三十四

「タクシー、拾えましたよ」
 吉冨さんが戻ってきた。
「いってらっしゃい」
 と言いながら、原田さんはお替りのめしを盛った。母がエプロンを外した格好になり、髪を掌でしごいた。
「カズちゃん、あとでいくらかかったか教えてちょうだい。どうせ買うなら高いものを買ってね。ものを買うなら、かならず上等の品を買うにかぎるのよ。安物買いは、結局ゼニ失いになるから」
 カズちゃんは納戸からバッグを取り出して腕に提げ、
「佐藤さん、あとで教えるくらいなら、こんな啖呵切らなかったわ。心配しないで。私のプレゼントだから」
「おばさん、メシとおかずとっといてよ。こいつら見張ってないと、犬みたいに平らげちまうからさ」
 小山田さんが浮き浮きして言った。
 事務所の前にタクシーが停まっていた。いつものように後部座席に男二人、助手席に私とカズちゃんが膝を寄せて座った。 
「どちらまで」
「神宮東門のそば」
「クマに電話入れて、クラウン廻してくりゃよかったかな」
「荷物を運ぶことになるから、まんいち汚したら悪いですよ」
「だな。……カズちゃんはすげえな。胸がスカッとしたよ。家に寄るんだろ、どこ?」
「四、五万のお金は、いつも持ち歩いてるの。佐藤さんの前でそれを言いたくなかっただけ。そんな大金を持ち歩いてとかなんとか、またうるさいこと言われるでしょ」
 小山田さんは豪快に笑い、
「だよなあ、こっちの勝手を許してくれねえもんな。しかし、そりゃ、ほんとに大金だぜ。俺たちの給料の二か月分以上だ」
 吉冨さんもにやりと笑い、
「これからは山さんに借りるより、カズちゃんに頼んだほうが確実だな」
「いつでもどうぞ」
「冗談、冗談」
 骨が溶けるかと思うほど、くつろいだ雰囲気になった。男二人が煙草を吸いつけた。カズちゃんが私の手を握った。他意のない、温もりのある握り方だった。
「吉冨、このあいだ、007観たぞ、ドクター・ノオ」
「ウルスラ・アンドレスの水着姿ですか。セクシーですよね」
「ショーン・コネリーも渋いよな」
「たしかに。あそこまでカッコいいと、禿げててもなんとも思わないですね」
「ハゲなのか」
「カツラだというのは有名です。007か。洋画にまたしばらく戻ってみようかな。森繁の社長シリーズも、植木等の無責任シリーズも、なんだかマンネリで、飽きがきてたんですよ。市川雷蔵は相変わらずいいんですけどね。『破戒』は新境地だったな」
「仲代達矢の『切腹』は傑作だった。久しぶりに夢中になった」
「小林正樹の最高傑作でしょう。ヘルニアのわりには、けっこう出歩いてるじゃないですか。……しかし、ほんとに、三割引いてくれますかね」
「引いてくれなくてもいいじゃない。プレゼントだもの」
「引いてくれるよ。そう言ったんだから」
「引かなかったら、談判してやるか」
 小山田さんがこぶしを固めて吉冨さんの腿を突いた。
 東門の脇にタクシーを待たせ、粟田電器店へ四人で歩いていった。閉店したばかりらしく、カーテンを引いたガラス戸の明かりが道に洩れていた。隣家の玄関で、サルマタ姿の老人が鉢植えに水をやっていた。カズちゃんが店のガラス戸を引いた。
「ごめんください」
 カーテンを開けて奥へ呼びかける。しばらくして中年の男が、大儀そうに奥の階段から降りてきた。眼鏡をかけ、粟田にそっくりの顔をしている。
「なんでしょう。もう閉めたんですが」
 いやに無愛想だ。吉冨さんが丁寧に、
「すみません、遅くきちゃって。すぐ帰りますから。ええとですね、テープレコーダーを見せてくれませんか」
 と言った。男は、はい、とぶっきらぼうに応えると、ショーケースの背後の展示棚からがっしりしたリールデッキを下ろした。透明なプラスチックの蓋を外す。堀酒店の息子のものより一回り大きくて、録音・再生ヘッドがピカピカ輝いている。テープを載せる回転盤の造りも立派だ。
「東芝カレッジエース。最新のものです」
「おいくらですか」
 カズちゃんが胸を張って訊いた。
「二万二千八百円です」
 男はいんぎんな態度になって言った。
「ウヒョー! 高いなあ。現金で買うと、どのくらい安くなるの?」
 と吉冨さん。三割だとすると七千円ぐらい引いてもらえる、と思った。
「それはちょっと、ご勘弁願います―なにせ最新式ですので」
「一円も引かないのか!」
 小山田さんが声を荒くする。
「タイプの新しいものは、販売価格がメーカー指定の売値と決まっておりまして」
 たまらず私は言った。
「ぼく、粟田くんの同級生です」
「そうですか」
 反応がない。
「三割引いてくれると言ってました」
