四十二

 半日の旅でたどり着いたサイドさんの家は、周りをアラセイトウの庭に囲まれた一戸建ちの平屋で、古間木の官舎よりかなり大きい感じがした。柴垣の真ん中に折戸を切ってあった。押して入ると、土を踏み固めた道の両脇に色とりどりの草花が植わっている。それが家の裏手まで群がり生えていた。隣の敷地との仕切り塀の向こうに、窓の閉まった立派な二階家が建っていた。
 西洋風の二重の網戸を開けて善夫が呼びかけると、廊下の陰から椙子叔母の返事が聞こえた。掃除に忙しくしているらしく、クリーナーの音がした。大きくなった善郎が玄関に出てきて、生意気そうな目で二人を睨んだ。いらっしゃいともこんにちはとも言わない。母親そっくりの意地の強(こわ)そうなくわい顔だ。どんな子供でも、親族とわかっている人間と顔を合わせたときは、少しくらいは愛想笑いをするものなのに、何が気に食わないのか無愛想にじっと善夫と私を見つめている。
「今年から小学校か」
 善夫の問いかけにも答えない。
「学校、おもしれか」
 善夫は頓着なく話しかけた。そしてごしごし善郎の頭を撫ぜると、私を促して家に上がった。さっそく台所にいき、叔母に茶漬けを所望している。叔母は掃除の手を止めて、やかんに湯を沸かすと、冷蔵庫からあり合せのおかずを出した。佃煮とタクアンだった。
「悪いな、椙子。キョウ、おめも食うか」
「うん」
 善夫は私のめしにも湯をかけた。椙子叔母はまた掃除に立っていった。入れ替わりに善郎が入ってきて、二人を睨みつけた。善郎がこういう態度をとるのは何か理由があるのではなく、人見知りする気質のせいらしかった。私はゆっくりタクアンを噛みながら、めしを掻きこんだ。
「善夫は、ここにきたことがあるの」
「なんも、初めてだ」
 笑いながら言う。
「ただいま!」
 小さな黄色いカバンを肩にかけた賢そうな目をした男の子が、満面に笑いを浮かべて玄関から走りこんできた。
「お、寛(ひろ)紀(のり)か、お帰り」
 善夫が箸を握った手を挙げると、黄色い園児服を着た男の子が、えくぼのくぼんだ愛らしい丸顔をくしゃくしゃにして笑いかけた。脂肪のついたからだ全体がどことなくサイドさんに似ている。
「幼稚園には夏休みはねのが」
「ある! 終わっちゃった」
 と元気よく答える。掃除をすませた叔母さんが、
「八月の初めに、一週間な。始まってホッとしたでば。うるさくてかなわね」
 彼女は菓子盆を持たせて息子二人を子供部屋へ追いやり、私を畳部屋に呼んで、からだの寸法を測った。
「六年生にしては小せな。何センチある?」
「百五十九」
「半年もすれば、百六十二、三になるな。うん、少し大きめに作るべ。ポケットは二つほしが?」
「一つでいい」
「ペン差しの穴、開けとくど」
「うん」
 夕方遅く帰宅したサイドさんは、びっくりするほど白髪が増えていた。髪を七三に分けている。しゃきしゃきした身のこなしは相変わらずで、若い雰囲気を保っていた。厚い唇にちらりと八重歯を覗かせ、いらっしゃい、と言うと、カバンから缶詰をいくつか取り出してテーブルに置いた。
「また、うまいものでも見つけたんだか」
 善夫が愛想を使った。
「オイルサーディンと、コンビーフ、鯨の大和煮。椙子、オニオンスライスを作ってくれ。いい酒のつまみになる。いやあ、こっちにきてから買い物が趣味になってさ」
「なんも、古間木にいたときから、こうやって無駄なものばり買ってくるんだず」
 叔母さんが眉間に皺を寄せる。子供部屋から善郎と寛紀が出てきて、缶詰をめずらしそうにいじり回した。
「無駄なことがあるか。めしのおかずにだってなるんだぞ。缶詰というのは、外国じゃ高級品なんだ。そのわりに値段が安い」
 私は、うんしょ、うんしょ、と自転車を漕いだサイドさんの背中を思い出し、なつかしい気持ちで彼の顔を眺めた。
