もしそうなら、ガツンと復讐することも必要かもね。復讐は情念の行動で、正義の制裁だというから」
 ヨシエが、
「でも東大に受かってあげるんだから、制裁にはならないわね。それから先の行動が制裁になるのよ」
 私は、
「勉強だろうと、スポーツだろうと、成功もするし、挫折もします。いくら才能があっても、いくら努力しても、成功と挫折がついて回るものです。どんな分野にも人生を賭ける価値はあります。少なくとも、おふくろにはそのことがわかってない。だからもう考えないことにしたんです。少しでも計画のじゃまをされないように気をつけるだけです」
 小夜子が、
「でも、あんたって、自分を強く持って突き進んでいく感じがしない。いつも人に流される。運まかせで、覇気がない感じ。やさしすぎる……」
「そうやって生きていこうと思います。主張したいほどの自己がないんですよ。根性はあるけど、目標がない。持とうとすると、人間はがんらい、目的もなく生まれてきたんだと思ってしまう」



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