「それは、どうも。子供の口ですからね。一彦も何という保証もなく自慢したくてそう言ったんでしょう。お気の毒さまでした。でも、そちらさまがどうしても約束したとおっしゃるなら、親としても責任問題ですから、それじゃ、二千八百円引くということで。リールテープも一本、おつけしましょう」
 私は表向き平静を装っていたが、いまにも爆発しそうだった。カズちゃんがぴしゃりと言った。
「値引きも景品もいりません。もとのお値段でけっこうです。持って帰れるように包装してください」
 小山田さんが店主を睨みつける。
「欲たかりが。こんな高級品、棚ざらえの大売出しでもしなけりゃ、めったに売れる品物でもないだろう。頬かむりしやがって」
 粟田の父親は平気な様子で、カズちゃんの差し出した三万円につりをよこした。吉冨さんが梱包した箱をさっさと抱え上げ、ガラス戸の外へ出た。私の背を押して小山田さんがつづく。私は腹わたが煮えくり返っていたけれども、冷静なカズちゃんの横顔を見て、痛快な感じがしてきた。クラスの中でもあの粟田だけが特に不愉快なやつだったことを思い出した。東門から振り返ると、戸締まりを終えた粟田の父親がそそくさとカーテンを引くところだった。
「粟田のやつ、嘘つきやがって」
「こういうことは、すぐにあきらめるのよ、キョウちゃん。そんなことを当てにしてきたんじゃないんだから」
 吉冨さんがタクシーの前ドアを開けて、私とカズちゃんを促した。小山田さんは箱を抱えて後部座席に乗りこんだ。
「カズちゃん、格好良かったなあ。あのオヤジには、ちっとも応えなかったみたいだけどね。商人なんてのは、あんなものだな。ああいうやつにかかったら、だれだって子供みたいに簡単にひねられちまう」
 カズちゃんはおかしそうに笑いながら、
「そういうことね。でも、ああいう小ずるいご仁(じん)がいないと、世の中、まとまらないかもしれないわ。生き馬の目を抜いてばかりいる商売人にしてみたら、儲かるというのがすべてを決めるキーワードでしょ。世間の七、八割の人間がふだん考えてることは、その一言でまとまってしまうわね」
 カズちゃんはまたフフと笑った。
「商売人にかぎらず、人間なんて、利に敏いものだからね。しかし、カズちゃん、あんた何者? 謎めいてるなあ」
「賄い手伝いのお姉ちゃん。もと、ヤンキー。年の離れた亭主持ち」
「それ以上訊くな、吉冨、惚れてないかぎりな」
「先約あり。惚れてもむだよ」
「キョウちゃんかい」
「そう、純粋で、一途で、才能のかたまりのキョウちゃんに、年と関係なく惚れてます」
 小山田さんが天井を向いて笑った。吉冨さんも、二重婚はやばいよ、と笑いながら、
「とんでもないもの買ってもらったね、キョウちゃん。しっかり息抜きして、野球に励むんだよ。ついでに勉強もね」
 吉冨さんが後部座席から手を伸ばして、私の頭をゴシゴシやった。
「野球がイの一番だぞ」
 小山田さんが釘を刺した。
 事務所に帰り着くと、吉冨さんはタクシーに金を払って食堂へめしを食いにいった。小山田さんは箱を抱え、カズちゃんといっしょに勉強小屋へやってきて、私が梱包をほどくのを手伝った。きらきら輝くテープレコーダーが畳の上に据えられた。回転軸にテープを巻きつけ、マイクをセットするのを二人でじっと見ている。
「キョウちゃんみたいな子供がいればいいな、私にも……」
 小山田さんは、うん、うん、とうなずき、
「何でも買ってやるだろうな。やあ、こうして見ると、たしかに豪勢な機械だぞ。キョウちゃん、こりゃ、そんじょそこらの代物じゃないぜ。手すさびに使わないで大事にしろよ。よし、一杯やるかな」
 と言って食堂へ戻っていった。私はカズちゃんに見守られながら、テープレコーダーに電源を入れた。
「じゃ、いくよ、カズちゃん。何でもいいから、しゃべってみて」
「何でもいいといっても……」
 録音ボタンに切り替えて、カズちゃんにマイクを差し出した。彼女はケラケラ笑いながら、マイクに向かって、
「大好きです」
 と言った。私は彼女の厚い唇にドキドキしているのを悟られないように、すぐに巻き戻して、その声を聞かせた。カズちゃんのケラケラという笑い声につづいて、
「ダイスキデキ」
 という、生で聴いたときよりも緊張した声が聞こえてきた。カズちゃんは自分の声を恥ずかしそうに確かめ、うつむいて、
「ほんとうよ」
 と言った。そして、立ち上がると、
「苦しくなったら、いつでも相談してね。ずっとそばにいるから」
 と潤んだ目で見つめ、もう一度私の手を握って出ていった。
         †