「キョウ、ひさしぶりだな」
「はい」
「来年は中学だって? 早いもんだ。母ちゃんは元気か」
「はい」
 食卓がいっときにぎやかになった。それでも、サイドさん一家に時分どきらしい和んだ風が吹くというわけでなく、めいめいが勝手に大皿に用意されたおかずを取ってちまちま食べるというふうだった。私は英夫兄さんの家にいたときと同じように、ごはんのお替わりができなかった。善郎の食は細くて、叔母はなかなか減らない彼の皿におかずを足してやったり、ようやく一膳食べ終わった茶碗の中に熱いほうじ茶をついでやったりした。
 サイドさんは、二十歳になったばかりの善夫とビールをつぎ合いながら、冷蔵庫から秘蔵のソーセージやチーズを引っぱりだしては、一人でかつかつ齧っていた。オイルサーディンやコンビーフも、サイドさんが一人でつまんでいた。ときおり思い出したように善夫に勧めるのだけれど、さすがの善夫も手を出せないようだった。
 古間木のころとちがい、役人となったサイドさんには相当な威圧感があった。めりはりの利いたしゃべりぶり、唐突な笑い、相手の言葉を一ひねりして知識をつけ加えみせる教養―どれもこれも、彼の新しい習慣のように思われた。
 善夫はサイドさんに、いまの会社を辞めようと思っていることを告げ、父親と同じボイラーマンになりたいと言った。
「二級でも取れば、企業や病院にラクに就職できるすけ」
 母に洩らした物書きになりたいという話はしなかった。私はあの真剣な目が見たくてうずうずした。
「ボイラーマンか。悪くない。勉強をしなくちゃな。日本橋の知り合いに布団屋がいるけど、どうだ、店員の仕事なら自動車工場よりは疲れないんじゃないか。しっかり勉強もできるし。口利いてやろうか?」
「お願いします」
 その場でサイドさんは電話口に立ち、話をどんどん進めた。結局善夫は、そこの店主の世話で四、五日したら中央線沿線の高円寺というところにアパートを借り、そこでじっくり勉強することになった。彼はうれしくてたまらないという顔で、サイドさんに何度も頭を下げた。
「寮の荷物はいつ取りにいく?」
「置いたまま、夜逃げでもするじゃ」
「だめだめ。立つ鳥、跡を濁さず。自分の希望と今後の計画を会社に伝えて、ちゃんと順序を踏んで辞めなさい。別に恥ずかしいことをするわけじゃないんだから」
「わがった」
 善夫の元気のいい返事は、何となくあてにならないような気がした。きっと彼は夜逃げをするにちがいない。彼はボイラーマンになりたいから仕事を辞めるのでなくて、今の仕事がプライドを傷つけるから辞めるのだ。布団屋だってボイラーマンだって同じことになるだろう。彼は物書きになりたいのだ。それ以外の仕事に満足するはずがない。
 ずっとあとで聞いた話だと、善夫はサイドさんの言いつけどおり円満退社して、わずかながら退職金までもらったということだった。私にしたら、そういう他人の心に波風を立てまいとするまじめさは、誇り高い人間としてはちっともまじめではなく、そんないい子でいては、物書きとしてきっと大成できないだろうと思った。なりふりかまわず真剣に生きていれば、人はかならず跡を濁すものだ。それは私の幼い直観が囁いたことだけれども、とにかく、いい子はぜったい芸術家にはなれないだろうと思ったのだった。
         †
 善郎と寛紀は性質が正反対の兄弟だったが、いっしょにトランプをしたり、キャッチボールをしたりして遊んでみると、どちらも同じように不器用で鈍くさく、ちっとも張り合いがなかった。おまけに善郎は徹底した怠け者で、七並べの途中で畳に寝そべってしまうし、自分が逸らしたボールは弟に拾いにいかせるし、学校の宿題もまったくやろうとしなかった。翌日から私は彼らに声をかけず、知らんぷりを決めこんで、夏休み帳の追いこみをかけるために文机に向かった。
 叔母にしても、ふだんはもの静かにしているけれど、いざ何かを口にするとなると決まって、丸眼鏡の奥からじっとこちらを見つめながら、親孝行とか、倹約とか、資格とか、むかしから大勢の人びとに大切なものと思われてきたことを、好人物を振舞いながらしゃべるのだ。しかも彼女は悪口屋だった。
「スミはわがまま女でせ。家の苦しいときに、オラも君子も、雪の中、センベかついで行商して歩ってるのに、野辺地コマチか何か知らねけんど、いい服(べべ)着て、いい靴履いて、わざわざ青森まで出て映画観てたんず。オラ、一生忘れね。じっちゃが猫っかわいがりに甘やかしたはんで、いい気になってしまったんだじゃ」
 とか、
「おめはたいした頭いいって話だども、大吉さんにはかなわねべおん。おめの父ちゃんは目から鼻さ抜ける人だった。見たとご、おめにはそこまでの頭はねェな。たぶん大吉さんは、スミのバカさかげんがいやになって出てったんだべ」
 などと言っては、縁なし眼鏡を押し上げて私をじっと見つめる。母の味方をする気持ちはとっくに私にはなかったけれども、それでも顔を合わせるたびにそんな話ばかり聞かされて、ひどく居心地が悪かった。彼女はサイドさんについてもこんなことを言った。
「十年も前、サイドが盲腸で入院したときよ、見舞いにおがしな女がきてせ、オラのこと無視して、ベッドカバー直したり、リンゴ剥いたりしてるのよ。サイドは黙ってそれをさせてるのせ。あとで訊いたら、会社の部下だと。あれがただの部下だってことがあるもんだってか」
 への字になった口の端にできた皺の中に、思いがけず野卑で不快なものが現れた。こんな話しぶりが叔母の話の基調だったとは知らなかった。
 彼女は子供たちのこともくどくどこぼした。私には、そういうことはすべて、満たされない気持ちからくる気まぐれや不貞腐れに思えた。彼女は家族のみんなから慕われているふうはなかった。きっと彼女は合船場で娘時代をすごしていたころ、報われない自分の立場がすっかりわかった瞬間があって、自分は不幸だと思いこんだのだろう。それでふさぎの虫にとりつかれ、やさしいサイドさんと結婚してからも、何ごとにつけ、疑いやそねみを深くして、守りの姿勢を固め、悪口でも言いながら辛抱していこうと決めたのだ。その悲しい覚悟は母の姿にも重なって、私は少し椙子叔母が気の毒になった。
「叔母さん、ワイシャツの胸ポケットは、やっぱり二つのほうが格好いいかな」
 二つにしたほうが叔母さんも持ち前の腕を揮う喜びが大きくて、張り切るのじゃないかと思った。
「ほんだな、GIシャツみてで、格好がいいかもな。ペン差しも、ちゃんと両方に開けてせ」
「叔母さんは洋裁の名人だって、かあちゃんが言ってたよ。いままで何着も素敵な服を作ってもらったって」
「作れ、作れってうるせすけ、腰抜かすみてなやつをジッパと作ってけだった。女学校時代から数えたら、もう何着になるべか。君子にもだいぶ作ってけだ」
 明るい表情になり、やさしい微笑さえ浮かべた。


         四十三

 サイドさんはときどき、好奇心に燃えた目を私にじっと注ぎ、英語のことについてしつこく質問した。
「将来、日本人は英語をしゃべる民族になると思うか」
「スタディとラーンのちがいは?」
「バックネットはバックストップ、ナイターはナイトゲームと言うのが正しい。じゃツースリーは、英語では何と言う?」
 そのすべてが小学生の私にとってわかるはずもない質問だった。でもサイドさんの真剣な表情から察するところ、そういう知識や推理はみんな大事なことのように思われた。
「わからない」
 そのつど私は呟くような返事をした。でたらめな答え方をすれば、きっとこの天才にきつくなじられるだろう。こんな調子で一週間も過ごさなければならないのかと思うと、うんざりした気分になった。