 しばらくつづいていた雨がすっかり上がり、花壇の色が鮮やかだ。強い陽射しで焙られたグランドから、水蒸気がゆらゆら立ち昇っている。下の校庭のテニス部の声がいつもより近くに聞こえる。
 土曜日の放課後は、クラブ活動をしないで帰宅する連中以外は、みんな教室に残って弁当を使う。きょうからはきちんと朝めしを食い、カズちゃんに塩鮭の大きな握り飯を作ってもらうことにした。それというのも最近、野球部を終える日暮れどきにはさすがに腹がへってきて、下校の道々仲間たちが買い食いしたりする姿を眺めていると、みっともなく唾が湧いてくることがある。そういうみっともないことにならないように、大きめのやつを一つ握ってもらうことにしたのだ。
 もう堀川端を走るのはやめて、昼はもっぱらこの握りめしを食うことに専念している。からだが成長したせいか、昼間少しでも腹に入れないと、きつい練習に耐えられなくなった。食べ終わると、学生服のまま、まず上の運動場をゆっくり五周走る。弁当を終えた野球部員たちがぽつぽつ集まってくる。デブシと太田の声がひときわ大きい。
「今年のON、神がかりやで」
「野村もすごいが」
「王の壁は長嶋だし、野村の壁はブルームやろ。あと何年かは、二人とも三冠王は獲れんやろなあ、金太郎さん」
「王は金田を克服したし、野村は稲尾を克服したから、しばらく二人の全盛時代はつづくんじゃないかな。大好きな長嶋や山内がかすんじゃった」
「尾崎は、今年はあかんで。これっきりやないか」


         三十五

 デブシたちとがやがや更衣小屋へ向かおうとしたところへ、ひょこひょこ桑原が寄ってきて、秘密めかした声で囁いた。
「あした、ちょっと遊びにこいや」
 二年生になって桑原に話しかけられたのは初めてのことだ。いやな予感がした。あいつに誘われてもいくなよ、と言った康男のしかめ面を思い出した。
「野球部があるから」
 あしたは特訓のない自由練習日に当たっている。
「そんなもの、サボってまえ」
「そうはいかないよ。おまえみたいなプウタロウじゃないんだから」
 気持ちのままに言うと、桑原は声を荒くして、
「どこがプウタロウや。俺だってけっこう忙しいんやで」
「じゃ、ぼくなんかと付き合わないで忙しくしてればいいだろ」
「いいからこいや。エエもの見せたるで」
 だいたいの見当はついていた。たぶん、この数年で私が雑誌から得たのとたいしてちがわない知識を裏づけるようなもの、たとえば平凡か明星の身の下相談付録本か、竹ひご細工の体位人形か、陰毛を塗りつぶしたキワもの写真か―せいぜいそのへんだ。
「どうせエロ本みたいなものだろ。くだらん。そんなもの、とっくに卒業してるよ」
「ノー、アイ、ドント。もっとすげえやつ。あしたはオヤジが夜までおらんし、兄貴は昼から剣道の練習に出てまうで、じっくり見れるわ」
 一年生のときからこれといった友達もいなさそうな桑原は、よほど毎日の生活に孤独を感じているらしく、表情に必死のものがあった。
「まだ新聞配達やってるのか」
「やめた。ジジイと喧嘩してまって」
「どうして」
「俺が集金のカネごまかした言いよった」
 たぶん濡れ衣ではなく、ほんとうにやったのだろうと私は思った。たとえ濡れ衣だとしても、それは身から出たサビで、それがもとですっかりさびしくなってしまったのだ。
「昼の一時にこいよ。新聞屋の前な」
 同情の気持ちが湧き上がった。一回だけこの胡散臭い男の誘いに乗ってやろう。エロ本よりすごいというものにも興味があった。このごろでは、私はオナニーをする回数も多くなり、ある晩などみんなが寝静まったあと、ぬるい風呂に入って、湯船の中でチンボをいじっているうちに射精してしまったこともあった。真っ白い棒状ものが勢いよく飛び出し、水の中でくっきり輪郭を描いて蛇のようにのたうったので、私はあわてて風呂桶でそれを洗い場へ浚い出した。
「見たらすぐ帰るからね。それより、ノー・アイ・ドントじゃなくて、ノnoウ・イッ・ダdaズント、だよ」
「どうでもええが。イエス・アイ・ドゥー、ノー・アイ・ドント、サンキュー、それでオッケーだがや」
 その夜、私はこれまでの知識をおさらいするために、机の下に貼りつけたエロ本を取り出して何冊か読んだ。そうして、ついつい興奮が高まってきたので、夜更けを待たずに便所へいき、女のあられもない裸体写真を見ながら、清潔な虚しさに浸った。あるとき浮かんできたそのぼんやりした言い回しを、私はひそかに気に入っていた。その言葉をつぶやきながらオナニーをすると、暗い場所で痙攣する神経が清められ、だれにも言えない淫らなことをしている後ろめたさが消えていくように感じた。