「英語は五年、ロシア語二年、アラビア語三年、フランス語とドイツ語は四年でマスターした。キョウも将来、語学をやるか?」
 私はその年数を頭の中で足し算してみて、サイドさんのことを大した精力家だと思ったけれども、まねをしたくなるほど興味深い仕事だとは思わなかったし、世界中の方言よりも日本語を使いこなすほうが大事だと感じた。
「英語くらいは、ね」
「くらい? 英語がいちばん難しいんだぞ。そのうえ、語学は毎日勉強したって、ものになるかどうかわからない。しかし、ものにするためには、毎日やらなくちゃいけないときてる。まあ、英語だけでもやる気があるのはいいことだ」
 私は毎日、午前のうちに庭の草花へ水をやる仕事をしたあとは(善夫は風呂掃除をしていた)、名古屋から持ってきた誓いの魔球を寝転びながらぺらぺらやり、善夫や二人のいとこたちといっしょに椙子叔母の用意した昼めしを食べ(彼女は一日じゅう趣味の洋裁に没頭しているので、昼めしといってもたいていは片手間でできる漬物にごはんだけか、インスタントラーメンだった)、腹がくちるとまた畳にごろりと横たわって、夏休み帳をやった。
 毎年中途半端になる夏休み帳を、今年にかぎって私がまじめにやっているのは、去年の夏、図画も工作も日記帳もいっさいやっていかなかったせいで、桑子に竹竿の柄でしたたかに頭のてっぺんをやられたからだった。お仕置きされたのは、私と康男と木下だけだった。名古屋に帰ったら、一日がかりで図画や工作もやらなければいけない。図画は適当にそのへんの風景画を描くとして、工作はどうしようか。チリ取り、本立て、犬小屋……。どれもこれも自分には作れそうもない。もっと簡単なものを思いつくしかない。そんなことを考えていると、私はぐったりするほど憂鬱になった。
 午後の日盛りになると、従弟たちはたいていプールへ泳ぎにいった。するとかならず私は、ミシンがけにいそしむ叔母の目を盗んで、ぶらぶら近所の森に出かけた。街道を外れた鎮守の大藪から、木立を分けて森に入りこむ。たちまち目が覚めるような緑一色の景色に包まれる。蝉の声がやかましい中で、はしばみ、ハコ柳、クサノオウなどの葉が入り混じって、濃く淡く、いろいろな模様を染め出している。
 樹木のあいだを抜けていくと、入間川の河原のほうへ向かって崖が垂直に下り、色とりどりの葉が絨毯のように川に沿って散り敷いている。ゆるやかな流れの表面から湿った温かい蒸気が立ち昇り、水の音がやさしく聞こえた。森の中では感じなかった風が頬にひんやり当たった。見上げるとまばらな枝のあいだから、リンドウのような青い空が見えた。
 ある日の帰りがけに、ふと竹薮に刈られた竹筒が転がっているのが目に入り、これを工作の宿題に利用しようと思いついた。のこぎりで節のあたりを切り落とし、筆立てにするのだ。あとは筒に彫刻刀で適当な模様を彫っておけばいい。バットとボールがいいだろう。
 一足先に善夫が入間を去る日、私は彼に小説について質問した。
「小説って、どういうもの?」
 善夫は非現実化とか知覚とか、何か難しいことを長々としゃべった。ときどきカタカナが混じった。私はもう一度聞き返した。
「だからよ、理屈でねくて、人間の気持ちを切り取ったもんだ。だすけ、人の小説を読むときは、理屈をわかろうとするんでねく、気持ちを感じるのせ。めし食うとき、理屈考えるか? このめし、うめェなって、感じるだけだべ。小説を読んで、気持ちを感じるのを異化(いか)作用ってんだ」
 頭の中にもうもうと霧が立ちこめたような気がした。
         †
 母の言ったとおり、サイドさんのことが、混じりけなしの語学の天才だと思えてきた。しょっちゅう英語で電話をするし、私たちとするふだんの会話にも、ときどき独り言のように外国語が混じる。丸い顔を載せたふくよかなからだ、少しの無駄もなく動く眼。親しげに話しかけるくせに、人慣れない雰囲気が全身にただよい、見るからに頭の切れそうな感じだ。頭の中に何が詰まっているのだろう。私はまぶしい気持ちになった。
「すごいね、叔父さんて」
「何が?」
「外国語をいくつもしゃべれて」
「すごいことなんかあるもんか。努力の成果だよ。俺は学歴がないから、馬鹿にされないように、一生懸命勉強するしかなかったんだ」
 そういうことじゃない、と私は思った。原因があって、努力があって、結果があるような、そんな簡単な話ではない。馬鹿にされないように頑張るだけで、二つも三つも外国語ができるようになるなら、だれだって頑張るにきまっている。能のある人というのは、どうして自分を小さく見せたがるのだろう。だから能のない人も、彼らのまねをして謙虚ぶるのだ。
「たくさん勉強しないと、すぐに人に追い抜かれてしまうからね。高校のころはお山の大将だったけど、世間に出ると、できるやつがわんさかいてさ、今度こそ追いつかれるんじゃないか、追い抜かれるんじゃないかって、恐ろしかった」
「でも、通訳の試験には、ぜんぶ受かったんでしょう」
「そうだけど、やっぱり努力の成果だよ。試験に落ちる人ってのは、能力がないんじゃなくて、さぼり癖があるんだよ。それを他山の石としていつも自分を戒めた。そうすると人よりちょっと試験運がよくなる。実力なんてものうわべだけのもので、当たり外れがあるからね。とてつもなくできる人だって、うぬぼれてると落第することがある。落ちたって別に恥じゃないけどさ。いつも一生懸命やってるかどうか、それが問われちゃうよね。うぬぼれない心と、がまん強さがあって、そのうえに正しい野心があれば、人間はたいていのことができる」
 それを聞いていた叔母は、
「サイドのアダマはすごいかも知れねけど、ウダツは上がらねな。進駐軍を勝手に辞めてから、給料のいい芸能事務所の誘い断って、わざわざ苦労して国家試験受けて、やっと法務省の下働きにありつく人だおん。がまん強いべせ」
 いつもの意地悪な口調が回復している。
「芸能人なんかにペコペコできるわけないだろ」
「なして」
「彼らはいさぎよくない。必死で生きてるふりはしてるけど、やることぜんぶ、金の絡んだ泥仕合だからね」
「がまん強く、正しい野心があれば、その中にいてもなんとかなるべ」
 唇をへの字にして嫌味を言った。叔母が口で言うほどサイドさんの能力を認めていないのは確かだった。サイドさんは何やら反論を試みたけれど、そんなジェスチャーは叔母の勝ち誇った視線に押し戻された。私はムカムカした。
 翌日からサイドさんは三日間の公休を取った。
「たまには、ドンと休みを取って、浩然の気を養わなくちゃな。キョウに少しでも英語を教えてやりたいし」
 一日目、サイドさんはずっと部屋にこもり、秋葉原で買ってきたステレオのキットを床に並べて、ハンダ鏝(ごて)片手にアンプとスピーカーを組み立てていた。
「キョウ、ちょっとおいで。聞きぞめだ」
 夕方遅くなってから、私を書斎へ呼びつけると、できたてのモノラルスピーカーで、チャイコフスキーの『悲愴』という曲を聴かせてくれた。スピーカーの大きさのわりには音圧のない、かぼそい音だった。私にはそのメリハリのない曲のどこがいいのかサッパリわからなかった。私はもっといい音のするステレオを持っていることや、ポップスというすばらしい分野のあることを教えてあげたかった。
 とにかく、調達した部品で電気器具を組み立てるのは、サイドさんの得意技だった。箪笥にのっかっているラジオも、客間に据えられたテレビも、彼が何週間もかけてコツコツと製作したものだった。作り上げた作品は、気前よく一家の娯楽に供していたけれど、ステレオだけはだれにも触らせず、大切そうに自分だけでいじったり眺めたりしていた。
「叔父さんは、ポップス聴かないの」