         †
 桑原はガラス戸のカーテンを閉めた新聞屋の前で偉そうに腕を組んで待っていた。
「やっぱりきたな」
 勝利者のような笑いを浮かべ、あごで誘って歩きはじめる。
「きてやったんだ」
「練習サボったんか」
「出ても出なくてもいい日だ。それ、康男に見せたんだろ」
「あたりまえや。番長は別格やが。日比野の金井にも見せたったわ」
「金井って?」
「船方のパチンコ屋の息子やが。日比野でバン張っとるらしいわ。寺田を目の上のたんこぶにしとる」
「無駄な抵抗ってやつだね。山中もそうだったけど」
「山中? ああ、あいつな。そういえば目立たんようになったな。ときどき、金魚のフンみたいに番長にくっついて歩いとる」
 ふと、康男はそんな連中を引き連れて、ふだんは何をしているのだろうと思った。私を訪ねてくるときは、どこからともなく現れて、どこへともなく去っていく。彼には学校と東海橋を往復するだけの日常しかないと思っていたのは、あまりにも異常な考え方だ。彼にも生活はある。いろいろな場所へもいくだろうし、いろいろな人間とも付き合うだろう。骨肉腫で死んだ伊藤正義とも、かなり親しく付き合っていた。兄のもとへも足繁く出入りしているだろう。この桑原ともそんなふうのようだ。近づくなと言うのは、それ相応に知っていなければなかなか言えることではない。寺田康男は私だけの独占物ではないということだ。少しさびしい気がした。嫉妬に近い感情だったかもしれない。
 桑原の家は新聞屋のすぐ斜向かいのアパートだった。アパートの前に細いドブが流れていて、苔の生えた水底を動いていく灰色の水と対照的に、狭い庭いっぱいに背の高いシオンの花が咲き、太ったミツバチが薄紫色の花弁に出入りしていた。
 鉄階段を昇っていちばん奥のドアを開けると、小さな玄関の向こうに散らかし放題の四畳半があり、その奥の六畳の床の間に日本刀が架けてあった。
「あれ、本物?」
「おお、とうさんのや。親分からもらったんやと」
「お父さんは、ヤクザなの?」
「三吉一家の幹部や」
 桑原は少し胸を反らした。細い目が誇りのせいで和んで、ますます細くなった。
「康男のお兄さんは、松葉会だよ」
「知っとるわ。名古屋の松葉会は東京の支部やが、三吉一家は名古屋が本家やで」
「支部とか、本家とか、なんか恐いみたいだね」
「恐いことあらすか。ヤクザは素人さんの味方だが。地回りやら、祭りの仕切りやら、素人さんの安全を図っとる。飯場のやつらもヤクザ者みたいなもんやろ」
「飯場の人が? どうして」
 もし飯場にいる人たちもヤクザ者なら、映画みたいに盃を酌み交わして兄弟の契りをしたり、出入りの喧嘩をしたり、街なかを肩そびやかして闊歩したり、ときには刀を振り回したり、拳銃を撃ったりするはずだ。小山田さんや吉冨さんはそんなことをしない。
「素人さんのいやがる土方仕事をやったっとるやないか」
「そういうことか。でも、恐くないよ。みんな親切だし、大学を出た人も多い」
「あほ。ヤクザも親切やし、インテリや。松葉会も三吉一家も、上は大学出やで」
 桑原は四畳半の押入れに頭を突っこみ、大きな段ボール箱を引きずり出した。ブリキの小筐(ばこ)を大事そうに畳に置くと、蓋を取って一枚の写真を指先につまんだ。
「これや。何枚でもあるで」
 手に受けて、ぎょっとした。白黒の鮮明な写真だった。葦の茂った岸辺に小舟が引き上げられていて、その船端(ふなばた)に両手をついて背中を屈めた女が、大きな尻をこちらに向けている。老け具合から四十歳は越えているだろうか、顔をカメラのほうにぐいとねじって、べそをかいたような顔で醜く笑っている。尻の肉のあいだの黒々とした襞のあいだに、太い棒のようなものが突き刺さっていた。その棒がてらてら光っている。
「何、これ―」
 桑原は大人びた笑いを浮かべながら言った。
「オベンチョやっとるとこや。男の腰が写っとるやろ」
 私はぼうっとし、考える力を失って、ただ写真の一点を見つめた。その一点で、男と女がつながっていた。
「この女、泣いてるの、笑ってるの」
「どっちでもにゃあ。気持ちええ言うとるんや」
 男の顔は決して写らない角度になっていた。桑原はそれから何枚も似たような写真を取り出して見せた。同じ女だった。女はさまざまに格好を変えて、尻の肉を両手で拡げてみたり、片脚を上げたりして、そこだけがくっきり見えるような構図を取り、そうしてやっぱり泣いたような顔で笑っていた。黒い棒の周りにホタテのびらびらのようなものがまとわりつき、そのびらびらにも、太い棒と同じような光沢があった。