「よく聴いたよ。レコードもたくさんあったけど、蓄音機といっしょに善司にみんなやっちゃった」
「その蓄音機って、手でゼンマイ巻くやつ?」
「そう」
「聴いたことある。『家においでよ』とか『砂に書いたラブレター』とか。あれ、君子おばさんの贈り物だと思ってたけど、叔父さんがあげたものだったの?」
「うん。ローズマリー・クルーニー、パット・ブーンか。ほかにも、五十枚以上やったんじゃなかったかな。ドゥーワップよりはロック、ロックよりはポップス、ポップスよりはジャズが耳に馴染むね」
「ジャズ! 飯場のクマさんて人が言ってた。ビリー・ホリデイが最高だって」
「ボーカルだね。オレは楽器のほうが好みだ。いまはジャズよりクラシックのほうがいいな。年とともに趣味が変わってきた。情熱的なラテン音楽や、イタリアのカンツォーネも好きになった」
「カンツォーネは、ポップスだよ」
「ああ、そうだな。イタリアのポップスだ。トニー・ダララの『コメプリマ』なんか特にいい」
 そう言ってサイドさんは、
「コメプリマ、ピュディプリマ、タメロ、ペラビータ、ラミャビータ、ティダロ……」
 と高らかに歌いだした。私は、ポップスを教えてあげたいなどと一瞬でも思ったことを恥ずかしく感じた。そうしてその日の夕食後から、とつぜん四日間の特訓が始まったのだった。
「さあ、英語の勉強をしようか」
 食卓から私を書斎へ拉致したときのサイドさんの丸い顔は、お世辞にも柔和とは言えなかった。
「英語なんか、ぜんぜんわからないよ」
「そりゃそうだろう。しかし、英語くらいと言ったじゃないか。あんまり幼いころに外国語に触れるのは、かえって日本語も危なくなっちゃって逆効果だけど、一定の年齢を超えたら、そうだな、だいたい七、八歳を超えたら、外国語を始めるのは早ければ早いほどいいんだ。とにかくやろう」
 まず、アルファベットをA(エイ)からZ(ズィー)まで連続で二十回唱えさせられた。それから、一文字、一文字の発音をそれぞれ三十回。
「エイ、エイ、エイ……。ビー、ビー、ビー……。スィー、スィー、スィー……」
 次に、動物の名前が英語で書かれた絵本の暗記を強いられた。初日は一つの動物だけだった。P、I、G、E、O、N。生まれて初めて覚えた英単語は、ピジャン(PIGEON・ハト)だった。
「ピー、アイ、ジー、イー、オウ、エン。ピジャン」
 それも三十回言わされた。すでに十時になっていた。ようやく解放のときになって叔父さんは言った。
「小学生になってすぐ善郎にやらせてみたが、ノリが悪くてね。あいつに語学のセンスはない」
 サイドさんは自分の分身に教える気はなさそうだった。何ごとかと書斎の戸から覗きこむ二人の息子を、彼がわざとらしい笑顔で見返すとき、その目に憐憫の色が浮かんでいるようだった。つまり彼は、ついに親族の中に教えがいのある子供を見出したというわけだった。私は、尊敬の気持ちまで芽生えはじめているサイドさんの熱意から、あっさり引き上げるわけにはいかなかった。
 二日目の特訓は、善郎と寛紀が表に出払ったころを見計らって開始された。一挙に二十個に増やした動物の名前を覚えさせられた。そしてその日も、夜遅い口答試験になんとか合格した。
「思ったとおりのがんばり屋だ。将来が楽しみだぞ」
 私は自尊心を甘くくすぐられた。
 三日目。夕食のあと、正確な発音の習得にかかった。発音記号の正確な発声の仕方をきのうのように繰り返して暗記し(発音記号表を前に一時間以上)、それからもっぱら「l」と「r」と「θ」の舌使いを訓練した。合計三十分。やっと解放されて、布団に入り、眠りの中へ引きずりこまれていく瞬間に、とつぜん襖が開き、ぎらぎらと目を剥いたサイドさんが、
「l!」
 とか、
「r!」
 とか、
「θ!」