「一枚やるわ。好きなの持ってけや」
「いらない。これ、康男にもあげたの?」
「やった。もう何年も前や」
 あの夜、康男が苦々しい顔で、みんなこうして生まれてくるのによ、と言って私に見せようとしなかった代物が、これだったとわかった。こんなものを友の目から遠ざけようとするのも、友人らしい心映えにちがいなかった。
 ―康男は桑原とはぜんぜんちがう。桑原は逆立ちしたって康男にはなれない。
 桑原は、ただ自分の浅はかな興味を他人になすりつけることで、孤独を薄めようとしていた。もうこいつの誘いには乗らない。
「帰る」
「だれにも言うなや」
「言うわけないだろ。こんなくだらないもの」
「なんやと」
「つまらないものだって言ったんだよ。きみこそ、もう人に見せないほうがいいよ」
「チッ、もう頼んでも見せたれせんで」
 桑原が押入れに段ボールをしまう背中を尻目に、私はさっさと表へ出た。
         †
 録音済みのテープをかたっぱしから聴いていく。カスケイズ、シフォンズ、エンジェルズ、マーメイズ、フォー・シーズンズ、ボビー・ビントン、ペギー・マーチ、ヘレン・シャピロ、デル・シャノン、スキタ・デイビス、ロビン・ウォード……。
 テープレコーダーは、とっくにポップス専用の録音装置と化していた。カズちゃんの第一声を録音した同じ夜、日本史の教科書を夜明けまでかかって吹きこんでみたけれど、鎌倉時代で終わってしまった。機械的に教科書を読んでいくことにつくづく飽きてしまったのだ。せっかく録音した分も、二度と聴き返さずに、音楽を重ね録(ど)りした。
 八時をとっくに過ぎている。『ベスト・ヒットパレード』の時間だったことを思い出し、あわててラジオのスイッチを入れた。
「今週の第三位、リトル・ペギー・マーチ、アイ・ウィル・フォロー・ヒム!」
 高崎一郎が叫ぶ。もう三位の発表になっている。十位から四位までを聞き逃してしまった。今週の一位は、カスケイズの『悲しき雨音』か、トーネードーズの『テルスター』だろう。テープレコーダーのマイクをセットする。リールをゆっくり回してテープをぴんと張る。いつもは楽しい作業のはずなのに、なんだかきょうは上の空だ。だいたいこの番組を聞き損じるなど、これまで一度もなかったことだ。音楽も、高崎一郎の声もちっとも耳に入ってこない。あのつやつや光る棒と、ホタテのびらびらが頭から離れないのだ。桑原の写真を見たときの嫌悪感は消し飛び、どういう心境の変化か、
 ―女のあそこを、写真ではなく、この目でしっかり見てみたい。
 と思った。そう思いついたとたん、私は居ても立ってもいられなくなった。あんな写真じゃ、チンボやびらびらがじゃまになって、女のあそこのしくみがよくわからない。棒が入っていないときは、どんなふうになっているんだろう。いつもあんなふうに濡れて光っているんだろうか。やさしいカズちゃんに頼んで見せてもらうことなんか、とても恥ずかしくてできないし、まじめな畠中女史にも、もちろんリサちゃんにもぜったい頼めない。
 私はラジオとテープレコーダーのスイッチを切って、抽斗の奥から懐中電灯を取り出した。これで照らしてじっくり見てやる。外があんなふうなら、中はきっとびっくりするぐらい妙なものだぞ。懐中電灯を取り出したものの、それから先、どうしていいのかわからない。私はじっと窓の外を見つめながら考えこんだ。
 そうだ、夜道を歩いている女に組みついて、押し倒して、覗きこめばいい。
 どこで? 
 人目につかない草むら。草むらのある人通りの少ない道。新幹線のガード下。千年公園の中。貯水場の事務所跡。築山のふもと。だめだ。どこもかしこも草むらというほど草が生えていない。見とおしがよすぎる。懐中電灯の明かりが洩れないような草むらでないといけない。そんな場所があるだろうか。
 ―思い当たった。熱田高校! あのグランドだ。熱田高校のグランドは、生垣に沿って内側が柔らかい芝生になっている。生垣といっても隙間だらけで、女なんか簡単に引きずりこめる。しかも芝のグランドの中は真っ暗だ。
 母の部屋の押入から、タオルを一本抜いてきた。後ろから忍び寄って、これでしっかり猿ぐつわをかませるのだ。懐中電灯を持ち、腰にタオルを垂らして庭へ出た。裏通りを熱田高校へ向かう。ほとんどの家にまだ明かりが灯っている。女を捕まえたときの科白を頭の中で考える。
「おとなしくしろ」
 まずこれで始めよう。猿ぐつわをする前に、もし騒ぎだしたら?
「危害は加えないから安心しろ」
 テレビドラマみたいで、わざとらしい。
「金は欲しくない。あそこが見たいだけだ。黙って見せろ」
 ぜったい騒がれるに決まっている。
 ―殴って気絶させようか。どこを殴れば、うまく気絶するかな? テレビの侍がもっともらしくやっている当身(あてみ)なんてのが、ほんとに効くのだろうか。打ち所が悪くてけがでもさせたらたいへんだ。
 心細くなってきた。仕方がない、出たとこ勝負だ。前もってあれこれ考えたって、思いどおりにことが進むとはかぎらない。女というものは恐ろしいことに遭遇すると金縛りにあって黙りこむ、と何かの本で読んだことがある。それを信じることにしよう。


         三十六 

 裏通りから市電通りへ出て、熱田高校の生垣沿いに、ちょうどいつか守随くんと待ち合わせをしたあたりから小暗い細道へ入りこんだ。まったく路灯がない。生垣の反対側と、道の先を見通す。広い畑地が二百メートルもつづき、突き当たりのТ字路からようやく家の影が見えはじめる。あのТ字路を左に曲がれば、クマさんの社宅の裏に出る。あらためて隠れ場所を探す。生垣に沿ってコンクリートの太い電柱が仄白く連なっている。いちばん手前の一本に近寄って見ると、生垣とのあいだにちょうどからだを挟みこめるほどの隙間が空いている。身を縮めてしゃがみこんだ。自分の手が見えないほど暗い。腰のタオルを確かめ、懐中電灯を握りしめる。からだを揺するほど動悸が拍っている。
 ―やっぱりやめようか。
 弱気が襲ってきた。心臓の音を全身に感じながら、気持ちを決めかねているうちに、カツ、カツという靴音が近づいてきた。ハイヒールだ。電柱の陰から覗くと、うつむいて一心にやってくる女の姿がぼんやり見える。私はからだを固く丸めた。あっという間にタイトスカートが目の前を通り過ぎていった。心臓がどんどん胸板を打っている。闇の中にしゃがんで、みすぼらしく縮み上がっている自分がたまらなく恥ずかしくなってきた。
 耳を澄ませながら、ぐずぐずしているうちに五分ぐらい経った。重たい足音がやってくる。二人連れの男が何やら快活に話し合いながら通り過ぎた。つづけて自動車のヘッドライト。
 ―自動車まで通るのか。だめだ。あきらめよう。
 捕まったら……警察に連れていかれ、母に頼まれたクマさんか吉冨さんが迎えにきて、ぼくのみっともない気持ちを知ってしまう。いずれ野球部の連中にも知れて、爪弾きにされるだろう。野球を失ったら! 
 大人の秘密を覗きたいというつまらない好奇心から、大切な生活をむざむざ捨ててしまう愚かさを、私はひしひしと感じた。
 ―やっぱりやめよう。いまなら間に合う。
 心を決めて立ち上がろうとすると、ふたたび靴の音が近づいてきた。あわててしゃがみこむ。闇にすっかり目が慣れている。腰から下のたくましい肥った女で、ゆったりとした足どりをしている。それほど若いシルエットではない。からだ全体にものわかりのよさそうな雰囲気がただよっている。あのくらいの年増なら、夜道で不意打ちを喰らっても、神宮公園の女と同じように、きっとカツアゲだと誤解して、おとなしく財布を差し出すにちがいない。相手が少年だとわかれば、カズちゃんみたいに艶っぽく笑ってうなずくかもしれない。
 私はふたたび決意した。懐中電灯を尻のポケットに納め、腰のタオルを抜いた。それをよじって細くする。一瞬恐怖が胸の中で軋んだが、私はきつい眼つきをすると、女が目の前を通り過ぎようとする瞬間、電柱の陰から飛び出してその背中に抱きついた。ゴムのような弾力が返ってくる。もがいて逃れようとする肩をきつく両腕で抱きしめ、タオルを顔面に持っていく。すごい力で暴れるので、口にかけるはずのタオルが滑って喉にかかった。
「助けてェ!」
 予想しなかった鋭い叫び声が上がった。
「静かにしろ!」
「キャー! キャー! だれかァ!」
 叫びながら女はぶんぶん両腕を振り回した。ハンドバッグが私の後頭部をしたたかに打った。私は飛び上がるほど驚き、女を突き飛ばした。その拍子に尻の懐中電灯が落ちた。
「なにすんのよう!」
 気丈な女が振り返ろうとする。私は踵を返して全速力で走りだした。市電通りに飛び出し、一度も振り返らず、足を振り子のように機械的に動かした。自分が何をしているのかさっぱりわからない。とにかく逃げおおせること。勉強小屋に駆けこむことさえできれば、何ごともなかったように机に向かえる。録音したポップスもまた聴けるし、シャボン玉ホリデーも観られるし、図書館から借りた小説も読めるし(モンテクリスト伯を返さなければならない)、ベープ蚊取りマットを点けた部屋で徹夜の試験勉強だってできる。そしてあしたになれば、広いグランドで、日の暮れるまで好きなだけボールを追いかけることもできるのだ! あしたも、その次の日も、また次の日も、家には机があり、ステレオがあり、テープレコーダーがあり、学校にはグランドがあって、そんな日が、何日も、何日もつづくのだ。