 などと鋭く囁くのだった。ふだんの温和な人柄に似合わない血走った目が睨みつけているので、私はあわてて布団から首をもたげ、彼の発音に合わせて復唱した。眠いなどと言おうものなら、頬でも張りかねない眼つきだった。これが十五分おきくらいに何度か繰り返された。私はこの異常にまじめな教師の情熱に怯えて、必死で眠い目をこじ開け、まじめな表情を作って鸚鵡返しに応えた。
「ようし、いい調子だ。まちがいなく語学の素質がある。中学にいったら、ラフカディオ・ハーンを読むぞ」
 サイドさんは何気ない調子で言い、満足そうに襖を閉めた。従兄たちは、知ってか知らずか、静かな寝息を立てていた。
 あくる日、みんなでバスに乗って入間川へ泳ぎに出かけた。たとえ気の合わない子供たちや、悪口屋の叔母さんといっしょにいても、英語の勉強から解放される喜びのほうがずっと大きかった。
 水に入るのは野辺地に里帰りして以来だった。木陰で叔母さんの手製の海水パンツを穿いた。ふと膝の裏に目をやると、あの夏ブヨに刺されて化膿した傷が、まわりの皮膚よりも白いくぼみになっていた。痛いな、とばっちゃに癇癪を起こしたときのヒヤリとした気持ちが蘇ってきた。考えてみると、あれから三年も二人に会っていないし、手紙も出していないのだった。
 狭い谷からモミの木陰を抜けてくる入間川は、凍えるほどの冷たさだった。水が岩の上を舐めるように流れている場所からザンブと飛びこむと、一瞬からだが金縛りになった。サイドさんと椙子叔母さんは普段着のまま、風のない蒸し風呂のような岸辺で監視役を勤めていた。私は早めに水遊びを切り上げ、木陰に横たわった。草の冷たさをこころよく背中に感じているうちに、うとうと眠りこんだ。
 短い夢の中で、ベーブ・ルースと英語で何かしゃべっていた。ルースは、低目を打つときは思い切り手首をかぶせるように、と言った。彼がしゃべっているのは英語ではなく日本語だった。私は夢の中で思わず笑った。目覚めると、寛紀が握りめしを食いながら、何かおどけたふうに英語をしゃべりかける父親に向かって、意味もわからないのに大声で笑っていた。
 その日川遊びから戻ったあと、サイドさんはほとんどつきっきりで、これまで学んだ発音記号と、動物単語の復習を強いた。それがすむと彼は、きょうで自分の休暇が終わるので、あしたから彼の書斎で勉強するようにと言った。
         †
 サイドさんが出勤してから、一人で書斎に入った。大きな机だった。机をめぐる壁に埋めこまれた書架には、外国語の本や辞書がぎっしり並んでいた。
「アクセントに気をつけて、勘で発音しちゃだめだぞ。エルは前歯の歯茎に舌を押し当てる、アールは少し舌を引く、θは舌の先を噛む」
 名古屋に帰るまであと二日間ある。その二日間、彼の教えたとおりに反復練習することを命じられた。つるつるした机を撫ぜながら、
「アンティーター、ありくい、アンティーター、ありくい。リザード、とかげ、リザード、とかげ。……ライナサラス、さい、ライナサラス、さい」
 懸命に発音し、意味を暗記した。そのうちだんだん楽しくなってきて、どうかすると、自分がまだ小学生で、英語の勉強なんかしなくてもいい年齢なのだ、ということをふと忘れた。机の上にゆらゆら影が動き、驚いて窓の外を見ると、大きな揚羽蝶が陽射しの強い庭を横切っていった。私はまぶしい光を見つめながら、
「スウォロウテイル、あげはちょう、スウォロウテイル、あげはちょう」
 と大声で言った。
 名古屋へ帰る日の朝、サイドさんは、
「勉強は独学が基本だよ。これをあげるから、中学に入るまでにやっておきなさい」
 と言って、フリガナつきの簡単な英会話の本をくれた。私は、半年のうちにぜんぶ暗記してしまおうと思った。
         

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