 叫び声はもう聞こえなかった。というよりも、私が走りはじめたとたんに女はたちまち叫ぶのをやめていた。彼女は私の後ろ姿からすぐに、自分を襲ったのが年端もいかない少年だとわかったにちがいない。微笑ましいとは思わなかっただろうが、警察に届けようという積極的な気持ちにもならなかっただろう。懐中電灯は? あんなものは証拠にならない。だれのものともわかりゃしない。あの女に遇わないように(顔も見ていないので遇ってもわからないだろうけれど)、あしたからは用心して、熱田高校のそばを通らないようにしよう。
 私は飯場に近づくと、ゆっくり歩きはじめた。そして、ほんとうに何ごともなかったような気がしだした。振り返った夜道に、人の姿はまったく見えなかった。下駄屋から、三田明の美しい十代が聞こえてきた。シロが息を切らして飛んできた。麻雀牌をかき混ぜる音が聞こえる。私はうれしくてたまらず、尾を振りながら足にまとわりつくシロも、麻雀に精を出している社員たちも、みんな安らかに、幸福に、きょうの夜も、あしたの朝も生きつづけるだろうと確信した。
         †
 期末試験の中日に、たまたま午後早く食堂に入っていくと、母がびっくりして、
「どうしたの、こんなに早く」
「きのうから期末試験だよ」
「あ、そう。カズちゃんがね、貧血起こしちゃって、おまえの部屋に寝かしてる。かあちゃんの部屋は汚くしてるからさ。うるさくレコードかけたらだめだよ」
 なんだか心臓が騒いだ。
「あしたで試験が終わるから、机で勉強するだけだよ」
「この氷水、持ってって。一、二時間もしたら治ると思うけど」
 部屋にいくと、カズちゃんは、私の汗の滲みた敷蒲団に起き上がっていた。
「もういいの? はい、氷水」
「ありがとう」
「汗くさかったでしょ、蒲団。枕も」
「たまに自分で干さなきゃだめよ。でも、いいにおいだった」
 またどきどきしはじめた。
「洗濯も、縫い物も、ぜんぶ自分でやってるけど、蒲団は思いつかなかったな」
「キョウちゃんもたいへんね。お母さんは、世話好きな人じゃないし」
「このごろ思うんだけど、かあちゃんは、自分のことしか愛せない、面倒くさがりの人間だね。とうちゃんに捨てられるのもあたりまえだ」
 カズちゃんは微笑みながら目を細め、
「すっかり大人なのね、キョウちゃんは」
「自分しか愛せない面倒くさがりの人間は、かえって人間関係が面倒になるんだよ」
「いいこと言うわね。……キョウちゃんみたいな男に愛されたら、お母さんもきっと別れなかったと思うわ」
 カズちゃんは大きくうなずいた。
「ぼくはあんな人、愛さないよ。まっぴらだ」
「私が男でも、そうかも。自分の幸福を願わないのは勝手だとしても、人の幸福もぜったい願わないというのは、少し曲がった心ね」
「スカウトのこと?」
「いろいろ。私がキョウちゃんなら、家出してるかもしれない。いいえ、自殺したかも。……キョウちゃんは、人格者ね」
「カズちゃんの話を聞いてると、ホッとする」
「ありがとう。私たち、気が合うのね」
 カズちゃんは氷水を飲み干すと、妙にきまり悪げな微笑を浮かべて、
「……キョウちゃん。ごめんね」
「何が」
「机の下に、エロ本落ちてたの、見ちゃった。見つかったらたいへんだと思って、抽斗に戻しといたからね」
 利口ぶってものを言ったすぐあとだったので、恥ずかしくて、次の言葉が出てこなかった。頬が熱くなった。
「恥ずかしがることないのよ。女のからだに興味あるのね? その年ごろなら当然のことよ」
 カズちゃんは、自分がうっかり相手に動揺を与えたときには、いち早くそれを感じ取ることのできるデリケートな人間のようだった。私は解放された気分で正直に言った。
「……恥ずかしいけど、最近へんなんだ」
「そりゃそうよね。中学生だもの。じゃ、見せてあげる。キョウちゃんのこと、大好きだから。―玄関の戸、閉めて」
「うん」
 三和土に下りて、玄関の磨りガラス戸を閉めた。
「ほんとに見せてくれるの? 大事なところでしょう?」
「いいのよ、キョウちゃんになら」
「見たあと、触ってもいい?」
「いいわよ」
 カズちゃんはきっと、脳味噌の構造がちょっと変わっていて、なんだか知らないけれど人の心が簡単にわかってしまうという、そういう天分を持っているのにちがいない。それとも、もしかすると、こういう読心術のようなことは、女にとってはそう難しいものではないのかもしれない。
「ぼく、ずっと、ホンモノを見たかったんだ。悪い友だちに写真見せられてから」
 心に垣根がなくなり、つい先日の痴漢の失敗談を細かくしゃべった。カズちゃんはやさしい目をして、私の話を最初から最後までしっかり聞いた。
「そこまでして見る価値のあるものだとは思わないけど……。でも、よかった。いいタイミングだったのね。よく見てね」
 カズちゃんは蒲団に横たわってパンツを脱いだ。ツヤツヤした腹の下の陰毛が目を射った。あまり量は多くなく、ホワホワした感じだった。両脚を真っすぐ伸ばす。ふんわりしたお腹をしている。撫でてみた。粘りつくような感触だった。
「……柔らかくて、気持ちいい」
 じっとしたまま、どうしろとも言わないので、私は繁みに目を近づけた。繁みの底にかすかな溝が走っている。溝の上の端に指を置いた。カズちゃんが大きく股を開いた。ゴチャゴチャとよじれた茶色い襞のようなものが現れた。桑原の写真の女のものほど黒ずんでいない。つややかな腹の下に、そんな奇妙な形と色をしたものが隠れているのが不思議だった。あの写真よりたくさん水があふれていて、きれいな感じがした。襞のようなものに触った。温かくて、ぬるっと指が滑った。
「あ……」
 カズちゃんは少し内腿を狭めた。美しい顔が目を閉じて輝いた。
「どうしたの?」
「……気持ちよかったの」
「ふうん」
「よく見える?」
「ごちゃごちゃしてて、よくわからない。女の人って、みんなこんなふうになってるの?」
「多少ちがうけど、みんなほとんど同じね」
 カズちゃんはもう一度大きく股を開き、
「じゃ、よく見ていてね。いまキョウちゃんが触ったごちゃごちゃしたのを、ほら、こうすれば中が見えるのよ」
 二本の指で襞を開いて見せた。手の甲と指の美しさが目を惹いた。指のあいだに薄桃色の平たい水溜りが現れた。
「次にここ、ひらひらが合わさった上のところについてる、ふくらんだ袋みたいなものがあるでしょ?」
「うん」
「クリトリスっていうの。キョウちゃんのおチンチンみたいなものよ」
 カズちゃんは、薄茶色の皮をかぶった白い突起を、人差し指と中指でそっと剥き出した。どうしても手の美しさに目がいく。ひらひらしたものも、クリトリスも本で読んで名前を知っていた。クリトリスは小指の先くらいの、丸くて、何の変哲もない白い塊だった。ただ、チンボのはずなのに先に穴が開いていないのが不思議だった。
「手がきれいだ」
「まあ、ちゃんと見て」
「うん。触っていい?」
「いいわよ。強くしちゃダメよ。感じちゃうから」
「感じちゃうって?」
「キョウちゃんと同じ。強く触ったら、なんだかおかしくなっちゃうでしょ」
「うん。白いものがピュッて出ちゃう」
「あら、オナニー知ってるのね。いつから」
「五、六年生から」
「私たちが会ったころじゃないの。おませねェ。それならわかるわね、女も同じ。白いものは出ないけど、からだがウーンてなっちゃうの。キョウちゃんがピュッて出すときと同じ感じ」
 ひどく親近感を覚えた。それは、男も女も同じ秘密を抱えた人間なのだという感じだった。
「あ、下のほうから水が出てきてるよ。オシッコ?」
「それはオシッコじゃないの。大好きなキョウちゃんに触られて出てきちゃう愛情のしるしよ。なぜ出てくるのかは、教えない。教えたら、ぜんぶ教えなくちゃいけないことになっちゃうから。いつかかならず教えてあげる。いまは許してね」
「水の出口みたいなのが、ひくひくしてる」
 人差し指で押すと、つけ根までヌルリと入った。
「あ、だめ、抜いてちょうだい。それは、いまのキョウちゃんには、とってもいけないことだから」
 あわてて抜いた。
「いま指を入れたところがチツっていうの。赤ちゃんが産まれる道。これでぜんぶよ。わかった?」
「うん、でも写真だと、チツに男がチンボを突っこんでたよ」
「……そうしたい?」
「うん」
 カズちゃんは思案顔で、
「もう少し待ってくれる? 身の周りをきちんとしたら、かならずそうしてあげる。一生そうしてあげる」
 厚い唇を決然と結んだ。
「わかった」
 私は視線をカズちゃんの局部に戻した。
「オシッコする穴は?」
「ほとんど見えないの。クリトリスの下をよく見て。あるはずよ」
 顔を近づけて目を凝らすと、ポチッと小さな窪みのようなものが見えた。
「あった!」
 ふふ、とカズちゃんがやさしく笑った。
 教えてもらったどれもこれもが、熱田高校の生垣の暗闇の中では見えるはずのないものだった。私はカズちゃんの親切に心から感謝した。
「ありがとう、カズちゃん。大切なものを見せてくれて」
「キョウちゃんのこと、ほんとうに大好きなの。でも、いま約束したことをちゃんと守るまでは、内緒にしましょう。こんなことしたなんて、かけらもそぶりに出しちゃだめ。私働けなくなっちゃうから」
「わかった。約束する」
 カズちゃんは手早くパンツを穿き、コップを持って落ち着いた様子で出ていった。
 数日経つうちに、私はカズちゃんにせっかく見せてもらったものの形も色合いも、あらかた忘れてしまった。それよりも、毎日立ち働いている彼女の横顔や身振りのほうが印象に残るようになった。とりわけ、手の美しさは何度も思い出した。そして、そういったものもまた、野球を中心にしたもっと印象深い日常の中で忘れられていった。



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